「自動運転」の記事

大津の園児死亡事故で炎上した「マスコミ」批判

カレー沢薫の時流漂流 第43回

大津の園児死亡事故で炎上した「マスコミ」批判

2019.05.20

漫画家・コラムニスト カレー沢薫さんの社会派連載!

第43回は、大津の痛ましい事故で炎上した「マスコミ」問題について

滋賀県・大津市で散歩中の園児の列に軽乗用車が突っ込み、園児二名死亡、多くの負傷者を出す、という事故が起った。

池袋のプリウス事故の衝撃が冷めやらぬまま、また痛ましい事故が起ってしまった。池袋の事故では「高齢者の自動車運転問題」「上級国民疑惑」が大きく注目されたが、今回の事故では全く別のものが炎上した。

マスコミ問題である。

マスコミが保育園を追求したのは視聴者のため?

事件が起こった当日夕方、被害者の園児が通っていた「レイモンド淡海保育園」が記者会見を行ったのだが、そこで質問をした記者の血が青とか紫とかほとんど寒色系じゃないかと、大きく批判された。

記者会見が、どのような内容だったかというと「危険な場所という認識はあったのか?」「保育士が道路側にいたのか?」という、何としてでも保育園側に批があったようにしたくてたまらない質問、「園児たちの様子は普段と変わらなかったのか?」という意図のわからない質問、 「散歩したのは園に庭がないからか?」という「園に庭さえあればこんなことには…」という「ニ兆円さえあれば」に匹敵する、壮大なたられば論などが挙げられ、質問を受けた園長は号泣、それを記者がバッシャバッシャ撮影するという地獄絵図だったそうだ。

記者会見を見た多くの人が「何を食ったらそんな質問ができるんだ」と思っただろうが、この記者会見は、たまたまその場にプラスチックを食って育った選りすぐりのサイコパッシャーが大集結してしまったという、悪い意味でのアベンジャーズだったワケではないと思う。

記者が何故あのような質問をしたかというと、決して趣味ではなく、おそらく「視聴者の見たい画」「聞きたい言葉」を引き出そうとした結果なのではないか。もちろん「あんなもの見たくなかった」という人が大半だと思う。

しかし、池袋プリウス事故で加害者が即逮捕されないことが大きく批判されたことからも、現在の我々視聴者に「悪が一刻も早く、俺たちの目に見える形で処されるところが見たい」という「ニーズ」が少なからずあることが分かっているのだ。

つまり「お客様に一秒でも早く悪が吊るされる様をお届けします!」というニーズに応えようとする企業努力が、「悪くもない保育園をとりあえず悪にして即斬る」という、完全に間違った「悪・即・斬」になってしまったのではないだろうか。

「マスゴミ」問題は視聴者の問題?

しかし、「被害者側への無配慮な取材はいらん」というのも、今回の件だけではなく、視聴者側が何度も言い続けている「ニーズ」である。

何故それが無視されてこのような会見が行われるかというと、被害者の声まではいらなくても、やはり我々が平素「センセーショナル」な物を求めてしまっているからではないだろうか。よって記者たちは「とにかく刺激的なものを撮ってこい」と言われ続け、感覚がマヒし、本来配慮が必要なはずの取材にすら「センセーショナルさ第一」で臨んでしまい、まるで不倫記者会見のようなノリの質問が飛ぶことになってしまったのではないだろうか。

やはり報道というのは「視聴者が何を見たがっているか」が反映されるものだ、需要がなければ供給はなくなる。このような記者会見が行われなくするためには、何度でも我々が「こういうのはいらんのや、見んし、お前らの雑誌買わんわ」と言い続けるしかないだろう。

ところで、「質問をした記者を特定して処してやろう」という動きも当然のように起こったらしい。やはり我々の「悪を処したい」「処されるのを見たい」という気持ちは根深い物があるのだ。

ちなみに、今回の事故では当初、車を運転していた52歳と62歳の2人が逮捕された。「また高齢者か」という声も上がったが、この年齢で高齢者と呼べるかは微妙なところだ。結局「車を運転する以上誰でも事故を起こす可能性がある」ということである。

車を運転しない人は「歩道を歩いていて車が突っ込んでくるなんてどうしようもない」という被害者観点から絶望したと思うが、車を運転する人は加害者観点でも恐怖したと思う。

もちろん安全運転に越したことはないが、人間には「限界」と「不測の事態」があることでおなじみである。持病もないのに運転中に突然何らかの発作が起こる可能性だってあるのだ。「どうしようもないこと」で被害者になることもあるが、加害者になることもあるのである。

つまり、車がないと生活できない土地で、私が週一ぐらいしか外出せず、引きこもり続けているのは、近隣住民の命を守る草の根活動でもあるのだ。しかし、それは無職だからできる事業なので、多くの人が、少なからずリスクを負って車を運転しなければいけない。

そのリスクを減らすには、運転者が気をつけることはもちろんだが、何せ限界がある。つまり、人間がこれ以上、進化することなく、むしろ高齢化で退化する一方だとしたら、無機物の方を整備していくしかない。

事故が起りにくい道路作り、そして車だ。

現に、車の事故防止機能はどんどん進化しており、自動運転化の開発も進んでいるという。自動運転が本当に安全なのか不安もあるが、少なくとも老が運転するよりは確実に安全になるだろう。

しかし、今のところそういった事故防止機能がついた車を買うか否かは、任意である。そして、そのような機能がついた車は高くなる。よって私の車は金銭的問題で、タイヤとハンドルがついているぐらいであり、運転手がミスったら、そのミス通り事故を起こしてくれる、素直な仕様である。

現在でも事故防止機能のある車を購入した場合、補助がもらえることもあるようだが、導入が任意な以上、つけない人はつけないだろう。これからの車には、タイヤ、ハンドル、事故防止機能を、もう屋根ぐらい忘れても良いから義務付けるべきではないだろうか。

トヨタとパナソニックが合弁、国内最大のハウスメーカーをつくる理由

トヨタとパナソニックが合弁、国内最大のハウスメーカーをつくる理由

2019.05.09

トヨタ自動車とパナソニックが住宅事業の統合を発表

本業は自動車と家電、なぜ住宅で組むことになったのか

世界中の誰も真似できない、新時代の住宅会社を目指す

トヨタ自動車とパナソニックは、街づくり事業に関する合弁会社「プライムライフテクノロジーズ」を2020年1月7日に設立する。トヨタグループとパナソニックグループの住宅事業を統合した新会社で、ハウスメーカーとして国内最大手に躍り出る。

出資比率はトヨタ自動車とパナソニックが対等の持分とするほか、三井物産の出資も予定されている。新会社の社長には、パナソニックの北野亮専務執行役員が就任する。

トヨタ自動車とパナソニックが住宅事業を統合する

今回の会社設立に伴い、パナソニックの100%出資会社であるパナソニックホームズは、2019年度第4四半期にパナソニックの連結子会社から外れることになる。また、ミサワホームは、トヨタホームの完全子会社となり、新会社は、ミサワホームの株式を買い取る。

新会社では、トヨタホーム、ミサワホーム、パナソニックホームズ、パナソニック建設エンジニアリング、松村組の5社の事業を統合し、住宅、建設、街づくり事業を推進する。トヨタ自動車が進めるモビリティサービスへの取り組みと、パナソニックが進める「くらしのアップデート」の取り組みを融合させて、街全体での新たな価値の創出を目指すという。

両社では、車載用角形電池事業に関する合弁会社を2020年末までに設立することも発表しており、この会社では車載用角形リチウムイオン電池や全固体電池に関する事業のほか、次世代電池に関する研究、開発、生産などを行う。今回はこれに続く新会社の設立だ。両社の提携範囲が住宅、街づくり分野にまで広がり、新たなビジネスの創出を模索していくことになる。

自動車メーカーと電機メーカーが「街づくり」で組む意味

パナソニック 北野亮専務執行役員

社長に就任するパナソニックの北野氏は、新会社の狙いを「トヨタとパナソニックのノウハウを活用しながら、街全体でのくらしの新たな価値を創出することにある」と話す。提携により「新たなモビリティサービスカンパニーを目指すトヨタと、くらしアップデート業を目指すパナソニックのテクノロジーやノウハウを最大限に活用することで、他に類をみない、街全体での新たな価値を創出する」とし、不動産開発や建物の建設、リアルな空間を構成する製品やシステムなどのデバイス、それらを支えるデータ、サービスなどのテクノロジーを融合して、街全体に対し住宅、建設、街づくりの3つの事業を推進する。また、新会社では「両社の新たなビジネスの実証の場、ショーケースにする」ことにチャレンジするという。

新会社は「街全体でのくらしの新たな価値創出」を目指す

北野氏は新会社の目指す街づくりを「スマートライフタウン」と表現し、「最先端の技術で、高度に最適化され、いつまでも安心、快適、便利なくらしを提供するとともに、日々、アップデートし、住む人に満足を提供し続けることができる街づくりを目指す。戦闘力をあげ、生産性を高めることを両立していくことが大切である」などと述べる。

トヨタ自動車 白柳正義執行役員

トヨタ自動車の白柳正義執行役員は、新会社について「昨日(5月8日)発表した2018年度連結決算の席において、社長の豊田(=豊田章男社長)から、これからは人々のくらしを支えるすべてのモノやサービスが、情報でつながるコネクティッドシティの発想でビジネスを考えていくことになると話した。街づくり事業に関する(今回の)合弁会社の設立は、コネクテッドシティをパナソニックと共同で実現するためのもの。不動産開発や住宅開発、建設に関するデベロップメントとテクノロジーの融合を進めことになる」と語る。その上で、「トヨタは自由で、安心、快適なモビリティ社会を目指し、新たなモビリティサービスの創出に取り組んでいく。パナソニックは、住宅や街などのくらし空間に関するテクノロジーを数多く持つ。トヨタとパナソニックから、モデリティやくらし空間に関するテクノロジーを提供し、街全体で新たなくらし価値を創出できるはずである」と、合弁会社設立の目的を説明した。

新会社の住宅、建設、街づくりという3つの事業の基本方針についても言及した。

住宅事業では、トヨタのトヨタホーム、ミサワホームに、パナソニックのパナソニックホームズという、あわせて3つのハウスメーカーそれぞれのブランドが持つ個性を光らせるとともに、調達、製造、物流、CS、施工、設計、営業支援といったバックヤード部分は共通化することで、戦闘力の強化と、業界トップクラスの競争力を実現するという。

建設事業では、それぞれがメーカーとして培ってきたノウハウを結集、活用し、省人化、自動化による競争力強化を図る。

街づくり事業では、マネジメントサービスの高度化により、不動産価値の既成概念を超えた取り組みを開始する。例えば住宅には不向きとされていた土地や、競争力の低い土地の高付加価値化を実現していく。そして長期的、永続的な街づくりを進め、このノウハウをもとに、将来は海外にも展開していくことになるという。

今でも競争力が低いままになっていた土地の高付加価値化

また北野氏は合弁会社の事業方針について、「街づくりの規模が大きくなるに従って、(今後さらに)ほかの企業との連携も必要になってくるだろう。個別の案件ごとに最適なパートナーと組むなど、エコシステムについては、弾力的に考えるべきである」と話す。

異例のタッグ、実は両社の創業者の意志も影響?

パナソニックとトヨタの住宅事業での組み合わせは、同じ製造業である両社が、長年に渡り、もともとの本業ではない住宅事業を展開してきたことと、近年、その住宅事業で本業との連動が進んでいる中で、両社の住宅事業が同じ方向性を持ち始めていたことが背景にある。

パナソニックの創業者である松下幸之助氏は、「家づくり、街づくりほど大事な仕事をない」と発言していたという。またトヨタ自動車の創業者である豊田喜一郎氏は遺訓で、「日本の住まいをよくしたい」としており、こうした2人の創業者の住宅に対する共通的な思いが、今回の新会社設立につながっているともいえる。

パナソニックの北野氏は、「トヨタとパナソニックは、同じ製造業であるが、違う経営スタイルを持っている。だが、トヨタは新たなモビリティ社会を築き、パナソニックは、くらしアップデート業を目指す上で、家や街を重要な要素であると考えている。経営の仕方が異なる企業だが、目指す立地は同じ。合弁会社設立に向けては、極めてスムーズな話し合いができた」とし、対するトヨタ自動車の白柳氏も、「トヨタのトップが、パナソニックと組みたいと思ったことが大きい。パナソニックとは長いつきあいがあり、信頼感がある。モノづくりの会社のなかで、住宅事業を持っている会社同士であり、同じ悩み、同じ方向性の事業戦略を持ち、共感できるものがあった」と語る。

100年に一度の改革が、住宅の世界にも

注目されるのは、新会社の取り組みのポイントが、これまでの「住宅」の価値観を変える挑戦になっているという点だ。

トヨタ自動車では、2020年代前半には、特定地域において自動運転レベル4の実用化を視野に入れた取り組みを行っている。そして2020年代半ばまでには、移動、物流、物販など多目的に利用できるモビリティサービス専用電気自動車、「e-Palette」を活用したMaaS事業を開始する予定である。

自動運転などのテクノロジーの高度化により、人々の移動手段に大きな変化が訪れ、それによって、街そのものが変化しようとしている。トヨタの白柳氏は、「これまでの住宅は、駅や都市には近いが家が狭い、あるいは駅から遠いが、家は広いといったように、快適さと便利のどちらかを犠牲にしなくてはならなかった。だが、テクノロジーと高度化が、快適と便利の両立を可能にする」と展望する。「通信技術の発達によりオフィスに行く必要がなくなり、モビリティサービスの発達で移動が快適になり、近くに店がなくても買い物ができるようになる」などと、大きな変革期が訪れていることを指摘。「自動運転と街づくりを連携することで、新たな価値を創出できる」とした。

また、パナソニックの北野氏は、「パナソニックが持つくらしの接点を、街づくりにフィットさせていくことという手法は、世界中の不動産会社や、住宅会社にはできないこと」と強みを強調する。そして、これからの新たな街は鉄道軸ではなく、クルマの進化に応じたものになるとし、「これはトヨタの領域であり、これも世界中のどの不動産会社、住宅会社にもできないやり方である」とする。

自動車メーカーと家電メーカーが住宅で大改革を目指す

自動車メーカーと家電メーカーとの連携によって、これまでにはない新たな住宅の価値を創出するという異例の挑戦だ。理想の実現には長期的な視野が必要となるだろう。その一歩を、具体的な「街づくり」という形にして踏み出すことができるかが、新会社の最初の成果になるといえそうだ。

池袋プリウス事故はガス抜きの「上級国民叩き」で終わってはならない

カレー沢薫の時流漂流 第41回

池袋プリウス事故はガス抜きの「上級国民叩き」で終わってはならない

2019.05.06

漫画家・コラムニスト カレー沢薫さんの社会派連載!

第41回は、池袋プリウス事故で考えさせられた高齢者の運転問題について

平成の終わりに、何とも痛ましい事件があった。池袋の交差点で、80代男性の運転するプリウスが突如暴走し、通行人を次々とはね、2名の死亡者と多くの負傷者を出す、という交通事故があったのだ。

連日続いた報道でおそらく知らない人はいないだろう。これだけ大きく取り上げられているのは、この事故には「様々な条件」が揃っており、さらに多くの問題を提起しているから、と言われている。

まず、亡くなった被害者が若い母親と幼い娘であり、父親は一瞬で妻子を失ってしまったことになる。

キレイごとを言えば命に優劣はないのだが、やはり被害者が子どもだと、我々はより「痛ましい」と感じてしまうものなのだ。逆に「被害者は自称漫画家カレー沢薫36歳(無職)」と報道されたら「うん、まあ」となってしまうのが残念ながら「人情」なのである。

さらに加害者は高齢者の男性である。

高齢者が運転する車による事故は今までも起こっており、そのたびに高齢者の運転について問題提起がされてきた。そんな中で死亡者を出す大きな事故が起ってしまったため「防げた事故だったのではないか」と思わずにはいられないし、「高齢者に車を与えるな!」と海原雄山状態になってしまった人も多いだろう。

また、加害者はただのジジイではない。旧通商産業省工業技術院院長をはじめ、各種団体、企業の重役を歴任した所謂「偉いジジイ」だったのである。

事態は五輪エンブレム以来の「上級国民」批判に

この加害者は現時点で、逮捕をされていない。

このことから加害者は「上級国民」だから忖度され、逮捕されないのだ、という憶測がネットで流れ大きく騒がれることとなった。

状況から見てそう思われても仕方がない所があるが、逮捕されない理屈は一応ある。

加害者も無傷というわけではなく、骨折し入院をした。よって、逃亡、証拠隠滅の恐れがないため、逮捕の必要がないから逮捕されないのだという。

また、逮捕してしまうと、48時間以内に送検する必要があり、拘留も原則10日以内延長されても20以内に、起訴、不起訴をきめなければいけないため、今の取調も満足に出来ない状態の加害者を逮捕したところで、日数を無駄に使うだけなので、むしろちゃんと捜査するために逮捕をしていないという見方もある。

またメディアが加害者を「さん」づけ、または肩書で報道し「容疑者」と呼ばないことに関しても「さんをつけんなよデコ助野郎!」という批判が相次いでいる。

これに関しても「容疑者」という言葉は逮捕された者に用いられる呼称なため、逮捕前である加害者を「容疑者」と報道することをメディアが躊躇しているのではないかと言われている。

だが理屈はどうあれ「さん」はおかしくないか、せめて「メンバー」とか他に言い方はあるだろうというのが「国民感情」であり、ここでもやはり「上級国民だから」という憶測が飛んでいる。

捜査の結果、高齢や心神喪失を理由に罪に問われない、ということになる可能性はあるが、間違ってもこのまま「無罪放免」ということはないと信じたい。今の段階で「上級国民だから人を死なせても無罪なのだ」と言うのは早計だという。

しかし、今の処遇やこれからの捜査に全く「忖度」がされないかというと、それは我々の知る由もないことなので、世間が「納得」できることがないのも確かである。

私刑が当たり前になってしまった「ご時世」とのズレ

現在、インターネットでは、何かやらかした人間は、警察がやらなくても有志により秒で個人を特定され「処される」ことに見慣れてしまっている。

そのため、この事故も法律的なことや、これからのことはどうでも良いから「一秒でも早く加害者が処されるところを見ないと気が済まない」という感情から、「加害者がすぐ逮捕されてない」という事実、また被害者が弱者で加害者が権力者という役満な構図に、世間は爆発的反応を示したのではないかと思う。

感情的には「やりきれない」のは言うまでもないが、法律的には現状ですぐ、どうこう出来る問題ではない、というのも確かなようである。

そして今回の事故で、また大きく注目されたのは「高齢者の運転問題」である。

確かにやりきれぬ事故であり、加害者は適切に裁かれるべきであり、高齢者の免許返納問題も、今の実質「本人の判断に任せる」形では、また同じような事件が起こるだろう。

だからと言って、「老は社会の害悪なので、ある年齢になったら即刻免許を奪って人様に迷惑をかけないように表に出るな」となるのも危険である。別に老をかばいたいわけではなく、自分も老にならないわけがないので危機感を感じるのだ。

この加害者が大きく批判された理由の一つに「東京なら無理して車運転しなくても生活できるだろう」というものがある。

逆に言えば車がないと、まるで生活できない土地に住んでいる老もいるのだ。そんな土地に限って、今後も公共交通がどんどん減ってしまいそうという悪循環だって課題だ。つまり老から免許を奪うことで、老に轢かれる人間は減るかもしれないが、今度は老の生活がままならなくなる恐れがある。送り迎えをしてくれる親族や、タクシーを使う余裕があれば良いが、全ての老がそうではないだろう。

ここで、若い命のために、老は餓死しろ、というようなら、時代は姥捨て山に逆戻りだし、老にならない人間はいないのだから、ある意味自殺行為と言える。

高齢者に車を運転をさせたくなかったら、免許を奪うだけでは解決しない。老をまとめて病院やマックスバリュに連れて行くバスツアーや、「むしろ病院が来い」という訪問型サービスの充実など、老が運転する必要がない「社会」を、老ではない世代も知恵を出して作っていく必要があるだろう。