「再開発」の記事

ネーミングの重要性を再認識させた「京急の駅名改称」

ネーミングの重要性を再認識させた「京急の駅名改称」

2019.02.04

京浜急行電鉄が駅名変更に踏み切る4駅とは?

新駅名はどのようなプロセスで決まったのか

地域のアイデンティティともいえる駅名の重要性

2020年3月に改称される予定の4駅の駅名標(プレスリリースより)

京浜急行電鉄(京急)は1月25日、2020年3月に4駅の駅名を改称すると発表した。これによると、大師線産業道路駅が「大師橋駅」、京急本線の花月園前駅が「花月総持寺駅」、同じく仲木戸駅が「京急東神奈川駅」、そして逗子線の終点新逗子駅が「逗子・葉山駅」と、それぞれ新しい駅名を名乗ることになる。

このうち産業道路駅は、大師線の連続立体交差化事業により、2019年3月3日に地下駅となる予定になっており、駅名の由来となっていた、同駅東側で交差する「産業道路(神奈川県道6号東京大師横浜線)」との踏切が廃止されるため、地元からも改称の要請が上がっていた。大師橋とは、川崎市と大田区を結ぶ産業道路の多摩川に架かる道路橋であり、地元のシンボルである川崎大師から名前を取っている。道路にちなむ駅名という、伝統にも配慮したものと思われる。

ほかの3駅は、産業道路駅の改称計画をきっかけに2018年9月、京急が創立120周年記念事業として小・中学生から駅名改称案を募集した、「わがまち駅名募集」において集まった案を参考に決定したという。品川や横浜、金沢文庫、三浦海岸など、他社線乗り換え駅や「公共施設、神社仏閣、歴史的史跡などの最寄り駅として広く認知されている駅」だとして26駅は改称の対象外。そのほかの駅は、2018年10月10日を期限として新駅名を募った。結果、応募総数は1,119件にのぼったというが、その割には改称の規模は4駅(大師橋駅を含む)と、最小限に留まったという印象だ。

新駅名はどうやって選ばれたのか

花月園前駅は、1914年から1946年まで営業していた遊園地「花月園」にちなむ駅名で、遊園地の閉鎖後は同名の競輪場になっていた。しかし2010年には競輪場も閉鎖され、駅名の根拠を失っていたがために、改称も妥当かと思われる。地元に親しまれた花月を残し、駅近くにある曹洞宗の大本山「總持寺」にちなんで総持寺をつけた。ただし、總持寺の最寄り駅はJR鶴見駅または京急鶴見駅である。

仲木戸駅はJR京浜東北線・横浜線東神奈川駅の至近にあって、乗り換え駅(下車後、少し歩く)として機能しており、特に横浜線沿線と羽田空港を往来する客には重宝されている。JR駅と同じ「東神奈川」という文字を使った「京急東神奈川駅」としたのは、「駅名が異なることで乗り換え可能な駅としてお客さまから十分に認知されていない」ことが理由なのだという。

けれども、今はネット検索の時代である。例えば横浜線の小机駅から羽田空港への経路や乗り継ぎ時刻を検索すると、東神奈川~仲木戸乗り換えルートとその所要時間が示される。仲木戸には、羽田空港アクセス列車であるエアポート急行も停車する。ちなみに仲木戸とは、徳川将軍が宿泊した「神奈川御殿」の木戸が由来である。

京急仲木戸駅改札口からJR東神奈川駅をみる。数十メートルしか離れておらず、乗り換え客は多い

新逗子駅は1985年に京浜逗子駅と逗子海岸駅を統合して誕生した駅だが、ブランド力が高い「葉山」を付けることになった。なお、葉山町には鉄道はない。新逗子駅から葉山町の中心部までは、路線バスで10分ほどかかる。

羽田空港国内線ターミナル駅発「新逗子」行きのエアポート急行。この行先表示も駅名改称により「逗子・葉山」行きに変わる

小・中学生の意見は反映されたのか

今回の駅名改称と「わがまち駅名募集」との関連は、今のところ「参考にした」としか表明されていない。新駅名が、募集により寄せられた案にもとづくかどうかも、明らかではない。ただ、改称後の駅名は、子どもらしい発想によるものとは思えない。

一方、100年以上も地域に親しまれた駅名が維持されて、安堵している住民も多いのではなかろうか。難読駅名として改称対象となっていた雑色(ぞうしき)、追浜(おっぱま)、逸見(へみ)といったところは、現状維持となった。

10駅には「副駅名標」が付く。写真は難読駅のひとつ追浜駅の例(プレスリリースより)

もとより、今回の「わがまち駅名募集」に対しては肯定的な意見は少なく、批判が多かったように見受けられる。私自身も、地域のアイデンティティの否定につながるとして、この施策には賛成しかねており「京急の企業イメージにも影響するので慎重な対応を」と、2018年10月29日付けの記事で意見を述べた。

今回の施策において、改称対象となった駅周辺地域や自治体に対して、事前の説明があったかどうかも明らかではないが、地元にとって「寝耳に水」の改称計画であったとしたら、反発は十分に予想されるところだ。改称する4駅は、ある意味、地元の同意が得られた駅なのだということだろう。

駅名の重要性を考えてみる

改称される4駅は、旧駅名を「副駅名標」にするという。例えば鮫洲駅には「鮫洲運転免許試験場」、日ノ出町には「野毛山動物園」など近隣の著名な施設を副駅名標としており、それらと同じような駅が駅が生まれることになる。これらは駅名標の看板に、新駅名に添えて旧駅名が表示される。現在、京急鶴見駅に「副駅名称広告」として「京三製作所本社」と付いているが、これは広告の一環。だが、今回副駅名が付与される4駅は、京急鶴見駅とは異なり、無償で表記すると京急は説明している。

広告として駅名標に表示されている会社名の例

この副駅名標は「誘客促進」につながると、京急が判断した駅につけられる。誘客を優先するのなら、開業時の花月園前駅のように、施設名をダイレクトにつけた方が効果は高いと思われるのだが、そうならなかったところに「改称しづらい」理由が透けて見える。

最近では山手・京浜東北線の新駅の駅名「高輪ゲートウェイ」が物議を醸したが、新しく生まれる街と、その玄関口であるという事情をおもんぱからない、感情的な論が目立った。歴史的文化的背景を持つ、開業から100年以上を経た駅名、あるいはそれ以前から存在する地名とは、事情が異なる新駅だ。高輪ゲートウェイ駅は江戸時代が海、明治以降が鉄道施設用地で、住民はいなかった。高輪は歴史ある地名ではあるけれども、隣接する地域でしかない。

駅名とは、これほどデリケートなものである。鉄道会社にとって、商品名のひとつであるといえよう。だが、そこに住まい、毎日利用している地域住民にとっては、やはり「アイデンティティ」でもあるのだ。昨今の駅名をめぐる動きによって、そのことが再確認できたと感じる。

銀座ソニービル跡地の一等地を「公園」にしたソニーの思惑

銀座ソニービル跡地の一等地を「公園」にしたソニーの思惑

2018.08.24

公園として生まれ変わった銀座ソニービル跡地

急激に生まれ変わる東京で「建てない」選択肢

収益よりもブランド訴求に重きを置いたソニー

8月、銀座ソニービルの跡地に「Ginza Sony Park」(銀座ソニーパーク)がオープンした。2022年に新たなソニービルが完成するまでの間、地上と地下4階までの空間を「公園」として提供する試みだという。

数寄屋橋交差点、銀座ソニービル跡地が「公園」になった

一般に公園とは地方公共団体が運営しており、収益には結びつかないイメージがある。なぜ、ソニーは一等地を公園にしてしまったのだろうか。

ソニーらしいアプローチとしての「公園」のアイデア

銀座ソニーパークを手がけるのは、ソニーが100%を出資する「ソニー企業」という名前の子会社だ。オープンにあわせた発表会では、社長を務める永野大輔氏が2017年3月に営業を終えた銀座ソニービルの建て替えプロジェクトについて詳細を語った。

ソニー企業 代表取締役社長兼チーフブランディングオフィサーの永野大輔氏

ソニービルの建て替えは、2013年にソニーの平井一夫社長(当時)の直轄プロジェクトとしてスタート。だが2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、東京に大きな変化が訪れることが予想される中、むしろ「建てない」のがソニーらしいと考えたという。

公園にたどり着くヒントになったのは、ソニービル時代から数寄屋橋交差点に向いた空間をパブリックスペースとしていたことだという。そこから地上部分と地下空間を組み合わせた「垂直立体公園」のコンセプトを発案。地上の入り口や地下でつながる西銀座駐車場との間に扉や壁を設けない、オープンな空間となっている。

地下にはローラースケート場や、ソニービル時代から続く水族館「Sony Aquarium」などの施設を設置。これらの施設は世の中のトレンドに合わせて数ヶ月ごとに入れ替えていき、音楽イベントは出演アーティストをぎりぎりまで発表しないなど、偶発性を演出していくという。

9月まではローラースケート場が設置される

建築として興味深いのが、ところどころに残された古いタイルだ。これらは50年の歴史があるソニービルのテナントの名残で、解体の途中で見つかったものをデザインとして残したという。ソニーらしい遊び心が感じられる点だ。

かつてのテナントが使っていた古いタイルをあえて残した

都市における「余白」に価値を見出す

銀座ソニーパーク内には、藤原ヒロシ氏の手がけたコンビニや、製造所を兼ねたトラヤカフェなど店舗もいくつか入っている。だが、ほとんどの空間は閑散としており、殺風景に感じるほどだ。

何もない「余白」の空間が目立つ

永野氏によれば、これはデザインに「余白」を採り入れた結果だという。都市における公園とは、環境面でのメリットや災害時の避難場所としての機能もさることながら、誰もが自由に利用できる公共スペースとしての役割も担っている。これを銀座ソニーパークでも再現したというわけだ。

3店舗ある飲食店はテイクアウトのみで、一般の公園と同じようにどこで飲食しても良いスタイルを採用。公園内での禁止事項は禁煙など最低限にとどめており、迷惑行為は警備員の巡回で対処していくという。

こうなると気になってくるのは、商売っ気のなさだ。銀座ソニーパークの立地は数寄屋橋交差点から目と鼻の先で、地下鉄の銀座駅とも直結した超が付くほどの一等地だ。だがソニーは収益よりもブランド訴求に重きを置いていると永野氏は話す。

7月31日に発表した2018年度第1四半期決算でも好業績が明らかになったソニーだが、銀座ソニーパークでは短期的な収益よりも長期的なブランド価値の向上を狙う、視野の広さが感じられる。

銀座には背の高いビルが所狭しと並んでおり、さまざまな店舗がこれでもかとばかりに詰め込まれている。そこにあえて余白を置くことで存在感を高めようというのが銀座ソニーパークの狙いといえる。

地下鉄銀座駅からも直結

さて、銀座ソニービルといえば、いわゆる「銀ブラ」を楽しんだ年齢層にはシンボルともいえる存在だった。色々な取り組みがあるとはいえ、そこが公園に生まれ変わり、あるはずのものが無くなったというのは、感慨深く思う方も多いのではないか。もっとも、2022年には新たなソニービルができる計画だ。そちらにも期待しつつ、まずはこの公園を楽しんでみては如何だろう。

野村不動産が初進出するホテル業のコンセプト

野村不動産が初進出するホテル業のコンセプト

2018.05.15

デベロッパーは、オフィスビルを中心に開発を行う。そのほか、グループ企業によりレジデンスやショッピングセンター、ホテル&リゾートなども手がけている。

なかでも注目したいのはホテル事業だ。たとえば三井不動産なら三井不動産ホテルマネジメントによる三井ガーデンホテル、セレスティンホテル運営。三菱地所ならロイヤルパークホテルズアンドリゾーツによるロイヤルパークホテル。東急電鉄もグループ企業により、エクセルホテル東急やセルリアンタワー 東急ホテルなどを運営する。

では、なぜホテルが注目なのか。それは観光客の増加だ。インバンド観光客は増え続け、2017年には2,869万人が訪日、さらに政府は2020年には4,000万人の訪日客を目指すとしてる。民泊やクルーズ船などを活用するとしても、ホテル客室数が不足するのではないかとの懸念が出ている。

そんな状況に対応しようと、本格的にホテル事業に乗り出したのが野村不動産だ。新たに野村不動産ホテルズというグループ会社を立ち上げ、ホテル業に本格参入する。

ショップ&レストラン以外のレジャー施設を

意外なことだが、野村不動産はショップ&レストランからなる商業施設は多く運営しているが、ホテル業は脆弱だった。いや、皆無といってよい。つまり今回、野村不動産ホテルズを設立したことは、事実上、ホテル業への初参入ということになる。

そのホテルの新ブランドは「NOHGA HOTEL UENO」(ノーガホテル上野)。名前のとおり東京・上野に建てられたホテルで、開業は11月1日となっている。

まだ一部にシートはかかっているが、外観はほぼ完成している感じだ。防音壁には上野の日常を切り取った写真が印刷されている

実は5月10日、ノーガホテル上野の予約が開始された。それに合わせ、ホテルの至近にあるイベントスペースで、野村ホテルズ関係者とメディアが意見交換を行えるラウンドテーブルが実施された。ラウンドテーブルとはいっても、語気鋭く意見交換するのではなく和気藹々としたもの。というのも、ホテルで提供される予定の料理とワインを囲んでの場だったからだ。

メディアに提供された料理。左上:新玉葱のブランマンジェ、グリーンピースのソース。右上:47℃で火を入れた信州サーモンのコンフィ、ヴェルモットのクリームとレモンの香り。左下:鹿児島黒豚ばら肉キャラメリゼ、山椒風味・春豆と玄米のリゾット。右下:料理の説明をする金折有香 支配人

ラウンドテーブル開始の冒頭、野村不動産ホテルズ 代表取締役社長 塚崎敏英氏が挨拶を行った。

塚崎氏はノーガホテルのコンセプトを「明日につながる街作り」だとした。どういうことかというと、地域密着型のホテル運営を行うことで、街を活性化させるのがねらいだとしている。また、「快適な目覚めを味わっていただく空間にしたい」と力を込めた。

観光資源豊富な上野という街

ホテルといえば、海外や遠方の方が泊まりにくるイメージだが、なぜ地域密着につながるのか。それは、台東区・上野という土地柄にある。

上野といえば、上野恩賜公園が最大の観光資源だ。パンダを飼育する動物園や、世界文化遺産に指定された国立西洋美術館などがある。また、藤堂高虎と天海僧正が築いた上野東照宮があり、高虎の墓もある。つまり、家族連れから美術好き、歴史好きまでが楽しめるところなのだ。ちなみに上野という地名は、高虎が治めた伊賀上野(三重県)から採られたともいわれている。そして、成田空港からの東京の玄関口の役割もある。

これらの観光資源は、山手線・上野駅の西側に集中している。上野公園も動物園も東照宮も京成上野駅もすべて西側だ。一方、ノーガホテルは東側の昭和通りのさらに向こう側にある。観光資源の豊富さを考えれば西側が有利なのだろうが、なぜ東側なのか。

実はここに地域密着型をうたう理由がある。昭和通りの東側は、西側のような華々しい観光資源はない。むしろ、家屋が密集した下町風情の雰囲気が漂う街並みだ。

だが、この地域には職人や工房といった“もの作り”の気質が色濃く残っている。ノーガホテルでは、こうした工房で作られたハンガーや靴べらといったアメニティを用意する。さらに、ホテル内のショップでは近隣の工房で作られた製品を販売。ギャラリーも用意され、地域のアートやプロダクトを中心に出展する。つまり、もの作りの街として上野を捉え、そうした工房などと連携を深めるのがねらいなのだ。

台東区の工房で作られた製品の一部。左:1931年創業の木本硝子の江戸切り子とグラス。右:江戸末期から続く技を継承した日伸貴金属の製品

ディープな上野を知るのに最適な土地柄

塚崎社長は「宿泊客の方にディープな上野を知っていただきたい」と話す。特に外国人にとっては珍しいプロダクツとなるだろう。以前、「爆買い」というのが話題になったが、これは家電製品を中心としたもの。今は落ち着いており、むしろ日本でしか購入できない工芸品などを手に取る外国人観光客がジワジワと増えている。

ただ、遅きに失した感もある。東京・京都・大阪は、初来日したインバウンドが立ち寄る都市だが、リピーターは地方都市に散らばり始めている。上野周辺の観光資源や浅草に近いという立地をいかに生かせるかが、外国人観光客を取り込むカギになりそうだ。ちなみに野村不動産ホテルズの担当者は「欧米の観光客に注目していただきたい」と話す。欧米の方は長期滞在する傾向が強いので、この層をターゲットにするのはありだろう。

最後に、ノーガホテルの概要に触れよう。客室は130室で、22~24平方メートルのダブルやツインが主力だという。また、価格は1泊2~3万円ほど。ビジネスホテルよりかは高額だが、シティホテルよりも安価という設定だ。なお、場所は明かさなかったが、これからもノーガホテルを増やしていくとのことだ。