「三菱自動車」の記事

累計生産500万台を達成! なぜ三菱自動車はタイに強いのか

累計生産500万台を達成! なぜ三菱自動車はタイに強いのか

2018.06.08

1961年にタイに進出した三菱自動車工業は、同国における累計生産台数で500万台を突破したことを記念し、益子修CEO出席のもと式典を開催した。式典はタイからも政府要人など多数のVIPを招いた大々的なものとなった。

三菱自動車のタイ現地法人は「Mitsubishi Motors (Thailand) Co.,LTD」(ミツビシ・モーターズ・タイランド、略称:MMTh)という名称。タイで初めての自動車輸出を行うなど、同国における三菱自動車の存在感は非常に高いものとなっている。記念式典の模様をレポートする前に、まずはMMThとタイの事情をお伝えしたい。

500万台突破記念式典の模様

タイは“東洋のデトロイト”

タイは“東洋のデトロイト”と呼ばれるほどに自動車産業が盛んな国として知られる。1940年代には自動車産業が存在しなかったが、1950年代後半から1960年代にかけては政府主導で自動車メーカーの工場誘致を積極的に行った。加えて、輸入自動車の関税を高く設定し、自国生産の外国ブランド車の税金は抑えることで、タイ国内での生産車のシェアを高めた。

さらに、輸出にも力を入れたことで、タイが東南アジアにおける自動車産業の中心となり、現在の産業形態を形成するに至っている。2017年のタイの自動車生産台数は約200万台と世界第10位だが、東南アジアでは最も生産量が多い。そのボリューム感は、英国の約170万台と比べると分かりやすい。なお、社名がMMThとなったのは、何度かの組織変更などを経た2003年のことだ。

タイは東南アジア随一の自動車王国に成長した

タイで50年を超える三菱自動車の歩み

そうした歴史の中でも、三菱自動車はタイの自動車産業にとって重要な存在となっている。タイにおける三菱自動車の歴史は、1961年に卸売り会社の「シチポール・モーター・カンパニー」を設立したことに始まる。1964年には組立会社を設立し、1988年にはタイからの自動車輸出第1号となる「ランサー」をカナダに輸出した。2010年に累計200万台を記録してからは加速度的に生産台数を伸ばし、2013年に300万台、2015年に400万台、そして2018年に500万台を生産するに至った。

三菱自動車のタイ生産を支えているのは、バンコクの南東に位置するレムチャバンにある工場だ。第1工場の稼働は1992年で、第2工場が1996年に稼働している。さらに、2011年にはプレス工場が稼働、2012年には第3工場が稼働し、グローバルスモールカーである「ミラージュ」の生産を開始した。同年には日本への輸出も始まっている。

立地に優位性

三菱自動車のタイ工場は、同国唯一の輸出港で、自動車輸出のほとんどを担うレムチャバン港の近くに3つある。この地区に自動車組立工場を持つ自動車メーカーは三菱自動車のみ。ここで「ミラージュ」「アトラージュ」「パジェロスポーツ」「トライトン」の4機種を製造している。部品の現地調達率も高い。

MMThの生産工場があるレムチャバンは、バンコクから100キロ程度離れた場所に位置する港町だ。事務機能をつかさどる本社はバンコク市内にあるが、100キロという距離は渋滞を考えなければさほど遠い距離ではない。MMThの各事業所は、バンコクおよびレムチャバン周辺に集中する。レムチャバン工場の至近には、開発拠点となるR&Dテストコースや輸出向け補修部品庫を配置。本社のあるバンコク北側には、トレーニングセンターと国内向け補修部品庫を配置している。

三菱自動車がタイに持つ拠点

日本の各メーカーもタイのバンコク周辺に生産工場を設けているが、レムチャバンに工場を持つのはMMThのみだ。MMThの場合、接岸した輸送船にそのまま自走で船積みが可能だが、レムチャバン以外に生産工場を持つ他のメーカーは、同港までをキャリアカーなどで輸送する必要があり、MMThの優位性が見て取れる。

輸出港に近い立地が三菱自動車の優位性となっている

生産能力は年間42.4万台

レムチャバン工場を構成するのは、第1~第3までの組み立て工場とエンジン工場だ。ピックアップトラックベースの乗用車ラインを備える第1工場では「パジェロスポーツ」を生産。第2工場ではピックアップトラックラインで「トライトン」を、第3工場では乗用車ラインで「ミラージュ」と「アトラージュ」をそれぞれ生産している。エンジン工場ではガソリンとディーゼルの双方を作る。

2018年3月末でのMMThの本社とレムチャバン工場の従業員数は計6,114人。うち5,600人弱がレムチャバン工場に勤務する。3工場を合わせた生産能力は年間42万4,000台にのぼり、2017年は35万6,000台を生産、稼働率は84%となっている。

現地調達率も高く、「パジェロスポーツ」では80%、「トライトン」では86%を占める。「ミラージュ」と「アトラージュ」では、日本からのノックダウンパーツはECUやクランクシャフトなどわずかなものだけで、その現地調達率は94%にものぼる。

2018年6月4日(月)午前10時(タイ現地時間)に始まったMMThの生産500万台記念式典には、来賓として佐渡島史郎日本国大使、三又裕生JETROバンコク事務所長などが来場。タイからはソムキット副首相をはじめ、ヒランヤー首相府省副大臣ら政府関係者のほか、MMThのアドバイザリーボードメンバーや主要メディア関係者などが訪れた。

式典のスピーチで三菱自動車CEOの益子修氏は、タイの「電動車インセンティブ」に参加することを表明。ASEAN地域における電動車製造のリーダーへの第一歩を踏み出した格好だ。

三菱自動車CEOがタイで語ったこと

一寸木(ちょっき)守一MMTh社長兼CEOのウエルカムスピーチに続いて登壇した益子修氏は、MMThにて500万台の生産が達成できたことに対する感謝を述べた後、その背景について語った。

「当社は、タイの国内経済が成長を続け、世界的な製造拠点となることができることを確信していました。長期的に自動車産業の成長を促進する貴国の政策が、当社のビジネスを支えてくれました。これがあったからこそ、当社は1961年からタイで投資を行うことができました」

「当社は1987年に販売会社と製造会社を統合することで、ビジネス基盤を強化しました。2003年にはミツビシ・モーターズ・タイランドを設立し、累計生産台数100万台を達成しました。累計生産台数は2010年には200万台、2013年には300万台、2015年には400万台に達しました。そして、今日500万台が実現しました」

さらに、益子氏はタイが同社のグローバル生産拠点であることを強調しつつ、タイのモータリゼーションが進もうとしている道について、次のように語った。

式典に出席した益子CEO(中央、右から2人目)

「今後、タイは電気自動車へのシフトを図ろうとしており、電気自動車に関する包括的なインフラの開発を支えながら、メーカー向けの施策を実施しようとしています。このような状況は、三菱自動車のクリーンなエネルギーのための施策と合致し、三菱自動車はタイ政府およびエネルギー企業と力を合わせて、約10年前から電気自動車のインフラ開発に取り組んでいます」

「ソムキット副首相が提供する『タイランド4.0』というインセンティブ政策は、タイを環境に優しい技術を導入していく国家へと変えるものです。私たちもタイの自動車電動化についてしっかりと調査し、その政策にしっかりと対応して行きたいと思っています」

タイにおいて具体的にどういうクルマを発売するなどという発言はなかったが、電気自動車(EV)もしくはプラグインハイブリッド車(PHEV)の製造について最初の一歩を示した今回の決断は、タイ、いやASEAN地域における、三菱自動車の存在感の大きさをあらためて誇示したものとなった。

広大な研修センター設立、ASEANへの波及効果に期待

三菱自動車はバンコク北部のパトゥムタニ県に「エデュケーション・アカデミー」と呼ばれる研修センターを設立した。約8,700平方メートルと広大な敷地面積を有する同施設では、販売会社のスタッフやMMThの社員などに対し、常時100~150人体制で研修を実施することが可能だ。MMThの生産500万台記念式典の翌日には、同センターの開設記念式典を開催した。

開設記念式典には前日に続き、益子氏や一寸木氏らが参加。施設内を見学するパートでは各セクションで担当者による解説も行われたが、一寸木氏が直接、益子氏や記者たちに説明する姿や、両CEOがスタッフに積極的に声がけする姿が見られた。

約8

「エデュケーション・アカデミー」は2018年初旬にすでにソフトオープンし、その機能を発揮し始めていたが、今回のグランドオープンにより、全ての機能が使えるようになった。この施設は、タイ国内における研修機能はもちろんのこと、ASEAN地域諸国の研修ハブとしての機能も果たすものと期待されている。秘匿関係についてもしっかりとしているので、発売前の新型車の研修なども行える施設となっている。

作業の“見える化”が特徴

施設内は実際に存在するディーラーなどを想定していて、セールスフロントやサービスフロント、サービスピットなどを模した研修室で実際の業務に則した研修を受けられるようになっている。そこには三菱自動車が理想とするディーラーの姿がある。特徴的に感じたのは作業の“見える化”で、サービス作業を待つロビーを模したソファのあるスペースには、撮影所セットのようにイラストでサービスピットが描かれていた。

施設内の様子

サービスピットには最新の機器が置かれ、質の高い作業が習得できるようになっているほか、コンピュータ作業の研修なども受けられるようになっている。その規模感、設備などは一流の雰囲気にあふれていて、ここで研修を受けた経験そのものが、三菱車の品質、ディーラーマンの資質について、よい方向に影響することは間違いなさそうだ。

独自路線で50年、三菱「デリカ」はモデルチェンジでどう変わる?

独自路線で50年、三菱「デリカ」はモデルチェンジでどう変わる?

2018.04.29

街を歩いていると多くのミニバンを見かけるが、一目で車名が分かるクルマといえば三菱自動車工業の「デリカ」だ。現行「デリカ D:5」も含め独特の立ち位置を占めるミニバンで、視界の広さや走破性など、SUVで語られるような強みを取り入れたミニバンであることは、その姿かたちが物語っている。

50年の歴史を経た「デリカ」は今年、6代目へのフルモデルチェンジを控える。次のモデルでは独自路線を堅持するのか、ミニバンのトレンドを取り入れたイメージチェンジを図るのか。商品企画の担当者に聞いてみた。

三菱自動車は「デリカ」50年の歩みに関する説明会を開催。左が初代「デリカ バン」、右が5代目となる現行「デリカ D:5」だ

走りにこだわるミニバンの歴史

「デリカ」は1968年にトラックとして生まれたクルマで、「デリバリーカー」から名づけられた車名の通り、高度経済成長期の物流に力を発揮した。そのトラックにバン、コーチが追加となったのが今のデリカにつながる流れであり、2代目の「デリカ スターワゴン」からワンボックス乗用車としての歩みをスタートさせた。

1969年に発売となった初代「デリカ バン」(画像は1972年式)

1979年に発売となった2代目「スターワゴン」は、1982年にワンボックスワゴンとして日本で初めて四輪駆動を採用した。当時はアウトドアブームの夜明け前といったような時期であり、その潮流を捉えたSUV「パジェロ」と共に、スターワゴンの4WDは順調に販売台数を伸ばしたという。また、4WDによる走行性能、特にオフロード性能の追求は、その後のデリカでも伝統となっている。

この2代目「デリカ スターワゴン」は現役オーナーから借りて展示した30年選手とのこと。全くもってシブい色だ

3代目「スターワゴン」、4代目「スペースギア」を経たデリカは現在、5代目「D:5」の誕生から10年強が経過したところ。今年は久々のフルモデルチェンジを予定する。

今でも月間1,000台強がコンスタントに売れるというデリカには、次期モデルの方向性が気になっている固有ファンも多そう。今回の説明会では、「D:5」のチーフプロダクトスペシャリスト(商品企画担当)で次期デリカも担当するという大谷洋二氏に話を聞くことができたので、そのあたりについても質問してみた。

市場のニーズにどこまで対応すべきか

まず気になるのは、デリカの個性が今後、どうなるかだ。トレンドを踏まえるのか、唯一無二であり続けるのか。この問いに大谷氏は、「どこまで答えていいか分からないが、基本的に、デリカの本拠地は四駆のSUVとしての性能を持ったミニバンだと思っている。この方向性での進化がベースとなる。ただ、ワンボックスミニバンではスペース、ユーティリティーが求められており、特に国内はそういう傾向なので、そちらにも欲を出して考えたい。ちょっと都合のいい解釈だが」と答えた。

さらに大谷氏は、パフォーマンス(走行性能)を維持するのが本筋と断った上で、「今のワンボックスは見た目がゴージャスで、そういう方向もトレンドとしてはあると思っている。インテリアも、より上質・高級なものが好まれているようなので、そちらも見ていかなければならない。(デリカが)孤高の存在というと聞こえはいいが、それだと、悪い意味では人がいない(市場のニーズからは外れる)というか、限定的なものになってしまう」と続けた。

左が3代目「デリカ スターワゴン」、右が4代目「デリカ スペースギア」

確かにミニバンの世界では、ゴージャスというか、うっかりすると「いかつい」と形容してみたくなるようなデザインが流行している。そんな状況だからこそ「デリカ」の独自性が際立っているとも思うのだが、大谷氏はトレンド(市場のニーズ)にも気を配りたいとの考えのようだ。

3列シートSUVに勢い、「デリカ」の市場環境は

次に聞いたのは市場環境についてだ。例えばマツダ「CX-8」のように、最近は、SUVながら3列シートが選べて、多人数乗車のニーズを満たしつつ、走りも楽しめることを売りするクルマが充実してきている。こういうSUVはミニバン市場を脅かす存在にも見えるが、この流れはデリカにとってプラスなのか、マイナスなのか。

「プラスだと思っている」。大谷氏は即答した上で、マツダ「CX-8」がディーゼルエンジンを搭載していることに触れつつ、「欧州でディーゼルの評価は下降気味だが、国内はマツダさんのおかげもあり、ディーゼルのボリュームが伸びている。我々もディーゼル中心でやっているので、刺激になっている」とした。つまり、ディーゼルの選択肢があって、大勢で乗れて、走りもいいクルマが求められているのが、今の市場環境であるとの認識のようだ。

次の「デリカ」はどんなクルマになるのか

これらの話を踏まえると、今年中に登場予定の次期デリカにとって、市場環境は悪くなさそうだ。クルマとしては、走行性能へのこだわりを堅持するのは間違いないようだが、外装・内装にトレンドをいかに反映させるかには注目したい。スペース重視の客層に向けては、車内の使い方、シートアレンジなどで何か工夫があるかもしれない。

ただし大谷氏は、「『これがデリカかよ』といわれるようなものになってはいけない」し、「『デリカでなければ』というところ、それを求めるお客様が多いので、その期待には応えなければ」とも明言していたので、少なくとも、突拍子もない格好のデリカが誕生する可能性は低いと見てよさそうだ。

4年ぶりの新車に復活をかける三菱自動車、背後では三菱商事に動き

4年ぶりの新車に復活をかける三菱自動車、背後では三菱商事に動き

2018.03.09

三菱自動車が発売したコンパクトSUV「エクリプス クロス」。国内で4年ぶりとなる新車は、三菱自の乗用車開発が今後、SUVと電動車に特化していく方向性を示す第一弾のクルマでもある。三菱グループ内では、三菱自の新車発売に合わせるかのように三菱商事が動きを見せた。

三菱自動車の方向性を示す新型コンパクトSUV「エクリプス クロス」

新車が背負う三菱自動車の歴史

「エクリプス」というのは、三菱自の歴史の中で、かつて輝いた車種に与えられた名称だった。三菱自と米クライスラーの資本提携時、1980年代後半の米国生産進出として、米イリノイ州にクライスラーとの合弁生産会社を設立し、現地生産の第1号車として作ったスポーツクーペが「エクリプス」という名前だったのだ。この米国合弁工場で生産されたエクリプスは、北米市場で高い評価を受けるとともに、日本市場にも逆輸入されて話題を呼んだ。

今回、新開発のコンパクトSUVを市場投入するに際し、三菱自の益子修CEOは「過去の遺産と新技術への挑戦を込めて『エクリプス』の名前を復活させた。自画自賛ではないが『いいクルマ』に仕上がった」と新生三菱自動車への意欲と覚悟のほどを示した。

「エクリプス クロス」の出来栄えに自信を示した益子CEO(左)。隣は商品企画を担当した林祐一郎チーフ・プロダクト・スペシャリスト(CPS)

アライアンス参加以前に走り出した「エクリプス クロス」

新型車「エクリプス クロス」は、三菱自の新中期経営計画「DRIVE FOR GROWTH」を達成するためのグローバル戦略車と位置づけられ、日本市場発売に先行して2017年10月から欧州、11月から豪州・ニュージーランド、アセアン地域、2018年1月から北米に向けた出荷が始まっている。最終的には約80カ国で販売する計画だ。三菱自はディーゼル搭載車を欧州向けに投入する計画を明かしており、将来的にはプラグインハイブリッド車(PHV)も用意する構えだ。

燃費データ不正問題から窮地に陥った三菱自は、2016年10月に日産自動車による34%の出資を受け入れ、ルノー・日産・三菱自の3社連合という新たな国際アライアンスの一員として再スタートを切った。日産傘下の三菱自では、日産主導による再建が進んでいる。だが、この「エクリプス クロス」は、日産との資本提携前から開発に着手していた新型車であり、三菱自が得意とするSUVとして、いろいろな意味で復活への思いを込めて、その橋頭堡としたいと意気込むクルマなのだ。

三菱グループ内で変化する三菱自と三菱商事の関係性

三菱自が復活再生に向け新型車「エクリプス クロス」を国内発売する直前の2月20日には、三菱商事が三菱自への出資比率を引き上げて従来の1割弱から20%とし、同社を持分法適用関連会社にすると発表した。三菱商事は株式公開買い付け(TOB)を実施し、三菱重工業などが持つ三菱自株式を取得する。

TOBが済んでも、三菱自の筆頭株主は発行済み株式の34%を所有する日産のままだが、第2位には変化がある。従来、三菱自株式の9.24%を持つ三菱商事は名目上の第2位株主だったのだが、三菱重工は子会社保有分などを合わせて実質的に三菱自株式の約10%を所有していた。TOBが完了すると、三菱重工の三菱自に対する出資比率は1.45%となり、三菱商事は同20%となるので、三菱商事は名実ともに三菱自の第2位株主となる。

これにより、日本最強財閥といわれる「スリーダイヤ」の三菱グループ内で、三菱自への出資関係は三菱商事に集約されることになる。日産とともに、三菱商事も三菱自の経営面への関係性を強めそうだ。「商社」としては、自動車関連事業の強化にも結びつけたい意図が感じられる。

「エクリプス クロス」の国内販売に合わせたかのように、三菱グループ内では三菱自動車に対する力関係に変化があった

そもそも三菱自は三菱重工の自動車部門だったのだが、1970年に三菱重工100%子会社として分離し、三菱自動車工業としてスタートした経緯がある。本来、三菱重工と三菱自は親子の関係であり、三菱自がリコール隠しなどの不祥事で経営破綻の危機に直面した2004年に、支援に加わった三菱グループの中で最も深く関わったのは三菱重工だった。

三菱自の人事にも注目

しかし、三菱重工はここへきて、民間ジェット機「MRJ」の開発遅延や火力発電設備の不振に加え、造船など不採算事業のテコ入れを迫られるなど、業績の立て直しが急務となっていることから、三菱自株の大半を売却することを決めた。これにより、歴史ある三菱重工と三菱自の親子関係は完全に解消することになった。

逆に三菱商事としては、これを機に三菱グループの代表として、日産やルノーとも連携し、商社としての自動車関連事業を一段と強固なものにしたいと考えていそうだ。すでに三菱商事は、リコール隠し問題の後、ダイムラーと三菱自の提携関係が崩れたことから、2005年に益子修氏を送り込んでいる。その後も三菱自の東南アジアやロシアでの海外販売の一端を担い、すでに37人を三菱自の海外部門を中心に派遣しているのだ。

三菱商事も「エクリプス クロス」の成功に期待していることだろう

今回、特に注目されるのは、三菱商事が日産に次ぐ2位株主となったことにより、2018年4月1日付けで三菱商事の辻昇執行役員・自動車事業本部長が三菱自の経営戦略担当専務執行役員に就任することである。日産からの役員派遣との兼ね合いもあろうが、三菱自では三菱商事出身の益子氏が長くCEOを務めているだけに、ポスト益子の有力候補とも目される。

かつては総合自動車メーカー、これからは何を目指す?

かつては軽自動車から乗用車、コンパクトカーから大型車「デボネア」までの幅広いバリエーションを抱え、これに商用車も軽トラから小型トラック「キャンター」、中・大型トラックと取りそろえた三菱自は、世界にも類を見ない総合自動車メーカーだった。このうち、トラック部門の「三菱ふそう」は分離独立し、ダイムラーの傘下となった。

三菱自としては、軽自動車で初の電気自動車(EV)「i-MiEV」(アイ・ミーブ)を市場投入し、SUV「アウトランダー」のPHV(三菱自ではPHEVと呼称)は、世界の市場で高い評価を受けている。今後の商品戦略も得意のSUVに照準を絞り、このタイプのクルマのバリエーションを広げるとともに、電動化を進めていく方針だ。今回の「エクリプス クロス」はその第一弾でもある。

三菱自動車が得意とするSUVの「エクリプス クロス」。将来的にはPHVも追加となる

新型車効果で国内販売に明るい兆しも

ただ、今回の国内投入が4年ぶりの三菱自の新型車ということで、国内の三菱ディーラーは、ようやく士気が上がってきていることだろう。この間の辛抱は、大変なものだったと想像できる。かつては「ギャラン店」と「カープラザ店」という2つの販売チャネルがあったが、一本化されても商品力が伴わないと厳しい。「エクリプス クロス」に続く三菱の商品力強化の方向が、国内三菱ディーラーの立て直しにもつながることになる。

三菱自動車が掲げる商品力強化がうまくいくかどうかは、国内ディーラー網の士気に直結する問題だ

数字的に見れば、三菱自の業績V字回復は今期にも見えることになる。だが真の復活は、日産とのシナジー効果に頼るだけでは達成できないはずだ。

三菱自にとってグローバル販売は100万台レベルだが、主体は東南アジアのタイとインドネシアであり、収益力の依存度も高い。100万台のうち、同社が強みとするアジアでの販売台数は約39万台と4割近くを占める。すでに米国生産からは撤退し、アジアに次ぐのは欧州の約19万台だ。燃費不正問題で大幅に販売減となった日本では、信用回復とともに新型車効果で10万台復活を狙うことになる。