「ブランド戦略」の記事

京浜急行の“駅名公募”が及ぼす影響は? 批判の声も

京浜急行の“駅名公募”が及ぼす影響は? 批判の声も

2018.10.29

京急が新駅名の改称案公募、対象は小・中学生

駅名が変更された場合に周辺に与える影響

改称される駅、されない駅の線引きはどこに

京浜急行電鉄(京急)が、創立120周年記念事業の一環として「わがまち駅名募集」と題し、「駅名を公募する」と発表した計画が物議をかもしている(公募自体は10月10日で終了)。いくつものメディアで取り上げられ、賛否両論。地名や地域文化に造詣の深い研究者も巻き込んでいるが、あまり肯定的な意見は聞かれない。

駅名の公募を行った京急。京急と言えば「赤い電車」のイメージが強い。ステンレス製の電車も赤い部分を多くしているが、近年、全面塗装車も登場した

もともとは、大師線産業道路駅が立体交差化事業によって地下化され、「産業道路(神奈川県道6号東京大師横浜線)との交差地点」という駅名の由来との関係が薄くなることを機に、改称を計画したことが発端。同時に京急のほかの駅も、小・中学生から改称案を公募して、良いアイデアがあれば2019年春に改称時期とともに発表し、数駅の駅名を改めるとした。

京急産業道路駅は、道路名を駅名とした珍しい形。だが、特定の地域名は表していない

確かに駅名の変更は、単に駅に掲げられた看板を掛け替えればよいというものではない。今日では運転指令や乗車券管理など、コンピュータ上のあらゆるところに使われている名称を変えなければならないため、規模が大きな駅だと、一説には億単位とも言われる莫大な費用がかかる。地元からの改称の要望に基づくものであるなら、地元がその費用を負担することもある。

そして、一駅変えねばならないのなら、段階的に駅名変更するよりも複数の駅名を同時に変えた方が経費も手間も軽減され、企業としてのメリットは大きい。長崎電気軌道(長崎市の市内電車)が、この8月1日に一挙に13停留所の名称を変更し話題となったが、それも同じ理由による。

物議をかもす、駅名改称計画

しかし京急は、旧東海道沿いや三浦半島など長い歴史と深い文化をもった地域を走っている鉄道だけに、それぞれの駅名にもさまざまないわれがある。まず、慣れ親しんだ駅名を変えることに対する、地域住民=京急利用客の抵抗感は強いだろう。

ましてや「難読駅名」とされた駅(プレスリリースでは「読みかた等が難しくお客さまにご不便をおかけしている駅」)を対象に、「わかりやすく変える」とも伝えられたことが、住民の反発を呼びそうだ。雑色(ぞうしき)、追浜(おっぱま)、逸見(へみ)などが念頭にあると思われる。

インターネット時代以前なら、難読駅名はクイズの題材にでもなろう。けれども、今や手元のスマホからいくらでも情報が引き出せる時代である。

例えば雑色は、平安時代に天皇の雑用をした見習い役人のことが"雑色"と呼ばれ、それが村名、ひいては1901年開業の駅名となったところ。現在の住所は大田区仲六郷だが、明治以降の合併の結果であるし、もし100年以上続いた駅名を「わかりにくい」という理由から変えるとしたら、地域住民のアイデンティティに配慮した上でなければならないだろう。

「雑色」とは、平安時代から続く由緒ある名称
雑色駅前にある雑色商店街。この駅名や地名は地元で定着している

アイデンティティの否定にならないか?

「名前」というものは、アイデンティティそのものだ。例えば名字。日本では結婚する女性の9割が男性側の姓に変えるとされているが、そこに葛藤はないだろうか。地方自治体の「平成の大合併」はまだ記憶に新しいだろうが、自治体名をどうするのか、甲論乙駁(こうろんおつばく:議論がまとまらない様)でなかなかまとまらなかった事例が各所に見られた。「××という新市名は了承するが、○○というわが町の名も残せ」という論は根強く、××市○○(○○が旧市町村名)といった地名が、全国で無数に生まれている。

駅名は鉄道会社の私物ではなく、公共物であるという考え方もある。例えば、××銀行○○駅前支店という名称はふつうにある。○○という駅名が変更となれば、この銀行支店も改称を余儀なくされる。私企業に限らず、バス停や交番などの公共施設やマンションなどにも影響が及ぶ。

また、鉄道と深くつながった生活を送っている地域住民にとっては「○○の住民」であるということが、自分たちのアイデンティティともなる。地名が変わっても駅名はなかなか変わらないことの良き例が、先述の雑色駅などだ。

中には、地名どころか駅名の由来である施設が消滅しても、駅名が変わらないもしくは変えられないという例すらある。小田急向ヶ丘遊園駅は同名の遊園地にちなむが、2002年に閉園した後も駅名はそのまま。もはや遊園地があろうがなかろうが関係なく、地域名として「遊園」が定着しているためである。

小田急向ヶ丘遊園駅は、遊園地の閉園後も改称されていない
鉄道駅だけではなく、道路の信号にも近隣スポットの名残が残る。写真は1986年に閉園した「多摩テック」付近の信号

さらに、品川や横浜などの他社線接続駅のほか、公共施設、神社仏閣といった史跡等、生麦駅など歴史的事象が起こった場所の最寄り駅として広く認知されている駅は改称対象としないとなっている。生麦事件は日本史上、広く知られた出来事であるが、では改称対象駅との間の「線引き」はどのように成されたか。やはり、日本の存続を危うくする事件が起こった場所の近くの駅として、存在感を残しておきたいのだろう。

 

「生麦事件」の史跡の最寄り駅である、生麦駅

こうしたことを考えると、鉄道サイドの一存で駅名を変えられないのが予想できる。どんな鉄道会社でも地域密着の逆、「地域との乖離」を起こしてしまっては事業として成立しないからだ。特に日本の大手私鉄は、多彩な関連事業を展開していることもあって、「○○沿線」という意識が沿線住民や利用客の間では強い。地域の意に染まない改称が実施されてしまった場合、企業イメージの低下が非常に心配される。

企業のイメージにも影響するので慎重な対応を

産業道路駅の場合、由来である産業道路は大田区大森東二丁目から横浜市鶴見区生麦まで続く。10km以上ある道路であるから、いろいろな地域にまたがっており、単に京急の駅周辺のアイデンティティとはなりにくい。改称案としては、駅周辺の地域名である「大師河原」が挙げられているようだ。ただし、周囲には「産業道路駅前店」を名乗る商店もある。

しかし、地域からの駅名改称の要望も聞かれないのに、まるでプレゼントキャンペーンのように駅名を募ったのはいかがなものだろうか。京急では近年、「赤い電車」の伝統とイメージを守るために、ステンレス製の電車を塗装した(素材の特質からすれば無用の施策)という事例もある。伝統や歴史、文化を重視する姿勢を打ち出したばかりであるのに、駅名改称計画はこれと矛盾してはいないか。企業としてのアイデンティティが疑われることは、決して得策ではない。

利用客が「駅に親しみやすいように」「沿線の活性化につながるように」という意図が、この計画にはある。しかし、逆効果があっては元も子もない。近年、同社は駅名を使って、「三崎マグロ駅(三崎口駅と三崎のマグロから)」や、「北斗の拳」など人気がある作品とのタイアップで、さまざまな"遊び"を展開してきた。今回の計画もその流れに沿ったものと考えられるが、期間限定のものではなく、駅名を改称するとなると恒久的な施策だ。

副駅名をつけた京急の駅の例(京急鶴見駅)

京急鶴見駅のように「京三製作所本社」と、カッコ書きで副駅名をつけた駅もある。公募の結果はわからないが、こうした副駅名としての対応が、関の山ではないかと思われる。

果たして京急がどのような対応をするのか、見守りたい。

30年の歴史が指し示すのはマツダの未来? 「ロードスター」の歩みを振り返る

30年の歴史が指し示すのはマツダの未来? 「ロードスター」の歩みを振り返る

2018.10.23

ライトウエイトスポーツを待ち受けた盛者必衰のことわり

受け継がれる初代「ロードスター」のコンセプトとは?

自動車業界は大変革の時代、マツダは変わってしまうのか?

長年、マツダブランドの象徴であり続けている「ロードスター」。1989年に登場した初代ロードスター(型式から“NA”とも呼ぶ。2代目は“NB”、現行の4代目は“ND”)以来、一貫してマツダが目指す“人馬一体”を体現してきたモデルだ。2019年2月の発売30周年を前に、「ロードスター」が歩んできた道のりをライトウエイトスポーツの歴史とともにプレイバックしたい。

累計100万台以上の生産を達成している「ロードスター」。世界中にファンが多いクルマだ(画像は筆者撮影)

時代に翻弄されたライトウエイトスポーツの歴史

第二次世界大戦後、世界ではモータリゼーション(自家用乗用車の普及)が進み、自動車産業が発展していった。1950年代に入ると、自宅のガレージなどでクルマを作る多くの「バックヤードビルダー」が誕生した。

バックヤードビルダーは木箱で部品をユーザーのところまで運び、ユーザー自身の手でプラモデルのようにクルマを組み立てる“キットカー”を提供。イギリスの自動車メーカーであるロータスも、もともとはバックヤードビルダーだったことはよく知られた話だ。手頃な値段でクルマを手に入れられるキットカーの興隆により、スポーツカーの楽しみは広く人々に普及した。

ライトウエイトスポーツの歴史を解説するNDの開発責任者・中山 雅氏

このように、クルマが安く手に入る土壌が形成されたこともあって、1960年代には走って楽しいライトウエイトスポーツカーが最盛期を謳歌していた。ところが、1970年代になると情勢は一変する。その大きな要因となったのが、アメリカで成立した排出ガス規正、いわゆる“マスキー法”だ。この規制は、排出ガスに含まれる一酸化炭素と炭化水素を1975年から、窒素酸化物を1976年から、ともに従来の10分の1に削減したクルマでなければ、販売を認めないという厳しいものだった。

当時は、エンジンの高回転・高出力を目指して自動車各社が開発を進めていた時代。当然ながらマスキー法の衝撃は大きく、基準をクリアするため、各自動車メーカーはエンジンの出力を下げざるを得ない状況となった。さらに、1974年には“極低速域での衝突に関して、ヘッドライトは壊れてはならない”など、衝突安全のレギュレーションが自動車保険に加わる。安全性を高めるためには、大型バンパーや衝撃吸収装置をクルマに装着する必要があった。

こうして、クルマは大きく重くなり、もともと非力であったエンジンのパワーは、さらに低くなっていった。小さく軽いため、非力なエンジンであっても楽しく走れることを特徴とするライトウエイトスポーツにとって、それは非常に苦しい時代だった。各メーカーの生産も頓挫し、この種のクルマは事実上、その姿を消すことになる。

NAから受け継がれる人馬一体のDNA

それから時代は流れて十余年後。マツダは1989年に初代「ロードスター」を発表し、もう作れないといわれていたライトウエイトスポーツを復活させた。初代ロードスターは、(1)歴史的に培われてきた伝統様式、(2)最新の技術、(3)走って楽しい正統派ライトウエイトスポーツの3つをコンセプトとして登場し、大成功を収めた。

ライトウエイトスポーツの復活を知らしめ、多くのフォロワーも生んだ初代「ロードスター」

「ロードスター」では初代NAから現行モデル(ND)まで、ライトウエイトスポーツとしてのパッケージ哲学を脈々と引き継いでいる。例えば、フロントミッドシップのフロントエンジン・後輪駆動(FR)方式や、後ろ側にキャビンが寄る特徴的なスタイリングなどがそれだ。

その中でも、歴代4モデルに共通している特徴的な点がプラットフォーム構造(ベアシャシー)だ。ここからも、マツダが目指す“人馬一体”、つまりは走る楽しさ、運転する喜びを追求する姿勢に変化がないことをうかがい知ることができる。

NDが登載するSKYACTIVシャシー。強度などは変わっているが、基本構造は全てのモデルに共通している(この画像のみマツダ提供)

クルマの中心部を縦に通るパワー・プラント・フレームは、エンジンとファイナルドライブユニットをしっかりと固定する。これによりブレを抑え、アクセルオン・オフ時の反応を向上させる。また、エンジンなどの重量物をなるべく内側に配置することで、低重心化とコンパクト化を実現。クルマの回転方向にかかる慣性を小さくすることで、ヨー慣性モーメントの低減と重量バランスの最適化を図っているのだ。

こうした一貫したマツダの姿勢について、現行「ロードスター」の開発主査を務める中山雅氏は、「量産性を考えると、決して効率的なものではないと思います。ですが、『走る歓び』を体現するため、こうしたユニークな設計をしています」と語る。

新旧「ロードスター」比較!そこから見えるマツダらしさ

マツダは先日、技術説明会を開催し、「2030年に全てのクルマに電動化技術を搭載する」と発表した。では今後、マツダが大きく方向を転換するのかといえば、そうではないと思う。

電動化技術は、あくまで環境に配慮し、時代のニーズに合わせたものだ。マツダが時代のニーズに対応しつつも、“走る歓び”を追求する姿勢を捨てないであろうと信じるのには理由がある。

「NA」(左)と「ND」(右)。サイズこそ大きな変化は見られないものの、エクステリアデザインには深化を感じさせる

その理由を語るため、今回はNAとNDの“重量”を比較してみたい。カタログデータではNAが940~960kgであるのに対し、NDは990~1020kgとなっている。一見、重量が上がっているように見えるが、これにはカラクリがある。

実は、NAにはエアコンやパワーステアリング、パワーウインドウといった、現在のクルマであれば搭載されていて当然の装備が含まれていない。これらはNAの場合、オプション装備となっていたのだ。つまり、仮にこれらをNAが装備していた場合、重量はNDと同等程度になると見込まれる。

NAのコックピット。写真は当時オプションのエアコンも搭載したタイプ
NDのコックピット。NAと比べてインテリアもスタイリッシュに変貌

またNDは、NAの時代にはなかったエアバッグや衝突被害軽減ブレーキなどの安全装備を搭載していて、燃費を見るとリッターあたり4kmの向上を達成している。安全性と環境性能が改善しているにもかかわらず、NAの頃から重量に変化がないのは、まさに最新技術の賜物といえる。

重量比較を通じて分かるのは、NAが目指した3つのコンセプトが、30年という時を経てもNDに受け継がれており、正常進化を遂げていることだ。おそらく、この理念は「NE」、「NF」と系譜が連なっていっても変わることはないだろう。

このことからも、マツダは今後もマツダらしくあり続け、「ロードスター」はマツダのブランドアイコンとして、ますますその価値を高めていくに違いないと考えられるのだ。

勢ぞろいした歴代「ロードスター」。左から4代目(ND)、3代目(NC)、2代目(NB)、初代「NA」
モノから体験を提供する レクサスとバーミキュラが考えるブランディング(後編)

モノから体験を提供する レクサスとバーミキュラが考えるブランディング(後編)

2018.10.17

バーミキュラ、米国進出を控えた手応えを語る

レクサスが大切にしている「味覚」への思い

ブランディング以前にものづくり、という意識は両社共通

値は張るけれど、思い切って買ってしまおうか。

それが車にせよスマートフォンにせよ、はたまた身の回りの生活用品にせよ、自分の使えるお金の範囲から背伸びして、「ちょっと良いモノ」を買った経験はないだろうか。

自動車のレクサスと、鋳物ホーロー鍋のバーミキュラ。作っているモノは異なるが、いずれも先述の「ちょっと良いモノ」、高価格・高付加価値の製品を提供している日本発のブランドだ。

そんな両ブランドのコラボレーションイベントが、レクサスのブランド体験型施設「LEXUS MEETS...」で開催された。今回は、バーミキュラを製造する愛知ドビーの土方邦裕代表取締役社長と土方智晴代表取締役副社長、そしてレクサスのブランディングを統括するLexus Internationalゼネラルマネージャーの沖野和雄氏にインタビューを実施。

前編につづき、ユーザーに高い付加価値のある体験を提供するブランドとしての矜恃やお互いの共通点について聞いた。

――通常、キッチンツールのレシピというのはオマケ程度の分量ですが、バーミキュラの鍋やライスポットには、充実した内容の、辞書のような厚さのレシピ本が付属しています。レシピ本もやはり体験提供の一環なのでしょうか?

土方副社長:
レシピ本も製品だと考えていますし、レシピの開発にはすごく力を入れていますし、掲載する料理のビジュアルも、ブランディングを考えながら作っていきます。

「バーミキュラ ライスポット」に同梱されているオリジナルレシピブック。同社が制作しており、レシピから撮影までディレクションしている

土方社長:
今、アメリカ進出を進めていますが、現地のシェフと組んで最高のレシピ本を作ろうとしています。

僕たちがものづくりをするときに、まずレシピから考えるんです。このレシピを作りたいから、この製品にこの機能がついている、という風に作っていく。そのくらい、製品とレシピ本は両輪ですね。

――先ほど触れられた米国支社の設立で、ライスポットの海外販売にも着手されています。現段階で何か手応えを感じられる出来事はありましたか?

土方副社長:
今、いろんな方に向けて体験会を行っていて、非常に高い評価をいただいています。

発売が本当に楽しみなのですが、懸念点として、アメリカには高級調理器の市場があまりないんですよ。5万円以上の調理器具がほとんど存在しないんです。そこに新しい市場を開発しなくてはいけないので、そこは心配と期待が両方あります。もちろん、絶対に喜んでいただける製品だと思っているので、時間はかかるかもしれませんが、成功するまでやりたいなと思います。

沖野氏:
ブルーオーシャンですね(笑)

――確かに、そこで勝てれば米国のファーストブランドに。海外メーカーの鋳物ホーロー鍋がシェアを取っているわけではないんですか?

土方社長:
実際、アメリカでも鋳物ホーロー鍋は流行っています。ただ、鍋「だけ」なので、相場は3万円前後なんです。弊社のライスポットのようにオールインワンで作られているものはあまりなくて、同価格帯なのはバイタミックスさんくらいですね。

「バーミキュラ ライスポット」は、同社の鍋と専用のヒーターがセットになった製品

――続いてレクサスについて、海外でのブランディング施策についてお伺いできますか?

沖野氏:
最近では、都内では青山にある「INTERSECT BY LEXUS」を、ニューヨークにも作りました。それ以前にもドバイに開設しています。これらは「今、レクサスのお客様でない方」向けです。「今のお客様」向けには、台湾やオーストラリアなどで、特別な空港ラウンジなどを展開しています。

やはり、体験なんです。世界観をお伝えするような施設を、海外でも展開しています。

――「体験」というところで、レクサスはイタリア・ミラノデザインウィークに大々的に出展しており、味覚を含めた感覚に訴えかけるインスタレーションを展開しています。レクサスというブランドの提供する体験において、味覚は重要だということでしょうか?

沖野氏:
まず、レクサスは五感を刺激したいというコンセプトでやっています。クルマは本当に五感で感じるものです。また、味覚はある種、誰でも興味がある部分ですし、料理というのは工夫、クリエイティビティのかたまりじゃないですか。だから、我々の活動のなかでやりたいんです。

クルマ自体も、お客様がどう使うかというところをよく考えて、そのために手の込んだ設計や製造技術を盛り込んでいる。そういうことを上手く伝えようとするのに、料理はピタッと来ました。素材選びや調理法の選定などと同じことを、実はクルマもやっているんですよ、と。共通項があるんですね。

それに、みんな食いしん坊ですから(笑) シンプルに美味しい食べ物は喜んでいただけます。また、ミラノでも「LEXUS MEETS...」でもそうですが、お料理の味だけでなく空間全体の雰囲気も作りこんでいるので、そこも含めてレクサスの持つ空気感などもお伝えできていると思っています。

「LEXUS MEETS...」内のカフェ「THE SPINDLE」は、その名の通り、スピンドルのモチーフが内装にもあしらわれている(画像提供:Lexus International)

土方社長:
確かに、料理の世界でもバックボーンが大切にされています。どういうところで、こういう思いで作られた料理だから、このようにまとめた、とか。そういう意味で、製造と料理は似ているのかもしれないですね。

沖野氏:
似ていると思いますよ、知れば知るほど、似ているなと感じます。

自動車という商品は、その魅力が一目でわかりにくいところがあります。また、自動車はその「便利さ」に着目されがちです。便利とは違うところ、味、感覚というところをもっとお伝えしていきたいですね。

――愛知ドビーはドビー機という織物の機械、レクサスひいてはトヨタ自動車は、自動織機をルーツとしているなど共通点があります。2社の共通点について、他にお感じになったことはありますか?

土方副社長:
よく、「良い物を作るだけではダメ」というようなお話を聞くことがあるのですが、僕ってその考え方がすごく嫌いで。「モノの価値は3割しかない」と言われる方もいらっしゃいますが、そういう姿勢のところに限って、ファブレス(※工場を持たない製造を行うこと)だったりする。

ですから、弊社とレクサス、ひいてはトヨタ自動車さんに共通しているのは、モノを作っているところですね。トヨタ自動車さんのすごいところって、一番難しいところを自分たちでやるところなんです。僕は(トヨタ在籍当時)原価をやっていたので詳しいんですが(笑)、ひとつのラインで何十車種も作ったりします。それはクルマづくりにおいて一番難しいことなんです。ものづくりの核となる技術がすさまじいんですね。

いいクルマをいかに作り込むかというところが根底にあった上で、お客様の体験をいかにプロデュースしようかという考え方が、弊社と似ているのではないかなと、両方の会社で働いた身として思います。

土方社長:
やっぱりものづくりなんですよ。ですが、ものづくりは簡単に立ち上げられない。まず職人が一人前になるのに何年もかかるなど、1~2年で利益を出せないので、なかなか流行らないんでしょう。

――ブランドという無形のものを顧客に伝えるのは、困難を伴うことと推察します。最後に、両ブランドの軸となるものを一言で表すと、どんな言葉になるか、お伺いできますか?

沖野氏:
「唯一無二」でしょうか。瞬間ごとの体験がその方にとって一番素敵なものになるように、尽力しているつもりです。

土方社長:
僕たちは、最終的には「共有」だと思います。

先ほど沖野さんが仰った「五感」は僕たちも大切にしているのですが、第六感としてあるのは「ヒトとヒトとの価値観の共有」だろうと定義づけています。お客様と我々、あるいはお客様同士で時間を共有すること。そこが人生の醍醐味になってくるはずなんです。人と人との関係を変えられるような製品を生み出せたら最高だと思っているので、そこを目指していきたいです。

――ありがとうございました。