「西田宗千佳」の記事

西田宗千佳

西田宗千佳

フリーライター/ジャーナリスト

得意ジャンルは、パソコン・デジタルAV・家電、そしてネットワーク関連など「電気かデータが流れるもの全般」。主な著書に「ポケモンGOは終わらない」(朝日新聞出版)、「ソニー復興の劇薬」(KADOKAWA)、「ネットフリックスの時代」(講談社現代新書)、「iPad VS. キンドル 日本を巻き込む電子書籍戦争の舞台裏」(エンターブレイン)がある。
アップルの「サブスクリプション参入」で考える、コンテンツ産業の変化

アップルの「サブスクリプション参入」で考える、コンテンツ産業の変化

2019.04.04

アップルが雑誌・ゲーム・映像のサブスクに参入

現地では発表に「大盛り上がり」、日本との温度差の原因とは

ビジネスの鍵を握る「オリジナリティ」 アップルの戦略は?

3月25日、アップルが雑誌・ゲーム・映像のサブスクリプションビジネスに参入することが発表された。筆者も発表会の場にいたが、ゲストも多彩で、なかなか盛り上がった。

アップル本社内にあるスティーブ・ジョブズ・シアター。アップルはここを「特別な発表会をする場所」と位置づけているが、今回の発表はまさにそうだったのだろう

「え? 盛り上がった?」

日本から配信で発表会を見ていた人は、ひょっとするとそんな疑問を持ったかも知れない。日本ではあまり知らないテレビ・セレブリティが何人も登壇する発表会は、ハードウェアを期待したファンには物足りなかっただろう。

だが現地は、実際「盛り上がって」いた。その「盛り上がり方の違い」に、ひとつのヒントがある。アップルのサブスクリプション参入は、コンテンツ産業に起きている、ある変化を示すものだった。

コンテンツサービスを「アメリカシフト」でスタート

先に、日本で盛り上がらなかった発表会がなぜアメリカでは盛り上がるのかを解説しておこう。

理由はシンプルなものだ。登壇したセレブリティは、アメリカで暮らす人々には非常に馴染み深い人々だったからだ。まあ、当たり前といえば当たり前の答えなのだが、ここに、アップルの現在の戦略が隠れている。

発表会にスティーブン・スピルバーグ監督本人が登場した時には、会場は割れんばかりの歓声に包まれた
アメリカでは非常に著名なテレビ司会者であるオプラ・ウィンフリーも登場。会場は非常に盛り上がっていたのだが、日本から見ていた人には、いまいちピンと来なかったのではないか

アップルは今年の秋に、オリジナルコンテンツを軸にした映像配信事業である「Apple TV+」をスタートする。登壇したセレブリティは、皆、そのオリジナルコンテンツに関わる人々だ。ということは、アップルはまず「アメリカを軸にしたコンテンツを、アメリカの視聴者に向けて提示する」ことで戦おうとしているのだ。

これは、同社としてはある意味で妥当な戦略といえる。

アップルは、Apple TV+の開始に先駆け、5月に、同社の映像視聴系アプリを「Apple TVアプリ」としてリニューアルする。Apple TVアプリ自体はアメリカ専用ではないが、その設計思想はかなり「アメリカのテレビ事情」を考慮したものと感じられる。

アメリカでは、7割の家庭がケーブルテレビネットワークの有料サービスに加入しており、そこを経由して地上波も見ている。それぞれの家庭が有料チャンネルに加入し、時にはスポーツや映画などをペイ・パー・ビュー形式で……という生活をしている。要は日本でケーブルテレビや衛星放送を見ている人と同じような生活だが、それを大半の家庭が行っている、という状況が異なる。

Apple TVアプリには「Apple TVチャンネル」という仕組みがある。これは、ケーブルテレビの有料チャンネル契約をインターネットに持ち込み、Apple TVアプリの中からシンプルに使えるようにしたもの、と言っていい。同様のスタイルはAmazon Prime Videoが先行して始めているのだが、この図式は、特にアメリカの消費者にはわかりやすい。

Apple TVアプリに用意される「Apple TVチャンネル」の構造は、アメリカの消費者には非常に馴染み深いケーブルテレビのビジネスモデルに近い

アップルにとって、アメリカは本国であると同時に最大の需要国だ。そして、映像を中心としたサブスクリプション・サービスは、アメリカを中心に回っている。ケーブルテレビ局や地上波局、ハリウッドの映画会社まで、動画配信を抜きにビジネスを考えるのは難しい状態であり、人々の関心も、「いかに快適にネット配信を見るか」というところにある。

昨今のアップルは、iPhoneなどの中国需要を見込み、かなりの「中国シフト」を敷いていた。だが、中国でのiPhoneのニーズも陰りが見える。そしてなにより、中国はその国の特殊性から、ネットサービスを他国と同じように展開するのが難しい。

となると、アップルが「まずはアメリカ」と考えてサービスを構築するのも無理はない。

「お得さ」よりも「オリジナリティ」が重要

サブスクリプションというビジネス形態は、「オリジナル作品」という点を軸に見ると、新しい切り口が見えて来る。サブスクリプションの契約者は日本にも増えてきたが、月末になると次のようなことを考える人もけっこういるのではないだろうか。

「今月は忙しくてあまり見られなかった。もったいないから解約しようか」「今月はたくさん見たけど、結果として、見たいものをほとんど見てしまったような気がする。解約しようか」

これはとても自然な流れだ。だが、サービス事業者視点でみれば、簡単に解約されてはたまらない。サブスクリプションは「長期間契約が続く」ことによって、売り上げが積み上がることが重要なものだ。

だから各社はコンテンツ調達にコストをかけるが、ここにひとつ問題がある。結局、すでに劇場で公開済みの映画や、テレビで放送済みのドラマなどは、色々なストアに配信ライセンスが提供されるから、あまり大きな差別化にならない。

結局は「そのサービスでしか見れない」「そのサービスでしか遊べない」コンテンツの存在が重要になる。かといって、新しいコンテンツの善し悪しはなかなか判断がつかない。

すなわち、サブスクリプションを継続してくれるかどうかは、「見たいものがある」だけでなく、「ここは自分の好みに合うコンテンツを供給してくれる」という信頼感を築けるか否かに掛かっているのだ。

各社はサブスクリプションで得られた収入の多くをコンテンツ制作につぎ込む。「お得さ」よりも「うちは他と違う」ことのアピールこそが、コンテンツサービスの本道なのだ。考えてみれば当たり前のことである。アップルもそれは変わらない。そうした「コンテンツへの投資の姿勢」をいかに提示できるかが重要だ。

アップルは、ゲームのサブスクリプションである「Apple Arcade」では、すべてオリジナルのゲームにこだわる。特定の開発者に対して「出資」する形で新ゲームの開発を進める。家庭用ゲームのプラットフォーマーがずっと続けていることと同じ努力を、アップルもやることになる。ただ、ひとつの違いは、一本一本ゲームを売るのでなく、「サブスクリプション」によるビジネスになる、ということだ。

映像における「アメリカシフト」も、オリジナルコンテンツ調達という観点で見るとよくわかる。世界最大のコンテンツ生産地はハリウッドだ。ハリウッドとの関係を強めて「アメリカのコンテンツ」を作っていくことは、有力なオリジナルコンテンツ調達という面でも、ある意味効率がいい。多様性には欠けるが、サービス一年目の企業が選ぶ選択肢としては納得できる。

アップルは、自らが持つ資産を担保にオリジナルコンテンツへ投資し、「サービスへの期待度」を煽っている。だから、ハードよりもサービスの発表会をリッチなものにしたのであり、最初の顧客である「アメリカ国民」を重視した展開を行ったのだ。

「日本の5G」に未来はあるのか? 新参「楽天」が見せた希望

「日本の5G」に未来はあるのか? 新参「楽天」が見せた希望

2019.03.08

MWCで見た「日本と5G」の現状

日本企業の存在感が薄い中、新参の楽天が奮闘

5Gのマスへのリーチはまだ先、遅れを取り戻せるか

2月25日から2月28日まで、スペイン・バルセロナで開催された世界最大級のモバイル関連展示会「MWC19 Barcelona」を取材してきた。

MWCといえば携帯電話業界を主軸にしたイベントだ。ただ、今年からは正式名称が「Mobile World Congress」でなく「MWC」となり、「モバイルに限った話題のイベントではないですよ」という感じになった。

「MWC19 Barcelona」の会場であるスペイン・バルセロナにあるFira Gran Via

そうはいっても、イベント主催が携帯通信会社業界団体のGSM Association(GSMA)なので、通信が主体のイベントであることに変わりは無い。CES(北米で毎年開催される世界最大の家電展示会)が正式名称をConsumer Electronics Showから「CES」に変えても、コンシューマ向け製品が中心であることと同じである。

今回のMWCの話題の中心はやはり「5G」だ。もはや5Gは現実のものであり、準備のフェーズですらない――、というのが今年のMWCのテーマだったように思う。

だが、こと日本と比較したり、5Gの将来を考えたりすると、なかなか微妙な気分になるシーンも多かった、というのも事実だ。ここでは、MWCを取材して感じた「5Gの理想と現実」についてまとめる。

存在感が薄い「日本の5G」

会場はとにかく、「5G祭り」だった。

日本の報道の中には、2019年1月に行われたCESでも、「5Gがテーマ」と言っていたことがあったが、まったく比較にならない。

MWCは通信が主軸のイベントなので、「5Gによって直接的に利益を得る企業ばかり」が出ているから当然のことだ。そんな企業が、本番のMWCの前に実施されたCESで5Gの本格的なニュースを出すわけがない。

T-Mobileブース。一面「5G」。携帯電話事業者のブースはどこもこの状態だった

MWCという場であるからこそ強く感じたのは、「日本企業の存在感の薄さ」だった。

現在の携帯電話業界において、個人が使う端末でも、アンテナを含むネットワーク側の機器でも、日本企業の存在感は薄い。もちろん、機器に使われる各種パーツであったり、通信から一歩離れた部分の機器では日本企業も頑張っていたりするのだが、それはMWCという場では目立たない。

特に日本の場合には、5Gの周波数帯割り当てもこれから、プレサービスの開始も2019年後半、という状況で、他国に対してざっくり半年から1年は遅れている。その中で機器メーカーの存在感がなければ、わざわざ海外に出ていってアピールする必要もない。

「携帯業界のアポロ計画」を企てる楽天

その一方で、非常に目立っていた企業もある。楽天だ。

同社はこれから携帯電話事業に参入する立場であり、特にインフラについて、4Gへの投資を抑制し、5Gを主軸とする立場にいる。

しかも彼らは「携帯電話業界のアポロ計画」と三木谷浩史社長が自ら言うほど、いままでとは違う考え方のインフラ構築をしているので、その点でも、広くアピールするのが当然の位置にいる。

楽天の三木谷浩史社長。自社の5Gネットワークの先進性をアピールした

彼らが手がけているのは、簡単にいえば「汎用技術での携帯電話ネットワーク立ち上げ」だ。携帯電話ネットワーク専用の機器を極力廃し、PCやクラウド、仮想化などの技術を活用し、5Gを主体としたネットワーク構築を行う。これまでは例のない構築スタイルで、「コストを7割削減できる」(三木谷社長)としている。

コスト以上に、インターネットサービスの携帯電話側への取り込みやサービス構築の柔軟性など、5G時代に向けた利点は多数ある。しかし、今のところは「彼らはそう主張している」という世界に過ぎず、実際にシステムが動き出し、サービス運用が開始されるまでは本当の評価を下すのは難しい。

それでも、楽天がバルセロナの地で「FCバルセロナのスポンサー、というだけでない」存在感をアピールしており、それが一定の成果を挙げていたのは間違いない。

楽天ブース。FCバルセロナのスポンサーであり、胸の「Rakuten」ロゴはすでに現地でもお馴染み。通信会社としてのアピールを強化した

日本と他国の違いは、5Gへの「切迫感」

では、日本が5Gで本当に遅れているのか、というと、「そうでもないな」という気もする。正確には「切迫感がない」と言うべきだろう。日本は5Gのスタートが少し遅いのは問題だが、それ以上に、そもそも5Gについての切迫感が薄いようにも思われる。

5Gは、なかなか真価を発揮するのが難しい技術だ。例えば、日・米・韓などで設備設置が進もうとしている5Gは、ある意味「暫定」である、ということはご存じだろうか。

5Gには、4Gとの併存を前提とした「NSA(ノン・スタンドアローン)」と、5Gだけを前提に敷設する「SA(スタンドアローン)」がある。現在、国内を含め多くの国では、先行して規格化されたこと、LTEの制御信号を使うためにコストメリットがあることなどが理由で、NSAでの設置敷設が進んでいる。

会場の天井に設置されていた5G用アンテナ

だがNSAでは、LTEの制御信号を使うがゆえに、「通信遅延」「同一エリア内への端末収容量」といった点では、本来5Gが持っているすべての能力を使えるわけではない。楽天は5Gを中心にインフラ構築を行うため、原則SAでの敷設となる。そのため「5Gの利点をより活かせる」としているが、一方で、エリア展開充実度の面では不利となる。

また、5Gをなにに使うべきか、明確なターゲットが薄いのも事実だ。

確かに、転送速度が上がるのはとてもいいことだが、そこで「ダウンロードが速くなる」「動画の画質が上がる」と言われても、実はピンとこないのではないだろうか。なぜなら、日本のモバイルネットワークインフラは、すでにけっこう快適だからである。この辺は、諸外国との大きな違いといえる。

今回のMWCでは多数の「5G対応スマホ」が展示された。それらは確かに魅力的だが、多くの人にとっては「単に通信速度が速くなったスマホ」に過ぎない。2つ折りで広げられるものが出たとしても、そこで出来ることには極端な違いはない。率直にいって、5Gは「今のままのスマホでは価値がわかりづらい」とも言える。

ファーウェイが発表した、5G対応の折り畳みスマホ「Mate X」

来たる5G時代への対応に「説得力」のある他国

5Gの価値を活かせるものとして、各社はAR・VR関連デモや、スマートシティをアピールしていた。それらの用途は確かに大きな可能性をもっているが、現状では「可能性」に過ぎない部分もある。

その理由は大きく2つある。「ニーズが定まっていないこと」、そして「"5Gであること”以上の整備が必要であること」だ。

現状の5GはNSA環境が前提で、遅延などの点でまだまだ理想的でないところがある。それに、いくらSA環境であったとしても、サービスがインターネットの向こうにあっては遅延が短くならないし、帯域の広さも活かしにくい。端末内で処理したり、携帯電話基地局のより近い部分にサーバーを置いて処理する「エッジ」型が広がっていく必要もある。

要は、どこもまだ模索中なのだ。保守的に考えれば、そのような状況で、海外のイベントで無理にアピールする必要はない、といえるかもしれない。

そして、そんなことは海外の携帯電話事業者や設備事業者だって、百も承知なハズだ。その上で「5Gはもはやリアルである」ということを信じ、先のビジョンを見せることに専心していた。

MWCに参集した企業は、今年から先、5Gに大きなビジネスチャンスを感じており、まだ実ビジネスの離陸には時間が必要だとわかっていても、モバイル業界を盛り上げるものとして、しっかりとアピールしていたのだ。

サムスンは、ブースに大量の5G対応端末「Galaxy S10 5G」を展示し、5Gを想定したデモを展開した

5G搭載スマホも、実際の出荷はずいぶん先だろう。だが、MWCの場に製品を持ってくるのとそうでないのでは、やはり説得力が違う。

それに比べると、どうしても(楽天を除く)日本の企業は、今ひとつ迫力に欠けた。

特に、ソニーモバイルが"端末メーカー”として、5G対応端末を試作機しか展示しなかったのは残念なことだ。日本市場のことを考えると、確かに「このタイミングで実機を展示する必然性はない」のだが、全体的な意気込みに欠けるように思えた。

ソニーモバイルブースには5Gの試作機が展示されたが、ガラス越しに通信速度を見せるだけ。他社の実機展示に比べると迫力に欠けた

スタートダッシュは遅れたが、勝負はこれから

日本が5Gで他国に遅れをとらないためには、ここからプレサービスや本サービスに向け、いかに色々な可能性をアピールできるかにかかっている。

今の5G環境では、たとえ対応スマホが出ても、マスに訴求しづらい。

LTEやVoLTEのような新技術も、「それが使いたい」という理由でスマホを買った人は稀で、「最新のスマホを買ったら新インフラに対応していた」というパターンが中心だ。そう考えると、5Gの展開は、「スマホから」ではなく「他の端末やサービス」から生まれる可能性が高い。スマホは、「結果的に5Gになっていた」というパターンだ。

だとするならば、「5Gならでは」の機器やサービスの創出に注力すれば、日本はそれほど「遅れた」という状況にならないで済むかもしれない。

そこに対して、いかに真剣に素早くトライアルを重ねられるだろうか。日本はこれまでそういうことがとても苦手だったが、(残念ながら)通信事業において辺境になった今こそ、そういうサイクルの見直しと高速化につなげるべきなのだろう。

楽天を見習う点があるとすれば、今回の5Gに対して、「新規参入ゆえの大胆さ」で臨むことだ。あとは、それがどこまで言葉通り実現できるかが見所となる。

「外国は中古が多い」は本当か? 総務省の中古スマホ推進に感じる課題と矛盾

「外国は中古が多い」は本当か? 総務省の中古スマホ推進に感じる課題と矛盾

2019.02.01

総務省が推進する「中古スマホ促進施策」のズレ

日本で中古スマホの使用率が高くない理由は「修理事情」にある

端末分離プランのカバーが目的なら、本末転倒だ

総務省と公正取引委員会が、携帯電話大手3社が下取りした中古スマートフォンの流通実態調査に着手している。目的は、中古スマホの国内での流通活性化だ。

現在各社は、新品スマホの購入促進を目的に、「使っているスマホを中古として引き取る代わりに割引を行う」という施策を採っている。この際、買い取った中古スマホが「日本国内ではあまり流通せず、他国に流れている」ことを問題視しているようだ。

中古スマホがあると新品が流通しづらい。だから携帯電話大手は中古をあえて国内流通していない。中古スマホの流通量が増えれば、携帯電話の入手コストが下がり、国民の負担が下がる……。

総務省が考えているのはこういうシナリオのようだ。

だが、この話はどうにもおかしい。「中古スマホをめぐる事情をきちんと理解していないのではないか」「中古スマホの商品特性を理解していないのではないか」と思えるからだ。

そこで、筆者の目から見た「中古スマホ促進施策のズレ」を指摘してみたいと思う。

アメリカでは「古いスマホは家族に譲る」

まずポイントは「中古スマホの利用率は、本当にそこまで大きな問題なのか」ということだ。

すぐに手に入りやすい調査データとしては、2018年2月にMMD研究所がオークネット総合研究所と共同で行った「日本とアメリカにおけるスマートフォン中古端末市場調査」がある。筆者はここ10年、年に最低でも5回はアメリカへ取材に出かけており、市場的に状況がよくわかっている、という点も加味して、ここでは「海外における中古市場のベンチマーク」として、アメリカをターゲットにおいてみたい。

この調査によれば、日本での新品端末利用率は「93.9%」。アメリカの「78.5%」に対してかなり高い。ネット調査であること、調査期間が2017年12月と、すでにそれなりの時間が経過していることに留意する必要はあるものの、「日本は新品に偏っている」との指摘は正しい。

ただし、ここでいう「新品でない端末」とは、中古販売された端末だけを指すわけではない。

もともと、日本においては端末を「家庭内に保管している」人の割合が群を抜いて多い。この調査によれば、日本では60.7%の人が家庭内に保管しており、アメリカでは43.7%に減る。では、携帯電話会社による中古買取、中古販売店への売買、オークションサイトへの売買が多いのか、というとそうではない。それらは日本と差がほとんどない。日本と違うのは「家族・友人に譲った」という項目。ここが12.3%もある。

MMD研究所がオークネット総合研究所と共同で行った「日本とアメリカにおけるスマートフォン中古端末市場調査」より。アメリカも日本も、中古へ流通するスマホの比率は変わらないが、「家族・友人に譲る」率では大きな違いがある

すなわち、アメリカという市場に限って言っても、「中古スマホの販売が活発」なのではなく、「使用済み端末の融通が活発」なのだ。

日米中古事情の違いは「修理」事情から生まれる

なぜこのような違いが生まれるのか? 理由は複数考えられるが、もっとも大きいのは、携帯電話事業者による販促が活発で、新品を買うハードルが低い、ということだ。新品を買いやすい環境にあるなら、誰もが新品を欲しいと思うのは当然のことだろう。

ここで筆者が注目するのは「修理」のコストと頻度である。同じ調査の中で、日米の修理に関する意識の違いも明確になっている。

日本では、修理の費用について、実に39.6%の人が「無料だった」と答えている。理由は、半数の人が「修理を補償するサービス」に加入しているからだ。携帯電話事業者によるものが41.3%、メーカーによるものが10.2%なので、合算すれば過半数を超える。これがアメリカの場合、47.2%の人がなんの補償サービスにも加入していない、と答えている。結果的に、日本の場合、携帯電話利用料金と重畳される分月々の費用が上がり、無償修理の比率が高くなる。

日本ではスマホの修理が「無料」だった人の割合が圧倒的に多い
スマホ修理費用の違いの理由は、日本では「修理を補償するサービス」に加入している人の比率が圧倒的に高いからだ

アメリカには、日本に比べて「携帯電話修理店」の量が圧倒的に多い。日本には総務省による「登録修理業者制度」があり、登録することが必要な状況だが、アメリカではそうではない。ショッピングモールなどには安価な修理業者が必ず出店しており、低価格に修理を請け負うようになっている。

一方でこの違いは、「スマホをどのくらいキレイに使うのか」という、中古端末の品質に影響している……と筆者は見ている。

日本の場合、わざわざ売る端末は、価格下落を恐れ、かなり状態の良い形で扱われる。中古業者の話を聞いても、「日本からのスマホは状態が良い」という点については一致した見解である。

一方海外の場合、中古の品質はそこまで高くない。ケースの利用率が低いこともあるが、「カジュアルに直せる」「カジュアルに売れる」ことから、それこそ「傷一つない状態」を維持する必然性が薄い、ということがあるのだろう。

特に中国やアメリカでは、携帯電話をカジュアルに販売できる、という特徴がある。どのくらい手軽かというと、街角に「携帯電話の自動買取機」が置かれているのも珍しくないくらいだ。

筆者がサンフランシスコ市内で見つけた「ecoATM」。スマホを入れると査定して買取までを行ってくれる「自動買取機」。同社はサンフランシスコを中心に、もう5年近く地道にビジネスを展開している
筆者が中国・深圳でみかけた「携帯電話の自動買取機」。こうした端末が駅の通路などに多数あり、日本よりもずっとカジュアルに中古買取が行われている

ここで、アメリカでの中古スマホ利用率を思い出していただきたい。たしかにカジュアルに販売できるが、それでも「中古を買って利用している人の割合」は大したことがない。カジュアルにスマホを処分できるものの、「中古スマホを買う人の割合は限られている」というのが実情なのだ。

そもそも中古スマホは、よほど条件が良いものでないと長く使えない。バッテリーが劣化している可能性があるからだ。アメリカにも新品のスマホを割り引いて買う方法はたくさんあり、多くの人が利用している。ならば、やっぱりスマホは「新品で買いたい」のだ。だが、そこまでしない場合もある。そんな時は、「知り合いや家族からもらう」のだろう。バッテリーの劣化やボディの傷、ガラスの傷みなどは、修理すればなんとかなる。日本より修理がカジュアルである、ということは、そうした傾向に拍車をかけている可能性が高い。

見えない部分で巨大化した「スマホ経済圏」

では、そうやって回収されたスマホは、どこに行っているのか? もちろん、中古スマホそのものとして流通する場合も多いだろう。

だが実際には、スマホは「パーツ」になってしまうことも多い。別にリサイクル用だけではない。修理用のパーツのことだ。

スマホ修理のニーズは非常に高い。日本よりカジュアルに修理ができる環境が多い他国の場合は特にそうだ。それだけニーズがあるということは、パーツのニーズも多い、ということである。修理のパーツはメーカーから公式に供給されるものも多いのだが、それらは数も限られているし、高価になりやすい。

非公式かつ安価な修理市場に向けては、もっと安価な「非公式に」流通したパーツを使う必要がある。そうしたパーツのほとんどは、中古などの形で回収されたスマートフォンから得られたものであり、なんらかの形で「なぜかパーツだけの形で市場に流れてきた」ものである。最近は、修理用に互換性のあるパーツを製造する例もある。

深圳あたりを回れば、スマホのパーツだけを大量に販売する店舗を見つけられるだろう。そういう店舗の端では、店員がスマホのパーツをさらにバラして袋分けする姿も見られる。

筆者が中国・深圳で撮影したパーツ販売店の姿。スマートフォンのパーツが機種ごと・種別ごとに分類され、卸売されている。店の片隅では、手作業でスマホパーツを分解する姿もみられる

中古スマホは、美品は端末そのものが流通するものの、そうでないものはすぐにパーツ化されて修理に回される。PCなどと違い、機種やメーカー違いによる互換性はないに等しいため、人気機種のパーツは常に需要が高い。状態が良くなくても売れるのはそのためでもある。

中古スマホの流通とは、なにも「中古スマホがスマホのまま売られること」だけを指しているわけではない。こうしたパーツ流通も含めた巨大な流通こそが、「スマホという経済圏」なのである。

その経済圏の中で、「新品が喜ばれる日本」で、中古のスマホの流通は限定的になるのが、今は「必然の流れ」である。他国の方がよほどニーズが高いのだ。そこに流れていくのは経済原理的に言っても、まったく不思議なことではない。

「分離プランありき」の議論は本末転倒

スマートフォンの性能向上による差異は見えづらくなり、1機種の製品寿命は今後長くなっていくだろう。ハイエンド機種の価格も高くなっていく。そこで「中古を選ぶ」という選択肢はあっていい。

一方で、アメリカでの事例が示すように、そこでは「知人からの融通」のような、カジュアルな例も多くなってしかるべきだ。中古流通がカジュアルな国でも「中古スマホの販売量は多くない」ことは、もう少し真剣に考えるべきである。

なにより、今回の話がおかしいのは、「なぜ中古だけを推進するのか」ということだ。

スマートフォンの販売について、今後は、通信費と端末代を分ける「完全分離プラン」が義務付けられる公算が強い。その時、スマホのハードウェアに対する支払いは確実に多くなる。そこに対する対策のために、安価な中古を推したい……。これが、総務省の考えである。

だが、それはいかにも「完全分離プラン」ありきの議論でありすぎる。

スマートフォンのハードウェアへの出費を減らす方法は、多数あっていい。知人間での融通やネットオークションなどの活用が話題に上らないのはなぜだろうか。そもそも、携帯電話事業者による販売補填をここまで強く問題視している国はない。「消費者が高い通信料金・長期契約を強いられる」状況は是正されなければならない。だが、スマートフォンを安く買いたいと思う人が「自ら望んで長期契約を選ぶ」のは悪いことではないはずだ。

中古スマホを増やすことは悪いことではない。だが、それが「分離プラン強制のマイナス点をカバーする目的」であるなら、本末転倒も甚だしい。そしてなにより、世界のスマートフォンをめぐる経済圏の状況を理解していない言動に思える。

「選べること」「強いられないこと」が重要だ。なのに、国が「強いる側」に回るのは、明らかになにか勘違いしている、と思うのだが。