「箱田高樹(カデナクリエイト)」の記事

箱田高樹(カデナクリエイト)

社会課題を解決するスマホアプリ

画面をタップするだけで、BOP層を手助けできる

コミュニケーションツールとしてはもちろん、動画や音楽、ゲームやニュースなどがアプリでさくさく楽しめる。スマホは今や最も身近で、誰しも手放せない必需品だ。新聞、雑誌、システム手帳にMDウォークマン、ゲームボーイアドバンスまで持ち歩いたあの日々よ…(遠い目)。

カウ株式会社の大木大地代表。1982年東京生まれ。日本大学中退後、モバイルコンテンツ事業、ゲームソフト関連の仕事を経て、IT系スタートアップの取締役に。その後、「社会をよくする事業を!」と2016年にカウ株式会社設立。2017年に「COW」をローンチさせた。http://COW.tokyo/

大木大地さんは、そんなスマホの多様な用途に「社会課題を解決する」という意識高い機能を実装させた、社会起業家だ。2017年夏に『COW(カウ)』というスマホアプリをローンチさせたからだ。

「ご存知のように、いま世界には開発途上国を中心にBOP(Base Of Pyramid)と呼ばれる年間所得が3000ドル以下という低所得者層が40億人ほどいる。そうした方々がもっと収入のチャンスを得られる機会を創りたかった。一方で、そうしたBOP層を支援したい人がカジュアルに応援支援できるような場を介してつくりたかったんですよ」と大木さんは説明する。

両者をつなげるコンテンツは写真。BOP層がスマホで撮った画像である。

カンボジアの学生が撮った画像に、どんな価値があるのか

『COW』のビジネスモデルをひとことでいえば、CtoCの画像販売プラットフォームだ。

まず売り手となる開発途上国の人が、スマホにアプリをダウンロード。するとスマホで撮った画像を『COW』のプラットフォーム上に投稿できるようになる。加えて、投稿画像は1枚2ドルから販売できる、という仕組みだ。

買い手となるのは、日本を中心とした先進国の人々。もちろん『COW』にアップされるような、BOP層が生活する遠方の国の風景、あるいはそこにある文化などの画像は、既存のストックフォト会社にもある。ただし使用量が高額だったり、またプロが撮った写真過ぎて、「どこかでみたような画」になりがちなものだ。

しかし『COW』にアップされる写真は先述通り1枚2ドル、日本円で220円程度と、格段に安い。またリアルな生活者がスマホで撮ったものだから、プロ、あるいはセミプロのフォトグラファーでは気づかないような視点や視座があるユニークなものがストックされることがありうる。結果、完成された写真が集まる既存のストックフォトよりも、コンテンツ制作者の琴線にひっかかる画像が多々アップされることが期待できるわけだ。

『COW』上で画像売買が成立すると、お金が販売者に振り込まれる。売上の30%を『COW』が手数料としてうけとるが、極めてカジュアルに、ムダなく直接的な富の再分配が、スマホアプリを通しておこなえる、というわけだ。

現在はカンボジアで積極的にPR。学生層を中心にダウンロード数を増やし、「売り手」ユーザーをじわじわと取り込んでいる。

「じわじわ…というのは本当です(笑)。正直、アプリのダウンロード数も売上もまだまだで、ビジネスモデルを含めて、いろんな改善をする必要性は感じている。だから新機能のリリースを続けていますが、しかし、スマホを通して気軽かつ持続的に社会課題を解決するスタンスは変えたくないし、それこそが私が本当にやりたいことですからね」(大木さん)

COWのビジネスモデル。スマホ写真の売買で「世界から貧困をなくす」のが狙いだ

どうせ起業するなら「社会のため」に

大木さんはそもそも大学中退後、IT系企業に就職。ガラケーのコンテンツを手がける企業でプロデューサーやゲームソフトの卸会社で障害や広報などを従事してきた。その後、自社でサービスを起ち上げたスタートアップ企業で仕事をしてきた。

「ゲーム会社時代の知人に誘われて、起ち上げメンバーに。事業そのものにも魅力を感じましたが、創業者利得に目がくらんで…という側面もありましたね」(大木さん)

ところが、そのスタートアップは経営的な舵取りがまずく、業績が急降下。事業は休止状態に。優秀なエンジニアと大木さんは、そこで起業のアイデアを考え始めたという。

「そこから、初めて起業のアイデアを考えました。『COW』のアイデアはまだなかった。ただ、そんなぼんやりとした時期ながらも、はっきりと決めていたのが『世の中の問題や社会の課題を解決する手伝いができないかな』ということだったんです」(大木さん)

理由は大きく2つあった。1つは「ただ金儲けのために」というモチベーションでは長く続かないことを前職で実感したこと。2つめはこれまでIT事業などを手がけてくる中で多くの優秀なエンジニアたちと仕事をしていたこと。彼らの技術とスキルを活かすことができれば、これまでにないプロダクトを形にできるかもしれないという意識があったという。

「30歳を過ぎて、子供もできて…という人生のタイミングもあったと思います。自分が、周囲が成功したい、というよりもできるだけ多くの人、世の中のためになにかをしたいという意識が自然と芽生えた。加えて、一緒に仕事をするエンジニアがすばらしいものづくりの才を持っている。今ここで離れてしまったら、何かを形にすることはできないな、と思うようになっていたんです」(大木さん)

そんなときに、自然と目に入ってきたのがBOP問題、世界の所得格差だった。かつてように、食べるものも困窮する大変な貧困ではなく、仕事がなくて貧困を抜け出せないBOP層が多いことを知った。それでいて彼らは自分たちと同じように、コモディティ化しててにいれやすくなったスマホというツールは、そうした途上国でも実は普及率が高く、大勢が手にしていた。

世界の若者たちを応援するアプリ「COW」の画面。発展途上国のBOP層が撮影した画像をスマホアプリを介して売買。写真売買を通して、先進国から途上国への支援ができる仕組みだ

「そこで『スマホというすでにあるインフラを通して途上国と先進国にお金の行き来ができないか?』とひらめいた。単なる寄付では持続性がもたない。物販では余計なコストがかかる。『データでやりとりできる写真の売買ならどうだろう?』と、今のスタイルに辿り着いたわけです」(大木さん)

それが2016年の秋。実現するプラットフォームとアプリケーションは、エンジニアがスピーディに仕上げた。もっとも、売り手にどうこのサービスを利用してもらうか、は大きなネックだった。

転機はプノンペンの日系企業とのコネクションを紹介されたこと。現地のクメール語への翻訳や、PRなどを手伝ってもらうことに。道が開けた。何よりカンボジアは『COW』を使ってもらうのに、ふさわしい地でもあった。BOP層が多いという理由だけではない。

「様々な歴史がありましたからね」(大木さん)

「COW(カウ)」という、サービス名に込めた思い

1970年代後半。知っての通り、急進的な共産主義政権だったポルポト政権が牛耳っていた頃、カンボジアでは大虐殺の悲劇があった。そのため、一定年齢より上の世代の人口が極端に少なく、平均年齢は25歳ほどと若年層が多いのだ。

「結果として、金銭的に厳しい若い世代がたくさんいた。かといって日本のようにアルバイト先が簡単にみつかるわけでもなく、時給も安い。それがアプリで撮った写真を売れる、という簡便な稼ぎ口があったら喜んで参画してくれるだろうと。一方で、カンボジででも、若い人こそスマホは持っていますからね。参入障壁も少ない」(大木さん)

こうしてニーズが合致したカンボジアの若者たちに新たなカジュアルな収入源として『COW』が提案された。

同時に、日本にいながら「なにか社会的な課題の解決を手伝いたい」「格差を是正する一助となりたい」という思いを抱いている層にPR。さらに最近は「カジュアルに持続的に、カンボジアの彼らが勉強を続けるための手助けになる」という部分を押し出している。肩肘はらずに参画できる、“BOP支援の新しいカタチ”として利用者を少しずつ増やすことを狙っているわけだ。

サービス名、会社名としてつけた『COW』は、もちろん「牛」の意味だ。理由がある。

「牛って農作業で使ったり、大切な栄養素となったり、世界中の人々の生活に生活に密着して、重宝され続けている。それくらい身近な存在として、このサービスが根付かせていきたいんですよ」 遠い過去ではなく、近い未来を見つめつつ、大木さんは力強く言った。

けん玉がITと出会って、想像以上にスゴかった話

先鋭ベンチャー LOCK ON! 第5回

けん玉がITと出会って、想像以上にスゴかった話

対戦やシューティングゲームまでできる「けん玉」

モノとインターネットをつなぐ“IoT“が、いよいよ本気を出してきた。「スマートスピーカーに語りかければ、好みの動画や音楽が再生できる」「外にいながらスマホで、エアコンなどの家電がカンタンに操作できる」といったIot製品やサービスが数多く登場。人々の利便性と期待感を、ぐぐっと押し上げはじめているからだ。

もっとも「電玉」が、今春発売したIoT機器には、そうした“利便性”はあまりない。ただ、その分、ワクワクするような“期待感“は、ほかのIot製品よりずっとありそうだ。

株式会社電玉の大谷宣央代表。1983年生まれ。某大手メーカーを経て独立。けん玉をIoT化した「電玉」で、世界に挑む。「僕自身もけん玉は昔からやっていましたが、最近、デモをやる機会が増えて、ずっとうまくなりましたね(笑)」

何せ、同社がIoT化したのは、日本の伝統おもちゃ「けん玉」。そう。電子×けん玉で「電玉」というわけだ。

「見た目はよくあるけん玉ですが、3つの受け皿と尖った剣先の内側には、それぞれコイル状のセンサーがついているんですよ」と、開発者で同社代表の大谷宣央さんは言う。

仕組みはこうだ。「電玉」のボディに、金属のメッキが施された玉が近づくと、周波数が変化する。それによってボディから玉の距離を即座に認識。さらにボディの内部にはジャイロセンサーや加速度センサーも内蔵されているため、「大皿にどんなタイミングでのったか」「大皿にのせたあと、剣先にうまく刺さったか」といった玉の動きはもちろん、けん玉の細かな角度まで、データとしてリアルタイムで分かるわけだ。

ようするに、「とめけん」や「日本一周」などのけん玉でどんなワザを繰り出して成功したか否かまでを、センシング技術で正確に瞬時に判別してくれるのである。

「この電玉の動きが通信モジュールでタブレットやスマホのアプリと連動させられる。だから、ネットを介して世界中のプレイヤーとワザを競い合う“対戦プレイ”ができたり、電玉をコントローラー代わりにした“けん玉のワザでマトを倒していくシューティングゲーム”などもできる。またAPIを公開して、いろんな個人や企業が電玉を使ったアプリを開発してもらうことを考えています」(大谷さん・以下同)。

そもそも、派手なトリックがいろいろできるけん玉が「KENDAMA」として、海外でも「クールな遊び」として今や世界大会が開かれるほどポピュラーになっているのは周知のとおりだ。けん玉の遊び方を拡張する「電玉」の登場が、この流れがさらに加速していくに違いない。

「もっとも……最初は、けん玉をIoT化しよう、なんていう発想はまったくなかった。『老人用の杖をIoTで作れないか』と考えていたんですよ(笑)」

公園のおじいちゃんへのヒアリングから生まれた。

1983年生まれの大谷さんは、小学生の頃からプログラミングで遊ぶようなエンジニア体質。複雑系ネットワークを学んだ後は、開発や企画などの仕事をしていた。

「ユニークな開発や企画などをさせてもらっていました。ただ一方で、会社の判断は常に慎重。なかなか手がけたプロジェクトがカタチにならないフラストレーションは、いつもありましたね」。

薄い紙も積み重ねれば、うず高くなるものだ。大谷さんは2015年、31歳で会社を退職。「自ら手がけたものを製品化して世に問いたい」というモチベーションを胸にあるハッカソンに参加した。時代は「IoT」という言葉がポピュラーになり始めた頃。そこに「高齢化」というマーケットのニーズを練り込もうとした。

「そこでハッカソンでは高齢者向けのITデバイスを考えた。『勝手に外に連れ出してくれる杖』のようなものを提案したんです」

最初のプレゼン、評判は想像以上に良くなかった。「危ないでしょ?」「実現性がないのでは?」「そもそもおもしろくないよね」。しかし、ITで高齢者の課題を何か解決したい…というコンセプトは間違ってないという声もあった。「それなら、実際のニーズを聞いてみよう!」。そう考えた大谷さんは、公園へ向かった。え、公園?

「上野にあるシニアがよく集まっている公園があって、でそこへ。『すいません…こんなものがあったらいいな、みたいなものあります?』と直球でヒアリングというか、世間話ですね(笑)」。

ここで聞こえてきた声がヒントになる。「孫たちともっと遊びたいけれど、今のゲームは難しい」「昔のおもちゃみたいなものだったら遊べるんだけれど…」。IT×伝統的なおもちゃの着想が、生まれた瞬間だった。

「シニア層も自然に楽しめて、子供たちもゲーム感覚で嬉々と遊べる。世代を超えて皆が楽しめるものがIT×伝統おもちゃでできそうだなと思いついた。コマや竹馬なんかもあるけれど、サイズ的にも気軽さからも『けん玉』がいいだろうなとそこまでは早かったですね。ただ…」

日本人ならほぼ誰しも一度は触ったことがあるようなおもちゃ。「すでにIoT化したけん玉を誰かが手がけているに違いない…」という危惧をいだいた。

これが「電玉」。一見、普通のけん玉に見えるが、中には加速度、ジャイロなどのセンサーとLEDや振動モーターなどがはいったIoT機器だ

「結論からいうと、ラッキーなことに誰も手がけていなかったんですけどね。そこで一気に企画を作り上げた。それを2回めのハッカソンで発表すると前回とは全く違う手応えを得ましたしね。これはイケる、とさらに確信しました」

しかし、走り始めると、“誰も手がけてなかった”理由が見えてきた。

ヒントになったのは空港にもあるアレだった。

ハッカソンでの提案に前後して、実はKDDIが支援するスタートアップ支援を受けられることになった。またハッカソンではプログラマーやデザイナーなどのスタッフとも出会うことにもなった。さらにクラウドファンディングで130万円ほどの資金を集められた。

順風満帆なまま、大谷さんは、2016年に株式会社電玉を創設。しかし、いよいよ「もの」をつくる段になり、悪戦苦闘がはじまった。

「考えてみたら当たり前なんですけどね。まず小さなボディにセンサーとバッテリーや回路をのせるのは極めて困難だった。そのうえガンガンと球をあてる遊びなので、衝撃に強い必要もある。そのうえで複雑なけん玉のワザを、しっかりと精緻にセンシングできるようにしなければならない……。とまあ、ようは『ああ、面倒だから誰も手がけられなかったんだな』と(笑)」。

例えば最初の頃は、フォトリフレクターという光を検知するしくみでセンシングする方法を社内メンバーで考えた。皿や剣先に球がのったり、刺さったりすれば、暗くなるので、その明暗の差で「のった」「刺さった」と検知できるからだ。

「ところが、当たり前ですがそれだと明るい場所じゃないと検知できない。しかもけん玉って、いろんな持ち方をして、皿の部分を思いっきりもって繰り出すワザもある。そもそも皿に乗せずに皿と皿の間の部分でとめるワザなどもある。光によるセンシングそのものが、もう使えないと考えた」。

電玉」と連動して遊べるアプリ画面。対戦やシューティングなどのゲーム要素はもちろん、着実に技を習得できる練習ツールによってアナログではできなかった「ワザの習得の見える化」を実現。けん玉プレイヤーの裾野のレベルアップにも貢献しそうだ

ただ、こうした技術的なハードルに即座に早めに気づき、次の一手を受けたことは電玉がうまくローンチできた大きな要因だった。後押ししたのは、得意の“ヒアリング”だった。試作段階で、「グローバルけん玉ネットワーク」というけん玉団体と知り合い、彼らからけん玉の様々なワザを教えてもらった。その結果、「皿をもってもワザが検知できる仕組みが不可欠」「けん玉の角度が測れないと意味がない」など、よりリアルな競技者の声を製品に落とし込めたからだ。

「彼らの声を聞くまでは、もっとメカ的なギミック。たとえば、対戦システムで相手がけん玉のワザに成功したら、相手のけん玉の大皿に磁石がついていて、皿にのらなくなる…とか。逆に何かアクションをしたら、ビタッ! と磁石で皿に球がすいつくような普通のけん玉ではありえないようなワザができたらおもしろい、という発想でいた。けれど、けん玉のプレイヤーにきくと『いや。そうではなく、今のけん玉のワザをまずしっかりとセンシングしてくれるほうが市場がひろがる』『すでにいる世界中のけん玉プレイヤーに響く』と。それはそうですよね」。

もっとも、当初の「磁石」の発想も、今に活きている。けん玉の皿に磁石のようなギミックをいれるため、皿の部分に電磁コイルを備え付ける発想は早くからあった。これそのものをセンサーとして利用できるのではないか、と繋がったからだ。

「空港にある『金属探知機』と同じです。金属が近づくと、電磁コイルが周波数が変化して分かる。『そうか、玉に金属をメッキすれば、できるな』って」

しっかりセンシングするほど玉の金属メッキができず時間がかかったり、センシングが温度に左右されて回路的な調整が必要であったり。あるいは大量生産のための工場を中国で見つけるも、最終的に品質面で折り合えず、急遽、国内生産に切り替えたり――と右往左往しながらも、2017年3月には正式リリースにこぎつけた。

クラウドファンディングに参加した方に配布は約束より数カ月遅れたが、けん玉は難度の高い技をクリアしたときこそ盛り上がるものだ。現在はアマゾンや家電量販店などを販路に、人気を博している。

「来年は世界大会を開催する予定。海外のプレイヤーからの注目は高いので、ここでブレイクしたらいいなと考えています」。

それだけじゃない。アプリのプログラム、電子部品の組み立て、3Dプリンタによる筐体づくり、さらには体を動かすゲームからの学び…など、電玉にはIoTや、これからのものづくりを学ぶための要素が凝縮されている。格好の教材だ。

「小中学校などの教育用途での展開も考えています。ついでに体も動かしますからね。フィットネスの分野でも楽しみながら体を鍛えるプログラムとして活用できるはず。シニアと子供たちのコミュニケーションがひろがれば…というアイデアからたどり着いた電玉。想像以上に可能性をひろげそうです」。

高齢者を外に連れ出すための杖――。そこから始めった発想が、“魔法の杖“のように世界を広げていく。電玉がワクワクさせるのは、きっともっとこれからだ。

元SEが、大工の技で“積み木“を創ったワケ

先鋭ベンチャー LOCK ON! 第4回

元SEが、大工の技で“積み木“を創ったワケ

「利益が出ない」などの理由から新規事業が打てず、硬直してしまっている企業は多いのではないか。だが、ベンチャーなら早さが信条。連載「先鋭ベンチャー LOCK ON!」では、奮闘するスタートアップの姿をレポートする。

伝統的な「木組み」を玩具に落とし込む

木目が美しいその積み木は、すべて同じカタチでできている。18cm×3cm×3cmの長方体。ただ途中、2つの凹部があるのが特徴的だ。

「この“みぞ”同士かみ合わせると……ホラ、こんなふうにいろんなカタチを組み立てることができるんですよ」。積み木の生みの親、井上慎也さんはそう言いながら、積み木で大きなロボットを作り上げた。

「宮大工などが使う“木組み“のしくみを積み木のカタチにしたんです。この加工は『相欠き(あいがき)』といいます。シンプルな一種類しかないピースから、こんな風に思いもつかないような複雑なカタチもつくれる。むしろシンプルだからこそ可能性が拡がるわけですよ」(井上さん・以下同)。

木組みの積み木「KUMINO」。杉の質感をしっかりと残したつくりで、使い込むほど味わいがでるようになっている。1セット(14ピース)4800円~。オフィシャルサイトからも購入できる

「木“組みの”積み木」の真ん中を切り取って「KUMINO(クミノ)」と名付けられたこの積み木は、昨年生まれたばかりの新しい玩具だ。井上さんは、滋賀県東近江市でこの玩具を発案。現在は自ら積み木セットを手作りして、ネットやイベントでの直販とともに、一部玩具店やセレクトショップなどに卸している。

「なるほど。大工が匠の技術を転用した新規事業か……」と思われた人もいるかもしれないが、違う。井上さんは、元システムエンジニア。SEを辞めて、職業訓練校で学んだ大工の技術をヒントに「KUMINO」を着想。東近江の地で起業家になった。

「むしろ本当に大工、職人だったら創れなかったはず。そもそも大工の技術を伝える……というより『東近江の森、日本の木の良さをもっと伝えたい』という思いがありましたから」。

木を木として使うことのハードル

KUMINO工房代表・井上慎也さん。1978年京都生まれ。滋賀県立大学で森林生態学を学んだ後、システムエンジニアに。「森にかかわる仕事を!」と職業訓練校で大工修行。木組みの技術を学ぶ中で、これを積み木に活かした「KUMINO」を着想。2016年、地元・滋賀県東近江市で起業に至る

日本の国土の2/3以上は森林で、これはフィンランドについで2番めに高い割合だ。ところが、木材自給率はぐっと下がり、約3割程度だという。

「割安な輸入木材が多く使われてきましたから。コストの高い日本で伐採や製材した木材は市場価値で歯が立たなくなっていた。一枚板のテーブルにも使えそうな大きな材がチップになると聞いたときには、なんとかならないものかと思いました」。

実は、井上さんはそもそも滋賀県立大学で森林生態学を学んだ。子どもの頃から森林の中で遊ぶことが多く、自然と「自然保護」や「エコロジー」に関する意識が高まり、選んだ道だった。

「大学時代、地元の里山保全活動を行う団体で活動したことでも、森林への興味が強まりました。人手の入っていた森は手付かずで残すより、薪や材にするなど人が継続的に加わったほうが整備されて、むしろ生態的にも環境が整う。そう考えると、森にある資源を価値に変え活動を維持できるアイデアが重要であるかな、というテーマが僕のなかに生まれた感じです」。

もっとも、大学生だったのは20年近く前。当時はまだ旧態依然としていた林業に飛び込むのは、躊躇した。国産木材にこだわったうえで、デザインに凝った付加価値の高い家具を製造するメーカーへの道も考えたが、いわく「おしゃれな家具づくりのセンスは持ち合わせてないと自己評価して」選べなかった。

「結局、大学院まで進んだのですが、卒業後は2カ月ほど無職。さすがにこのままではまずい……と思って。縁があるところならどこでも良いかと、その時住んでいた近くで就職先を探したら、隣の市でシステムエンジニアの募集があり就職したというわけです」。

その後、順調にSEを勤めながらも、常に「森に関わりたい」「木のものづくりがしたい」という気持ちはくすぶったまま残った。そして数年が過ぎたある日、妻子と住んでいた自宅をリノベーションしたとき、思わぬ転機が訪れる。

「古くなった畳の部屋のリフォームを考えていた時、大工の友人が『節ありでも良かったら無垢の杉材が安く手に入るから、それに張り替えては?』と提案してくれたんです。それなら、とその友人と一緒に張り替えてみたら……」。

やわらかく気持ち良い杉材の触感。床から熱を逃さないので暖房をつければ部屋がしっかり温まる断熱性。杉材の価値をしみじみと実感した。

「僕自身、かつては『森林は大切』とか『木の製品はいい』なんて言っていたけれど、実際にそれを体感した上で言っていたかというと違ったんですよね。自分の育ってきた環境を思い返すと、本物の杉材の良さに触れる機会ってなかったんですよ。知らないと選択肢にも上がらないと思うんです。そうした本物の木の良さ、あるいは地元の木材に触れる機会があることが、木材の価値を高め、森を守ることに繋がるのではないかと」。

環境が人をつくり、経験が人を動かす。日々の居場所に杉材を取り入れたことで、じわじわと井上さんの中にあった「森に関わるる仕事がしたい」「木のものづくりがしたい」という思いを再燃させることになった。40歳目前だったことも後押ししたに違いない。

「そこで会社をやめ職業訓練校に1年通い、フローリング作業で面白いと体感した大工の実務技術を学ぶことにしたんです。SEとして10年働き、それなりに成果を出し、貯金もあったので『留学したと思って時間とお金を使わせてくれ』と妻には言いましたね」。

手先は器用なほうだった。言われたことを真面目にコツコツこなす性格もあいまって、職業訓練校では、誰よりもうまくこなした。制作物は周囲の手本とされるほどだった。ただし、大工の仕事を知れば知るほど、「一人前になるには10年以上かかる」「現場で数をこなさなければプロとはいえない」という職種としての厳しさを知ることにもなった。

「総合的に判断して大工で食べるのは難しいなあ……ということが修了が近づくにつれてますますハッキリしてきたんですよ。さて、これからどうしようかなって」。

悩んでいた頃、今につながるヒントが職業訓練校の課題というカタチで舞い降りる。「天井づくりの課題があったんですが、僕はわりと手先が器用だったから、他の人と違って『井上、お前は“格天井(ごうてんじょう)“をやってみろ』といわれたんですよ」。

格天井とは神社仏閣などでもみられる木に凹凸をつけて、それを組み合わせて格子状にした天井のこと。そう、「相欠き」によって組まれる天井だ。

SIBに託された、東近江市民の期待

きれいにはまる凹凸をつくった木組づくり。課題の「格天井」に取り組みながら、井上さんはひらめいた。「この相欠きで積み木をつくったらどうだろう?」。

数年前、長女とヨーロッパ製の積み木で遊んだ経験も、着想の後押しになった。「シンプルなカタチの、いいおもちゃだなあ」と思いつつも、「このカタチなら、日本の山の木からでもつくれたはずなのに……。日本の家みたいな木組み風の建物を作るのは難しいな」とも感じていた。その答えが、格天井をつくりながら見つかったわけだ。

「環境が人をつくるなら、子供たちが自然にふれる積み木を、地域の山の木を最大限に活かしてつくったら、自然と木の良さに気づける。森林への意識が自然とインストールされる、そう考えたんです」。

そもそも「おもちゃコンサルタント」の資格をもつ積み木マニア。世界中の色々な積み木についての知識があり、この形の積み木は世界初のデザインであることを確信していた。また「組む」という、新しい感覚、新しい面白さを何よりも実感していた。

さらに、井上さんは木組みの積み木に勝算を感じた理由があった。

木組みは本来、一度はまったら外れないように、緻密に木組みをつくりあげるものだ。しかし、積み木にはその発想は仇になる。「あえてかみ合わせを甘く」しなければ、いろんなカタチをつくり、こわし、またつくる……という、積み木の役割を果たさないからだ。 「そもそも相欠きは最もシンプルな木組みのカタチ。それだけを積み木にして、しかも甘く仕事する、なんていうのは、本職の大工にしてみたらプライドが許さない。だからこそ、これまでに生まれなかった新しいデザインだと思うんです」。

「KUMINO」で遊ぶ子どもたち。木組みを活かした玩具はほかにもあるが、ここまでクリエイティブな拡がりをもって、多種多様なカタチがつくられるものは少ない

予想は的中した。早速、杉材を使って「KUMINO」の試作をつくり周囲に見せると「たしかに、ありそうでなかったな!」「木の面白さがすぐ伝わる」「子どもたちが遊びながら、木の良さに気付けるね」とポジティブな声が殺到した。

東近江の杉を使い、地産地消のビジネスとすることも、支持の声を大きくしたようだ。 山には杉をはじめとした木々がたくさんある。その出口を探し、それぞれの現場で模索していた彼らにとって、井上さんの「木組みの積み木」のアイデアは、小さくともキラリと光る希望の星だったわけだ。

「東近江から材木を使った新しい事業を立ち上げる。そんな思いに共感していただける多くの方々がいたからこそ、僕もこれを事業化への勇気をもらえた気がします。家具でも大工でもなく、新しい積み木で起業しよう!」という。

もらったのは、勇気だけではなかった。世界的にも注目される「SIB(ソーシャル・インパクト・ボンド)」。行政が指定した社会的事業に対して、市民の投資を募り、成果が出た分を市民にリターンするというあたらしい助成のしくみだが、東近江市はこれを昨年から独自にスタート。井上さんの「KUMINO」を、その採択事業のひとつに指定したのだ。東近江の杉を使い、雇用にも繋がり、地域経済を活性化させることを期待したためだ。

「このSIBを機に人の繋がりもうんと増えた。市民の方々から投資を受けるようなカタチで、試作品やパッケージデザインなどがまかなえ、今いる鈴鹿山脈の奥深くにある素晴らしいロケーションの工房も紹介され、格安で借していただきました」。

そして昨年10月。製品となった「KUMINO」は、直販からスタート。エコイベントや木工イベント、玩具展示会などに積極的に参加し、じわじわと販売先を増やしている。新宿四谷の「東京おもちゃ美術館」をはじめ、県外のショップでも置かれるようになった。さらに、10月29日に東京日本橋にオープンする滋賀県情報発信拠点「ここ滋賀」でも、取り扱われることになった。

また井上さんは、東近江だけじゃなく、「各地域の木材を使って、各地域の『KUMINO』をつくり、売る」というビジネスモデルにも踏み込み始めた。たとえば、岐阜の杉でつくった岐阜の「KUMINO」。秋田の広葉樹でつくった秋田の「KUMINO」といった具合だ。先述したように日本の至るところで活用されずにいる木材に、新たな付加価値をつけて、産業を生み出す。さらには木の良さを伝え、森林保護にまでつながるようなきっかけのひとつとして、「KUMINO」をひろめていこうというわけだ。

「9月には、コープしがさんが管理している『コープの森』で伐採した杉を使ってオリジナルの『KUMINO』を制作する予定です。それは『コープしが』の託児コーナーで使ってもらいます。こうしたCSRなどの取り組みとしてある森林保全事業の出口としても、子どもたちが使う積み木はとても親和性が高い。こうした取り組みにどんどん活用していただけるとうれしいですね」。

まだまだ成長過程の「KUMINO」だが、これからも想像以上に多くの人を繋ぎ、多くの森や地域を結んでいきそうだ。「木組みの積み木で、木の良さを伝えていきたい……」。事業への思いもビジネスモデルも、シンプルだからこそ可能性が広がるのだ。