「笠原一輝」の記事

笠原一輝

笠原一輝(かさはらかずき)

テクニカルライター

コンピューティング、半導体業界の取材経験が豊富で、多くのIT誌やビジネス誌に記事を寄稿。クラウドからエッジまで幅広い視点で世界中のITの今を追いかけるとともに、JMS(日本モータースポーツ記者会)の会員でもある。
「スマホ時代」の終焉、ポストAppleはIoT企業から誕生するという実感

「スマホ時代」の終焉、ポストAppleはIoT企業から誕生するという実感

2019.03.12

5G時代の主役は「スマホ」ではなく「IoT」

スマホはパソコンの歴史を繰り返している

IoTで主導権を握る企業はどこになるのか

毎年、2月下旬に開催される世界最大級のモバイル関連展示会「MWC 19 Barcelona(以下MWC 19)」を取材してきた。

これまでMWCはMobile World Congressの頭文字をとった縮小名だとされてきたが、今回のMWC 19からそれは廃止され、単にMWCというブランド名としてイベントが行なわれることになった。CESがConsumer Electronics Showの略称であることを廃止して単にCESというイベント名を採用したのと同じような取り組みになる。

その背景には、通信業界がこれから迎える大きな変革の波がある。これまでの通信キャリアが提供するセルラー回線は、3G以前はフィーチャーフォンと呼ばれる携帯電話に、そして4GではiPhoneの登場以降急速に普及したスマホ向けの回線として活用されてきた。

5Gでは引き続きスマホの回線として利用されるのはもちろんだが、コネクテッドカーなどのIoT向けの回線とも位置づけられており、今後はそちらが主役になっていく可能性が高い。

今回は多くのブースで5Gのソリューションを展示してアピールするMWCになった

スマホは成長が止まったという認識が強まる

MWCの主催者であるGSMAが設定した今回のスローガンは「Intelligent Connectivity」であった。

MWC 19 Barcelonaのスローガンは「Intelligent Connectivity」

このスローガンが意味するのは、IoTや自動車といった従来は処理能力やネット接続機能をもたないデバイスに、クラウドへの接続を実現して、クラウドの処理能力でAIのような機能をワイヤレスを介して提供していく、ということだ。

実際、今回のMWCでは昨年よりもIoTやコネクテッドカーといったテーマの展示が目立っていた。ドイツの3メーカー(VW、BMW、ダイムラー)はいずれもブースを出して展示していたし、昨年に引き続きトヨタもコネクテッドサービスの展示を行なっていた。

トヨタはAmazon AlexaとSDLとの共存をアピール
BMWブース
メルセデスブース

一方、通信キャリアのブースではほとんどがIoTやそれに付随するソリューションになっており、スマホの展示は年々減っていっている印象だった。

そうなっているのにはスマホ市場が既に成熟し、成長が止まった市場だという認識が共有されていることが影響している。

年や調査により変動はあるものの、トップシェアのサムスン、2位のアップル、そして3位は中国勢が入れ替わり立ち替わりという状況で、現在アップルを抜いて2位になったと考えられているファーウェイも、米中の経済戦争の中で今後どうなっていくかが不透明なぐらいで、基本的に大きな変動はない。市場の配分はほぼ固定されつつある。

パソコンの歴史を繰り返すスマホ市場

製品としてもスマホは既に成熟し、コモディティ化が進んでいる。今回の新製品の目玉が、右へならえのように2画面スマホであったことが、それを象徴する。

考えることはどこのメーカーも同じで、新しいデバイスが登場すると皆が同じような実装をする。これはつまり、新しい「ネタ」がなくなってきており、他社との差別化が年々難しくなっていることを示している。ちなみに昨年のMWCでは多くのメーカーがカメラを訴求していた。

Samsung Electronicsの2画面スマホ、ディスプレイが折れ曲がる仕組み
LG Electronicsの2画面スマホは最初から2つのディスプレイになっている

こうした状況はかつてPCが通ってきた道そのものだ。PCが普及していく段階で、どの製品も同じようなクラムシェル型に集約されていき、他社との差別化が難しくなってくる。すると、2画面を搭載した製品が登場したり、キーボードの代わりにタッチキーボードを採用した製品が登場したりする。

結局製品が成熟していくと、だんだんと重箱の隅をつくようなアップデートを各社とも取り組むが、結局あまり普及しない――、それがPCが経てきた歴史だ。スマホもまさにその歴史を経ようとしている、まさに「歴史は繰り返す」のだ。

14~15億台で頭打ちのスマホ、よりスケールするIoT

スマホ市場では市場の配分(言い換えればマーケットシェアの配分)も終わっており、今後よっぽどの事が無い限りこれが大きく変わることはないだろう。まさにPCの歴史がそれを証明している。

BMWが展示したコネクテッドカー。昨年のショーで発表されたコンセプトカーが展示された

このため、業界の目は次の成長へと向いている。そのタネがIoTであり、コネクテッドカーだ。なぜかと言えば、その市場規模がIoTやコネクテッドカーなどにより広がると考えられているからだ。

IDCが発表した2018年の通期でのグローバルのスマホ出荷台数は14億49万台、前年(2017年)には14億655万台となっていたため若干減っているが、概ねここ数年は年産14~15億台で一定している。おそらくこの数字は今後も大きくは減らないし、大きくは増えないだろう。多少の増減はあるが、年産14~15億台で今後も固定されていくだろう。

それに対して、通信業界が期待しているIoTや自動車などのコネクテッドデバイスの市場規模は、調査会社やアナリストなどによって異なっているが、おそらく桁が1つ違ってくると考えられている。つまり100億台を超える市場にまで成長する可能性があるということだ。

なぜかと言えば、スマホが1人1台までであるのに対してIoTは1人1台は言うまでもなく、今家庭にある家電がみなIoTになる可能性がある。冷蔵庫、洗濯機、掃除機、コーヒーメーカー…すべてのデバイスが今後IoTになっていく可能性は非常に大きい。

だからこそ、通信キャリアは競ってIoTをアピールするし、自動車メーカーとの提携を進めてコネクテッドカーのソリューションを拡充していく、そうした状況を反映しているのが今回のMWC 19だった。

これまでの4Gの10年が「スマホの時代」だったのに対して、5Gでは「IoTの時代」に突入していくことになる。だから、今回のMWC 19は「スマホ時代の終わり」の始まりなのだ。

IoT時代の「アップル」はどこ?

このようにスマホは5Gでは主役の座を降りることになるが、かといってスマホが今後減っていくとかそういうことではない。90年から00年代にデジタルの主役だったPCは、スマホにその座を譲った後も、年産3億台という市場規模は維持して増えもしないが減りもしないという状況になっている。それと同じように、スマホも年産14~15億台という市場規模は今後も変わらず増えもしないが減りもしないという状況になるだろう。

つまり今後も今までとは何も変わらないが、もはや成長市場ではなくなったが、今日の状況が固定されるそういうことだ。

ドイツの通信キャリアT-Mobileのブース
フランスの通信キャリアOrangeではロボットをアピール、今年のMWCではロボットの展示が多かった

それに対してIoTはこれから市場が成長していく。誰がそこで主導権をとるのか、まだ見えていない状況だ。だからこそ、通信キャリアも、アマゾン、グーグル、マイクロソフトのようなプラットフォーマーも競うように投資しており、そこで主導権を握った企業が次の時代のアップルになっていくのではないだろうか。

スーパークリエイターが佐賀県で挑む スマート農業とAI無人店舗の中身

スーパークリエイターが佐賀県で挑む スマート農業とAI無人店舗の中身

2019.03.06

佐賀県でAIを活かしたスマート農業と無人店舗に取り組む

スマート農場の実証実験で得られた成果は?

小売店の現実により近づけたAI無人店舗の展開

株式会社オプティム(以下OPTiM)は、株式会社日本HP(以下HP)が2月に東京都内で開催したプライベートイベント「HP Reinvent World 2019」に出展。同社 執行役員 兼 OPTiM Cloud IoT OS事業責任者 山本大祐氏の講演を行った。

講演の中で、OPTiMが佐賀県で展開しているドローンとAIを利用したスマートアグリカルチャー(スマート農業と)、AIを利用した無人店舗の取り組みを説明した。

OPTiMが進めるドローンを利用したスマートアグリカルチャー(出典:HPと協業を進めるOPTiMのエッジAI戦略、株式会社オプティム)

AIとIoTソリューションを活用し、佐賀県の農場で実証実験

株式会社オプティム 執行役員 兼 OPTiM Cloud IoT OS事業責任者 山本大祐氏

OPTiMは2000年に創業したIT企業だ。日本国内でPC向け、スマートフォン向けのソフトウェアや、IoT向けのソリューションなどを提供している。2014年10月に東京証券取引所 マザース市場に上場し、2015年10月に東京証券取引所 市場第一部へ市場変更した。

同社は00年代にはPC向けのソフトウェアなどに力を入れていたが、10年代前半にはそれをスマートフォンに拡大し、10年代後半にAIやIoT関連のビジネスに力を入れるようになった。山本氏が率いるOPTiM Cloud IoT OS事業では、そうしたAIやIoTのソリューションを展開している。同社は多数のエンジニアを抱えるエンジニアリングファーストの企業として知られていて、山本氏自身も、過去にはIPAが行なっていた「IPA未踏ユース2005年度スーパークリエイター」に選出されるなどの実績を残しているエンジニア出身だ。

その山本氏が話したのは、OPTiMが佐賀県で行なっている2つのユニークな事業。1つがドローンとAIを活用して作付けしている作物を自動判別するソリューション、もう1つがAIを活用した無人店舗だ。

作付けをドローンの空撮映像とAIで判別するソリューション(出典:HPと協業を進めるOPTiMのエッジAI戦略、株式会社オプティム)

まず1つめのドローンとAIを利用した作付けのチェックは、カメラを搭載した固定翼型ドローンで農地を撮影するとともに、AIで作付けされている作物を自動で判別するというソリューションだ。

このようにAIが作付けしている作物を自動で判別していく(出典:HPと協業を進めるOPTiMのエッジAI戦略、株式会社オプティム)

そもそも「なぜこんなことが必要なのか」と言うと、国や県が農家に補助金を出す際に「特定の作物を作付けしていること」が条件に含まれるためである。山本氏は「従来は県の担当者らが、作物をいちいち目視で確認していて膨大な時間がかかっていた。それを大きく削減できると考えてプロジェクトをスタートした」と、事業の意義を説明する。

具体的に今回の佐賀県の例では、目視調査の場合、実にのべ約1,360時間と、県の担当者にとって大きな負担になっていた。仮にその時間を別の業務に割くことができれば、新たな住民サービスを生み出せるかもしれない。県民にとっても大きなメリットがある取り組みだ。まずは佐賀県の白石町で始めており、現在は佐賀県全土へと対象を広げつつある状況という。

講演会場で配られたスマート米。これは今回の佐賀とは別に、同社のAI技術を活用することで減農薬栽培を実現した千葉県の農場で生産された

ロス率0を実現した無人店舗、モノタロウ・佐賀大学との共同プロジェクト

2つめの無人店舗に関しては、実際に取り組みが行われている佐賀大学の構内店舗を例として紹介。これは佐賀大学のほか、”現場系”に強い通販サービスを運営するモノタロウと共同で取り組んでいるプロジェクトだ。

モノタロウと佐賀大学との共同プロジェクトによる無人店舗(出典:HPと協業を進めるOPTiMのエッジAI戦略、株式会社オプティム)

この無人店舗では、Amazonが米国で運営している無人店舗「Amazon Go」のような、大量のカメラを店舗内に設置して、客が何を取ったかをAIの画像認識で判別して決済までを自動化するのではなく、購入決済は来店客のスマートフォンで商品バーコードを読み取る形にしている。

山本氏は、「Amazon Goのような方式だと100台程度のカメラが必要になるし、それと同じぐらい大規模な処理用ワークステーションも必要になる。これは小売店にとっては現実ではないと判断した。そこで、カメラはセキュリティとマーケティング用に5台だけ用意して、決済は客のスマートフォンで行う形にした」と、より現実の小売店のニーズに即した方式を採用したと説明する。

店舗内の全景(出典:HPと協業を進めるOPTiMのエッジAI戦略、株式会社オプティム)

AIが店舗のカメラや入退店ゲート、各種センサーなどを制御・分析することで、防犯などのセキュリティ面を担っているほか、来店客の行動分析によるマーケティング面での店舗運営支援もできるようにしている。

カメラは5台でセキュリティとマーケティング観点でのモニタリングを行なっている(出典:HPと協業を進めるOPTiMのエッジAI戦略、株式会社オプティム)

気になるロス率(有り体に言えば万引きされる商品の率)は、驚くべき事に始めて半年の実績で「0」だったという。小売店では商品の消滅などのロス率をある程度見込んで運営がされている。もちろん大学の構内という比較的治安が良い場所ということを差し引く必要はあるが、小売店の利益に直結するロス率0という数字は注目に値する。

AIソリューション、現状ではクラウドよりもエッジが現実的

OPTiMのエッジワークステーション(出典:HPと協業を進めるOPTiMのエッジAI戦略、株式会社オプティム)

こうしたOPTiMのAIソリューションを裏で支えたのは、HPのエッジAIソリューションだったという。山本氏は、「ディープラーニング(深層学習)の学習と推論を、GPUを搭載するHPのワークステーションで行なっている。ワークステーションにHPを選択した理由は、こちらが必要としている量を確実に供給してくれる体制とサポート体制がしっかりと整っていたため」と、様々なベンダから検討した結果、HPを選択するに至った決め手を説明した。山本氏によれば、パブリッククラウドで提供されるGPUなども利用してみているが、現状では、「エッジにワークステーションを置く方が使い勝手が良い」と評価しているそうだ。

OPTiMのエッジワークステーションのラインアップ(出典:HPと協業を進めるOPTiMのエッジAI戦略、株式会社オプティム)
株式会社日本HP 専務執行役員 パーソナルシステムズ 事業統括 九嶋俊一氏(左)と株式会社オプティム 執行役員 兼 OPTiM Cloud IoT OS事業責任者 山本大祐氏(右)

なお、山本氏は、3月20日に書籍『成功に導くためのAIプロジェクト実践読本』を発売する予定という。どうやってAIのソフトウェアを書くのか、という従来のAI関連の書籍とは異なり、AIをどうやって自社のビジネスに投入していくかについてフォーカスした内容だそうだ。

「AIを使ったサービスは、従来のソフトウェア開発とはモデルが異なる。それを契約としてどのようにクロージングしていくかが重要になる。ソフトウェアの開発契約をどうしたらいいのか、ソフトウェアの知財をどうしたらいいのか、そのソフトウェアを使ったビジネスが拡大したときにレベニューシェアをどうしたらいいのか、そうした時に参考になる書籍にした」(山本氏)といい、社内ノウハウも惜しげ無く盛り込んだとのことなので、AI活用ビジネスを始めようという人は注目しておくといいだろう。

3月20日に販売予定の「成功に導くためのAIプロジェクト実践読本」(マイナビ刊 出典:HPと協業を進めるOPTiMのエッジAI戦略、株式会社オプティム)
Adobeが巻き起こす「クリエイターデバイス市場」の大激震

Adobeが巻き起こす「クリエイターデバイス市場」の大激震

2018.10.26

Adobeが「iPad向けPhotoshop」をリリースしクリエイターが注目

既存のモバイルアプリは機能制限があったが、今回はフル機能

Adobeが舵を切ったことで生まれる市場の変化とは

Adobeは、10月15日~10月17日の3日間に渡り、同社の主力製品であるサブスクリプション型クリエイターツールの「Creative Cloud」に関する年次イベント「Adobe MAX」を、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス市のロサンゼルス・コンベンション・センターで開催した。

この初日にあたる10月15日に行なわれた基調講演の中で、Adobeは「Photoshop CC for iPad」、「Project Gemini」、「Project Aero」と呼ばれる新製品を、2019年に投入することを明らかにした。

この中でAdobeは、同社の新戦略として「マルチデバイス、マルチプラットフォーム」という新戦略を明らかにした。この新戦略は、今までAppleのMacBookシリーズがリードしてきたクリエイター向けのデバイス市場に、激震をもたらす事になる。

最も注目を浴びた「Photoshop CC for iPad」

AdobeのCreative Cloudユーザー向けの年次イベントとして行なわれているAdobe MAXにおいて、Adobeは18年向けのCreative Cloudアプリケーションの各種アップデートと19年に投入する計画の新アプリケーションについて説明を行なった。この中で最も注目されたのは、「Photoshop CC for iPad」と呼ばれる新製品だ。

これまでAdobeは、モバイルアプリ(スマートフォンやタブレット向けのアプリという意味)として、Photoshopのブランドを冠した製品を複数提供してきたが、いずれも機能は限定的で、プロのクリエイターからは"使えない存在"という扱いをされていた。

多くのクリエイターは、作画などにデスクトップアプリ(PC向けのアプリという意味、WindowsやmacOS向けのソフトウェアのこと)の「Photoshop CC」を長年利用しており、レイヤー(層のこと、作画に複数層をもうけることで書き終わった後の編集などを容易にする)、ブラシ(Photoshopではクリエイターが自前のブラシを作成し、それを利用して効率よく作画できるようになっている)といった、Photoshopを特徴付けている機能を必要としている。従来のPhotoshopブランドのモバイルアプリは、そうした機能が搭載されていないか、一部の機能に限定されていたのだ。

レイヤーやブラシなどPhotoshopの主要機能を実装しているPhotoshop CC for iPadの画面

だが、Photoshop CC for iPadは違う。レイヤーやブラシの機能などは皆搭載されており、デスクトップアプリと全く同じように使える。Adobe MAXのデモでは200のレイヤーを使って編集している様子、そして独自のブラシを利用して作画している様子などがデモされ、詰めかけた「Photoshop使い」のクリエイターから拍手喝采を浴びた。

「フル機能モバイルアプリ」実現の背景

AdobeがPhotoshop CC for iPadのようなモバイルアプリケーションに取り組むには、いくつかの背景がある。

1つは、モバイルデバイスの処理能力がここ数年で大きく上がったこと。AppleのiPhone/iPadに搭載されているAシリーズのSoCは、既にノートPCのCPUやGPUに匹敵するような性能を備えつつあり、メモリも4GBなど大容量に強化され始めている。このため、クリエイターがPhotoshopにさせようと考えているような重たい処理でも十分にこなせる性能になりつつある。

iPadでノートPCに匹敵する処理が可能になり、「フル機能」が実現した。

もう1つは、AdobeがCreative Cloudの導入と共に進めてきたクラウドストレージの活用、そしてクラウドを利用した各種サービスの提供というモバイルアプリを必要とするための前提条件が整いつつあることだ。

モバイルデバイスは、デスクトップPCに比べると大容量のストレージを持っていない場合が多く、同時にOS側の制約でローカルにファイルを保存したりしない仕様になっていることも多々ある。このため、ファイルを更新するときには、ファイルサイズが大きくなってしまい、通信費の増大を招きかねない。

AdobeのPhotoshop CC for iPadでは、「クラウドPSD」という新しい仕組みを導入してこの課題をクリアする。Photoshopでは.psdの拡張子が付けられたPSD(Photoshop format、日本語だとPhotoshop形式)ファイルが標準のファイル形式とされている。このPSD形式で保存することで、レイヤーやブラシなどの情報を含めて保存して、他のPCで続きを編集したりすることができる。Photoshop CC for iPadで導入されるクラウドPSDはそうしたレイヤーやブラシの機能を含みながら差分だけを更新することが可能になっており、iPadのようなモバイル機器でも効率の良い取り扱いが可能になる。

Adobeではこうしたクラウドをハブとして、そこにモバイル向けのPhotoshop CC for iPad、デスクトップ向けのPhotoshop CCがぶら下がり相互にやりとりができる仕組みのことを「マルチサーフェス」と呼んでおり、モバイルとデスクトップ、モバイル同士、あるいはデスクトップ同士でシームレスにコンテンツをやりとりできる仕組みを既に構築している。

Adobeの本当の狙いは「モバイルファースト」

このように、モバイル機器の処理能力が向上し、マルチサーフェス戦略によりどのデバイスからでもシームレスにデータにアクセスできる環境が整え終わっているからこそ、Adobeは満を持してPhotoshop CC for iPadを導入できる訳だ。

Adobeの製品面での最高責任者になるAdobe CPO(最高製品責任者) 兼 Creative Cloud担当上席副社長 スコット・ベルスキー氏は、「我々のお客様が欲しがっているモノは、プラットフォームに依存しないということだ」と述べ、Adobeがプラットフォーム(AppleのmacOS/iOS 、GoogleのAndroid、MicrosoftのWindows)に依存しないソフトウェア展開を真剣に検討していると強調した。

このことを素直に解釈すれば、今の時点ではPhotoshop CC for iPadはiPadのみとなっているが、今後はiPhone版も登場するだろうし、Android版もいつかは登場する、そういうことだろう。

これまでPhotoshopのフル機能を使いたいと思っているクリエイターにとっての選択肢はWindowsかmacOSしかなかった。しかし、今後はまずiPad向けにPhotoshop CC for iPadが登場し、将来的にはスマートフォンで使えるようなフル機能のPhotoshopだって登場する可能性がある。

それが何を意味しているのかと言えば、Adobeはデスクトップファーストのクリエイターツールから、今後はモバイルファースト(モバイル優先)でクリエイターツールを提供していく方向に大きく舵を切ったということだ。

もちろん、今すぐデスクトップアプリを廃止する訳ではない。今後も相当な期間、併存していくことになるだろう。だからこそAdobeのメッセージは「マルチデバイス、マルチプラットフォーム」なのだ。

だが、Photoshop CC for iPadがAdobe MAXの最大の発表だったこと、同じくAdobe MAXでデモをした新しいアプリProject GeminiやProject AeroのデモがいずれもiPad版で行なわれたことを考えれば、そこに隠されたメッセージがモバイルファーストであることは明らかだ。

Adobeが舵を切ったことで、市場は大きく変わっていく

こうしてモバイルファーストへとAdobeが舵を切ったことで、クリエイターのデバイス環境はどう変わっていくのだろうか? 1つには、iPad Proのようなタッチとペンが使えるモバイルデバイスへのシフトが発生することは容易に想像ができる。同時に、MicrosoftのSurfaceシリーズのようなiPad Proと同じようにタッチとペンが使える2-in-1デバイスも選択肢になっていくだろう。

Adobe MAXのステージには、Apple ワールドワイドマーケティング担当上級副社長 フィル・シラー氏も登壇し、両社が協力してPhotoshop CC for iPadをアピール。Adobeだけでなく、AppleもiPad Proをクリエイターツールとしていくことに本気だ。

それに対して、トラディショナルなクラムシェル型のノートPCへのニーズは減っていくだろう。AppleのMacBookはiPad Proに代替され、Windowsのクラムシェル型ノートPCは2-in-1型デバイスへと置き換えられていくだろう。クリエイターにとって、その方が生産性は向上するからだ。

これまで、クリエイターのデバイスと言えば、長らくMacBookシリーズが大きなシェアを占めており、その後にWindowsのワークステーションというのが一般的だった。だが、そのクリエイターにツールを提供しているAdobeがモバイルファーストへ大きく舵を切ったことにより、クリエイター向けのデバイスも今後はモバイルへのシフトが進んでいくことになりそうだ。