「和田有史」の記事

和田有史(わだゆうじ)

立命館大学食マネジメント学部教授

1974年3月、静岡県清水市に生まれる。農研機構 食品総合研究所主任研究員等を経て2017年4月より立命館大学教授。博士(心理学)。専門官能評価士。肉肉学会、日本官能評価学会、日本基礎心理学会理事。専門は実験心理学。”食”をモチーフに多感覚知覚、エキスパート知覚、消費者認知特性、リスクコミュニケーションなどの研究を行うことで、人の心のメカニズムの解明と、その知見で人々の食生活や食文化を豊かにすることを目指している。好きな食べ物は、お肉、ラーメン、お寿司、その他いろいろ。
「おいしさ」を感じるしくみ ~匂い、味、呼吸のマリアージュ~ 後編

「食べる」をつくる科学と心理 第2回

「おいしさ」を感じるしくみ ~匂い、味、呼吸のマリアージュ~ 後編

2019.03.26

立命館大・和田教授が「食」をテーマに連載

匂いは「負のマリアージュ」を起こすことも

化学要因だけでない、認知システムも”あじ”に影響

おいしいものを、おいしいと感じる。日々感じる「味」は、実は舌だけに頼る感覚ではないそうです。実験心理学から「食」をひもとく立命館大・和田教授が、自身のグルメ体験を糸口に、「味わいのキモ」を考えます。

前回は、私たちが日常生活で“あじ”として感じているものは、嗅覚、特に口腔からこみあげてくる匂いの影響を強く受けることを示した。今回はそれについてもう少し掘り下げたい。

著者は授業や講演でよく次のようなデモを行う。簡単なので、画面の前の方も実際にやってみていただければと思う。

まずは鼻を強くつまみ、鼻孔をふさいでもらう。そのまま、鼻から息を吐こうとしてみてほしい。この時、鼻孔から空気が漏れるようではいけない。そしてそのままの状態でチョコレートをひとかけら食べてほしい。そうすると、甘さとネチャネチャした感触こそすれ、チョコレート特有のリッチな風味がしない。そこで鼻をつまむのをやめると、たちどころに風味が拡がり、甘味も増したような感覚を覚えるはずだ。

匂い分子には2つの経路があり、鼻腔からの匂い分子の経路は「オルソネーザル経路」、口の奥からの経路は「レトロネーザル経路」という。この両経路からの匂いが食べ物や飲み物を強く特徴づけている。

匂い分子の二つの経路

このデモでは、チョコレートをチョコレートたらしめる特徴は嗅覚に依存していること、さらに味覚で感じるはずの甘味も匂いによって増強されることを簡便に実感してもらえると思う。鼻をふさぐとレトロネーザル経路からの匂い分子を含んだ空気が鼻腔に侵入できないが、ふたが取れた瞬間、呼気とともに香気成分が嗅覚受容体まで一斉にたどりつくのだ。

香気成分が引き起こした「負のマリアージュ」

口から鼻に抜けるレトロネーザル経路からの匂いが、食味に強く影響を与える理由については諸説ある。前回、ウニとホヤの例では、固形の食品を噛むことによって食品中の香気成分が表出し、食べ物をくんくん嗅いでも感じられなかった匂いが口中から生じる「フレーバーリリース」を紹介した。ここでは、オルソネーザル経路とレトロネーザル経路の香気のコントラストが感動的で、うま味や甘味を引き立てていた。

一方、オルソネーザル経路とレトロネーザル経路の香りのコントラストによって、平たく言えば「まずい」ことになる例もある。「魚介には白ワインが合う」というのは広く浸透しているが、裏を返すと赤ワインと魚介(特に生ものや魚卵)の組み合わせでひどい経験をした方が多い、ということだと思う。ところで、実は白ワインと魚介でもひどい経験となってしまう例がある。

国内ワイン大手のメルシャンは、ワインの鉄分が魚介の脂質の酸化を促し、不快な魚臭を発生させる”負のマリアージュ”のメカニズムを明らかにした。これは化学変化によってレトロネーザル経路とオルソネーザル経路の香気で著しい差が生じる極端な例だ。

口腔内でワインと魚介に含まれる物質によって生じた匂い分子がレトロネーザル経路から嗅粘膜にたどりつき、想像もつかないまずさを体験することになる。個人的な印象ではビールとひじき、生魚も相性が悪い気がするが、私だけだろうか? ちなみに、魚介とワインの負のマリアージュは油脂によって抑制される。つまり調理法にも依存するのだ。何が何でもワインと魚介は相性が悪い、というわけではない。

唾液と香気成分の化学変化があるのではないか、という話もしばしば聞くが、ワインと魚介のような劇的な変化が、ほかの食品でどの程度起きているかは、私は確信を持てない。例えば、ジュースなど飲料全てに関して、オルソとレトロでの香気成分の差がどの程度生じ、どの程度それが主観的な経験に影響力を持つのだろうか? 今後精査してほしい課題である。

近年、両経路の感じ方が違う、すなわち両者で香気成分が違うはず、という錦の御旗のもとで、レトロの香気成分とオルソの香気成分の差を測定し、食品開発に活かそうとする試みがなされている。口腔内での温度変化や香気成分の凝集性なども関係しそうだ。

認知システムも両経路からの香りの感じ方に影響を与える

これまでは化学・物理的な要因による、オルソネーザル経路とレトロネーザル経路の香気成分が異なることによる効果の違いについてみてきた。ここでは、人間の認知システムも食における嗅覚と味覚の相互作用に影響を与えることを示したい。

先ほど、チョコレートの例でレトロネーザル経路からの匂いは味覚強度にも影響を与えることを述べた。オルソネーザル経路からバニラの匂いを感じるように工夫したカップで真水を飲むと、甘味の呈味物質も香気も舌に触れていないのに、ほのかに甘く感じる。

つまり、レトロネーザル経路からだけでなく、オルソネーザル経路からの匂いでも知覚される味覚強度の増強は生じるのだ。昔は香気成分が味覚の受容体を刺激するのではないかともいわれていたが、我が国の産業技術総合研究所のグループが、舌に香気成分が触れない場合でも味覚に影響を与えることを示した。これにより、味嗅覚の統合された知覚は受容体ではなく、中枢神経、すなわち脳で生じていることが示された。

こう見ると、香気成分が同等であれば経路の違いがないようにもみえるが、両経路からの食品の匂いに対する脳活動を計測し、その違いを見出したドイツの研究グループは嗅粘膜の前方と後方に配置されている受容体の処理が異なるのではないか、という仮説を示している。

昨年、私の研究グループは、呼吸に伴う両経路からの匂いと味覚刺激の時間順序が日常経験と同じであることが、嗅覚による味覚促進にとって重要であることを示し、Scientific Reports誌上で発表した。呼吸という運動感覚との連動も味嗅覚による味わいに係わるということだ。これらの複数の要因が重なり合って、複雑な食品の風味が形成されるのだろう。

実験に用いた嗅覚ディスプレイを装着した著者

食品のおいしさと匂いの関係は非常に密接で複雑である。自分の好きな食品の“あじ”はどれくらい匂いの影響が強いのか、たまには鼻をつまんで試してみるのも一興かと思う。

「おいしさ」を感じるしくみ ~匂い、味、呼吸のマリアージュ~ 前編

「食べる」をつくる科学と心理 第1回

「おいしさ」を感じるしくみ ~匂い、味、呼吸のマリアージュ~ 前編

2019.03.01

「食」をテーマに立命館大・和田教授が新連載

「味」を感じる人間のからだのメカニズム

食べ物の味、実は「匂い」が決めていた?

おいしいものを、おいしいと思う。日々感じている「味」、実は舌だけに頼る感覚ではないそうです。実験心理学から「食」をひもとく立命館大・和田教授が、自身のグルメ体験を糸口に、「味わいのキモ」を考えます。

研究者という仕事柄、私は全国、ときには海外の都市で開催される学会や会議にしばしば参加する。東北大学がある仙台にはここ十数年、年に二~三回は訪ねている。学会にはだいたい懇親会がつきものだが、仙台のような美食の宝庫では、可能であれば一人か、二人くらいで抜け出して小さな店で食事するのも楽しみだ。

まずはガゼウニ!

今年の七月もそのチャンスがやってきた。三陸の初夏といえばなんといってもウニ。友人と横丁の寿司屋に向かった。コンパクトな寿司屋のカウンターでまずはガゼウニ。殻からスプーンですくってほおばると上品な甘味とうま味。えぐ味がない。スゥーと磯の香りが漂う。舌で潰すと爆発的に香りの強度が増し、ぶわっと鮮烈な香りが口内に広がり、甘味とうま味も強烈になる。その後も素晴らしいネタの数々を供され、東北の豊かな海の幸を味わえた。 

最高に幸せだったが、この日はホヤが出なかった。まあ明日食べればいいかと、〆のお酒を一杯いただきに近所の居酒屋さんにうかがう。

そしてホヤの酒蒸し!

こちらは女将さんをカウンターでぐるっと囲む、風情のある知る人ぞ知る仙台の老舗。お酒を頼むとつまみが一品ついてくるおもしろいスタイルで、何が出てくるかはお店任せになる。ここで心を読まれたかのようにホヤ。丸ごと酒蒸しして、ぱかっと二つに割ったものが配膳された。これはうれしかったが、生のホヤしか食べたことがなかったので、酒蒸しだとあの独特の風味がとんでしまうのでは、と不安がよぎる。食べる前にくんくんと嗅いでみると、あまり香りが感じられない。疑念を強めながらも厚い皮をはいで一口かみしめてみると鮮烈なホヤの香りと味が噴き出してきた! 水っぽくない分、うま味も凝縮されており、ホヤ特有の舌を刺すえぐ味が抑えられている。これはすばらしい体験をさせてもらった。

さて、このコラムは科学的なおいしさを探求するのがミッションだ。このままうまいものを食べた自慢で終わるわけにはいかない。今回はウニやホヤのように美味とされる食材の「味わいのキモ」がどこにあるのか、考えていきたい。

匂いが食べ物の風味を決める

舌の味覚神経が伝達する狭義での味覚は、「基本味」といわれる甘味、塩味、酸味、苦味、うま味。この中に「ウニ味」、「ホヤ味」は含まれない。

つまり、味覚だけではウニやホヤのような食品が持つ魅力を最大限味わうことはできない。日本の出汁(だし)を形成している鰹節や昆布には確かにうま味物質(イノシン酸・グルタミン酸)が豊かだが、中華のスープでも洋食のスープストックでも同様のうまみ物質は含んでいる。

お味噌汁やお吸い物を飲む前に器を口元まで近づけて深く息を吸うとプーン鰹節の香りが立って幸せな気持ちになる―― といった和食の出汁ならではの特徴は、むしろ匂いで感じるといっていいだろう。このような味覚と嗅覚、さらには他の感覚との組み合わせで感じられる食品の特徴を「風味」という。

嗅覚は、揮発性の化学物質である匂い分子から外界の情報を得る感覚である。日常的に人が感じる匂いは、多数の匂い分子に対する反応として生じる。鼻腔の嗅粘膜にある嗅細胞の嗅覚受容体が、類似した分子構造の匂い分子に反応する。ヒトにはおよそ400種類の嗅覚受容体が存在するので、上記の味覚に比べてバリエーションが格段に豊富なのだ。そこに、多様な食品の特徴を形作る理由があるのかもしれない。

つまり、ウニやホヤの風味を特徴づけているのも匂いである。咀嚼することによって、目の前にある時に鼻孔から嗅ぐ匂いとは異なる香気成分、あるいはより強い香気成分が口腔内で生じることを「フレーバーリリース」という。これが食品の特徴を顕在化する。

風邪を引いて鼻が詰まっているときの食事が、とても味気なく感じたことはないだろうか? これは鼻がつまってのどの奥からこみあげてくる匂いが感じられなくなってしまったためだ。

匂いは鼻腔の受容体の作用で感じるものだが、日常的な食経験では、味との連合の強さから味覚と混同され、味覚と一緒になって口腔内に生じた“あじ”のように感じられているのである。(後編に続く)