「中村彰憲」の記事

中村彰憲

中村彰憲(なかむらあきのり)

立命館大学 映像学部 教授

専門はコンテンツ産業。主な著書に『中国ゲーム産業史』『ファミコンとその時代』『なぜ人はゲームにハマるのか 』『テンセントVS. Facebook』など。
後世に影響を与える「ゲームの源流」がいくつも生まれた平成初期

ゲームとともに振り返る“平成”という時代 第1回

後世に影響を与える「ゲームの源流」がいくつも生まれた平成初期

2019.04.02

新元号「令和」が発表され、「平成」も残すところあとわずか

本連載では「ゲーム業界」に焦点を当てて平成を振り返る

第1回ではバブル絶頂期&崩壊直後の平成初期のゲームたちを紹介

2019年4月30日で今上天皇が退位され、5月1日から新天皇が即位されることが明らかになりました。そのため、平成という時代が終わり、次の時代「令和」が幕をあけます。

昭和50年代から登場したアーケードゲームの横スクロールアクションや、家庭用ゲームで登場した日本独自のロールプレイング、そして大型筐体による体感型ゲームと、昭和の時代にも後半期はさまざまなゲームが世に生み出されてきました。しかし、これは平成という時代の視点から見ると単なる序章に過ぎなかったのです。

平成は、不断に台頭する新たなプラットフォームとともに、急成長中だったゲーム市場の重層化、拡大化ならびにグローバル化が進んだ30年といっても過言ではありません。作品、技術、プラットフォーム、プレイスタイルとあらゆる点において世界同時進行かつ多岐にわたって日進月歩の勢いで進化を遂げ、企業、またはクリエイター同士が互いに刺激を与えあいながら、さらなるイノベーションを繰り返してきた、というのがゲーム産業が体験してきた「平成の時代」なのです。

後世の人たちが、この時代を振り返ったとき、「デジタルインタラクティブエンターテインメントの基礎の多くが定義された」と話すでしょう。

本連載は、そんな平成という時代をゲームとともに振り返っていきます。第1回目は、平成元年(1989年)から、日本の一般人を巻き込むことになるインターネットのダイヤルネットワークサービスが開設される前年の平成5年までを振り返ります。

バブル崩壊前後に、日本のゲーム産業は急成長をはじめた

前インターネット時代の平成元年からの5年間は、国内はバブル絶頂期と崩壊直後という「繁栄」と「衰退」の双方が内包される複雑な時代だったと言えるでしょう。

平成元年の12月には日経平均株価が3万8,957.44円の史上最高値をつけたものの、湾岸危機などを背景に平成2年初頭から下落に転じ、平成4年8月には1万5,000円を下回ります。ただ、実質経済に影響を与えるのはもう少し先で、平成2年にはティラミスが流行し、平成3年にはバブル最盛期の象徴ともいわれる「お立ち台」で有名なディスコ「ジュリアナ東京」も生まれました。日本の年間経済成長率を見ても、平成2年までは4.9%近くを保っていました。

しかし、以降は減少に転じます。平成5年にはついに-052%にまで落ち込み、「不況」の実情が一般の生活の中でも目に見える形で広がっていきました。

これに対し、この時期の日本ゲーム業界はちょうど拡大の一途をたどる、いわば、「急成長のはじまり」ともいうべき時期にありました。例えば、北米ではファミリーコンピュータの海外版である「Nintendo Entertainment System(以下、NES)」が、昭和60年に発売されて社会現象を巻き起こしている最中。北米各地の大規模玩具店やショッピングセンターなどで「World of Nintendo」という専門コーナーが設置され、映画館ではゲームを原作とした映画が続々と上映されました。

ファミリーコンピュータの海外版である「Nintendo Entertainment System」
セガのGenesis ©SEGA

また、平成元年にNECがPCエンジンの海外版「TurboGrafx-16」を、平成2年にセガがメガドライブの北米仕様版「Genesis」を発売するなど、日本製ゲーム機による北米家庭用ゲーム機市場の覇権争いが始まっていたのです。

パーソナルコンピュータにおいては、PC-9800シリーズが長期ヒットをしているなか、平成元年にノートパソコンが生まれました。一方、欧米では、ホームコンピュータの普及が進み、PCでゲームをプレイするというカルチャーが醸成されていきます。

しかし、そのように、ゲームシーンが家庭へと移行するなか、アーケード施設ではゲーム筐体の大規模化が進みました。お茶の間のテレビ画面では楽しむことができない付加価値を提供することで差別化を図ったのです。

では、こういった背景を踏まえつつ、平成初期を象徴しうるゲームソフトを追っていきましょう。なお、作品のチョイスは、その時代における「革新性」という点を意識しながらも、筆者の主観による判断となってしまうことをご容赦ください。

※発売日は別途指定がない限り、文化庁メディア芸術データベースを参照

ゲームボーイとともに意識されはじめた「手のひらサイズ」で「つながる」ソフト

平成元年にリリースされたゲームボーイは、まさに「モバイル」の時代を象徴するハード。発売時のローンチタイトルは『スーパーマリオランド』や『ベースボール』など、ファミリーコンピュータ時代に培われたゲームデザインを「手のひら」サイズへと落とし込んだものが続きます。

ゲームボーイとそのソフト

これはかつて、ファミリーコンピュータ発売時に数多くのアーケードゲームをファミコンに移植した時代を彷彿とさせます。しかしこの時期、ゲームボーイの特色を最大限に活かしたゲームが登場しました。『テトリス』です。平成元年6月14日に任天堂によってリリースされた同ソフトは、いわゆる「落ちゲー」の大元と捉えることもできるパズルゲームの代表格。ソビエト連邦(当時)のアレクセイ・パジトノフ博士により開発されたことでも話題となりました。

PC、アーケード、ファミリーコンピュータと、ほぼ同時期にリリースされましたが、平成を代表するソフトとしてあえて選んだのは、平成元年にリリースされたゲームボーイ版。まさに「モバイル」の時代を象徴するハードであるゲームボーイの普及を、初期に牽引したゲームの1つが本作だったからです。

手のひらサイズで気軽にパズルを楽しめるゲームデザインもさることながら、通信ケーブルで友だちと「対戦」できるようになっており、携帯型ゲームにおける2大要素である「モバイル性」と「ネットワーク」の双方を、この段階で押さえていた点でも注目するべきでしょう。

平成30年には『テトリスエフェクト』でVR版がリリースされるなど、『テトリス』シリーズは新たな技術の台頭とともに、それに最適化した形で発売を重ね、平成を駆け抜けました。昭和末期に生まれ、平成を通して発展した同作は、これからも進化していくことでしょう。

『ポピュラス』と『シムシティ』が、家庭用ゲームビジネスにおける地平と可能性をさらに拡げる

平成2年11月21日にスーパーファミコンがリリースされた際も、ファミコン時代で確立させたゲームデザインをそのままに、グラフィック面やサウンドクオリティ、ならびにゲームステージのボリュームを発展させた『スーパーマリオワールド』『グラディウスII』『ファイナルファイト』、擬似3D効果を美麗かつ臨場感あるサウンドエフェクトで実現した『F-ZERO』や『パイロットウィング』などのソフトが続々と展開されていきました。スーパーファミコン自体、ファミコンの正統進化と言えるハードなので、この流れは自然と言えるでしょう。

平成2年に発売されたスーパーファミコン

そのなかで、家庭用ゲームにおける地平と可能性を拡げたのが、平成元年12月16日にリリースされた『ポピュラス』と、平成2年4月26日にリリースされた『シムシティ』です。今では「箱庭」ゲームとジャンル分けされる作品群。もともとPC向けに発売されたのですが、シミュレーションというものを、独自の視点と目標設定ならびに市民の反応のおもしろさといった要素を加えることで、エンターテインメントに昇華させました。

プレイヤーが神(ポピュラス)、または市長(シムシティ)となって、与えられたミッション(ポピュラスの場合は自らの民を繁栄させつつ敵の民を殲滅するように世界を操る、シムシティの場合は与えられた条件/目標を達成するように都市を設計する)を達成していくゲーム。最終ミッションまでクリアすることもできますが、それにこだわることなく、与えられた世界(都市)をデザインし、その結果(住民の反応など)を純粋に楽しむことができるのも、これらの作品の醍醐味と言えるでしょう。

これら斬新なゲームデザインがおこなわれた結果、『シムシティ』においては「本作がゲームであるか否か」について、アカデミックの世界で議論が生まれたほどです。

オリジナルのPC版『ポピュラス』は英国ブルフロッグが開発し、米国エレクトロニック・アーツが発売。『シムシティ』は米国のマクシスにより平成元年に発売されました。『ポピュラス』のデザイナーであるピーター・モリニュー、ならびに『シムシティ』のデザイナーであるウィル・ライトは、欧米において伝説的ゲームデザイナーとして知られています。

20年先を進んでいたMTV全盛時代の申し子「マイケル・ジャクソン」

ファミコンの大ブレイクとともに、国内において家庭用ゲーム市場が本格的に立ち上がったわけですが、当時から任天堂のライバルとして存在していたのがセガ。とりわけ昭和63年10月29日に発売されたメガドライブでは、セガのアーケードゲームを中心に数々の名作をリリースします。

『スペースハリアー2』『獣王記』などが、その代表的な例でしょう。これによって、競争は拮抗していきました。同機では、平成になっても『大魔界村』『ザ・スーパー忍』『ゴールデンアックス』といった作品が続々とリリースされ、注目を集めます。

同時に人気キャラクターも生み出しました。平成3年7月26日に発売された『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』は、その代表的な例と言えるでしょう。メガドライブのCPUパワーを活かした疾走感あふれるアクションは、横スクロールアクションゲームをさらなる地平へと誘うと同時に、そのクールな面持ちに世界中のティーンがゾッコンになりました。ソニックのこれらの層に対する圧倒的な人気が、GENESISの普及に拍車をかけたのは間違いないでしょう。

これらに加え、メガドライブでは人気マンガやアニメ、そして映画としたゲームもリリースしていきます。なかでも、セガが平成2年8月(アーケード)と、平成2年8月25日(メガドライブ)にそれぞれ別の作品として(この時点で規格外ですが……)リリースした『マイケル・ジャクソンズ・ムーンウォーカー』は、平成初期を象徴する作品として強烈なインパクトを残しました。

原作は同名の劇場用映画。スーパーカーやロボット、はては宇宙船にまで変身する「スーパーヒーロー」マイケルが、ギャング団から子どもたちを救い出すという短編パーツがベースになっています。ゲーム内容は、一般的な俯瞰視点(アーケード版)ならびに横スクロール型(メガドライブ版)のアクションですが、原作よろしくロボットに変身するシーンもしっかりとフィーチャー。しかし、これはゲームというよりむしろ、ミュージックビデオのコレクションというほうが相応しいかもしれません。マイケルの雰囲気(ダンスも!)を残しながら映画をしっかりとゲーム化できたのは、まさにセガのゲーム開発者の手腕によるところでしょう。

メガドライブ版の『マイケル・ジャクゾンズ・ムーンウォーカー』
『マイケル・ジャクゾンズ・ムーンウォーカー』のゲーム画面

ミュージックビデオブームの絶頂期に音楽業界のトップとして君臨した「キング・オブ・ポップ」だからこそ成し得た作品ですが、同時に重要なのは、「映画からゲームまで、マイケルががっつりと関わっていた」と関係者が証言していることです(※)。いまや世界におけるエンタメモデルとなっているメディアミックスとして、先駆け的な作品とも言えることから、改めて評価されてもいい作品でしょう。

※映画については当時の模様について英国の映画ジャーナルが記事にしており、当時開発に携わった鶴見六百氏が証言をブログに残している。

ゲーム競技(eスポーツ)の原点となった『ストリートファイターII』と『バーチャ・ファイター』

画像は平成4年にリリースされたストリートファイターII(スーパーファミコン版)のパッケージ ©CAPCOM

格闘ゲームジャンルそして現在のeスポーツの原型を生み出したという点において、『ストリートファイター』シリーズがその立役者であったことに疑いを持つ人はいないと思いますが、昭和62年に発売された初代よりも、平成3年3月にサービスインした『ストリートファイターII』が現在のゲームシーンに与えた影響は計り知れません。

特徴的なファイティングスタイルを持つ世界各地のファイターと戦うゲームシステムや、対人プレイに加え、1つの方向レバー、「上段、中段、下段」、「弱、中、強」といった6つのボタンによる操作、互いに顔を合わせることなく対戦に集中できる筐体デザイン、乱入システムなど、まさに一時代を築き上げるための手法が数々と施され、これらの多くが業界スタンダードとなりました。

さらに、セガが平成5年12月にリリースした『バーチャ・ファイター』も、パンチ、キック、ガードと方向レバーによる絶妙な組み合わせと、3DCGで表現できる多彩かつスムーズなアクションで、格闘ゲームにおける駆け引きをさらに進化させました。

ゲームセンターも、このような競技性のあるタイトルを活用しない手はありません。「eスポーツ」という名称ではなかったものの、本作をきっかけに国内各地のゲームセンターで「ゲーム大会」が行われました。つまり、ゲームを競技として扱う若者カルチャーが、本作を契機に日本や欧米で広がっていったのです。その進化の先に「闘劇」や「Evolution Championship Series(通称、EVO)」といった、格闘ゲームの祭典が生まれました。

もちろん、『ストリートファイター』シリーズも『バーチャ・ファイター』シリーズも、これ以降、アーケードだけでなく家庭用ゲーム機をはじめとしたさまざまなプラットフォームへと展開され、正規ナンバリングタイトルについても、現在まで生み出され続けています。

『ストリートファイターII』のゲーム画面。画像は平成30年に発売された『ストリートファイター 30th アニバーサリーコレクション』より ©CAPCOM

3DCGが補完する大型筐体ゲームにおける臨場感

大規模化が進むアーケード筐体で、当時とりわけ話題となったのが、3DCGでしょう。この技術は、昭和63年にナムコから『ウィニングラン』がリリースされるなど、まずはレーシングゲームで応用されていきました。セガも平成4年8月に『バーチャレーシング』をリリーズ。レースゲームの3D化という潮流を追随しました。

しかし、圧倒的な没入感を最初期に提示したのが、平成3年9月にサービスインした『スターブレード』です。同筐体はスペースオペラ的ガンシューティングゲームとして、3DCGを大胆に取り入れました。ゲームデザインにおいても、主観視点(First Person View)を採用しつつ、ビーム砲以外の操作を極力排除することで、3D空間における戦闘機戦に完全に没入させることを目指しました。

スターブレードゲーム画面 ©BANDAI NAMCO Entertainment Inc.
スターブレード筐体 ©BANDAI NAMCO Entertainment Inc.

ゲーム中は、小惑星内での戦闘、宇宙戦艦への攻撃など、目まぐるしく画面が変わりますが、前述のゲームデザインのおかげでプレイヤーはほとんど酔いを経験することなく世界観に没入できるのです。これは、現在のVRゲームや、テーマパークなどのライドでも見ることができ、これらの手法が取り入れた先駆け的作品という意味でも後世に影響を与えた作品と言えるでしょう。

異業種の参入で形成された日本的シミュレーションゲーム

プリンセスメーカーのパッケージに使われた原画イラスト ⒸYonagoGAINAX

処女作『王立宇宙軍 オネアミスの翼』を皮切りに、『トップをねらえ!』ならびに『ふしぎの海のナディア』など、アニメ業界の第一線で活躍してきたガイナックスが、同業界で培ってきたキャラクターデザインやストーリーテリングのノウハウを結集させて作り上げたのが、平成3年5月24日にリリースされた『プリンセスメーカー(PC98版)』です。

ある王国で魔王の戦いに勝利した勇者が、身寄りのない少女を自分の娘として育て上げるのが目的。勉強や習い事、武者修業、バイト、家事手伝いなど、さまざまなことを組み合わせて経験させていくと、18歳になるまでに30種類もの結末のいずれかにたどり着く仕様です。

キャラクターのポートレートや、主要シーンのいずれにおいてもアニメ作品を彷彿とさせるハイクオリティのグラフィックが提示されるシステムは、育成シミュレーションゲームのみならず、後の恋愛シミュレーションゲームなどにも実装されていきます。以降、さまざまなプラットフォームで台頭する育成/恋愛シミュレーションゲームの原点になったと言えるでしょう。

プリンセスメーカーのゲーム画面ⒸYonagoGAINAX

日本で一般的だったシミュレーションRPGに、ターン制ではなくリアルタイム制を導入したことで、これまでにない臨場感を実現したのが、平成5年3月12日にクエストよりリリースされたスーパーファミコン向けの『伝説のオウガバトル』です。

壮大な世界観と都市や教会など複雑な社会性が織り込まれた世界には、単なる勝敗だけではなく、戦い方に対する「カオスフレーム」という評価要素が組み込まれていました。その評価によって到達するエンディングが変わるというデザインは、マルチエンディングのさらに先を行くと言っても過言ではないでしょう。

この俯瞰視点のキャラクターデザインに影響を受けた作品も多く、のちに生まれてくる2.5DのMMORPGにもそのスタイルの片鱗を見ることができます。

そして時代は3Dとオンラインへ

ここまで、インターネットが全盛になる前の「平成」を追いましたが、平成6年以降は、3D表現が可能な家庭用ゲーム機が登場します。そこに新たな技術が加わることで、革新性が際立つということを垣間見ることができるでしょう。

また、今回スポットライトを当てた期間には、もちろん、ほかにも数多くの名作が生まれ、現在にも続く主要シリーズとなっているのですが、「シリーズモノ」としての名作ランキングなどは、また次の機会に。

懐かしのゲーム機がミニサイズで相次ぎ復刻! ブームの背景を探る

懐かしのゲーム機がミニサイズで相次ぎ復刻! ブームの背景を探る

2018.10.15

ミニファミコンを皮切りに、小型ゲームハードの販売が相次いでいる

各社のハードに共通する特徴は“エモさ”

単なるレトロジャンルではないスタイルの確立が若年層にも響いた

昨今、「クラシック」や「ミニ」などと称して、往年のゲームハードを小型化したゲーム機の販売が続いています。潮流の先駆けとなったのは、2016年11月10日に任天堂から発売された「ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ」(以下、ミニファミコン)に間違いないでしょう。この時は、生産終了までに230万台が販売され(※1)、発売当初は全世界で入手が困難となる程の人気でした。つまり、任天堂が想定していた以上に需要があったということです。

実際、「クラシック」シリーズ第2弾となった、「ニンテンドークラシックミニ スーパーファミコン」は、2017年10月5日に発売がはじまってから2018年3月31日までに全世界で累計販売数528万台(※2)を記録しています。なお、2018年6月28日よりミニファミコンの販売も再開しました。

ミニファミコン ©Nintendo
ミニ スーパーファミコン ©Nintendo

このような中、かつて、ゲームハード競争のライバルとしてしのぎを削っていたセガゲームスが「メガドライブ ミニ(仮)」の発売を決定。さらに、ソニー・インタラクティブエンタテインメント(以下、SIE)からは、2018年12月3日に「プレイステーション クラシック」(以下、PSクラシック)の発売が控えています。

メガドライブ ミニのイメージ ©SEGA
PSクラシック
©Sony Interactive Entertainment Inc. All rights reserved.
Design and specifications are subject to change without notice.

往年の作品を再販売するというのは今回に限ったことではありません。ソフトに限れば、ナムコ(現バンダイナムコエンターテインメント)は「ナムコミュージアム」と称して、80年代にゲームセンターで一世を風靡したゲームタイトルを、プレイステーション向けに販売。この他に、ファミコンのタイトルを携帯型ゲーム機「ゲームボーイアドバンス」向けにリメイクした「ファミコンミニ」シリーズなども2004年にリリースされ、話題となりました。また、往年人気を博した多くのソフトが、最新プラットフォーム向けにダウンロード販売されています。では、これらの試みと、前述の展開とでは何が違うのでしょうか?

「エモさ」がゲーマーの食指を動かした

今回流行している商品群の特徴を、一言で表現すると「エモさ」につきます。とりわけ、これらのハードをかつて実際に所有していた、30代から40代の年齢層に対してです。というのも今回は、ソフトのみが提供されているのではなく、ハードの外観から、外箱パッケージデザインに至るまで、発売当時のものを再現しているのです。ゲーマーにとって、ゲーム体験は、パッケージをショップで手に取った瞬間からはじまるわけですが、これらの商品開発者はまさにその瞬間を再現したかったのでしょう。

PSクラシックのパッケージ
©Sony Interactive Entertainment Inc. All rights reserved.
Design and specifications are subject to change without notice.

さらに、内蔵されたソフトのラインアップも、細心の注意を払ってキュレーションがなされているように見受けられます。とりわけ多くの人にとって思い入れが強いであろう作品をセレクトしているのです。

ミニファミコンを例にとると、任天堂およびセカンド・パーティタイトルとしては、最初期のラインアップだった『ドンキーコング』からはじまり、社会現象となった『スーパーマリオブラザーズ』、そして後半期に話題となった『星のカービィ 夢の泉の物語』まで、サード・パーティタイトルも往年の名作と言える『パックマン』から、傑作アーケードゲームの移植タイトルである『魔界村』や『スーパー魂斗羅』、さらには、ファミコンとともに育まれたIPとも言える『ファイナルファンタジーⅢ』など、ソフトの発売時期、開発元に関わらず「エモい」作品の数々が一堂に集結しているのです。

とは言いながら、全てを当時のままに再現しているわけではありません。ソフト内蔵からはじまり、HDMI接続、手のひらサイズ化、常時セーブ機能設置など、ゲームプレイをセットアップするうえでの「煩雑さ」は完全に排除されました。その結果、プラスの想い出は拡張されながら、マイナスの想い出は除かれる――。まさにこれらのハードは、往年のゲーマーにとっての「エモい」が、そのまま物質化されたものと言えるでしょう。

SIEもその点を充分理解しており、PSクラシックのマーケティング戦略も、まさにかつてのユーザー層に「エモさ」を訴求する手法を採用しています。まずは、発売予定日。オリジナル機が初めて発売された日、すなわち、12月3日にあわせてきました。さらに、関連広告もオリジナル版発売時にお茶の間を席巻した「1・2・3」を連呼する広告に極めて近いものを展開。当時の興奮を完全再現しています。

新規ユーザーにも受け入れられる「アートスタイル」

もちろん、往年のユーザー層に「エモい」体験だけを与えることが、結果につながっているわけではありません。これら各世代で生まれた作品群のサウンドやグラフィック表現が、アートスタイルとして確立したことが、新規ユーザーを取り込むうえで重要な役割を果たしたと思われます。

ファミコン時代やスーパーファミコン時代を象徴するグラフィックは「ピクセルアート」として、サウンド表現は「チップチューン」として、そのスタイルが普及しました。一方、プレイステーション時代の3D表現は「ポリゴンアート」として整理されつつあります。

昨今、個人や小集団でゲームを開発するインディーズのムーブメントが広がっていますが、これらのムーブメントにおいて、前述のような表現を「スタイル」と捉えて、ゲーム開発を進めているチームも多く、これらのジャンルが現在のゲーマーにも受け入れやすくなる土壌を作り上げました。

その結果、若いユーザーが、クラシック型ゲームハードやソフトを「懐古モノ」としてではなく、「ある種のスタイル」として認識させるに至っています。もちろん、各ゲーム機のためにセレクトされた作品のゲームデザインも洗練されており、初めてプレイする若い人たちでもじっくりと楽しめるものばかりであるということも重要です。

親子二世代で楽しめるクラシック型ハードのこれから

上記の理由から、親世代が買ってきたものでも、家族全員で楽しめるものになっていることがわかります。最近は「戦隊ヒーロー物」などを親子二世代で楽しむという現象が話題となっていましたが、「クラシック」型ハードは、まさにゲームを親子二世代で楽しめるものにしたと言っても過言ではないでしょう。

スーパーファミコンが全世界で4910万台が販売されていたことを踏まえると、スーパーファミコンミニはその1割に当たる台数を販売したことになります。これはまさに「エモい」体験を望んだこれまでのユーザーと、温故知新を求めた新規ユーザーが購入したことで実現された結果と言えるでしょう。一方、プレイステーションは全世界での累計生産出荷台数が1億台を突破している(※3)と言われていますが、「PSクラシック」がこれまでの「クラシック」型ハードの累計販売台数の記録を更新するかどうかに注目が集まります。

<参照元>
※1 IGN.com  2017年4月の報道による
※2 任天堂  平成30年3月期 決算短信 による
※3 Sony Computer Entertainment 2004年5月19日の報道による(初代PSおよびPS oneの合計)