「カレー沢薫」の記事

カレー沢薫

カレー沢薫(かれーざわかおる)

漫画家・コラムニスト

1982年生まれ。デビュー作は「クレムリン」(2009年)。マイナビニュースでの連載を文庫化した「もっと負ける技術 カレー沢薫の日常と退廃」は、講談社文庫より絶賛発売中。(Twitterアカウント: rosia29)。

著書は、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「やわらかい。課長起田総司」(2015年)、「ねこもくわない」(2016年)。コラム集「負ける技術」(2014年、文庫版2015年)、Web連載漫画「ヤリへん」(2015年~2018年)、コラム集「ブスの本懐」(2017年)、「やらない理由」(2017年)、「カレー沢薫の廃人日記 ~オタク沼地獄~」(2018)など多数。切れ味鋭い作品を次々と生み出している。
放置されていた不寛容? 国会まで届いた「パンプス強要」騒動

カレー沢薫の時流漂流 第47回

放置されていた不寛容? 国会まで届いた「パンプス強要」騒動

2019.06.17

最近女性の間で「#MeToo」ならぬ「#KuToo」運動がにわかに盛り上がっている。

「#KuToo」とは「靴」と「苦痛」をかけており、職場や就職活動で、足を痛めるパンプスやヒール靴の強要をやめようという運動である。

そもそもそんなの誰も強要してねえよ、と思われるかもしれない。確かに規定として靴の形状やかかとの高さまで定めている会社はレアだろう。しかし、私の元いた会社でも、規則があるわけでも、誰に言われたでもなく、みな一様に黒のパンプスを履いていた。それが「暗黙のルール」であり、それ以外は「非常識」と見られる風潮は確かにあるのである。

これが就職活動になると、パンプスを履いていないだけで「こいつは常識がない」と見なされ不採用になってしまうかもしれない、ということだ。そうなると女子学生は足を負傷してでもパンプスを履かざるを得なくなってしまう。

正直、パンプスは苦痛

パンプスがそんなに苦痛か、というと、靴の中では殺傷能力が高い方である。これは他人への、という意味ではなく自分へのだ。他人を殺傷したいならカウボーイが履いている、かかとにピザカッターがついている奴を履いた方が良い。

狭いつま先に足の指が密集されるため、私もよく爪で隣の指を切って足を血だらけにしていたし、伸縮性にかける素材のため、あわないパンプスだと試着の時点で靴擦れが出来るレベルなのだ。

世の中には素肌に荒縄で亀甲縛りを施し、その上に上等なスーツを羽織って出社している人も多いと思う。とても痛いだろうが、それは強制されたわけではなく、その人が好きで楽しいからやっているのだ。

つまり、好きでもない上にとても痛いパンプスを強制で履かなければいけないというのは、上等なスーツの下が亀甲縛りなことよりも「異常」なことというわけだ。

この運動はすぐに広まり、いきなり国会でも議論されたという。これにより「厚労相がハイヒール強要を容認」という見出しのニュースまで踊り出ることになった。

完全に自由と言われても困るのでは?

「厚生省に、女がハイヒールを履かないと死ぬ病の人が!?」と驚いたが、記事をよく見ると見出しほどのことはなく、厚労相の発言は「これは社会通念に照らして業務上、必要かつ相等な範囲かと、この辺なんだろうと思います」というかなりボンヤリしたものであり、どっちでも良い事を聞かれた私のリアクションに似ている。

しかし「ハイヒールが履けない女は何やってもダメ」などと強い事を言っているわけではないが、「業務上必要ならパンプス履くべきだろ」という「容認」に聞こえなくもない。すぐさま「業務上ハイヒールが必要な仕事って何だよ」という疑問が挙がり、「SMの女王様」「(ハイヒールでキレッキレに踊る)perfume以外ありえない」などの声が相次いだ。

この社会問題がすぐ大喜利になってしまうのは良くも悪くも「ザ・ツイッター」という感じだ。

確かに「業務上必要」となると、まだかかとにピザカッターがついている靴の方が「ピザを食う時」必要な気がする。

ただ、靴や服装を完全に自由化し、何でもOKにすれば良いかというと、それはそれで問題が起きると思う。ファッションに疎くコーディネートが苦手な人間からすれば、職場に何を着ていいのか全く「指針」がないというのは迷子になるし、接する側としても、車を買いにいってディーラーが、イモ―タンジョ―の完コスで出てきたら「キャデラックしか買うことを許されないのか」と委縮してしまう。就活マナー本に「俺の考えた最強の就活ファッションで挑みましょう」とだけ書かれていても逆に困るだろう

着る側としても、それに接する側としても、社会において服装にある程度規定や模範があるというのはメリットでもあるのだ。

そもそも規定や常識というのは、秩序を作ることにより問題を減らすためにあるものなのだ。しかしそれが元で「足を負傷する」という「問題」が起こっているなら本末転倒なので、やはり解消はすべきなのだろう。

極論に流れない寛容さが足りない

おそらく「#KuToo」を提唱している人も「ドラゴン柄のコンバースで就活したい」と言っているわけではないのだ。最近は「パンプスに見えるスニーカー」なども存在するし、パンプスでなくても地味な靴はいくらでもある。そのような靴を履いていても「パンプスじゃないから非常識」と見るのをやめてほしいという話だろう。

ちなみに私が会社員時代履いていたパンプスだが、黒の革靴ではあったが、つま先は限りなく丸く、ヒールはなきに等しい、今思えばあれはパンプスだったのか、70過ぎのババアが旅行に行くときに履くヤツなんじゃないか、という代物であったが、特に何も言われなかった。

「#KuToo」が求めるのも、そのぐらいの「寛容さ」なのではないだろうか。

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希望を見失う国民「自助」呼びかけと八甲田山「現地解散」

カレー沢薫の時流漂流 第46回

希望を見失う国民「自助」呼びかけと八甲田山「現地解散」

2019.06.10

政府による国民の「自助」呼びかけが、大きく話題となった。

すでに限界であることは薄々感づかれていたが、それを頑なに認めず「ガチヤバイ!? リアルガチでやばいかも!? 新社会人のみなさまへ 受け取る年金少なくなってない!? ねんきんネットで確認だ!」などと煽り、ツイッターアカウントを燃やしてまで「将来のために」年金支払いを促してきた政府だが、ついにヤバいどころか「オワコン」であることを認めたということだ。

つまり、我々が老になるころには年金だけで暮らせるような額が支払われることはまずあり得ず、明言はされていないが「正直ゼロまである」ことを視野にいれ、今の内から年金を当てにしない老後の資産形成を各々しておくようにという「自助」を呼びかけたのだ。

まさにその「老後の準備」のつもりで「自助」のために年金を収めていた国民はこの宣言により、軒並みスペースキャット顔と化した。さらに、年金は崩壊したのでこれからは年金を徴収しないし、今まで取った分は返すのでそれを元手に自助をしろと言うのかと思ったら、「これからも取る」し「返しもしない」ようだ。

そう宣言しているわけではないが、今後の年金徴収と今までの徴収分については全く触れていない以上「何も言わずに続ける」と考えるしかない。

これは八甲田山での現地解散に似ている。

八甲田山で自助宣言は「とても、つらい」

私の大好きな史実を元にした創作「八甲田山」は、八甲田山の雪山での訓練中、軍隊が遭難する話だ。

隊は這う這うの体になりながら、何とか統率を取って進んでいたものの、ついには断崖絶壁の行き止まりにぶち当たる。とうとう隊長が「天は我々を見放した」と宣言し、隊は事実上解散状態。あとは各々フリースタイルで帰路を目指すように、ということになってしまったのだ。

年金の終了を宣言しながら「よって年金に変わる物を政府が考える」のではなく「各々の努力で何とかしましょう」と言ってしまっている点がまさに、それである。創作なら良いが、自分が同じようなことをやられると「とても、つらい」ということがわかった。また一つ八甲田山の解釈が深まったという点だけは良かった。

しかし「天は我々を見放した」と言われた軍隊がどうなってしまったかと言うと、多くの者が希望を失い、その場に倒れ絶命してしまった。それと同じように怒り以前に「絶望」してしまった国民も多く「この国に生まれて来たメリットが見いだせない」「自助より安楽死を合法化した方が早い」と、悲観的なコメントが相次いだ。

スマートに老後を生き抜く方法、素人にはオススメできない

しかし、政府も全くノーヒントで雪山を下れと言っているわけではなく「人生100年時代を生き抜くための年代別資産形成モデル」を提示している。

このモデルが、また国民を脱力させ、多くを雪の上に倒れ伏せさせたと話題だ。このモデルはグラフ状であり、横軸は30歳ごろ40歳ごろという年代、そして縦軸は「預貯金などの資産額」だ、この縦軸には何と数字がない。

確かに、家族人数や住んでいる場所などで、必要老後資金の額は全く違うので、具体的数字を示すのは難しいのかもしれないが「何歳までにこのぐらい貯めておこう」という指針もないまま、ただ年代が上がるにつれ「預貯金額は右肩上がりに上がるはず」ということだけが示されている。もしかしたら、画像のトリミング段階で金額部分をカットしてしまったのかもしれないが、この時点で、東西南北が描かれていないに地図を渡されたに等しい。

途中「結婚」「住宅購入」「教育費」など、大きな支出イベントも記載されているのだが、それらがあっても資産グラフは全く「減り」を見せず「何があっても年齢に比例して資産額は上がる」ことになっている。大体、どんなモブキャラでも、ライフイベントがこれしか起こらないことはないだろう。病気や失業など、資産が思うように貯められないアクシデントはいくらでも起こる。

そして定年年代になると「働く期間を延ばす」とザックリ言われ、その期間もさらに資産現役時と同じペースで増えるようになっている。

そして70過ぎたら、その潤沢に貯めた老後資産で計画的に生活し、90過ぎても運用継続を考え、自分の葬式代も用意しておこう、となっている。

せめて、すがりつく希望が欲しい

果たして90歳過ぎて資産運用ができるだろうか、その年になったらせいぜい「振り込み詐欺に気をつける」くらいしかできないような気がする。

つまり誰が見ても「こんなに上手くいくわけがない」とわかる代物だ。これだけ渡されて、雪山を降りろと言われたら、それより楽に死にたいですと言いたくなってしまうだろう。

年金がもう無理なのは仕方がないし、「今の段階で素直に認めてくれてまだ良かった」という人もいる。しかし、国民を絶望させるのは良くない、絶望は人間のやる気を奪う上、やる気の残っている人間が国外に逃亡でもしたら、ますます国力が落ちてしまう。また、絶望した人間は何をしでかすかわからない、という危険性がある。

年金がオワコンなのだという事実を発表するのは良いが、だがこうすれば生きられるという「希望」を、もっと具体化させてから発表して欲しかったような気もする。

今回示したモデルは「救助隊が助けにきた幻覚」に近い気がする。

令和になっても勢いやまず、「実写化映画」の是非を考える

カレー沢薫の時流漂流 第45回

令和になっても勢いやまず、「実写化映画」の是非を考える

2019.06.03

二次元原作の「実写化」作品がますます増えている

成功作もあるが…、実写化へのイメージは否定先行になりがち

映画デビルマンは一周まわってむしろイケる

当コラムは事前に担当から、ネタ候補が数点送られてくるのだが、その中に「実写化 映画の是非」というテーマが入っていた。

これは、合法的に「映画デビルマン」の話をするビッグチャンスである。終身雇用オワコン、年金終了のお知らせ、など、世間がもっと関心を寄せているニュースがあることは百も承知だが、それどころではない。

というわけで今回は実写化映画についてだ。

繰り返される原作ファンの失望

まず実写化とは、漫画やゲームアニメ等、二次元の原作を元にそれを三次元の役者が演じることである。二次元を三次元化することに関しては、常に一定数「否定派」が存在する。

先日、人気漫画「かぐや様は告らせたい」の実写化が発表されたが、原作ファンから、かなり否定の声が挙がっているという。実写化が批判される要因はまず「原作とかけ離れている」という点が挙げられる。

そもそも二次元の物を三次元にする時点で、ある程度無理が生じるものだ。本当に原作に忠実にしようと思ったら、人間の奥行をなくすことから始めなくてはいけない。この時点で役者は死んでしまう。

絵柄が、目が顔の半分以上ある、頭髪が自然界にない色をいているなど「二次元の良さ」を生かしたものであればあるほど、原作と実写の乖離が激しくなる。さらに「似せる努力すら感じられない」ものになると、ますます原作ファンは拒否反応を示してしまうのだ。

同じ実写化でもドラマ版「きのう何食べた」は、私の知る限りではかなり評判が良いように思える。評判が良い理由はやはり「原作に忠実」という点が大きいようだ。

またビジュアルだけではなく、実写化となるとストーリーも変えられている場合が多い。

実写化映画には、原作が50巻以上出ているもの、まだ未完のものなども珍しくない。それを二時間の映画にしようと思ったら、ストーリー改変は不可避であり、中には原作にはない「映画版完全オリジナルストーリー」で公開されるものもある。

また原作には存在しない「実写版オリジナルキャラ」が登場することもある。さらに、このオリジナルキャラと、原作には全くなかった「恋愛要素」が追加されることすらある。

この時点で、原作ファンは怒り過ぎて逆に解脱してしまう。

つまり、実写化に対して、否定派のほとんどが「原作が好きな人」なのである。原作が好きであればあるほど、そのイメージが壊されてしまう可能性がある実写化に「二次元のままで良いじゃないか」「X軸を追加する必要性がどこにあるのか」と感じてしまうのである。

実写化されるには理由がある

このように、漫画などの実写化が発表されると、大なり小なり「やめてくれ」の声が挙がる。しかし、実写化は加山雄三がブラックジャックをやっていた時代から、なくならないし、むしろ増加傾向にある。

何故かというと、何だかんだ言って、完全オリジナルの映画より、漫画原作の映画化は良くも悪くも「話題性」があり、客を呼びやすいそうだ。確かに、否定派ももっと否定するために見に行く可能性は大いにある。また原作者に払う著作権使用料が、意外なほど安いという理由もあるそうだ。

実写化というのは必ず原作者がOKを出しているものである。中には、実写化の話は山ほど来ているが、原作者がOKを出さないから、実写化されないものもあるのだ。前述の「きのう何食べた」が人気漫画でありながら、今まで実写化されなかったのは企画段階で「料理部分をカット」など、原作者的に納得できない話が多かったから、という話もある。

もちろん、気軽にOKしたら思いもよらないものが出来上がってしまった、という事は多いにあるだろうが、どんな原作からかけ離れたものでも一応「原作者承知の上」なのは確かなのである。

原作者が己の作品の実写化に対しどう考えているか、というと、当然作家にもよるだろうがかぐや様の作者は「映画から原作に興味を持ってくれる人もいるはずだ」と実写化に対しポジティブな意見を表明している。確かに私もその昔、原作の方を知らないまま「映画ピンポン」を見て、そのまま原作漫画を全巻揃えたたた。実写化が原作に利益をもたらす可能性は十分にあるのだ。

実写化はデーモンになっちまいかねない「賭け」だ

だが逆に、原作ファンが増えると期待してOKを出して完成したものが、「伝説のクソ映画」として歴史に名を刻んでしまう、というリスクはもちろんある。

それが冒頭に言った「映画デビルマン」だ。

実写化に対しファンが否定意見を出すのは「デビルマンの再来」を恐れているから、という理由は大いにあり得る。それは恐れて当たり前だ。過去あまたの実写化クソ映画の存在が、今日の実写化に対する根強い不信感につながっている可能性はある。 

映画と漫画は別物と言っても、自分の好きな漫画が原作の映画が、ことあるごとに「クソ映画代表」として名前が挙がるのは、原作ファンとしては辛い物があるだろう。

このように、メリットもあればデメリットもある、まさに「賭け」とも言えるのが「実写化」なのである。

あと、映画デビルマンは個人的に一周回って「成功作品」だと私は思っているので、ぜひ見てほしい。