藤田朋宏の必殺仕分け人

ライザップと大塚家具に見た、組織のために大事なたった1つのこと

藤田朋宏の必殺仕分け人 第2回

ライザップと大塚家具に見た、組織のために大事なたった1つのこと

2018.12.11

ライザップに大塚家具、どうして経営不振に?

組織のために大事なことを見誤ってはいないか

仕事には「なぜ自分たちが」が絶対に必要

「この仕事、自分がやらないとダメなんだっけ?」

これを読んでいる皆さんも、そう思ったことはないだろうか。僕の場合は本質的に労働にはまったく向かないタイプの人間なので、1時間ごとにそんなこと考えていたりする。

さて、僕は極端な例かもしれないけど、多くの人にとって「これって、なんでやらないとダメなんだっけ?」という所が明確じゃない仕事は、やっていて面白くないし、捗らないことだろうと思う。

今回は、つまるところ、組織運営を考える上で重要なことは、この「なんのために」というところを、その場で働く一人ひとりがしっかり認識できるようにすることだと言っても良いのではないかと、偉そうに書いてみることにした。

ライザップは「結果にコミット」を貫けばいい

少し前の話だが、ライザップの経営状態が結構な話題になった。僕といえば、世の中、計画ほどうまく行ってない会社なんていくらでもあるというか、計画ほどうまくいかないことの方が多いわけだし、日本中の話題になるほどの規模の会社でもないのに、みんながライザップ、ライザップと言ってるのを見て、ライザップってずいぶんと人気があるんだなぁと思っていた。

印象的なテレビCMで世間に広く知られることになったライザップ

世の中の議論の中心は、「本業にシナジーがない会社を買いすぎてまとめられていない」というもの。中には「負ののれんの仕組みを使って不当に利益をカサ増ししている」なんて報道や、「三顧の礼で招聘したプロ経営者と古参の経営者の仲が上手くいっていない」なんてものまであったりする。そこまでいくと、経済ニュースの形をしているが、もはやただのゴシップニュースだと僕は思う。

実際にライザップの中の人がどう思っているのかは知らないけれど、僕から見えるライザップの本業は「褒めてやる気にさせて結果を得てもらうこと」だ。ライザップの最初の成功は、「糖質制限」という継続的に頑張るにはなかなか根性が必要なダイエットの方法論を、ライザップのスタッフが顧客の一人ひとりを褒めてやる気にさせて結果を出してきたことにある。

そんなライザップが、糖質制限に始まり英会話やゴルフだけでなく多くの「個人」をやる気にさせる事業から、さらに大きく「会社」をやる気にさせて、今よりも良い会社になってもらうことを次の事業に選んだのは、自然なことだと感じている。本業とのシナジーがないとかじゃなくて、本業の延長戦上のまさにど真ん中で戦うことにしたんだなと。

ライザップゴルフも、ジーンズメイトの買収も、やる気に火をつけ、「結果にコミット」させる、という点では同じだ

そしてライザップが、糖質制限に変わる「変えるための手段」として選んだのが、“三顧の礼”で迎え入れたという「プロ経営者」松本晃氏の経営の方法論なんだと僕は思う。同氏の人となりは僕は全く知らないけれど、実績もしっかりある松本氏を迎え入れて、ライザップは素晴らしい「方法論」を手に入れたんだなと思ったのだ。(僕もイチ経営者として羨ましい限りです。)

本業のど真ん中の上で着実に事業の範囲を広げようとした結果、買収した会社の健全化が少々遅れて、当初思ったほどのスピード感では利益が上がらないなんてことは、彼らがやりたいことの壮大さと比べたら些細なことだ。

なのに、どうして社会はみんなでライザップの経営方針を「ホラ見たことか」と叩く方向に回ってしまうのだろうか。そりゃもちろんライザップの株主だったら、買収した各社の再建のタイミングがずれていることを批判する権利もある。しかし、我々のようなライザップの株主でもなんでもない人が寄って集って叩いているのは、なんだか滑稽に見えてしまう。

ライザップがこれまで多くの人の結果にコミットして痩せさせてきたように、同社はこれからも多くの会社の経営を健全化していって欲しいな、とまったくの第三者としての僕はシンプルに願っている。

もちろん全員が糖質制限に成功して痩せられたわけではないのと同様に、買収した会社のすべてが成功するわけはないと思うけれど、結果にコミットするライザップに褒められて、いくつかの会社が蘇ったら、ただそれだけで単純に社会のために良いことだ。世間はもう少し長い目で見て応援してあげれば良いのではないか。

僕も20年ほどコンサルタントや中小企業の経営者やらをしてきたが、つくづく感じているのは、どんな規模の組織でも、一人一人が「自分たちは何を社会に提供することに長けているのか」「今は長けていなくても、将来何に長けたいと思っているのか」という認識を統一するのが、組織のパフォーマンスを最大化させるためにもっとも大事ということだ。

少なくともライザップという組織は、「顧客を応援することで結果を出させる」ことには誰よりも自信があるはずで、実際にそれで成功してきた。つまらない外野の雑音に惑わされず、その自信を保ち続けるような経営をしてもらいたいと切に思う。

まぁ、そんな外野の一人である僕がこんなところで応援しなくても、そんなことはわかってるよって言われそうですけどね。

「この分野で1番」を貫けなかった大塚家具

ところで、もう1つよく話題になった企業に大塚家具がある。

数年前、社長の娘さんを擁するコンサル屋さんたちがつくった大塚家具の再建案を見る機会があった。僕は、「もし、この再建案で進んだら、間違いなく数年以内にヤバいことになる。賭けてもいいですよ」と周りの人に言っていたのだけれど、当時は「お前は相変わらず極端なこと言うなぁ」という反応ばかりだった。

大塚家具 新宿ショールーム(編集部撮影)

IKEAやニトリのようなカジュアルな家具が急速に台頭する環境に合わせて、大塚家具は高級家具とカジュアル家具の真ん中のボリュームゾーンを狙う~という案だ。僕は端的に言うと「こりゃダメだ」と感じた。

当時、なぜか世間ではわからず屋の老害役にされてしまっていた創業者の大塚勝久氏は「自分たちが売っている家具の良いところを丁寧に説明する」というコンセプトであれだけの企業を作ってきた方だ。

だからこそ、僕のような経営者の端くれでもわかるような、「この再建案では、組織をまとめる事は出来ないし、あっという間に会社はバラバラになってしまうだろう」ということは、心の底からわかっていたんだと思う。

その後の数年で大塚家具がどうなったかは皆さんご存知の通り。娘さんを擁するチームに経営権がうつり、大変なことになっていると報道されている。経営状態に関する報道なんていつもだいたいあてにならないが、残念ながら本当なのだろう。

IKEAやニトリが急速に台頭する中で、横軸に値段、縦軸に品質を置いた見栄えの良い絵を見せられながら、高級とカジュアルは他社に任せて、自分たちは真ん中のもっともボリュームがあるゾーンを狙えば大塚家具はまた勝てると聞けば、少しでも早くその戦略を進めるべきだって思う人が多いのもよく分かる。

新宿ショールームにて(編集部撮影)

でも、会社の戦略を考える上で重視しなければいけないポイントは数え切れないほどたくさんあるけれど、一番大事なのは「その戦略の下で人は生き生きと働くことができるか」に違いないのだ。

極端なことを言えば、企業戦略なんていくらでも“正解”があるわけで、一番大事なのは戦略の中身そのものよりも、社長から新入社員に至るまでの全員が「少なくとも自分たちは何に長けた会社であると社会に言いたいのか」をしっかり理解し、共有していることではないかと思うのだ。

特に、巡航状態の会社ではなく、創業時期や、再建時期などの修羅場においては、戦略そのものよりも、全社員の意識が統一されているのが何よりも大事になる。この視点で考えると、高級とカジュアルの間を狙うという絵だけでは、組織の一人ひとりの心を1つにはできないはずだ。少なくとも「我々はこの軸で1番になろう」と明確に言われる方が、よほどやる気が出る。

選択を迫られる辛さ

再建案はどうすればよかったのか。“品質や値段の軸とはまったく違う軸”を考えて、その軸の上では「大塚家具こそが一番である」と思えるような戦略を立てればよかっただけなんじゃないかと思う。すごく単純な話だ。

で、それはもともと勝久氏がやっていたことなのだから、あのタイミングで「どこよりも説明をしっかりしてくれる家具屋さん」を改めて徹底するという戦略でも良かっただろうし、他に何かいい軸があればそっちにふっても良かった。

どの戦略をとっても、結局は高級家具とカジュアル家具の間のボリュームゾーンを狙うことになったかもしれない。でも、それをそのまま口に出すようでは経営戦略として成立してないでしょ、ということだ。

軸を工夫することによって、自分たちの会社を「一番右上」にプロットすることはできたはずで、その軸を考えることが「経営戦略を考える」ことなんだと僕は思う。娘さんチームの中には、本当の意味で「経営」をしたことがある人が1人も居なかったんだろうと、僕は思うのだ。

起業家という辛いことばかりの職業を選んでしまった人間にとって、自分が作り上げてきた会社や従業員たちは、実の子供のように、もしかしたらそれ以上に大切なものなのだ。

当時の勝久氏は、その子供のように大切な会社や従業員達と実の娘のどちらかを選ぶことを娘に強要されて、しかもその苦悩の中で、なぜかマスコミからは頭の固い老害扱いされ、そして結局どちらも手放すことになった。当時の同氏の苦悩を想像すると、なんだか僕もすごい辛い気持ちになる。

その後、勝久氏が始めた会社の方は順調に地固めが進んでいるようだ。娘さんの会社の方も「自分たちはなんのために家具を売っているのか」を、組織としてしっかり取り戻して欲しいと切に願う。まぁ大塚家具の顧客でも株主でもない僕が、こんなところで応援しても、あんまり意味はないよなぁと思いつつも、応援しています。

企業のトップが選択を迫られるのは、とても辛いものだ
「選択と集中」が進みすぎた、日本の科学技術への投資

藤田朋宏の必殺仕分け人 第1回

「選択と集中」が進みすぎた、日本の科学技術への投資

2018.11.15

ちとせグループCEOの藤田朋宏氏による新連載

巷を賑わす”ヘンな出来事”の問題点を、独自の解釈で洗い出す!

第1回は、「日本の科学技術投資」について

バイオベンチャー企業群「ちとせグループ」のCEOを務める藤田朋宏氏による新連載。“手段と目的の違い”によって生じた「ヘンな出来事」の問題点を、独自の視点で語ります。第1回は、「日本の科学技術投資」について。日本の科学技術への投資の問題点とはいったい何なのでしょう?

才能と“伸びしろ”に投資する、日本サッカー協会

先日、クアラルンプールに出張したときのこと。宿泊先のホテルが偶然にもサッカーの日本代表と同じだった。「日本代表」と言っても、同じホテルに泊まっていたのは本田や長友ではなく、U-16アジア選手権に参加している若い選手たち。

そこで彼らを見ていて、ふと考えた。日本サッカー協会の「選手への投資」は、実は凄く効率がいいのではないか。どうしてそう思ったのか、順を追って説明したい。

ホテルに置いてあったU-16アジア選手権のバナー

チェックインを済ませ、「部屋の準備があるから、ちょっとだけそこで待っていて」と指示するホテルマンに従い、ひとりロビーに放置されている間、何となしに選手の情報を調べてみた。それから一時間半。23名の選手一人ひとりの顔だけでなく、利き足まで覚えるくらいの時間が経っても、僕はまだロビーで放っておかれたままだった。まぁ、東南アジアではよくあることなので、腹は立たなかった。

ところで、「過去のU-16日本代表がその後、何度も日本代表に選ばれる割合はどれほどだろうか」と疑問に感じ、調べてみたところ、各年20数名の代表選手のうち、現役で活躍している選手は約1人であることが分かった。確かに16歳の段階では身体の発達に差があるし、試合で活躍できるかは運の要素も絡む。コーチとの相性やケガの問題もあるだろう。

そうは言っても、16歳の時点で日本代表に選ばれるだけのポテンシャルを持つ選手のうち、その数%しか将来も活躍できる選手がいない、という事実には驚いた。実際、長谷部、本田、岡崎、長友……など、この10年で活躍している選手たちの多くは、16歳時点ではそこまで期待されていなかった選手ばかりだ。

ではなぜ、そういった選手が後に日の目を浴びられたかというと、それは彼らにも「チャンス」を与えられていたからだろう。日本サッカー協会は、16歳時点で選抜したトップ選手だけに集中投資するだけではなく、同年代の他の有望選手にもしっかりとチャンスを与え続けられるような仕組みをつくれたのだと思う。

際立って目立つ選手だけではなく、将来の伸びしろがありえる選手にも、最低限のチャンスは回ってくることで、未来のトップ選手の育成が図れる。そうやって日本サッカー協会はこれまで、世界に通用するような選手を輩出してきた。

「科学技術に投資せよ」ではなく、予算配分の再考を

前置きが長くなってしまったが、ここから本題に入りたい。

先日、京都大学特別教授の本庶佑先生がノーベル賞を受賞したというニュースが流れた。「自分がバイオテクノロジー業界で働く人間だから」というのは関係なく、本庶先生と周りのチームの方々の長年にわたる科学に対する貢献が認められたこと、その事実に接した関係者の気持ちを想像すると、とても嬉しい気持ちになった。

ノーベル賞メダル(レプリカ)

近年、日本人のノーベル賞受賞が続いている。彼らのような日本の科学業界の仕組みをよくわかった方々は、これまで数多くのご苦労をされてきたことだろう。しかし、1つ残念なこともある。能力はもちろん、人格的にも優れたそういった先生方が、ノーベル賞受賞のタイミングでマスコミに発表する一世一代のコメントが「日本国の科学技術投資、科学技術教育のあり方についての憂い」であることだ。

僭越ながら、先生たちのコメントを解釈すると、よくニュースで取り上げられるような「科学技術にもっとお金を使え」ということではなく、その先にある「国家予算の配分」についての指摘をしていると認識している。

誰がなんと言おうと、日本の科学技術投資の選択と集中は年々進んでしまっているのが現状だ。しかし、先生方のいうような「選択と集中が進みすぎている」という指摘に対して、「日本にはもうお金がないのだから科学技術にばかり投資できない」と答えがずれてしまっている。

これこそが、日本の科学技術投資における問題ではないだろうか。

日本にはびこる「選択と集中こそが正解だよ病」

随分前からずっと不思議なのだが、そもそも「選択と集中こそが正解である」なんて、誰がいい出したのだろう。「選択と集中」の戦略で物事をうまく切り抜けられるようなことは、本当に生きるか死ぬか、背水の陣を敷いている時くらいだと思うのだ。

今の日本の「選択と集中こそが正解だよ病」はなかなか根深く、そもそもの目的を実現することよりも「選択と集中」を行うことそのものが目的になっているんじゃないかと感じることが多い。

今の日本で行われている多くの意思決定の場面で、サッカーの例で言うと、U-16日本代表を選んだ人のメンツを潰さないということが、強い日本代表をつくることよりも優先されてしまっているように思う。

そのため、16歳の時点で選んだ選手だけに集中投資し、16歳の段階で選ばれなかった他の選手のポテンシャルに賭けることもしないというような「選択と集中が正解である」という間違えた進め方で意思決定が行われているようなことが多いように感じる。

サッカー選手の育成でも、科学技術の投資でも初期の段階で選抜してそこだけに集中投資するという戦略を繰り返せば繰り返すほど、全体としての力は落ちる一方になるのではないか。歴代のノーベル賞受賞者の先生方も、そういうことを言いたかったのではないかと思う。

手段であるはずの「選択と集中」が、目的となっている?

私は、「16歳の段階で、将来素晴らしいサッカー選手になる人物を見分けられる」なんて言葉は、伸びしろのある選手に対しておこがましいと感じる。これは科学技術の研究にも同じことが言える。「その研究が将来素晴らしい成果を残すかどうか見分けられる」なんて言葉は、科学者に対しておこがましい。

もっと言ってしまえば、どの研究が将来化けるかの判断は、16歳のサッカー選手の成長を言い当てることより遥かに難しいだろう。なぜならば、サッカーという競技のルール自体は変わらないが、科学と言う競技はルール自体を決めているので、科学研究の将来性をあらかじめ予測するのは16歳のサッカー選手の将来性を予測するより難しいためだ。

そんな中、日本サッカー協会が幅広い底上げに力を入れ、紆余曲折も有りながらも右肩上がりの成長を維持できているにも関わらず、日本の科学技術投資は過剰な「選択と集中」を強めるが故に、科学技術力の相対的な低下を招いているように感じる。

その差はいったい何か? これは1つの仮説でしかないが、日本サッカー協会の強さの秘訣は、会長の独断で物事を決められる側面が強い組織であるために「目的」がハッキリしている点にあるのではないだろうか。

その一方で、日本の科学技術投資のような“数多くの人の善意の組み合わせの上になり立っている意思決定機構”では「選択と集中を進めることが正解である」という、本来手段の一つである価値観が「目的」となってしまっているように感じる。

本来考えるべきは、「日本の科学技術をどうするべきか」ということであるにも関わらず、その手段と目的が逆転しまっているのではないだろうか、と思うのだ。