カレー沢薫の時流漂流

デザイン、知名度、キャッシュレス…話題は尽きない「紙幣のデザイン刷新」発表

カレー沢薫の時流漂流 第39回

デザイン、知名度、キャッシュレス…話題は尽きない「紙幣のデザイン刷新」発表

2019.04.22

漫画家・コラムニスト カレー沢薫さんの社会派連載!

第39回は、「 紙幣のデザイン刷新」発表について

令和の話題が落ち着いたかと思いきや、今度は紙幣のデザインが刷新されることが発表された。

元号が変わるからついでに紙幣も変えよう、という謎のセット販売かと思いきや、紙幣は偽札防止のため20年ごとに刷新されるのが通例であり、それがたまたまかぶっただけだそうだ。実際、紙幣が変更されるのは2024年でまだ先の話である。ただ、前回の刷新時よりも3年ぐらい発表が早いようなので、そういう意味で改元に「合わせた」可能性はある。

では、さっそく新紙幣の「顔」になったイカれたメンバーを紹介しよう。

企業のことなら俺に任せろ、資本主義はワシが育てた、ろくろが唸る、新一万円札「渋沢栄一」。舐められたくなきゃアタイの車に乗ってきな、女子教育の始祖、津田塾大学初代ヘッド、新五千円札「津田梅子」。誰が稲造やねん!こちとらペスト発見しとるっちゅうねん! 日本細菌学の父、新千円札「北里柴三郎」。

以上だ。この三人が発表されるや否や、ツイッターでは「誰?」というつぶやきが相次いだ。

私のような第三次産業の末端にいる人間を殺したければ、「カレー沢? 知らね」と言ってやれば即死だが、日本の偉人を知らないと明言するのは、己の無知を露呈しているようなものである。

それなのに何故、私のようにググったのち「前から知ってた風」を装うこともせず、脊髄反射で「知らねえ~」と自信満々に言えるのか。日本は「自分に自信がない国」と長らく言われていたが、この新札における反応を見るに、日本人の己への自信、自尊心はすくすくと育っているようである。

これは過去の偉人を知らないことよりもずっと喜ばしいことである。これこそが、令和を生きる新しい日本人の反応と言えよう。ウィキペディアを見て覚えたての偉人豆知識を披露するのは平成の人間のやることであり、知らないより恥ずかしい。

ともかく新札に選ばれたのは、必ずしも「誰もが知っている」という人物ではなかった。だがそれ以上に話題なのが、新札のデザインだ。これが軒並み「ダセえ」と絶不評なのだ。

我々が新札をダサいと感じる理由は主に数字の位置とフォントだ。今までの札は、左中央に「壱万円」大きく漢数字が書かれ、上部の両端に小さく「10000」という英数字が書かれていた。今回、そのポジションが逆になったのだ。

見慣れぬ英数字が大きくなった上、そのフォントがお世辞にも「クール」とは言えないため、多くの人間が、違和感という名のダサさを感じることとなってしまった。

しかし、今や日本には多くの外国人がいるし、観光で訪れてもいる。日本でしか通じぬ漢数字より、外国でも通じる英数字を大きく書くのは、もはや自然の摂理と言えるだろう。デザインとしてはダサくなったかもしれないが、紙幣として「明快になった」のは確かである。

それに何せ金である。どんなにダサい札でも、それに書いてある額の買い物ができちゃうとわかれば、愛着がわくに決まっている。

福沢諭吉が「諭吉」と呼ばれ、女にモテて男に好かれるという「憎いね旦那」としか言いようがない地位を長らく保持していたのも、彼がイケメンだからではない。文字通り彼に「価値」があったからであり、これからは「栄一」が日本国民の彼ピッピになるのだ。

日本のキャッシュレス化を妨げる「フェチ」

だが、紙幣のデザインがダサい以前に、紙幣を持つこと自体ダセえよ、と諸外国に思われている可能性がある。

実際、日本は先進国の中でも、キャッシュレス化の遅れが異常だそうだ。

原因は、日本は治安がよく偽札や盗難の恐れが少ないため、現金を持つことに抵抗がないからと言われている。また、クレジットカードや電子マネーを使えるようにするには専用端末をつける必要がある。そのコストと、店負担のカード決済時手数料を嫌がり、導入しない店舗が多いのもキャッシュレス化遅れの原因だそうだ。

それもあるだろうが、単純に日本人が「紙好き」なのも原因の一つな気がする。外国人からは「何で日本人はあんなに紙フェチなんだ、さすがHENTAIという言葉を生み出した国だけあるぜ」と別の意味で一目置かれている可能性さえある。

前回取り上げた転売ヤー問題も、チケットを電子化すれば、スマホを端末ごと転売する必要が出てくるので、かなり防げるはずなのである。それにも関わらず「紙」という、転売しやす過ぎなツールを使い続けるのは、もはや「紙が好きだから」以外、理由が思い浮かばない。どうせ物理チケットにするなら、100キロの銅板とかにした方が転売対策にはなるだろう。

とはいえ、我々作家も「電子書籍より紙の本が出せることに価値がある」と考えがちだし、読者も「紙で欲しい」と言う人が多い。もしかしたら、これも日本特有の考えかもしれない。

もちろん紙には紙の良さがあり、紙にしかできないこともある。トイレットペーパーを電子化すると言われたら困るだろう。しかし「紙を使うことにデメリットがある」場合は、こだわりを捨ててペーパーレス化する必要がある。

ちなみに、マイナビに提出する請求書も紙である。この様式が面倒くさいと同業者間でも絶不評なので、早く電子化してくれないだろうか。

国が転売ヤー撲滅に動き出した「チケット転売規制法」施行

カレー沢薫の時流漂流 第38回

国が転売ヤー撲滅に動き出した「チケット転売規制法」施行

2019.04.15

漫画家・コラムニスト カレー沢薫さんの社会派連載!

第38回は、「チケット転売規制法」について

「転売ヤー死すべし」

何らかのファン活動をする者なら、一度は思ったことがあるだろう。

私も、同人誌即売会で手に入れられなかったDB(ドスケベブック)がその日の内にヤフオクに出品されているのを見た時は、「今、私は冷静さを欠こうとしています」と逆に冷静に言ってしまったほどだ。

私のグッズやサインなども、オークションやフリマアプリで見かけたことがある。ただ単にいらなくなっただけかもしれないが、もしそれで儲けられると思ったとしたら才がない。田舎に帰ることをお勧めする。

しかし、残念なことに転売というのは儲かるらしく、もはや業者化している。遠路はるばる限定の品を求めてやって来たのに、開始5分で列の先頭を陣取っていた転売業者に商品が買い占められてしまった、という話も珍しくない。組織だってやられたら個人はなかなか太刀打ちできないのである。

さらに残念なことに、転売業者が儲かるのは、どれだけ高値でも買う人間がいるからだし、いくら出してでも欲しいというファン心理はわかる。だが、私がソシャゲのガチャに対し「推しが出れば実質無料、むしろ黒字」と言うのは、適正価格かどうかは置いておいて、欲しいキャラが正規ルートで私の元に来て、さらに払った金が公式の元へ行くからである。

私は欲しいものを手に入れ、私の出した金で公式が潤い、コンテンツが繁栄するというなら、黒字以外の何物でもない。しかし転売で物を買うというのは、正規料金以上に払った金は、全部社長の愛人の豊胸手術代に使われると思った方が良い。

どれだけ金を払っても、自分の推しコンテンツに還元されることはなく、社長の愛人がどんどんサイボーグ化していくだけで、推しキャラには新規ボイスひとつ、つくことがないのである。

それどころか、全く正規料金でチケットが取れず、グッズも買えないようなコンテンツは衰退していくだろう。転売ヤーから物を買うというのは、己の推しを殺すことにつながるのだ。

ファンの自主的モラルより運営の対応、最近の事例は

だが、そもそも「何故俺たちのモラルが試され、責められなければならないのだ」という話なのだ。

たまに、いじめは傍観している奴が一番悪い、みたいな話があるが、どう考えてもいじめをする奴が一番悪い。起こっていないことを見物することはできないのだ。

つまり、「転売は利用する奴も悪い」と言って、まずファンに自主的モラルを求めるのはおかしいし、転売ヤーにモラル云々を説くのは、そもそも馬の耳になむあみだ仏っ!だ。

それより、転売自体が起こらないように、運営、そして国がもっとしっかりしろよ、ということである。そんなわけで去年12月に「チケット転売規制法」が可決し、6月から施行される。

規制されるのは業としての不正転売と、そのための仕入れ行為である。同法では、興行主の販売価格を超える価格での転売が禁止される。つまり定価や定価以下での転売は規制にならない。

業としてというのは、商売として継続的にやる意志があるかないかを指し、都合が悪くなり1回だけチケットを転売した、という場合も規制対象にはならない。しかし、実際1回だけでも「継続するつもり」が伺える場合は規制対象になってしまい、違反すると「1年以下の懲役または500万円以下の罰金」が科せられる。

この法により、営利目的の転売が減るのは良いが、同時に、都合が悪くなって催しに行けなくなった人が、他の行きたい人にチケットを有償で譲る行為もしづらくなるとも言える。

もちろん、定価で譲ることは規制されないが、「万が一、業とみなされたらどうしよう」と思ったら尻込みしてしまうだろうし、ツイッターなどで譲り先を募集したら「それ法律違反だと思います」という三つ編みメガネ姿の批判リプがつかないとも限らない。何にしても「やりづらくなる」のは確かだ。

このような、営利目的でない譲渡行為までやりづらくなってしまうと、都合が悪くなった人のチケットはそれ自体が「観賞用」と化し、当日の会場は空席が出来るという、誰も得しない状態になってしまう。

よってここでも、チケットは個人の譲り合いに委ねるべきではなく、「都合が悪くなった人のチケットを、他の行きたい人の手に渡るようにするシステム」を運営側で作るべきだ、という声が上がっている。

現状、そういうシステムを作った運営は少ないが、かといって全く転売対策をしていないわけではなく、入場時の本人確認や電子チケット導入など、色々手を打ってはいるようだ。紙のチケットがいまだに大多数なので転売が捗るのであり、電子チケットは譲渡もオンラインで完結するのですでに実装しているものもある。

最近の例だと、ミュージカル「レ・ミゼラブル」では高額転売されているチケットの日時と席番を公式サイトに晒し、「この席に座った奴は必ず本人確認するし、場合によったら出て行ってもらうからな」とアナウンスしたことが話題になっている。

ただ、仮にこの席に誰か座ったとしても、それは転売チケットを買った奴であり、一番悪い転売ヤーが追い出されるわけではないのだが、「高額転売チケットを買ったところで、観劇出来ないどころか、市中引き回しの上打ち首獄門になるだけだ」と思わせることにより、転売ヤーからチケットを買う行為を萎縮させる効果はあるだろう。

他にも、ファンたちによる「違反通報」などの草の根活動が功を奏し、転売ヤーが「涙目」になる事例も増えてきている。そもそもオタクというのは、目的のためなら、金、時間、労力を全く惜しまないタイプが多い。

それが集団となり「転売ヤーを駆逐してやる」と言い出したら、対抗するには軍隊が必要になる。つまりコストがかかるため転売が儲からなくなり、転売ヤーはいなくなる、ということだ。

しかし、有志による自警団に頼るというのは、映画「デビルマン」を見てもわかるように危険なことなのだ。それが暴走すると人類が滅亡しかねない。

やはり、運営と国が取り締まって行くべきだろう。

新元号発表で霞んだ「働き方改革関連法」の施行

カレー沢薫の時流漂流 第37回

新元号発表で霞んだ「働き方改革関連法」の施行

2019.04.08

漫画家・コラムニスト カレー沢薫さんの社会派連載!

第37回は、「働き方改革関連法」施行について

これを書いている現在4月3日だが、未だに世間は「令和」の話で持ち切りであり、私のツイッタータイムラインでも令和大喜利や、令和クソコラが8割といった感じだ。

もはや、みんな「令和」が発表される前、何を話題にしていたのかすら忘れてしまったのではないか。何らかの粉で電気がグルーヴしてシャングリラになったことさえ、昭和の出来事に感じる。

逆に言えば、同時期に起こった大体のことが「令和」に隠れて気にもされてないということである。むしろ、発表しづらいことは全部「令和」にかぶせるべきだったぐらいだ。

そんな令和の陰に隠れて、視聴率0.002%となった4月1日の他の出来事には何があったのか。

ひっそりと始まった「働き方改革」法

まず「働き方改革関連法」が施行された。ただでさえイマイチ注目度が低かった「働き方改革」が、宇宙一注目されない日にひっそりと始まったのである。

働き方改革については今まで何度か取り上げたが、今回施行されたのは主に「残業の上限規制」「有給休暇の取得義務」そして「高プロ(高度プロフェッショナル制度)」だ。

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カレー沢薫の時流漂流 第2回
魔法少女のノリで、「高プロになってよ」

4月から残業は年720時間以内、単月では100時間未満に制限される。今までも残業規制はあったが、労働者を窓のない部屋に入れて同意さえ取れば、事実上残業させ放題であった。

それを厳格化し、違反した事業主には罰金などが科せられる。これにより「過労死」を防ぐ目論見だ。「まず死なないようにする」という、フロムソフト社製ゲームのような話だが、そのぐらい日本の労働環境がダークソウルになっていた、ということだろう。

次に「有給休暇の取得義務」だが、10日以上の有給休暇が付与される労働者に対して、使用者側に5日の時季指定が義務づけられる。つまり、年間10日以上の有給が付与される従業員には、会社の方が1年以内に5日は有給を使わせないといけない、ということだ。もし、使わせなかった場合、雇う側に刑事罰が科せられる。

日本の有給休暇と、素養のない家に何故かあるピアノほど、使われずに朽ちていくものはない。会社は使いづらい雰囲気を作るし、使う側も、有給とはどうしても使わなければいけない時に使う切り札だと思っているため、ラストエリクサーのように永遠に使われないまま、人生という名のファイナルファンタジーを過労でゲームオーバーしてしまったりするのだ。

どれだけ言っても有給が適切に使われることがないので、今回ついに「命を大切にしない奴は殺す」ぐらいの勢いで、強制的に有給を取らせる法が施行された。

しかし、労働者側にも、「それでも、俺はラストエリクサーを取っておきたいんだ」という人間はいる。そもそも、従業員が休みたい時に休んでいいのが「有給」である。それを「会社都合」で使わされるのは、逆に有給の趣旨に反している気もする。

また、祝日や盆、正月を有給にすり替えようとする企業も出てくるのでは、と言われている。本来休日だった盆や正月の休みを「出勤日」として、そこに有給を使わせ、これまで通りの働かせ方を貫きつつ罰則を逃れるというやり方である。

ただ、今まで休みだった日を出勤日にするのは労働者にとっては不利益なため、正当な理由がなければ認められず、発覚すれば罰則を受ける可能性が高いという。何より「セコ過ぎ」という企業としてのイメージダウンがでかすぎるだろう。

「実質プラス」かはこれから決まる

最後は「高プロ」だが、これは今回「年収1075万円以上」が対象だ。この時点で読者の大半が飛ばして読むだろうし、私も書きたくないぐらいだが、今後この年収額がジリジリ下げられて「高プロ」認定される人間が増えるとも言われているので、そうなると全く他人事ではない。

「高プロ」とは、労働時間の定めなし、残業上限もなしという、一見、高収入の奴を合法的に殺すよう国が動いたように見える。だが、逆に言えば、やることさえやれば、そこで帰ってもいいため、労働効率が良くなる、と言われている。

ただ、定額使い放題では、という意見もあり、施行後にどうなるかは未知数である。

このように大体が労働者にとってプラスな「働き方改革」だが、「実質プラス」になるかは不明だ。ソシャゲのガチャでどれだけ金を使おうが推しさえ出れば「実質タダ、むしろプラス」なのと同じように、働き方改革でどれだけ数字の上で残業時間が減り、有給取得率が上がろうが、働く側が「楽になった」と感じられなければ無意味である。

「残業するな」と強制的に帰されたところで、置いて帰った仕事をやってくれる人間はいない。だからと言って、従業員が仕事を家に持ち帰ったことがバレると会社が怒られるため「仕事の持ち帰り」も禁止される。

結局、残業時間を減らしても、仕事が減らなければ、仕事がどんどん溜まって行くだけなのだ。そして、最終的に「なぜやっていないんだ」と労働者が責められることになる。

これでは労働時間を強制的に減らし、仮に肉体的に楽になったとしても、逆に精神的に追い詰められるケースが増える気がする。

一人当たりの仕事の量さえ減れば、労働時間は自ずと減るはずだ。先に時間だけを減らしても、根本的な解決は難しいのではないだろうか。