シャープ、売却した旧本社は今? 創業者の知られざる意図とは?

シャープ、売却した旧本社は今? 創業者の知られざる意図とは?

2017.05.11

大阪市阿倍野区の旧シャープ本社の袖看板が撤去されてから、1カ月経過しようとしている。

4月15日 旧シャープ本社の袖看板。撤去に向けて白いカバーをつける作業をしている

旧経営体制時に売却された2つの建物

旧本社は、鴻海傘下に入る以前の旧経営陣が、構造改革の一環として、2016年3月にニトリに売却。同時に、本社の向かいにある田辺ビルも、NTT都市開発に売却していた。2つの拠点をあわせた売却金額は約188億円だったという。聖域を設けない構造改革の取り組みの象徴的なものであったが、いま考えると、この金額で歴史的な場所を売却したことは惜しいといわざるを得ない。

(左から)旧シャープ本社、田辺ビル。両方とも旧経営体制のもとで、売却された

2016年4月2日に開催された、鴻海によるシャープ買収の契約締結の会見では、のちにシャープの社長となった戴正呉氏(鴻海グループ副総裁)が、「あの場所は、シャープの歴史がある場所。できれば買い戻したい」と驚きのコメントを発し、ニトリおよびNTT都市開発と買い戻しの交渉をはじめた。結果として、NTT都市開発から田辺ビルの買い戻しに成功したものの、ニトリからの旧本社ビルの買い戻しには失敗。ニトリでは、2017年3月27日から解体工事を開始しており、現在も着々と解体工事が進められている。

現在の旧シャープ本社ビル。白い板で仮囲いされ、ニトリの垂れ幕が……。

計画によると、ゴールデンウイーク明けまでに内装の解体が終了しており、今後4期にわけて、躯体の中抜きや壁倒しなどの作業が行われ、5月20日以降、10トンダンプ一日最大50台を使用して、コンクリートガラの搬出作業が行われるという。8月31日までには解体工事が完了し、整地された様子が見られることになりそうだ。

4月15日。囲いの中では、解体作業が進められている

「SHARP」の大看板はいつ撤去される?

解体工事において、関係者などの関心は、屋上に掲げられた「SHARP」の大看板の撤去だ。4月15日夜には、道路に面した袖看板が撤去されたが、象徴的もいえる大看板が降ろされることで、シャープの旧本社は完全になくなるともいえる。

だが現在、その場所には、仮囲いされ、外から様子を見ることができない。そのため、大看板を撤去する作業の様子は、残念ながら見ることができそうにないのだ。ニトリ側でも撤去する具体的な時期については公表していない。関係者によると、5月中にも、この看板が撤去される可能性が高いという。

シャープペンからの躍進、その後都落ちするも……

シャープが、大阪市営地下鉄御堂筋線西田辺駅近くの旧シャープ本社に居を構えたのは、関東大震災からちょうど1年を経過した1924年9月1日のことだ。

旧本社ビルにあった経営信条「誠意と創意」の碑

多くの人がシャープは大阪本社の企業という印象を持っているだろうが、実はシャープの発祥の地は、東京都墨田区本所だ。創業から12年間は、東京に本社を置いていた。

創業者の早川徳次氏も、東京都中央区の生まれであり、東京・京橋にあった実父の生家は、江戸時代から続く袋物問屋。まさにちゃきちゃきの江戸っ子であった。

では、その早川氏が創業したシャープが、なぜ、大阪に本社を置くことになったのだろうか。少し歴史を紐解いてみよう。

早川氏は、1901年(明治34年)9月に、洋傘の付属品をつくる金属細工会社であった東京・本所の坂田かざり屋に奉公に出た。7年7カ月の奉公を務めた早川氏は、1年間の礼奉公を経て、職人として活躍。そうしたなかで、1912年に、「徳尾錠」という独自に考案したベルトのバックルで、人生初の特許を取得した。19歳の時のことだ。徳尾錠は、バックル部に細いコロを使い、長短自在に止められるように工夫したものであり、この試作品が問屋の目に止まり大量の受注を獲得。これを機に真剣に独立を考えるようになったという。

大正元年となる1912年9月、早川氏は、東京都墨田区本所で、50円の資金をもとに、従業員2人で会社をスタートさせた。当初は、万年筆の金輪などの製造を行っていたが、1915年には、繰出鉛筆「早川式繰出鉛筆」を自ら開発。これが、のちにシャープペンシルと呼ばれ、シャープという商標、および社名につながることになる。また、当時としては異例の1馬力のモーターを据え付けた機械を導入するなど、小規模工場ながらも近代化にも積極的で、同業者の間では、「早川の機械気狂い」といわれたほどだった。

シャープペンシルは、海外でも評判になり、1923年には、300坪の工場に200人が勤務し、月間売上高は5万円を超えていたという。

だが、ここに大きな試練が待ち受けていた。

1つは、1922年に早川氏自らが腸出血を発病し、瀕死の状態に陥ったこと。そして、もうひとつは1923年9月1日の関東大震災により、工場を焼失。さらにこのとき、妻ともに、8歳と6歳になる2人の子供も亡くしてしまったのだ。早川氏が30歳のときのことだった。

1カ月ほどは、被災した70人の従業員たちと一緒に暮らしていたが、手元に残ったわずかな資金もどんどん目減り、そこに追い打ちをかけるような出来事が発生した。

本社を大阪に持つ販売委託先の日本文具製造から、特約契約金の1万円と、事業拡張金としての融資1万円の合計2万円を返済するように申し入れしてきたのだ。震災後の復旧に向け、金融機関などが衣食を優先する施策を取るなかで、資金調達の手段は八方ふさがり。選ぶ道は、会社を解散し、事業のすべてを、日本文具に譲渡することしなかったという。自らも病に倒れ、しかも、震災で家族全員を失った早川氏にとって、会社を清算することは、まさにすべてを失うことと同義だった。

1923年11月に、単身大阪に向かった早川氏は、日本文具製造と交渉。2万円の支払いを免除する代わりに、早川兄弟商会が所有する機械を日本文具製造に譲り渡すこと、早川氏が持っていた48種類の特許を無償で使用できるようにする、一方、日本文具製造は売掛金9000円をシャープ(当時の早川兄弟商会)に支払うこと、早川氏を技師長として6カ月雇うとともに、シャープの一部技術者を雇うことで、技術移転することなどで合意した。早川氏にとっては決して条件のいい取引ではなかったといえる。

しかし、ここに早川氏が大阪に拠点を変えるきっかけがあった。

早川氏は、東京から14人の技術者を連れて大阪に向かい、家賃42円の二階建ての家を借りて、全員がこの家で寝泊まりしながら、大阪での生活をはじめたのだ。

この時の様子を、早川氏は、後に次のように述懐している。

「東京生まれの私が大阪へやってきて、事業を新たに興したというと、ちょっと派手に聞こえるが、体のいい都落ちであった。時の勢いで、やむなく大阪にやってこなければならなかった」

自らの意思によって大阪にきたわけではなかったというわけだ。

新会社の本社は田辺ビルの場所

だが、大阪で仕事を進めるうちに、早川氏は、商魂に徹した大阪の土地柄や、地位や毛並みを問題にしないという風土が気に入り、この地で再起を図ろうという決意を固めていくことになる。

ある日、借家の近くで懇意になった荒物屋の店主の紹介で、大阪の南の郊外にいい土地があると聞かされ、早川氏はそこに出向いた。

それが、旧シャープ本社があった、いまの大阪市阿倍野区長池町である。

当時は、水田続きの場所で、麦の穂が伸び、黄色い菜の花が揺れる穏やかな田園風景が見られる場所。村の子ども達が遊ぶ姿もあちこちで見られたという。

この場所を気に入った早川氏は、すぐに土地を借りることを決定。235坪の土地を、坪6銭で10年間借用する契約を結んだ。

「なぜ、こんなへんぴな土地を選んだのかというと、地代が安かったことに加え、自分の工場を大きくすることで、不便なこの地を発展させたいという気持ち、遊んでいる村の子ども達が成人したときには私の工場にきて事業の発展に協力してくれるに違いない、という夢を描いたからである。土地の不便さは気にならなかった」と、早川氏は述べている。

日本文具製造の技師長として勤務する契約が切れる1924年8月には、工場と住宅が完成しており、1924年9月1日には、「早川金属工業研究所」の看板を掲げ、早川氏は大阪で事業を再スタートすることになったのだ。このとき、東京から連れてきた14人の技術者たちも、「日本文具製造と同じ月給は払えそうにない」と言ったにも関わらず、早川氏の新会社に移籍してきたという。

なお、シャープによると、このときに新会社をスタートした場所は、旧本社の場所ではなく、向かい側の田辺ビルの場所だという。つまり、大阪での創業の地は、一度売却したNTT都市開発から見事に買い戻すことに成功したともいえる。

電機メーカーとして発展、「シャープ」に社名変更へ

シャープペンシルの特許はすべて譲渡してしまった早川氏の新会社は、新たな事業を開始する必要があったが、そこで目をつけたのが、当時放送開始が間近に迫っていたラジオだった。ここから電機メーカーとしてのシャープがスタートすることになる。

1925年3月に東京、6月に大阪で放送が開始されるのにあわせて、同年4月、シャープは、小型鉱石ラジオを完成させた。これが、シャープの電機製品第1号であり、その品質の高さから、シャープラジオの名が全国に知られるようになった。

1925年ラジオを作るようになり、全国に「シャープラジオ」の名が知れ渡るようになった

シャープラジオの名称は、シャープペンシルにちなんで採用したものであったが、感度よく受信できるラジオの商標として、象徴的だったと早川氏は語り、その名称を気に入っていたようだが、実は、形容詞である「シャープ」が商標として認可されるまでには2年もの期間を要したという。

その後、シャープは、テレビや家電製品にも範囲を広げ、電機メーカーとしての地歩を築いていった。1956年に大阪・田辺に新たな本社社屋を建設。1960年には、本社工場である田辺工場で、カラーテレビの量産を開始。業績を拡大していった。

(左から)田辺ビル、旧本社ビル

1970年には、早川電機工業株式会社から、シャープ株式会社に社名を変更。ここでは、商標と社名を一致させるとともに、将来のエレクトロニクスの発展を考え、電機という名称も外したという。名実ともに、家電メーカーからエレクトロニクスメーカーへと転換を遂げる狙いがあったといえよう。

社名変更に伴って本社の看板が掛け替えられた。1969年12月

このように、歴史を振り返ってみると、旧本社エリアは、関東大震災ですべてを失った早川徳次氏が再起をかけて、2度目の創業に挑んだ場所である。そして、そこから世界に通用する製品とブランドを作り上げた。

創業者の早川徳次氏の社葬

シャープの戴社長は、「この場所に早川徳次記念館を作りたい」と語っているが、いまこの場所の大切さを一番理解しているのは、実は、戴社長なのかもしれない。

(左)取り外される前の袖看板。(右)夜中に撤去作業中。寂しくなります…

すでにシャープの本社は、大阪府堺市に移転している。シャープの大看板が旧本社から降ろされ、整地された様子は、シャープの関係者にとっては寂しくもあり、感慨深いものもあるだろうが、新たに始まった第3の創業に邁進することが、いまのシャープにとっては重要だ。早川氏もそう思っているに違いない。

SNSでバズを起こせ! メルカリ流 “違和感”マーケティング

SNSでバズを起こせ! メルカリ流 “違和感”マーケティング

2019.01.24

フリマアプリを運営するメルカリが新聞折り込みチラシを配布

なぜリアル店舗のようなチラシ広告を出したのか

理由を聞いていくなかで同社のマーケティング戦略が見えてきた

問:次のアイテムのなかから、フリマアプリ「メルカリ」で販売されたことのあるものを選びなさい。

・ダウンジャケット
・ヒト型ロボット
・トイレットペーパーの芯
・クルマ
・イヤホンの左側

おわかりいただけただろうか。答えは「すべて」である。現時点では売り切れかもしれないが、上記はすべてメルカリで販売された実績のあるアイテムだ。

さまざまな商品が売買されているメルカリとはいえ、まさか「トイレットペーパーの芯」が売られているとは、よほどのヘビーユーザーでなければ知らないのではないだろうか。

もちろん筆者も知らなかったが、2018年12月12日に配布された1枚の新聞折り込みチラシが、その事実を教えてくれた。それは、メルカリが北海道と愛知県で計192万部配布した広告チラシだ。

紙面上では、トイレットペーパーの芯やクルマがメルカリで売られていたことを紹介していたのだが、東京在住の筆者は配られたチラシを直接見たわけではない。「メルカリが新聞折り込みチラシを配布している」という意外性がSNSで話題を呼び、仕事中Twitterをいじくりまわして遊んでいた筆者の元にも情報が届いたのである。

はたして、アプリ上でサービスを展開するメルカリが、なぜリアル店舗のような折り込みチラシを配布したのだろうか。

メルカリが配布した新聞折り込みチラシの例。まるでアパレル広告のようだ
裏面には、初心者でも使えるようにアプリのマニュアルが紹介されている

「スタンダードからいかに離れるか」が、おもしろさを生む

「端的に言えば“お茶の間の会話”を増やしたいと考えたためですね」

株式会社メルカリ 執行役員 CMOの村田雅行氏は、新聞折り込みチラシを配布した理由について、そう話す。

株式会社メルカリ 執行役員 CMOの村田雅行氏

2013年7月にサービスを開始したメルカリのアプリダウンロード数は、世界合計で1億超。また、累計流通額は1兆円を超えており、全国レベルでその名を轟かせている。

「ただ、月間のユニークユーザー数は1100万程度。ダウンロード数を考えるとまだまだ伸びしろがあるはずなのです。そのため、まだ取り切れていない、シニアを中心とするユーザーを取り込むためのアプローチを実施することに決めました」

アプリの存在は知っているが、普段からメルカリを使っているわけではない。そんな、シニアをはじめとする“お茶の間ユーザー”を取り込むべく企画されたのが「新聞折り込みチラシ」だった。さまざまなマーケティングを行っている同社ではあるが、新聞折り込みチラシの配布は今回が初めて。そのため、まずはテストマーケティングとして、限られたエリアでの配布が行われた。

だが、シニアへのアプローチは何も折り込みチラシに限らない。テレビCMはもちろん、街頭配布やポスティングなど、ほかにも宣伝手法はあったはずだ。なぜ折り込みチラシにこだわったのだろうか。

「1つのコンテンツとして完結しているところがポイントでした。新聞は、自ら購読して情報を取得する非常にポジティブな媒体。毎日目にするそのコンテンツにメルカリの折り込みチラシを入れることで、“違和感”を生み出したかったのです」

また村田氏は、チラシだからこそ違和感を生み出せたのだと話す。

「今の時代、いかにSNSで話題にしてもらえるかが大事です。そのためには普通とは違うことをやらなければなりません。違和感は、多くの人が認識する“スタンダード”がなければ作れないと考えています。いかに基準から大きな振れ幅があるか。それが驚きやおもしろさにつながるのではないでしょうか。そういう意味で、折り込みチラシには基準があります。『医薬品系だったらこんなチラシ』『スーパーのチラシはこんなもの』というイメージが、多くの人のなかで醸成されているからこそ、イメージからかけ離れたクリエイティブは一層際立つはずだと、新聞の折り込みチラシを実施したのです」

例えば街頭配布であれば、コスプレをしたり、奇抜な宣伝車で商品サンプルを配ったり、アメニティを同封したりと、工夫されているものが多く、普遍的な基準のようなものが思い浮かびにくい。あえて一般的な街頭配布の例を挙げるとすれば、ポケットティッシュと答える人が多いだろうか。だが、ポケットティッシュ以外のものを配っていたら、それだけで大きな話題を呼ぶかと言えば、おそらく難しいはずだ。

つまり、スタンダードがあるからこそ、違和感を与えて記憶に残るような手法を実施できると、数あるアプローチのなかから村田氏は折り込みチラシを選んだというわけだ。

そもそも、実店舗を持たないメルカリが折り込みチラシを配布するというだけで、1つの違和感を与えられるだろう。そして「徒歩0分! スマホの中でオープン!」といった目を引く謳い文句が、違和感をますます際立たせる。

「違和感を与えるために、コピーや商品ラインアップは工夫しましたね。今回、3タイプのチラシを作成したのですが、“メルカリだからこそできるラインアップ”をあえて出すようにしました。例えば、意外性のあるものでは、トイレットペーパーの芯やクルマ。実際にメルカリで売られていたことがあるんです」

今回作成されたチラシは「ファッション」「家電」「スーパー」の3タイプ。意外性のある商品ラインアップに加えて、北海道では日本ハムファイターズのユニフォーム、愛知県では中日ドラゴンズのユニフォームなど、地域に根付いた商品も掲載しており、そのような遊び心も、SNSで話題になるために必要なのかもしれない。

家電パターンのチラシ。「徒歩0分! ~」のコピーが目立つ
「トイレットペーパーの芯」を掲載したパターンのチラシ。2つのチラシをよく見比べると、ユニフォームで使われている写真が違う。なお、北海道と愛知県を選んだ理由は、「地場新聞の影響力が強いエリア」だからだという

結果として、違和感を覚えた消費者は、Twitterにチラシの画像を投稿。狙い通り、SNSでバズらせることに成功した。

しかし、SNSで話題になっても、ターゲットにしているシニア層にはあまり関係がないのではないだろうか。

「シニアや中高年の方々でSNSをやっている人は意外と多いんですよ。積極的に発信をしている人はあまり多くないですが、情報収集として活用している人は少なくないですね」

ちなみに、肝心の折り込みチラシの効果は、「すべての数字の集計が終わっているわけではありませんが、チラシを投下したエリアでは、いい成果が出ています」とのこと。データとしても、チラシの影響を確認できたという様子だった。

攻める姿勢が生み出したもう1つの広告

今回のようなアプローチは、SNSが普及した今だからこそ可能な新しいマーケティングだ。そして、メルカリではSNSでのバズを狙った取り組みがもう1つ。2019年1月1日からスタートした『#はじメル』だ。

はじメルは、「三日坊主でもいいから、とにかく新しいことをはじめる人を応援する」というコンセプトで展開しているキャンペーン。特設サイトを開設し、1月3日には新聞の一面広告を、1月5日からはテレビCMを放送開始した。

そのなかで、一体なにがSNSで話題になったのかというと、これまたアナログな「新聞広告」である。

「一般的に1つのクリエイティブで進める新聞広告を、あえて3タイプ制作し、首都圏・東日本・西日本で分けて配布しました。3枚の新聞広告をつなげるとメルカリの『m』が浮かび上がるというデザインなのですが、1枚だけ見ても、“つなげたら何か起きそう”なデザインにすることで、それを発見した人がTwitterに思わず投稿したくなるような仕組みを作っています」

新聞広告を3枚並べると「m」の文字が浮かび上がる

思わせぶりなデザインにするという“ヒント”を提供しておき、あとは何も言わずにユーザーの反応を待つ。離れたエリアの新聞を手に入れるのは難しいので、ほかのデザインが気になった場合は、自然とオンライン上での情報収集が開始されるだろう。そうして、SNSで活発なやり取りが発生するというわけだ。

「最初はもっと控えめのデザインだったのですが、それじゃダメだと言いましたね」

穏やかな口調ではあったが、村田氏の言葉からはクリエイティブに対してのこだわりを強く感じた。

「折り込みチラシのときもそうですが、守りに入ったら企業は終わると考えているので、常に攻め続けたいと考えています」

クリエイティブに対して攻めの姿勢を崩さない村田氏。それを象徴するエピソードとして、折り込みチラシのプロジェクトのキックオフ時には、「私をクビにする覚悟で仕事をしてほしい」とメンバーに伝えたのだという。

「もちろん、ほんとうにヤバいときは止めますよ。ただ、メンバーがリスクを考えてしまうと、どうしても“置きにいく”ようなアイデアになりがちです。責任なら私が取るので、どんどん攻めてほしいというメッセージですね」

置きにいくクリエイティブでは、SNSでバズらない。メンバーが自由にアイデアを出せる環境整備こそ、尖ったクリエイティブを生み出すのに必要なことなのだろう。

2019年はメルカリの内面を伝える年に

今回、折り込みチラシと新聞一面広告で、SNSでバズらせるマーケティングを実施したメルカリ。折り込みチラシに関していえば、まだテストマーケティングが終わった段階である。今後は全国的に折り込みチラシの配布を行うのだろうか。

「明確な方針はまだ決まっていませんが、折り込みチラシについては、読み物としてお客さまから期待されるコンテンツにしていきたいと考えています」

ただし、「今日は○○が特売」「○○が新発売」といったように、新聞チラシは日々情報が更新されるから読み物として成立する。タイムリーな情報をチラシで打ち出せないメルカリは、どのようなコンテンツにしていくのだろうか。

「今回折り込みチラシで意識したことの1つに、商品をたくさん入れるという点がありました。実際にメルカリで何が売られているかまでは知らない人が意外と多いんですね。そのような人からすると、トイレットペーパーの芯が売れることは1つの発見になるでしょうし、自分の家にある家電がいくらで売れるかということも新しい発見です。そのように、ほかにも、まだまだ知られていない情報があるので、継続的にチラシをやると決まったら、もっとメルカリの内側を知ってもらう情報を提供していきたいですね」

メルカリの内側を知ってほしいと話す村田氏。実は、はじメルにも同様の意図があったという。

「メルカリを使えば『新しい趣味を始める』ことへのハードルを下げられると伝えたかったのです。例えば、ゴルフを始めようと考えたら、ゴルフクラブのセットを購入する必要がありますよね。それが仮に10万円であれば、『ちょっとやってみようかな』程度に思っている人からすると、やはりハードルは高い。しかし、メルカリを使うことで、まずゴルフクラブを5万円で買える可能性があるのです。そのうえ、5万円で売られているのであれば、それに近い金額で売却できることも意味します」

5万円でゴルフクラブを買ってみたはいいものの「あまりおもしろくないな」と感じた場合、4万5000円で売却できれば、5000円の出費でゴルフを体験できるわけだ。

「また、メルカリにはバーコード出品と呼ばれる機能があって、バーコードを読み取るだけで商品情報を自動入力してくれるんです。値段も提案してくれるので出品が楽なのですが、最近では本を買うときにまずはバーコード出品を行う人が多いようですね。ちょうど読み終わったくらいに売却できて便利なんです。期限を決めることで、読まないといけないというプレッシャーにもなりますし、2000円の本を1500円で売却できれば、500円で本が読めるわけです」

何か買うときに、メルカリでまずいくらで売れるかをチェックする。そして、使わなかったり、一度使って満足したりすると、メルカリで売却するという消費行動が増えているのだ。その結果、購入のハードルが下がるので、二次流通が一時消費を活性化させる可能性もあるだろう。

「このような使い方の訴求は、継続してやっていきたいなと。そしてゆくゆくは、メルカリをライフインフラのようにしたいですね」

村田氏は展望を語る。

「認知はすでに獲得しました。次はメルカリの内面をもっと外に出していくフェーズです」

2018年には株式を上場し、気流に乗るメルカリ。決して“置きにいかない”同社のマーケティング戦略から、次はどんなアイデアが飛び出すのだろうか。2019年も同社の尖った広告が、SNSを騒がせるかもしれない。

上場後振るわぬソフトバンク、次は「行政指導」

上場後振るわぬソフトバンク、次は「行政指導」

2019.01.24

ソフトバンクの通信障害、総務省が行政指導へ

再発防止のためのさまざまな対策立案を支持

上場前後で「運がない」ソフトバンクに求められるもの

総務省は1月23日、昨年12月に大規模な通信障害を起こしたソフトバンクに対して行政指導を行った。

通信障害は、ソフトバンクのLTEに関する交換機の不具合が原因で起こったもの。それによって同社の4G LTE網に障害が発生し、音声・データ通信ともに圏外になる、もしくはつながりにくい状態が長時間続き、大きな話題になっていた。

通信障害は12月6日の13時39分頃発生し、その後同日18時4分頃まで、4時間25分に及び、約3060万人の利用者に影響を及ぼした (ソフトバンク ニュースリリース)

総務省は今回、同社の代表取締役取締役社長執行役員兼CEOの宮内謙氏宛に「電気通信事故に関する適切な対応及び報告について」と題した文書を提出。

ソフトバンクの宮内謙代表

文書では、ソフトバンクが2018年中に同件を含めて3回の重大事故を発生させていることを挙げ、「このような事故の発生は利用者の利益を大きく阻害するもの」とし、社内外の連携体制の改善や利用者への周知内容・周知方法の改善、通信業界内での教訓の共有等の実施を勧告。さらに、それぞれの具体的措置の内容を2月末までにまとめ、報告するよう義務付けた。

携帯電話は、通話やメッセージのやり取りはもちろん、決済サービスや災害時の情報収集ツールとして、今や国民のライフラインになっている。

総務省は同文書で「事故における教訓を業界全体で共有することが重要である」ともしており、今後の再発防止策等の詳細について、ほかの携帯電話事業者に説明し、情報共有する機会を設けることも求めた。

昨年末に鳴り物入りで上場したが、なかなか株価が振るわないソフトバンク。その背景には、通信障害や「PayPay」のクレジットカードの不正利用、さらには同社が通信設備を使用している中国・ファーウェイの米中対立やCFOの逮捕などの問題などが影響していることだろう。

ソフトバンクグループは昨年11月に行われた2018年度第2四半期決算説明会で、「RPA(Robotic Process Automation)の導入により通信事業の人員を削減し、新規事業に力を入れていく」としていたが、新規事業の前に、まずは逆風吹く通信事業の早急な立て直しが求められている。