シャープ、売却した旧本社は今? 創業者の知られざる意図とは?

シャープ、売却した旧本社は今? 創業者の知られざる意図とは?

2017.05.11

大阪市阿倍野区の旧シャープ本社の袖看板が撤去されてから、1カ月経過しようとしている。

4月15日 旧シャープ本社の袖看板。撤去に向けて白いカバーをつける作業をしている

旧経営体制時に売却された2つの建物

旧本社は、鴻海傘下に入る以前の旧経営陣が、構造改革の一環として、2016年3月にニトリに売却。同時に、本社の向かいにある田辺ビルも、NTT都市開発に売却していた。2つの拠点をあわせた売却金額は約188億円だったという。聖域を設けない構造改革の取り組みの象徴的なものであったが、いま考えると、この金額で歴史的な場所を売却したことは惜しいといわざるを得ない。

(左から)旧シャープ本社、田辺ビル。両方とも旧経営体制のもとで、売却された

2016年4月2日に開催された、鴻海によるシャープ買収の契約締結の会見では、のちにシャープの社長となった戴正呉氏(鴻海グループ副総裁)が、「あの場所は、シャープの歴史がある場所。できれば買い戻したい」と驚きのコメントを発し、ニトリおよびNTT都市開発と買い戻しの交渉をはじめた。結果として、NTT都市開発から田辺ビルの買い戻しに成功したものの、ニトリからの旧本社ビルの買い戻しには失敗。ニトリでは、2017年3月27日から解体工事を開始しており、現在も着々と解体工事が進められている。

現在の旧シャープ本社ビル。白い板で仮囲いされ、ニトリの垂れ幕が……。

計画によると、ゴールデンウイーク明けまでに内装の解体が終了しており、今後4期にわけて、躯体の中抜きや壁倒しなどの作業が行われ、5月20日以降、10トンダンプ一日最大50台を使用して、コンクリートガラの搬出作業が行われるという。8月31日までには解体工事が完了し、整地された様子が見られることになりそうだ。

4月15日。囲いの中では、解体作業が進められている

「SHARP」の大看板はいつ撤去される?

解体工事において、関係者などの関心は、屋上に掲げられた「SHARP」の大看板の撤去だ。4月15日夜には、道路に面した袖看板が撤去されたが、象徴的もいえる大看板が降ろされることで、シャープの旧本社は完全になくなるともいえる。

だが現在、その場所には、仮囲いされ、外から様子を見ることができない。そのため、大看板を撤去する作業の様子は、残念ながら見ることができそうにないのだ。ニトリ側でも撤去する具体的な時期については公表していない。関係者によると、5月中にも、この看板が撤去される可能性が高いという。

シャープペンからの躍進、その後都落ちするも……

シャープが、大阪市営地下鉄御堂筋線西田辺駅近くの旧シャープ本社に居を構えたのは、関東大震災からちょうど1年を経過した1924年9月1日のことだ。

旧本社ビルにあった経営信条「誠意と創意」の碑

多くの人がシャープは大阪本社の企業という印象を持っているだろうが、実はシャープの発祥の地は、東京都墨田区本所だ。創業から12年間は、東京に本社を置いていた。

創業者の早川徳次氏も、東京都中央区の生まれであり、東京・京橋にあった実父の生家は、江戸時代から続く袋物問屋。まさにちゃきちゃきの江戸っ子であった。

では、その早川氏が創業したシャープが、なぜ、大阪に本社を置くことになったのだろうか。少し歴史を紐解いてみよう。

早川氏は、1901年(明治34年)9月に、洋傘の付属品をつくる金属細工会社であった東京・本所の坂田かざり屋に奉公に出た。7年7カ月の奉公を務めた早川氏は、1年間の礼奉公を経て、職人として活躍。そうしたなかで、1912年に、「徳尾錠」という独自に考案したベルトのバックルで、人生初の特許を取得した。19歳の時のことだ。徳尾錠は、バックル部に細いコロを使い、長短自在に止められるように工夫したものであり、この試作品が問屋の目に止まり大量の受注を獲得。これを機に真剣に独立を考えるようになったという。

大正元年となる1912年9月、早川氏は、東京都墨田区本所で、50円の資金をもとに、従業員2人で会社をスタートさせた。当初は、万年筆の金輪などの製造を行っていたが、1915年には、繰出鉛筆「早川式繰出鉛筆」を自ら開発。これが、のちにシャープペンシルと呼ばれ、シャープという商標、および社名につながることになる。また、当時としては異例の1馬力のモーターを据え付けた機械を導入するなど、小規模工場ながらも近代化にも積極的で、同業者の間では、「早川の機械気狂い」といわれたほどだった。

シャープペンシルは、海外でも評判になり、1923年には、300坪の工場に200人が勤務し、月間売上高は5万円を超えていたという。

だが、ここに大きな試練が待ち受けていた。

1つは、1922年に早川氏自らが腸出血を発病し、瀕死の状態に陥ったこと。そして、もうひとつは1923年9月1日の関東大震災により、工場を焼失。さらにこのとき、妻ともに、8歳と6歳になる2人の子供も亡くしてしまったのだ。早川氏が30歳のときのことだった。

1カ月ほどは、被災した70人の従業員たちと一緒に暮らしていたが、手元に残ったわずかな資金もどんどん目減り、そこに追い打ちをかけるような出来事が発生した。

本社を大阪に持つ販売委託先の日本文具製造から、特約契約金の1万円と、事業拡張金としての融資1万円の合計2万円を返済するように申し入れしてきたのだ。震災後の復旧に向け、金融機関などが衣食を優先する施策を取るなかで、資金調達の手段は八方ふさがり。選ぶ道は、会社を解散し、事業のすべてを、日本文具に譲渡することしなかったという。自らも病に倒れ、しかも、震災で家族全員を失った早川氏にとって、会社を清算することは、まさにすべてを失うことと同義だった。

1923年11月に、単身大阪に向かった早川氏は、日本文具製造と交渉。2万円の支払いを免除する代わりに、早川兄弟商会が所有する機械を日本文具製造に譲り渡すこと、早川氏が持っていた48種類の特許を無償で使用できるようにする、一方、日本文具製造は売掛金9000円をシャープ(当時の早川兄弟商会)に支払うこと、早川氏を技師長として6カ月雇うとともに、シャープの一部技術者を雇うことで、技術移転することなどで合意した。早川氏にとっては決して条件のいい取引ではなかったといえる。

しかし、ここに早川氏が大阪に拠点を変えるきっかけがあった。

早川氏は、東京から14人の技術者を連れて大阪に向かい、家賃42円の二階建ての家を借りて、全員がこの家で寝泊まりしながら、大阪での生活をはじめたのだ。

この時の様子を、早川氏は、後に次のように述懐している。

「東京生まれの私が大阪へやってきて、事業を新たに興したというと、ちょっと派手に聞こえるが、体のいい都落ちであった。時の勢いで、やむなく大阪にやってこなければならなかった」

自らの意思によって大阪にきたわけではなかったというわけだ。

新会社の本社は田辺ビルの場所

だが、大阪で仕事を進めるうちに、早川氏は、商魂に徹した大阪の土地柄や、地位や毛並みを問題にしないという風土が気に入り、この地で再起を図ろうという決意を固めていくことになる。

ある日、借家の近くで懇意になった荒物屋の店主の紹介で、大阪の南の郊外にいい土地があると聞かされ、早川氏はそこに出向いた。

それが、旧シャープ本社があった、いまの大阪市阿倍野区長池町である。

当時は、水田続きの場所で、麦の穂が伸び、黄色い菜の花が揺れる穏やかな田園風景が見られる場所。村の子ども達が遊ぶ姿もあちこちで見られたという。

この場所を気に入った早川氏は、すぐに土地を借りることを決定。235坪の土地を、坪6銭で10年間借用する契約を結んだ。

「なぜ、こんなへんぴな土地を選んだのかというと、地代が安かったことに加え、自分の工場を大きくすることで、不便なこの地を発展させたいという気持ち、遊んでいる村の子ども達が成人したときには私の工場にきて事業の発展に協力してくれるに違いない、という夢を描いたからである。土地の不便さは気にならなかった」と、早川氏は述べている。

日本文具製造の技師長として勤務する契約が切れる1924年8月には、工場と住宅が完成しており、1924年9月1日には、「早川金属工業研究所」の看板を掲げ、早川氏は大阪で事業を再スタートすることになったのだ。このとき、東京から連れてきた14人の技術者たちも、「日本文具製造と同じ月給は払えそうにない」と言ったにも関わらず、早川氏の新会社に移籍してきたという。

なお、シャープによると、このときに新会社をスタートした場所は、旧本社の場所ではなく、向かい側の田辺ビルの場所だという。つまり、大阪での創業の地は、一度売却したNTT都市開発から見事に買い戻すことに成功したともいえる。

電機メーカーとして発展、「シャープ」に社名変更へ

シャープペンシルの特許はすべて譲渡してしまった早川氏の新会社は、新たな事業を開始する必要があったが、そこで目をつけたのが、当時放送開始が間近に迫っていたラジオだった。ここから電機メーカーとしてのシャープがスタートすることになる。

1925年3月に東京、6月に大阪で放送が開始されるのにあわせて、同年4月、シャープは、小型鉱石ラジオを完成させた。これが、シャープの電機製品第1号であり、その品質の高さから、シャープラジオの名が全国に知られるようになった。

1925年ラジオを作るようになり、全国に「シャープラジオ」の名が知れ渡るようになった

シャープラジオの名称は、シャープペンシルにちなんで採用したものであったが、感度よく受信できるラジオの商標として、象徴的だったと早川氏は語り、その名称を気に入っていたようだが、実は、形容詞である「シャープ」が商標として認可されるまでには2年もの期間を要したという。

その後、シャープは、テレビや家電製品にも範囲を広げ、電機メーカーとしての地歩を築いていった。1956年に大阪・田辺に新たな本社社屋を建設。1960年には、本社工場である田辺工場で、カラーテレビの量産を開始。業績を拡大していった。

(左から)田辺ビル、旧本社ビル

1970年には、早川電機工業株式会社から、シャープ株式会社に社名を変更。ここでは、商標と社名を一致させるとともに、将来のエレクトロニクスの発展を考え、電機という名称も外したという。名実ともに、家電メーカーからエレクトロニクスメーカーへと転換を遂げる狙いがあったといえよう。

社名変更に伴って本社の看板が掛け替えられた。1969年12月

このように、歴史を振り返ってみると、旧本社エリアは、関東大震災ですべてを失った早川徳次氏が再起をかけて、2度目の創業に挑んだ場所である。そして、そこから世界に通用する製品とブランドを作り上げた。

創業者の早川徳次氏の社葬

シャープの戴社長は、「この場所に早川徳次記念館を作りたい」と語っているが、いまこの場所の大切さを一番理解しているのは、実は、戴社長なのかもしれない。

(左)取り外される前の袖看板。(右)夜中に撤去作業中。寂しくなります…

すでにシャープの本社は、大阪府堺市に移転している。シャープの大看板が旧本社から降ろされ、整地された様子は、シャープの関係者にとっては寂しくもあり、感慨深いものもあるだろうが、新たに始まった第3の創業に邁進することが、いまのシャープにとっては重要だ。早川氏もそう思っているに違いない。

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食事からバランス良く栄養を摂りたい…と考えていても、共働き世帯が増加し、働き方改革が叫ばれる労働環境の中で、それを実現するのは至難の業だ。

そんな社会情勢にあわせ、主食や飲料など手軽な形態で、1日に必要な栄養素を確保できるように作られた「完全栄養食」なるカテゴリが、にわかに注目を集めている。

これまではベンチャー企業の戦場だった「完全栄養食」に、即席麺の巨人・日清食品が参入。完全栄養食「All-in シリーズ」第1弾として、本日3月26日より「All-in PASTA」を発売した。

「All-in PASTA」のパッケージはかなりシンプル。メインターゲットの30代以上の働き盛り世代を狙ったと思われるカジュアルな仕上がりだ

チキンラーメンの正統進化? 21世紀型「簡便食」

日清食品の創業者・安藤百福が戦後の食糧難をきっかけに開発した「チキンラーメン」。もうすぐ最終回を迎えるNHK朝の連続テレビ小説「まんぷく」で広く知られることになった開発エピソードの21世紀版と言えるのが、この「All-in」シリーズ。1日に必要な栄養素の3分の1の量を、1食分の麺に配合しているのが特徴だ。

連続テレビ小説「まんぷく」にあやかったプレゼンテーション。チキンラーメンから60年を経て、変化した時代に合った「簡便栄養食」を提供するというコンセプトだ
「All-in PASTA」の試食販売は、チキンラーメン発売当時に初めて試食販売を実施した阪急うめだ本店(大阪府)で行う(3月27日~31日まで)

チキンラーメン開発当時と比べれば、現代は「空腹を満たすには困らない」時代と言える。その一方で、個々人が「必要な栄養を万全に摂取する」という意味では、困っている人の割合が多いと言えるだろう。

厚労省の調査によれば、栄養素の摂取が推奨量に届いていると考えられる年代は少なく、またビタミン・ミネラル含有量の多さから健康的な食事に欠かせない野菜類の摂取は、国民全体で不足傾向にある上、40代以下では慢性的に不足していることが分かっている。

野菜不足は若年層においてより深刻になっている

そして、日清の独自調査だが、働き盛りの年代で健康に気を配る人は9割にのぼる一方、それが実現できていると感じているのは調査数のうち半数を切る。健康意識の高さと裏腹に、忙しさからか栄養バランスの良い食生活を送れていないようだ。

同社はビジネスパーソンの代表として三菱商事、伊藤忠商事、LOHACOなどの協力を得て調査を実施。働く人の意識として、「健康な食生活を送りたいが実践できていない」という大意が読み取れたという

栄養豊富だけど「ふつう」に食べられる味を追求

そうしたニーズを汲んだことで広がりつつある「完全栄養食」。だが、栄養食品やサプリメントを心底「おいしい」と感じたことがある人は、あまりいないのではないだろうか? 筆者も、飲み込み損ねたサプリメントが舌の上に残ってしまい、何とも不快なえぐみと臭いに閉口した経験がある。

開発担当者である同社 ダイレクトマーケティング課 ブランドマネージャーの佐藤真有美氏によれば、栄養そのものの味は苦み、えぐみ、酸味、さらにざらついた舌触りなど、およそおいしさとはかけ離れた特徴を持っているという。

それを一般的な食材と遜色なく食べられるようにするため、同社はビタミン・ミネラルを麺の内側に封じ込める独自製法「栄養ホールドプレス製法」を編み出した。また、その上で麺の持つ雑味をマスキングするような味付けを開発。この製法により、加熱調理による栄養価の減衰を軽減することにもつながったとしている。

製法図。開発には約1年半を費やし、試作は300回を超えた。既存商品と比べても困難の多い道のりだった、と佐藤氏
コクのある「ボロネーゼ」、香りの良い「ジェノベーゼ」、酸味と旨みを併せ持った「スパイシーアラビアータ」の3種を、湯切り調理のカップ麺形式、麺とソースを別売する一般的なパスタの形式で展開する

会見の途中で「ボロネーゼ」と「ジェノベーゼ」2種類の味の試食が配られたが、いずれも「良薬口に苦し」といったような、栄養素独特の風味は無かった。一般的なパスタと比べると小麦の含有量が少ないためか、ポロポロと切れやすいコシの少なさは気になった。

ボロネーゼ(左)とジェノベーゼ(右)を試食

とはいえ、黙って出されたら栄養食品のたぐいとはわからない仕上がりだ。個人的にはジェノベーゼソースの風味が気に入ったが、麺の食感をカバーするにはボロネーゼソースくらいの粘度や粒感があった方が、より「ふつうのパスタ」らしくなると思われる。

発売前の「All-in PASTA」を試食したビジネスパーソンからは、ランチ時の利用や社内購買への導入など、ビジネスのオンタイムにこそ使いやすいのでは、という意見が複数見られたという。インスタント麺として調理可能なことが、既存商品と比較した際の目立ったアドバンテージと言えそうだ。

ラーメンでなくパスタから出した理由

「All-in PASTA」の販路はオンラインに限定。日清食品グループのオンラインストア、および「アラビアータ」味の開発アイデア協力も行ったLOHACOで販売を行う。公式サイト上では、パスタソース以外の味付けを紹介するアレンジレシピを掲載。ちなみに、調理の方向性としては、酸味や醤油の風味が麺の雑味をマスキングするのに適しているとのことだった。

調理前後の栄養比較表。麺の中心に栄養素を入れ込むことで流出を抑え、スペックと実態の乖離を極力抑えた

ニーズの高まりがあると言っても、一般的なカテゴリになっているとは言いがたい「完全栄養食」。まずは流通コストが低いネット通販にて提供する。

また、今夏にはラーメン(汁なしそば)タイプの新商品も発売予定。トムヤムクン風、坦々麺風の開発中の試食が会見場で振る舞われた。いずれも発売時期にあわせたスパイシーさが共通で、酸味の効いたトムヤムクン、ゴマのコクが強い担々麺と性格が異なるフレーバーだ。

21世紀の「チキンラーメン」を彷彿とさせる売り出し方の同シリーズだが、スープありの麺は試作されなかったのだろうか? そう現場で佐藤氏に尋ねたところ、スープに麺の苦味が出てしまうため、まずは汁なしで成立するパスタから開発したということだった。今後、麺の改良、あるいは雑味をマスキング可能なスープの開発など方策の目処が立てば、汁ありタイプの商品化も可能性はあるという。

会見でプレゼンテーションを行った、日清食品 マーケティング部 藤野誠 部長(左)、同 ダイレクトマーケティング課 ブランドマネージャー 佐藤真有美

発展途上のカテゴリである「完全栄養食」だが、「All-in」シリーズの販売目標は2019年通して累計100万食を目標に掲げるなど、かなり強気の姿勢を見せた。それだけ、同社は簡便な栄養摂取に対するニーズの高まりを感じているのだろう。

働き盛りの人々を悩ます栄養不足。理想は当然ながら食材からの摂取ではあるものの、その理想と現実のギャップをうめるのには取り入れやすい新商品となっている。

その一方で、自社のネット販路主体でどこまで購入に結びつけられるか、また個人差の大きい食生活の中で、同商品による栄養の充足を実感する購入者がどの程度現れるか、というのは課題といえるだろう。

昨今はSNS経由の口コミが購買を大きく左右する。試食と口コミ、その相乗効果で受け入れられれば、より一層市場が拡大が加速するのではないだろうか。

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ポルシェの次に買うクルマ? 安東弘樹、ルノー「メガーヌ R.S.」に乗る!

安東弘樹のクルマ向上委員会! 第18回

ポルシェの次に買うクルマ? 安東弘樹、ルノー「メガーヌ R.S.」に乗る!

2019.03.27

ルノーの5ドアハッチバック「メガーヌ R.S.」に試乗

やっぱりMT車が好き! 高性能モデルの登場に高まる期待

もしも(好きなように)クルマが買えたなら…安東さんの人生設計

安東弘樹さんに同行した日本自動車輸入組合(JAIA)試乗会も、いよいよ最後の1台となった。残すはルノーの「メガーヌ R.S.」だ。愛車のポルシェ「911 カレラ 4S」から乗り換える候補の1台として、「ある程度は本気で」購入を検討しているというこのクルマを、安東さんはどう評価するのか。

MT車の日本導入を待って購入を検討?

「メガーヌ R.S.」は5ドアハッチバック「メガーヌ」の高性能モデル。「R.S.」はルノーのモータースポーツ活動を担う「ルノー・スポール」の頭文字だ。このクルマについては以前、モータージャーナリストの塩見智さんに試乗してもらったので、詳しくはこちらの記事をご覧いただきたい。

「メガーヌ R.S.」に乗り込んだ安東さん

安東さん(以下、安):(乗り込んですぐ)ドアヒンジは多くの日本車と同じでプレスですね、開ける時に軽い感じがします()。(しばらく走って、高速道路に入りつつ)さすがはFF(前輪駆動車)、急加速すると暴れますね(笑)。

【編集部注】ドアヒンジとはドアとクルマをくっつけている部品のこと。ここの作りによってドア開閉時の重厚感、ひいてはクルマの上質感に差が出ると安東さんは語る。細かいポイントのようだが、ドアヒンジについてはマツダミニの取材でも話題になった。

編集部(以下、編):今回、メガーヌ R.S.に試乗してみたいと思ったのはなぜですか?

:すごく気になっていたクルマなのですが、まだ乗ったことがなかったので、どうしても今回、運転してみたかったんです。今回のクルマはDCT(デュアルクラッチトランスミッション)ですが、MT(マニュアルトランスミッション)車を今、待っている状態です。ただ、急加速した時の“暴れん坊感”を体験してみて、いくら電子的に制御しても、FFには限界があるなとも感じました。じゃじゃ馬を乗りこなす、というところにカタルシスを感じる人もいるとは思いますけど。

「メガーヌ R.S.」のボディサイズは全長4,410mm、全幅1,875mm、全高1,435mm。価格は440万円だ

:MTだったら欲しいクルマですか?

:はい。もうすぐ、MTが日本に導入されるらしいのですが、欲をいえば、「メガーヌ R.S. トロフィー」というグレードを待ちたいです。R.S.は279馬力ですが、トロフィーは300馬力なんで。

:「待ちたい」っていうのは、真剣に購入を検討していて、待ち構えているという感じですか?

:うーん、ある程度は本気で考えているっていう感じでしょうか(笑)。次もポルシェ「911 カレラ 4S」に乗るのが理想ではあるんですけど、それこそ、私の稼ぎ次第というか、買えない可能性もあるので……。今の911は、乗り始めてから10年になりますし、乗り換えたいタイミングではあります。

:その乗り換え候補の1つが、「メガーヌ R.S. トロフィー」だというわけですね。ただ、素人なので分からないんですけど、最近の安東さんの露出ぶりを見ている限り、次もポルシェで大丈夫なんじゃないですか?

:どうでしょうねー、想像もできません(笑)。今回の確定申告で、どのくらいの税金を払わなきゃいけないのかにもよりますし。フリーになって初めての確定申告なので、正直、怖いです。

:この間の「バラいろダンディ」(TOKYO MXで放送中のテレビ番組、安東さんは火曜レギュラー)で、「これから、税理士さんと話をする」っておっしゃってましたもんね(笑)

:いくらくらいの税金になるのか、それによっても変わってきます。ただ、フリーランスになってもうすぐ1年経ちますが、この収入では、新しい911には手が届きません(笑)

:本当ですか?

:今の911と同じように長期ローンを組めば、あるいは……。とは思いたいですが、新しい「911 カレラ 4S」を自分が乗りたい仕様で買うと、税金なども含めた乗り出し価格が2,200万円弱になってしまいます。日々忙しいのですが、薄利多売でやっているので、くどいようですが、本当に現状、購入は難しいです(苦笑)

1台はスポーツカーを所有しておきたいという安東さんだが、次に何を買うのかは将来の収入次第だそう。「メガーヌ R.S.」もMT車が気に入れば候補に入るようだ

:(メガーヌの走行モードを変更して)「レースモード」に設定すると、ESC(横滑り防止装置)がカットになるんだ……。自動ブレーキもオフになりますが、それは当然ですよね。サーキットを走っていて、前走車に近付くたびにブレーキが掛かったら、たまったものではないですから(笑)。このモードに入れても、そんなに乗り心地が硬くならないというか、不快感はないです。

法定速度で走っている限り、レースモードにする意味はあまりないでしょうけど、腕と環境が許せば、滑らせながら走ってみたいですね! MTだったら楽しいだろうなー。あと、パドルシフトは下まで伸びていて欲しいです。乗り始めてから、5~6回は空振りしてますから。

パドルシフトとは、指による操作でクルマのギアを上げ下げできる装置のこと。画像では分かりにくいかもしれないが、ステアリングの後ろに付いている
一般的にパドルシフトの操作部分は縦に長いが、「メガーヌ R.S.」のパドル(赤い十字マークが付いているところ)は上方向に長く、下方向に短い造形になっている。そのため、パドルの下の方を指で操作しようとして、何度か空振りしてしまったと安東さんは話しているのだ

:パドルシフトがステアリング連動式なので、コーナーを曲がっているときの操作も、少しやりにくいですね()。

【編集部注】パドルシフトには、ステアリングに連動して動くものと、ステアリングコラムに固定されているものがある。

:ステアリングと一緒にパドルシフトが動くのと、固定してあるのだと、どちらがいいんですか?

:メルセデスもそうですけど、ドイツ車はステアリングに連動して動く方が主流ですよね。ただ、ステアリングを切って(左右が)逆さまになっている時、パドルシフトの位置も逆になるので、どちらがプラス(ギアを上げる方)だか分からなくなることがあるんですよ。そこが難しいところで、だから「GT-R」(日産自動車)とかも固定式ですし、基本的にラリー用のクルマもコラム固定式ですね。

:ステアリングを切りまくるからですか?

:そうです。だけど、F1などのフォーミュラカーだと、ステアリングにシフトパドルが付いていて連動しますね。なぜなら、ステアリングを切っても最大で半回転ですから、左右の手を持ち替えないので、当然、その方が好都合です。

だから、このクルマ(試乗中のメガーヌ)は、ステアリングを大きく切っている時でも、シフト操作に迷わない事を優先させたんでしょうね。

:山道でヘアピンを抜ける時とかですか?

:そうですね。これ、好みは分かれると思います。

「メガーヌ R.S.」は1.8L直列4気筒16バルブ直噴ターボエンジンに電子制御6速ATのトランスミッションを組み合わせる

:このクルマ、小さいように見えて、幅が1,875mmもあるんですね。

:そう、結構あるんですよ。「Eクラス」(メルセデス・ベンツ)より幅が広い。

:メガーヌって、前のモデルまで3ドア(ハッチバック)が中心だったみたいですね。5ドアになって、見た目とかどうでしょう?

:このデザイン、僕は好きですね。先代よりも好きです。絶妙な“カタマリ感”があって、色もいい。シンプルなのに存在感があるという嬉しいデザインです。

:歴代のメガーヌ R.S.は、ニュルブルクリンクで素晴らしいタイムをたたき出してきたそうですが、そのあたりには惹かれますか?

:そこは、そんなに重視しません。ただ、メーカー同士が競い合ってくれる分にはいいんですけどね。ましてやFFですし、ちゃんと手なずけて走って、技術の革新というか、そういうところでメーカー同士が競い合ってくれているのは悪いことではないと思います。

:ただ、安東さんとしては、走りについては自分で確かめたい?

:そうですね。だから、こっちの方が数字が上だから買う、という感覚はありません。

:安東さんの頭の中にはクルマのスペックがたくさん入っていますけど、数字で比べて買おうというのではなく、ただ、好きだから頭に入っているだけなんですか?

:覚えようとしているんじゃなくて、スペック(諸元)表を見てると、自然に覚えちゃうんですよ。これ(試乗中のメガーヌ)だと、最大出力が279馬力ですよね?

:合ってます。

:それで、205kWじゃなかったでしたっけ?

:ごめんなさい、手元の資料にキロワットまでは書いてきてないです。

:206kWだと、280馬力になるんですけどね。

:……。

「メガーヌ R.S.」の最大出力は279ps(205kW)、最大トルクは390Nmだ。車両重量は1,480キロ

:数字的には見劣りしても、自分がいいと思えば買うというのが、安東さんのクルマ選びということですね。もし、次の911が何らかの理由で買えなかった場合は、メガーヌもアリだと思いましたか?

:MT車に乗ってみないと、何とも言えませんねー。急加速した時の暴れぶりを体験して、FFの限界は感じましたけど、MTなら、もう少し自分で制御できるかもしません。ただ、やっぱり楽しいクルマだなとは思いましたね!

:今回、たくさんの輸入車に乗っていただきましたけど、総評として、心に残ったのは?

:やっぱり、あの加速感も含め、テスラですね。何でも電気で動くので、後席のファルコンドアなんかが壊れたら目も当てられないとは思うんですけど、ただ、インパクトとしては「モデルX」になりますね。

もしも収入が激増したらどんなクルマに乗りたい?

購入を決めたメルセデス・ベンツ「E220d 4MATIC オールテレイン」には、何年乗る予定ですか?

:今の「F-PACE」よりも早いペースで走行距離が伸びる可能性があるので、2年で7万キロあたりが見えてくると、乗り換えを考えるかもしれません(※)。まあ、2年後に私の収入がどのくらいになっているかにもよりますけど……。

【編集部注】ジャガーのSUV「F-PACE」とポルシェ「911 カレラ 4S」の2台を所有している安東さんだが、通勤に使っているF-PACEは走行距離が伸びてきている上、大柄なサイズの問題で駐車場を見つけるのが大変なので、これをメルセデス・ベンツ「E220d 4MATIC オールテレイン」に乗り換える。サイズ的に駐車場が見つけやすい分、オールテレインの稼働率はF-PACEよりも高くなることが予想されるので、代替サイクルは早まるかもしれない。オールテレインが納車されるのは2019年5月の予定。その時点で、F-PACEには2年8カ月乗ったことになる。

:もし、収入がものすごく増えたら、所有するクルマの構成はどうしたいんですか?

:やっぱり「911」と、あとは「ヴェラール」(レンジローバー)のディーゼルエンジン車を買って、もう1台は小さいディーゼルエンジンのクルマで、それは「デミオ」(マツダ)なのか「ミニ」なのか分からないんですけど、そんな感じですかね。それか、プジョーの「308 アリュール」か……。

「308 アリュール」って、今までは税制的に中途半端な1.6リッターのディーゼルエンジンを搭載してたんですけど、それが1.5リッターになって、しかも、パワーアップしたんですよ。それに、何が嬉しいって、パドルシフトが付いたんですよ! 今までは上級グレードにしか付いてなかったんですけど。

プジョー「308 Allure」(アリュール)

:なるほど、収入が大幅に増えたら、クルマを2台にしておく必要もないですもんね。駐車場を借りて、3台持ってもいいわけで……。

:駐車場を借りるというか、3台のクルマを入れられる車庫が付いた家に建て替えるのが夢ですね。

:その可能性も、フリーになった今だと、高まってますよね。会社員でいるより、大きく稼げるチャンスがあるわけですから。

:そうですね、可能性は“ゼロ”ではないですね(笑)

:これも「バラいろダンディ」で聞いたような気がするんですけど、ある程度の金額を稼いだら、お仕事はやめるっておっしゃってましたよね? 好きなクルマに乗り続けられて、ご家族も安泰というような金額が貯まったとしたら。

:そうですね(笑)。3億円ほど貯まったら、やめると思います。家族を養えて、子供たちを学校に行かせられて、あとはクルマも、「ヴェイロン」とか「シロン」()が欲しいとは思わないので……。ポルシェのMTと、ヴェラールと、ミニか何かを所有して、スポーツ走行する時はポルシェ。長距離移動の時はヴェラール。そして、都内での仕事や移動の時は、コンパクトなディーゼルモデルか、電気自動車(EV)でもいいかもしれません。

【編集部注】どちらもブガッティのクルマ。1台で何億円もする。

:私の人生として、あと20年は責任があると思うんですよね。ただ、テレビ関係の仕事が続けられるとは思っていません。やっぱり、テレビの仕事って緊張するし、疲れますから(笑)。何より、ずっと私への需要があるとは思えません。

立て続けにクルマに乗った今回の取材も、かなりお疲れになったはずだと思っていたのだが……

他媒体が用意したクルマも含め、計11台の輸入車に立て続けに乗り、JAIA試乗会の取材を終えた安東さん。「仕事は疲れる」と言いつつも、メガーヌから降りるとすぐ、「ばらいろダンディ」の生放送に出演するため、試乗会の拠点となった大磯プリンスホテル(神奈川県)を愛車「F-PACE」で飛び出していった。

安東さんのコラムによれば、今回の取材はさすがにくたびれたものの、愛車を運転して帰ったおかげ(?)で、半蔵門(正確には東京都千代田区麹町)にあるTOKYO MXに到着する頃には、すっかり疲労感がなくなっていたというから驚きだ。

とにかく、多くのクルマに限られた時間で乗ってもらったので、時間配分がうまくいかず、弊紙では紹介しきれなかったクルマもある。具体的にはポルシェ「パナメーラ 4 E ハイブリッド」とBMW「X3 M40d」の2台なのだが、これらも安東さんが試乗を希望したクルマだったことに変わりはない。特に「X3 M40d」については、短時間の試乗ではあったものの、「もっと乗ってみたくなるいいクルマだった」とのコメントがあったことは、ここでお伝えしておきたい。

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