シャープ、売却した旧本社は今? 創業者の知られざる意図とは?

シャープ、売却した旧本社は今? 創業者の知られざる意図とは?

2017.05.11

大阪市阿倍野区の旧シャープ本社の袖看板が撤去されてから、1カ月経過しようとしている。

4月15日 旧シャープ本社の袖看板。撤去に向けて白いカバーをつける作業をしている

旧経営体制時に売却された2つの建物

旧本社は、鴻海傘下に入る以前の旧経営陣が、構造改革の一環として、2016年3月にニトリに売却。同時に、本社の向かいにある田辺ビルも、NTT都市開発に売却していた。2つの拠点をあわせた売却金額は約188億円だったという。聖域を設けない構造改革の取り組みの象徴的なものであったが、いま考えると、この金額で歴史的な場所を売却したことは惜しいといわざるを得ない。

(左から)旧シャープ本社、田辺ビル。両方とも旧経営体制のもとで、売却された

2016年4月2日に開催された、鴻海によるシャープ買収の契約締結の会見では、のちにシャープの社長となった戴正呉氏(鴻海グループ副総裁)が、「あの場所は、シャープの歴史がある場所。できれば買い戻したい」と驚きのコメントを発し、ニトリおよびNTT都市開発と買い戻しの交渉をはじめた。結果として、NTT都市開発から田辺ビルの買い戻しに成功したものの、ニトリからの旧本社ビルの買い戻しには失敗。ニトリでは、2017年3月27日から解体工事を開始しており、現在も着々と解体工事が進められている。

現在の旧シャープ本社ビル。白い板で仮囲いされ、ニトリの垂れ幕が……。

計画によると、ゴールデンウイーク明けまでに内装の解体が終了しており、今後4期にわけて、躯体の中抜きや壁倒しなどの作業が行われ、5月20日以降、10トンダンプ一日最大50台を使用して、コンクリートガラの搬出作業が行われるという。8月31日までには解体工事が完了し、整地された様子が見られることになりそうだ。

4月15日。囲いの中では、解体作業が進められている

「SHARP」の大看板はいつ撤去される?

解体工事において、関係者などの関心は、屋上に掲げられた「SHARP」の大看板の撤去だ。4月15日夜には、道路に面した袖看板が撤去されたが、象徴的もいえる大看板が降ろされることで、シャープの旧本社は完全になくなるともいえる。

だが現在、その場所には、仮囲いされ、外から様子を見ることができない。そのため、大看板を撤去する作業の様子は、残念ながら見ることができそうにないのだ。ニトリ側でも撤去する具体的な時期については公表していない。関係者によると、5月中にも、この看板が撤去される可能性が高いという。

シャープペンからの躍進、その後都落ちするも……

シャープが、大阪市営地下鉄御堂筋線西田辺駅近くの旧シャープ本社に居を構えたのは、関東大震災からちょうど1年を経過した1924年9月1日のことだ。

旧本社ビルにあった経営信条「誠意と創意」の碑

多くの人がシャープは大阪本社の企業という印象を持っているだろうが、実はシャープの発祥の地は、東京都墨田区本所だ。創業から12年間は、東京に本社を置いていた。

創業者の早川徳次氏も、東京都中央区の生まれであり、東京・京橋にあった実父の生家は、江戸時代から続く袋物問屋。まさにちゃきちゃきの江戸っ子であった。

では、その早川氏が創業したシャープが、なぜ、大阪に本社を置くことになったのだろうか。少し歴史を紐解いてみよう。

早川氏は、1901年(明治34年)9月に、洋傘の付属品をつくる金属細工会社であった東京・本所の坂田かざり屋に奉公に出た。7年7カ月の奉公を務めた早川氏は、1年間の礼奉公を経て、職人として活躍。そうしたなかで、1912年に、「徳尾錠」という独自に考案したベルトのバックルで、人生初の特許を取得した。19歳の時のことだ。徳尾錠は、バックル部に細いコロを使い、長短自在に止められるように工夫したものであり、この試作品が問屋の目に止まり大量の受注を獲得。これを機に真剣に独立を考えるようになったという。

大正元年となる1912年9月、早川氏は、東京都墨田区本所で、50円の資金をもとに、従業員2人で会社をスタートさせた。当初は、万年筆の金輪などの製造を行っていたが、1915年には、繰出鉛筆「早川式繰出鉛筆」を自ら開発。これが、のちにシャープペンシルと呼ばれ、シャープという商標、および社名につながることになる。また、当時としては異例の1馬力のモーターを据え付けた機械を導入するなど、小規模工場ながらも近代化にも積極的で、同業者の間では、「早川の機械気狂い」といわれたほどだった。

シャープペンシルは、海外でも評判になり、1923年には、300坪の工場に200人が勤務し、月間売上高は5万円を超えていたという。

だが、ここに大きな試練が待ち受けていた。

1つは、1922年に早川氏自らが腸出血を発病し、瀕死の状態に陥ったこと。そして、もうひとつは1923年9月1日の関東大震災により、工場を焼失。さらにこのとき、妻ともに、8歳と6歳になる2人の子供も亡くしてしまったのだ。早川氏が30歳のときのことだった。

1カ月ほどは、被災した70人の従業員たちと一緒に暮らしていたが、手元に残ったわずかな資金もどんどん目減り、そこに追い打ちをかけるような出来事が発生した。

本社を大阪に持つ販売委託先の日本文具製造から、特約契約金の1万円と、事業拡張金としての融資1万円の合計2万円を返済するように申し入れしてきたのだ。震災後の復旧に向け、金融機関などが衣食を優先する施策を取るなかで、資金調達の手段は八方ふさがり。選ぶ道は、会社を解散し、事業のすべてを、日本文具に譲渡することしなかったという。自らも病に倒れ、しかも、震災で家族全員を失った早川氏にとって、会社を清算することは、まさにすべてを失うことと同義だった。

1923年11月に、単身大阪に向かった早川氏は、日本文具製造と交渉。2万円の支払いを免除する代わりに、早川兄弟商会が所有する機械を日本文具製造に譲り渡すこと、早川氏が持っていた48種類の特許を無償で使用できるようにする、一方、日本文具製造は売掛金9000円をシャープ(当時の早川兄弟商会)に支払うこと、早川氏を技師長として6カ月雇うとともに、シャープの一部技術者を雇うことで、技術移転することなどで合意した。早川氏にとっては決して条件のいい取引ではなかったといえる。

しかし、ここに早川氏が大阪に拠点を変えるきっかけがあった。

早川氏は、東京から14人の技術者を連れて大阪に向かい、家賃42円の二階建ての家を借りて、全員がこの家で寝泊まりしながら、大阪での生活をはじめたのだ。

この時の様子を、早川氏は、後に次のように述懐している。

「東京生まれの私が大阪へやってきて、事業を新たに興したというと、ちょっと派手に聞こえるが、体のいい都落ちであった。時の勢いで、やむなく大阪にやってこなければならなかった」

自らの意思によって大阪にきたわけではなかったというわけだ。

新会社の本社は田辺ビルの場所

だが、大阪で仕事を進めるうちに、早川氏は、商魂に徹した大阪の土地柄や、地位や毛並みを問題にしないという風土が気に入り、この地で再起を図ろうという決意を固めていくことになる。

ある日、借家の近くで懇意になった荒物屋の店主の紹介で、大阪の南の郊外にいい土地があると聞かされ、早川氏はそこに出向いた。

それが、旧シャープ本社があった、いまの大阪市阿倍野区長池町である。

当時は、水田続きの場所で、麦の穂が伸び、黄色い菜の花が揺れる穏やかな田園風景が見られる場所。村の子ども達が遊ぶ姿もあちこちで見られたという。

この場所を気に入った早川氏は、すぐに土地を借りることを決定。235坪の土地を、坪6銭で10年間借用する契約を結んだ。

「なぜ、こんなへんぴな土地を選んだのかというと、地代が安かったことに加え、自分の工場を大きくすることで、不便なこの地を発展させたいという気持ち、遊んでいる村の子ども達が成人したときには私の工場にきて事業の発展に協力してくれるに違いない、という夢を描いたからである。土地の不便さは気にならなかった」と、早川氏は述べている。

日本文具製造の技師長として勤務する契約が切れる1924年8月には、工場と住宅が完成しており、1924年9月1日には、「早川金属工業研究所」の看板を掲げ、早川氏は大阪で事業を再スタートすることになったのだ。このとき、東京から連れてきた14人の技術者たちも、「日本文具製造と同じ月給は払えそうにない」と言ったにも関わらず、早川氏の新会社に移籍してきたという。

なお、シャープによると、このときに新会社をスタートした場所は、旧本社の場所ではなく、向かい側の田辺ビルの場所だという。つまり、大阪での創業の地は、一度売却したNTT都市開発から見事に買い戻すことに成功したともいえる。

電機メーカーとして発展、「シャープ」に社名変更へ

シャープペンシルの特許はすべて譲渡してしまった早川氏の新会社は、新たな事業を開始する必要があったが、そこで目をつけたのが、当時放送開始が間近に迫っていたラジオだった。ここから電機メーカーとしてのシャープがスタートすることになる。

1925年3月に東京、6月に大阪で放送が開始されるのにあわせて、同年4月、シャープは、小型鉱石ラジオを完成させた。これが、シャープの電機製品第1号であり、その品質の高さから、シャープラジオの名が全国に知られるようになった。

1925年ラジオを作るようになり、全国に「シャープラジオ」の名が知れ渡るようになった

シャープラジオの名称は、シャープペンシルにちなんで採用したものであったが、感度よく受信できるラジオの商標として、象徴的だったと早川氏は語り、その名称を気に入っていたようだが、実は、形容詞である「シャープ」が商標として認可されるまでには2年もの期間を要したという。

その後、シャープは、テレビや家電製品にも範囲を広げ、電機メーカーとしての地歩を築いていった。1956年に大阪・田辺に新たな本社社屋を建設。1960年には、本社工場である田辺工場で、カラーテレビの量産を開始。業績を拡大していった。

(左から)田辺ビル、旧本社ビル

1970年には、早川電機工業株式会社から、シャープ株式会社に社名を変更。ここでは、商標と社名を一致させるとともに、将来のエレクトロニクスの発展を考え、電機という名称も外したという。名実ともに、家電メーカーからエレクトロニクスメーカーへと転換を遂げる狙いがあったといえよう。

社名変更に伴って本社の看板が掛け替えられた。1969年12月

このように、歴史を振り返ってみると、旧本社エリアは、関東大震災ですべてを失った早川徳次氏が再起をかけて、2度目の創業に挑んだ場所である。そして、そこから世界に通用する製品とブランドを作り上げた。

創業者の早川徳次氏の社葬

シャープの戴社長は、「この場所に早川徳次記念館を作りたい」と語っているが、いまこの場所の大切さを一番理解しているのは、実は、戴社長なのかもしれない。

(左)取り外される前の袖看板。(右)夜中に撤去作業中。寂しくなります…

すでにシャープの本社は、大阪府堺市に移転している。シャープの大看板が旧本社から降ろされ、整地された様子は、シャープの関係者にとっては寂しくもあり、感慨深いものもあるだろうが、新たに始まった第3の創業に邁進することが、いまのシャープにとっては重要だ。早川氏もそう思っているに違いない。

「選択と集中」が進みすぎた、日本の科学技術への投資

藤田朋宏の必殺仕分け人 第1回

「選択と集中」が進みすぎた、日本の科学技術への投資

2018.11.15

ちとせグループCEOの藤田朋宏氏による新連載

巷を賑わす”ヘンな出来事”の問題点を、独自の解釈で洗い出す!

第1回は、「日本の科学技術投資」について

バイオベンチャー企業群「ちとせグループ」のCEOを務める藤田朋宏氏による新連載。“手段と目的の違い”によって生じた「ヘンな出来事」の問題点を、独自の視点で語ります。第1回は、「日本の科学技術投資」について。日本の科学技術への投資の問題点とはいったい何なのでしょう?

才能と“伸びしろ”に投資する、日本サッカー協会

先日、クアラルンプールに出張したときのこと。宿泊先のホテルが偶然にもサッカーの日本代表と同じだった。「日本代表」と言っても、同じホテルに泊まっていたのは本田や長友ではなく、U-16アジア選手権に参加している若い選手たち。

そこで彼らを見ていて、ふと考えた。日本サッカー協会の「選手への投資」は、実は凄く効率がいいのではないか。どうしてそう思ったのか、順を追って説明したい。

ホテルに置いてあったU-16アジア選手権のバナー

チェックインを済ませ、「部屋の準備があるから、ちょっとだけそこで待っていて」と指示するホテルマンに従い、ひとりロビーに放置されている間、何となしに選手の情報を調べてみた。それから一時間半。23名の選手一人ひとりの顔だけでなく、利き足まで覚えるくらいの時間が経っても、僕はまだロビーで放っておかれたままだった。まぁ、東南アジアではよくあることなので、腹は立たなかった。

ところで、「過去のU-16日本代表がその後、何度も日本代表に選ばれる割合はどれほどだろうか」と疑問に感じ、調べてみたところ、各年20数名の代表選手のうち、現役で活躍している選手は約1人であることが分かった。確かに16歳の段階では身体の発達に差があるし、試合で活躍できるかは運の要素も絡む。コーチとの相性やケガの問題もあるだろう。

そうは言っても、16歳の時点で日本代表に選ばれるだけのポテンシャルを持つ選手のうち、その数%しか将来も活躍できる選手がいない、という事実には驚いた。実際、長谷部、本田、岡崎、長友……など、この10年で活躍している選手たちの多くは、16歳時点ではそこまで期待されていなかった選手ばかりだ。

ではなぜ、そういった選手が後に日の目を浴びられたかというと、それは彼らにも「チャンス」を与えられていたからだろう。日本サッカー協会は、16歳時点で選抜したトップ選手だけに集中投資するだけではなく、同年代の他の有望選手にもしっかりとチャンスを与え続けられるような仕組みをつくれたのだと思う。

際立って目立つ選手だけではなく、将来の伸びしろがありえる選手にも、最低限のチャンスは回ってくることで、未来のトップ選手の育成が図れる。そうやって日本サッカー協会はこれまで、世界に通用するような選手を輩出してきた。

「科学技術に投資せよ」ではなく、予算配分の再考を

前置きが長くなってしまったが、ここから本題に入りたい。

先日、京都大学特別教授の本庶佑先生がノーベル賞を受賞したというニュースが流れた。「自分がバイオテクノロジー業界で働く人間だから」というのは関係なく、本庶先生と周りのチームの方々の長年にわたる科学に対する貢献が認められたこと、その事実に接した関係者の気持ちを想像すると、とても嬉しい気持ちになった。

ノーベル賞メダル(レプリカ)

 

近年、日本人のノーベル賞受賞が続いている。彼らのような日本の科学業界の仕組みをよくわかった方々は、これまで数多くのご苦労をされてきたことだろう。しかし、1つ残念なこともある。能力はもちろん、人格的にも優れたそういった先生方が、ノーベル賞受賞のタイミングでマスコミに発表する一世一代のコメントが「日本国の科学技術投資、科学技術教育のあり方についての憂い」であることだ。

僭越ながら、先生たちのコメントを解釈すると、よくニュースで取り上げられるような「科学技術にもっとお金を使え」ということではなく、その先にある「国家予算の配分」についての指摘をしていると認識している。

誰がなんと言おうと、日本の科学技術投資の選択と集中は年々進んでしまっているのが現状だ。しかし、先生方のいうような「選択と集中が進みすぎている」という指摘に対して、「日本にはもうお金がないのだから科学技術にばかり投資できない」と答えがずれてしまっている。

これこそが、日本の科学技術投資における問題ではないだろうか。

日本にはびこる「選択と集中こそが正解だよ病」

随分前からずっと不思議なのだが、そもそも「選択と集中こそが正解である」なんて、誰がいい出したのだろう。「選択と集中」の戦略で物事をうまく切り抜けられるようなことは、本当に生きるか死ぬか、背水の陣を敷いている時くらいだと思うのだ。

今の日本の「選択と集中こそが正解だよ病」はなかなか根深く、そもそもの目的を実現することよりも「選択と集中」を行うことそのものが目的になっているんじゃないかと感じることが多い。

今の日本で行われている多くの意思決定の場面で、サッカーの例で例えると、U-16日本代表を選んだ人のメンツを潰さないということが、強い日本代表をつくることよりも優先されてしまっているように思う。

そのため、16歳の時点で選んだ選手だけに集中投資し、16歳の段階で選ばれなかった他の選手のポテンシャルに賭けることもしないというような「選択と集中が正解である」という間違えた進め方で意思決定が行われているようなことが多いように感じる。

サッカー選手の育成でも、科学技術の投資でも初期の段階で選抜してそこだけに集中投資するという戦略を繰り返せば繰り返すほど、全体としての力は落ちる一方になるのではないか。歴代のノーベル賞受賞者の先生方も、そういうことを言いたかったのではないかと思う。

手段であるはずの「選択と集中」が、目的となっている?

私は、「16歳の段階で、将来素晴らしいサッカー選手になる人物を見分けられる」なんて言葉は、伸びしろのある選手に対しておこがましいと感じる。これは科学技術の研究にも同じことが言える。「その研究が将来素晴らしい成果を残すかどうか見分けられる」なんて言葉は、科学者に対しておこがましい。

もっと言ってしまえば、どの研究が将来化けるかの判断は、16歳のサッカー選手の成長を言い当てることより遥かに難しいだろう。なぜならば、サッカーという競技のルール自体は変わらないが、科学と言う競技はルール自体を決めているので、科学研究の将来性をあらかじめ予測するのは16歳のサッカー選手の将来性を予測するより難しいためだ。

そんな中、日本サッカー協会が幅広い底上げに力を入れ、紆余曲折も有りながらも右肩上がりの成長を維持できているにも関わらず、日本の科学技術投資は過剰な「選択と集中」を強めるが故に、科学技術力の相対的な低下を招いているように感じる。

その差はいったい何か? これは1つの仮説でしかないが、日本サッカー協会の強さの秘訣は、会長の独断で物事を決められる側面が強い組織であるために「目的」がハッキリしている点にあるのではないだろうか。

その一方で、日本の科学技術投資のような“数多くの人の善意の組み合わせの上になり立っている意思決定機構”では「選択と集中を進めることが正解である」という、本来手段の一つである価値観が「目的」となってしまっているように感じる。

本来考えるべきは、「日本の科学技術をどうするべきか」ということであるにも関わらず、その手段と目的が逆転しまっているのではないだろうか、と思うのだ。

音楽特化の「YouTube」が日本上陸! AIでレコメンド

音楽特化の「YouTube」が日本上陸! AIでレコメンド

2018.11.14

音楽に特化した「YouTube Music」が日本でスタート

有料会員になれば、広告なし再生やオフライン再生が可能

YouTube Premiumでは、オリジナルコンテンツの配信も開始

仕事や作業をする際、周りのノイズをカットして集中するために、音楽を聴くという人は多いだろう。わかる。よくわかる。フロアが騒がしいと作業に全く集中できない。周りで仕事している人がいるということがわからないのだろうか、と疑問に思うが、まぁそれは置いておいて、パソコンで作業する場合、手軽に好きな音楽を聴けることから、YouTubeで音楽を聴くという人も多いのではないだろうか。

そんなYouTubeユーザーに朗報である。11月14日、Googleは音楽に特化したストリーミング再生サービス「YouTube Music」を日本でローンチすると発表したのだ。

好みやシーンに応じて楽曲をレコメンド

YouTube Musicは、音楽再生に特化したアプリ。YouTubeにある公式の曲やプレイリスト、歌ってみた、弾いてみたなど、さまざまな音楽動画を視聴することができる。

また、機械学習が活用されているのも特徴の1つだ。視聴履歴などからユーザーの好みを把握するだけでなく、「いつどこで何をしているのか」を類推して、シーンに合わせた楽曲をレコメンド。家でリラックスしているときにお勧めの曲や、仕事中にお勧めの曲などを、自動でピックアップしてくれるという。

さらに、あいまいなカタカナ発音で洋楽を検索したり、CMタイアップ曲などから検索したりすることも可能で、聴きたい曲をスムーズに探すことができそうだ。

サービスの発表会において、YouTube 音楽部門 プロダクトマネージメント責任者のT.ジェイ ファウラ氏は「オーディエンスに着目した結果、今出ているアプリでは満足できていない層があることがわかり、そのユーザーに音楽サービスを届けようとこのサービスをスタートしました。YouTube Musicは、ユーザーの利用シーンや好みに合わせた曲を、YouTubeにある膨大なミュージックカタログからレコメンドするユニークさを持っています」と、サービスの魅力を強調した。

YouTube 音楽部門 プロダクトマネージメント責任者のT.ジェイ ファウラ氏

無料でも利用できるが、有料のYouTube Music Premiumに登録すると、「広告なし再生」「バックグラウンド再生」「オフライン再生」などが可能になる。料金はWeb/Androidが月額980円で、iOSが月額1280円(ともに税込み)だ。

YouTube 日本音楽ビジネス開発統括担当の鬼頭武也氏は「日本ユーザーの方は通勤通学などで音楽を聴くことが多いと思います。オフライン再生機能では、前日の夜に自宅のWi-Fiで翌日聴くべき曲を自動で更新し、通信なしで聴けるようになります。データの通信量などを気にする必要もないので、非常に便利な機能だと思います」と、オフライン再生のメリットを訴求した。

なお、同サービスには著作権管理システムが働いており、YouTubeと同様に適切な権利コントロールが可能だという。

YouTube 日本音楽ビジネス開発統括担当の鬼頭武也氏

「YouTube Originals」が日本でも始動

また今回、「YouTube Premium」という新しい有料プランもスタートする。料金はWeb/Androidだと月額1180円で、iOSだと月額1550円(ともに税込み)だ。YouTube Music Premiumの機能に加えて、YouTubeでも「広告なし再生」「バックグラウンド再生」「オフライン再生」機能が使えるようになる。

さらに、YouTube Premiumの会員は、12月から日本でも配信される予定のYouTubeオリジナルコンテンツ「YouTube Originals」を視聴することも可能だ。すでに世界30カ国でコンテンツを展開しているが、このたび、日本でも制作がスタート。SEKAI NO OWARIとMARVLEがコラボしたミュージックビデオ制作の裏側に迫るドキュメンタリー「Re:IMAGINE」、YouTuberのはじめしゃちょーが主演する連続ドラマ「The Fake Show」、YouTubeで人気のクリエイターが手がけた「隙間男:Stalking Vampire」の3つだ。

「YouTube Music Premium」と「YouTube Premium」で利用可能な機能
日本で制作される「YouTube Originals」のコンテンツ

発表会には「The Fake Show」に主演する、YouTuberのはじめしゃちょーが駆けつけた。

はじめしゃちょー

「今回僕が出演するのは、今までなかったYouTuberをテーマにしたドラマ。アカウント乗っ取りや炎上など、問題に直面しながらも夢に向かって進んでいく姿が描かれているので、僕の動画を見たことない人にも見てほしいですね」と動画の紹介をするとともに、YouTube Musicについて「普段、広く浅く、さまざまな音楽を聴くので、非常に楽しみなサービスです。ぜひ使ってみたいと思います」と期待を述べた。

なお、YouTube Musicは「Google Home」「Google Home Mini」にも対応予定。そのほか、現在「Google Play Music」を利用しているユーザーは、追加料金なしで移行することができるという。