電子版で変わり行く、マンガの買い方・売り方

電子版で変わり行く、マンガの買い方・売り方

2017.05.14

電子書籍と紙の書籍の間には何らかの関係性があるのだろうか。LINEが先月開催したプレスセミナー「スマートフォン時代におけるマンガ市場の最新動向について」で、興味深い事実が提示された。

LINEマンガは4周年、最大級のプラットフォームに

まずはLINEの森啓執行役員より、出版業界全体とマンガ販売の最新状況が発表された。出版業界は全体的に売上が落ちている中、コミックは順調に売上を伸ばしており、その内訳をみると、電子コミックが大きく貢献しているというのだ。

出版物の販売金額は微減だが、コミックに限れば紙と電子を合計した販売金額は右肩上がりに伸びている
コミック市場を紙と電子で分けてみると、紙のコミックの売上は減少傾向にあるが、電子コミックがそのぶんをカバーするように伸びている
読書時の媒体別に分けてみると、紙の書籍は微減だが、スマートフォンを使ってコミックを読む層はかなりの勢いで伸びてきている

LINEがマクロミルに委託した調査によると、新しいマンガ作品に触れる経路として「書店」が49%と依然として強いものの、「スマホマンガアプリ」が44%と接近しているという。かつてマンガ作品は書店店頭や雑誌などを介して紹介され、広がっていったが、最近は雑誌の代わりにスマホ用のマンガアプリがその役割を果たしつつある、と言っていいだろう。

写真が見づらくて恐縮だが、左から書店、スマホマンガアプリ、SNS、クチコミ、コンビニ、ニュースアプリ、マンガ雑誌……と続く。雑誌がもはや新しいマンガを知る窓口になり得ていないというのはちょっとした驚きだ

そんな状況の中、LINEマンガはスマホマンガアプリでのダウンロード数、スマホマンガアプリの月間利用者数(MAU)ランキング、スマホマンガアプリの一人当たりの利用時間ランキングでいずれも1位の座についたという。売上ではないこれらの順位に意味があるかどうかは議論の余地があるが、若者を中心に広く支持されているLINEプラットフォーム上のサービスということで、多くのユーザーに利用されていること自体は疑いがない。

景気のいい数字が並ぶが、肝心の売上について触れられていないのが残念

続いてLINEマンガの最新実績が発表された。同サービスは電子書籍の販売に加え、無料のマンガ連載などを行なっており、240社以上の出版社と契約して、18万点以上の電子コミックを配信しているという。このうち、無料連載プラットフォームの読者数は1300万人、閲覧件数は42億回に及ぶとのこと。様々な電子書籍・コミック配信サービスがあるが、その中でも最大級と言っていいだろう。

ここでちょっと興味深い数値が公表される。LINEマンガで無料作品の読了後に、なんと39%ものユーザーが「その作品の電子または紙の本を購入している」というのだ。実に約4割もの読者の購買意識を刺激したことになる。これは広告手段と割り切っても、かなりの効果があると言えるだろう。

数値の合計が100%を超えているので複数回答有効のアンケートだったと思われるが、4割近くのユーザーにとって購買意欲が刺激されるというのは意外な数字だった

リアル書店にもポジティブな影響

続いて販売現場の声として、トーハンの川村明・コミック営業推進室アシスタントマネージャーと、白泉社の小見山康司・販売宣伝部部長代理、それにLINEマンガ編集チームマネージャーの村田朋良氏が登場。村田氏は「ドラマ化されたマンガは、放送翌日に1巻の売上がリアル書店でピークになる」という現象を紹介し、これと同様の現象がLINEマンガでの無料配信でも起きているとした。

トーハンの川村氏によると、3年ほど前に小学館の『なみだうさぎ~制服の片思い~』(作者:水瀬藍)の売れ行きが突然書店で大きく動いた。通常であれば1巻は2巻以降より多く売れるのだが、このときは2巻が売り上げトップを記録していたのも特徴的だった。原因を調べたところ、前日にLINEマンガで1巻が無料配信されたのがわかり、以来、LINEと情報を分析しているという。

また白泉社の小見山氏によれば、2~3年前からきっかけがよくわからないが突然売れ始めるマンガがあり、調べて見たらやはりLINEマンガで無料連載をやっていた、という。このように電子版の無料連載が書店での販促となることがわかったため、現在はLINEとリアル店舗での連動フェアも企画されている。

2016年に女性向けで人気No.1だった『BLACK BIRD』(作:桜小路かのこ、小学館刊)、2017年男性向けで2月、3月にそれぞれ2位、1位だった『ピアノの森』(作:一色まこと、講談社刊)、『アイシールド21』(原作:稲垣理一郎、作画:村田雄介、集英社刊)は、いずれも完結してから数年経つタイトルばかりだ
LINE Beaconを埋め込んだ書棚にLINEを起動した状態で近づくとプロモーション情報などが流れる仕組みを展開。こうしたリアル店舗との連動は現在LINEが多方面で展開している戦略に通じている

初めて読むなら既刊も新刊

続いて小学館、翔泳社、講談社、電子取次のメディアドゥから、デジタル事業の販売・宣伝担当者が集まり、LINEの編集担当者を交えてのトークとなった。

各社はいずれも出版業界を代表する企業であり、配信タイトル数も莫大だが、限られたスマートフォンの画面上で一点一点を訴求していくのは難しい。書店なら「平台」に置いてもらえば目につきやすいが、電子書籍の場合は定期的にフェアやキャンペーンを開催することで、できるだけユーザーの目に触れる機会を作っているという。

無料配信をきっかけに、既存作品が売れる現象については、在庫が売れるということで歓迎しているという。結局のところ、初めて作品を読む読者にとって、既刊であれ新刊であれ新作と変わらないのであり、既存コンテンツが再評価されることは販売面ではプラスでしかないわけだ。古いタイトルでもスポットライトを当てて再び注目してもらうという手法は、アーカイブが巨大になるほど有効だろう。

無料連載や無料1冊提供といった手法は、電子書籍が普及する少し前から、一話を丸ごと公開することでネット上の話題にする手法が取られており、効果があるのははっきりしている。前述のように紙の本が売れるきっかけになっていることもあり、今後もこうした「無料で釣る」手法自体は続いていくようだ。

今後はウェブでの無料連載から新しい才能の発掘も大切だという声もあった。紙の雑誌から人気作が登場して単行本が売れる仕組みが縮小しつつあるためだ。

これについては各社とも、無料で読めるウェブコミック連載を展開して、新しい才能の発掘に力を入れており、その中から人気作も登場しつつある。少し前に流行った、ウェブ掲示板発の小説やライトノベルが単行本化された動きに似ていると言えるだろう。こうした動きは大手出版社だけでなく、紙媒体を持たない小さな出版社やイラスト投稿サイトなども参入して競争が激化しており、いかに才能を多数発掘できるか、各社編集者のセンスや眼力がポイントとなりそうだ。

この関係はいつまで維持できるのか

電子書籍といえば、紙の書籍とは対極にある存在であり、決して相容れないもののような気がしていたが、今回のセミナーで奇妙な共生関係ともいえる関連性があることがわかった。LINEマンガとトーハンが店頭で行なっている新しいマーケティング手法なども参考になる。こうした手法は書籍の特性に関わるものだけに、他業種が参考にするのは難しいかもしれないが、過去の資産を現実の出来事とリンクさせて活用するという方向性自体は悪くないアイディアだ。

現時点では右肩上がりの成長を遂げ、順風満帆に見えるLINEマンガだが、筆者は必ずしも明るい未来だけが待っているとは思っていない。というのも現在、Amazonの台頭などで紙の書籍についてはこれまであった取次と出版社、書店の関係が崩れつつある。電子書籍でも現時点では電子書籍プラットフォームが取次+書店のような役割をしているものの、利益や読者データなどの取得/利用を考えれば、究極的には自社アプリを通じた販売がベストな選択肢だ。そして実際、今回登壇した各社はいずれも雑誌単位でのアプリ配信を行なっており、直売サイトも運営している。出版社にとってLINEマンガは数多ある販売網の一つでしかないため、価値が下がればいつでも切れるわけだ。

LINEとしても、LINEマンガは決してLINEの主力事業というわけではなく、LINEプラットフォームにユーザーをつなぎとめる手段の一つでしかないが、常に新しいコンテンツの発掘や旧コンテンツの紹介といった工夫を繰り返し、出版社にとって有意義な存在であり続けなければ、現在の関係を維持するのも難しくなるだろう。

どちらの立場からも、あまり大きく踏み込みすぎるのは望ましくないが、メリットを考えれば、決して蔑ろにするわけにもいかないという間柄になる。電子書籍の登場がもたらした出版業界の再編は、こうしたジレンマを潜り抜けた先に完成するのだろう。筆者自身ひとりのマンガ好きとして、未来のマンガ産業が電子化の影響でどのような着地点を描き出すのか、注目したい。

その面倒な組織カルチャー、印鑑が原因ですよ

藤田朋宏の必殺仕分け人 第4回

その面倒な組織カルチャー、印鑑が原因ですよ

2019.03.18

印鑑業界による印鑑文化の優位性アピールが話題

会社経営者として感じる、捺印作業の面倒さ

「サイン文化」と「印鑑文化」で変わる組織カルチャー

行政手続きのオンライン化を目指す「デジタル手続き法案」をめぐり、全日本印章業協会がアピールした「印鑑のメリット」が話題になっている

「代理決済できるという印章の特長が、迅速な意思決定や決済に繋がり、戦後の日本経済の急速な発展にも寄与してきた」(原文ママ)というものだ。

「ハンコならこっそり代理決済ができる」などと、身も蓋もなく自ら印鑑廃止を後押ししてしまいかねない意見が出てしまったことは興味深い。
でも僕は、ただのバイオテクノロジー屋なので、ITを活用した効率化しますよ業界の回し者でもなければ、印鑑業界の人を敵に回すメリットだってないので、特にこの点について深く言及しないし、「日本における今後のハンコをどうするべきか」なんてことを掘り下げて云々するつもりもない。

ただ、日本を含む4カ国でスタートアップを立ち上げた経験から、企業の組織カルチャー形成に、承認方法としての「印鑑」と「サイン」の違いが、とても大きな影響を与えているのではと実感した話を書いておきたい。

日々、何かと多すぎるハンコ作業

まず共有しておきたい事実は、日本で会社を経営すると、毎日ものすごい数の代表印や銀行印や社印を押さなければいけないということだ。(会社の印鑑って3種類あるの知ってました?)

お客さんと契約してお金をいただくときに契約書に捺印するのはイメージできると思うが、その後もお金が銀行口座に無事入るまで、受領やらなにやら契約書だけでなく、さまざまな書類にとにかく捺印をしまくる必要がある。

また、家賃を払う、プリンターのトナーが切れる、実験試薬を買うなどなど、とにかく会社を運営する活動の一つ一つに対して、それぞれ細かくおびただしい数の印鑑を押す。法人が国や地方自治体に税金を払う時はもちろん、社員のあれこれも、例えば社員の誰かが結婚したり引っ越したりするだけでも印鑑を押しまくる。自分で会社をやってみてつくづくわかったが、とにかく捺印の数が膨大だ。

しかも、びっくりすることに、民間企業も市町村も、同じことをするために、それぞれがまったく違うフォーマットの書類に捺印を求めてくる。

こうして、大量な上にフォーマットがまったく違う書類を毎日渡されて、決められた位置に決められた種類の捺印をすることは、仮に契約書や書類の中身をまったくチェックしないで無責任に捺印したとしても、結構な時間を必要とする作業だ。

捺印にかける時間が惜しい

しかもうわの空で押していると、銀行印を押すべきところに代表印を押し間違えてしまったり、インクが簡単にかすれてしまったりするのが印鑑だ。人生において、こんな捺印ミスなどという程度のことで書類を作り直してもらう羽目になった回数を考えただけで、こんな単純な作業に失敗する情けなさとと、書類を作ってくれる従業員への申し訳なさで、どこかに隠れてしまいたい気持ちになる。

そう、僕は毎日、隠れてしまいたい気持ちになっているのだ。

なぜ、日本から印鑑はなくならないのか

我々の会社のように、たとえ社長だろうがあっちこっちに、営業に謝罪にと、せわしなく飛び回わることで、なんとか会社の体を保っているような規模の企業の方が世の中には多いと思う。そんな"貧乏暇なし社長”がこの捺印という物理的作業に忙殺される時間というのは、正直いって無駄以外の何物でもない。

にもかかわらず印鑑を押すという文化が日本に残っているのは「捺印するという作業」は、誰かに頼めてしまうからなのだと思う。多くの会社において「捺印をし続けるという作業」を自分でやっている社長はあまり居ないのかもしれず、ここが、すべて自ら書かなければいけないサインとの最大の違いなのだろう。

ちなみに、僕の場合は「捺印をし続けるという作業」だけを人に頼むような仕事の依頼の仕方は好みではないので、あちこちに会社を立ち上げては、担当者に「代表取締役」の役職ごと譲るようにしている。

海外の「サイン文化」は印鑑以上に面倒?

冒頭にも書いたが、僕は日本以外の3カ国でも会社を経営している。言うまでもなく日本以外の国は、承認の証としては「サイン」が一般的だ。

日本の会社同士の契約書の場合は、代表者の名前の脇に代表印と社印を、契約書を閉じた裏面に割印を一カ所押す形式であることが多い。つまり、二者間の契約であれば、先方用の契約書と当方用の契約書をあわせて、計4カ所の代表印と計2カ所の社印を押せばよい。

ところが、海外の契約書は、すべてのページにサインをしなければならない。海外の契約書は「実際にそんなことは起きないって」ってくらい、ありとあらゆる場面を想定した契約書になっていることが多く、とにかく契約書が長い。

感覚として、同じような内容の契約をするのに、日本の会社同士の契約の5倍~10倍のページ数になっても驚かない。

つまり、ちょっとした契約書でも軽く100ページを超えてくるわけだが、このすべてのページに手書きでサインをすることを想像して欲しい。契約書の中身を読んでただただサインを書き続けていると、「こんな作業に時間を使い続けてていいのだろうか」という自問の気持ちが芽生えてくる。

その組織カルチャーの差、ハンコとサインの差が原因ですよ

言うまでもなく、サインは誰かに代わりに書いてもらうことはできない。では、サインを書く物理的な時間を減らすために、何が起こるのかというと、「権限委譲」が進むのである。

日本の会社だと当たり前のように社長の名前で締結する規模の契約でも、海外の会社だと担当部長あたりの名前で契約を締結してくる。

もしかしたら、日本の会社のカルチャーだとそれは失礼なことに当たるのかもしれないが、サインを前提とした会社において、会社のすべての契約を社長名義で契約していたら、社長の一日は「サインを書く」という作業だけで終わってしまう。だから、どんどん権限委譲をしていくしかない。

日本の大企業の合意形成や意思決定のあり方を分析する文脈において、「日本の会社は権限委譲が進んでいない」とか、「プロジェクトごとの意思決定者の所在がよくわからないから、スピード感が遅くなってグローバル競争に負けてしまう」などという指摘を頻繁に見る。

特に近年流行りの「日本企業のホワイトカラーの生産性を高めましょう」という議論の多くでは、日本企業のこういった特殊性の原因を、日本人の歴史的・文化的背景や、国民性が理由であると結論づけている。

だからもっぱら、風通しがよく責任範囲が明確で、意思決定の早い会社にするために、せっせと組織構造をいじったり、管理職に研修をしたりと、コンサル屋さんが儲かるだけの努力に大きなお金を払うことになっているのだが、大きな効果が得られているようにみえない。

僕の考えは、特殊性の理由がちょっと違っていて、「その組織カルチャーの差って、捺印とサインの差が本質的な原因ですよ」と、わりと確信に近い自信を持っている。

捺印の作業だけを誰かに頼むのではなく、捺印をする権限ごとどんどん頼んでしまえばいい。ハンコにウンザリしている世の中の社長さん、そう思いません?

(藤田朋宏:ちとせグループ 創業者 兼 最高経営責任者)

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カレー沢薫の時流漂流 第32回

鋭すぎる言葉で物議を醸す「子供部屋おじさん」論議

2019.03.18

漫画家・コラムニスト カレー沢薫さんの社会派連載!

第32回は、実家暮らしの男性に降りかかる「子供部屋おじさん」論議について

「子供部屋おじさん」という言葉が注目されている。言葉自体は2014年あたりからあったそうだが、今また脚光を浴びているそうだ。

「○○おじさん」「○○おばさん」という呼称には、「アイカツおじさん」のように秀逸かつもはや「Sir」級の「称号」と言って良いものもあるが、大体が蔑称である。

その中でもこの「子供部屋おじさん」の蔑視ぶりたるや、である。意味はわからなくても本能で「馬鹿にされている」と察することができる。

「子供部屋おじさん」とはどんなおじさんを指すかというと、成人しても親元を離れず実家の「子供部屋」で暮らし続けるおじさんのことである。「パラサイトシングル」を、言われた相手の血管が切れるように魔改造した言葉だ。言葉としては「上手いこと言うな」と感嘆するしかない。

単に「実家住みのおじさん」という意味ではなく、「いい年をして親から自立せず、自分では何も出来ない、中身は子どものままのおじさん」という痛烈な批判が込められている。

この「子供部屋おじさん」は、ひきこもりやニートとは違い、仕事はちゃんとしている場合が多い。だが逆に「実家を出ようと思えば出られるのに出ない」という点が余計「甘え」と見なされ、ここまでの鬼煽りを食らう羽目になったとも言える。

このように世間からみっともないと思われがちな「実家住みの成人」だが、本当に彼らは社会の病巣であり、親から見れば寄生虫なのだろうか。

一人暮らしは今や「修行」かもしれない

子供部屋おじさん含むパラサイトシングルにも言い分はある。まず「実家から出るメリットが見いだせない」という理由だ。

実家が持ち家の場合、一人暮らしをするよりも実家住みの方が経済的には圧倒的有利だ。親側からしても、純粋に寄生されるのは厳しいが、生活費などを入れてもらえるなら、逆に助かるという場合もある。

また職場からの距離も実家から通った方が近いと言うなら、わざわざ経済的負担を負いながら、場合によっては遠距離通勤をする「一人暮らし」というのは「修行」という意味しかなく、昨今盛んに言われる「コスパ」「合理化」という観点から見ると「正気か」というような無駄でしかない。そのため、インフルエンサー的な人が一発「まだ一人暮らしで消耗してんの?」と言えば、容易に世論が傾いてしまいそうな気がする。

しかし「修行という意味しかない」と言っても、その「修行」に意味がないわけではない。一人暮らしが人間に自立と成長を促すのは確かである、自分のことは全て自分でやらなければいけないのだから当然だ。

逆に、衣食住が保証された実家で、お母さんにご飯と身の周りの世話を全部やってもらっていたら確かに子供となんら変わりないし、もし仮に結婚して家を出たとしても、今度は嫁に母親と同じことを求めるだろう。

結果として、「見た目は中年、中身は子供、価値観は団塊」というバランス感覚皆無の生物が爆誕することになりかねない。そういった意味では、いかに合理的でなかろうが、一人暮らしをする意味はあると言える。

だが、親の方が子どもに「実家にいてほしい」と望むケースもある。

前に「増加する共倒れ家庭」という、タイトルからして明るい要素皆無のテレビ番組を見たことがある。老齢一人暮らしの父親の元に、非正規雇用で自活できない息子が帰ってきて、そのせいで生活保護が打ち切られ、ますます困窮するというマジで暗い所しかない話だった。

しかし、父親の方が息子に対し「迷惑だから出て行ってほしい」と思っていたかというと、そうではなく「自分が老齢で何があるかわからないので居てほしい」と言っていたのだ。

このように、高齢の親からすれば、子供がいてくれるのは「安心」という面もある。ほかにも、介護のために実家に戻って来た者もいるのだから、一概に「子供部屋おじさん」とバカにすることはできない。

「子供部屋おじさん」がここまで燃える理由

そして、この「子供部屋おじさん」に今更激烈な反応が起こっているのは、「おじさん」と性別が限定されているからだろう。

当然「子供部屋おばさん」だって存在する。私も結婚して家を出るまで実家にいたし、成人すぎても小学校入学の時買ってもらった学習机を使っており、もちろん身の周りのことは母親を越えてババア殿にやってもらっていたという、どこに出しても恥ずかしくない「子供部屋おばさん」だった。親は私を家から出すのに相当勇気がいったと思う。

しかし、バカにされているのは専ら「子供部屋おじさん」の方で、言葉自体も「ブサイク」には「ブス」ほどの破壊力がないように、「おばさん」より「おじさん」の方がどう考えても「強く」感じる。

「子供部屋おばさん」にパンチが足りないのは言外に「女はまあ実家住みでもいいんじゃね?」という見逃しがあり、逆に男には「男のくせにいつまでも親の世話になってみっともない」という、男女差別があるせいではないだろうか。

ネットを開けば、ジェンダー問題で毎日ひとつは村が燃えている昨今である。「子供部屋おじさん」が、そっちの観点でアンコール炎上しても不思議ではない。

当然だが、一家の家計を支え、親の介護をしながら家事までやっている「子供部屋おじさん」もいれば、ろくに家に金もいれず、親に三食用意してもらっている「子供部屋おばさん」もいる。もちろんこれはおじさん・おばさんを入れ替えたって言えることだ。

男だから、女だから、で言い切りが出来ないように「実家暮らし」という属性一つでは何も断言することは出来ないのである。

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