今年もル・マン参戦のトヨタ、レースの知見は本業にも活用可能か

今年もル・マン参戦のトヨタ、レースの知見は本業にも活用可能か

2017.05.26

6月14~18日の日程で、今年も「ル・マン24時間レース」がフランスのル・マン市で開催される。1923年に第1回が開催されたこのレースは、世界三大24時間レースと呼ばれるベルギーのスパ24時間、米国のデイトナ24時間と共に長い歴史を持つ耐久レースだ。中でも、ル・マンは最も古い歴史を誇る。そして第85回(1940~1948年の間は第二次世界大戦の影響で中止)を迎える今年も、トヨタ自動車はハイブリッドシステムを搭載するレーシングカーで参戦し、初優勝を目指す。その参戦の意図を探る。

2016年のル・マン。トヨタは1台が優勝目前で失格、もう1台は2位表彰台という結果だった

ル・マン制覇は一流ブランドの証

過去、ル・マン24時間レースには名だたる自動車メーカーが出場し、優勝を飾ってきた。ベントレー、アルファロメオ、ブガッティ、ジャガー、メルセデス・ベンツ、フェラーリ、アストンマーチン、フォード、ポルシェ、ルノー、プジョー、BMW、アウディなど、枚挙にいとまがない。

日本からも、トヨタ、日産自動車、ホンダ、マツダなどが出場してきたが、そのうち優勝したのはマツダだけだ。世界の自動車メーカーが栄冠をつかんできたル・マンの歴史に、勝者として名を刻むことはトヨタの悲願である。

自動車レースには他に「フォーミュラ1(F1)」もあって、日本ではホンダの活躍などにより、こちらのほうがなじみは深いかもしれない。しかし、本来の姿からすると、F1はドライバー選手権に重きが置かれ、自動車メーカーはドライバーを支援したことへの称賛を受けることになる一方、ル・マン24時間レースなどの耐久レースは自動車製造の戦いであり、こちらのほうが自動車メーカーにとっては栄誉となるのである。

ル・マン24時間レースが始まった頃は、エンジンやタイヤの性能はもちろん、ヘッドライトやワイパーなどの装備もまだ十分ではなく、クルマのあらゆる機能や装備が24時間走り続けることで鍛えられ、発展してきた。

また、ドライバーより自動車メーカーの技術競争に重きが置かれているため、参加するレーシングカーにも幅があり、数年前には同じハイブリッド車(HV)といっても、ガソリンエンジンとディーゼルエンジンが戦うことすらあった。一方のF1は、ドライバーが腕を競うレースであるため、レーシングカーの技術にメーカーごとの多彩さはない。

まさに時代を反映し、次世代の技術を磨くことに重きが置かれるのが、ル・マン24時間レースなのである。

耐久レースではメーカーの技術力が試される(画像は2016年のル・マン)

電動化技術が進歩、HVでレースに参戦する意味とは

しかし、かつてより時代は早く展開し、今日の自動車市場において、HVはもはや当たり前の存在となった。これから注目され、発展が期待されるのはプラグインハイブリッド車(PHV)であり、電気自動車(EV)である。

自動車メーカーとして、ハイブリッドレーシングカーでル・マンに参加する意義は何か。名だたるメーカーと共に勝者として歴史に名を刻む以外に、どういう狙いがあるのだろうか。

急減速で回生エネルギーを得るレーシングカー

トヨタがル・マンに出場する際のハイブリッドレーシングカー「TS050」で使われるハイブリッドシステムは、厳密には市販車「プリウス」などで使われているものとは異なり、レース専用に開発されたものだ。

プリウスと並ぶトヨタの「TS050」

エンジンは、ガソリン筒内直噴のV型6気筒で、排気量は2.4リッター。これに2つのターボチャージャーが取り付けられている。ターボチャージャーとは、排ガスを利用して圧縮機を回し、エンジンに供給する空気密度を高めて馬力を上げる装置である。

2個のモーターを装備し、前後タイヤそれぞれに駆動力をもたらすところは、市販車にも「E-Four」と呼ばれる4輪駆動があり、前輪はエンジンとモーターの両方で駆動し、後輪はモーターのみの駆動で4輪駆動を実現している。レーシングカーのTS050では、前輪がモーターのみということで前後の違いはあるが、システム概要としては通じるところがある。

トヨタ・GR開発部長の村田久武氏

モーターは、減速する際に発生する回生エネルギーをリチウムイオンバッテリーに充電し、その電力をエンジンの出力と合わせて加速で使う。この電気の使い方は市販HVと同様だが、加減速の強さが、レーシングカーでは市販車と比較にならないほど激しい。開発に携わるトヨタ・GR開発部長兼ハイブリッドプロジェクトリーダーの村田久武氏は、「時速150キロの減速を5秒でしてしまうのがレーシングカー」だと語る。

スポーツカーの加速性能を表すのに、「発進から時速100キロまで3~4秒で到達する」などとよく表現されるが、村田氏の説明は、その猛烈な加速と逆のことを減速で行っているという話である。たとえ高速道路を運転していても、これほど強い減速は、急ブレーキをかけるときでもないかぎりは起こらない。それほど激しい減速を、レーシングカーは競技中に何度も行っているのだ。

急速充電技術を量産車に応用

この市販車では考えられない激しい減速での回生が、実は量産車にも役立つと村田氏は話す。

「大きな電力を短時間でバッテリーに充電できれば、現在、EVやPHVの急速充電に30分ほどかかっていますが、それを5分で済ますことができ、ガソリンスタンドで給油するのと変わらないことになります」

一例として、三菱自動車「アウトランダーPHEV」は従来、急速充電に30分掛かっていた時間を、マイナーチェンジで25分に縮めたとする。この改良について三菱広報は、「たった5分ですが、そこには大きな技術的な進歩があります」と説明している。

三菱自動車「アウトランダーPHEV」

バッテリーには内部抵抗というのがあって、その抵抗によって急速充電にも限界がある。だが、レースにおいて、たった5分で充電できてしまう技術が開発されれば、いずれ、市販車に応用できる可能性が生まれる。そのような技術的挑戦が、HVでル・マンに出場する意義に秘められてもいるのである。

商用車の生産性を向上させる可能性も

それは、革命的な開発であると言える。村田氏は「市販車に応用すると言っても、まずはレースで培われた技術として、スポーツカー用にいかしていく道を探るのが順当でしょう。とはいえ、これが量産市販車へ転用できるようになれば、乗用車だけでなく、長距離トラックのような商用車でも活用でき、時間の無駄を省き、物流の効率化の中でもいきる技術となっていくのではないでしょうか」と語るのである。

消費財の乗用車に対し、生産財であるトラックやバスは、運転者は交代しても、クルマは24時間365日稼働することで生産性が高まる。その際、充電に30分もかけていたのでは時間の無駄だ。だが5分で済めば、ディーゼルエンジンに軽油を給油するのと変わらなくなる。

TS050のようなレーシングカーで獲得した技術には、量販車に応用するという道がある

EVの将来性についてはまだ懐疑的な意見もあるが、例えば米国のテスラ「モデルS」は、4ドアセダンの乗用車でありながら、ポルシェのスポーツカー並みの加速を実現している。モーターで駆動するからこそ、乗用車とかスポーツカーといった車種の区別なく、最高の加速性能を獲得できるのである。

それだけの可能性をモーター駆動は秘めており、なおかつ、トヨタがレースで培っている充電性能が満たされれば、エンジン車を選ぶ理由は限定的になっていくだろう。F1ではなく、ル・マンを含む世界耐久選手権に自動車メーカーが参加する意義は、そこにある。

世界的ブランドに必要なものとは

FIA世界耐久選手権(WEC)においてトヨタは、2014年にすでに世界チャンピオンのタイトルを獲得している。だが、ル・マンだけは獲れずにいるのである。昨年は、ゴール3分前まで優勝を確信させる走行を見せながらも、故障で逃している。悲願へ向けた今年の意気込みはさらに増していることだろう。ル・マン優勝を果たしてはじめて、冒頭に紹介した名だたるメーカーと肩を並べることになるからである。

トヨタ・GR統括部長の北澤重久氏

さらに、GR統括部長の北澤重久氏は「伝統のレースに居続けることが大切だ」と語る。例えば今年、ル・マン優勝と世界選手権奪還が達成できたとしても、世界耐久選手権シリーズとル・マンへの挑戦は、来年以降も続けるというのだ。

なぜなら、トヨタ創業者の豊田喜一郎氏が「オートレースと国産自動車工業」という文章で残した言葉である、「日本の自動車製造事業にとって、耐久性や性能試験のため、オートレース(当時は自動車レースをこう呼んだ:筆者注)においてその自動車の性能をありったけ発揮してみて、その優劣を争う所に改良進歩が行われ、モーターファンの興味を沸かすのである」が、現・豊田章男社長の提唱する「もっといいクルマづくり」に直結するからであるという。

技術開発を進め、原価を下げ、いいクルマを売ってもうけるだけでは、世界に誇るブランドとは認められない。その業界、そして社会に、文化的貢献をする無形の活動を持続させてこそ、人々はそこに憧れのブランドの姿を見る。それには無駄とも思えるお金と時間を要するが、それを惜しんでいては、安くていいものを作る製造業者という評価からは脱却できないのである。

「クラロワリーグ」プレイオフの波乱、大会システムもeスポーツ発展の課題か

「クラロワリーグ」プレイオフの波乱、大会システムもeスポーツ発展の課題か

2018.11.20

「クラロワリーグ アジア」のプレイオフが開催

世界一決定戦への出場権を手にしたのはどのチームか?

盛り上がりを見せる一方で、大会システムには疑問も

11月11日にお台場フジテレビの湾岸スタジオにて、「クラロワリーグ世界一決定戦」への出場権をかけた「クラロワリーグ アジア」のプレイオフが開催された。

波乱の展開を見せたプレイオフ

プレイオフには、「クラロワリーグ アジア」の地域で分けた3グループ(日本、韓国、東南アジア)のなかで、もっとも成績が優秀だった各1チームと、それぞれの地域で2番目に成績の良かった3チームがワイルドカードを争い、そこで勝ち抜けた1チームの合計4チームが出場する。

今回、日本からはPONOS Sports、韓国からはKING-ZONE DragonX、東南アジアからはBren Esports Sが1位通過し、ワイルドカード争いによって韓国のSANDBOXが出場した。

プレイオフ初戦の組み合わせは、抽選によって決められた。その結果、KING-ZONE DragonXとSANDBOXによる韓国勢が対戦し、PONOS SportsとBren Esportsが対戦。韓国対決を制したKING-ZONE DragonXと、日本のPONOS Sportsを破ったBren Esportsが決勝へコマを進めた。

日本代表のPONOS Sportsは、初戦2試合目の3ゲーム目に痛恨の反則負け。まさかのストレート負けを喫してしまう。クラロワリーグ世界一決定戦2018は、日本の幕張メッセで行われるので、開催国枠として、PONOS Sportsの出場は確定していたが、「プレイオフ初戦敗退」という結果で出場することは予想していなかった。

決勝では、KING-ZONE DragonXがBren Esportsを下し、見事、世界一決定戦への切符を獲得した。

プレイオフを制したKING-ZONE DragonX
開催国枠で世界一決定戦へ出場するPONOS Sports

疑問が残ったプレイオフのシステム

下馬評では圧倒的にPONOS Sports有利であったにも関わらず、こういった結果になるのはワンデイトーナメントならでは。ただ、そもそもプレイオフの出場に関するシステムには、疑問が残る結果だったと言えるのではないだろうか。

なぜなら、クラロワリーグ アジアのリーグ戦で、PONOS Sportsは11勝3敗という文句なしの成績で1位を獲得しており、東南アジアのBren Esportsも10勝4敗という好成績を残している。韓国1位のKING-ZONE DragonXは7勝7敗と5割の勝率だった。

東南アジア1位通過のBren Esports

日本、韓国、東南アジアで順位を分けているが、クラロワリーグ アジアでは、すべてのチームと総当たりで対戦し、同じ国や地域のチームのみ2回対戦する仕組みになっている。したがって、別の国や地域との対戦により、勝ち越すことなく1位になってしまうこともあり得るわけだ。

今回のクラロワリーグ アジアにおいて、韓国チームはいずれも振るわず、2位以下はすべて負け越している。ワイルドカード枠を獲得したSANDBOXは5勝9敗。この成績は日本で最下位だったDetonatioN Gamingや、東南アジアで最下位だったKIXと同じだ。クラロワリーグ アジア全体の順位で見てみるとPONOS Sportsが1位、Bren Esports 2位、KING-ZONE DragonXが6位タイ、SANDBOXが8位タイである。

東南アジア3位のAHQ ESPORTS CLUBは8勝6敗と、KING-ZONE DragonXよりも好成績を残している

やはり勝率5割で、リーグ戦順位が6位のチームがクラロワリーグ アジア代表として、世界一決定戦へ出場することに対して、違和感を覚えてしまうのは仕方ないだろう。

プロ野球のクライマックスシリーズでも、3位のチームが日本シリーズに出場することについては賛否両論があり、長年話し合われてきた事案だ。その結果、上位チームにアドバンテージをつけることで、とりあえずの折り合いが付けられている。

今回のプレイオフでは、上位チームにアドバンテージがなく、一発勝負だったのも、それまで戦ってきた3カ月間が水泡に帰するような印象を受ける。場合によってはSANDBOXが優勝することもあり、その場合は大幅に負け越したチームがアジア代表チームとなってしまうわけだ。

また、トーナメントの組み合わせは抽選により決定したのだが、こういったトーナメントの場合、初戦は1位通過のPONOS SportsとワイルドカードのSANDBOX、2位通過のBren Esportsと6位タイ通過のKING-ZONE DragonXの組み合わせになるのが一般的ではないだろうか。今回の組み合わせだと、初戦に事実上の決勝戦と言えるカードが発生してしまい、強豪がつぶし合うという結果にもなっている。4チームのトーナメントなので、今回はシードという概念はないのだが、強豪が初戦に当たらないように、シードによるブロック分けをするのは多くのスポーツや競技で使われている常套手段だ。

クラロワリーグは、アジア以外に、北米、欧州、ラテンアメリカ、中国の4つの地域でリーグが開催されている。すでに地域分けされているなか、クラロワリーグ アジア内で、さらに3つの地域に分ける必要はあったのだろうか。今回の結果はそこにも疑問が大きく残った。

リーグ戦での結果のみで出場権を与えるだけでも十分だという考えもある。ただ、プロ野球のクライマックスシリーズがそうであるように、プレイオフを実施することは、リーグ終盤の試合が消化試合にならなくなる施策でもあり、最後に盛り上がる山場を作れるという利点もあるのだ。したがって、プレイオフ自体を廃止する必要はないのだろうが、その出場資格においては、一考の余地があると思われる。

順当に考えれば、国や地域は関係なく、クラロワリーグ アジアのトータル順位1~3位がプレイオフ出場確定で、ワイルドカードをプレイオフ出場権のあるチームを除いた国や地域の最上位3チームによる争奪戦にすれば納得いくのではないだろうか。今回に限ってはPONOS Sportsが開催国枠で出場できることが確定していたので騒動にはならなかったが、他の国で開催され、アジアリーグで1位を取った日本のチームが出場権を獲得できなかったとなれば、騒ぎになってしまう可能性もあるだろう。

クラロワリーグは今年から始まったばかりで、まだいろいろな点で整っていないというのは十分わかる。ただ、今回のプレイオフの件は、システムを見直す良い機会となったのではないだろうか。次への糧とし、ファンにも選手にも納得のいくシステムの改善を期待したい。

明朝体でもゴシック体でもない書体

1969年(昭和44)、写研から「タイポス」という書体の文字盤が発売された。ひらがな、カタカナ、記号で構成された「かな書体」。桑山弥三郎氏、伊藤勝一氏、長田克巳氏、林隆男氏の4人による「グループ・タイポ」(*1)がデザインした書体である。

グループタイポ編『typo1〈普及版〉』表紙(グループタイポ/初版は1968年7月、普及版は1970年2月)

橋本さんは振り返る。

「写植が普及し、広告やポスターなどさまざまな媒体に使われるようになった昭和30~40年代、本文用の明朝体やゴシック体とは違う、新しい書体が求められるようになりました。そんななか、初めて登場した『新書体』がタイポスでした。発売されるや、爆発的に売れました」

タイポスは、時代にいくつもの新しい風を吹きこんだ書体だった。

まず1つ目に、そのデザインの新しさだ。タイポスは、明朝体とゴシック体のどちらでもない、その中間を目指してつくられた「ニュースタイル」の書体だった。(*2)

誕生のきっかけは1959年(昭和34)、武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)の3年生だった桑山弥三郎氏と伊藤勝一氏が、卒業制作でタイプフェイスデザインをやりたいと考えたことだった。

「美しい書体は読みやすさを生み出すと考え、かな特有の毛筆の流れをできるかぎり排除して、幾何学化、モダン化を図ろうとした」と、かつて桑山氏は語っている(*3)。

文字の骨格そのものを改革し、ふところを大きくして、明るい字面をつくった。かな特有の文字の曲線はできる限り水平垂直に近づけ、視線がスムーズに移動できるようにデザインされている。卒業制作としての発表はかなわなかったものの、桑山・伊藤両氏は卒業後さらに研究を続け、長田氏、林氏を加えてグループ・タイポを結成。1962年(昭和37)、第12回日宣美展に「日本字デザインの提案」として入選を果たしたのが、「タイポス」の誕生へとつながった。

「いままでの活字にはなかった書体をつくるということが、『タイポス』のデザインの前提にあったのだと思います。当初からファミリー展開することを考えて設計されたアドリアン・フルティガー氏による欧文書体Universのように、しっかりとした設計思想のもとでつくられていました」

数字で表す書体

1969年(昭和44)に写研から発売された「タイポス」は35、37、45、411の4種類だ。

「それまでウエイトを表していたL(細)やM(中)、B(太)のような概念的な言い方ではなく、タイポスは数字で表す書体でした。感覚的に書かれた文字ではなく、もっとデジタルっぽくつくられた書体なんです」

上から、タイポス35、タイポス37、タイポス45、タイポス411

タイポスの書体名についている数字は、横線と縦線の太さを表している。文字を入れる枠を100目のマスと考えたときに、「35」であれば横線3の縦線5、「37」なら横線3で縦線7、「45」は横線4で縦線5、そして「411」は横線4で縦線11というように、線の太さを表しているのだ。

アドリアン・フルティガー氏が欧文書体Universで「ファミリー」という考え方を書体デザインに打ち出したことに影響を受けながら、タイポスはそのさらに先を行くファミリー展開を考えた。

「ゴシックのように線幅が均一ではなく、明朝体のように横線が細くて縦線が太い。けれども、明朝体のようなウロコや打ち込みはない。むしろグループ・タイポは、明朝体やゴシック体のような既存の書体の枠を打ち破り、『タイポス』という提案そのものを認識させるための書体をつくったといえるのではないでしょうか。ニュースタイルのデザインで、既存の石井明朝体の漢字などと組み合わせると、おおきく印象が変わり、モダンな表情の組版になった。『タイポス』の登場以降、ニュースタイルの書体が次々と登場していきました。時代が変わるきっかけをつくった書体といっていいと思います」

写研の発行した書籍『文字に生きる』では「タイポス」の特徴を次のようにまとめている。

〈一、    従来の漢字とかなの大きさと比較して、かなが大きく、このため字間が均等となり、上下、左右のラインがそろって、きれいに見える。
〈二、    曲線をできるだけ垂直、水平な線に近づけた。このため、視線の移動がスムーズになる。
〈三、    毛筆のなごりである不必要なハネを取り除いた。このため、すなおな書体となった
〈四、    濁点の位置を一定にし、垂直にした。このため縦、横のラインを強めるのに役立っている。〉

文字を12のエレメント(=要素/てん、よこせん、たてせん、むすび、さげ、わ、まわり、あげ、はね、かえり、かぎ、まる)に分け、そのエレメントによる文字構成を示したのも新しい手法だった。

デザイナーが書体をデザインする時代へ

タイポスが吹きこんだ新しい風の2つ目は、「デザイナーがデザインした書体」であるということだ。タイポスの登場前、日本では、書体といえば活字書体で、「職人がつくるもの」だった。それが、デザイナーが設計したタイポスが登場し、注目を集めたことで、「日本語でも、新しい書体をデザインできるのだ」という意識を、デザイナーに芽生えさせることになった。

そして3つ目に、かな書体だったということ。(*4) 日本語で新しい書体をつくる場合、漢字まで含めると、少なくとも約3000字は必要とされた。金属活字でこれをつくる場合は、使用サイズすべての母型が必要だったため、つくらなくてはならない文字数はその数倍にふくれあがった。

写植機のレンズを通して文字を拡大縮小できる写植では、金属活字に比べれば新書体がつくりやすい状況ではあったが、それでも数千字である。けれども、両がなと記号だけであれば約150字程度で済む。しかも日本語では、文章の6割前後をかなが占めるため、ひらがなとカタカナのデザインが変わるだけで、紙面の印象を大きく変えることができた。

1972年(昭和47)には、石井ゴシックと組み合わせて使うことを想定した「タイポス」44、66、88、1212が発売された。社外のデザイナーがデザインした書体を写研が文字盤化し、写植書体として販売するという流れを最初に実現したのが「タイポス」だった。(つづく)

(注)
*1:グループ・タイポ:1959年(昭和34)、武蔵野美術学校の同級生だった桑山弥三郎氏(1938-2017)、伊藤勝一氏(1937-)、林隆男氏(1937-1994)、長田克巳氏(1937-)で結成。学生時代から開発していた「タイポス」が1969年(昭和44)写植文字盤として発売され、一世を風靡。1974年(昭和49)、有限会社に改組。2007年、桑山氏・伊藤氏のディレクションによって、タイポス漢字書体の原字をタイプバンクがデジタルデータ化。2008年、タイプバンクより「漢字タイポス」OpenTypeフォントが発売された。

*2:タイポスは、明朝体でもゴシック体でもないあるカテゴリーをつくった。カテゴリー名について、小塚昌彦氏はかつてこんなエピソードを書いている。
〈「タイポス」はタテとヨコの線幅(太さ)比を変えることによって、明朝風にもゴシック風にも展開できるが、もっぱらヨコが細くタテが太いものが多く使われていた。他にも同様なコンセプトの書体もかなり発表されたこともあり、在来のタイプフェイスのどこにも属さない、あるカテゴリーを作ったといえるのである。タイポグラフィ研究科、故佐藤敬之輔氏から「コントラスト体」ではどうかと提案があったこともあるが、未だ名案がないままになっている〉
(小塚昌彦「東西活字講座4 新しい時代へ」『たて組ヨコ組』No.23(モリサワ、1989) P.20

*3:筆者による桑山氏への聞き取りから(2008年9月5日)

*4: 2008年、タイプバンクより漢字も含む「漢字タイポス」OpenTypeフォントが発売された。

話し手 プロフィール

橋本和夫(はしもと・かずお)
書体設計士。イワタ顧問。1935年2月、大阪生まれ。1954年6月、活字製造販売会社・モトヤに入社。太佐源三氏のもと、ベントン彫刻機用の原字制作にたずさわる。1959年5月、写真植字機の大手メーカー・写研に入社。創業者・石井茂吉氏監修のもと、石井宋朝体の原字を制作。1963年に石井氏が亡くなった後は同社文字部のチーフとして、1990年代まで写研で制作発売されたほとんどすべての書体の監修にあたる。1995年8月、写研を退職。フリーランス期間を経て、1998年頃よりフォントメーカー・イワタにおいてデジタルフォントの書体監修・デザインにたずさわるようになり、同社顧問に。現在に至る。

著者 プロフィール

雪 朱里(ゆき・あかり)
ライター、編集者。1971年生まれ。写植からDTPへの移行期に印刷会社に在籍後、ビジネス系専門誌の編集長を経て、2000年よりフリーランス。文字、デザイン、印刷、手仕事などの分野で取材執筆活動をおこなう。著書に『描き文字のデザイン』『もじ部 書体デザイナーに聞くデザインの背景・フォント選びと使い方のコツ』(グラフィック社)、『文字をつくる 9人の書体デザイナー』(誠文堂新光社)、『活字地金彫刻師 清水金之助』(清水金之助の本をつくる会)、編集担当書籍に『ぼくのつくった書体の話 活字と写植、そして小塚書体のデザイン』(小塚昌彦著、グラフィック社)ほか多数。『デザインのひきだし』誌(グラフィック社)レギュラー編集者もつとめる。

■本連載は隔週掲載です。