燃費不正発覚から1年、三菱自動車の社内改革は真の再生につながるか

燃費不正発覚から1年、三菱自動車の社内改革は真の再生につながるか

2017.04.14

燃費不正発覚から1年が経過した三菱自動車工業。日産自動車の傘下に入ったことで社内改革が進み、V字回復を達成できるのではとの観測が浮上する一方で、プロパー社員のモチベーションなど、気になる部分もある。改革から真の再生へと進む道筋を、三菱自は見つけることができるのだろうか。

社内改革を進める三菱自は“生きる道”を見つけられるか

日産出身の副社長が指揮をとる社内改革

三菱自は4月13日、「燃費不正問題を受けた社内改革の進捗について」と題した山下光彦副社長による記者会見を行なった。

ちょうど1年前の4月に軽自動車燃費データ改ざんという不正が明るみに出たことで、三菱自の信用失墜は経営の屋台骨を揺るがす事態となった。苦境に陥った三菱自が提携先に求めたのが日産だった。昨年5月の連休明けに電撃的な両社の資本提携が発表され、日産が34%出資することで三菱自は日産傘下入りすることになった。

今回の社内改革の進捗についての記者会見で山下副社長は、淡々と再発防止への取組み、全員参加型のパフォーマンス・レボリューション活動の推進、プロダクト・エグゼクティブ(PX)制度の見直しなどの組織変更が具体化されてきていることを説明した。

山下副社長は、日産との資本提携発表により昨年6月に日産技術顧問から三菱自に送り込まれた人物。日産時代は約10年にわたってゴーン日産で開発責任の副社長を務めた。三菱自の開発部門を中心とする改革のリーダーとして、ゴーン氏が直々に任命したというわけだ。実際、2016年7月1日付けで山下副社長は、新たに発足した三菱自の「事業構造改革室」のリーダーとなり、社内改革の責任者を務めている。

開発・品質担当のチーフ・プランニング・オフィサー(CPLO)を務める山下副社長

業界初の測定データ処理自動化システム導入

三菱自の燃費不正問題について5項目でまとめると、(1)法規で定められた惰行法によらない走行抵抗の測定、(2)走行抵抗の恣意的な改ざんおよび机上計算、(3)eKワゴン/eK スペースに関する走行抵抗の恣意的な算出と引き下げ、(4)不正発覚後の走行抵抗再測定の際にも、測定方法の趣旨に反する取り扱い、(5)1~2に対して自浄作用が働かず、1991年から25年にわたり是正できず、という状況だ。三菱自の体質に起因する根深い問題だった。

このため、再発防止策がまず第一にあげられるが、これについては仕組み、組織、風土・人事、経営レベルの関与のあり方から、合わせて31項目の再発防止に取組んでいる。特に注目されたのは、走行抵抗の測定データ処理自動化システムの導入である。これは業界初の試みであり、自動化システムにより改ざんの余地がなくなるということである。

日産主導の改革、プロパー社員の気持ちは

昨年10月の日産による資本払い込みと臨時株主総会の後、ゴーン氏は自ら三菱自の会長に就任した。これにより、ゴーン氏は仏ルノー、日産、三菱自のトップとして3社連合を率いることになった。

ゴーン会長は「日産と三菱自は、パートナーシップでシナジー(相乗効果)を求める相手である」ことを強調し、2017年4月1日付けで日産社長に就任した西川廣人氏も「三菱自の自立再生を前提として日産はサポートしていく」とする。

しかし、一連の三菱自の社内改革は明らかに日産主導で進められており、三菱自社員のモチベーションにどのような作用を及ぼしているかは気になるところだ。過去2度のリコール隠しから、燃費データ問題も長きにわたって自浄作用が働かず、「たこつぼ文化」とも揶揄された三菱自の企業風土・文化・土壌を、三菱自プロパー社員が本質的に変えていくことができるか、ということが焦点になってくる。

山下副社長も会見で、三菱自の風土改革、意識改革について「1年そこらでそんなに変わるものではないが、仕組みが変わると(日産でも経験したが)5年、10年で変わってくる。改革の具体化、具体的な制度を踏まえていくことがカギだ」と指摘した。

風土を変えるのは簡単ではないだろうが、仕組みさえできてしまえば、時間が解決してくれる側面があるのかもしれない

日産と三菱商事が中核をなす三菱自の経営陣

ただ、三菱自のプロパーということでは、相川哲郎前社長がこの燃費不正問題で引責辞任している。社長を引き継いだのは、三菱商事出身で三菱自会長からの復帰となった益子修氏だ。筆頭株主となった日産からは、ゴーン氏が会長に就任し、トレバー・マンCOO(最高執行責任者)が送り込まれ、これに山下副社長ら2名の取締役(非常勤)が加わる。さらに副社長陣は、山下氏の他に三菱商事から白地浩三氏(グローバル事業)、三菱UFJ銀行から池谷光司氏(財務・経理)の体制である。

つまり、三菱自プロパーの星とも言われた相川前社長の引責辞任後は、日産と三菱商事が主導する経営体制へと移行した。こういった体制で進む社内改革が、三菱自プロパー社員にどう受け止められているかということだ。三菱自は「リコール隠しの自浄作用がなかった」「『たこつぼ文化』の土壌は変わっていなかった」と批判されるが、三菱自の社員の多くが、この10年間、再建の道に耐え忍んできたことを私も知っているだけに、「4回目の改革」を社員達がどう捉えているかという点に対しては憂慮を抱かざるをえない。

日産リバイバルプランの再現なるか

三菱自の2016年度決算発表は、5月の連休明けの9日に行なわれる予定だが、先頃の第3四半期業績発表時には通期上方修正の見通しを発表している。それによると、2016年度通期業績は売上高1兆8900億円、営業利益10億円だが、当期純利益は2020億円の損失となる見込みだ。これは営業利益段階で276億円の赤字から営業黒字への上方修正となっており、益子社長は「日産との提携を通じ、結果的に焦点を当てた規律あるコミットメント(目標必達)の文化が浸透してきている。この下期業績を来期につなげ、V字回復のシナリオを確かなものにしていきたい」とコメントしている。

三菱自の2016年度のグローバル販売は、前期比12%減の92万1000台と100万台を割ることになった。その内訳は、アジア31万6000台(2%減)、欧州17万7000台(14%減)、北米14万1000台(4%増)、日本7万5000台(26%減)、その他21万2000台(25%減)である。タイを中心にインドネシア、フィリピンなどアセアンのウエイトが高く、伸びているのは北米のみにとどまる。日本は燃費不正問題の影響で10万台を大きく割ったが、それでも下期に「販社のがんばりで想定以上に持ち直してきた」(服部俊彦専務)とする。

三菱自としては、かつての日産リバイバルプラン(NRP)によるV字回復の再現を狙って、前期で燃費不正問題の特別損失を吐き出し、来期からの黒字転換を図る構えだ。

市場・ユーザー・地域の信頼回復が最大のテーマ

かつての三菱自は、「ミラージュ」「ランサー」「ギャラン」「パジェロ」「デボネア」といった多くの登録車に加え、軽自動車からトラックまでを抱える総合自動車メーカーだったが、リコール隠し問題以降は「選択と集中」で車種を大幅に整理してきた。トラックは三菱ふそうとして独ダイムラー傘下で分離し、三菱自としても軽自動車、SUV、電動車(PHEV・EV)に集中する方向を強める。

軽自動車からトラックまで作っていた三菱自だが、近年はSUVなどに車種を絞っている

販売面では、かつて「ギャラン店」と「カープラザ店」という国内2チャネル体制をとり、軽自動車主体の業者販売網を根付かせていたのが三菱自だったが、ここ数年はワンチャネル化した三菱自販売店から、「日本国内で売れる商品が欲しい」とぼやきの声がよく聞かれていた。燃費不正の発覚や軽自動車生産の販売停止は大きな打撃だった。メーカーとしては、顧客への対応と共に販社へのフォローもしっかり対応していかないと、本当に三菱車離れにつながることになる。

1000万台連合軍の一員に

三菱自の生産面を見てみると、岡山県の水島製作所は、かつて戦闘機「紫電改」の製造で名を馳せた歴史のある国内最主力の軽自動車生産主体の工場であり、取引先サプライヤーも、倉敷地区の総社市に「協同組合ウイングバレイ」として集結し、岡山県の経済で大きなウエイトを占めている。ウイングバレイは三菱自の米国現地生産、タイの現地生産にも連動して現地進出するほど密接な関係にある。

筆者は、かつてこのウイングバレイの部品企業を取材したが、三菱自と共に生きる地場の強固な結束力を持ったサプライヤー軍団だった。こうした地場サプライヤー網を生かした低コスト・高効率な生産体制が水島工場の強みなのだ。

また、愛知県の岡崎製作所は開発拠点とも連動しており、「アウトランダー」および同PHEV、「RVR」に加え、かつての米国工場での生産機種「エクリプス」の車名復活で話題を呼んでいる「エクリプス・クロス」を本年度から生産開始する。これに伴い、RVRの水島への生産移管を検討するなど、国内生産体制の再編も進める。

いずれにせよ、三菱自がグローバル販売100万台を確立し、ルノー/日産連合の一翼を担うようになれば、このアライアンスは1000万台連合軍で世界トップに肩を並べることになる。三菱自としては、地域(東南アジア)と車種(SUV)をしっかり固めることが再生への指針ということだろう。

メルカリ出し抜くラクマ、売上金の「楽天キャッシュ」チャージ額が5億円を突破

メルカリ出し抜くラクマ、売上金の「楽天キャッシュ」チャージ額が5億円を突破

2019.01.22

ラクマ売上金の「楽天キャッシュ」チャージ額が累計5億円に

同様のサービスを構想しているメルカリを先行する形に

楽天は1月21日、フリマアプリ「ラクマ」において、取引で発生した売上金のうちオンライン電子マネー「楽天キャッシュ」へチャージした累計額が2018年12月末に5億円を突破したと発表した。

ラクマでの売上金を楽天キャッシュへチャージする機能は、2018年7月より提供開始されている。チャージした電子マネーは、楽天会員向けのグループ各種サービスで利用できるほか、ローソンやファミリーマートなど「楽天ペイ」対応店舗での決済でも利用可能だ。

2017年8月1日から開始されたローソンでの支払いに続いて、2018年12月4日からはファミリーマートでも楽天ペイが使用できるようになった

同じくフリマアプリを展開するメルカリは、100%子会社「メルペイ」で同様のサービスを構想している段階であり、この分野においてはラクマが1歩先行する形になった。

現状、メルカリで得た売上金をメルカリ以外で使う場合は、一度口座に振り込む必要がある。また、売上金には180日という「振込申請期間」が設定されており、その期間中に「口座に振り込む」か、メルカリ内で使える「ポイントを購入」するか、選ばなければならない。ただし振込の場合、1万円未満だと210円の手数料が発生する(2018年1月21日時点)。ラクマの売上金チャージ機能と比較すると、どうしても見劣りしてしまうだろう。

ちなみに筆者もメルカリユーザー。現状、売上金が合計1万円に満たないため、振込手数料を発生させずに現金に換えるためには、あと1540円分の売り上げが必要になる (画像はメルカリアプリより)

しかし、少し古いデータではあるが、2018年5月31日のニールセン デジタルの発表によると、スマートフォンからの利用率の高いオークション/フリマサービスは、1位がYahoo! オークションで25%、2位がメルカリで23%、3位がラクマで11%であることがわかっており、同じフリマサービスであっても、ラクマの利用率はメルカリの半分であるのが現状だ。

メルカリのダウンロード数は2018年11月14日時点で7500万、ラクマが同年10月時点で1500万と、両サービスの普及率にも差があることからも、日本におけるフリマ市場のバランスがすぐにひっくり返ることはないだろう。

だが、ラクマが売上金をさまざまなサービスに使えるという実用性で、メルカリとの新たな差別化ポイントを生み出したことは、新規ユーザーの獲得に少なからず貢献しそうだ。

ラクマ売上金のチャージ額が5億円突破したことは、ユーザーの「アプリ内の売上金を別の場所で使いたい」というニーズの強さの証明ともいえよう。こうしたユーザー視点に立った機能の追加による消費体験の向上が、フリマ市場にどのような影響をもたらすのか、キャッシュレス決済市場への参入が期待される、メルカリの動向と合わせて注目したい。

1000字の描き直しを越えて ―ナール制作の舞台裏

最初の書体感覚をもち続けることのむずかしさ

写研で書体デザインの責任者を務めていた橋本和夫さんに衝撃を与えた書体、ナール。作者の中村征宏氏が第1回石井賞創作タイプフェイスコンテスト応募時に書いた設計意図は、次の通りだ。

〈縦組みの場合にも、横組みにも字間のバランスがムリなく一つの流れを持つことを念頭におき、ボディータイプとして、従来使用されなかった丸ゴシック系のタイプフェイスを試みた。字面をいっぱいに使い、文字のエレメントを強調し、細い線で構成することによりシンプルさを求めた。字面を大きく使うことが字間の問題に関連し、字間のバランス調整のための切り貼り、字詰めの工程を少しでも短縮することができるのではないかと思う。その結果、組み上がりにおいて、集合の調和が生まれるのではないかと思う。広告制作物などにおいて、コピーやサブ・タイトルなどに適するのではないかと考える。〉(*1)

中村征宏氏の著書『文字をつくる』(美術出版社、1977年)

1970年(昭和45)5月18日にコンテスト授賞式が開催されたのち、写研からの文字盤発売に向けて、同年8月ごろから本格的な書体制作が始まった。必要な文字数は漢字が約5400字、ひらがなとカタカナで約150字、アルファベット約100字、その他(約物、記号など)約200字で、合計約5800字だ。写研の監修を受けながら、原字はすべて中村氏が描いた。監修を担当したのは橋本さんである。

約5800字の原字を描くのは、想像以上に大変な作業だ。橋本さんは語る。

「コンテストに応募するときに描いていただくのは、漢字50字とひらがなカタカナ、そして記号の一部だけです。それを1枚のパネルに構成するので、文字構成としては、まとめやすい。ところが、文字盤化する際には約5800字を1文字1文字描くことになり、完成するまでの年月は2年はかかります。外部デザイナーの方と書体をつくるようになって、われわれが一番苦労したのは、“今月と来月では、仕上がってくる書体の雰囲気が変わってしまうことがある”ということでした」

「文字を増やす際に字種リストを渡すのですが、『何の文字をつくるか』を見るためのリストのはずが、長い間ながめているうちに、つくっている文字がリストの文字に似てきて、当初のデザインと雰囲気が異なってきてしまった。ナールは既成概念をくつがえす、突き抜けたデザインの丸ゴシック体だったはずなのに、描き進むうちに最初のデザイン思想から離れ、持ち味が失われるということが起きたのです」

原字を描き進めるうち、コンテストのオリジナルデザインから、いつのまにか特徴が変わってしまっていたのだ。そのままでは、まるで違う書体になってしまう。結局、途中で1000字分を描き直すことになった。

中村氏もこのことを振り返り、著書に〈人の感覚は徐々に変化するものには気づきにくいものですから、いつも最初の見本と照らし合わせながら書き進めることが大切です。このようなことは、太さだけのことではなく字形とか感覚面でも同じようなことがいえます。感覚もときがたつことによってどんどん変化するものですが、とくに最初の感覚は大切にしていきたいものです〉と書いている。(*2)

悩ましい文字

「もうひとつ、ナールを監修したなかで、ひどく悩んだことがありました。ナールは、字面いっぱいに真四角に描かれた書体です。たとえばひらがなの『り』は通常は縦長、『へ』は横長の形をしていますが、これらの文字すら、できる限り正方形に近づけて描かれている。ぼくが悩んだのは、『々』という漢字でした」

ナールでは、縦長の「り」、横長の「へ」も正方形にかなり近い

「時々」「常々」「佐々木」など、同じ漢字を繰り返すことを表すときに用いられる「々」の字だ。

「常識的にいえば、この字は他の漢字よりも小さく描きます。では、通常は縦長、横長など固有の形をもつひらがなですら正方形に近づけているナールでは、どういう大きさにすればよいのか? 最初は『々』も他の漢字と同じ大きさで、真四角にするのがよいと思ったのですが、いざつくってみると、やはり少しは他の漢字より小さくしなければ『々』に見えないとわかりました」

「他の書体をつくるときにも『々』をどういう大きさにするか、いつも考えるのですが、ナールのときにはとりわけ悩んだものでした」

また、こうした試行錯誤を経て、「文字を図形化する際も、かなと漢字の使い方に意味のあることをあらためて認識しました」という。

新聞雑誌、広告から、道路標識まで

途中で1000字の描き直しなどがあったものの、コンテストから2年後の1972年(昭和47)、ナールは写研写植機用の文字盤として発売された。書体名は、「中村」の “ナ” と、丸みを表す言葉である「ラウンド」の頭文字 “R” をとって「ナール」とつけられた。(*3)さらに、ナールと組み合わせて使うことを想定した中太の「ナールD」の文字盤も1973年(昭和48)に発売された。

ナールD(上)とナール(下)

中村氏はコンテスト応募当時、ナールを本文書体と考えていたが、いざ発売されてみると、広告や雑誌、新聞などの見出しなどに使うディスプレイ書体として大人気となった。ポスターや広告のキャッチフレーズ、テレビの字幕、道路標識などに幅広く使われ、一世を風靡した。

「タイポスによってデザイナーのつくる書体が注目され、少女たちが丸文字を書くようになっていく流れのなかで登場したナールは、『時代に乗った』ともいえますが、むしろ『時代をつくった』書体といえるでしょう。写植の文字はナールの登場によって、それまで職人が手描きしていたレタリング文字の分野に浸透していった。“新書体ブーム”の幕開けでした。そうして写植の機械は、単に文字を印字するだけでなく、多彩なディスプレイ書体によって雑誌や広告にファッション性を生み出す手段のひとつとして、とらえられるようになっていったのです」

(つづく)

(注)
*1:中村征宏『文字をつくる』(美術出版社、1977年)P.80
*2:同書 P.21
*3:『文字に生きる〈写研五〇年の歩み〉』(写研、1975年)P.127

話し手 プロフィール

橋本和夫(はしもと・かずお)
書体設計士。イワタ顧問。1935年2月、大阪生まれ。1954年6月、活字製造販売会社・モトヤに入社。太佐源三氏のもと、ベントン彫刻機用の原字制作にたずさわる。1959年5月、写真植字機の大手メーカー・写研に入社。創業者・石井茂吉氏監修のもと、石井宋朝体の原字を制作。1963年に石井氏が亡くなった後は同社文字部のチーフとして、1990年代まで写研で制作発売されたほとんどすべての書体の監修にあたる。1995年8月、写研を退職。フリーランス期間を経て、1998年頃よりフォントメーカー・イワタにおいてデジタルフォントの書体監修・デザインにたずさわるようになり、同社顧問に。現在に至る。

著者 プロフィール

雪 朱里(ゆき・あかり)
ライター、編集者。1971年生まれ。写植からDTPへの移行期に印刷会社に在籍後、ビジネス系専門誌の編集長を経て、2000年よりフリーランス。文字、デザイン、印刷、手仕事などの分野で取材執筆活動をおこなう。著書に『描き文字のデザイン』『もじ部 書体デザイナーに聞くデザインの背景・フォント選びと使い方のコツ』(グラフィック社)、『文字をつくる 9人の書体デザイナー』(誠文堂新光社)、『活字地金彫刻師 清水金之助』(清水金之助の本をつくる会)、編集担当書籍に『ぼくのつくった書体の話 活字と写植、そして小塚書体のデザイン』(小塚昌彦著、グラフィック社)ほか多数。『デザインのひきだし』誌(グラフィック社)レギュラー編集者もつとめる。

■本連載は隔週掲載です。

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