トヨタ「プリウスPHV」から見えてきた“つながるクルマ”の未来像

トヨタ「プリウスPHV」から見えてきた“つながるクルマ”の未来像

2017.03.14

新型「プリウスPHV」のトピックの1つは、コネクティッド環境の充実だ。インテリアには11.6インチという巨大な縦長ディスプレイを備え、テレマティクスも進化。PHV専用のスマートフォンアプリも用意した。トヨタ自動車のコネクティッド戦略はどこを目指すのか。開発担当者に聞いた。

トヨタがコネクティッド戦略の“先陣を切るクルマ”と位置づける新型「プリウスPHV」

EV走行だけではないプリウスPHVの注目ポイント

トヨタの新型プリウスPHVは、満充電で68.2キロ走れるという大容量リチウムイオン電池や、1日最大6.1キロの走行用エネルギーを生み出すルーフのソーラーパネルなど、電気で走る能力の高さが注目されているが、アピールポイントはそれだけではない。

インパネ中央に据えられた11.6インチという超大型の縦長ディスプレイ、充電ステーション検索やエアコン操作が行えるスマートフォンのアプリなど、つながる能力の高さもアピールしているのだ。

そこで今回は、トヨタのコネクティッドカンパニー所属で、プリウスPHVのテレマティクスを手掛けた山田貴子氏と、ミッドサイズビークル(Mid-size Vehicle)カンパニー所属で車両企画を担当した小島利章氏に、開発背景や導入の目的などを伺った。

コネクティッドカンパニーの山田氏(左側)とミッドサイズビークルカンパニーの小島氏

まるでタブレット、大型ディスプレイの存在感

まずは多くの人が最初に注目する大型縦長のディスプレイについて。小島氏は次のように導入の経緯を説明した。

「かなり前からプリウスPHVには導入しようと決めていました。しかしながら、ただ装着すれば良いというわけではありません。縦型にしたことで新たに可能になった機能がいくつかあります。それらをどう収めていくか、社内だけでなく外部のデザイナーにも入ってもらって開発しました。その結果、私たちは『リボルバー』と呼んでいるメニュー画面、エアコンやオーディオのメニューがポップアップする画面などが生まれました」

大きな縦型ディスプレイが目を引くプリウスPHVのインパネ。右側の写真は「リボルバー」でエアコンのメニューをポップアップさせたところ

プリウスPHVのカタログでは、このディスプレイについて「使い勝手は、まるでタブレットです。」とうたっているが、たしかに乗り込んですぐに使いこなせる、練り込まれたインターフェイスだと思った。

一方で地図の表示や操作方法については、これまでのトヨタ車の様式をそのまま受け継いでいる。なので統一感がイマイチという声もあるそうだ。しかし、これは分かりきってやったこと。長年トヨタのナビを使い続けてきた人も多いので、そういう人たちのために従来の様式を残しているというのだ。

有人オペレーターを残した理由

このディスプレイには「T-Connect」と呼ばれるトヨタのテレマティクスサービスを搭載している。DCMと名付けられた専用通信モジュール(KDDIのLTE回線を使用)を使い、音声対話サービスの「エージェント」、専用アプリ、万一のときにアラーム通知や位置追跡を行うセキュリティサービス、定期点検などの案内をメールで送信するリモートメンテナンスサービス、事故や急病などの際に緊急通報を行うヘルプネットなどを用意してある。

興味深いのは、音声対話サービスを搭載する一方で、オペレーターがサポートを行うサービスも残していることだ。その理由について山田氏はこう解説してくれた。

ユーザーのことを考えて有人オペレーターを残したと語る山田氏

「トヨタのユーザーには高齢の方も多くいらっしゃいます。また現時点ではエージェントの性能は完璧とは言えないのも事実です。こういった状況を考えると、最後は有人オペレーターだと思っています。オペレーターは外部に委託していますが、もちろん人件費は相応に掛かります。さらには問い合わせが集中する時もあります。しかしIT+AI+人というのがトヨタの考えですので、今後もオペレーターは継続していきたいと思っています」

アプリについては現在、20種類ほどを用意しているとのこと。始まったばかりのサービスということもあり、スマホと比べれば少ないが、筆者が9年前に最初にiPhoneを買ったときも似たような状況だった。オープンソースにしてスムーズな開発ができる環境を整えているそうなので、今後は急速に増えることだろう。

そこではぜひ、SNSとのつながりも実現してほしい。現状でも最新ニュースなどが逐一ディスプレイに表示されるけれど、たとえば個人のスマホのディスプレイに現れるメッセージは、SNS関係がほとんどという人も多いはず。開発時はSNSがここまで普及するとは考えていなかったそうなので、こちらも今後に期待だ。

専用アプリの機能は限定

このディスプレイに加えて、新型プリウスPHVではスマホにも専用アプリ「Pocket PHV」を用意した。ただし機能は充電・外部給電情報確認、充電ステーション検索、リモートエアコンと、他の電気自動車などでも目にするメニューに留めている。

リモートエアコンの画面

理由はT-Connectにもスマホ用アプリがあり、機能を分けているため。ひとつにまとめることでアプリが重くなることを懸念したそうだ。

自分のスマホとDCM、2つの電波を併用することは無駄だと感じる人がいるかもしれないが、それを一緒にできない理由はセキュリティ面にある。DCMは走行性能に関わるエンジン・コントロール・ユニット(ECU)とつながっているので、万が一ハッキングされた場合、安全面が懸念されるからだという。

プリウスPHVは、トヨタのコネクティッドサービスにとって大きな一歩であるとともに、二歩目、三歩目が期待できる内容でもあった。となると気になるのは、個々の車種の機能だけでなく、メーカーとしてコネクティッドカーをどういう方向に発展させていくかということだ。

プリウスPHVにコネクティッド機能を盛り込んだトヨタは、つながるクルマの未来をどう考えているのだろうか

プラットフォーム作りはオールジャパンで

筆者が今年1月に訪れた米国ラスベガスのCES(家電見本市)では、主要自動車メーカーと情報通信企業の提携話が連日のように流れた。だからこそ、名前が出なかったトヨタの今後が気になっていた。この分野でも「自前主義」を貫くのか。この疑問に山田氏は次のように答えた。

「プラットフォームは共通化していくのではないでしょうか。私たちだけですべてを構築するのは難しいと感じている部分もあり、いずれ手を組むことになるでしょう。現に昨年末、総務省で自動車業界、IT業界、保険業界などが集まって『Connected Car社会の実現に向けた研究会』が開催されており、新たなサービスやビジネスのあり方、無線通信ネットワークのあり方などを検討していくことになっています」

自動運転もコネクティッドカーも、国際的なルールやプラットフォームが必要であり、1社で世界を独占するのはたしかに不可能に近い。オールジャパンの一員としてコネクティッドカーの進化に取り組んでいきたいという言葉を聞いて、トヨタはこの世界をしっかり理解していると好感を抱いた。

その面倒な組織カルチャー、印鑑が原因ですよ

藤田朋宏の必殺仕分け人 第4回

その面倒な組織カルチャー、印鑑が原因ですよ

2019.03.18

印鑑業界による印鑑文化の優位性アピールが話題

会社経営者として感じる、捺印作業の面倒さ

「サイン文化」と「印鑑文化」で変わる組織カルチャー

行政手続きのオンライン化を目指す「デジタル手続き法案」をめぐり、全日本印章業協会がアピールした「印鑑のメリット」が話題になっている

「代理決済できるという印章の特長が、迅速な意思決定や決済に繋がり、戦後の日本経済の急速な発展にも寄与してきた」(原文ママ)というものだ。

「ハンコならこっそり代理決済ができる」などと、身も蓋もなく自ら印鑑廃止を後押ししてしまいかねない意見が出てしまったことは興味深い。
でも僕は、ただのバイオテクノロジー屋なので、ITを活用した効率化しますよ業界の回し者でもなければ、印鑑業界の人を敵に回すメリットだってないので、特にこの点について深く言及しないし、「日本における今後のハンコをどうするべきか」なんてことを掘り下げて云々するつもりもない。

ただ、日本を含む4カ国でスタートアップを立ち上げた経験から、企業の組織カルチャー形成に、承認方法としての「印鑑」と「サイン」の違いが、とても大きな影響を与えているのではと実感した話を書いておきたい。

日々、何かと多すぎるハンコ作業

まず共有しておきたい事実は、日本で会社を経営すると、毎日ものすごい数の代表印や銀行印や社印を押さなければいけないということだ。(会社の印鑑って3種類あるの知ってました?)

お客さんと契約してお金をいただくときに契約書に捺印するのはイメージできると思うが、その後もお金が銀行口座に無事入るまで、受領やらなにやら契約書だけでなく、さまざまな書類にとにかく捺印をしまくる必要がある。

また、家賃を払う、プリンターのトナーが切れる、実験試薬を買うなどなど、とにかく会社を運営する活動の一つ一つに対して、それぞれ細かくおびただしい数の印鑑を押す。法人が国や地方自治体に税金を払う時はもちろん、社員のあれこれも、例えば社員の誰かが結婚したり引っ越したりするだけでも印鑑を押しまくる。自分で会社をやってみてつくづくわかったが、とにかく捺印の数が膨大だ。

しかも、びっくりすることに、民間企業も市町村も、同じことをするために、それぞれがまったく違うフォーマットの書類に捺印を求めてくる。

こうして、大量な上にフォーマットがまったく違う書類を毎日渡されて、決められた位置に決められた種類の捺印をすることは、仮に契約書や書類の中身をまったくチェックしないで無責任に捺印したとしても、結構な時間を必要とする作業だ。

捺印にかける時間が惜しい

しかもうわの空で押していると、銀行印を押すべきところに代表印を押し間違えてしまったり、インクが簡単にかすれてしまったりするのが印鑑だ。人生において、こんな捺印ミスなどという程度のことで書類を作り直してもらう羽目になった回数を考えただけで、こんな単純な作業に失敗する情けなさとと、書類を作ってくれる従業員への申し訳なさで、どこかに隠れてしまいたい気持ちになる。

そう、僕は毎日、隠れてしまいたい気持ちになっているのだ。

なぜ、日本から印鑑はなくならないのか

我々の会社のように、たとえ社長だろうがあっちこっちに、営業に謝罪にと、せわしなく飛び回わることで、なんとか会社の体を保っているような規模の企業の方が世の中には多いと思う。そんな"貧乏暇なし社長”がこの捺印という物理的作業に忙殺される時間というのは、正直いって無駄以外の何物でもない。

にもかかわらず印鑑を押すという文化が日本に残っているのは「捺印するという作業」は、誰かに頼めてしまうからなのだと思う。多くの会社において「捺印をし続けるという作業」を自分でやっている社長はあまり居ないのかもしれず、ここが、すべて自ら書かなければいけないサインとの最大の違いなのだろう。

ちなみに、僕の場合は「捺印をし続けるという作業」だけを人に頼むような仕事の依頼の仕方は好みではないので、あちこちに会社を立ち上げては、担当者に「代表取締役」の役職ごと譲るようにしている。

海外の「サイン文化」は印鑑以上に面倒?

冒頭にも書いたが、僕は日本以外の3カ国でも会社を経営している。言うまでもなく日本以外の国は、承認の証としては「サイン」が一般的だ。

日本の会社同士の契約書の場合は、代表者の名前の脇に代表印と社印を、契約書を閉じた裏面に割印を一カ所押す形式であることが多い。つまり、二者間の契約であれば、先方用の契約書と当方用の契約書をあわせて、計4カ所の代表印と計2カ所の社印を押せばよい。

ところが、海外の契約書は、すべてのページにサインをしなければならない。海外の契約書は「実際にそんなことは起きないって」ってくらい、ありとあらゆる場面を想定した契約書になっていることが多く、とにかく契約書が長い。

感覚として、同じような内容の契約をするのに、日本の会社同士の契約の5倍~10倍のページ数になっても驚かない。

つまり、ちょっとした契約書でも軽く100ページを超えてくるわけだが、このすべてのページに手書きでサインをすることを想像して欲しい。契約書の中身を読んでただただサインを書き続けていると、「こんな作業に時間を使い続けてていいのだろうか」という自問の気持ちが芽生えてくる。

その組織カルチャーの差、ハンコとサインの差が原因ですよ

言うまでもなく、サインは誰かに代わりに書いてもらうことはできない。では、サインを書く物理的な時間を減らすために、何が起こるのかというと、「権限委譲」が進むのである。

日本の会社だと当たり前のように社長の名前で締結する規模の契約でも、海外の会社だと担当部長あたりの名前で契約を締結してくる。

もしかしたら、日本の会社のカルチャーだとそれは失礼なことに当たるのかもしれないが、サインを前提とした会社において、会社のすべての契約を社長名義で契約していたら、社長の一日は「サインを書く」という作業だけで終わってしまう。だから、どんどん権限委譲をしていくしかない。

日本の大企業の合意形成や意思決定のあり方を分析する文脈において、「日本の会社は権限委譲が進んでいない」とか、「プロジェクトごとの意思決定者の所在がよくわからないから、スピード感が遅くなってグローバル競争に負けてしまう」などという指摘を頻繁に見る。

特に近年流行りの「日本企業のホワイトカラーの生産性を高めましょう」という議論の多くでは、日本企業のこういった特殊性の原因を、日本人の歴史的・文化的背景や、国民性が理由であると結論づけている。

だからもっぱら、風通しがよく責任範囲が明確で、意思決定の早い会社にするために、せっせと組織構造をいじったり、管理職に研修をしたりと、コンサル屋さんが儲かるだけの努力に大きなお金を払うことになっているのだが、大きな効果が得られているようにみえない。

僕の考えは、特殊性の理由がちょっと違っていて、「その組織カルチャーの差って、捺印とサインの差が本質的な原因ですよ」と、わりと確信に近い自信を持っている。

捺印の作業だけを誰かに頼むのではなく、捺印をする権限ごとどんどん頼んでしまえばいい。ハンコにウンザリしている世の中の社長さん、そう思いません?

(藤田朋宏:ちとせグループ 創業者 兼 最高経営責任者)

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カレー沢薫の時流漂流 第32回

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2019.03.18

漫画家・コラムニスト カレー沢薫さんの社会派連載!

第32回は、実家暮らしの男性に降りかかる「子供部屋おじさん」論議について

「子供部屋おじさん」という言葉が注目されている。言葉自体は2014年あたりからあったそうだが、今また脚光を浴びているそうだ。

「○○おじさん」「○○おばさん」という呼称には、「アイカツおじさん」のように秀逸かつもはや「Sir」級の「称号」と言って良いものもあるが、大体が蔑称である。

その中でもこの「子供部屋おじさん」の蔑視ぶりたるや、である。意味はわからなくても本能で「馬鹿にされている」と察することができる。

「子供部屋おじさん」とはどんなおじさんを指すかというと、成人しても親元を離れず実家の「子供部屋」で暮らし続けるおじさんのことである。「パラサイトシングル」を、言われた相手の血管が切れるように魔改造した言葉だ。言葉としては「上手いこと言うな」と感嘆するしかない。

単に「実家住みのおじさん」という意味ではなく、「いい年をして親から自立せず、自分では何も出来ない、中身は子どものままのおじさん」という痛烈な批判が込められている。

この「子供部屋おじさん」は、ひきこもりやニートとは違い、仕事はちゃんとしている場合が多い。だが逆に「実家を出ようと思えば出られるのに出ない」という点が余計「甘え」と見なされ、ここまでの鬼煽りを食らう羽目になったとも言える。

このように世間からみっともないと思われがちな「実家住みの成人」だが、本当に彼らは社会の病巣であり、親から見れば寄生虫なのだろうか。

一人暮らしは今や「修行」かもしれない

子供部屋おじさん含むパラサイトシングルにも言い分はある。まず「実家から出るメリットが見いだせない」という理由だ。

実家が持ち家の場合、一人暮らしをするよりも実家住みの方が経済的には圧倒的有利だ。親側からしても、純粋に寄生されるのは厳しいが、生活費などを入れてもらえるなら、逆に助かるという場合もある。

また職場からの距離も実家から通った方が近いと言うなら、わざわざ経済的負担を負いながら、場合によっては遠距離通勤をする「一人暮らし」というのは「修行」という意味しかなく、昨今盛んに言われる「コスパ」「合理化」という観点から見ると「正気か」というような無駄でしかない。そのため、インフルエンサー的な人が一発「まだ一人暮らしで消耗してんの?」と言えば、容易に世論が傾いてしまいそうな気がする。

しかし「修行という意味しかない」と言っても、その「修行」に意味がないわけではない。一人暮らしが人間に自立と成長を促すのは確かである、自分のことは全て自分でやらなければいけないのだから当然だ。

逆に、衣食住が保証された実家で、お母さんにご飯と身の周りの世話を全部やってもらっていたら確かに子供となんら変わりないし、もし仮に結婚して家を出たとしても、今度は嫁に母親と同じことを求めるだろう。

結果として、「見た目は中年、中身は子供、価値観は団塊」というバランス感覚皆無の生物が爆誕することになりかねない。そういった意味では、いかに合理的でなかろうが、一人暮らしをする意味はあると言える。

だが、親の方が子どもに「実家にいてほしい」と望むケースもある。

前に「増加する共倒れ家庭」という、タイトルからして明るい要素皆無のテレビ番組を見たことがある。老齢一人暮らしの父親の元に、非正規雇用で自活できない息子が帰ってきて、そのせいで生活保護が打ち切られ、ますます困窮するというマジで暗い所しかない話だった。

しかし、父親の方が息子に対し「迷惑だから出て行ってほしい」と思っていたかというと、そうではなく「自分が老齢で何があるかわからないので居てほしい」と言っていたのだ。

このように、高齢の親からすれば、子供がいてくれるのは「安心」という面もある。ほかにも、介護のために実家に戻って来た者もいるのだから、一概に「子供部屋おじさん」とバカにすることはできない。

「子供部屋おじさん」がここまで燃える理由

そして、この「子供部屋おじさん」に今更激烈な反応が起こっているのは、「おじさん」と性別が限定されているからだろう。

当然「子供部屋おばさん」だって存在する。私も結婚して家を出るまで実家にいたし、成人すぎても小学校入学の時買ってもらった学習机を使っており、もちろん身の周りのことは母親を越えてババア殿にやってもらっていたという、どこに出しても恥ずかしくない「子供部屋おばさん」だった。親は私を家から出すのに相当勇気がいったと思う。

しかし、バカにされているのは専ら「子供部屋おじさん」の方で、言葉自体も「ブサイク」には「ブス」ほどの破壊力がないように、「おばさん」より「おじさん」の方がどう考えても「強く」感じる。

「子供部屋おばさん」にパンチが足りないのは言外に「女はまあ実家住みでもいいんじゃね?」という見逃しがあり、逆に男には「男のくせにいつまでも親の世話になってみっともない」という、男女差別があるせいではないだろうか。

ネットを開けば、ジェンダー問題で毎日ひとつは村が燃えている昨今である。「子供部屋おじさん」が、そっちの観点でアンコール炎上しても不思議ではない。

当然だが、一家の家計を支え、親の介護をしながら家事までやっている「子供部屋おじさん」もいれば、ろくに家に金もいれず、親に三食用意してもらっている「子供部屋おばさん」もいる。もちろんこれはおじさん・おばさんを入れ替えたって言えることだ。

男だから、女だから、で言い切りが出来ないように「実家暮らし」という属性一つでは何も断言することは出来ないのである。

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