【富士通】「虎の子」を使い切り、背水の陣でM&Aに挑む

【富士通】「虎の子」を使い切り、背水の陣でM&Aに挑む

2017.03.14

【富士通】「虎の子」を使い切り、背水の陣でM&Aに挑む

 今年1月1日に開かれた第96回天皇杯全日本サッカー選手権大会決勝で鹿島アントラーズに破れ、悲願の初タイトルを逃した川崎フロンターレ。その株主に名を連ねる富士通<6702>は国内最大手のシステムインテグレーターである。富士通は技術革新に合わせてM&Aも活用し、様々な事業に進出してきた。過去には海外企業買収で巨額損失を抱えたが、虎の子の優良子会社売却でなんとか体力を温存。技術力を磨いて再び世界に挑戦しようとしている。

【企業概要】富士電機の電話部門が設立母体に

 富士通は、富士電機製造株式会社(現・富士電機株式会社)から電話部所管業務(交換、伝送)を分離し設立された。元々、富士電機製造株式会社自体は川崎市でもかなり海沿いにあり、海の近くでは、湿気、さびの問題で、通信事業が難しいことや東京電機(後の東芝)との業務提携契約に起因し少し内陸の川崎市中原区に会社を新設した。

 以来、有線電話、無線、自動計算器、汎用機(企業向けの基幹PC)、コンピュータ、携帯電話、と、いわゆるシステムインテグレーターとして、常に時代の技術革新と共に歩み、また国内の最大手として、業界をリードし続けている。

 その生い立ちから、富士電機グループとして存在していたものの、富士電機が業績の悪化などの理由から徐々に株式売却を行い、1965年に保有率が50%を切り、グループ会社から事実上の独立を果たした。

 一方で、現在に至るまで筆頭株主は常に富士電機の為、関係性が途切れた、というわけではない。

 現在、富士通は国内関係会社97社、海外関係会社217社でグループ構成している。国内のみ取り上げたが、関係性は以下の通り。

富士通の主な国内関係会社
関 係      コード 関係会社名 株式保有比率(%) 売上高(百万円) 事業内容
連結子会社 - 富士通セミコンダクター 100 219,024 LSIの設計・開発・製造・販売
連結子会社 - 富士通テン 55 213,536 カーナビ,AV機器等の製造・販売
連結子会社 6967 新光電気工業 50.06 133,898 半導体パッケージの製造・販売
連結子会社 - 富士通周辺機 100 104,580 コンピュータ周辺機器の開発・製造
連結子会社 6945 富士通フロンテック 53.61 88,882 ATM,各種端末装置の製造・販売
連結子会社 3828 ニフティ 66.59 60,669 インターネット接続サービスの提供他
連結子会社 6955 FDK 72.58 49,044 電子材料,電子応用製品の製造・販売
連結子会社 6719 富士通コンポーネント 56.96 38,496 電子部品の製造・販売(持株会社)
連結子会社 4793 富士通ビー・エス・シー 56.45 31,264 ソフトウエアの開発・販売他
連結子会社 - 富士通九州ネットワークテクノロジーズ 100 16,078 ネットワークシステム機器等の開発他
連結子会社 - 富士通CIT 100 12,883 SCMシステムの開発・運用・保守
連結子会社 - 富士通総研 100 6,807 経済・経営等に関わる調査・研究他
連結子会社 - 富士通鹿児島インフォネット 65 5,807 ソフトウエアの開発他
連結子会社 - 富士通パブリックソリューションズ 100 4,637 ソフトウエアの開発・販売
連結子会社 - 富士通システムズウェブテクノロジー 100 2,422 Webシステムの開発他
連結子会社 - 富士通マーケティング・エージェント 100 1,452 IT教育の運営,人材派遣サービス他
持分法適用会社 6755 富士通ゼネラル 44.26 223,666 電気・電子機械等の製造・販売

 富士通はこの業界地位を、買収、合弁会社設立、持株の売却など様々なM&Aを積極的活用し、確立してきたと評価することができる。また、自社部門が独立したファナックや富士通テンなどの上場も、大きな資金調達の要因となったことに相違ない。

 富士通は現状、3つのセグメントで成り立っている。それぞれ、テクノロジーソリューション、ユビキタスソリューション、デバイスソリューションという枠組みになっており、現状の売上比率は以下のとおりである。

 メインのテクノロジーソリューションは、企業・官公庁向けのシステムインテグレーションなど、ユビキタスソリューションはPCやスマートフォン向けの製造販売、デバイスソリューションは、LSIや電子部品等を取り扱っている。

 なお連結子会社のニフティについては、2017年4月1日付でニフティが持つインターネット接続サービスなどのコンシューマ向け事業会社とクラウドを中心とするエンタープライズ事業会社向け事業会社に再編し、コンシューマ向け事業会社の全株式を家電量販店のノジマに譲渡することを決定している。

【経営陣】田中社長、2015年に就任

 現在の田中達也社長は1980年に富士通入社。2015年6月に現会長の山本正巳氏からバトンタッチで社長に就任した。60歳。山本氏と田中氏が代表取締役となっている。

【株主構成】富士電機が11%を所有

富士通の主要株主
株主名称 保有株式数(千株) 持ち株比率(%)
富士電機 228,391 11.03
日本トラスティ・サービス信託銀行(信託口) 93,628 4.52
日本マスタートラスト信託銀行(信託口) 77,763 3.76
富士通従業員持株会 58,221 2.81
みずほ銀行 36,963 1.79
朝日生命保険相互会社 35,180 1.70
The Bank of New York Mellon SA/NV 10 32,993 1.59
ステートストリートバンクアンドトラストカンパニー505225 32,111 1.55
CBNY GOVERNMENT OF NORWAY 29,594 1.43
STATE STREET BANK WEST CLIENT TREATY 505234 26,862 1.30
合計 651,706 31.48
2016年9月末時点、四半期報告書に基づき作成

 富士電機が今も11%を持つ筆頭株主である。ほかは信託銀行など株主が分散している。

【M&A戦略】ITサービス、クラウドを強化

 富士通の行ってきたM&Aは以下の通りである。

年 月       内容
2003年 2月 システム向けプリンター事業を富士ゼロックスに譲渡
2003年 7月 フラッシュメモリ製造事業を米のAdvanced Micro Devices, Inc.に譲渡し、持分法適用会社化 (所有割合:60%→40%)
2003年 9月 富士通リースの株式を東京リース㈱(現:東京センチュリーリース㈱)に譲渡し、持分法適用会社化 (所有割合:60%→20%)
2005年 3月 Fujitsu Consulting*がアメリカのITサービス企業「Cendera Technologies」を買収
2005年 3月 Fujitsu Consulting がカナダのヘルスケアシステム企業「MOXXI Medical」に出資
2005年 4月 富士通日立プラズマディスプレイの株式を日立製作所に譲渡
2005年 4月 液晶デバイス事業をシャープに譲渡
2005年 6月 Fujitsu Consulting がアメリカのITコンサルティング企業「BORN Information Services」を買収
2006年 2月 Fujitsu Consulting がアメリカのITサービス企業「Greenbrier & Russel」を買収
2006年 2月 Fujitsu Consulting がカナダのITコンサルティング企業「GIM Risk Management」を買収
2006年 2月 Fujitsu Consulting がアメリカのITコンサルティング企業「Rapidigm」を買収
2006年 5月 Fujitsu Consulting がカナダのITコンサルティング企業「M3K」を買収
2006年 12月 Fujitsu ServicesがドイツのITサービス企業「TDS」を買収
2007年 4月 ジャパンケーブルネットホールディングスの株式をKDDI㈱に譲渡
2007年 9月 Fujitsu Consulting がアメリカのITサービス企業「OKERE」を買収
2007年 10月 Fujitsu New Zealand Limited がニュージーランドのITサービス企業「Infinity Solutions」を買収
2007年 10月 Fujitsu Services がスウェーデンのITサービス企業「Mandator」を買収
2007年 10月 Fujitsu Consulting がカナダのITコンサルティング企業「Promaintech Novaxa」を買収
2008年 2月 Fujitsu Consulting がカナダのITコンサルティング企業「Intelec Geomatics」を買収
2008年 3月 LSI事業を分社化し、富士通マイクロエレクトロニクス(現:富士通セミコンダクター㈱)を設立
2008年 12月 富士通オートメーションの株式をミヤチテクノスに譲渡
2009年 3月 Fujitsu Australia Limited がオーストラリアのITサービス企業「KAZ」を買収
2009年 3月 HDD用ヘッド事業を終息
2009年 4月 富士通が「Fujitsu Siemens Computers」(現:Fujitsu Technology Solutions)を完全子会社化 (所有割合:50%→100%)
2009年 4月 Fujitsu Consulting、Fujitsu Computer SystemsおよびFujitsu Transaction Solutionsの北米3社を統合し、 Fujitsu America, Inc.を設立 2009年 4月 Fujitsu Australia Limited がオ
2009年 4月 Fujitsu Australia Limited がオーストラリアのITコンサルティング企業「Supply Chain Consulting」を買収
2009年 4月 ユーディナデバイスの株式を住友電工に譲渡
2009年 4月 富士通メディアデバイスのコンデンサ事業をニチコンに譲渡
2009年 7月 山形富士通のHDDメディア事業を昭和電工に譲渡
2009年 8月 富士通ビジネスシステム(現:富士通マーケティング)を完全子会社化
2009年 10月 HDDドライブ事業を東芝に譲渡
2010年 1月 FDKが三洋エナジートワイセルおよび三洋エナジー鳥取の全株式を取得
2010年 3月 富士通メディアデバイスの通信デバイス事業を太陽誘電に譲渡
2010年 4月 PFUを完全子会社化
2010年 10月 東芝の携帯電話事業を取得
2012年 2月 Fujitsu Canada, Inc.がカナダのITサービス企業「Technology Management Corporation」を買収
2012年 4月 地域SE会社を統合・再編し、富士通システムズ・イーストと㈱富士通システムズ・ウエストを設立
2012年 8月 通信プラットフォーム事業を分社化し、アクセスネットワークテクノロジを設立
2012年 10月 富士通セミコンダクターの岩手工場をデンソーに譲渡
2012年 12月 富士通セミコンダクターのLSI後工程製造拠点を㈱ジェイデバイスに譲渡
2013年 4月 富士通がフランスのクラウドサービス企業「RunMyProcess」を買収
2013年 8月 富士通セミコンダクターのマイコン・アナログ事業をSpansion Inc.へ譲渡
2013年 10月 社会インフラ系SE会社を再編・統合し、富士通ミッションクリティカルシステムズを設立
2014年 4月 富士通モバイルフォンプロダクツを富士通周辺機㈱に統合
2014年 5月 Fujitsu ServicesがアメリカのITサービス企業「Globe Ranger」を買収
2014年 7月 パナソニックITソリューションズの株式を譲受し、富士通ITマネジメントパートナーに商号変更
2014年 7月 富士通セミコンダクターとオン・セミコンダクターが戦略的パートナーシップを締結
2014年 8月 横河医療ソリューションズに少数株主として資本参加
2014年 12月 富士通セミコンダクターのファウンドリ新会社(会津若松地区の200mm製造ライン)にオン・セミコンダ クターが少数株主として資本参加
2015年 3月 富士通セミコンダクターのファウンドリ新会社(三重地区の300mm製造ライン)にUMCが少数株主として 資本参加
2015年 3月 富士通セミコンダクターとパナソニックのシステムLSI事業の統合が完了し、ソシオネクストとして事業を 開始
2015年 8月 Fujitsu ServicesがイギリスのITサービス企業「Applied Card Technologies」を買収
2015年 10月 富士通テレコムネットワークス、富士通ワイヤレスシステムズを富士通に吸収合併 新設する富士通テレコムネットワークスにネットワーク製品全般の製造を集約
2015年 10月 富士通がフランスのソフトウェア開発企業「UShare Soft」を買収
2016年 2月 ノートPC、デスクトップPC事業を分社化し、富士通クライアントコンピューティングを設立
2016年 2月 携帯端末事業を分社化し、富士通コネクテッドテクノロジーズを設立
2016年7月 連結子会社のニフティを完全子会社化
2017年4月 ニフティのISP事業をノジマに譲渡(予定)
出所)富士通データブック2016年7月

 国内外を問わず、次々とM&Aを仕掛けている。買収だけでなく、売却も同時に進めているのが大きな特徴だ。

 2009年にコンデンサ事業をニチコンに、HDDドライブ事業を東芝に譲渡するなど、ハードウエアの部品関連事業は縮小傾向にある。2012年には半導体事業の工場、製造拠点の譲渡も行っている。ただ、携帯端末事業、パソコン事業は分社化をしながらも事業を継続しており、ハードのなかでも消費者寄りの事業を重要視している姿勢がうかがえる。

 一貫して強化しているのはソフトウエアや通信、クラウドコンピューティングの分野である。 2000年代半ばから後半にかけて欧米のITコンサルティング、ITサービス会社を矢継ぎ早に買収している。最近では、コンピュータ通信業界にいち早くから乗り出し、事業の屋台骨としていたニフティを2016年7月に100%子会社とし、その再編を行った。

 富士通はニフティのクラウド事業に着目し、自社の範囲外のISP事業は2017年4月にノジマへ売却という形で再編を行う予定である。

 また2015年のリリースではM&Aに1000億円の投資を示唆するなど、非常に積極的な姿勢が見て取れる。この積極的な姿勢を支えるのは既存の財務体質と、ファナックという自社子会社の中のメガヒットの隠し玉があったからこそである。

 ファナックは、富士通の計算制御部から独立した子会社で、山梨県忍野村に約50万坪の本社工場を持つ電気機器メーカーである。工作機械用NC装置において、世界で約50%、国内で70%にも達するシェア率を誇り、産業用多関節ロボットにおいても世界首位である。

【財務分析】ファナック株売却で損失吸収

 富士通の自己資本比率の推移を見るに、高い水準とはいいがたいもののある程度安定しているように見受けられる。大幅な赤字を計上することもちらちら見受けられるが、そのたび、ファナック株式を小出しに売却していき、有利子負債の圧縮要因、並びに業績の化粧としていた。

 具体的には、ファナックの株式につき度々に渡る売却を行っている。2003年9月発行済株式数の約4.59%を約554億円で売却、2003年12月には発行済株式数の約14.6%を1621億円で売却している。

 さらに、富士通においては、M&Aに伴う大きな失敗事例がある。1990年に行った、以前からの業務提携関係にあった英国ICLの案件である。

 当時、激化するコンピュータ業界の販売競争の中で、富士通として欧州エリアの営業を優位展開していくためには、拠点の確保が不可欠であった。当時、ICLは資金調達面で苦境を強いられており、競争に勝てるだけの研究開発費の調達が難しいとの判断に至った。

 結果として富士通は、欧州地域の展開加速の足掛かりとすべく、1890億円にてICL株式の80%を取得した。富士通は事実上、電算機分野で世界2位となり、IBMを追撃する体制を整えた。その後98年には完全子会社化。その後も富士通の欧州の拠点としてドイツ企業を買収するなどして累計投資額が3500億円を超えたが、業績は悪化していた。結局、07年3月期個別決算で2900億円の評価損を計上した。この際にも、ファナック株式を売却し、約700億円の調達をしている。しかし、その虎の子はこの2009年の売却で全て尽きることとなった。

【株価】業績改善で持ち直し

 株価は一時400円を割り込んだが、2016年夏ごろから持ち直ししている。国内ネットワークの増収効果やパソコンや携帯電話のコストダウン効果で業績が改善していることが背景にある。ニフティの完全子会社などの事業再編に積極的に取り組んでいることも株価の下支えになっているとみられる。

【まとめ】M&Aで戦うべきエリア明確に

 総じていうと、富士通は非常に積極的にM&Aに取り組んでいると評価できる。同社の事業領域は広く、あらゆる箇所でシナジー効果が見込める一方、先述のニフティにおいてのISP事業の売却を決定するなど、自社が戦うべきエリアというものが明確化されている。

 しかし、かつて5兆円あった売上高は現状は4兆円程度まで減っている。自社再編などの様々な施策をうっているものの、業績を成長軌道に回復させるには至っていない。

 一方で、かつて話題となったスーパーコンピューター「京」が再び世界一位に返り咲いたり、新たな分野である人工知能「zinrai」の研究開発を行ったりと、今後成長の見込まれる新規市場にも積極的に参戦している。同分野では、米IBMなどの存在感が大きいが、日本のシステムインテグレーターの雄として今後のさらなる発展に期待したい。


この記事は、企業の有価証券報告書などの開示資料、また新聞報道を基に、専門家の見解によってまとめたものです。

文:M&A Online編集部


マツダが新型車「MAZDA3」を発売! ブランド戦略の成否を占うクルマに?

マツダが新型車「MAZDA3」を発売! ブランド戦略の成否を占うクルマに?

2019.05.24

「MAZDA3」はハッチバックとセダンの2タイプ

まるで歩いているような運転感覚を目指したと開発主査

狙うは中~高価格帯? プレミアムブランド化の試金石

マツダは「アクセラ」の後継モデルとなる新型車「MAZDA3」(マツダ・スリー)を発売した。ボディタイプはハッチバック(マツダは「ファストバック」と呼称)とセダンの2種類、価格は218万8,100円~362万1,400円。マツダにとっては新世代商品群の先陣を切るクルマであり、マツダブランドがプレミアム化路線に舵を切っていけるかどうかの試金石となる商品でもある。

マツダが発売した「MAZDA3」。左がセダン、右がファストバック

新世代商品群の口火を切る「MAZDA3」

マツダは2012年に発売したSUV「CX-5」を皮切りに、「新世代商品群」(マツダにとって“第6世代”にあたる商品群)のラインアップを拡充してきた。今回のMAZDA3は、同社にとって“第7世代”にあたる商品群の幕開けとなるクルマだ。このクルマから、次の「新世代商品群」が始まる。

開発主査を務めたマツダ 商品本部の別府耕太氏によれば、MAZDA3で目指したのは「マツダブランドを飛躍させる」こと。そのために、クルマとしての基本性能を「人の心が動くレベル」まで磨き上げ、「誰もが羨望するクルマ」に仕上げたとのことだ。MAZDA3は「徹底的な人間研究」に基づいて作ったクルマであり、乗れば「まるで自分の足で歩いているような」運転感覚を味わえるという。その人馬一体の感覚は、助手席と後部座席でも体感できるそうだ。

コックピットの設計では、誰もが適切なドライビングポジションを取ることができることにこだわったという

マツダの新世代車両構造技術「SKYACTIV-VEHICLE ARCHETECTURE」(スカイアクティブ ビークル アーキテクチャー)が相当に進化している様子だが、その違いは素人でも分かるくらい、劇的なものなのだろうか。この問いに別府氏は、「走り出して交差点を曲がる10mくらい、低速域のシンプルな動作でも動きの違いが分かってもらえると思う。動きを滑らかにした。その一言に尽きる」と自信ありげな様子。進化の度合いは「テレビがアナログからデジタルに変わったくらい」とのことだった。

「MAZDA3」の滑らかな運転感覚は少し走るだけで分かると別府開発主査は話す

MAZDA3が搭載するエンジンは4種類。ガソリンは直列4気筒直噴エンジンの1.5Lと2.0L、ディーゼルは直列4気筒クリーンディーゼルターボエンジンの1.8L、そして、マツダが独自技術で開発した新世代ガソリンエンジン「SKYACTIV-X」の2.0Lだ。このうち、1.5リッターガソリンエンジンはハッチバックのみの設定となる。

1.5Lガソリンエンジンと1.8Lディーゼルエンジンは5月24日販売開始。2.0Lガソリンエンジンは5月24日予約受注開始、7月下旬販売開始予定だ。「SKYACTIV-X」は7月に予約受注を開始し、10月に売り出す計画(画像はファストバック)

どのエンジンを選ぶかで当然、価格帯も違ってくる。1.5Lは218万8,100円~250万6,080円、2.0Lは247万円~271万9,200円、1.8Lディーゼルは274万円~315万1,200円、SKYACTIV-Xは314万円~362万1,400円だ。ちなみに、同じグレードだとセダンとハッチバックの間に価格差はないが、バーガンディー(赤)の内装が備わるハッチバックのみの特別なグレード「Burgundy Selection」は、同一グレード内で最も高い価格設定となる。上に記した価格帯は同グレードを含めたものだ。

1.5Lガソリンは最高出力111ps(6,000rpm)、最大トルク146Nm(3,500rpm)、2.0Lガソリンは同156ps(6,000rpm)/199Nm(4,000rpm)、1.8Lディーゼルは116ps(4,000rpm)/270Nm(2,600rpm)。「SKYACTIV-X」の数値はまだ判明していない(画像はセダン)

182万5,200円~331万200円だったアクセラと比べると、MAZDA3の価格設定からは高価格化の印象を受ける。この点について、MAZDA3のマーケティングを担当するマツダ 国内営業本部の齊藤圭介主幹は、「アクセラでは低~中価格帯の市場にアプローチしていたが、MAZDA3では中~高価格帯へとステップアップしたい」との考えを示した。

セダンは「凛」、ハッチバックは「艶」

デザイン面では、マツダが第6世代商品群で取り入れた「魂動」というコンセプトをさらに深化させた。チーフデザイナーを務めたマツダ デザイン本部の土田康剛氏は、「引き算の美学」で「日本の美意識を表現したい」と考えたという。

セダンでは「凛とした伸びやかさ」で「大人に似合う成熟した」クルマを志向。ハッチバックでは「色気のあるカタマリ」をコンセプトに据えた。「セダンはあえて枠にはめて、ファストバックでは枠を外した」というのが土田氏の表現だ。周囲の景色や光を映し出すMAZDA3のエクステリアは、マツダが2017年の東京モーターショーで発表したコンセプトカー「VISION COUPE」(ビジョンクーペ)で印象的だった「リフレクション」(反映)を体現しているようだ。

「MAZDA3」では全8色のエクステリアカラーが選べる。「ポリメタルグレーメタリック」(画像、2019年1月の東京オートサロンにて撮影)はファストバック専用の新色だ

MAZDA3のエクステリアはスタイリッシュだし、ハッチバックの方はクルマの“肩”の部分が張り出していないので、アクセラに比べ室内が狭くなっていそうに見える。そのあたりについて別府氏に聞いてみると、「人にとっての空間は、部位によって多少の加減はあるが、現行(アクセラ)に対してほぼ同等。視覚的に、室内空間が狭そうに感じたとすれば、それはマツダのデザイン手法により、スタイリッシュさ、前後の伸びやかさ、力強さといったようなものを実現できているためとご理解いただきたい」との回答だった。

荷室については、ファストバックは基本的に「アクセラ スポーツ」(アクセラのハッチバック)と同等で、セダンは容量が拡大している。セダンの方は、アクセラよりも80mm延びた全長の大部分をトランクルームの容量拡大に充てたそうだ。

2輪駆動(FF)のハッチバックで比べると、ボディサイズは「アクセラ」が全長4,470mm/全幅1,795mm/全高1,470mm/ホイールベース2,700mm、「MAZDA3」が同4,460mm/1,795mm/1,440mm/2,725mm。フロントヘッドルームなどの数値を見比べると、数ミリ単位でMAZDA3の方が狭くなっているようだが、開発主査によれば「ほぼ同等」だという

MAZDA3には他にも多くのトピックスがあるものの、全ては書ききれないので、あと2点ほど挙げておくと、まず、このクルマは同社で初めてのコネクティッドカーとなる。車両自体の通信機能でマツダのサーバーと交信することで、24時間体制のサポートが受けられるのだ。例えば「アドバイスコール」という機能では、車両トラブルの際の初期対応から修理まで、幅広いサポートを受けることが可能。コネクティッド機能には使用料がかかるが、最初の3年間は無料だ。

もうひとつ、マツダが強調していたのが「静粛性」と「サウンドシステム」、つまり、MAZDA3車内の「音」に関する部分だ。このクルマはアクセラに比べ、静粛性と「音の伝わる時間と方向のリニアさ」が大幅に向上している。スピーカーは低音域、中音域、高音域それぞれに用意し、最適な場所に配置した。

高音域スピーカーは人の耳に近いドア上部、中音域スピーカーは乗員の体の横、低音域スピーカーは車室外のカウルサイドというところに配置。マツダ社内には「MAZDA3」を「走るオーディオルーム」と呼ぶ人もいるとのこと

MAZDA3の販売目標は、全世界で年間35万台。日本では月間2,000台を目指す。ボディタイプの内訳はファストバックが7割、エンジン構成は1.5Lガソリンが10%、2.0Lガソリンが40%、1.8Lディーゼルが20%、SKYACTIV-Xが30%を想定する。ちなみに、アクセラは2018年(暦年)で約38万7,000台が売れていて、その内訳は最も多い中国が11万7,000台、その次が北米で9万1,000台だった。

グレードにもよるが、MAZDA3は同クラスの輸入車であるフォルクスワーゲン「ゴルフ」やメルセデス・ベンツ「Aクラス」などと肩を並べるか、あるいはそれらを凌駕しかねない価格となる。直列6気筒エンジンの復活を宣言するなど、プレミアム化路線に舵を切ろうとしているマツダとすれば、ゴルフやAクラスなどの市場にMAZDA3で乗り込みたいところだろう。一方、1.5Lのガソリンエンジンでは、若年層に訴求できるかどうかもポイントとなりそうだ。

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2019.05.23

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経済の低迷が顕著な時代、ゲームは3Dへ

平成6年、インターネットの情報閲覧で欠かせないブラウザにおいて最初期に広く一般に普及した「Netscape Navigator」、検索サービス老舗の「Yahoo!」、World Wide Web(ワールド・ワイド・ウェブ)関連技術の標準化を推進する団体「W3C」が発足するなど、現在のインターネットを活用した諸活動の基盤となる技術が生まれました。

翌年の平成7年にはWindows95が発売。PCがビジネスシーンのみならず一般家庭へと広がり始めます。さらに平成8年にはヤフー、平成9年には楽天と、現在も日本のインターネットサービスを牽引する企業が続々と設立されました。そしてついに平成10年2月、日本におけるインターネット人口が1000万人を突破したのです。

このように、国内のデジタル空間は破竹の勢いで成長と拡大の一途をたどりますが、現実社会には未曽有の危機が訪れます。

平成6年の松本サリン事件と平成7年の地下鉄サリン事件というオウム真理教が起こした一連の事件では、心の拠り所になるはずの宗教が反社会的組織となって、罪のない人々に凶行し得ることを日本人に示しました。現代日本人が漠然と持つ宗教に対する不信感は、これら一連の事件に根差していると言っても過言ではないでしょう。

また、地下鉄サリン事件が起きる直前の平成7年1月17日、阪神・淡路大震災が関西を襲いました。結果的に経済活動も低迷します。GDP成長率は平成7年に2.7%、8年には3%を超えたものの、失業者はこの時期増加の一途をたどり、まさに「失われた20年」前半期の真っ只中でした。

平成6年に人気だったテレビドラマ『家なき子』の「同情するなら金をくれ!」というセリフは、この時期の厳しい世相を示していたと言えます。

一方で、忘れてはならないのは、映画館数が平成5年の1734館から、以降は長期的に上昇していくことです。同一の施設に複数のスクリーンがある「シネマコンプレックス」が台頭するのもこの頃。つまり、「インドアエンターテインメント」という楽しみ方が定着し始めたと言えるのです。

このように、デジタルと現実が相反する様相を示す日本において、ゲーム産業はデジタル側。家庭用ゲーム機では、「セガサターン」が平成6年11月22日に、「PlayStation」が平成6年12月3日に発売されます。いずれもCD-ROMの活用と、3D描画能力が話題になりました。さらに平成8年6月23日に「ニンテンドウ64」が発売されます。

平成6年11月22日に発売された「セガサターン」
©SEGA
平成6年12月3日に発売されたPlayStation®
©2014 Sony Interactive Entertainment Inc.

PCにおいても、さまざまな周辺機器が発売され、ゲームプレイに最適なハードとして強化できる環境が生まれました。CD-ROMドライブの本格的普及、Creative Technologyなどによるサウンドカードの誕生、そして、3dfx VoodooやNvidia RIVAをはじめとする3Dグラフィックアクセラレーターによって、PCの3DCGはリアルタイムレンダリング能力が向上しました。いわゆる「マルチメディア」をキーワードにさまざまなコンテンツが提供されるようになったのです。

欧米PCゲームカルチャー発展の契機となった『DOOM』

主観視点/1人称視点シューティングゲーム(英語名First Person Shooting Game、略称FPS、以下、FPS)では、アタリの『Battlezone』や『Star Wars』など、ワイヤーフレームを用いた作品がいくつか発売されていましたが、現在のFPS系譜の元祖は1992年、id Softwareにより発売された『Wolfenstein 3D』だと言われています。

同作は、日本アイ・ビー・エムが発表したパーソナルコンピュータ用のオペレーティングシステム「DOS/V」版で、『ウルフェンシュタイン3D』として、平成5年3月1日にイマジニアよって日本でも発売されました。

しかし、ゲームカルチャーへのインパクトという視点では、平成5年12月10日に北米でリリースされ、その後北米から欧州へと爆発的に広がり、FPSという一大ジャンルを発展させていった『DOOM』の存在感が圧倒的でしょう。

DOS/V版は平成6年2月1日に『ウルフェンシュタイン3D』と同じくイマジニアから発売され、国内のコアゲーマーを中心に支持されました。ですが、若干粗い3D描画の中でのスピード感あふれるゲーム展開が、一部のユーザーに「3D酔い」を促してしまい、それがしばらくイメージとして定着してしまいました。

一方欧米では、ネットワーク対応の熱いマルチプレイヤー対戦が盛り上がり、週末にそれぞれのPCを持ち寄って、LANでつなぎ、ゲーム対戦を徹夜で行う「LAN Party」という独自のゲームの楽しみ方を生み出します。この先にあるのが、現在のPCゲームを中心としたeスポーツトーナメントです。

このほかに、「シェアウェア」という無料でゲームの一部を提供する概念や、ゲームエディターをユーザーに解放し、独自のゲームステージを開発し共有することを奨励する「MODカルチャー」も本作を契機に広がっていきました。このゲームエディターのカルチャーが、ゲームエンジンのサードパーティへのライセンス提供というビジネスモデルへと発展していきます。

『MYST(ミスト)』が示した、「マルチメディア」で実現する不可思議な世界

当時、コンピュータ(デジタル)メディアがほかと差別化できるものは、「文字、CG、画像、映像、音声といった複数の要素を一体化したコンテンツとして表現できる点」だとされ、それを言葉で表すうえで「マルチメディア」という言葉が頻繁に使われるようになっていました。

この、いわゆる「マルチメディア」ブームの寵児となったのが米国Cyanによるパズルアドベンチャーゲーム『MYST(ミスト)』でした。そして、その日本語版がセガサターン向けソフトとして平成6年11月22日、つまり、ローンチタイトルの1作として選ばれたのです。

同作は、画面の鍵となる部分をクリックして謎を解き、次のシーンに進む、というアドベンチャーゲームの流れを組むもの。当時の欧米ゲームよろしく、細かい解説やチュートリアルのようなものがなく、プレイヤーはいきなりゲームの舞台であるMYST(ミスト)島に放り込まれます。

近代とも中世とも未来とも判別のつかない建築物のある不思議な空間のなかで、プレイヤーは暗号や謎を解きながら物語を展開させていきます。謎解きをする際も、建築物のなかに残された日記やそこに描かれたマップ、本のなかで再生されるアトラスという人物からのメッセージを読み解くといった、テキスト、映像、画像をプレイヤーがフルに活用するようにデザインされており、まさに「マルチメディアブーム」を代表する作品に仕上がっています。このグラフィックデザインや謎解きの仕組みは、のちの数多くのゲームにインスピレーションを与えました。

MYSTのゲーム画面

乙女ゲームの源流になったコーエーの『アンジェリーク』

恋愛/育成シミュレーションのような作品が台頭するなかで、そのゲームメカニクスを女性向けに構想するという「発想」はある意味、自然と言えます。ただ、経営者がそこに予算を割り当てて実行に移すのは別の話。それを行ったのが光栄(コーエー、現・コーエーテクモゲームス)です。

歴史シミュレーションゲームで既にブランド名を確立していた同社でしたが、平成6年9月23日に発売された『アンジェリーク』は、“女性が宇宙を統べる”という世界で、守護聖と呼ばれる存在から助けを得ながら、女王になるべく惑星の大陸を育成します。

『アンジェリーク』のパッケージ
イラスト/由羅カイリ
©1996 コーエーテクモゲームス All rights reserved.

ただ、プレイヤーにとっての楽しみは、守護聖とのロマンス。キャラクターの性格の違いや声優が吹き込む甘いセリフに、プレイヤーは釘付けになりました(ゲーム内で声優によるセリフが付いたのは、平成7年に発売されたPC-FX用ソフトから。平成6年にはドラマCDがリリースされた)。

『アンジェリーク』のゲーム画面。ゲーム画面は「my GAMECITY クラシックゲーム館」でプレイ可能な『アンジェリークSpecial』版のもの
イラスト/由羅カイリ
©1996 コーエーテクモゲームス All rights reserved.

これを契機にコーエーは『アンジェリーク』シリーズを発展させていき、以降は「和」をテーマとした『遥かなる時空の中で』シリーズ、学園モノの『金色のコルダ』シリーズとラインアップを増やし、これらを「ネオロマンス」シリーズとしてブランド化していきます。「乙女ゲーム」という一大ジャンルは、現在スマホゲームのなかでも非常に重要な位置づけになっていますが、その源流がここにあるわけです。

“ニンテンドウイズム”を世界へと広げた『スーパードンキーコング』

平成6年11月26日に発売されたスーパーファミコン用ソフト『スーパードンキーコング』の革新的要素は、スーパーファミコンというハードの制約のなかで、疑似3D的キャラクターモデルをスムーズに動かすことができたという点です。

シリコングラフィックスによる3DCGソフト「Power Animator」によりレンダリングが行われたキャラクターを、同ハードの制限で落とし込めるよう調整しただけでなく、美麗な背景も同様の作業が行われました。

ゲームデザインそのものは、『スーパーマリオブラザーズ』シリーズから築き上げられた横スクロールアクションゲームの1つの到達点として位置づけられるソフトと言えるでしょう。そのような意味では、そこまでの革新性はありませんでした。

しかし驚きなのは、本タイトルが英国のレア社によって開発されたという点。任天堂側からのアドバイスによって、ゲームバランスが絶妙に調整された同作をプレイした当時の筆者は、完全に日本の任天堂(具体的に言えば宮本茂氏)によって作られたものだと思っていました。

のちに本作がイギリスで開発されたと聞いて驚いたことを覚えています。つまり“ニンテンドウイズム”が確実に世界へと広がっていくさまを、筆者を含む世界中のプレイヤーが目撃したのです。

ブリザードの『ウォークラフト』は、グローバル規模でPCゲームカルチャーを定着させた

平成6年11月15日(Moby Gamesによる)、『ウォークラフト』が北米でブリザードからリリースされました。敵軍の戦略や戦術が常に変化するなかで、自軍のリソースを獲得して軍備や研究機関などを増設していき、敵側と激戦を交わし本拠地の占拠を目指すという、”リアルタイム”戦略ゲームの傑作です。その後、DOS/V版も国内で展開されました。

その前に発売された、映画『デューン/砂の惑星』の世界観をベースとした『Dune II』が、このジャンルを確立したと言われていますが、ファンタジー世界を舞台に、人類とオークの戦いという白兵戦を生臭く示した『ウォークラフト』のインパクトで、同ジャンルが浸透したと言えるでしょう。

CPUを相手にストーリーを進行させる「キャンペーンモード」と、LANを通じた複数人プレイの「マルチプレイヤーモード」がありましたが、当時からマルチプレイヤーモードに熱中していたのを記憶しています。同作で紡ぎあげられた世界観が、ブリザードによる以降のゲームの方向性を決定づけたとともに、欧米のゲームカルチャーに対しても影響を与えることになりました。

JRPGの金字塔『クロノ・トリガー』では、作家性の重要さが明らかに

平成7年3月11日に発売された『クロノ・トリガー』は、日本ファルコムや、エニックス、そしてスクエアなどが確立した「8ビットおよび16ビット時代」における“ドット絵の日本製ロールプレイングゲーム(JRPG)の到達点”と言っても過言ではありません。

『ファイナルファンタジー』シリーズの生みの親である坂口博信氏がエクゼクティブプロデューサーを、『ドラゴンクエスト』(以下、『ドラクエ』)シリーズの生みの親である堀江雄二氏がシナリオを、前述の『ドラクエ』シリーズに加えて、マンガ『ドラゴンボール』や『Dr.スランプ』で日本中を虜にしていた鳥山明氏がキャラクターデザインを務めるというドリームプロジェクトが実現。この3人がいかなる作品を生み出すのかという点でも注目の的となりました。まさに“作家性”を全面的に押し出したプロモーションが行われたのです。

『クロノ・トリガー』のパッケージ画像。キャラクターデザインは鳥山明氏
©1995 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.
Illustration: ©1995 BIRD STUDIO / SHUEISHA
Story and Screenplay: ©1995, 2008 ARMOR PROJECT / SQUARE ENIX

果たしてリリースされた作品も、ファンの予想をはるかに上回る出来となりました。従来のファンタジーにタイムトラベルの要素を加え、恐竜人類と人類の祖先が共存する原始時代から世紀末、そして未来が描かれます。

鳥山明氏によってデザインされた、クールな主人公「クロノ」から、コミカルな外見をした「ロボ」や「カエル」といったキャラクターまで、しっかりとドット絵で表現。16ビット時代におけるグラフィック表現の最高峰に到達したと言えるでしょう。さらに、光田康典氏によるBGMも、16ビットサウンドの魅力を徹底的に引き出しました。同氏の作曲家としてのデビュー曲にして代表作の1つに数えられています。

『クロノ・トリガー』のゲーム画面
©1995 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.
Illustration: ©1995 BIRD STUDIO / SHUEISHA
Story and Screenplay: ©1995, 2008 ARMOR PROJECT / SQUARE ENIX

メディアミックス戦略の源流『ポケットモンスター 赤・緑』

平成8年2月27日、日本を皮切りに、最終的に全世界において社会現象となる作品がリリースされました。『ポケットモンスター 赤・緑』です。

『ポケットモンスター 赤・緑』のパッケージ
©1995 Nintendo /Creatures inc. /GAME FREAK inc.

幼年時の「虫取り体験」からインスピレーションを受けたとされるポケモンを捕まえるスリル、捕まえたポケモンが図鑑に記録されるコレクション要素、「通信ケーブル」でポケモンを交換するドキドキ感など、子供たちがさまざまなシーンで体験したリアルな遊びが、1本のゲームに昇華されたのが本作です。

ゲーム中の画面
©1995 Nintendo /Creatures inc. /GAME FREAK inc.

さらに、マンガ、カードゲーム、テレビアニメ、そして劇場版アニメと、次々と『ポケモン』のタッチポイントを増やし、それぞれで相乗効果が生まれたという点でも当時としては画期的でした。これまでもメディアミックスはさまざまな作品で行われてきましたが、『ポケモン』のインパクトは比べ物にならないほど絶大だったのです。

もちろん、ゲームバランスも秀逸。カジュアルプレイでも十分楽しめるデザインでありながら、パーティのポケモンを選別する戦略性や、対戦相手との絶妙な駆け引きなど、対戦プレイを競技ととらえてプレイする人にも対応しうる奥深さを兼ねそなえた作品でもあったのです。

映画並みのストーリテリングをゲームでも実現できることを示した『バイオハザード』

平成8年3月22日、カプコンからリリースされた『バイオハザード』ほど、当時のゲームプレイヤーを驚かせた作品はないでしょう。

謎の洋館、ゾンビ、そしてその先に存在するさまざまな異形の存在など、ジョージ・A・ロメロが手がけた映画『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』や『ゾンビ』などからインスピレーションを受けたシーンも数多くあり、それを3Dでかつゲームにおいて完全に再現したことが多くのユーザーに衝撃を与えました。

ゲームというものが、映画に匹敵または凌駕する可能性があるメディアだと実感させた最初期の作品が、本作だったのではないでしょうか。『バイオハザード』以降もシリーズは発展していき、現在も多くの人に愛されるIPであることは誰もが認めるところでしょう。リモコンのようにキャラクターを操作する操作性もむしろホラー感を引き出す「演出」として高く評価されました。

『バイオハザード』のパッケージ画像
©CAPCOM CO., LTD. 1996 ALL RIGHTS RESERVED.
『バイオハザード』のゲーム画面
©CAPCOM CO., LTD. 1996 ALL RIGHTS RESERVED.

ローンチタイトルにして3Dアクションに必要な要素を網羅した『スーパーマリオ64』

平成8年6月23日に「ニンテンドウ64」がリリースされましたが、その際、ローンチタイトルとして展開された『スーパーマリオ64』に当時のユーザーは衝撃を受けました。

ジャンプする、探検する、潜る、飛ぶといった、従来の『スーパーマリオ』シリーズでのプレイ感覚を「忠実に」3D空間で再現していたのです。さらに重要だったのはアナログスティック。自然に3D空間を自由に動き回れるあの操作感には誰もが驚かされました。

さらに特筆すべき点は、デモの際に現れるクローズアップのマリオの顔。まるで平成7年に上映されたばかりの劇場用フル3DCGアニメ『トイ・ストーリー』のキャラクターかと見紛うような豊かな表情のマリオが、画面一杯に表示されているのです。コントローラーを使って顔にイタズラをすると、ちゃんとリアクションもしてくれました。当時はそんなところにミライを感じたものです。つまり、ゲームといる領域を超えたアミューズメントがそこにあったと言えるでしょう。

ゲームが「あらゆるエンターテインメントの複合体」であることを示した『サクラ大戦』

平成8年9月27日、セガサターン向けに開発された同作は、ゲームがまさに「あらゆるエンターテインメントの複合体」であることを実感させられる作品でした。『天外魔境』をはじめ、数々のゲームやアニメを手がけてきた広井王子氏、『逮捕しちゃうぞ』などで人気を博していたマンガ家の藤島康介氏がキャラクターデザイナーとして、そして『ドラゴンボール』をはじめ錚々たるアニメ作品の音楽をつくりあげてきた田中公平氏が結集して作成されました。

『サクラ大戦』のパッケージ画像
©SEGA

大正浪漫と蒸気技術が融合された独自のレトロフューチャー的な世界感のなか、プレイヤーは、「平時は帝国歌劇団」「有事は帝国華撃団」という秘密部隊の隊長として、女性団員をまとめ上げながら、悪の組織と戦うゲームです。

アドベンチャーパートでストーリーを展開させながら、敵との対戦パートはオーソドックスなターン制ウォーシミュレーションゲームとして進める本作は、アニメファン、ゲームファン双方が納得する出来でした。のちにアニメ化、ドラマCD化、そして舞台化まで行われ、ゲームを原作とした2.5次元ライブエンターテインメントの先駆け的な役割を果たしたと言えるでしょう。

対戦パートの様子。「霊子甲冑」と呼ばれるメカを操縦して戦う
©SEGA
本作には、女性隊員とコミュニケーションを図るアドベンチャーパートを搭載。隊員の信頼度によって、攻撃力や防御力が変化し、戦闘パートに影響する
©SEGA

アートと遊びが見事に融合した『アクアノートの休日』と『パラッパラッパー』

また、ゲームの多様性を象徴しうる傑作が、この時期に多数生まれました。その代表的な作品の1つが平成7年6月30日に発売された、『アクアノートの休日』です。アーティスト・飯田和敏氏がゲームデザイナーとして取り組んだ本作は、ゲームクリアの概念が限りなく希薄な、海洋探索型ゲーム。その不思議で幻想的な海洋世界に魅了されたプレイヤーも多く、「目的もなく自由に異世界に没入する」行為自体が、ゲーム体験において重要な要素であることを示しました。

『アクアノートの休日』のゲーム画面
©1995, ARTDINK. All Rights Reserved.

もう一方は、平成8年12月6日に生まれた『パラッパラッパー』です。原色を多用した背景デザインのもと、脱力系とも言える紙っぺらのような2Dキャラクターがダンスバトルを繰り広げるという異色作。ただし、もともとの生みの親である松浦雅也氏が、「PSY・S」として活動していたミュージシャンであったこともあり、ゲームのために準備された楽曲はどれも秀逸で、国内のみならず世界的に評価を受けました。

『パラッパラッパー』のパッケージ画像
©1996 Sony Interactive Entertainment Inc. ©Rodney A. Greenblat / Interlink
『パラッパラッパー』のゲーム画面
©1996 Sony Interactive Entertainment Inc. ©Rodney A. Greenblat / Interlink

これらはいずれも本格的なアーティストが「ゲーム」という課題に対することで、従来のゲームデザイナーでは思いもよらなかった新たな体験をもたらした一例と言えるでしょう。

わずか3年で一気に広がった“デジタルゲームのカンブリア紀”

以上、わずか3年の間で、現在にもつながる多種多様なゲームが生まれました。その生態系の爆発はまさにカンブリア紀を彷彿とさせます。

ただ、ゲームの発展はここでは終わりません。次回は、インターネットシーンにおけるゲーム体験を生み出した作品群を紹介していきます。

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