競合関係からの脱却!? 北海道新幹線で手を組むJALとJRの狙い

競合関係からの脱却!? 北海道新幹線で手を組むJALとJRの狙い

2016.04.28

北海道新幹線の開業に合わせ、日本航空(JAL)と東日本旅客鉄道(JR東日本)が函館旅行で手を組んだ。航空機と新幹線を片道ずつ使う旅行商品を展開し、一度は北海道新幹線に乗ってみたいが、片道(主に帰り)は時間短縮のために航空機を使いたいというニーズの開拓に乗り出したのだ。新幹線が新規開業する場合、旅客を奪い合うライバルとして語られることの多い両社。共同で旅行商品を展開する取り組みは新鮮だが、両社が手を組んだ狙いはどの辺りにあるのだろうか。

流動人口の拡大が共通の願い

片道ずつの旅行商品は、JALとJR東日本が企画し、旅行会社に働きかけて商品化した。首都圏在住の顧客が主なターゲットで、ルートとしては青森に必ず立ち寄る設定となっている。例えば東京駅から新函館北斗駅まで新幹線で移動し、2日目に新幹線で新青森に入り、3日目は青森空港から羽田空港に帰ってくるというような旅程が考えられる。

JTB国内旅行企画、日本旅行、近畿日本ツーリスト個人旅行、びゅうトラベルサービスの4社が片道新幹線、片道航空機の旅行商品を展開。画像はびゅうトラベルサービスのポスターだ

「ほかの交通機関と旅行客を奪い合うのではなく、流動人口全体を増やしたいというスタンスで取り組んでいる。そのなかで、片道新幹線、片道航空機という商品を望む顧客もいるだろうと考え、商品設定を行った」。今回の旅行商品ができた背景について、JR東日本の広報担当はこう語る。

気持ちはJALも同じで、同社の国内旅客販売推進部国内業務グループの吉田秀彦氏は「旅行需要の創出と(周遊旅行による)地域の活性化を考え、我々のほうから声を掛けた」と旅行商品を企画するに至った経緯を説明してくれた。

新幹線開業のタイミングを活用し、函館、青森、首都圏を巡る旅行需要を取り込みたい両社。この想いが今回の商品企画に結びついた最大の要因だが、首都圏~函館間という区間の持つ特性が、両社の協力を後押しした部分もある。

青森に立ち寄るルート設定が両社の思惑に合致

JR東日本がJALを協力相手に選んだ要因としては、青森に立ち寄るというルート設定が可能だったことも大きい。首都圏~函館と首都圏~青森の双方で定期便を飛ばしているJALは、青森と函館の双方が空路の玄関口となりうる旅行商品を作るにあたり、JR東日本のパートナーとして最適だったのだ。ちなみにANA(全日本空輸)は東京~青森の定期便を運航していない。

航空機は空港間の移動となるため、途中下車が可能な新幹線を組み込み、函館と青森の両方を周遊できる旅行商品を企画できる点は、様々な顧客のニーズに対応したいというJAL側の考えにも合致した。

首都圏~函館間は距離が絶妙

今回の旅行商品が成立した背景としては、首都圏と函館の距離が丁度よかったことも見逃せないポイントだ。この区間は新幹線で最速4時間2分の距離。いわゆる「4時間の壁」が立ちはだかるため、一般的にいえば空路が有利な区間となる。

例えば東京から新幹線で2時間28分の金沢旅行を考えた場合、JALが片道航空機、片道新幹線の旅行商品を提案したとしても、鉄道会社側にしてみれば受け入れる理由が見出しづらい。この距離であれば、空港までの移動や航空機の待機時間などを考慮し、新幹線を選ぶ旅行客が増える傾向にある。鉄道会社にしてみれば、わざわざ片道を航空機に割り当てる必要がないわけだ。一方で首都圏~函館は、北海道新幹線が開業しても航空機に時間的優位性の残る絶妙な距離。鉄道会社が片道航空機の旅行商品を作る動機は十分といえる。

距離的には有利な立場のJAL、JRと組んだ狙いは?

「4時間の壁」の関係で不利な立場にあるJR東日本が、JALを巻き込んで今回の旅行商品を作る理由は分かりやすい。一方、首都圏~函館間では有利な立場にあるJALが、自らJR東日本に声を掛けて、この旅行商品を企画した動機については分かりづらい部分がある。JALの狙いはどのあたりにあるのだろうか。

「今回の商品で選択肢を増やし、旅行需要の創出と多様な顧客ニーズへの対応を図りたい」。JAL国内旅客販売推進部国内業務グループのアシスタントマネジャーである鈴木亮介氏は、今回の旅行商品を作ったことにより、青森、函館、ひいては北海道全体を絡めた旅行商品のメニューを拡充できたことに意義があると語った。

JALによると、首都圏~函館間および首都圏~青森間の航空便は、まだまだ航空需要の創出が見込める路線だ。今回の旅行商品は個人旅行者向けとなっているため、少しの空席でも有効活用できる点はJALにとっても都合がいいのだろう。

リピーター獲得も狙いの1つ

JALの狙いとして、メニュー拡充と航空需要の創出以外で思いつくのがリピーターの獲得だ。4時間の壁を考えた場合、北海道新幹線に一度は乗ってみたいと考える旅行客でも、函館を再訪する際には航空機を利用する可能性が高い。今回の旅行商品で函館・青森を訪れ、もう一度同地を訪問したいと考える旅行者は、JALにとっての潜在的なリピーターとなる。

JALの鈴木氏(写真左)と吉田氏

この狙いについてJALの吉田氏に尋ねると、「結果的にそういった効果もあるかもしれない」と一部は認めつつも、JRと組んだ最大の理由は、旅行業界が抱える共通の課題に対処したいがためだと強調した。その課題とは、人口減少による国内旅行市場の縮小だ。

国内旅行市場の維持・拡大が業界全体の課題に

観光庁によると、日本人国内旅行の延べ旅行者数は、ここ数年の間6億人台後半で推移している。2010年から2015年までの5年間を見た場合、最も多かったのが2011年の6億9,383万人。2015年は速報値で6億6,293万人だったため、国内旅行者は減少傾向にあると見ることもできる。航空会社と鉄道会社が、旅行者を食い合っている場合ではなくなりつつあるわけだ。

JALと鉄道会社も、外から見るほど厳しい競合関係にあるわけではない。JALの吉田氏によると、鉄道会社との協業案件は「実は結構ある」そう。例えばJR西日本とは、ロサンゼルス~京都間で航空機と鉄道のチケットを一括販売するビジネスを手掛けたり、大阪~九州間で片道新幹線、片道航空機の旅行商品を展開したりした実績がある。

航空会社と鉄道会社、手を組みやすい時代に?

協業の実績を知れば、北海道旅行でJALとJR東日本が組んだのも驚くにはあたらないが、今回の旅行商品を大々的に打ち出したことで、「(様々な業種との提携を)改めてアピールする機会になったと思う」と鈴木氏は語る。国内旅行市場を共に盛り上げていくうえで、いつまでも競合関係と見られたくないというのが両社に共通する想いなのかもしれない。

鉄道と航空機を組み合わせることで開拓できる商機については、「大いにありそう」というのが鈴木氏の見立てだ。JR東日本と組んだ今回の旅行商品は、2016年9月30日の帰着分で販売終了の予定となっているが、評判がよければ期間の延長もありうるという。3月の発売から現在までの手応えは上々の様子。冬季はウィンタースポーツの旅行客が見込めるため、この旅行商品が継続となる可能性も十分にある。

新幹線開業やインバウンドの急拡大など、大きなムーブメントが起こるときにはJALと鉄道会社の協業機運も高まる。東京オリンピック、北海道新幹線の札幌延伸、北陸新幹線の福井延伸など、将来のイベントでJALと鉄道会社がどのような協業を行うか。共同で戦略を練る土壌は整いつつあるようにみえる。

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「クラロワリーグ」プレイオフの波乱、大会システムもeスポーツ発展の課題か

「クラロワリーグ」プレイオフの波乱、大会システムもeスポーツ発展の課題か

2018.11.20

「クラロワリーグ アジア」のプレイオフが開催

世界一決定戦への出場権を手にしたのはどのチームか?

盛り上がりを見せる一方で、大会システムには疑問も

11月11日にお台場フジテレビの湾岸スタジオにて、「クラロワリーグ世界一決定戦」への出場権をかけた「クラロワリーグ アジア」のプレイオフが開催された。

波乱の展開を見せたプレイオフ

プレイオフには、「クラロワリーグ アジア」の地域で分けた3グループ(日本、韓国、東南アジア)のなかで、もっとも成績が優秀だった各1チームと、それぞれの地域で2番目に成績の良かった3チームがワイルドカードを争い、そこで勝ち抜けた1チームの合計4チームが出場する。

今回、日本からはPONOS Sports、韓国からはKING-ZONE DragonX、東南アジアからはBren Esports Sが1位通過し、ワイルドカード争いによって韓国のSANDBOXが出場した。

プレイオフ初戦の組み合わせは、抽選によって決められた。その結果、KING-ZONE DragonXとSANDBOXによる韓国勢が対戦し、PONOS SportsとBren Esportsが対戦。韓国対決を制したKING-ZONE DragonXと、日本のPONOS Sportsを破ったBren Esportsが決勝へコマを進めた。

日本代表のPONOS Sportsは、初戦2試合目の3ゲーム目に痛恨の反則負け。まさかのストレート負けを喫してしまう。クラロワリーグ世界一決定戦2018は、日本の幕張メッセで行われるので、開催国枠として、PONOS Sportsの出場は確定していたが、「プレイオフ初戦敗退」という結果で出場することは予想していなかった。

決勝では、KING-ZONE DragonXがBren Esportsを下し、見事、世界一決定戦への切符を獲得した。

プレイオフを制したKING-ZONE DragonX
開催国枠で世界一決定戦へ出場するPONOS Sports

疑問が残ったプレイオフのシステム

下馬評では圧倒的にPONOS Sports有利であったにも関わらず、こういった結果になるのはワンデイトーナメントならでは。ただ、そもそもプレイオフの出場に関するシステムには、疑問が残る結果だったと言えるのではないだろうか。

なぜなら、クラロワリーグ アジアのリーグ戦で、PONOS Sportsは11勝3敗という文句なしの成績で1位を獲得しており、東南アジアのBren Esportsも10勝4敗という好成績を残している。韓国1位のKING-ZONE DragonXは7勝7敗と5割の勝率だった。

東南アジア1位通過のBren Esports

日本、韓国、東南アジアで順位を分けているが、クラロワリーグ アジアでは、すべてのチームと総当たりで対戦し、同じ国や地域のチームのみ2回対戦する仕組みになっている。したがって、別の国や地域との対戦により、勝ち越すことなく1位になってしまうこともあり得るわけだ。

今回のクラロワリーグ アジアにおいて、韓国チームはいずれも振るわず、2位以下はすべて負け越している。ワイルドカード枠を獲得したSANDBOXは5勝9敗。この成績は日本で最下位だったDetonatioN Gamingや、東南アジアで最下位だったKIXと同じだ。クラロワリーグ アジア全体の順位で見てみるとPONOS Sportsが1位、Bren Esports 2位、KING-ZONE DragonXが6位タイ、SANDBOXが8位タイである。

東南アジア3位のAHQ ESPORTS CLUBは8勝6敗と、KING-ZONE DragonXよりも好成績を残している

やはり勝率5割で、リーグ戦順位が6位のチームがクラロワリーグ アジア代表として、世界一決定戦へ出場することに対して、違和感を覚えてしまうのは仕方ないだろう。

プロ野球のクライマックスシリーズでも、3位のチームが日本シリーズに出場することについては賛否両論があり、長年話し合われてきた事案だ。その結果、上位チームにアドバンテージをつけることで、とりあえずの折り合いが付けられている。

今回のプレイオフでは、上位チームにアドバンテージがなく、一発勝負だったのも、それまで戦ってきた3カ月間が水泡に帰するような印象を受ける。場合によってはSANDBOXが優勝することもあり、その場合は大幅に負け越したチームがアジア代表チームとなってしまうわけだ。

また、トーナメントの組み合わせは抽選により決定したのだが、こういったトーナメントの場合、初戦は1位通過のPONOS SportsとワイルドカードのSANDBOX、2位通過のBren Esportsと6位タイ通過のKING-ZONE DragonXの組み合わせになるのが一般的ではないだろうか。今回の組み合わせだと、初戦に事実上の決勝戦と言えるカードが発生してしまい、強豪がつぶし合うという結果にもなっている。4チームのトーナメントなので、今回はシードという概念はないのだが、強豪が初戦に当たらないように、シードによるブロック分けをするのは多くのスポーツや競技で使われている常套手段だ。

クラロワリーグは、アジア以外に、北米、欧州、ラテンアメリカ、中国の4つの地域でリーグが開催されている。すでに地域分けされているなか、クラロワリーグ アジア内で、さらに3つの地域に分ける必要はあったのだろうか。今回の結果はそこにも疑問が大きく残った。

リーグ戦での結果のみで出場権を与えるだけでも十分だという考えもある。ただ、プロ野球のクライマックスシリーズがそうであるように、プレイオフを実施することは、リーグ終盤の試合が消化試合にならなくなる施策でもあり、最後に盛り上がる山場を作れるという利点もあるのだ。したがって、プレイオフ自体を廃止する必要はないのだろうが、その出場資格においては、一考の余地があると思われる。

順当に考えれば、国や地域は関係なく、クラロワリーグ アジアのトータル順位1~3位がプレイオフ出場確定で、ワイルドカードをプレイオフ出場権のあるチームを除いた国や地域の最上位3チームによる争奪戦にすれば納得いくのではないだろうか。今回に限ってはPONOS Sportsが開催国枠で出場できることが確定していたので騒動にはならなかったが、他の国で開催され、アジアリーグで1位を取った日本のチームが出場権を獲得できなかったとなれば、騒ぎになってしまう可能性もあるだろう。

クラロワリーグは今年から始まったばかりで、まだいろいろな点で整っていないというのは十分わかる。ただ、今回のプレイオフの件は、システムを見直す良い機会となったのではないだろうか。次への糧とし、ファンにも選手にも納得のいくシステムの改善を期待したい。

明朝体でもゴシック体でもない書体

1969年(昭和44)、写研から「タイポス」という書体の文字盤が発売された。ひらがな、カタカナ、記号で構成された「かな書体」。桑山弥三郎氏、伊藤勝一氏、長田克巳氏、林隆男氏の4人による「グループ・タイポ」(*1)がデザインした書体である。

グループタイポ編『typo1〈普及版〉』表紙(グループタイポ/初版は1968年7月、普及版は1970年2月)

橋本さんは振り返る。

「写植が普及し、広告やポスターなどさまざまな媒体に使われるようになった昭和30~40年代、本文用の明朝体やゴシック体とは違う、新しい書体が求められるようになりました。そんななか、初めて登場した『新書体』がタイポスでした。発売されるや、爆発的に売れました」

タイポスは、時代にいくつもの新しい風を吹きこんだ書体だった。

まず1つ目に、そのデザインの新しさだ。タイポスは、明朝体とゴシック体のどちらでもない、その中間を目指してつくられた「ニュースタイル」の書体だった。(*2)

誕生のきっかけは1959年(昭和34)、武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)の3年生だった桑山弥三郎氏と伊藤勝一氏が、卒業制作でタイプフェイスデザインをやりたいと考えたことだった。

「美しい書体は読みやすさを生み出すと考え、かな特有の毛筆の流れをできるかぎり排除して、幾何学化、モダン化を図ろうとした」と、かつて桑山氏は語っている(*3)。

文字の骨格そのものを改革し、ふところを大きくして、明るい字面をつくった。かな特有の文字の曲線はできる限り水平垂直に近づけ、視線がスムーズに移動できるようにデザインされている。卒業制作としての発表はかなわなかったものの、桑山・伊藤両氏は卒業後さらに研究を続け、長田氏、林氏を加えてグループ・タイポを結成。1962年(昭和37)、第12回日宣美展に「日本字デザインの提案」として入選を果たしたのが、「タイポス」の誕生へとつながった。

「いままでの活字にはなかった書体をつくるということが、『タイポス』のデザインの前提にあったのだと思います。当初からファミリー展開することを考えて設計されたアドリアン・フルティガー氏による欧文書体Universのように、しっかりとした設計思想のもとでつくられていました」

数字で表す書体

1969年(昭和44)に写研から発売された「タイポス」は35、37、45、411の4種類だ。

「それまでウエイトを表していたL(細)やM(中)、B(太)のような概念的な言い方ではなく、タイポスは数字で表す書体でした。感覚的に書かれた文字ではなく、もっとデジタルっぽくつくられた書体なんです」

上から、タイポス35、タイポス37、タイポス45、タイポス411

タイポスの書体名についている数字は、横線と縦線の太さを表している。文字を入れる枠を100目のマスと考えたときに、「35」であれば横線3の縦線5、「37」なら横線3で縦線7、「45」は横線4で縦線5、そして「411」は横線4で縦線11というように、線の太さを表しているのだ。

アドリアン・フルティガー氏が欧文書体Universで「ファミリー」という考え方を書体デザインに打ち出したことに影響を受けながら、タイポスはそのさらに先を行くファミリー展開を考えた。

「ゴシックのように線幅が均一ではなく、明朝体のように横線が細くて縦線が太い。けれども、明朝体のようなウロコや打ち込みはない。むしろグループ・タイポは、明朝体やゴシック体のような既存の書体の枠を打ち破り、『タイポス』という提案そのものを認識させるための書体をつくったといえるのではないでしょうか。ニュースタイルのデザインで、既存の石井明朝体の漢字などと組み合わせると、おおきく印象が変わり、モダンな表情の組版になった。『タイポス』の登場以降、ニュースタイルの書体が次々と登場していきました。時代が変わるきっかけをつくった書体といっていいと思います」

写研の発行した書籍『文字に生きる』では「タイポス」の特徴を次のようにまとめている。

〈一、    従来の漢字とかなの大きさと比較して、かなが大きく、このため字間が均等となり、上下、左右のラインがそろって、きれいに見える。
〈二、    曲線をできるだけ垂直、水平な線に近づけた。このため、視線の移動がスムーズになる。
〈三、    毛筆のなごりである不必要なハネを取り除いた。このため、すなおな書体となった
〈四、    濁点の位置を一定にし、垂直にした。このため縦、横のラインを強めるのに役立っている。〉

文字を12のエレメント(=要素/てん、よこせん、たてせん、むすび、さげ、わ、まわり、あげ、はね、かえり、かぎ、まる)に分け、そのエレメントによる文字構成を示したのも新しい手法だった。

デザイナーが書体をデザインする時代へ

タイポスが吹きこんだ新しい風の2つ目は、「デザイナーがデザインした書体」であるということだ。タイポスの登場前、日本では、書体といえば活字書体で、「職人がつくるもの」だった。それが、デザイナーが設計したタイポスが登場し、注目を集めたことで、「日本語でも、新しい書体をデザインできるのだ」という意識を、デザイナーに芽生えさせることになった。

そして3つ目に、かな書体だったということ。(*4) 日本語で新しい書体をつくる場合、漢字まで含めると、少なくとも約3000字は必要とされた。金属活字でこれをつくる場合は、使用サイズすべての母型が必要だったため、つくらなくてはならない文字数はその数倍にふくれあがった。

写植機のレンズを通して文字を拡大縮小できる写植では、金属活字に比べれば新書体がつくりやすい状況ではあったが、それでも数千字である。けれども、両がなと記号だけであれば約150字程度で済む。しかも日本語では、文章の6割前後をかなが占めるため、ひらがなとカタカナのデザインが変わるだけで、紙面の印象を大きく変えることができた。

1972年(昭和47)には、石井ゴシックと組み合わせて使うことを想定した「タイポス」44、66、88、1212が発売された。社外のデザイナーがデザインした書体を写研が文字盤化し、写植書体として販売するという流れを最初に実現したのが「タイポス」だった。(つづく)

(注)
*1:グループ・タイポ:1959年(昭和34)、武蔵野美術学校の同級生だった桑山弥三郎氏(1938-2017)、伊藤勝一氏(1937-)、林隆男氏(1937-1994)、長田克巳氏(1937-)で結成。学生時代から開発していた「タイポス」が1969年(昭和44)写植文字盤として発売され、一世を風靡。1974年(昭和49)、有限会社に改組。2007年、桑山氏・伊藤氏のディレクションによって、タイポス漢字書体の原字をタイプバンクがデジタルデータ化。2008年、タイプバンクより「漢字タイポス」OpenTypeフォントが発売された。

*2:タイポスは、明朝体でもゴシック体でもないあるカテゴリーをつくった。カテゴリー名について、小塚昌彦氏はかつてこんなエピソードを書いている。
〈「タイポス」はタテとヨコの線幅(太さ)比を変えることによって、明朝風にもゴシック風にも展開できるが、もっぱらヨコが細くタテが太いものが多く使われていた。他にも同様なコンセプトの書体もかなり発表されたこともあり、在来のタイプフェイスのどこにも属さない、あるカテゴリーを作ったといえるのである。タイポグラフィ研究科、故佐藤敬之輔氏から「コントラスト体」ではどうかと提案があったこともあるが、未だ名案がないままになっている〉
(小塚昌彦「東西活字講座4 新しい時代へ」『たて組ヨコ組』No.23(モリサワ、1989) P.20

*3:筆者による桑山氏への聞き取りから(2008年9月5日)

*4: 2008年、タイプバンクより漢字も含む「漢字タイポス」OpenTypeフォントが発売された。

話し手 プロフィール

橋本和夫(はしもと・かずお)
書体設計士。イワタ顧問。1935年2月、大阪生まれ。1954年6月、活字製造販売会社・モトヤに入社。太佐源三氏のもと、ベントン彫刻機用の原字制作にたずさわる。1959年5月、写真植字機の大手メーカー・写研に入社。創業者・石井茂吉氏監修のもと、石井宋朝体の原字を制作。1963年に石井氏が亡くなった後は同社文字部のチーフとして、1990年代まで写研で制作発売されたほとんどすべての書体の監修にあたる。1995年8月、写研を退職。フリーランス期間を経て、1998年頃よりフォントメーカー・イワタにおいてデジタルフォントの書体監修・デザインにたずさわるようになり、同社顧問に。現在に至る。

著者 プロフィール

雪 朱里(ゆき・あかり)
ライター、編集者。1971年生まれ。写植からDTPへの移行期に印刷会社に在籍後、ビジネス系専門誌の編集長を経て、2000年よりフリーランス。文字、デザイン、印刷、手仕事などの分野で取材執筆活動をおこなう。著書に『描き文字のデザイン』『もじ部 書体デザイナーに聞くデザインの背景・フォント選びと使い方のコツ』(グラフィック社)、『文字をつくる 9人の書体デザイナー』(誠文堂新光社)、『活字地金彫刻師 清水金之助』(清水金之助の本をつくる会)、編集担当書籍に『ぼくのつくった書体の話 活字と写植、そして小塚書体のデザイン』(小塚昌彦著、グラフィック社)ほか多数。『デザインのひきだし』誌(グラフィック社)レギュラー編集者もつとめる。

■本連載は隔週掲載です。