MVNOに家族割引ブームも? 楽天モバイルに他社は追随できるか

MVNOに家族割引ブームも? 楽天モバイルに他社は追随できるか

2017.02.15

楽天モバイルは15日から、1回線契約で2回線目以降が最大で無料になる新キャンペーンを開始した。「1枚買うと、もう1枚無料!」というドミノピザの売り方をイメージさせるキャンペーンで、家族の取り込みに効果を発揮しそうだ。

1回線契約で2回線目以降が最大で無料になる新キャンペーンを展開。写真は楽天執行役員 大尾嘉宏人氏

キャンペーンの設計

楽天モバイルの新キャンペーンが興味深いのは、その設計にあたり、実店舗の来店客に着目した点だ。楽天モバイル事業を担当する楽天の執行役員 大尾嘉宏人氏によると「来店客は夫婦もしくは親子が多く、全体の34%が同時申込みを行っていた」と話す。計測日が土日のため割り引いて見る必要がありそうだが"同時契約"がキャンペーン設計の注目点となったようだ。

楽天カフェ二子玉川ライズS.C.店で2人同時に契約した顧客の割合実績(2017年2/4-5)

そしてもうひとつ。携帯電話に関する春のキャンペーンは、学生がそのターゲットとなるのが相場だが、大尾嘉氏は「春は学生だけ、若い人だけに訪れるものではない」とし、誰でも対象になることをベースに設計。上記の来店動向と併せて、1回線契約で2回線目以降が最大で無料になる新キャンペーンを開始することとなった。

キャンペーンの内容は?

キャンペーンの内容に少し踏み込むと、通話SIMの5GB以上のプランとオプションサービスの「楽天でんわ5分かけ放題 by 楽天モバイル」を申し込むと、2回線目以降の月額基本料が最大1年間無料もしくは割引きが適用されるという仕組みだ。期間は5月11日まで。

キャンペーンの対象者は、家族に限定されるわけではなく、2回線目以降、友人もしくは本人でも条件を満たせば適用される。とはいえ、今回のキャンペーンで期待されるのは、家族での加入だろう。そして、このキャンペーンは他のMVNOの先を行くものとなりそうだ。

所定の通信プランの契約で2人目の月額基本料が割り引かれる仕組み
割引は2回線目ばかりではなく3回線以降にも適用

意外に少ないMVNOの家族割引

意外かもしれないが、MVNOで家族割引があるところは少ない。楽天モバイルを含めて、データシェアという形で「家族でお得になりますよ」とメッセージを発し、サービス提供してきたのがこれまでの流れ。ダイレクトに「無料になる」「いくら安くなる」と打ち出したものは少なかったのだ。

料金で表現した今回のキャンペーンは家族割に該当すると見てよさそうだ。そのメッセージがどれだけの効果を生むのかは、他のMVNOにとっても注目すべきところになるだろう。有効と見るならば、他社も追随し、MVNOで家族割が広がっていくことも期待できる。

ただし、他社が追随しきれない強みを持つのが楽天モバイルだ。それはスーパーポイントアッププログラム(SPU)の存在である。SPUは楽天カード、アプリなどを利用することで、楽天市場での買い物時に最大7倍ポイントがアップするというプログラムのこと。楽天モバイルの利用でもポイントがプラス1倍分追加される。

キャンペーン対象者はSPUも適用される

このSPUは今回の楽天モバイルのキャンペーンの対象となっており、楽天市場を多用する家族にとっては、魅力的なものになる。そして、このような取り組みを他社が真似することは難しい。楽天と同等かそれ以上のキャンペーンを展開しようと考えると、とりうる手段も限られる。

MVNOは現状、600社超の事業者がひしめき合う、激しい競争のなかにある。そのなかで、楽天モバイルのような取り組みを見ていくと、事業資産を持つMVNOは強さを発揮できるチャンスが多分にあることがわかる。そう考えていくだけでも、MVNOの先行きをある程度は想像できるだろう。

オフィスに「メディア・アート」を導入するという新潮流

オフィスに「メディア・アート」を導入するという新潮流

2019.02.19

働きやすいオフィス構築に取り組む企業が増えた

アンダーデザインがオフィス環境作りに選んだメディア・アート

メディア・アートでリブランディングにも挑戦する

ここ数年、オフィスの緑化を進める企業が増え、なかには水が流れる小さな滝を表現するオブジェを導入したオフィスもある。これらは植物や水といった自然物をオフィス環境に導入することで、そこで働くスタッフに安らぎを感じてもらおうという取り組みだ。

しかし最近は、オフィスの緑化ではなく、「メディア・アート」により、スタッフに快適に働いてもらおうという動きも見え始めてきた。

そもそもメディア・アートは、「芸術表現に新しい技術的発明を利用する、もしくは新たな技術的発明によって生み出される芸術の総称的な用語」(出展:Wikipedia)とあるように、テクノロジーを活用した芸術作品。芸術ユニット「明和電機」や、メディア・アーティスト 落合陽一氏の作品が有名だ。

そのメディア・アートをオフィスに導入するのは、自然物による緑化オフィスとは方向性が真逆のようなイメージを感じる。だが、スタッフに心地よく仕事をしてもらおうという意味では、同じ方向を向いているといっていい。

こうしたメディア・アートによって、自社のオフィス環境を洗練、改善しようと積極的に取り組んでいる企業がある。ITインフラ構築や空間プロデュースなどを手がけている、アンダーデザインという企業だ。

洗練されたオフィス構築のためのメディア・アート

同社は「OFFICE × ART -digital-」をテーマとするワーク&アートスペース事業の展開を計画中。現在は自社のオフィスで実験中だが、成果があれば他社への販売を検討する考えだ。

実はアンダーデザインは、創業70年を数える意外と古い企業。戦後から高度成長期にかけて、急速に発展していった電話などの通信インフラの構築・整備をメインの事業としてきた。やがてITが発達すると、コンピュータ・ネットワークの領域にも事業領域を広げている。つまり、通信技術の進歩とともに、歩んできた企業なのだ。ちなみに、アンダーデザインの旧名は「旭コムテク」で、2018年10月に改称した。

戦後から通信インフラを手がけたアンダーデザインの受付電話。若い人のなかには、使い方がわからないという声も

現在、同社の名古屋オフィスにメディア・アートが導入されている。正方形の高輝度LEDパネル数枚がオフィス内に飾られているのだが、気象情報をネット経由で取得し、その変化によりツリー構造状に光が走るという映像を映し出している。この映像のパターンは気象情報の変化をもとにリアルタイムで生成しているので、常に変化し、同じ図柄になることはないそうだ。なお、この作品は映像音響インスタレーションを中心に国内外で活躍するアーティストの平川紀道氏によるもの。

高輝度LEDに映し出されるツリー構造

メディア・アート導入で企業のリブランドを推進

では、なぜメディア・アートを導入しようと考えたのか。アンダーデザイン 代表取締役社長 川口竜広氏は、「社員がクリエイティビティを発揮しやすいオフィス環境をつくるのが目的。日本の中小企業は技術力があるし、経営基盤が強いところが多い。だが、唯一足りなのが“クリエイティビティ”だと思う。この点においてはアメリカに大きく差をつけられている」と話す。メディア・アートをオフィスに導入すれば面白いし、クリエイティビティの向上につながるかもしれないと思ったそうだ。

アンダーデザイン 代表取締役社長 川口竜広氏

ただ、メディア・アートのオフィス導入にはもうひとつのねらいがあると川口氏は続ける。前述したように、同社は70年の歴史を誇る。ただ、それだけに組織が硬直しがちなのだそうだ。「これまで、何度か“企業のイノベーション”に挑戦した。だが、70年続けてきた“通信インフラ”というメインの事業の文化に押され、なかなか定着しなかった。それならば、まったくその領域と異なる文化を創り出すしかない」と川口氏は考えたそうである。それが、メディア・アートというわけだ。

そのためにリブランディングを行った。社名変更もしたし、これまでとは異なる新組織を立ち上げた。事業所も分け、そしてワーク&アートスペース事業に精通した人材を集めた。まずは、同社の名古屋オフィスでメディア・アートを試し、随時、ほかの拠点にも広げていく考えだ。そして“これはいけそうだ”という成果と手応えを感じたら、社外への提供も視野に入れている。

川口氏はメディア・アート導入でもうひとつの効果が得られたと話す。ホームページを洗練されたものに刷新した効果ともあいまって、就職希望者が増え、「これまで応募してこなかったような人材が採れるようになった」(川口氏)というのだ。

アンダーデザインが「OFFICE × ART -digital-」の施策を開始してから、まだそこまで時間は経っていないが、今後、メディア・アートを理解する企業が増えるかどうか、それが“新潮流”を生み出すカギとなるだろう。

まさかの連続受賞

1974年(昭和49)、第3回「石井賞創作タイプフェイスコンテスト」の結果が発表されると、人々はふたたび驚きに包まれた。スーボで第2回の1位を獲得した写研社員の鈴木勉氏が、もう一度1位に輝いたのだ。20代前半の若手(当時25歳)、それも主催社の社員が2回連続で1位を受賞したのである(応募点数238点)。

鈴木氏は新書体の開発に意欲的だった。スーボの発売に向けて、チーフとして社内制作チームを指揮しながらも、第3回コンテストへの応募準備を進めていたのだ。

第3回の1位となった作品(のちのスーシャ)は、前回のスーボとはおおきく印象の違う、シャープな表情の横組み専用書体だった。

スーシャ(横組み専用)

その制作意図は次のとおりだ。

〈元来日本の文字は縦書き用であるが、現在では横組が相当多くなってきている。しかし、印刷文字においては同一文字を縦横兼用にしているのが現状である。そこで、横組用文字の制作を試みた。(1)横への視線を滑らかにするために正斜体(傾斜角度約86度)とした。(2)横線については、縦線が傾斜している関係で右下がりに見える欠点を矯正し、右上に抜けるような筆法にした。(3)従来の細明朝体よりも力強さを出すため、縦・横の太さの差を少なくした。(4)ベースラインを揃えるため、文字間の重心を下げた〉

2回連続の1位入賞を、橋本さんは「偉大」と讃える。

こうしてスーシャも商品化されることとなり、鈴木氏は20代半ばにして大量の原字を制作することになった(コンテストの応募作品は約200字。書体として発売するには、これを約6000字に増やさなくてはならない)。少しでも制作期間を短くするためにチームが組まれ、鈴木氏がチームリーダーとなった。

当時の原字課は、課長の橋本さんの下に4、5人がいくつかのチームを組んで、文字制作にあたっていた。

「各リーダーのもと、チームごとに机の島をつくって作業していました。鈴木くんもそのリーダーの1人でした。写研が多書体化するにつれ、それぞれ3、4書体を並行して制作しました。書体の統一性や品質の安定性と、生産性などを考慮して、1チームが4、5年で数書体を並行して担当するようにしたのです」

スーシャは商品化にあたり、組み合わせて使えるようゴシック系見出し書体のファミリーも同時に開発された(のちのスーシャB、ゴーシャE)。鈴木氏がリーダーを務めたチームで約5年をかけて3書体の原字を制作したのだ。

スーシャB(上)とゴーシャE(下)

書体名の「スーシャ」は「鈴木さんの斜体」を縮めたもの。「ゴーシャ」はその「ゴシック版」ということで名づけられた

1979年(昭和54)年に発売されると、スーシャ、ゴーシャとも、広告媒体やテレビのテロップなど幅広い場面で用いられる書体となった。

驚きの依頼

業界1位の写研が開催するコンテストにおいて、2回連続で最優秀賞に輝いたことは、快挙だった。書体・印刷関係者以外にも注目され、鈴木氏の記事が新聞や週刊誌に掲載された。朝日新聞の「ひと」欄に掲載されたインタビュー(1974年6月5日付)では、賞金100万円の使いみちについて「私も年ごろ、相当部分は結婚資金になるんでしょうねえ」と答えた。(*1)

そんなある日、橋本さんは鈴木氏から予想外の依頼を受けた。「結婚式で媒酌人をしてほしい」という頼みだった。お相手は同じ写研社員で、スーボの制作チームにいた女性だった。

「鈴木くんは、よく家に遊びに来てくれたんです。ぼくは1963年(昭和38)に結婚したあと、会社近くの巣鴨に住んでいました。写研に入る前から始めた写真の趣味はずっと続いていて、自宅に押入れ暗室をつくって現像していたのですが、その手伝いに来てくれたものでした」

公私ともに慕っていたからだろう、鈴木氏は橋本さんに媒酌人を頼んだ。媒酌人とは、結婚式や結婚披露宴で新郎新婦の紹介をしたり、2人のサポートをしたりする役のことだ。

「ぼく自身も40歳になるかどうか、というときのことです。まだ若造だというのに、鈴木くんとお相手のお母様が、きちんと着物を着て、家にあいさつに来られた。ぼくだって息子みたいなものでしょうに、親というのはすごいものだなあと、感心するやら恐縮するやら。よい人生経験をさせてもらいました。鈴木くんには輝かしい業績がありすぎて、披露宴では紹介する内容を絞りこまなくてはならないという、うれしい苦労もありました」

橋本さん夫妻はその後、鈴木氏の親しい友人であり写研同期の2組の媒酌人も頼まれたそうだ。

「鈴木くんは結婚したあとも、お正月にはよく遊びに来てくれました。うちの子どもたちも面倒見のよい鈴木くんにはお兄さんのようによくなついて、かわいがってもらったものです」

神のいたずら

20歳で写研に入社し、23歳、25歳でそれぞれ石井賞タイプフェイスコンテストの1位を獲得するなど、はやくから書体設計士としての才能を開花させ活躍した鈴木氏は、1989年(平成元)、40歳のときに写研を退職し、同じく写研を退職した鳥海修氏、片田啓一氏とともに字游工房を設立。1991年(平成3)には制作ツールとしてMacを導入し、ヒラギノ書体の開発などを手がけた。

1995年(平成7)に写研を退職し、フリーランスとなっていた橋本さんに、新たに手がける書体の原字制作を依頼するなど、2人の交流は続いていたが、1997年(平成9)4月、鈴木氏は入院。翌1998年(平成10)5月6日、かえらぬひととなった。49歳という若さだった。

鈴木氏の人と仕事をしのんで制作された『鈴木勉の本』(字游工房、1999年)に、橋本さんはこんな書き出しで寄稿している。

〈「すずきつとむ君」なんと親しみがあり、懐かしさを覚える響きをもった名前で、つい最近まで幾度となく呼んだことでしょう。その鈴木くんを追悼する言葉をこんなに早く綴るのは、全く残念で神の悪戯としか言いようがありません〉(*2)

橋本さんにとって鈴木氏は、ともに書体制作に向き合い、ときに指導しながら、公私ともに深い時間を過ごした後輩だった。橋本さんの代表作とされる本蘭明朝のファミリー化を手がけたのは鈴木氏だった。スーボやスーシャといった個性的な書体から、ヒラギノ書体などのベーシックなものまで。じつに多彩な文字を生み出した書体設計士だった。

「公私ともに、貴重な経験をさせてくれたひとでした」

(つづく)

(注)
*1:「鈴木本」制作委員会編『鈴木勉の本』(字游工房、1999年)
*2:同書 P.97 橋本和夫「鈴木勉くんと私」

話し手 プロフィール

橋本和夫(はしもと・かずお)
書体設計士。イワタ顧問。1935年2月、大阪生まれ。1954年6月、活字製造販売会社・モトヤに入社。太佐源三氏のもと、ベントン彫刻機用の原字制作にたずさわる。1959年5月、写真植字機の大手メーカー・写研に入社。創業者・石井茂吉氏監修のもと、石井宋朝体の原字を制作。1963年に石井氏が亡くなった後は同社文字部のチーフとして、1990年代まで写研で制作発売されたほとんどすべての書体の監修にあたる。1995年8月、写研を退職。フリーランス期間を経て、1998年頃よりフォントメーカー・イワタにおいてデジタルフォントの書体監修・デザインにたずさわるようになり、同社顧問に。現在に至る。

著者 プロフィール

雪 朱里(ゆき・あかり)
ライター、編集者。1971年生まれ。写植からDTPへの移行期に印刷会社に在籍後、ビジネス系専門誌の編集長を経て、2000年よりフリーランス。文字、デザイン、印刷、手仕事などの分野で取材執筆活動をおこなう。著書に『描き文字のデザイン』『もじ部 書体デザイナーに聞くデザインの背景・フォント選びと使い方のコツ』(グラフィック社)、『文字をつくる 9人の書体デザイナー』(誠文堂新光社)、『活字地金彫刻師 清水金之助』(清水金之助の本をつくる会)、編集担当書籍に『ぼくのつくった書体の話 活字と写植、そして小塚書体のデザイン』(小塚昌彦著、グラフィック社)ほか多数。『デザインのひきだし』誌(グラフィック社)レギュラー編集者もつとめる。

■本連載は隔週掲載です。

これまでの記事一覧ページはこちら