長崎“教会群”からみる世界遺産登録のハードルの高さ【前編】

長崎“教会群”からみる世界遺産登録のハードルの高さ【前編】

2016.03.10

ここ数年、登録の可否が大きな関心事となっている世界遺産。「明治日本の産業革命遺産」の場合、10年あまりの歳月を費やし、もめにもめた末、昨年登録された。「軍艦島」などがある長崎市は観光客の増加に沸いている一方、同県にはもうひとつ、世界遺産を目指す「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」があるが、2月に推薦取り下げとなった。2つ目の世界遺産登録に向け再スタートを切った長崎の行く先は……。

3月末に控える国内推薦の公募締め切り

「時間がないですし、プレッシャーはありますが、攻めの取り下げです」2月中旬、電話越しにそう答えたのは、世界遺産候補「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の長崎県の担当者。今年の登録を目指し準備を進めてきたが、ゴールまであともう少しのところでの仕切り直しとなり、再来年の登録に照準をあわせ、国の推薦獲得に向けた公募締め切りである3月末に推薦書の素案を間に合わせるべく奔走していた。連日のニュースで悲観的な見出しが躍る中、予想外に電話の声に悲壮感はなかった。

(左)田平天主堂 長崎県平戸市。(右)黒島天主堂 佐世保市(ともに撮影:濱本政春)
(左)大野教会堂 長崎市(写真提供:公益財団法人文化財建造物保存技術協会 撮影:藤田晴一)。(右)頭ヶ島天主堂 新上五島町
(左)旧野首教会 小値賀町(撮影:濱本政春)。(右)江上天主堂 五島市

「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」

長崎やその周辺の地域といえば、大陸から近いため、古来より海外との交流の窓口となってきた。キリスト教は戦国時代にフランシスコ・ザビエルによって日本にもたらされ、この地にイエズス会の本部が置かれ布教の重要拠点とされた。天草・島原一揆後は禁教とされながらも、信徒は隠れて教えを継承した歴史がある。そのため、長崎周辺には全国的にみても特出して多い、約130もの教会が存在する。こういった、日本独自のキリスト教の歴史を特に顕著にあらわすものとして14の資産が選ばれ、世界文化遺産に登録しようとしている。

推薦引き下げのわけ

「『急がば回れ』という趣旨です」。

2月9日「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の推薦取り下げが閣議了解されたことを受けて、馳文科相は会見で記者の質問に答えた。取り下げの理由について、馳文科相はユネスコの諮問機関イコモスから出された中間報告で“教会群”は世界遺産になるにふさわしい唯一無二の価値があるとされる「顕著な普遍的価値」が潜在的にあるとお墨付きを得た一方で、現状での推薦内容には問題があり、見直すべきだと示されたと説明した。公開の場で文化庁や関係自治体が、推薦内容について説明をしたものの、意見が覆ることはなかったため、先送りを決めたという。

なぜ取り下げとなったのか。再考を迫られた推薦内容そのものと、「世界遺産」全体が置かれている状況を知る必要がある。

“ストーリー”と“推薦内容”と“名前”

推薦内容の“良し悪し”とはどういうことだろうか。教会など個々の資産そのものの歴史的価値が高く、きちんとした姿で残っていることが大事なのではないかと、思う方もいるだろう。資産そのものの価値ももちろん大切だが、さらに個々の資産をつなげるストーリーに世界遺産にふさわしい価値があるかということも、大きなポイントになってきている。そのため、登録をめざす自治体などは、専門家の助言を受けながら、世界遺産の資産になりそうな遺跡や建造物の調査や、類似する別の世界遺産などとはどう違った価値があるのか、比較検討し、いかに唯一無二の「普遍的価値」があるものか証明するストーリーをつくることに力を入れている。そしてそれにもっともふさわしい遺産の名前をつけている。

イコモスの存在

世界遺産の登録までには、国からユネスコに推薦書が出された後、イコモスによる審査がある。この審査の勧告内容を踏まえて、世界遺産委員会で正式に可否が決定する流れになっている。記載されるには、このイコモスによる勧告が重要で、登録にふさわしいとされる「記載」から「情報照会」、「記載延期」、登録にふさわしくないとされる「不記載」までの4段階の勧告がある。「情報照会」や「記載延期」から「記載」に転じたケースは近年増加しているが、今まで「記載」の勧告が出たもので、登録されなかったものは1件しかなく、逆に「不記載」で、登録された例もほとんどない。イコモスを納得させる推薦内容に仕上がっているかどうかが登録に向けた天王山なのだ。

2013年に世界文化遺産に登録された富士山

事例1 富士山

今まで登録された世界遺産ではどうだったのか。たとえば、2013年に登録された「富士山」は最初、自然遺産での登録を模索する動きがあったが、自然遺産にふさわしい価値をもってないことがわかり、文化遺産での登録に舵を切った。信仰の山として人々に崇められてきた歴史、その美しい姿から国内外の芸術に与えた影響の大きさ。 富士山のそういった側面が世界遺産にふさわしいと、遺産の名称には、「信仰の対象と芸術の源泉」という言葉が追加された。そして富士山の信仰にかかわる場所や、芸術に影響を与えた富士山の姿が見られる場所など25資産が選定された。しかし「三保松原」について、イコモスは富士山から物理的に遠いという理由からこの資産を除外しての「記載」勧告を出した。だが、最終的には、ユネスコの世界遺産委員会にかけられ、21の委員国の決議によって決まる。富士山の時、三保松原は、この場所から見る美しい富士の姿が芸術に与えた影響や富士山と精神的なつながりがあることを世界遺産委員会で認められ、全資産を含めた「記載」決議に転じた。

事例2 平泉

イコモスから条件が付けられる例は、ほかにもあった。2011年、震災後の被災地に久しぶりの明るいニュースをもたらした平泉の登録。一度「登録延期」となってからの再チャレンジだった。推薦内容をブラッシュアップさせ、「浄土思想」とのつながりがより明確な6つの資産に絞った。しかしイコモスは、1つの資産について、「浄土思想」との直接的な関連性が薄いとその資産を除外して「記載」勧告を出した。結局、5資産で世界遺産に登録された平泉は、除外された遺跡の拡張登録に向け準備を進めている。

指摘をうけた推薦内容

長崎の件に戻ろう。14の資産は「1:伝播した教えが普及していった『伝来と繁栄』時代」、「2:禁教となって弾圧されながらも信仰が継承された『弾圧と潜伏』時代」、「3:禁教が解かれ教会が建てられるようになった『潜伏・復活』時代」、3つの時代に分類される。1にあたる遺産としては、「島原・天草一揆」の際に、2万人以上の民衆が立て籠もった長崎県南島原市の「原城跡」など、2は隠れキリシタンが潜伏していた集落の景観を残す「平戸の聖地と集落」などがある。3については禁教が解けた後に建築された国宝の「大浦天主堂」など8つの教会があり、西洋の伝統的な教会建築の様式を引きつぎながら、石のほかに木や土などで造られていて、特異な文化的な伝統を証明しているとされている。そしてこれらの遺産群全体について「450年に及ぶ西洋の価値観の交流の中で生じた日本における『キリスト教の伝播と浸透のプロセス』に世界遺産としての価値がある」(長崎県のホームページより)と、説明されている。一体何が問題とされたのか。

禁教下でも信仰が継承された﨑津集落 熊本県天草市

“禁教期が日本のキリスト教史の特徴”とイコモス

ここでポイントになってくるのは、3期間に分けられる独自の歴史の「流れ」や「東西文化の交流」を表していることなどに価値があるとされているところだ。イコモスは先日出した中間報告で「日本のキリスト教の特徴は、禁教とされた時代があったことであり、禁教期に歴史的文脈をあてた形で推薦書を見直すこと」とある。つまり、「禁教期」に焦点をあてたストーリーに変えるべきということだ。なぜストーリーづくりが大事なのか。「世界遺産」をめぐる状況については、後編で述べたい。

「クラロワリーグ」プレイオフの波乱、大会システムもeスポーツ発展の課題か

「クラロワリーグ」プレイオフの波乱、大会システムもeスポーツ発展の課題か

2018.11.20

「クラロワリーグ アジア」のプレイオフが開催

世界一決定戦への出場権を手にしたのはどのチームか?

盛り上がりを見せる一方で、大会システムには疑問も

11月11日にお台場フジテレビの湾岸スタジオにて、「クラロワリーグ世界一決定戦」への出場権をかけた「クラロワリーグ アジア」のプレイオフが開催された。

波乱の展開を見せたプレイオフ

プレイオフには、「クラロワリーグ アジア」の地域で分けた3グループ(日本、韓国、東南アジア)のなかで、もっとも成績が優秀だった各1チームと、それぞれの地域で2番目に成績の良かった3チームがワイルドカードを争い、そこで勝ち抜けた1チームの合計4チームが出場する。

今回、日本からはPONOS Sports、韓国からはKING-ZONE DragonX、東南アジアからはBren Esports Sが1位通過し、ワイルドカード争いによって韓国のSANDBOXが出場した。

プレイオフ初戦の組み合わせは、抽選によって決められた。その結果、KING-ZONE DragonXとSANDBOXによる韓国勢が対戦し、PONOS SportsとBren Esportsが対戦。韓国対決を制したKING-ZONE DragonXと、日本のPONOS Sportsを破ったBren Esportsが決勝へコマを進めた。

日本代表のPONOS Sportsは、初戦2試合目の3ゲーム目に痛恨の反則負け。まさかのストレート負けを喫してしまう。クラロワリーグ世界一決定戦2018は、日本の幕張メッセで行われるので、開催国枠として、PONOS Sportsの出場は確定していたが、「プレイオフ初戦敗退」という結果で出場することは予想していなかった。

決勝では、KING-ZONE DragonXがBren Esportsを下し、見事、世界一決定戦への切符を獲得した。

プレイオフを制したKING-ZONE DragonX
開催国枠で世界一決定戦へ出場するPONOS Sports

疑問が残ったプレイオフのシステム

下馬評では圧倒的にPONOS Sports有利であったにも関わらず、こういった結果になるのはワンデイトーナメントならでは。ただ、そもそもプレイオフの出場に関するシステムには、疑問が残る結果だったと言えるのではないだろうか。

なぜなら、クラロワリーグ アジアのリーグ戦で、PONOS Sportsは11勝3敗という文句なしの成績で1位を獲得しており、東南アジアのBren Esportsも10勝4敗という好成績を残している。韓国1位のKING-ZONE DragonXは7勝7敗と5割の勝率だった。

東南アジア1位通過のBren Esports

日本、韓国、東南アジアで順位を分けているが、クラロワリーグ アジアでは、すべてのチームと総当たりで対戦し、同じ国や地域のチームのみ2回対戦する仕組みになっている。したがって、別の国や地域との対戦により、勝ち越すことなく1位になってしまうこともあり得るわけだ。

今回のクラロワリーグ アジアにおいて、韓国チームはいずれも振るわず、2位以下はすべて負け越している。ワイルドカード枠を獲得したSANDBOXは5勝9敗。この成績は日本で最下位だったDetonatioN Gamingや、東南アジアで最下位だったKIXと同じだ。クラロワリーグ アジア全体の順位で見てみるとPONOS Sportsが1位、Bren Esports 2位、KING-ZONE DragonXが6位タイ、SANDBOXが8位タイである。

東南アジア3位のAHQ ESPORTS CLUBは8勝6敗と、KING-ZONE DragonXよりも好成績を残している

やはり勝率5割で、リーグ戦順位が6位のチームがクラロワリーグ アジア代表として、世界一決定戦へ出場することに対して、違和感を覚えてしまうのは仕方ないだろう。

プロ野球のクライマックスシリーズでも、3位のチームが日本シリーズに出場することについては賛否両論があり、長年話し合われてきた事案だ。その結果、上位チームにアドバンテージをつけることで、とりあえずの折り合いが付けられている。

今回のプレイオフでは、上位チームにアドバンテージがなく、一発勝負だったのも、それまで戦ってきた3カ月間が水泡に帰するような印象を受ける。場合によってはSANDBOXが優勝することもあり、その場合は大幅に負け越したチームがアジア代表チームとなってしまうわけだ。

また、トーナメントの組み合わせは抽選により決定したのだが、こういったトーナメントの場合、初戦は1位通過のPONOS SportsとワイルドカードのSANDBOX、2位通過のBren Esportsと6位タイ通過のKING-ZONE DragonXの組み合わせになるのが一般的ではないだろうか。今回の組み合わせだと、初戦に事実上の決勝戦と言えるカードが発生してしまい、強豪がつぶし合うという結果にもなっている。4チームのトーナメントなので、今回はシードという概念はないのだが、強豪が初戦に当たらないように、シードによるブロック分けをするのは多くのスポーツや競技で使われている常套手段だ。

クラロワリーグは、アジア以外に、北米、欧州、ラテンアメリカ、中国の4つの地域でリーグが開催されている。すでに地域分けされているなか、クラロワリーグ アジア内で、さらに3つの地域に分ける必要はあったのだろうか。今回の結果はそこにも疑問が大きく残った。

リーグ戦での結果のみで出場権を与えるだけでも十分だという考えもある。ただ、プロ野球のクライマックスシリーズがそうであるように、プレイオフを実施することは、リーグ終盤の試合が消化試合にならなくなる施策でもあり、最後に盛り上がる山場を作れるという利点もあるのだ。したがって、プレイオフ自体を廃止する必要はないのだろうが、その出場資格においては、一考の余地があると思われる。

順当に考えれば、国や地域は関係なく、クラロワリーグ アジアのトータル順位1~3位がプレイオフ出場確定で、ワイルドカードをプレイオフ出場権のあるチームを除いた国や地域の最上位3チームによる争奪戦にすれば納得いくのではないだろうか。今回に限ってはPONOS Sportsが開催国枠で出場できることが確定していたので騒動にはならなかったが、他の国で開催され、アジアリーグで1位を取った日本のチームが出場権を獲得できなかったとなれば、騒ぎになってしまう可能性もあるだろう。

クラロワリーグは今年から始まったばかりで、まだいろいろな点で整っていないというのは十分わかる。ただ、今回のプレイオフの件は、システムを見直す良い機会となったのではないだろうか。次への糧とし、ファンにも選手にも納得のいくシステムの改善を期待したい。

明朝体でもゴシック体でもない書体

1969年(昭和44)、写研から「タイポス」という書体の文字盤が発売された。ひらがな、カタカナ、記号で構成された「かな書体」。桑山弥三郎氏、伊藤勝一氏、長田克巳氏、林隆男氏の4人による「グループ・タイポ」(*1)がデザインした書体である。

グループタイポ編『typo1〈普及版〉』表紙(グループタイポ/初版は1968年7月、普及版は1970年2月)

橋本さんは振り返る。

「写植が普及し、広告やポスターなどさまざまな媒体に使われるようになった昭和30~40年代、本文用の明朝体やゴシック体とは違う、新しい書体が求められるようになりました。そんななか、初めて登場した『新書体』がタイポスでした。発売されるや、爆発的に売れました」

タイポスは、時代にいくつもの新しい風を吹きこんだ書体だった。

まず1つ目に、そのデザインの新しさだ。タイポスは、明朝体とゴシック体のどちらでもない、その中間を目指してつくられた「ニュースタイル」の書体だった。(*2)

誕生のきっかけは1959年(昭和34)、武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)の3年生だった桑山弥三郎氏と伊藤勝一氏が、卒業制作でタイプフェイスデザインをやりたいと考えたことだった。

「美しい書体は読みやすさを生み出すと考え、かな特有の毛筆の流れをできるかぎり排除して、幾何学化、モダン化を図ろうとした」と、かつて桑山氏は語っている(*3)。

文字の骨格そのものを改革し、ふところを大きくして、明るい字面をつくった。かな特有の文字の曲線はできる限り水平垂直に近づけ、視線がスムーズに移動できるようにデザインされている。卒業制作としての発表はかなわなかったものの、桑山・伊藤両氏は卒業後さらに研究を続け、長田氏、林氏を加えてグループ・タイポを結成。1962年(昭和37)、第12回日宣美展に「日本字デザインの提案」として入選を果たしたのが、「タイポス」の誕生へとつながった。

「いままでの活字にはなかった書体をつくるということが、『タイポス』のデザインの前提にあったのだと思います。当初からファミリー展開することを考えて設計されたアドリアン・フルティガー氏による欧文書体Universのように、しっかりとした設計思想のもとでつくられていました」

数字で表す書体

1969年(昭和44)に写研から発売された「タイポス」は35、37、45、411の4種類だ。

「それまでウエイトを表していたL(細)やM(中)、B(太)のような概念的な言い方ではなく、タイポスは数字で表す書体でした。感覚的に書かれた文字ではなく、もっとデジタルっぽくつくられた書体なんです」

上から、タイポス35、タイポス37、タイポス45、タイポス411

タイポスの書体名についている数字は、横線と縦線の太さを表している。文字を入れる枠を100目のマスと考えたときに、「35」であれば横線3の縦線5、「37」なら横線3で縦線7、「45」は横線4で縦線5、そして「411」は横線4で縦線11というように、線の太さを表しているのだ。

アドリアン・フルティガー氏が欧文書体Universで「ファミリー」という考え方を書体デザインに打ち出したことに影響を受けながら、タイポスはそのさらに先を行くファミリー展開を考えた。

「ゴシックのように線幅が均一ではなく、明朝体のように横線が細くて縦線が太い。けれども、明朝体のようなウロコや打ち込みはない。むしろグループ・タイポは、明朝体やゴシック体のような既存の書体の枠を打ち破り、『タイポス』という提案そのものを認識させるための書体をつくったといえるのではないでしょうか。ニュースタイルのデザインで、既存の石井明朝体の漢字などと組み合わせると、おおきく印象が変わり、モダンな表情の組版になった。『タイポス』の登場以降、ニュースタイルの書体が次々と登場していきました。時代が変わるきっかけをつくった書体といっていいと思います」

写研の発行した書籍『文字に生きる』では「タイポス」の特徴を次のようにまとめている。

〈一、    従来の漢字とかなの大きさと比較して、かなが大きく、このため字間が均等となり、上下、左右のラインがそろって、きれいに見える。
〈二、    曲線をできるだけ垂直、水平な線に近づけた。このため、視線の移動がスムーズになる。
〈三、    毛筆のなごりである不必要なハネを取り除いた。このため、すなおな書体となった
〈四、    濁点の位置を一定にし、垂直にした。このため縦、横のラインを強めるのに役立っている。〉

文字を12のエレメント(=要素/てん、よこせん、たてせん、むすび、さげ、わ、まわり、あげ、はね、かえり、かぎ、まる)に分け、そのエレメントによる文字構成を示したのも新しい手法だった。

デザイナーが書体をデザインする時代へ

タイポスが吹きこんだ新しい風の2つ目は、「デザイナーがデザインした書体」であるということだ。タイポスの登場前、日本では、書体といえば活字書体で、「職人がつくるもの」だった。それが、デザイナーが設計したタイポスが登場し、注目を集めたことで、「日本語でも、新しい書体をデザインできるのだ」という意識を、デザイナーに芽生えさせることになった。

そして3つ目に、かな書体だったということ。(*4) 日本語で新しい書体をつくる場合、漢字まで含めると、少なくとも約3000字は必要とされた。金属活字でこれをつくる場合は、使用サイズすべての母型が必要だったため、つくらなくてはならない文字数はその数倍にふくれあがった。

写植機のレンズを通して文字を拡大縮小できる写植では、金属活字に比べれば新書体がつくりやすい状況ではあったが、それでも数千字である。けれども、両がなと記号だけであれば約150字程度で済む。しかも日本語では、文章の6割前後をかなが占めるため、ひらがなとカタカナのデザインが変わるだけで、紙面の印象を大きく変えることができた。

1972年(昭和47)には、石井ゴシックと組み合わせて使うことを想定した「タイポス」44、66、88、1212が発売された。社外のデザイナーがデザインした書体を写研が文字盤化し、写植書体として販売するという流れを最初に実現したのが「タイポス」だった。(つづく)

(注)
*1:グループ・タイポ:1959年(昭和34)、武蔵野美術学校の同級生だった桑山弥三郎氏(1938-2017)、伊藤勝一氏(1937-)、林隆男氏(1937-1994)、長田克巳氏(1937-)で結成。学生時代から開発していた「タイポス」が1969年(昭和44)写植文字盤として発売され、一世を風靡。1974年(昭和49)、有限会社に改組。2007年、桑山氏・伊藤氏のディレクションによって、タイポス漢字書体の原字をタイプバンクがデジタルデータ化。2008年、タイプバンクより「漢字タイポス」OpenTypeフォントが発売された。

*2:タイポスは、明朝体でもゴシック体でもないあるカテゴリーをつくった。カテゴリー名について、小塚昌彦氏はかつてこんなエピソードを書いている。
〈「タイポス」はタテとヨコの線幅(太さ)比を変えることによって、明朝風にもゴシック風にも展開できるが、もっぱらヨコが細くタテが太いものが多く使われていた。他にも同様なコンセプトの書体もかなり発表されたこともあり、在来のタイプフェイスのどこにも属さない、あるカテゴリーを作ったといえるのである。タイポグラフィ研究科、故佐藤敬之輔氏から「コントラスト体」ではどうかと提案があったこともあるが、未だ名案がないままになっている〉
(小塚昌彦「東西活字講座4 新しい時代へ」『たて組ヨコ組』No.23(モリサワ、1989) P.20

*3:筆者による桑山氏への聞き取りから(2008年9月5日)

*4: 2008年、タイプバンクより漢字も含む「漢字タイポス」OpenTypeフォントが発売された。

話し手 プロフィール

橋本和夫(はしもと・かずお)
書体設計士。イワタ顧問。1935年2月、大阪生まれ。1954年6月、活字製造販売会社・モトヤに入社。太佐源三氏のもと、ベントン彫刻機用の原字制作にたずさわる。1959年5月、写真植字機の大手メーカー・写研に入社。創業者・石井茂吉氏監修のもと、石井宋朝体の原字を制作。1963年に石井氏が亡くなった後は同社文字部のチーフとして、1990年代まで写研で制作発売されたほとんどすべての書体の監修にあたる。1995年8月、写研を退職。フリーランス期間を経て、1998年頃よりフォントメーカー・イワタにおいてデジタルフォントの書体監修・デザインにたずさわるようになり、同社顧問に。現在に至る。

著者 プロフィール

雪 朱里(ゆき・あかり)
ライター、編集者。1971年生まれ。写植からDTPへの移行期に印刷会社に在籍後、ビジネス系専門誌の編集長を経て、2000年よりフリーランス。文字、デザイン、印刷、手仕事などの分野で取材執筆活動をおこなう。著書に『描き文字のデザイン』『もじ部 書体デザイナーに聞くデザインの背景・フォント選びと使い方のコツ』(グラフィック社)、『文字をつくる 9人の書体デザイナー』(誠文堂新光社)、『活字地金彫刻師 清水金之助』(清水金之助の本をつくる会)、編集担当書籍に『ぼくのつくった書体の話 活字と写植、そして小塚書体のデザイン』(小塚昌彦著、グラフィック社)ほか多数。『デザインのひきだし』誌(グラフィック社)レギュラー編集者もつとめる。

■本連載は隔週掲載です。