【夢真ホールディングス】敵対的TOBの先駆者、夢破れてM&Aは堅実型に

【夢真ホールディングス】敵対的TOBの先駆者、夢破れてM&Aは堅実型に

2016.12.01

【夢真ホールディングス】敵対的TOBの先駆者、夢破れてM&Aは堅実型に

 2005年、買収防衛策導入企業への初の敵対的TOB(株式公開買い付け)で世間を騒がした会社がある。建設技術者派遣事業を主力とする夢真ホールディングス<2362>だ。自社で証券会社をつくるほどM&Aに力を注いだが、TOBはあえなく失敗。経営不振の建設会社買収で財務内容も傷つき、一転して事業の整理を迫られることになる。その後、夢真はM&A戦略を堅実路線に修正し、業績回復を果たす。成功と挫折が混在する夢真ホールディングスのM&Aの軌跡を追う。

【企業概要】海外設計事務所に施工図を発注

 夢真ホールディングスは建設技術者派遣事業を主力とするジャスダック上場企業である。2015年9月期の売上高は211億円。1980年に有限会社佐藤建築設計事務所として施工図の作図を目的として設立され、1980年代から海外設計事務所に施工図の発注を行っていた。1990年に株式会社化し、商号も株式会社夢真に変更。現在の本業である建築技術者派遣事業を開始したのは翌1991年だ。2003年に大阪証券取引所ヘラクレス市場(現ジャスダック)に上場し、2005年に持株会社体制に移行した。

 夢真ホールディングスの主業は前述通り建築技術者の派遣であるが、グループでは現在この他にエンジニア派遣、人材紹介事業と計三つのセグメントを擁する。これらは夢真ホールディングスが得意分野且つ高付加価値のビジネスとして掲げる事業であるが、このポートフォリオに辿り着いたのはつい最近のことである。過去には真逆の方針で買収によって事業の多角化を行い、その後事業の選択と集中を重ねて今に至る。

【経営陣】創業者は会長の佐藤真吾氏、長男の大央氏が昨年社長に

 創業者の佐藤真吾氏は1980年、夢真の前身となる有限会社佐藤建築設計事務所を設立して以来、社長を務めてきた。2005年4月に夢真ホールディングスに社名変更したのを機に同年8月から会長兼社長に就任した。長男の佐藤大央氏は野村不動産を経て2010年に夢真ホールディングスに入社。2015年12月に社長に昇格した。これに伴い、真吾氏は代表権を伴う会長職に専念することになった。年齢は真吾氏が74歳、大央氏が33歳。

【株主構成】創業オーナー、42%超を保有

 筆頭株主はホールディングス化の前後を合わせて、創業以来一貫して創業オーナーの佐藤真吾氏である。上場直後の2003年時点で佐藤氏が59.75%、徐々に割合を減らして2015年は30.01%に至るが、親族及び親族所有の会社等を合わせると42.83%を保有しており、オーナー企業であると言うことが出来る。

【M&A戦略】朝令暮改もいとわぬ迅速な軌道修正

 買収と譲渡を重ねた同社のM&A遍歴を見て行こう。

 上場後、夢真ホールディングスは顧客のニーズの多様化に対応すること、グループ内での健全な競争を行うことを目的として持株会社体制に移行する。同時に掲げたのが周辺事業への積極的な進出であり、その一環として手始めに環境プラントの維持管理等を行う朝日エンジニアリングを買収した。

 その次に大胆にも白羽の矢を立てたのは建設コンサルティングを行う日本技術開発である。当時を知る人には、上場間もない夢真ホールディングスを一躍有名にしたTOBとして印象深い一件だ。

 民間事業中心の夢真ホールディングスに対し、日本技術開発は公共事業が中心であり、事業領域の補完として申し分ないというのがTOBの目的である。しかし、多額の現預金を持ちながらも株価に割安感があり、かねてより買収を警戒していた日本技術開発は事前警告型の買収防衛策を導入。これは事前に経営計画を提出しない企業からのTOBに対しては最大で5倍までの株式分割を行うことが可能というものであり、当時の松下電器産業等も同様の防衛策を導入していたことや、初の買収防衛策導入企業への敵対的TOBの事例であること等から世間の注目が高まった。

 夢真ホールディングスは買収防衛策を踏まえた上でTOBを公表。日本技術開発の株式分割実施後、夢真側は東京地裁に差し止め請求を行うも却下され、さらにはホワイトナイトとして現れたエイトコンサルタントの友好的TOBに妨げられてTOBは失敗に終わる。当時の夢真ホールディングスの社長が引責辞任をする始末となった。

 一連のTOB合戦は最終的には翌年6月、エイトコンサルタントのTOBに夢真ホールディングスが応募する形で幕を引くのだが、この間にも夢真ホールディングスは丸紅設備及び東亜建設技術の2社を買収。東亜建設技術は公共工事を主体としていたが、市町村合併等による公共事業の縮小に対応し切れず、経営難の状態にあった。その後日本技術開発の買収は頓挫したものの、建設業の最上流である建設コンサルタント領域に進出するという悲願を果たす。

経営難の総合建設会社を買収

 この時期、夢真ホールディングスは『ストック&フロー型M&A企業』を標榜し、M&Aを行う為に自社で証券会社まで設立している。

 続いての買収は2006年7月の勝村建設だ。勝村建設は元東証1部上場の総合建設業であり、直近の売上高は41,063百万円。しかしながら東京都が発注した水道工事の入札を巡って同社社員が逮捕・起訴され、地方自治体の指名停止処分によって経営難に陥っていた。2005年9月に民事再生手続きの申立を行った直後から夢真ホールディングスは再生支援を表明しており、このほど新設分割により設立された、いわば新・勝村建設を譲受する形だ。

 これにより夢真ホールディングスは施工部門をも傘下に収め、ワンストップで建設業界に携わることができるわけだが、その対価は当初の予定で71億円。最終契約時点で減額の余地を持たせるも、譲渡側からは満額での債務存在確認請求の訴訟を起こされ、和解を経て65億円に落ち着くが、それでも安くはない金額だ。

 直後に、共に不動産販売のスピリット及びデントハウスの買収を行い、建設業の更に先へと事業の展開を試みる。結果から言うと、スピリットに関しては一度は契約を解除、紆余曲折して社名も変えて買収にこぎつけるが、デントハウスに関しては買収後に財務内容の悪さが明るみに出て追加の第三者割当増資は断念、売主に買い戻させるというてん末となる。

 ただし、円満に買収が成立していたとしても、この後グループ企業として共に歩んだかどうかは怪しい。これまでの買収がウソのように、この直後から夢真ホールディングスは矢継ぎ早な子会社の売却に転じる為だ。

拡大路線一転、矢継ぎ早に売却

 まず手始めに2006年9月に売却したのは、2005年12月に買収し再生を進めていた東亜建設技術である。保有期間は一年に満たず、従業員の立場を思うといたたまれないが売却先が事業ノウハウのある同業者であることが救いだろうか。次いで2007年2月には旧丸紅設備等が合併した夢真総合設備。事務所の統合や人員整理等により今期は10億円近い利益が出ると見込まれていたが、夢真ホールディングスは売却を断行した。譲渡先はファンドであり、譲渡金額は非公開ながらも25億から30億の売却益が出たとみられる。この時期夢真ホールディングスの会長は売上高よりも売却による利益を優先すると語る。

 その後も勝村建設、夢真証券、夢真キャピタル等と売却が続く。とりわけ夢真キャピタルに関しては、売却額はさほどではなく、多額の利益は見込めないものの、折しも新会社法の施行により連結基準の変更があった。一度売却がご破算になっても更に二度目の相手を探し売却を急いだ背景には、子会社の定義が形式基準から実質基準に変わったことで、業績の振るわない投資先が連結対象に含まれかねないこともあったとされる。

買収額は小粒化、本業強化型に

 手痛い失敗を踏まえてか、2009年以降の夢真ホールディングスのM&Aは憑き物が落ちたかのように堅実だ。2009年のアイゼックス・アルファの事業譲受やアークウィズの第三者割当増資引き受け、2011年1月のユニテックソフトの子会社化共に買収価額はこれまでに比べて桁が一つか二つ少ない。2011年5月には技術者派遣を行うフルキャストテクノロジーの株式の83.56%を1,707百万円で取得しているが、この頃夢真ホールディングスは従前通りの技術者派遣と、新たに設立した我喜大笑での保育園運営事業を主業とうたう。ノウハウもある本業を強化する形の買収であるとすれば、高すぎる買い物ではないだろう。

 そうかと思えば2014年7月に建築工事請負業を手掛ける岩本組を買収、翌2015年6月には売却を済ませる。単に投機的な売買かと思いきや、事業の柱と掲げたはずの保育事業の我喜大笑も共に売却しているのだが、譲渡先が代表取締役社長の佐藤大央氏が代表を兼務する佐藤総合企画である点に留意が必要だ。当該事業を成長分野として見ているものの、公私を分ける形で、あくまで夢真ホールディングスとしては手を引くといった印象だ。

 2016年に入って夢真ホールディングスはシステム開発系を2社、教育関連事業を一つ買収している。2016年10月現在の夢真ホールディングスの事業ポートフォリオは冒頭の通り、建築技術者派遣とエンジニア派遣、人材紹介事業の三つである。取得比率は低いながらも直近の日本サードパーティーへのTOBもエンジニア派遣に付帯する事業の強化の一環である。

 いずれにしても、オーナー企業ならではと言うべきか、企業集団として事業の取捨選択の決定が迅速である。人により朝令暮改と見るか、機動力があると見るかは分かれるところかもしれないが、過去にM&Aでの失敗をM&Aで補うことが出来たのはオーナー主導のこの敏しょうさゆえであるのは間違いない。

 前述のポートフォリオ自体が今後変容を遂げる可能性もある。自社や業界の状況を鑑みて柔軟に経営方針を変更することはM&Aにも肝要だ。M&Aで業績の伸長を目指す場合、とかく買う・買わないの判断にとらわれがちだが、売るという選択肢を視野に入れる場合、M&Aでの失敗のリスクは大きく低減できると言える。

【財務分析】脱ジェットコースター経営、自己資本比率60%超に上昇

 M&Aの成果を振り返りたい。2005年から2006年にかけての売上高の伸びは目覚ましい。2005年9月期の売上が6,499百万円であるのに対し、2006年9月期は41,554百万円と約6倍だ。もっとも、新設分割設立会社とはいえ民事再生前には41,000百万円を超える売上を誇った勝村建設を譲り受けているのだから、売上の伸長は至極当たり前のことである。

 一方で、営業利益は伸び悩み、2005年9月期から2006年9月期はわずか500百万円足らず増加したに過ぎない。増加と言えば聞こえは良いが、これを売上高営業利益率にしてみると実に5.4%から2.0%へと半減しており、楽観は出来ない状況がよくわかる。ちなみに売上高経常利益率で見るならば、11%から3%へと下げ幅は尚深刻だ。


 さらに、毀損したのは収益性のみではない。夢真ホールディングスはブレイントラスト以外全ての買収を現金対価で行っており、これには約200億円を要したとされる。この資金調達は他人資本に依存しており、長短共に借入金が増加。ここに社債も加えてネットデットの推移を見てみたグラフは次の通りだ。当然ながら過少資本を招き、2006年9月期の自己資本比率はわずか3%にまで低下している。こうなるともはや買収した企業を再生する為に必要な資金の調達さえも難しくなり、自社の財務の立て直しが喫緊の課題となる。ここから売却に舵を切ることとなる。

 海外子会社の清算や子会社の吸収合併等、再編を進めて迎えた2009年9月期、夢真ホールディングスの決算書には連結財務諸表がない。関連会社を整理して夢真ホールディングス単体となったこの期の売上高は5,482百万円。M&Aを行う以前に近い水準に減少したが、自己資本比率が44.1%にまで持ち直したこと、営業利益率が13.8%と上場後最高値を記録したこは見過ごせない。買収での失敗を売却によりきれいに清算したと言える。

 その後、2010年9月期を底に業績は回復基調に転じている。2016年9月期の売上高は前期比10%増の232億円。売上高営業利益率は10.5%とフタ桁を回復。自己資本比率は65.7%に上昇した。事業の選択と集中が進み、身の丈にあった買収戦略に切り替えたことが奏功している。

 なお、事業の取捨選択が激しくセグメント情報がよく入れ替わるため、推移を見るのにあまり適さず、今回はセグメント毎の損益は取り上げない。参考として、象徴的な時期のセグメント別売上高の構成を一部掲載する。


【株価】じりじりと値を戻す展開に

 株価は2013年末から2014年にかけて1000円を上回る場面もあったが、その後、600~800円前後のボックス圏の動きとなっている。しかし、足元の株価はじりじりと値を切り上げている。今年に入り、バーチャルリアリティ(VR)関連のゲームやミドルウエアを開発するダズル、仮想通貨ビットコインの決済プラットフォームを運営するBTCボックスと相次ぎ資本業務提携を結んだ。投資家の注目度の高い成長分野への足がかりを築きつつあることが株価の押し上げ要因になっているとみられる。

【まとめ】売る選択肢で失敗リスク低減

 これまで見てきたように夢真ホールディングスは、M&Aの失敗をM&Aで補ってきた歴史と言える。創業オーナーの高い持ち株比率を背景に、迅速な意思決定と事業を大胆に取捨選択する姿勢には他社も参考にすべき点も多い。とりわけ、買収の失敗で一時的に財務が毀損しても、その後の迅速な売却とよって、経営の立て直しにつなげていることは注目に値する。売るという選択肢を視野に入れる場合、M&Aでの失敗のリスクは大きく低減できる。紆余曲折を経て、手堅さを増す夢真ホールディングスが今後どんな買収を仕掛けてくるか、後継ぎの佐藤大央社長の手腕にも注目したい。


この記事は、企業の有価証券報告書などの開示資料、また新聞報道を基に、専門家の見解によってまとめたものです。

まとめ:M&A Online編集部

マツダが新型車「MAZDA3」を発売! ブランド戦略の成否を占うクルマに?

マツダが新型車「MAZDA3」を発売! ブランド戦略の成否を占うクルマに?

2019.05.24

「MAZDA3」はハッチバックとセダンの2タイプ

まるで歩いているような運転感覚を目指したと開発主査

狙うは中~高価格帯? プレミアムブランド化の試金石

マツダは「アクセラ」の後継モデルとなる新型車「MAZDA3」(マツダ・スリー)を発売した。ボディタイプはハッチバック(マツダは「ファストバック」と呼称)とセダンの2種類、価格は218万8,100円~362万1,400円。マツダにとっては新世代商品群の先陣を切るクルマであり、マツダブランドがプレミアム化路線に舵を切っていけるかどうかの試金石となる商品でもある。

マツダが発売した「MAZDA3」。左がセダン、右がファストバック

新世代商品群の口火を切る「MAZDA3」

マツダは2012年に発売したSUV「CX-5」を皮切りに、「新世代商品群」(マツダにとって“第6世代”にあたる商品群)のラインアップを拡充してきた。今回のMAZDA3は、同社にとって“第7世代”にあたる商品群の幕開けとなるクルマだ。このクルマから、次の「新世代商品群」が始まる。

開発主査を務めたマツダ 商品本部の別府耕太氏によれば、MAZDA3で目指したのは「マツダブランドを飛躍させる」こと。そのために、クルマとしての基本性能を「人の心が動くレベル」まで磨き上げ、「誰もが羨望するクルマ」に仕上げたとのことだ。MAZDA3は「徹底的な人間研究」に基づいて作ったクルマであり、乗れば「まるで自分の足で歩いているような」運転感覚を味わえるという。その人馬一体の感覚は、助手席と後部座席でも体感できるそうだ。

コックピットの設計では、誰もが適切なドライビングポジションを取ることができることにこだわったという

マツダの新世代車両構造技術「SKYACTIV-VEHICLE ARCHETECTURE」(スカイアクティブ ビークル アーキテクチャー)が相当に進化している様子だが、その違いは素人でも分かるくらい、劇的なものなのだろうか。この問いに別府氏は、「走り出して交差点を曲がる10mくらい、低速域のシンプルな動作でも動きの違いが分かってもらえると思う。動きを滑らかにした。その一言に尽きる」と自信ありげな様子。進化の度合いは「テレビがアナログからデジタルに変わったくらい」とのことだった。

「MAZDA3」の滑らかな運転感覚は少し走るだけで分かると別府開発主査は話す

MAZDA3が搭載するエンジンは4種類。ガソリンは直列4気筒直噴エンジンの1.5Lと2.0L、ディーゼルは直列4気筒クリーンディーゼルターボエンジンの1.8L、そして、マツダが独自技術で開発した新世代ガソリンエンジン「SKYACTIV-X」の2.0Lだ。このうち、1.5リッターガソリンエンジンはハッチバックのみの設定となる。

1.5Lガソリンエンジンと1.8Lディーゼルエンジンは5月24日販売開始。2.0Lガソリンエンジンは5月24日予約受注開始、7月下旬販売開始予定だ。「SKYACTIV-X」は7月に予約受注を開始し、10月に売り出す計画(画像はファストバック)

どのエンジンを選ぶかで当然、価格帯も違ってくる。1.5Lは218万8,100円~250万6,080円、2.0Lは247万円~271万9,200円、1.8Lディーゼルは274万円~315万1,200円、SKYACTIV-Xは314万円~362万1,400円だ。ちなみに、同じグレードだとセダンとハッチバックの間に価格差はないが、バーガンディー(赤)の内装が備わるハッチバックのみの特別なグレード「Burgundy Selection」は、同一グレード内で最も高い価格設定となる。上に記した価格帯は同グレードを含めたものだ。

1.5Lガソリンは最高出力111ps(6,000rpm)、最大トルク146Nm(3,500rpm)、2.0Lガソリンは同156ps(6,000rpm)/199Nm(4,000rpm)、1.8Lディーゼルは116ps(4,000rpm)/270Nm(2,600rpm)。「SKYACTIV-X」の数値はまだ判明していない(画像はセダン)

182万5,200円~331万200円だったアクセラと比べると、MAZDA3の価格設定からは高価格化の印象を受ける。この点について、MAZDA3のマーケティングを担当するマツダ 国内営業本部の齊藤圭介主幹は、「アクセラでは低~中価格帯の市場にアプローチしていたが、MAZDA3では中~高価格帯へとステップアップしたい」との考えを示した。

セダンは「凛」、ハッチバックは「艶」

デザイン面では、マツダが第6世代商品群で取り入れた「魂動」というコンセプトをさらに深化させた。チーフデザイナーを務めたマツダ デザイン本部の土田康剛氏は、「引き算の美学」で「日本の美意識を表現したい」と考えたという。

セダンでは「凛とした伸びやかさ」で「大人に似合う成熟した」クルマを志向。ハッチバックでは「色気のあるカタマリ」をコンセプトに据えた。「セダンはあえて枠にはめて、ファストバックでは枠を外した」というのが土田氏の表現だ。周囲の景色や光を映し出すMAZDA3のエクステリアは、マツダが2017年の東京モーターショーで発表したコンセプトカー「VISION COUPE」(ビジョンクーペ)で印象的だった「リフレクション」(反映)を体現しているようだ。

「MAZDA3」では全8色のエクステリアカラーが選べる。「ポリメタルグレーメタリック」(画像、2019年1月の東京オートサロンにて撮影)はファストバック専用の新色だ

MAZDA3のエクステリアはスタイリッシュだし、ハッチバックの方はクルマの“肩”の部分が張り出していないので、アクセラに比べ室内が狭くなっていそうに見える。そのあたりについて別府氏に聞いてみると、「人にとっての空間は、部位によって多少の加減はあるが、現行(アクセラ)に対してほぼ同等。視覚的に、室内空間が狭そうに感じたとすれば、それはマツダのデザイン手法により、スタイリッシュさ、前後の伸びやかさ、力強さといったようなものを実現できているためとご理解いただきたい」との回答だった。

荷室については、ファストバックは基本的に「アクセラ スポーツ」(アクセラのハッチバック)と同等で、セダンは容量が拡大している。セダンの方は、アクセラよりも80mm延びた全長の大部分をトランクルームの容量拡大に充てたそうだ。

2輪駆動(FF)のハッチバックで比べると、ボディサイズは「アクセラ」が全長4,470mm/全幅1,795mm/全高1,470mm/ホイールベース2,700mm、「MAZDA3」が同4,460mm/1,795mm/1,440mm/2,725mm。フロントヘッドルームなどの数値を見比べると、数ミリ単位でMAZDA3の方が狭くなっているようだが、開発主査によれば「ほぼ同等」だという

MAZDA3には他にも多くのトピックスがあるものの、全ては書ききれないので、あと2点ほど挙げておくと、まず、このクルマは同社で初めてのコネクティッドカーとなる。車両自体の通信機能でマツダのサーバーと交信することで、24時間体制のサポートが受けられるのだ。例えば「アドバイスコール」という機能では、車両トラブルの際の初期対応から修理まで、幅広いサポートを受けることが可能。コネクティッド機能には使用料がかかるが、最初の3年間は無料だ。

もうひとつ、マツダが強調していたのが「静粛性」と「サウンドシステム」、つまり、MAZDA3車内の「音」に関する部分だ。このクルマはアクセラに比べ、静粛性と「音の伝わる時間と方向のリニアさ」が大幅に向上している。スピーカーは低音域、中音域、高音域それぞれに用意し、最適な場所に配置した。

高音域スピーカーは人の耳に近いドア上部、中音域スピーカーは乗員の体の横、低音域スピーカーは車室外のカウルサイドというところに配置。マツダ社内には「MAZDA3」を「走るオーディオルーム」と呼ぶ人もいるとのこと

MAZDA3の販売目標は、全世界で年間35万台。日本では月間2,000台を目指す。ボディタイプの内訳はファストバックが7割、エンジン構成は1.5Lガソリンが10%、2.0Lガソリンが40%、1.8Lディーゼルが20%、SKYACTIV-Xが30%を想定する。ちなみに、アクセラは2018年(暦年)で約38万7,000台が売れていて、その内訳は最も多い中国が11万7,000台、その次が北米で9万1,000台だった。

グレードにもよるが、MAZDA3は同クラスの輸入車であるフォルクスワーゲン「ゴルフ」やメルセデス・ベンツ「Aクラス」などと肩を並べるか、あるいはそれらを凌駕しかねない価格となる。直列6気筒エンジンの復活を宣言するなど、プレミアム化路線に舵を切ろうとしているマツダとすれば、ゴルフやAクラスなどの市場にMAZDA3で乗り込みたいところだろう。一方、1.5Lのガソリンエンジンでは、若年層に訴求できるかどうかもポイントとなりそうだ。

関連記事
わずか3年で生態系が爆発した“デジタルゲームのカンブリア紀”

ゲームとともに振り返る“平成”という時代 第2回

わずか3年で生態系が爆発した“デジタルゲームのカンブリア紀”

2019.05.23

「ゲーム業界」に焦点を当てて平成を振り返る連載企画

第2回は平成6年から平成8年までの3年間にフォーカス

16ビットから32ビットへと世代が移行し、さまざまなゲームが生まれた

5月1日の新天皇即位に伴って、「平成」から「令和」へと元号が変わりました。そこで、平成をゲームとともに振り返ってみようという本企画。第2回目の今回は、「平成6年(1994年)から平成8年まで」を追っていきます。この時期は、PCがより身近となり、家庭用ゲーム機ではいよいよ3Dポリゴンが使われる32ビット世代へと移行していきました。

経済の低迷が顕著な時代、ゲームは3Dへ

平成6年、インターネットの情報閲覧で欠かせないブラウザにおいて最初期に広く一般に普及した「Netscape Navigator」、検索サービス老舗の「Yahoo!」、World Wide Web(ワールド・ワイド・ウェブ)関連技術の標準化を推進する団体「W3C」が発足するなど、現在のインターネットを活用した諸活動の基盤となる技術が生まれました。

翌年の平成7年にはWindows95が発売。PCがビジネスシーンのみならず一般家庭へと広がり始めます。さらに平成8年にはヤフー、平成9年には楽天と、現在も日本のインターネットサービスを牽引する企業が続々と設立されました。そしてついに平成10年2月、日本におけるインターネット人口が1000万人を突破したのです。

このように、国内のデジタル空間は破竹の勢いで成長と拡大の一途をたどりますが、現実社会には未曽有の危機が訪れます。

平成6年の松本サリン事件と平成7年の地下鉄サリン事件というオウム真理教が起こした一連の事件では、心の拠り所になるはずの宗教が反社会的組織となって、罪のない人々に凶行し得ることを日本人に示しました。現代日本人が漠然と持つ宗教に対する不信感は、これら一連の事件に根差していると言っても過言ではないでしょう。

また、地下鉄サリン事件が起きる直前の平成7年1月17日、阪神・淡路大震災が関西を襲いました。結果的に経済活動も低迷します。GDP成長率は平成7年に2.7%、8年には3%を超えたものの、失業者はこの時期増加の一途をたどり、まさに「失われた20年」前半期の真っ只中でした。

平成6年に人気だったテレビドラマ『家なき子』の「同情するなら金をくれ!」というセリフは、この時期の厳しい世相を示していたと言えます。

一方で、忘れてはならないのは、映画館数が平成5年の1734館から、以降は長期的に上昇していくことです。同一の施設に複数のスクリーンがある「シネマコンプレックス」が台頭するのもこの頃。つまり、「インドアエンターテインメント」という楽しみ方が定着し始めたと言えるのです。

このように、デジタルと現実が相反する様相を示す日本において、ゲーム産業はデジタル側。家庭用ゲーム機では、「セガサターン」が平成6年11月22日に、「PlayStation」が平成6年12月3日に発売されます。いずれもCD-ROMの活用と、3D描画能力が話題になりました。さらに平成8年6月23日に「ニンテンドウ64」が発売されます。

平成6年11月22日に発売された「セガサターン」
©SEGA
平成6年12月3日に発売されたPlayStation®
©2014 Sony Interactive Entertainment Inc.

PCにおいても、さまざまな周辺機器が発売され、ゲームプレイに最適なハードとして強化できる環境が生まれました。CD-ROMドライブの本格的普及、Creative Technologyなどによるサウンドカードの誕生、そして、3dfx VoodooやNvidia RIVAをはじめとする3Dグラフィックアクセラレーターによって、PCの3DCGはリアルタイムレンダリング能力が向上しました。いわゆる「マルチメディア」をキーワードにさまざまなコンテンツが提供されるようになったのです。

欧米PCゲームカルチャー発展の契機となった『DOOM』

主観視点/1人称視点シューティングゲーム(英語名First Person Shooting Game、略称FPS、以下、FPS)では、アタリの『Battlezone』や『Star Wars』など、ワイヤーフレームを用いた作品がいくつか発売されていましたが、現在のFPS系譜の元祖は1992年、id Softwareにより発売された『Wolfenstein 3D』だと言われています。

同作は、日本アイ・ビー・エムが発表したパーソナルコンピュータ用のオペレーティングシステム「DOS/V」版で、『ウルフェンシュタイン3D』として、平成5年3月1日にイマジニアよって日本でも発売されました。

しかし、ゲームカルチャーへのインパクトという視点では、平成5年12月10日に北米でリリースされ、その後北米から欧州へと爆発的に広がり、FPSという一大ジャンルを発展させていった『DOOM』の存在感が圧倒的でしょう。

DOS/V版は平成6年2月1日に『ウルフェンシュタイン3D』と同じくイマジニアから発売され、国内のコアゲーマーを中心に支持されました。ですが、若干粗い3D描画の中でのスピード感あふれるゲーム展開が、一部のユーザーに「3D酔い」を促してしまい、それがしばらくイメージとして定着してしまいました。

一方欧米では、ネットワーク対応の熱いマルチプレイヤー対戦が盛り上がり、週末にそれぞれのPCを持ち寄って、LANでつなぎ、ゲーム対戦を徹夜で行う「LAN Party」という独自のゲームの楽しみ方を生み出します。この先にあるのが、現在のPCゲームを中心としたeスポーツトーナメントです。

このほかに、「シェアウェア」という無料でゲームの一部を提供する概念や、ゲームエディターをユーザーに解放し、独自のゲームステージを開発し共有することを奨励する「MODカルチャー」も本作を契機に広がっていきました。このゲームエディターのカルチャーが、ゲームエンジンのサードパーティへのライセンス提供というビジネスモデルへと発展していきます。

『MYST(ミスト)』が示した、「マルチメディア」で実現する不可思議な世界

当時、コンピュータ(デジタル)メディアがほかと差別化できるものは、「文字、CG、画像、映像、音声といった複数の要素を一体化したコンテンツとして表現できる点」だとされ、それを言葉で表すうえで「マルチメディア」という言葉が頻繁に使われるようになっていました。

この、いわゆる「マルチメディア」ブームの寵児となったのが米国Cyanによるパズルアドベンチャーゲーム『MYST(ミスト)』でした。そして、その日本語版がセガサターン向けソフトとして平成6年11月22日、つまり、ローンチタイトルの1作として選ばれたのです。

同作は、画面の鍵となる部分をクリックして謎を解き、次のシーンに進む、というアドベンチャーゲームの流れを組むもの。当時の欧米ゲームよろしく、細かい解説やチュートリアルのようなものがなく、プレイヤーはいきなりゲームの舞台であるMYST(ミスト)島に放り込まれます。

近代とも中世とも未来とも判別のつかない建築物のある不思議な空間のなかで、プレイヤーは暗号や謎を解きながら物語を展開させていきます。謎解きをする際も、建築物のなかに残された日記やそこに描かれたマップ、本のなかで再生されるアトラスという人物からのメッセージを読み解くといった、テキスト、映像、画像をプレイヤーがフルに活用するようにデザインされており、まさに「マルチメディアブーム」を代表する作品に仕上がっています。このグラフィックデザインや謎解きの仕組みは、のちの数多くのゲームにインスピレーションを与えました。

MYSTのゲーム画面

乙女ゲームの源流になったコーエーの『アンジェリーク』

恋愛/育成シミュレーションのような作品が台頭するなかで、そのゲームメカニクスを女性向けに構想するという「発想」はある意味、自然と言えます。ただ、経営者がそこに予算を割り当てて実行に移すのは別の話。それを行ったのが光栄(コーエー、現・コーエーテクモゲームス)です。

歴史シミュレーションゲームで既にブランド名を確立していた同社でしたが、平成6年9月23日に発売された『アンジェリーク』は、“女性が宇宙を統べる”という世界で、守護聖と呼ばれる存在から助けを得ながら、女王になるべく惑星の大陸を育成します。

『アンジェリーク』のパッケージ
イラスト/由羅カイリ
©1996 コーエーテクモゲームス All rights reserved.

ただ、プレイヤーにとっての楽しみは、守護聖とのロマンス。キャラクターの性格の違いや声優が吹き込む甘いセリフに、プレイヤーは釘付けになりました(ゲーム内で声優によるセリフが付いたのは、平成7年に発売されたPC-FX用ソフトから。平成6年にはドラマCDがリリースされた)。

『アンジェリーク』のゲーム画面。ゲーム画面は「my GAMECITY クラシックゲーム館」でプレイ可能な『アンジェリークSpecial』版のもの
イラスト/由羅カイリ
©1996 コーエーテクモゲームス All rights reserved.

これを契機にコーエーは『アンジェリーク』シリーズを発展させていき、以降は「和」をテーマとした『遥かなる時空の中で』シリーズ、学園モノの『金色のコルダ』シリーズとラインアップを増やし、これらを「ネオロマンス」シリーズとしてブランド化していきます。「乙女ゲーム」という一大ジャンルは、現在スマホゲームのなかでも非常に重要な位置づけになっていますが、その源流がここにあるわけです。

“ニンテンドウイズム”を世界へと広げた『スーパードンキーコング』

平成6年11月26日に発売されたスーパーファミコン用ソフト『スーパードンキーコング』の革新的要素は、スーパーファミコンというハードの制約のなかで、疑似3D的キャラクターモデルをスムーズに動かすことができたという点です。

シリコングラフィックスによる3DCGソフト「Power Animator」によりレンダリングが行われたキャラクターを、同ハードの制限で落とし込めるよう調整しただけでなく、美麗な背景も同様の作業が行われました。

ゲームデザインそのものは、『スーパーマリオブラザーズ』シリーズから築き上げられた横スクロールアクションゲームの1つの到達点として位置づけられるソフトと言えるでしょう。そのような意味では、そこまでの革新性はありませんでした。

しかし驚きなのは、本タイトルが英国のレア社によって開発されたという点。任天堂側からのアドバイスによって、ゲームバランスが絶妙に調整された同作をプレイした当時の筆者は、完全に日本の任天堂(具体的に言えば宮本茂氏)によって作られたものだと思っていました。

のちに本作がイギリスで開発されたと聞いて驚いたことを覚えています。つまり“ニンテンドウイズム”が確実に世界へと広がっていくさまを、筆者を含む世界中のプレイヤーが目撃したのです。

ブリザードの『ウォークラフト』は、グローバル規模でPCゲームカルチャーを定着させた

平成6年11月15日(Moby Gamesによる)、『ウォークラフト』が北米でブリザードからリリースされました。敵軍の戦略や戦術が常に変化するなかで、自軍のリソースを獲得して軍備や研究機関などを増設していき、敵側と激戦を交わし本拠地の占拠を目指すという、”リアルタイム”戦略ゲームの傑作です。その後、DOS/V版も国内で展開されました。

その前に発売された、映画『デューン/砂の惑星』の世界観をベースとした『Dune II』が、このジャンルを確立したと言われていますが、ファンタジー世界を舞台に、人類とオークの戦いという白兵戦を生臭く示した『ウォークラフト』のインパクトで、同ジャンルが浸透したと言えるでしょう。

CPUを相手にストーリーを進行させる「キャンペーンモード」と、LANを通じた複数人プレイの「マルチプレイヤーモード」がありましたが、当時からマルチプレイヤーモードに熱中していたのを記憶しています。同作で紡ぎあげられた世界観が、ブリザードによる以降のゲームの方向性を決定づけたとともに、欧米のゲームカルチャーに対しても影響を与えることになりました。

JRPGの金字塔『クロノ・トリガー』では、作家性の重要さが明らかに

平成7年3月11日に発売された『クロノ・トリガー』は、日本ファルコムや、エニックス、そしてスクエアなどが確立した「8ビットおよび16ビット時代」における“ドット絵の日本製ロールプレイングゲーム(JRPG)の到達点”と言っても過言ではありません。

『ファイナルファンタジー』シリーズの生みの親である坂口博信氏がエクゼクティブプロデューサーを、『ドラゴンクエスト』(以下、『ドラクエ』)シリーズの生みの親である堀江雄二氏がシナリオを、前述の『ドラクエ』シリーズに加えて、マンガ『ドラゴンボール』や『Dr.スランプ』で日本中を虜にしていた鳥山明氏がキャラクターデザインを務めるというドリームプロジェクトが実現。この3人がいかなる作品を生み出すのかという点でも注目の的となりました。まさに“作家性”を全面的に押し出したプロモーションが行われたのです。

『クロノ・トリガー』のパッケージ画像。キャラクターデザインは鳥山明氏
©1995 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.
Illustration: ©1995 BIRD STUDIO / SHUEISHA
Story and Screenplay: ©1995, 2008 ARMOR PROJECT / SQUARE ENIX

果たしてリリースされた作品も、ファンの予想をはるかに上回る出来となりました。従来のファンタジーにタイムトラベルの要素を加え、恐竜人類と人類の祖先が共存する原始時代から世紀末、そして未来が描かれます。

鳥山明氏によってデザインされた、クールな主人公「クロノ」から、コミカルな外見をした「ロボ」や「カエル」といったキャラクターまで、しっかりとドット絵で表現。16ビット時代におけるグラフィック表現の最高峰に到達したと言えるでしょう。さらに、光田康典氏によるBGMも、16ビットサウンドの魅力を徹底的に引き出しました。同氏の作曲家としてのデビュー曲にして代表作の1つに数えられています。

『クロノ・トリガー』のゲーム画面
©1995 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.
Illustration: ©1995 BIRD STUDIO / SHUEISHA
Story and Screenplay: ©1995, 2008 ARMOR PROJECT / SQUARE ENIX

メディアミックス戦略の源流『ポケットモンスター 赤・緑』

平成8年2月27日、日本を皮切りに、最終的に全世界において社会現象となる作品がリリースされました。『ポケットモンスター 赤・緑』です。

『ポケットモンスター 赤・緑』のパッケージ
©1995 Nintendo /Creatures inc. /GAME FREAK inc.

幼年時の「虫取り体験」からインスピレーションを受けたとされるポケモンを捕まえるスリル、捕まえたポケモンが図鑑に記録されるコレクション要素、「通信ケーブル」でポケモンを交換するドキドキ感など、子供たちがさまざまなシーンで体験したリアルな遊びが、1本のゲームに昇華されたのが本作です。

ゲーム中の画面
©1995 Nintendo /Creatures inc. /GAME FREAK inc.

さらに、マンガ、カードゲーム、テレビアニメ、そして劇場版アニメと、次々と『ポケモン』のタッチポイントを増やし、それぞれで相乗効果が生まれたという点でも当時としては画期的でした。これまでもメディアミックスはさまざまな作品で行われてきましたが、『ポケモン』のインパクトは比べ物にならないほど絶大だったのです。

もちろん、ゲームバランスも秀逸。カジュアルプレイでも十分楽しめるデザインでありながら、パーティのポケモンを選別する戦略性や、対戦相手との絶妙な駆け引きなど、対戦プレイを競技ととらえてプレイする人にも対応しうる奥深さを兼ねそなえた作品でもあったのです。

映画並みのストーリテリングをゲームでも実現できることを示した『バイオハザード』

平成8年3月22日、カプコンからリリースされた『バイオハザード』ほど、当時のゲームプレイヤーを驚かせた作品はないでしょう。

謎の洋館、ゾンビ、そしてその先に存在するさまざまな異形の存在など、ジョージ・A・ロメロが手がけた映画『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』や『ゾンビ』などからインスピレーションを受けたシーンも数多くあり、それを3Dでかつゲームにおいて完全に再現したことが多くのユーザーに衝撃を与えました。

ゲームというものが、映画に匹敵または凌駕する可能性があるメディアだと実感させた最初期の作品が、本作だったのではないでしょうか。『バイオハザード』以降もシリーズは発展していき、現在も多くの人に愛されるIPであることは誰もが認めるところでしょう。リモコンのようにキャラクターを操作する操作性もむしろホラー感を引き出す「演出」として高く評価されました。

『バイオハザード』のパッケージ画像
©CAPCOM CO., LTD. 1996 ALL RIGHTS RESERVED.
『バイオハザード』のゲーム画面
©CAPCOM CO., LTD. 1996 ALL RIGHTS RESERVED.

ローンチタイトルにして3Dアクションに必要な要素を網羅した『スーパーマリオ64』

平成8年6月23日に「ニンテンドウ64」がリリースされましたが、その際、ローンチタイトルとして展開された『スーパーマリオ64』に当時のユーザーは衝撃を受けました。

ジャンプする、探検する、潜る、飛ぶといった、従来の『スーパーマリオ』シリーズでのプレイ感覚を「忠実に」3D空間で再現していたのです。さらに重要だったのはアナログスティック。自然に3D空間を自由に動き回れるあの操作感には誰もが驚かされました。

さらに特筆すべき点は、デモの際に現れるクローズアップのマリオの顔。まるで平成7年に上映されたばかりの劇場用フル3DCGアニメ『トイ・ストーリー』のキャラクターかと見紛うような豊かな表情のマリオが、画面一杯に表示されているのです。コントローラーを使って顔にイタズラをすると、ちゃんとリアクションもしてくれました。当時はそんなところにミライを感じたものです。つまり、ゲームといる領域を超えたアミューズメントがそこにあったと言えるでしょう。

ゲームが「あらゆるエンターテインメントの複合体」であることを示した『サクラ大戦』

平成8年9月27日、セガサターン向けに開発された同作は、ゲームがまさに「あらゆるエンターテインメントの複合体」であることを実感させられる作品でした。『天外魔境』をはじめ、数々のゲームやアニメを手がけてきた広井王子氏、『逮捕しちゃうぞ』などで人気を博していたマンガ家の藤島康介氏がキャラクターデザイナーとして、そして『ドラゴンボール』をはじめ錚々たるアニメ作品の音楽をつくりあげてきた田中公平氏が結集して作成されました。

『サクラ大戦』のパッケージ画像
©SEGA

大正浪漫と蒸気技術が融合された独自のレトロフューチャー的な世界感のなか、プレイヤーは、「平時は帝国歌劇団」「有事は帝国華撃団」という秘密部隊の隊長として、女性団員をまとめ上げながら、悪の組織と戦うゲームです。

アドベンチャーパートでストーリーを展開させながら、敵との対戦パートはオーソドックスなターン制ウォーシミュレーションゲームとして進める本作は、アニメファン、ゲームファン双方が納得する出来でした。のちにアニメ化、ドラマCD化、そして舞台化まで行われ、ゲームを原作とした2.5次元ライブエンターテインメントの先駆け的な役割を果たしたと言えるでしょう。

対戦パートの様子。「霊子甲冑」と呼ばれるメカを操縦して戦う
©SEGA
本作には、女性隊員とコミュニケーションを図るアドベンチャーパートを搭載。隊員の信頼度によって、攻撃力や防御力が変化し、戦闘パートに影響する
©SEGA

アートと遊びが見事に融合した『アクアノートの休日』と『パラッパラッパー』

また、ゲームの多様性を象徴しうる傑作が、この時期に多数生まれました。その代表的な作品の1つが平成7年6月30日に発売された、『アクアノートの休日』です。アーティスト・飯田和敏氏がゲームデザイナーとして取り組んだ本作は、ゲームクリアの概念が限りなく希薄な、海洋探索型ゲーム。その不思議で幻想的な海洋世界に魅了されたプレイヤーも多く、「目的もなく自由に異世界に没入する」行為自体が、ゲーム体験において重要な要素であることを示しました。

『アクアノートの休日』のゲーム画面
©1995, ARTDINK. All Rights Reserved.

もう一方は、平成8年12月6日に生まれた『パラッパラッパー』です。原色を多用した背景デザインのもと、脱力系とも言える紙っぺらのような2Dキャラクターがダンスバトルを繰り広げるという異色作。ただし、もともとの生みの親である松浦雅也氏が、「PSY・S」として活動していたミュージシャンであったこともあり、ゲームのために準備された楽曲はどれも秀逸で、国内のみならず世界的に評価を受けました。

『パラッパラッパー』のパッケージ画像
©1996 Sony Interactive Entertainment Inc. ©Rodney A. Greenblat / Interlink
『パラッパラッパー』のゲーム画面
©1996 Sony Interactive Entertainment Inc. ©Rodney A. Greenblat / Interlink

これらはいずれも本格的なアーティストが「ゲーム」という課題に対することで、従来のゲームデザイナーでは思いもよらなかった新たな体験をもたらした一例と言えるでしょう。

わずか3年で一気に広がった“デジタルゲームのカンブリア紀”

以上、わずか3年の間で、現在にもつながる多種多様なゲームが生まれました。その生態系の爆発はまさにカンブリア紀を彷彿とさせます。

ただ、ゲームの発展はここでは終わりません。次回は、インターネットシーンにおけるゲーム体験を生み出した作品群を紹介していきます。

関連記事