トヨタにたった4人のEVベンチャーが誕生、何が期待されているか

トヨタにたった4人のEVベンチャーが誕生、何が期待されているか

2016.12.01

変化の兆しを見せるトヨタ自動車のエコカー戦略。「究極のエコカー」と位置づける燃料電池車(FCV)に加え、電気自動車(EV)への取り組みも加速させるのではとの見方があったが、トヨタの出した答えは、計4名からなるEV開発の社内ベンチャーを設立することだった。ベンチャーであることもそうだが、そのスタッフの少なさにも驚かされた今回の発表。トヨタはEVベンチャーに何を期待するのだろうか。

EV戦略を一気に加速させるトヨタ

トヨタがEVの開発を担う社内ベンチャーを12月に立ち上げる。この新ベンチャーは、豊田自動織機、アイシン精機、デンソーのグループ企業とトヨタ本体から各1名ずつが選抜され、4名という少数精鋭部隊がトヨタのEV開発を推進することになる。

中間決算説明会に登壇したトヨタ代表取締役副社長の伊地知隆彦氏(画像)は、FCVが「エコカーの本命」としつつも、トヨタのエコカー戦略は全方位だと述べた

トヨタは、環境対応へのエコカー戦略として全方位での取組みを進めてきた。その中でハイブリッド車(HV)は先行優位の実績を確立。さらにプラグインハイブリッド車(PHV)からFCVの市販化も先行させ、FCVを「究極のエコカー」と捉えて重点的に開発を進めてきた流れがある。

しかし、EVに関しては近距離用途としての限定的な位置づけを強めてきたことで、開発に遅れを取っていた感がある。そのトヨタが、先の「パリ協定」(2020年以降の地球温暖化対策の国際ルール)による世界の環境規制強化の動きや、中国・欧米でのEV推進といった直近の流れに対応すべく、EV戦略を一気に加速させ、早期に商品投入する方針を打ち出してきた。

それにしても、トヨタがグローバル1,000万台体制に見合う新たな展開を見せる中で、EVでの社内ベンチャーを誕生させるという、従来のトヨタからの変革を促すような思い切った動きに出たことは、大いに注目されるものである。

主要グループ企業も巻き込むベンチャー組織

トヨタが12月からスタートさせるEV開発の社内ベンチャー組織「EV事業企画室」。その室長には、昨年12月に発売した4代目プリウスと今冬に発売する新型プリウスPHVで開発責任者(チーフエンジニア)を務めた豊島浩二氏が就任する。

豊島EV事業企画室長をトップとして、グループ中核企業であるデンソー、アイシン精機、豊田自動織機から1人ずつ出向する、4人体制での異色の社内ベンチャーとなる。直轄の社内ベンチャー設立にあたり豊田章男社長は、「EV分野のことだけを専門に考え、スピード感のある仕事の進め方を確立することで、トヨタやトヨタグループの仕事の進め方改革を牽引して欲しい」(豊田章男社長)とコメントしている。

HV主流戦略を確立し、PHVでも近く本格的な商品投入を予定するトヨタ。FCVではすでに「ミライ」の市販を始めているが、EVは多少、軽視していたきらいがある。しかし、ゼロ・エミッション車普及に向けた規制強化が急速に進んでいくことから、トヨタとしてもゼロ・エミッションの達成を目指し、FCVとEVを二本柱に据えてきた感がある。

そのためには、EVの早期商品投入を可能とする体制づくりが必要で、主要サプライヤーのグループ各社も巻き込むベンチャー発足に踏み切ったことになる。

パワートレーン多様化時代、エコカーが続々と登場

かつて1990年代末の世界自動車大再編の引き金を引いたのが、独ダイムラーと米クライスラーの「大西洋をまたぐ合併劇」だった。その背景となったのは、21世紀の自動車の大テーマである環境対応だ。「究極のエコカー、FCV」の先行開発には莫大な投資が必要だが、単独企業では開発投資余力に限界がある。企業規模の拡大を求めて、ダイムラーとクライスラーは合併に踏み切った。

つまり、当時は水素を燃料とし、水しか排出しないFCVが、将来の究極のエコカーということで自動車各社が開発に向かったのである。

トヨタのFCV「ミライ」

しかし、その後十数年を経る中で、環境対応に向けては内燃機関のガソリン車・ディーゼル車がクリーン化・燃費向上へと進化し、HVおよびPHVは実用化へと進んだ。FCVの市販化に踏み切ったのはトヨタと本田技研工業だけだ。またEVは、三菱自動車の軽EVに続き、日産自動車のEV「リーフ」の市場投入など、ゼロ・エミッション車として展開された。

現状は「パワートレーン多様化時代」の様相を呈しており、日本国内市場ではトヨタHV戦略が初代プリウスの1997年末投入から十数年を経過し、主流化している。ただ、欧州では乗用車の5割を占めるディーゼル車が、クリーンディーゼルエンジンへと進化していまだ主流の座にある。

しかし、先の「パリ協定」発効に見られるように、世界の環境規制は厳しくなる。パリ協定では、すべての国・地域が二酸化炭素(CO2)などの温暖化ガスの排出を今世紀後半までに「実質ゼロ」にすることを目指す。

必然的に世界各国の環境規制も強まる。世界最大の自動車市場となった中国は、EVやPHVを「新エネルギー車」に指定し、台当たり補助金を支給。米カリフォルニア州の「ZEV規制法」では、2017年から発売する製品規制が厳しくなる。中国とカリフォルニアの規制では、HVがエコカーの範囲から外れる。これは世界的に波及していく流れでもある。

「脱エンジン」を目指す「トヨタ環境チャレンジ2050」

トヨタは、昨年10月に「トヨタ環境チャレンジ2050」を発表し、2050年の「脱エンジン」を宣言した。具体的には2050年にグローバル新車平均走行時CO2排出量を90%削減(2010年比)するというものだが、当面の主な取組み・目標としては、FCVの販売を2020年頃以降はグローバルで年間3万台以上にすると打ち出し、エコカーの本命はFCVという姿勢を鮮明にしていた。

つまり、将来のモビリティの棲み分けをEVは近距離用途、FCVは中長距離用途とし、EVは一充電で走行できる航続距離と充電時間の課題から用途限定の見方をしていた。ただ、FCVでは水素スタンドのインフラ整備の課題もあり、一長一短はある。電池が進化したことで、EVの航続距離も改善されつつある。

両者のメリット・デメリットを埋めるべくトヨタは、EV開発促進も含めた全方位を強める戦略に切り替えてきたのである。

トヨタとテスラ、複雑に絡み合う両社の関係

テスラモーターズ。米シリコンバレーに拠点を置くEVベンチャーだが、いまやEVメーカーとして世界的に脚光を浴びる存在だ。このテスラとトヨタは関係がある。両社は2010年にEV共同開発の業務提携を締結。テスラの製造工場は、かつてトヨタがGMとの合弁生産を行っていたニュー・ユナイテッド・モーター・マニュファクチャリング(NUMMI)のカリフォルニア・フリーモント工場の跡地である。トヨタはテスラとの業務提携に基づき、「RAV4 EV」を2012年まで米国で販売していた実績もある。

トヨタとテスラが共同開発したRAV4 EV

テスラは起業家イーロン・マスクのベンチャー経営で、「モデルS」、「モデルX」に続き、量販低価格車「モデル3」を発表し、その予約販売方式で大きな評判を呼ぶなど、今や世界のEVメーカーをリードするほどの勢いを示している。一方で、モデルSに搭載したオートパイロットシステムでは、半自動運転で死亡事故を起こしたことでも世間の耳目を集めた。

毀誉褒貶はともかくとして、テスラはEVメーカーとしてフロントランナーのポジションにあり、リチウムイオン電池は米ギガファクトリーでパナソニックとの合弁生産を行っている。トヨタはパナソニックと国内でニッケル電池・リチウムイオン電池の合弁企業「プライムアームEVエナジー」を展開する関係にある。トヨタとテスラの関係は、その後両者の思惑がずれ始めて協業の動きはなくなっているようだが、複雑に絡み合っている。

トヨタが社内ベンチャーでEV開発を急ぐ方針を打ち出したのも、米テスラとの業務提携(提携時点でトヨタはテスラに出資)に学ぶところがあったのだろう。

欧州勢を筆頭にEVシフトが鮮明

FCVに関しては、安倍政権の水素社会到来に向けての国策もバックにあるが、グローバル戦略として、トヨタは独BMWと技術提携関係にある。他社の動きとしては、ホンダがGMと技術提携しており、日産ルノー連合もダイムラーおよびフォードと技術提携関係にあるといったように、FCVの今後に向け、日米欧のメーカー間協力は多様化している。

一方で、欧州勢がこのところEV戦略を強めてきている。特に独フォルクスワーゲン(VW)がディーゼル排ガス不正問題以降、一気にEV戦略を鮮明にしているのだ。ダイムラーもEV新ブランド「EQ」を立ち上げるなど意欲的な動きが目立つ。米国も然りで、GMはEV「ボルト」の航続距離を383キロメートルに延ばし、テスラ「モデル3」の346キロメートルを上回ってくるなど本腰を入れてきている。

「リーフ」発売以来、EVで世界をリードすると豪語していたゴーン日産は、このところテスラの台頭に対し伸び悩んでいた。しかし、EV開発で実績のある三菱自を傘下とし、オール日産連合でEV戦略の巻き返しを図ろうとしている。

矢継ぎ早に新たな手を打つ豊田社長

こうした中で、トヨタはエコカー全方位戦略をとっていたものの、EV開発では出遅れており、一気に遅れを取り戻すための策を模索し始めた。それが、デンソーなど主力サプライヤーも巻き込んだ社内ベンチャーの発足だったのだろう。トヨタは奥田体制時代、社内ベンチャー企業「VVC」を発足させたことがある。当時も「トヨタには社内変革が必要だ」(当時の奥田社長)との観点によるものだった。

トヨタは豊田章男社長が就任して8年目を迎えている。グローバル1,000万台体制となり世界覇権を競う中で、カンパニー制度の導入やダイハツの完全子会社化、スズキとの提携、AI(人工知能)の米国子会社設立など、矢継ぎ早に新たな手を打ってきている。

FCVにしてもEVにしても、トヨタはマツダや富士重工業(スバル)、さらにはスズキとも連携していき、かつグループの主力サプライヤーとの一体感醸成とスピードアップを図っていく考えなのだろう。

マツダが新型車「MAZDA3」を発売! ブランド戦略の成否を占うクルマに?

マツダが新型車「MAZDA3」を発売! ブランド戦略の成否を占うクルマに?

2019.05.24

「MAZDA3」はハッチバックとセダンの2タイプ

まるで歩いているような運転感覚を目指したと開発主査

狙うは中~高価格帯? プレミアムブランド化の試金石

マツダは「アクセラ」の後継モデルとなる新型車「MAZDA3」(マツダ・スリー)を発売した。ボディタイプはハッチバック(マツダは「ファストバック」と呼称)とセダンの2種類、価格は218万8,100円~362万1,400円。マツダにとっては新世代商品群の先陣を切るクルマであり、マツダブランドがプレミアム化路線に舵を切っていけるかどうかの試金石となる商品でもある。

マツダが発売した「MAZDA3」。左がセダン、右がファストバック

新世代商品群の口火を切る「MAZDA3」

マツダは2012年に発売したSUV「CX-5」を皮切りに、「新世代商品群」(マツダにとって“第6世代”にあたる商品群)のラインアップを拡充してきた。今回のMAZDA3は、同社にとって“第7世代”にあたる商品群の幕開けとなるクルマだ。このクルマから、次の「新世代商品群」が始まる。

開発主査を務めたマツダ 商品本部の別府耕太氏によれば、MAZDA3で目指したのは「マツダブランドを飛躍させる」こと。そのために、クルマとしての基本性能を「人の心が動くレベル」まで磨き上げ、「誰もが羨望するクルマ」に仕上げたとのことだ。MAZDA3は「徹底的な人間研究」に基づいて作ったクルマであり、乗れば「まるで自分の足で歩いているような」運転感覚を味わえるという。その人馬一体の感覚は、助手席と後部座席でも体感できるそうだ。

コックピットの設計では、誰もが適切なドライビングポジションを取ることができることにこだわったという

マツダの新世代車両構造技術「SKYACTIV-VEHICLE ARCHETECTURE」(スカイアクティブ ビークル アーキテクチャー)が相当に進化している様子だが、その違いは素人でも分かるくらい、劇的なものなのだろうか。この問いに別府氏は、「走り出して交差点を曲がる10mくらい、低速域のシンプルな動作でも動きの違いが分かってもらえると思う。動きを滑らかにした。その一言に尽きる」と自信ありげな様子。進化の度合いは「テレビがアナログからデジタルに変わったくらい」とのことだった。

「MAZDA3」の滑らかな運転感覚は少し走るだけで分かると別府開発主査は話す

MAZDA3が搭載するエンジンは4種類。ガソリンは直列4気筒直噴エンジンの1.5Lと2.0L、ディーゼルは直列4気筒クリーンディーゼルターボエンジンの1.8L、そして、マツダが独自技術で開発した新世代ガソリンエンジン「SKYACTIV-X」の2.0Lだ。このうち、1.5リッターガソリンエンジンはハッチバックのみの設定となる。

1.5Lガソリンエンジンと1.8Lディーゼルエンジンは5月24日販売開始。2.0Lガソリンエンジンは5月24日予約受注開始、7月下旬販売開始予定だ。「SKYACTIV-X」は7月に予約受注を開始し、10月に売り出す計画(画像はファストバック)

どのエンジンを選ぶかで当然、価格帯も違ってくる。1.5Lは218万8,100円~250万6,080円、2.0Lは247万円~271万9,200円、1.8Lディーゼルは274万円~315万1,200円、SKYACTIV-Xは314万円~362万1,400円だ。ちなみに、同じグレードだとセダンとハッチバックの間に価格差はないが、バーガンディー(赤)の内装が備わるハッチバックのみの特別なグレード「Burgundy Selection」は、同一グレード内で最も高い価格設定となる。上に記した価格帯は同グレードを含めたものだ。

1.5Lガソリンは最高出力111ps(6,000rpm)、最大トルク146Nm(3,500rpm)、2.0Lガソリンは同156ps(6,000rpm)/199Nm(4,000rpm)、1.8Lディーゼルは116ps(4,000rpm)/270Nm(2,600rpm)。「SKYACTIV-X」の数値はまだ判明していない(画像はセダン)

182万5,200円~331万200円だったアクセラと比べると、MAZDA3の価格設定からは高価格化の印象を受ける。この点について、MAZDA3のマーケティングを担当するマツダ 国内営業本部の齊藤圭介主幹は、「アクセラでは低~中価格帯の市場にアプローチしていたが、MAZDA3では中~高価格帯へとステップアップしたい」との考えを示した。

セダンは「凛」、ハッチバックは「艶」

デザイン面では、マツダが第6世代商品群で取り入れた「魂動」というコンセプトをさらに深化させた。チーフデザイナーを務めたマツダ デザイン本部の土田康剛氏は、「引き算の美学」で「日本の美意識を表現したい」と考えたという。

セダンでは「凛とした伸びやかさ」で「大人に似合う成熟した」クルマを志向。ハッチバックでは「色気のあるカタマリ」をコンセプトに据えた。「セダンはあえて枠にはめて、ファストバックでは枠を外した」というのが土田氏の表現だ。周囲の景色や光を映し出すMAZDA3のエクステリアは、マツダが2017年の東京モーターショーで発表したコンセプトカー「VISION COUPE」(ビジョンクーペ)で印象的だった「リフレクション」(反映)を体現しているようだ。

「MAZDA3」では全8色のエクステリアカラーが選べる。「ポリメタルグレーメタリック」(画像、2019年1月の東京オートサロンにて撮影)はファストバック専用の新色だ

MAZDA3のエクステリアはスタイリッシュだし、ハッチバックの方はクルマの“肩”の部分が張り出していないので、アクセラに比べ室内が狭くなっていそうに見える。そのあたりについて別府氏に聞いてみると、「人にとっての空間は、部位によって多少の加減はあるが、現行(アクセラ)に対してほぼ同等。視覚的に、室内空間が狭そうに感じたとすれば、それはマツダのデザイン手法により、スタイリッシュさ、前後の伸びやかさ、力強さといったようなものを実現できているためとご理解いただきたい」との回答だった。

荷室については、ファストバックは基本的に「アクセラ スポーツ」(アクセラのハッチバック)と同等で、セダンは容量が拡大している。セダンの方は、アクセラよりも80mm延びた全長の大部分をトランクルームの容量拡大に充てたそうだ。

2輪駆動(FF)のハッチバックで比べると、ボディサイズは「アクセラ」が全長4,470mm/全幅1,795mm/全高1,470mm/ホイールベース2,700mm、「MAZDA3」が同4,460mm/1,795mm/1,440mm/2,725mm。フロントヘッドルームなどの数値を見比べると、数ミリ単位でMAZDA3の方が狭くなっているようだが、開発主査によれば「ほぼ同等」だという

MAZDA3には他にも多くのトピックスがあるものの、全ては書ききれないので、あと2点ほど挙げておくと、まず、このクルマは同社で初めてのコネクティッドカーとなる。車両自体の通信機能でマツダのサーバーと交信することで、24時間体制のサポートが受けられるのだ。例えば「アドバイスコール」という機能では、車両トラブルの際の初期対応から修理まで、幅広いサポートを受けることが可能。コネクティッド機能には使用料がかかるが、最初の3年間は無料だ。

もうひとつ、マツダが強調していたのが「静粛性」と「サウンドシステム」、つまり、MAZDA3車内の「音」に関する部分だ。このクルマはアクセラに比べ、静粛性と「音の伝わる時間と方向のリニアさ」が大幅に向上している。スピーカーは低音域、中音域、高音域それぞれに用意し、最適な場所に配置した。

高音域スピーカーは人の耳に近いドア上部、中音域スピーカーは乗員の体の横、低音域スピーカーは車室外のカウルサイドというところに配置。マツダ社内には「MAZDA3」を「走るオーディオルーム」と呼ぶ人もいるとのこと

MAZDA3の販売目標は、全世界で年間35万台。日本では月間2,000台を目指す。ボディタイプの内訳はファストバックが7割、エンジン構成は1.5Lガソリンが10%、2.0Lガソリンが40%、1.8Lディーゼルが20%、SKYACTIV-Xが30%を想定する。ちなみに、アクセラは2018年(暦年)で約38万7,000台が売れていて、その内訳は最も多い中国が11万7,000台、その次が北米で9万1,000台だった。

グレードにもよるが、MAZDA3は同クラスの輸入車であるフォルクスワーゲン「ゴルフ」やメルセデス・ベンツ「Aクラス」などと肩を並べるか、あるいはそれらを凌駕しかねない価格となる。直列6気筒エンジンの復活を宣言するなど、プレミアム化路線に舵を切ろうとしているマツダとすれば、ゴルフやAクラスなどの市場にMAZDA3で乗り込みたいところだろう。一方、1.5Lのガソリンエンジンでは、若年層に訴求できるかどうかもポイントとなりそうだ。

関連記事
わずか3年で生態系が爆発した“デジタルゲームのカンブリア紀”

ゲームとともに振り返る“平成”という時代 第2回

わずか3年で生態系が爆発した“デジタルゲームのカンブリア紀”

2019.05.23

「ゲーム業界」に焦点を当てて平成を振り返る連載企画

第2回は平成6年から平成8年までの3年間にフォーカス

16ビットから32ビットへと世代が移行し、さまざまなゲームが生まれた

5月1日の新天皇即位に伴って、「平成」から「令和」へと元号が変わりました。そこで、平成をゲームとともに振り返ってみようという本企画。第2回目の今回は、「平成6年(1994年)から平成8年まで」を追っていきます。この時期は、PCがより身近となり、家庭用ゲーム機ではいよいよ3Dポリゴンが使われる32ビット世代へと移行していきました。

経済の低迷が顕著な時代、ゲームは3Dへ

平成6年、インターネットの情報閲覧で欠かせないブラウザにおいて最初期に広く一般に普及した「Netscape Navigator」、検索サービス老舗の「Yahoo!」、World Wide Web(ワールド・ワイド・ウェブ)関連技術の標準化を推進する団体「W3C」が発足するなど、現在のインターネットを活用した諸活動の基盤となる技術が生まれました。

翌年の平成7年にはWindows95が発売。PCがビジネスシーンのみならず一般家庭へと広がり始めます。さらに平成8年にはヤフー、平成9年には楽天と、現在も日本のインターネットサービスを牽引する企業が続々と設立されました。そしてついに平成10年2月、日本におけるインターネット人口が1000万人を突破したのです。

このように、国内のデジタル空間は破竹の勢いで成長と拡大の一途をたどりますが、現実社会には未曽有の危機が訪れます。

平成6年の松本サリン事件と平成7年の地下鉄サリン事件というオウム真理教が起こした一連の事件では、心の拠り所になるはずの宗教が反社会的組織となって、罪のない人々に凶行し得ることを日本人に示しました。現代日本人が漠然と持つ宗教に対する不信感は、これら一連の事件に根差していると言っても過言ではないでしょう。

また、地下鉄サリン事件が起きる直前の平成7年1月17日、阪神・淡路大震災が関西を襲いました。結果的に経済活動も低迷します。GDP成長率は平成7年に2.7%、8年には3%を超えたものの、失業者はこの時期増加の一途をたどり、まさに「失われた20年」前半期の真っ只中でした。

平成6年に人気だったテレビドラマ『家なき子』の「同情するなら金をくれ!」というセリフは、この時期の厳しい世相を示していたと言えます。

一方で、忘れてはならないのは、映画館数が平成5年の1734館から、以降は長期的に上昇していくことです。同一の施設に複数のスクリーンがある「シネマコンプレックス」が台頭するのもこの頃。つまり、「インドアエンターテインメント」という楽しみ方が定着し始めたと言えるのです。

このように、デジタルと現実が相反する様相を示す日本において、ゲーム産業はデジタル側。家庭用ゲーム機では、「セガサターン」が平成6年11月22日に、「PlayStation」が平成6年12月3日に発売されます。いずれもCD-ROMの活用と、3D描画能力が話題になりました。さらに平成8年6月23日に「ニンテンドウ64」が発売されます。

平成6年11月22日に発売された「セガサターン」
©SEGA
平成6年12月3日に発売されたPlayStation®
©2014 Sony Interactive Entertainment Inc.

PCにおいても、さまざまな周辺機器が発売され、ゲームプレイに最適なハードとして強化できる環境が生まれました。CD-ROMドライブの本格的普及、Creative Technologyなどによるサウンドカードの誕生、そして、3dfx VoodooやNvidia RIVAをはじめとする3Dグラフィックアクセラレーターによって、PCの3DCGはリアルタイムレンダリング能力が向上しました。いわゆる「マルチメディア」をキーワードにさまざまなコンテンツが提供されるようになったのです。

欧米PCゲームカルチャー発展の契機となった『DOOM』

主観視点/1人称視点シューティングゲーム(英語名First Person Shooting Game、略称FPS、以下、FPS)では、アタリの『Battlezone』や『Star Wars』など、ワイヤーフレームを用いた作品がいくつか発売されていましたが、現在のFPS系譜の元祖は1992年、id Softwareにより発売された『Wolfenstein 3D』だと言われています。

同作は、日本アイ・ビー・エムが発表したパーソナルコンピュータ用のオペレーティングシステム「DOS/V」版で、『ウルフェンシュタイン3D』として、平成5年3月1日にイマジニアよって日本でも発売されました。

しかし、ゲームカルチャーへのインパクトという視点では、平成5年12月10日に北米でリリースされ、その後北米から欧州へと爆発的に広がり、FPSという一大ジャンルを発展させていった『DOOM』の存在感が圧倒的でしょう。

DOS/V版は平成6年2月1日に『ウルフェンシュタイン3D』と同じくイマジニアから発売され、国内のコアゲーマーを中心に支持されました。ですが、若干粗い3D描画の中でのスピード感あふれるゲーム展開が、一部のユーザーに「3D酔い」を促してしまい、それがしばらくイメージとして定着してしまいました。

一方欧米では、ネットワーク対応の熱いマルチプレイヤー対戦が盛り上がり、週末にそれぞれのPCを持ち寄って、LANでつなぎ、ゲーム対戦を徹夜で行う「LAN Party」という独自のゲームの楽しみ方を生み出します。この先にあるのが、現在のPCゲームを中心としたeスポーツトーナメントです。

このほかに、「シェアウェア」という無料でゲームの一部を提供する概念や、ゲームエディターをユーザーに解放し、独自のゲームステージを開発し共有することを奨励する「MODカルチャー」も本作を契機に広がっていきました。このゲームエディターのカルチャーが、ゲームエンジンのサードパーティへのライセンス提供というビジネスモデルへと発展していきます。

『MYST(ミスト)』が示した、「マルチメディア」で実現する不可思議な世界

当時、コンピュータ(デジタル)メディアがほかと差別化できるものは、「文字、CG、画像、映像、音声といった複数の要素を一体化したコンテンツとして表現できる点」だとされ、それを言葉で表すうえで「マルチメディア」という言葉が頻繁に使われるようになっていました。

この、いわゆる「マルチメディア」ブームの寵児となったのが米国Cyanによるパズルアドベンチャーゲーム『MYST(ミスト)』でした。そして、その日本語版がセガサターン向けソフトとして平成6年11月22日、つまり、ローンチタイトルの1作として選ばれたのです。

同作は、画面の鍵となる部分をクリックして謎を解き、次のシーンに進む、というアドベンチャーゲームの流れを組むもの。当時の欧米ゲームよろしく、細かい解説やチュートリアルのようなものがなく、プレイヤーはいきなりゲームの舞台であるMYST(ミスト)島に放り込まれます。

近代とも中世とも未来とも判別のつかない建築物のある不思議な空間のなかで、プレイヤーは暗号や謎を解きながら物語を展開させていきます。謎解きをする際も、建築物のなかに残された日記やそこに描かれたマップ、本のなかで再生されるアトラスという人物からのメッセージを読み解くといった、テキスト、映像、画像をプレイヤーがフルに活用するようにデザインされており、まさに「マルチメディアブーム」を代表する作品に仕上がっています。このグラフィックデザインや謎解きの仕組みは、のちの数多くのゲームにインスピレーションを与えました。

MYSTのゲーム画面

乙女ゲームの源流になったコーエーの『アンジェリーク』

恋愛/育成シミュレーションのような作品が台頭するなかで、そのゲームメカニクスを女性向けに構想するという「発想」はある意味、自然と言えます。ただ、経営者がそこに予算を割り当てて実行に移すのは別の話。それを行ったのが光栄(コーエー、現・コーエーテクモゲームス)です。

歴史シミュレーションゲームで既にブランド名を確立していた同社でしたが、平成6年9月23日に発売された『アンジェリーク』は、“女性が宇宙を統べる”という世界で、守護聖と呼ばれる存在から助けを得ながら、女王になるべく惑星の大陸を育成します。

『アンジェリーク』のパッケージ
イラスト/由羅カイリ
©1996 コーエーテクモゲームス All rights reserved.

ただ、プレイヤーにとっての楽しみは、守護聖とのロマンス。キャラクターの性格の違いや声優が吹き込む甘いセリフに、プレイヤーは釘付けになりました(ゲーム内で声優によるセリフが付いたのは、平成7年に発売されたPC-FX用ソフトから。平成6年にはドラマCDがリリースされた)。

『アンジェリーク』のゲーム画面。ゲーム画面は「my GAMECITY クラシックゲーム館」でプレイ可能な『アンジェリークSpecial』版のもの
イラスト/由羅カイリ
©1996 コーエーテクモゲームス All rights reserved.

これを契機にコーエーは『アンジェリーク』シリーズを発展させていき、以降は「和」をテーマとした『遥かなる時空の中で』シリーズ、学園モノの『金色のコルダ』シリーズとラインアップを増やし、これらを「ネオロマンス」シリーズとしてブランド化していきます。「乙女ゲーム」という一大ジャンルは、現在スマホゲームのなかでも非常に重要な位置づけになっていますが、その源流がここにあるわけです。

“ニンテンドウイズム”を世界へと広げた『スーパードンキーコング』

平成6年11月26日に発売されたスーパーファミコン用ソフト『スーパードンキーコング』の革新的要素は、スーパーファミコンというハードの制約のなかで、疑似3D的キャラクターモデルをスムーズに動かすことができたという点です。

シリコングラフィックスによる3DCGソフト「Power Animator」によりレンダリングが行われたキャラクターを、同ハードの制限で落とし込めるよう調整しただけでなく、美麗な背景も同様の作業が行われました。

ゲームデザインそのものは、『スーパーマリオブラザーズ』シリーズから築き上げられた横スクロールアクションゲームの1つの到達点として位置づけられるソフトと言えるでしょう。そのような意味では、そこまでの革新性はありませんでした。

しかし驚きなのは、本タイトルが英国のレア社によって開発されたという点。任天堂側からのアドバイスによって、ゲームバランスが絶妙に調整された同作をプレイした当時の筆者は、完全に日本の任天堂(具体的に言えば宮本茂氏)によって作られたものだと思っていました。

のちに本作がイギリスで開発されたと聞いて驚いたことを覚えています。つまり“ニンテンドウイズム”が確実に世界へと広がっていくさまを、筆者を含む世界中のプレイヤーが目撃したのです。

ブリザードの『ウォークラフト』は、グローバル規模でPCゲームカルチャーを定着させた

平成6年11月15日(Moby Gamesによる)、『ウォークラフト』が北米でブリザードからリリースされました。敵軍の戦略や戦術が常に変化するなかで、自軍のリソースを獲得して軍備や研究機関などを増設していき、敵側と激戦を交わし本拠地の占拠を目指すという、”リアルタイム”戦略ゲームの傑作です。その後、DOS/V版も国内で展開されました。

その前に発売された、映画『デューン/砂の惑星』の世界観をベースとした『Dune II』が、このジャンルを確立したと言われていますが、ファンタジー世界を舞台に、人類とオークの戦いという白兵戦を生臭く示した『ウォークラフト』のインパクトで、同ジャンルが浸透したと言えるでしょう。

CPUを相手にストーリーを進行させる「キャンペーンモード」と、LANを通じた複数人プレイの「マルチプレイヤーモード」がありましたが、当時からマルチプレイヤーモードに熱中していたのを記憶しています。同作で紡ぎあげられた世界観が、ブリザードによる以降のゲームの方向性を決定づけたとともに、欧米のゲームカルチャーに対しても影響を与えることになりました。

JRPGの金字塔『クロノ・トリガー』では、作家性の重要さが明らかに

平成7年3月11日に発売された『クロノ・トリガー』は、日本ファルコムや、エニックス、そしてスクエアなどが確立した「8ビットおよび16ビット時代」における“ドット絵の日本製ロールプレイングゲーム(JRPG)の到達点”と言っても過言ではありません。

『ファイナルファンタジー』シリーズの生みの親である坂口博信氏がエクゼクティブプロデューサーを、『ドラゴンクエスト』(以下、『ドラクエ』)シリーズの生みの親である堀江雄二氏がシナリオを、前述の『ドラクエ』シリーズに加えて、マンガ『ドラゴンボール』や『Dr.スランプ』で日本中を虜にしていた鳥山明氏がキャラクターデザインを務めるというドリームプロジェクトが実現。この3人がいかなる作品を生み出すのかという点でも注目の的となりました。まさに“作家性”を全面的に押し出したプロモーションが行われたのです。

『クロノ・トリガー』のパッケージ画像。キャラクターデザインは鳥山明氏
©1995 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.
Illustration: ©1995 BIRD STUDIO / SHUEISHA
Story and Screenplay: ©1995, 2008 ARMOR PROJECT / SQUARE ENIX

果たしてリリースされた作品も、ファンの予想をはるかに上回る出来となりました。従来のファンタジーにタイムトラベルの要素を加え、恐竜人類と人類の祖先が共存する原始時代から世紀末、そして未来が描かれます。

鳥山明氏によってデザインされた、クールな主人公「クロノ」から、コミカルな外見をした「ロボ」や「カエル」といったキャラクターまで、しっかりとドット絵で表現。16ビット時代におけるグラフィック表現の最高峰に到達したと言えるでしょう。さらに、光田康典氏によるBGMも、16ビットサウンドの魅力を徹底的に引き出しました。同氏の作曲家としてのデビュー曲にして代表作の1つに数えられています。

『クロノ・トリガー』のゲーム画面
©1995 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.
Illustration: ©1995 BIRD STUDIO / SHUEISHA
Story and Screenplay: ©1995, 2008 ARMOR PROJECT / SQUARE ENIX

メディアミックス戦略の源流『ポケットモンスター 赤・緑』

平成8年2月27日、日本を皮切りに、最終的に全世界において社会現象となる作品がリリースされました。『ポケットモンスター 赤・緑』です。

『ポケットモンスター 赤・緑』のパッケージ
©1995 Nintendo /Creatures inc. /GAME FREAK inc.

幼年時の「虫取り体験」からインスピレーションを受けたとされるポケモンを捕まえるスリル、捕まえたポケモンが図鑑に記録されるコレクション要素、「通信ケーブル」でポケモンを交換するドキドキ感など、子供たちがさまざまなシーンで体験したリアルな遊びが、1本のゲームに昇華されたのが本作です。

ゲーム中の画面
©1995 Nintendo /Creatures inc. /GAME FREAK inc.

さらに、マンガ、カードゲーム、テレビアニメ、そして劇場版アニメと、次々と『ポケモン』のタッチポイントを増やし、それぞれで相乗効果が生まれたという点でも当時としては画期的でした。これまでもメディアミックスはさまざまな作品で行われてきましたが、『ポケモン』のインパクトは比べ物にならないほど絶大だったのです。

もちろん、ゲームバランスも秀逸。カジュアルプレイでも十分楽しめるデザインでありながら、パーティのポケモンを選別する戦略性や、対戦相手との絶妙な駆け引きなど、対戦プレイを競技ととらえてプレイする人にも対応しうる奥深さを兼ねそなえた作品でもあったのです。

映画並みのストーリテリングをゲームでも実現できることを示した『バイオハザード』

平成8年3月22日、カプコンからリリースされた『バイオハザード』ほど、当時のゲームプレイヤーを驚かせた作品はないでしょう。

謎の洋館、ゾンビ、そしてその先に存在するさまざまな異形の存在など、ジョージ・A・ロメロが手がけた映画『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』や『ゾンビ』などからインスピレーションを受けたシーンも数多くあり、それを3Dでかつゲームにおいて完全に再現したことが多くのユーザーに衝撃を与えました。

ゲームというものが、映画に匹敵または凌駕する可能性があるメディアだと実感させた最初期の作品が、本作だったのではないでしょうか。『バイオハザード』以降もシリーズは発展していき、現在も多くの人に愛されるIPであることは誰もが認めるところでしょう。リモコンのようにキャラクターを操作する操作性もむしろホラー感を引き出す「演出」として高く評価されました。

『バイオハザード』のパッケージ画像
©CAPCOM CO., LTD. 1996 ALL RIGHTS RESERVED.
『バイオハザード』のゲーム画面
©CAPCOM CO., LTD. 1996 ALL RIGHTS RESERVED.

ローンチタイトルにして3Dアクションに必要な要素を網羅した『スーパーマリオ64』

平成8年6月23日に「ニンテンドウ64」がリリースされましたが、その際、ローンチタイトルとして展開された『スーパーマリオ64』に当時のユーザーは衝撃を受けました。

ジャンプする、探検する、潜る、飛ぶといった、従来の『スーパーマリオ』シリーズでのプレイ感覚を「忠実に」3D空間で再現していたのです。さらに重要だったのはアナログスティック。自然に3D空間を自由に動き回れるあの操作感には誰もが驚かされました。

さらに特筆すべき点は、デモの際に現れるクローズアップのマリオの顔。まるで平成7年に上映されたばかりの劇場用フル3DCGアニメ『トイ・ストーリー』のキャラクターかと見紛うような豊かな表情のマリオが、画面一杯に表示されているのです。コントローラーを使って顔にイタズラをすると、ちゃんとリアクションもしてくれました。当時はそんなところにミライを感じたものです。つまり、ゲームといる領域を超えたアミューズメントがそこにあったと言えるでしょう。

ゲームが「あらゆるエンターテインメントの複合体」であることを示した『サクラ大戦』

平成8年9月27日、セガサターン向けに開発された同作は、ゲームがまさに「あらゆるエンターテインメントの複合体」であることを実感させられる作品でした。『天外魔境』をはじめ、数々のゲームやアニメを手がけてきた広井王子氏、『逮捕しちゃうぞ』などで人気を博していたマンガ家の藤島康介氏がキャラクターデザイナーとして、そして『ドラゴンボール』をはじめ錚々たるアニメ作品の音楽をつくりあげてきた田中公平氏が結集して作成されました。

『サクラ大戦』のパッケージ画像
©SEGA

大正浪漫と蒸気技術が融合された独自のレトロフューチャー的な世界感のなか、プレイヤーは、「平時は帝国歌劇団」「有事は帝国華撃団」という秘密部隊の隊長として、女性団員をまとめ上げながら、悪の組織と戦うゲームです。

アドベンチャーパートでストーリーを展開させながら、敵との対戦パートはオーソドックスなターン制ウォーシミュレーションゲームとして進める本作は、アニメファン、ゲームファン双方が納得する出来でした。のちにアニメ化、ドラマCD化、そして舞台化まで行われ、ゲームを原作とした2.5次元ライブエンターテインメントの先駆け的な役割を果たしたと言えるでしょう。

対戦パートの様子。「霊子甲冑」と呼ばれるメカを操縦して戦う
©SEGA
本作には、女性隊員とコミュニケーションを図るアドベンチャーパートを搭載。隊員の信頼度によって、攻撃力や防御力が変化し、戦闘パートに影響する
©SEGA

アートと遊びが見事に融合した『アクアノートの休日』と『パラッパラッパー』

また、ゲームの多様性を象徴しうる傑作が、この時期に多数生まれました。その代表的な作品の1つが平成7年6月30日に発売された、『アクアノートの休日』です。アーティスト・飯田和敏氏がゲームデザイナーとして取り組んだ本作は、ゲームクリアの概念が限りなく希薄な、海洋探索型ゲーム。その不思議で幻想的な海洋世界に魅了されたプレイヤーも多く、「目的もなく自由に異世界に没入する」行為自体が、ゲーム体験において重要な要素であることを示しました。

『アクアノートの休日』のゲーム画面
©1995, ARTDINK. All Rights Reserved.

もう一方は、平成8年12月6日に生まれた『パラッパラッパー』です。原色を多用した背景デザインのもと、脱力系とも言える紙っぺらのような2Dキャラクターがダンスバトルを繰り広げるという異色作。ただし、もともとの生みの親である松浦雅也氏が、「PSY・S」として活動していたミュージシャンであったこともあり、ゲームのために準備された楽曲はどれも秀逸で、国内のみならず世界的に評価を受けました。

『パラッパラッパー』のパッケージ画像
©1996 Sony Interactive Entertainment Inc. ©Rodney A. Greenblat / Interlink
『パラッパラッパー』のゲーム画面
©1996 Sony Interactive Entertainment Inc. ©Rodney A. Greenblat / Interlink

これらはいずれも本格的なアーティストが「ゲーム」という課題に対することで、従来のゲームデザイナーでは思いもよらなかった新たな体験をもたらした一例と言えるでしょう。

わずか3年で一気に広がった“デジタルゲームのカンブリア紀”

以上、わずか3年の間で、現在にもつながる多種多様なゲームが生まれました。その生態系の爆発はまさにカンブリア紀を彷彿とさせます。

ただ、ゲームの発展はここでは終わりません。次回は、インターネットシーンにおけるゲーム体験を生み出した作品群を紹介していきます。

関連記事