ワインではなく梅酒! 冬の風物詩になりそうな「梅酒ヌーボー」の魅力とは?

ワインではなく梅酒! 冬の風物詩になりそうな「梅酒ヌーボー」の魅力とは?

2016.12.10

酒造メーカーの中野BCと明利酒類は、12月2日、都内にて梅酒の新酒「梅酒ヌーボー」の解禁を発表した。今や秋の風物詩として定着したボージョレ・ヌーボーは毎年11月第3木曜日が解禁日だが、新梅酒の解禁は12月の第1金曜日。その年に収穫された梅から造られる梅酒ヌーボーという存在自体が、消費者にとって、まだ新しく、一般的な認知はこれからというところだ。なぜ今梅酒を、ボージョレ・ヌーボーのように新酒で発売しようとするのだろうか?

(左から)中野BC製造部の山本佳昭部長、同社の中野幸治社長、明利酒類の加藤高藏社長、梅酒研究会専務理事の金谷優氏

その年に収穫された梅から造られる新酒「梅酒ヌーボー」

まず、梅酒ヌーボーの定義から紹介していこう。梅酒ヌーボーを主導する梅酒研究会によると「その年に収穫された梅で造られた新酒であり、その年の『梅の品質』を確認するとともに、 熟成前の『フレッシュさや梅の個性』を楽しむものである」としている。

通常、酒造メーカーが販売する梅酒は、梅を漬け込み始めてから半年で実を取り出し、その後半年から1年かけて熟成させたものだ。しかし梅酒ヌーボーでは、実を取り出したばかりのものを瓶詰めする。

中野BCから発売の「梅酒プレミアムセット『刻』」。梅酒ヌーボーと9年物の古酒のセットで味の違いが楽しめるようになっている

そのため、梅酒ヌーボーは一般的な梅酒に比べて色が薄く、黄金色といったおもむき。味については、スッキリかつ、フレッシュとなっており、飲みやすいのが特徴だ。また、熟成させた梅酒に比べて、梅本来の味わいが出るため、ワインのように、その年の実の出来によって味わいが異なってくる。

今年のヌーボーに使用した梅は、生育期間が短かったため小粒ではあったものの、その分、梅の成分が凝縮されたため、香り高い梅酒になっているという。

中野BCは、ワインのボージョレ・ヌーボーのように、梅酒にも年に一度注目される機会を創出したいということで、6年前から梅酒ヌーボーを販売。現在の販売規模は量販店100店舗以上となっている。

明利酒類も中野BCの働きかけで、去年から販売するようになり、今年は同社の地元である茨城県の大手コンビニエンスストアでの取り扱いが決定した。明利酒類の加藤高藏社長は「熟成した梅酒とはまた違って、香りがすごく若々しい。これは市場に出して消費者の皆さんに喜んでいただけるものだろうと確信した」と話す。

成熟する梅酒の市場

もともと梅酒市場は、2003年から梅酒ブームが始まって、2011年まで移出数量が大幅に伸び、現在では、2000年の2倍の市場規模にまで成長した。その要因のひとつとして、梅酒が和のリキュールとして消費者に見直されたことがあげられる。また、消費者の視点に立ってみると、梅酒に、“健康的で親しみやすい”というポジティブなイメージがあったことも大きいのではないだろうか。

梅酒移出数量のグラフ。2011年がピークとなっている

しかし、2011年以降の移出数量を見ると、現在はブームを過ぎて安定傾向となっている。現在は量から質の時代に移り、消費者は味や原料にこだわる本物志向に移行。一方で柑橘類やブランデーなどをブレンドしたもの、日本酒に漬けたもの、梅の実を溶かし込んだにごりタイプの梅酒などが販売され、多様化が進む。

また、梅酒を増やす飲食店や梅酒の漬け込みセミナーも増加するなど、梅酒業界自体が成熟したものとなりつつある。そんな中、市場に求められる次の一手は新たな価値を持った商品だ。

梅酒ヌーボーが持つ梅酒市場成長のポテンシャル

そこで梅酒市場において注目されるのが、梅酒ヌーボーである。

ターゲットについて梅酒研究会の専務理事で日本梅酒協会代表理事の金谷優氏は「お酒のあまり強くない方、もちろん梅酒というのを新酒で飲んだことがない方」と見ている。また、中野BCの中野幸治社長は「熟成したものはそう飲めないが、梅酒ヌーボーなら梅酒が飲めない人も若い人も飲みやすい」と。梅酒ヌーボーの香り高さや新規性は消費者に新たなユーザー体験を提供できるのに加え、口当たりが軽くて飲みやすい点は今まで梅酒を飲まなかった新たな層を獲得できるかもしれない。

加えて梅酒ヌーボーには、新たな食シーンにつなげられるポテンシャルがあるだろう。例えば冒頭でも紹介したように解禁日は12月第1金曜日だが、12月といえばクリスマスや忘年会、年末年始が控えており、ホームパーティーも多い。そういった季節柄と新酒であるなどから話題を呼べること。黄金色と縁起が良い色合いであることで、食卓や宴席に上がる機会が多くなるのではなかろうか。

また、クセのないスッキリとした味わいから、これまでの梅酒と違った飲み方がされそうだ。中野BC製造部の山本佳昭部長は「梅酒は食前酒ということで認知されていると思うが、食中でも飲めるものとなっている」と話す。濃厚なコクがあって甘酸っぱい梅酒は食前や食後の1杯、帰宅後の1杯というイメージだが、梅酒ヌーボーならそのまま食事に組み込むことができ、新たな梅酒需要につなげられる。

ワインも日本酒も新酒がある中、これまで梅酒は熟成した古酒のみが出荷されていた。成熟した梅酒市場における成長の余地は、実は今までありそうでなかった新酒にあったのだ。

明利酒類の梅酒ヌーボー「百年梅酒 春花」。白加賀と呼ばれる品種の梅を使い、ビター感や酸味が出たものになっている

梅酒業界の新星として期待される梅酒ヌーボーだが、現在梅酒研究会が掲げる定義に基づいて製造しているメーカーは中野BCと明利酒類の2社のみ。梅酒研究会の金谷専務理事は参加企業に関し「来年にむけて約20社をメドに進めていきたい」と話す。

現時点の認知度は、まだ途上にあるものの、話題性はもちろん、これまでにない食シーンやターゲットの可能性を考えると、梅酒業界ひいてはアルコール飲料業界の新たなトレンドになりえる要素は十分にある。現時点で2社のみでも、今後参入企業が増えていけば、新梅酒の解禁が消費者をにぎわせる日が来るかもしれない。

その面倒な組織カルチャー、印鑑が原因ですよ

藤田朋宏の必殺仕分け人 第4回

その面倒な組織カルチャー、印鑑が原因ですよ

2019.03.18

印鑑業界による印鑑文化の優位性アピールが話題

会社経営者として感じる、捺印作業の面倒さ

「サイン文化」と「印鑑文化」で変わる組織カルチャー

行政手続きのオンライン化を目指す「デジタル手続き法案」をめぐり、全日本印章業協会がアピールした「印鑑のメリット」が話題になっている

「代理決済できるという印章の特長が、迅速な意思決定や決済に繋がり、戦後の日本経済の急速な発展にも寄与してきた」(原文ママ)というものだ。

「ハンコならこっそり代理決済ができる」などと、身も蓋もなく自ら印鑑廃止を後押ししてしまいかねない意見が出てしまったことは興味深い。
でも僕は、ただのバイオテクノロジー屋なので、ITを活用した効率化しますよ業界の回し者でもなければ、印鑑業界の人を敵に回すメリットだってないので、特にこの点について深く言及しないし、「日本における今後のハンコをどうするべきか」なんてことを掘り下げて云々するつもりもない。

ただ、日本を含む4カ国でスタートアップを立ち上げた経験から、企業の組織カルチャー形成に、承認方法としての「印鑑」と「サイン」の違いが、とても大きな影響を与えているのではと実感した話を書いておきたい。

日々、何かと多すぎるハンコ作業

まず共有しておきたい事実は、日本で会社を経営すると、毎日ものすごい数の代表印や銀行印や社印を押さなければいけないということだ。(会社の印鑑って3種類あるの知ってました?)

お客さんと契約してお金をいただくときに契約書に捺印するのはイメージできると思うが、その後もお金が銀行口座に無事入るまで、受領やらなにやら契約書だけでなく、さまざまな書類にとにかく捺印をしまくる必要がある。

また、家賃を払う、プリンターのトナーが切れる、実験試薬を買うなどなど、とにかく会社を運営する活動の一つ一つに対して、それぞれ細かくおびただしい数の印鑑を押す。法人が国や地方自治体に税金を払う時はもちろん、社員のあれこれも、例えば社員の誰かが結婚したり引っ越したりするだけでも印鑑を押しまくる。自分で会社をやってみてつくづくわかったが、とにかく捺印の数が膨大だ。

しかも、びっくりすることに、民間企業も市町村も、同じことをするために、それぞれがまったく違うフォーマットの書類に捺印を求めてくる。

こうして、大量な上にフォーマットがまったく違う書類を毎日渡されて、決められた位置に決められた種類の捺印をすることは、仮に契約書や書類の中身をまったくチェックしないで無責任に捺印したとしても、結構な時間を必要とする作業だ。

捺印にかける時間が惜しい

しかもうわの空で押していると、銀行印を押すべきところに代表印を押し間違えてしまったり、インクが簡単にかすれてしまったりするのが印鑑だ。人生において、こんな捺印ミスなどという程度のことで書類を作り直してもらう羽目になった回数を考えただけで、こんな単純な作業に失敗する情けなさとと、書類を作ってくれる従業員への申し訳なさで、どこかに隠れてしまいたい気持ちになる。

そう、僕は毎日、隠れてしまいたい気持ちになっているのだ。

なぜ、日本から印鑑はなくならないのか

我々の会社のように、たとえ社長だろうがあっちこっちに、営業に謝罪にと、せわしなく飛び回わることで、なんとか会社の体を保っているような規模の企業の方が世の中には多いと思う。そんな"貧乏暇なし社長”がこの捺印という物理的作業に忙殺される時間というのは、正直いって無駄以外の何物でもない。

にもかかわらず印鑑を押すという文化が日本に残っているのは「捺印するという作業」は、誰かに頼めてしまうからなのだと思う。多くの会社において「捺印をし続けるという作業」を自分でやっている社長はあまり居ないのかもしれず、ここが、すべて自ら書かなければいけないサインとの最大の違いなのだろう。

ちなみに、僕の場合は「捺印をし続けるという作業」だけを人に頼むような仕事の依頼の仕方は好みではないので、あちこちに会社を立ち上げては、担当者に「代表取締役」の役職ごと譲るようにしている。

海外の「サイン文化」は印鑑以上に面倒?

冒頭にも書いたが、僕は日本以外の3カ国でも会社を経営している。言うまでもなく日本以外の国は、承認の証としては「サイン」が一般的だ。

日本の会社同士の契約書の場合は、代表者の名前の脇に代表印と社印を、契約書を閉じた裏面に割印を一カ所押す形式であることが多い。つまり、二者間の契約であれば、先方用の契約書と当方用の契約書をあわせて、計4カ所の代表印と計2カ所の社印を押せばよい。

ところが、海外の契約書は、すべてのページにサインをしなければならない。海外の契約書は「実際にそんなことは起きないって」ってくらい、ありとあらゆる場面を想定した契約書になっていることが多く、とにかく契約書が長い。

感覚として、同じような内容の契約をするのに、日本の会社同士の契約の5倍~10倍のページ数になっても驚かない。

つまり、ちょっとした契約書でも軽く100ページを超えてくるわけだが、このすべてのページに手書きでサインをすることを想像して欲しい。契約書の中身を読んでただただサインを書き続けていると、「こんな作業に時間を使い続けてていいのだろうか」という自問の気持ちが芽生えてくる。

その組織カルチャーの差、ハンコとサインの差が原因ですよ

言うまでもなく、サインは誰かに代わりに書いてもらうことはできない。では、サインを書く物理的な時間を減らすために、何が起こるのかというと、「権限委譲」が進むのである。

日本の会社だと当たり前のように社長の名前で締結する規模の契約でも、海外の会社だと担当部長あたりの名前で契約を締結してくる。

もしかしたら、日本の会社のカルチャーだとそれは失礼なことに当たるのかもしれないが、サインを前提とした会社において、会社のすべての契約を社長名義で契約していたら、社長の一日は「サインを書く」という作業だけで終わってしまう。だから、どんどん権限委譲をしていくしかない。

日本の大企業の合意形成や意思決定のあり方を分析する文脈において、「日本の会社は権限委譲が進んでいない」とか、「プロジェクトごとの意思決定者の所在がよくわからないから、スピード感が遅くなってグローバル競争に負けてしまう」などという指摘を頻繁に見る。

特に近年流行りの「日本企業のホワイトカラーの生産性を高めましょう」という議論の多くでは、日本企業のこういった特殊性の原因を、日本人の歴史的・文化的背景や、国民性が理由であると結論づけている。

だからもっぱら、風通しがよく責任範囲が明確で、意思決定の早い会社にするために、せっせと組織構造をいじったり、管理職に研修をしたりと、コンサル屋さんが儲かるだけの努力に大きなお金を払うことになっているのだが、大きな効果が得られているようにみえない。

僕の考えは、特殊性の理由がちょっと違っていて、「その組織カルチャーの差って、捺印とサインの差が本質的な原因ですよ」と、わりと確信に近い自信を持っている。

捺印の作業だけを誰かに頼むのではなく、捺印をする権限ごとどんどん頼んでしまえばいい。ハンコにウンザリしている世の中の社長さん、そう思いません?

(藤田朋宏:ちとせグループ 創業者 兼 最高経営責任者)

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2019.03.18

漫画家・コラムニスト カレー沢薫さんの社会派連載!

第32回は、実家暮らしの男性に降りかかる「子供部屋おじさん」論議について

「子供部屋おじさん」という言葉が注目されている。言葉自体は2014年あたりからあったそうだが、今また脚光を浴びているそうだ。

「○○おじさん」「○○おばさん」という呼称には、「アイカツおじさん」のように秀逸かつもはや「Sir」級の「称号」と言って良いものもあるが、大体が蔑称である。

その中でもこの「子供部屋おじさん」の蔑視ぶりたるや、である。意味はわからなくても本能で「馬鹿にされている」と察することができる。

「子供部屋おじさん」とはどんなおじさんを指すかというと、成人しても親元を離れず実家の「子供部屋」で暮らし続けるおじさんのことである。「パラサイトシングル」を、言われた相手の血管が切れるように魔改造した言葉だ。言葉としては「上手いこと言うな」と感嘆するしかない。

単に「実家住みのおじさん」という意味ではなく、「いい年をして親から自立せず、自分では何も出来ない、中身は子どものままのおじさん」という痛烈な批判が込められている。

この「子供部屋おじさん」は、ひきこもりやニートとは違い、仕事はちゃんとしている場合が多い。だが逆に「実家を出ようと思えば出られるのに出ない」という点が余計「甘え」と見なされ、ここまでの鬼煽りを食らう羽目になったとも言える。

このように世間からみっともないと思われがちな「実家住みの成人」だが、本当に彼らは社会の病巣であり、親から見れば寄生虫なのだろうか。

一人暮らしは今や「修行」かもしれない

子供部屋おじさん含むパラサイトシングルにも言い分はある。まず「実家から出るメリットが見いだせない」という理由だ。

実家が持ち家の場合、一人暮らしをするよりも実家住みの方が経済的には圧倒的有利だ。親側からしても、純粋に寄生されるのは厳しいが、生活費などを入れてもらえるなら、逆に助かるという場合もある。

また職場からの距離も実家から通った方が近いと言うなら、わざわざ経済的負担を負いながら、場合によっては遠距離通勤をする「一人暮らし」というのは「修行」という意味しかなく、昨今盛んに言われる「コスパ」「合理化」という観点から見ると「正気か」というような無駄でしかない。そのため、インフルエンサー的な人が一発「まだ一人暮らしで消耗してんの?」と言えば、容易に世論が傾いてしまいそうな気がする。

しかし「修行という意味しかない」と言っても、その「修行」に意味がないわけではない。一人暮らしが人間に自立と成長を促すのは確かである、自分のことは全て自分でやらなければいけないのだから当然だ。

逆に、衣食住が保証された実家で、お母さんにご飯と身の周りの世話を全部やってもらっていたら確かに子供となんら変わりないし、もし仮に結婚して家を出たとしても、今度は嫁に母親と同じことを求めるだろう。

結果として、「見た目は中年、中身は子供、価値観は団塊」というバランス感覚皆無の生物が爆誕することになりかねない。そういった意味では、いかに合理的でなかろうが、一人暮らしをする意味はあると言える。

だが、親の方が子どもに「実家にいてほしい」と望むケースもある。

前に「増加する共倒れ家庭」という、タイトルからして明るい要素皆無のテレビ番組を見たことがある。老齢一人暮らしの父親の元に、非正規雇用で自活できない息子が帰ってきて、そのせいで生活保護が打ち切られ、ますます困窮するというマジで暗い所しかない話だった。

しかし、父親の方が息子に対し「迷惑だから出て行ってほしい」と思っていたかというと、そうではなく「自分が老齢で何があるかわからないので居てほしい」と言っていたのだ。

このように、高齢の親からすれば、子供がいてくれるのは「安心」という面もある。ほかにも、介護のために実家に戻って来た者もいるのだから、一概に「子供部屋おじさん」とバカにすることはできない。

「子供部屋おじさん」がここまで燃える理由

そして、この「子供部屋おじさん」に今更激烈な反応が起こっているのは、「おじさん」と性別が限定されているからだろう。

当然「子供部屋おばさん」だって存在する。私も結婚して家を出るまで実家にいたし、成人すぎても小学校入学の時買ってもらった学習机を使っており、もちろん身の周りのことは母親を越えてババア殿にやってもらっていたという、どこに出しても恥ずかしくない「子供部屋おばさん」だった。親は私を家から出すのに相当勇気がいったと思う。

しかし、バカにされているのは専ら「子供部屋おじさん」の方で、言葉自体も「ブサイク」には「ブス」ほどの破壊力がないように、「おばさん」より「おじさん」の方がどう考えても「強く」感じる。

「子供部屋おばさん」にパンチが足りないのは言外に「女はまあ実家住みでもいいんじゃね?」という見逃しがあり、逆に男には「男のくせにいつまでも親の世話になってみっともない」という、男女差別があるせいではないだろうか。

ネットを開けば、ジェンダー問題で毎日ひとつは村が燃えている昨今である。「子供部屋おじさん」が、そっちの観点でアンコール炎上しても不思議ではない。

当然だが、一家の家計を支え、親の介護をしながら家事までやっている「子供部屋おじさん」もいれば、ろくに家に金もいれず、親に三食用意してもらっている「子供部屋おばさん」もいる。もちろんこれはおじさん・おばさんを入れ替えたって言えることだ。

男だから、女だから、で言い切りが出来ないように「実家暮らし」という属性一つでは何も断言することは出来ないのである。

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