自動車業界でダントツの利益率、スバルの“稼ぐ力”はどこからくるのか

自動車業界でダントツの利益率、スバルの“稼ぐ力”はどこからくるのか

2016.12.10

新型「インプレッサ」が日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞するなど、快進撃を続ける富士重工業(スバル)。円高進行により、2016年度中間決算では減益が相次いだ日本の自動車業界にあって、決算発表で「(減益でも)実力は上がっている」と語った吉永泰之社長の表情は明るかった。2016年度下期は1ドル=100円想定で減益予想だが、それでも今期の営業利益率は10%台をキープする見通し。その“稼ぐ力”の源泉はどこにあるのだろうか。

インプレッサに盛り込まれた最新技術

「第37回 2016 - 2017 日本カー・オブ・ザ・イヤー」の最終選考会が12月9日に行なわれ、富士重工業(来年4月にスバルへ社名変更、以下:スバル)の「インプレッサSPORT/G4」が栄冠に輝いた。

新型インプレッサの「SPORT」(左)と「G4」

第5世代となる新型インプレッサは、スバルが中期経営ビジョン「際立とう(きわだとう)2020」において、次世代モデルの第1弾として位置づけた戦略車だ。ユーザーに最高の「安心と愉しさ」を提供することを目指し、次世代プラットフォーム「SUBARU GLOBAL PLATFORM」をはじめとした様々な新技術を採用して投入した。

ボディタイプを5ドアハッチバックの「SPORT」と4ドアセダン「G4」とし、エンジンは新開発の2.0L水平対向4気筒直噴NAエンジンと1.6LのNAエンジンを用意。スポーツタイプの車両として動力性能を高めながら、軽量化と燃費改善を達成している。

また、国産初となる歩行者保護エアバッグと「アイサイト(ver.3)」を全車標準装備とするなど、「総合安全性能」と「動的質感・静的質感」の大幅向上が高く評価された。スバルが日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞するのは、13年前(2003 - 2004)のレガシィ以来のことだ。

スバルの最近の躍進は、業績面で売上高営業利益率10%以上を確保する、トヨタ自動車や日産自動車もかなわない“ダントツ”の収益性に結実している。インプレッサの日本カー・オブ・ザ・イヤー受賞は、スバルのこのところの快進撃を象徴するものといえよう。

2015年度は17.5%、際立つスバルの営業利益率

スバルの2015年度(2015年4月~2016年3月)業績は、売上高3兆2,323億円、営業利益5,656億円、経常利益5,770億円、当期純利益4,367億円。4期連続の増収増益で過去最高益を更新している。特筆すべきは、本業の儲けを示す売上高営業利益率が17.5%と、自動車メーカーの中では日本勢のみならず、海外と比較しても際立って高いことだ。

前期業績で比較するとトヨタが10.0%と2桁台に乗せたが、あのトヨタでもスバルには営業利益率で届かない。日産は6.5%にとどまり、ゴーン日産の中期経営計画「パワー88」は営業利益率を8%に乗せることを目標としているほどである。これを見ても、いかにスバルの営業利益率が高く、収益性が良いかが分かるのだ。

北米で稼ぐスバルのビジネスモデル

スバルの業績向上と高い収益力を支えるのは、ひとえに北米での成功だ。いま、スバル車は北米で売れに売れており、供給が間に合わない状況が続いている。いわゆる“タマ不足”である。

それでは、なぜ北米でそんなにスバル車が人気で、売れるのか。一言でいえば、スバルの経営における「選択と集中」の賜物であろう。北米でのスバル車は、もともと雪の多い地域や山間地域など四輪駆動技術で人気はあったが、それは地域限定的なものだった。

中国戦略がままならない中、スバルはグローバル戦略において、北米にリソースを集中させて重点展開していった。主力車レガシィのサイズアップやスバル車の走りと安全性(技術力)の全米訴求、米国販売統括会社スバルオブアメリカ(SOA)主導による全米ディーラーのイメージアップ作戦など、ブランド力向上を積極的に進めたのである。

結果として、スバル車はインセンティブ(販売奨励金)が少なくても売れるようになり、収益性も高まっていった。前期のスバル車北米販売は58万3,000台で過去最高となり、グローバル販売95万8,000台の6割を占めるに至った。さらに今期(2016年4月~2017年3月)は、北米で66万2,000台と過去最高を更新する予定。北米での売れ行きがドライバーとなり、スバルの今期グローバル販売は同社初の100万台超えとなる106万2,000台を見通す。

北米生産も増強する。現地Subaru of Indiana Automotive, Inc.(SIA)工場では、7月から旧カムリラインでスバル車(アウトバック)の本格生産を開始。さらに11月からは、北米向けインプレッサ生産を米国に移管して生産能力を引き上げた。これにより、北米現地生産は年間39万4,000台へとほぼ倍増し、2018年度には43万6,000台に増えるという。

米国工場での本格生産が始まっている「アウトバック」

米国でビジネスモデルを守っていけるか

トランプ政権の誕生を控える米国では、メキシコがらみの北米自由貿易協定(NAFTA)の動向や経済政策に関心が集まっている。自動車市場のピークアウトも懸念材料だ。その中にあって、スバルは現地生産の増強でこれまでの需給ギャップを埋める流れを作った。吉永社長は「確かに米国市場のピークアウトや各社のインセンティブ積み増しなど楽観はできない。ただし、スバルのタマ不足は全需に支えられたのではなく、スバル車自体の伸びによるもの。(SIA増強で)現地の供給が改善され、販売店は存分に売れることになる。ただ、これからはその“舵取り”が大事になる」という。

つまり、北米で培ったスバルのビジネスモデルをいかに守っていけるかが大事だということを強調する。“北米一本足打法”といわれようが、スバルとしてはブランド力を磨き、インセンティブ競争に陥ることなく、品薄程度で高い台当たり利益をキープしていくことが生きる道ということだろう。

生き残りを賭けた試行錯誤の果てに

来年4月、富士重工業は、前身の飛行機研究所(後の中島飛行機)の創立100周年を機にスバル(SUBARU)に社名を変更し、ようやくにして名実ともにブランド・社名が統一される。

ようやくと言うのは、過去、歴代の社長が社名変更を検討していたが、なかなか富士重工業から変えきれなかったからだ。その理由は航空機事業や産業機器事業、バスボディ事業など、その生い立ちから多角的事業を抱えていたからに他ならない。なおかつ、1990年代末までは日産との資本提携関係で日産グループにあり、社長も日産や日本興業銀行から送り込まれてきた歴史的経緯もある。

スバルはかつて、「てんとう虫」の愛称で親しまれた軽自動車「スバル360」を生み出し、それが軽自動車の先駆けとなった。その後も水平対向エンジン、四輪駆動の技術力で玄人好みの「スバリスト」と呼ばれるスバル車ファンは少なからず固定化されていた。

てんとう虫の愛称で親しまれた「スバル360」

しかし、スバルには規模の問題が付きまとう。米国に進出した当時、現地工場はいすゞ自動車との合弁だったし、日産グループとしての位置づけは、日産が仏ルノーの傘下に入ったことで終わりを告げた。今度は米GMとの資本提携でGMグループ入りしたが、GMの業績悪化を受けてトヨタとの資本提携に移るなど、スバルは生き残りを賭けた試行錯誤を経験してきたのだ。規模の観点から見ると、スバルはどこかのグループに入らざるを得ない自動車メーカーだといえる。

だが、トヨタとの資本提携以降、思い切った「経営の選択と集中」に打って出たことが、今日の営業利益率の高さ、収益力向上に結びついた。

営業出身の吉永体制、「選択と集中」経営が奏功

旧中島飛行機が前身であるだけに、スバルの技術力には定評があったが、富士重工業という社名のように「重いイメージ」もあったため、社風も技術屋が強い感があった。

現在の吉永社長が就任したのが2012年6月。国内営業出身として初の社長だった。吉永社長は、強い技術屋集団を尊重しつつ、スバルに求められるニーズをブランド化に結びつける取り組みを積極的に進めた。

加えて、軽自動車の開発・生産から撤退(ダイハツ工業から軽自動車OEM供給を受ける)し、コンパクトカーの開発・生産も止めて、米国にリソースを集中させた。トヨタと共同でスポーツカーを開発(トヨタ86・スバルBRZ)し、スバル群馬工場で生産・供給するなどトヨタとのグループ間協業も進めていった。

トヨタと共同開発したスポーツカー「BRZ」

「北米で成功して利益がでれば、国内向けの開発ができる。軽自動車の開発・生産からの撤退など、選択と集中は重い決断だったが、スバルがグローバルで生き残るためだった」と、吉永社長は述懐する。そして吉永体制は、北米での高い収益率を核にして快進撃をみせてきた。

今回、日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞した「インプレッサ」も、次世代スバルの幕開けにふさわしいモデルに仕上げたと自信の投入である。次世代プラットフォーム採用第1弾の戦略車であり、スバルの特徴である「安心と愉しさ」を提供したのが評価された。

次世代スバルの幕開けを告げる「インプレッサ」が日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞

そしてスバルのこれからだが、“北米一本足打法”と揶揄されても、そのビジネスモデルを一貫して展開できるのであれば、北米事業は全体の収益構造における大きな寄与になり続ける。為替の大きな振れへの対応力をつけることは課題だろう。今期は下期で1ドル=100円想定の為替で減益予想だが、それでも営業利益率は10%台をキープする。

2020年に向けた中期経営ビジョン「際立とう2020」の期間中、自動車メーカーとしては小規模だが「強い特徴を持つ質の高い企業」となるべく、よりブランド力を磨き、強い事業構造を創ることで、持続的成長を実現できるか。かつて、スバルのトップから「アウディのような自動車メーカーになりたい」との声をよく聞いたが、スバルが“日本のアウディ”として生き残っていけるかどうかに注目したい。

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その面倒な組織カルチャー、印鑑が原因ですよ

2019.03.18

印鑑業界による印鑑文化の優位性アピールが話題

会社経営者として感じる、捺印作業の面倒さ

「サイン文化」と「印鑑文化」で変わる組織カルチャー

行政手続きのオンライン化を目指す「デジタル手続き法案」をめぐり、全日本印章業協会がアピールした「印鑑のメリット」が話題になっている

「代理決済できるという印章の特長が、迅速な意思決定や決済に繋がり、戦後の日本経済の急速な発展にも寄与してきた」(原文ママ)というものだ。

「ハンコならこっそり代理決済ができる」などと、身も蓋もなく自ら印鑑廃止を後押ししてしまいかねない意見が出てしまったことは興味深い。
でも僕は、ただのバイオテクノロジー屋なので、ITを活用した効率化しますよ業界の回し者でもなければ、印鑑業界の人を敵に回すメリットだってないので、特にこの点について深く言及しないし、「日本における今後のハンコをどうするべきか」なんてことを掘り下げて云々するつもりもない。

ただ、日本を含む4カ国でスタートアップを立ち上げた経験から、企業の組織カルチャー形成に、承認方法としての「印鑑」と「サイン」の違いが、とても大きな影響を与えているのではと実感した話を書いておきたい。

日々、何かと多すぎるハンコ作業

まず共有しておきたい事実は、日本で会社を経営すると、毎日ものすごい数の代表印や銀行印や社印を押さなければいけないということだ。(会社の印鑑って3種類あるの知ってました?)

お客さんと契約してお金をいただくときに契約書に捺印するのはイメージできると思うが、その後もお金が銀行口座に無事入るまで、受領やらなにやら契約書だけでなく、さまざまな書類にとにかく捺印をしまくる必要がある。

また、家賃を払う、プリンターのトナーが切れる、実験試薬を買うなどなど、とにかく会社を運営する活動の一つ一つに対して、それぞれ細かくおびただしい数の印鑑を押す。法人が国や地方自治体に税金を払う時はもちろん、社員のあれこれも、例えば社員の誰かが結婚したり引っ越したりするだけでも印鑑を押しまくる。自分で会社をやってみてつくづくわかったが、とにかく捺印の数が膨大だ。

しかも、びっくりすることに、民間企業も市町村も、同じことをするために、それぞれがまったく違うフォーマットの書類に捺印を求めてくる。

こうして、大量な上にフォーマットがまったく違う書類を毎日渡されて、決められた位置に決められた種類の捺印をすることは、仮に契約書や書類の中身をまったくチェックしないで無責任に捺印したとしても、結構な時間を必要とする作業だ。

捺印にかける時間が惜しい

しかもうわの空で押していると、銀行印を押すべきところに代表印を押し間違えてしまったり、インクが簡単にかすれてしまったりするのが印鑑だ。人生において、こんな捺印ミスなどという程度のことで書類を作り直してもらう羽目になった回数を考えただけで、こんな単純な作業に失敗する情けなさとと、書類を作ってくれる従業員への申し訳なさで、どこかに隠れてしまいたい気持ちになる。

そう、僕は毎日、隠れてしまいたい気持ちになっているのだ。

なぜ、日本から印鑑はなくならないのか

我々の会社のように、たとえ社長だろうがあっちこっちに、営業に謝罪にと、せわしなく飛び回わることで、なんとか会社の体を保っているような規模の企業の方が世の中には多いと思う。そんな"貧乏暇なし社長”がこの捺印という物理的作業に忙殺される時間というのは、正直いって無駄以外の何物でもない。

にもかかわらず印鑑を押すという文化が日本に残っているのは「捺印するという作業」は、誰かに頼めてしまうからなのだと思う。多くの会社において「捺印をし続けるという作業」を自分でやっている社長はあまり居ないのかもしれず、ここが、すべて自ら書かなければいけないサインとの最大の違いなのだろう。

ちなみに、僕の場合は「捺印をし続けるという作業」だけを人に頼むような仕事の依頼の仕方は好みではないので、あちこちに会社を立ち上げては、担当者に「代表取締役」の役職ごと譲るようにしている。

海外の「サイン文化」は印鑑以上に面倒?

冒頭にも書いたが、僕は日本以外の3カ国でも会社を経営している。言うまでもなく日本以外の国は、承認の証としては「サイン」が一般的だ。

日本の会社同士の契約書の場合は、代表者の名前の脇に代表印と社印を、契約書を閉じた裏面に割印を一カ所押す形式であることが多い。つまり、二者間の契約であれば、先方用の契約書と当方用の契約書をあわせて、計4カ所の代表印と計2カ所の社印を押せばよい。

ところが、海外の契約書は、すべてのページにサインをしなければならない。海外の契約書は「実際にそんなことは起きないって」ってくらい、ありとあらゆる場面を想定した契約書になっていることが多く、とにかく契約書が長い。

感覚として、同じような内容の契約をするのに、日本の会社同士の契約の5倍~10倍のページ数になっても驚かない。

つまり、ちょっとした契約書でも軽く100ページを超えてくるわけだが、このすべてのページに手書きでサインをすることを想像して欲しい。契約書の中身を読んでただただサインを書き続けていると、「こんな作業に時間を使い続けてていいのだろうか」という自問の気持ちが芽生えてくる。

その組織カルチャーの差、ハンコとサインの差が原因ですよ

言うまでもなく、サインは誰かに代わりに書いてもらうことはできない。では、サインを書く物理的な時間を減らすために、何が起こるのかというと、「権限委譲」が進むのである。

日本の会社だと当たり前のように社長の名前で締結する規模の契約でも、海外の会社だと担当部長あたりの名前で契約を締結してくる。

もしかしたら、日本の会社のカルチャーだとそれは失礼なことに当たるのかもしれないが、サインを前提とした会社において、会社のすべての契約を社長名義で契約していたら、社長の一日は「サインを書く」という作業だけで終わってしまう。だから、どんどん権限委譲をしていくしかない。

日本の大企業の合意形成や意思決定のあり方を分析する文脈において、「日本の会社は権限委譲が進んでいない」とか、「プロジェクトごとの意思決定者の所在がよくわからないから、スピード感が遅くなってグローバル競争に負けてしまう」などという指摘を頻繁に見る。

特に近年流行りの「日本企業のホワイトカラーの生産性を高めましょう」という議論の多くでは、日本企業のこういった特殊性の原因を、日本人の歴史的・文化的背景や、国民性が理由であると結論づけている。

だからもっぱら、風通しがよく責任範囲が明確で、意思決定の早い会社にするために、せっせと組織構造をいじったり、管理職に研修をしたりと、コンサル屋さんが儲かるだけの努力に大きなお金を払うことになっているのだが、大きな効果が得られているようにみえない。

僕の考えは、特殊性の理由がちょっと違っていて、「その組織カルチャーの差って、捺印とサインの差が本質的な原因ですよ」と、わりと確信に近い自信を持っている。

捺印の作業だけを誰かに頼むのではなく、捺印をする権限ごとどんどん頼んでしまえばいい。ハンコにウンザリしている世の中の社長さん、そう思いません?

(藤田朋宏:ちとせグループ 創業者 兼 最高経営責任者)

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鋭すぎる言葉で物議を醸す「子供部屋おじさん」論議

カレー沢薫の時流漂流 第32回

鋭すぎる言葉で物議を醸す「子供部屋おじさん」論議

2019.03.18

漫画家・コラムニスト カレー沢薫さんの社会派連載!

第32回は、実家暮らしの男性に降りかかる「子供部屋おじさん」論議について

「子供部屋おじさん」という言葉が注目されている。言葉自体は2014年あたりからあったそうだが、今また脚光を浴びているそうだ。

「○○おじさん」「○○おばさん」という呼称には、「アイカツおじさん」のように秀逸かつもはや「Sir」級の「称号」と言って良いものもあるが、大体が蔑称である。

その中でもこの「子供部屋おじさん」の蔑視ぶりたるや、である。意味はわからなくても本能で「馬鹿にされている」と察することができる。

「子供部屋おじさん」とはどんなおじさんを指すかというと、成人しても親元を離れず実家の「子供部屋」で暮らし続けるおじさんのことである。「パラサイトシングル」を、言われた相手の血管が切れるように魔改造した言葉だ。言葉としては「上手いこと言うな」と感嘆するしかない。

単に「実家住みのおじさん」という意味ではなく、「いい年をして親から自立せず、自分では何も出来ない、中身は子どものままのおじさん」という痛烈な批判が込められている。

この「子供部屋おじさん」は、ひきこもりやニートとは違い、仕事はちゃんとしている場合が多い。だが逆に「実家を出ようと思えば出られるのに出ない」という点が余計「甘え」と見なされ、ここまでの鬼煽りを食らう羽目になったとも言える。

このように世間からみっともないと思われがちな「実家住みの成人」だが、本当に彼らは社会の病巣であり、親から見れば寄生虫なのだろうか。

一人暮らしは今や「修行」かもしれない

子供部屋おじさん含むパラサイトシングルにも言い分はある。まず「実家から出るメリットが見いだせない」という理由だ。

実家が持ち家の場合、一人暮らしをするよりも実家住みの方が経済的には圧倒的有利だ。親側からしても、純粋に寄生されるのは厳しいが、生活費などを入れてもらえるなら、逆に助かるという場合もある。

また職場からの距離も実家から通った方が近いと言うなら、わざわざ経済的負担を負いながら、場合によっては遠距離通勤をする「一人暮らし」というのは「修行」という意味しかなく、昨今盛んに言われる「コスパ」「合理化」という観点から見ると「正気か」というような無駄でしかない。そのため、インフルエンサー的な人が一発「まだ一人暮らしで消耗してんの?」と言えば、容易に世論が傾いてしまいそうな気がする。

しかし「修行という意味しかない」と言っても、その「修行」に意味がないわけではない。一人暮らしが人間に自立と成長を促すのは確かである、自分のことは全て自分でやらなければいけないのだから当然だ。

逆に、衣食住が保証された実家で、お母さんにご飯と身の周りの世話を全部やってもらっていたら確かに子供となんら変わりないし、もし仮に結婚して家を出たとしても、今度は嫁に母親と同じことを求めるだろう。

結果として、「見た目は中年、中身は子供、価値観は団塊」というバランス感覚皆無の生物が爆誕することになりかねない。そういった意味では、いかに合理的でなかろうが、一人暮らしをする意味はあると言える。

だが、親の方が子どもに「実家にいてほしい」と望むケースもある。

前に「増加する共倒れ家庭」という、タイトルからして明るい要素皆無のテレビ番組を見たことがある。老齢一人暮らしの父親の元に、非正規雇用で自活できない息子が帰ってきて、そのせいで生活保護が打ち切られ、ますます困窮するというマジで暗い所しかない話だった。

しかし、父親の方が息子に対し「迷惑だから出て行ってほしい」と思っていたかというと、そうではなく「自分が老齢で何があるかわからないので居てほしい」と言っていたのだ。

このように、高齢の親からすれば、子供がいてくれるのは「安心」という面もある。ほかにも、介護のために実家に戻って来た者もいるのだから、一概に「子供部屋おじさん」とバカにすることはできない。

「子供部屋おじさん」がここまで燃える理由

そして、この「子供部屋おじさん」に今更激烈な反応が起こっているのは、「おじさん」と性別が限定されているからだろう。

当然「子供部屋おばさん」だって存在する。私も結婚して家を出るまで実家にいたし、成人すぎても小学校入学の時買ってもらった学習机を使っており、もちろん身の周りのことは母親を越えてババア殿にやってもらっていたという、どこに出しても恥ずかしくない「子供部屋おばさん」だった。親は私を家から出すのに相当勇気がいったと思う。

しかし、バカにされているのは専ら「子供部屋おじさん」の方で、言葉自体も「ブサイク」には「ブス」ほどの破壊力がないように、「おばさん」より「おじさん」の方がどう考えても「強く」感じる。

「子供部屋おばさん」にパンチが足りないのは言外に「女はまあ実家住みでもいいんじゃね?」という見逃しがあり、逆に男には「男のくせにいつまでも親の世話になってみっともない」という、男女差別があるせいではないだろうか。

ネットを開けば、ジェンダー問題で毎日ひとつは村が燃えている昨今である。「子供部屋おじさん」が、そっちの観点でアンコール炎上しても不思議ではない。

当然だが、一家の家計を支え、親の介護をしながら家事までやっている「子供部屋おじさん」もいれば、ろくに家に金もいれず、親に三食用意してもらっている「子供部屋おばさん」もいる。もちろんこれはおじさん・おばさんを入れ替えたって言えることだ。

男だから、女だから、で言い切りが出来ないように「実家暮らし」という属性一つでは何も断言することは出来ないのである。

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