富士通が期待のAIビジネスを開始へ、後発参入もチャンスはあるか

富士通が期待のAIビジネスを開始へ、後発参入もチャンスはあるか

2016.12.21

富士通は同社が開発・体系化したAIソリューション「Zinrai」を中心としたサービス5種を開発し、順次販売を開始する。大小様々な規模の企業がAIに参入してきた中、富士通の参入は後発にあたる。富士通のAIビジネスに勝機はあるのだろうか。

「Human Centric AI」と銘打って同社が研究・開発・体系化を進めてきたAI製品を「Zinrai」と呼ぶ

富士通におけるAIビジネスの位置付けとは

富士通は2015年11月に「Human Centric AI」と銘打って同社が研究・開発・体系化を進めてきたAI製品を「Zinrai」と名付け、発表した。富士通とAIとはあまり縁がないように思えるが、同社は1980年代から30年以上にわたって同社の研究機関である富士通研究所で人工知能に関する研究開発を進めており、そこから生まれたセンシング技術、知覚・認識(画像処理、音声処理、状況認識など)、知識化(自然言語処理、パターン発見など)、判断・支援といった技術の総称を「Zinrai」とブランド化したものだ。

富士通は同社の新しいビジネスモデルとして「つながるサービス」を挙げ、AI、IoT、クラウド、セキュリティの各分野への集中投資を行うとしており、Zinraiはこの中核を担う存在となる

販売開始がアナウンスされた5つのサービスは「Zinraiプラットフォームサービス」「Zinraiディープラーニング」「Zinrai活用コンサルティングサービス」「ZInrai導入サービス」「Zinrai運用サービス」の5種類。「Zinraiプラットフォームサービス」はAI機能の中でも特にニーズが高く実用性も高いものをピックアップし、基本API21種、目的別API9種の合計30種を提供するというもの。たとえば画像認識や音声のテキスト化といった機能を素早く使いたい場合には、0から開発せずとも、このプラットフォームサービスを導入すればいいわけだ。

AIを使ったサービスそのものがZinraiプラットフォームサービスとなる。当初は30種類のAPIが提供されるが、これは将来的に拡張される予定

「Zinraiディープラーニング」は、Zinraiプラットフォームサービスの土台となるハードウェアおよびソフトウェア技術の総称で、NVIDIAのTesla P100ベースのハードウェアに、富士通が得意とし、スーパーコンピュータの開発で築き上げてきた並列処理技術をベースとする高速ディープラーニング処理を組み合わせることで、世界最速クラスを謳う学習システムを提供するもの。これと前述したZinraiプラットフォームサービスのAPIを組み合わせて利用するのが基本セットと言っていいだろう。

そしてAIの導入経験が浅い企業などに対し、富士通のAI専任コンサルタントが経営課題やニーズから最適なAI活用シナリオを導き出す「Zinrai活用コンサルティングサービス」、AIシステムの設計および構築を支援する「Zinrai導入サービス」、AI導入後の学習モデルのメンテナンスを行う「Zinrai運用サービス」の3種類が用意される。ソフトウェア開発の基盤からハードウェア、そして実際の運用やメンテナンスまで、幅広いニーズに応えられるのがZinraiの強みと言えるだろう。

ライバルに対する強みはどこに?

Zinraiは昨年の発表以来、すでに300件を超える問い合わせを集めており、すでにコールセンターや金融関連の窓口業務支援、あるいは翻訳、AIロボティクスといった分野での導入事例も登場しているという。Zinraiを使った産官学が連携しての研究開発もスタートしているとのことで、スタートダッシュは後発の割に悪くはない。とはいえ、AI開発は今やIT業界でも最も競争の激しい分野といってよく、IBMやグーグルといった世界規模の巨人から、設立間もないベンチャーまで、無数のライバルがひしめいている。並み居るライバルたちに対して富士通ならではの強みといえるものはどこにあるのだろうか。

Zinrai自体はすでに導入事例が複数あり、いくつかの分野では成果物となって商品化されているものもある。後発のサービスながら実績は着実に積み上がっている

まず第一に考えられるのは、国内でのシステム開発の実績とコネクションだ。既存のシステムが富士通製であれば、そこにAIを組み合わせたいという相談も受けやすく、担当者から開発チームまでが国内にいるため、海外の企業と比べるとレスポンスも早くなることが期待できる。深いところまで日本語で相談できるというのも安心感につながるだろう。開発力のない企業にも手厚いコンサルティングやサポートを提供できるのは富士通ならではの強みになりうる。

また、ハードウェアの開発技術があるところも、他社に対するアドバンテージのひとつと言っていいだろう。富士通はZinrai用のサーバーに完全液浸冷却技術を導入したり、スーパーコンピュータ「京」の開発で培ったノウハウを活用し、消費電力あたりの性能でGPUを大幅に上回る性能を叩き出すディープラーニング専用のAIプロセッサ「DLU」を発表している。AI専用プロセッサの開発はグーグルなども行なってはいるが、富士通が得意とする省電力設計は、大規模なサーバーファームなどに導入する際には大きなアドバンテージになる。Zinraiはクラウドだけでなくオンプレミスでの展開も可能だが、これもハードウェアまで設計・製造できる富士通の強みのひとつだ。

特殊な水に完全に水没させることで冷却効率を大幅に向上させている。熱対策が重要な課題になるサーバーファームでの電力消費を大幅に減少する意味でも貴重な技術だ
現在はGPUによるディープラーニングの高速化が主流だが、ソフトウェアや並列処理の最適化を進めることで、さらに消費電力あたりの性能を向上させられるAIプロセッサも開発中。CPUまで設計・製造できる富士通の強みといえるだろう

富士通に残された課題

一方、国内向けには安定感があるものの、海外での展開には若干不安も残る。富士通は国内IT大手3社(富士通、NEC、日立)の中では海外比率が高いほうで、海外進出が進んでいると言えるが、たとえばIBMやオラクル、マイクロソフトなど、なみいる強豪と比べるとまだまだ存在感が薄い。Zinraiそのものは海外でも十分競争力を持った製品と言えるが、海外でも日本と同等のサポートやサービスを展開できるかどうかが、今後の発展に大きく関わってくるように思われる。また、AI関連は進化著しい分野だけに、新しい技術が導入されればすぐにそれらに対応していく必要があるが、果たしてそれがどこまで可能だろうか。グーグルらのように新しい技術やその成果を派手にアピールしていく積極性も求められるだろう。

富士通は2020年度末までにAI関連ビジネスの累計売上を3,200億円とする目標を掲げている。富士通の2015年度の売り上げが4兆7,392億円、国内のSI事業が1兆109億円であることを考えると、5年間の累計で3,200億円(=1年あたり640億円)というのは、数字だけを見れば、富士通にとってそれほど難しい目標には見えない。しかし、富士通が今後AI市場での商機を掴んでいけるかは、海外市場での成功や、新技術を継続的に開発し続けていく開発力の充実にかかっているのではないだろうか。

その面倒な組織カルチャー、印鑑が原因ですよ

藤田朋宏の必殺仕分け人 第4回

その面倒な組織カルチャー、印鑑が原因ですよ

2019.03.18

印鑑業界による印鑑文化の優位性アピールが話題

会社経営者として感じる、捺印作業の面倒さ

「サイン文化」と「印鑑文化」で変わる組織カルチャー

行政手続きのオンライン化を目指す「デジタル手続き法案」をめぐり、全日本印章業協会がアピールした「印鑑のメリット」が話題になっている

「代理決済できるという印章の特長が、迅速な意思決定や決済に繋がり、戦後の日本経済の急速な発展にも寄与してきた」(原文ママ)というものだ。

「ハンコならこっそり代理決済ができる」などと、身も蓋もなく自ら印鑑廃止を後押ししてしまいかねない意見が出てしまったことは興味深い。
でも僕は、ただのバイオテクノロジー屋なので、ITを活用した効率化しますよ業界の回し者でもなければ、印鑑業界の人を敵に回すメリットだってないので、特にこの点について深く言及しないし、「日本における今後のハンコをどうするべきか」なんてことを掘り下げて云々するつもりもない。

ただ、日本を含む4カ国でスタートアップを立ち上げた経験から、企業の組織カルチャー形成に、承認方法としての「印鑑」と「サイン」の違いが、とても大きな影響を与えているのではと実感した話を書いておきたい。

日々、何かと多すぎるハンコ作業

まず共有しておきたい事実は、日本で会社を経営すると、毎日ものすごい数の代表印や銀行印や社印を押さなければいけないということだ。(会社の印鑑って3種類あるの知ってました?)

お客さんと契約してお金をいただくときに契約書に捺印するのはイメージできると思うが、その後もお金が銀行口座に無事入るまで、受領やらなにやら契約書だけでなく、さまざまな書類にとにかく捺印をしまくる必要がある。

また、家賃を払う、プリンターのトナーが切れる、実験試薬を買うなどなど、とにかく会社を運営する活動の一つ一つに対して、それぞれ細かくおびただしい数の印鑑を押す。法人が国や地方自治体に税金を払う時はもちろん、社員のあれこれも、例えば社員の誰かが結婚したり引っ越したりするだけでも印鑑を押しまくる。自分で会社をやってみてつくづくわかったが、とにかく捺印の数が膨大だ。

しかも、びっくりすることに、民間企業も市町村も、同じことをするために、それぞれがまったく違うフォーマットの書類に捺印を求めてくる。

こうして、大量な上にフォーマットがまったく違う書類を毎日渡されて、決められた位置に決められた種類の捺印をすることは、仮に契約書や書類の中身をまったくチェックしないで無責任に捺印したとしても、結構な時間を必要とする作業だ。

捺印にかける時間が惜しい

しかもうわの空で押していると、銀行印を押すべきところに代表印を押し間違えてしまったり、インクが簡単にかすれてしまったりするのが印鑑だ。人生において、こんな捺印ミスなどという程度のことで書類を作り直してもらう羽目になった回数を考えただけで、こんな単純な作業に失敗する情けなさとと、書類を作ってくれる従業員への申し訳なさで、どこかに隠れてしまいたい気持ちになる。

そう、僕は毎日、隠れてしまいたい気持ちになっているのだ。

なぜ、日本から印鑑はなくならないのか

我々の会社のように、たとえ社長だろうがあっちこっちに、営業に謝罪にと、せわしなく飛び回わることで、なんとか会社の体を保っているような規模の企業の方が世の中には多いと思う。そんな"貧乏暇なし社長”がこの捺印という物理的作業に忙殺される時間というのは、正直いって無駄以外の何物でもない。

にもかかわらず印鑑を押すという文化が日本に残っているのは「捺印するという作業」は、誰かに頼めてしまうからなのだと思う。多くの会社において「捺印をし続けるという作業」を自分でやっている社長はあまり居ないのかもしれず、ここが、すべて自ら書かなければいけないサインとの最大の違いなのだろう。

ちなみに、僕の場合は「捺印をし続けるという作業」だけを人に頼むような仕事の依頼の仕方は好みではないので、あちこちに会社を立ち上げては、担当者に「代表取締役」の役職ごと譲るようにしている。

海外の「サイン文化」は印鑑以上に面倒?

冒頭にも書いたが、僕は日本以外の3カ国でも会社を経営している。言うまでもなく日本以外の国は、承認の証としては「サイン」が一般的だ。

日本の会社同士の契約書の場合は、代表者の名前の脇に代表印と社印を、契約書を閉じた裏面に割印を一カ所押す形式であることが多い。つまり、二者間の契約であれば、先方用の契約書と当方用の契約書をあわせて、計4カ所の代表印と計2カ所の社印を押せばよい。

ところが、海外の契約書は、すべてのページにサインをしなければならない。海外の契約書は「実際にそんなことは起きないって」ってくらい、ありとあらゆる場面を想定した契約書になっていることが多く、とにかく契約書が長い。

感覚として、同じような内容の契約をするのに、日本の会社同士の契約の5倍~10倍のページ数になっても驚かない。

つまり、ちょっとした契約書でも軽く100ページを超えてくるわけだが、このすべてのページに手書きでサインをすることを想像して欲しい。契約書の中身を読んでただただサインを書き続けていると、「こんな作業に時間を使い続けてていいのだろうか」という自問の気持ちが芽生えてくる。

その組織カルチャーの差、ハンコとサインの差が原因ですよ

言うまでもなく、サインは誰かに代わりに書いてもらうことはできない。では、サインを書く物理的な時間を減らすために、何が起こるのかというと、「権限委譲」が進むのである。

日本の会社だと当たり前のように社長の名前で締結する規模の契約でも、海外の会社だと担当部長あたりの名前で契約を締結してくる。

もしかしたら、日本の会社のカルチャーだとそれは失礼なことに当たるのかもしれないが、サインを前提とした会社において、会社のすべての契約を社長名義で契約していたら、社長の一日は「サインを書く」という作業だけで終わってしまう。だから、どんどん権限委譲をしていくしかない。

日本の大企業の合意形成や意思決定のあり方を分析する文脈において、「日本の会社は権限委譲が進んでいない」とか、「プロジェクトごとの意思決定者の所在がよくわからないから、スピード感が遅くなってグローバル競争に負けてしまう」などという指摘を頻繁に見る。

特に近年流行りの「日本企業のホワイトカラーの生産性を高めましょう」という議論の多くでは、日本企業のこういった特殊性の原因を、日本人の歴史的・文化的背景や、国民性が理由であると結論づけている。

だからもっぱら、風通しがよく責任範囲が明確で、意思決定の早い会社にするために、せっせと組織構造をいじったり、管理職に研修をしたりと、コンサル屋さんが儲かるだけの努力に大きなお金を払うことになっているのだが、大きな効果が得られているようにみえない。

僕の考えは、特殊性の理由がちょっと違っていて、「その組織カルチャーの差って、捺印とサインの差が本質的な原因ですよ」と、わりと確信に近い自信を持っている。

捺印の作業だけを誰かに頼むのではなく、捺印をする権限ごとどんどん頼んでしまえばいい。ハンコにウンザリしている世の中の社長さん、そう思いません?

(藤田朋宏:ちとせグループ 創業者 兼 最高経営責任者)

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2019.03.18

漫画家・コラムニスト カレー沢薫さんの社会派連載!

第32回は、実家暮らしの男性に降りかかる「子供部屋おじさん」論議について

「子供部屋おじさん」という言葉が注目されている。言葉自体は2014年あたりからあったそうだが、今また脚光を浴びているそうだ。

「○○おじさん」「○○おばさん」という呼称には、「アイカツおじさん」のように秀逸かつもはや「Sir」級の「称号」と言って良いものもあるが、大体が蔑称である。

その中でもこの「子供部屋おじさん」の蔑視ぶりたるや、である。意味はわからなくても本能で「馬鹿にされている」と察することができる。

「子供部屋おじさん」とはどんなおじさんを指すかというと、成人しても親元を離れず実家の「子供部屋」で暮らし続けるおじさんのことである。「パラサイトシングル」を、言われた相手の血管が切れるように魔改造した言葉だ。言葉としては「上手いこと言うな」と感嘆するしかない。

単に「実家住みのおじさん」という意味ではなく、「いい年をして親から自立せず、自分では何も出来ない、中身は子どものままのおじさん」という痛烈な批判が込められている。

この「子供部屋おじさん」は、ひきこもりやニートとは違い、仕事はちゃんとしている場合が多い。だが逆に「実家を出ようと思えば出られるのに出ない」という点が余計「甘え」と見なされ、ここまでの鬼煽りを食らう羽目になったとも言える。

このように世間からみっともないと思われがちな「実家住みの成人」だが、本当に彼らは社会の病巣であり、親から見れば寄生虫なのだろうか。

一人暮らしは今や「修行」かもしれない

子供部屋おじさん含むパラサイトシングルにも言い分はある。まず「実家から出るメリットが見いだせない」という理由だ。

実家が持ち家の場合、一人暮らしをするよりも実家住みの方が経済的には圧倒的有利だ。親側からしても、純粋に寄生されるのは厳しいが、生活費などを入れてもらえるなら、逆に助かるという場合もある。

また職場からの距離も実家から通った方が近いと言うなら、わざわざ経済的負担を負いながら、場合によっては遠距離通勤をする「一人暮らし」というのは「修行」という意味しかなく、昨今盛んに言われる「コスパ」「合理化」という観点から見ると「正気か」というような無駄でしかない。そのため、インフルエンサー的な人が一発「まだ一人暮らしで消耗してんの?」と言えば、容易に世論が傾いてしまいそうな気がする。

しかし「修行という意味しかない」と言っても、その「修行」に意味がないわけではない。一人暮らしが人間に自立と成長を促すのは確かである、自分のことは全て自分でやらなければいけないのだから当然だ。

逆に、衣食住が保証された実家で、お母さんにご飯と身の周りの世話を全部やってもらっていたら確かに子供となんら変わりないし、もし仮に結婚して家を出たとしても、今度は嫁に母親と同じことを求めるだろう。

結果として、「見た目は中年、中身は子供、価値観は団塊」というバランス感覚皆無の生物が爆誕することになりかねない。そういった意味では、いかに合理的でなかろうが、一人暮らしをする意味はあると言える。

だが、親の方が子どもに「実家にいてほしい」と望むケースもある。

前に「増加する共倒れ家庭」という、タイトルからして明るい要素皆無のテレビ番組を見たことがある。老齢一人暮らしの父親の元に、非正規雇用で自活できない息子が帰ってきて、そのせいで生活保護が打ち切られ、ますます困窮するというマジで暗い所しかない話だった。

しかし、父親の方が息子に対し「迷惑だから出て行ってほしい」と思っていたかというと、そうではなく「自分が老齢で何があるかわからないので居てほしい」と言っていたのだ。

このように、高齢の親からすれば、子供がいてくれるのは「安心」という面もある。ほかにも、介護のために実家に戻って来た者もいるのだから、一概に「子供部屋おじさん」とバカにすることはできない。

「子供部屋おじさん」がここまで燃える理由

そして、この「子供部屋おじさん」に今更激烈な反応が起こっているのは、「おじさん」と性別が限定されているからだろう。

当然「子供部屋おばさん」だって存在する。私も結婚して家を出るまで実家にいたし、成人すぎても小学校入学の時買ってもらった学習机を使っており、もちろん身の周りのことは母親を越えてババア殿にやってもらっていたという、どこに出しても恥ずかしくない「子供部屋おばさん」だった。親は私を家から出すのに相当勇気がいったと思う。

しかし、バカにされているのは専ら「子供部屋おじさん」の方で、言葉自体も「ブサイク」には「ブス」ほどの破壊力がないように、「おばさん」より「おじさん」の方がどう考えても「強く」感じる。

「子供部屋おばさん」にパンチが足りないのは言外に「女はまあ実家住みでもいいんじゃね?」という見逃しがあり、逆に男には「男のくせにいつまでも親の世話になってみっともない」という、男女差別があるせいではないだろうか。

ネットを開けば、ジェンダー問題で毎日ひとつは村が燃えている昨今である。「子供部屋おじさん」が、そっちの観点でアンコール炎上しても不思議ではない。

当然だが、一家の家計を支え、親の介護をしながら家事までやっている「子供部屋おじさん」もいれば、ろくに家に金もいれず、親に三食用意してもらっている「子供部屋おばさん」もいる。もちろんこれはおじさん・おばさんを入れ替えたって言えることだ。

男だから、女だから、で言い切りが出来ないように「実家暮らし」という属性一つでは何も断言することは出来ないのである。

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