"有言実行"をモットーに黒字転換へ、シャープ戴新社長は何を誓ったか

2016.11.24

11月、シャープが2016年度第2四半期(2016年4月~9月期)の決算発表会を実施。シャープに出資して傘下に組み込んだ台湾・鴻海精密工業の副総裁から、シャープの社長に就任した戴正呉氏が初めての決算会見に臨んだ。黒船の襲来をも思わせる新社長は、シャープをどうするつもりなのだろうか。

就任後初めての決算に臨むシャープの戴正呉社長

プラズマクラスターやヘルシオブランドは健在

同社の連結売上高は前年同期から28.1%減と大幅に落ち込んだものの、中国での液晶テレビ事業の体質改善、液晶事業の体質改善などによる固定費削減効果もあり、営業利益は大幅に改善し7000万円の黒字となった(経常利益は-320億円)。

売上高をセグメント別に見ると、IoT通信、健康・環境システム、ビジネスソリューション、カメラモジュール、電子デバイス、エネルギーソリューション、ディスプレイデバイスすべてのセグメントで減少している。

事業セグメント別営業利益

売上高の減収とはうって変わって大幅に改善した営業利益。営業利益の面で大きく気を吐いているのが健康・環境システム部門だ。空気清浄機をはじめとするプラズマクラスター搭載商品、健康家電ブランドとしてオーブンレンジやスロージューサーなどをラインアップする「ヘルシオシリーズ」といった高付加価値商品の販売拡大に加え、経費削減の取り組みなどによって、前年同期比5.2倍の131億円と大幅に黒字が拡大した。

もう一つ大きな成果を出しているのがディスプレイデバイス部門だろう。工場の稼働率低迷などの影響で146億円の赤字になったものの、前年同期の415億円の赤字に対して大幅に縮小。これは前期末に行った構造改革の効果や経費削減の取り組みなどによる効果とのことだ。

業績について説明するシャープの野村勝明副社長

改善の兆しが見えたシャープ。今度こそ期待をかけたいところだが、同社がここに至るまでに進めた、あるいは進めている構造改革とはどんなものだろうか。

戦略的提携の発表から約1カ月後の2016年5月に公表した「早期黒字化に向けた3つの構造改革」、つまり「経営資源の最適化」、「責任ある事業推進体制」、「成果に報いる人事制度」をベースにさまざまな改革を進めてきた。

「経営資源の最適化」については、本社の堺事業所への移転や東京(芝浦)オフィスの(千葉県)幕張ビルへの移転をはじめとした拠点の最適化、香港・Roxyグループとの合弁解消をはじめとする子会社の再編、本社機能・人員の事業部門への移管などの人員の適正化、資金政策などを進めており、野村勝明副社長は「コスト削減の観点からも大きな成果が出ている」と語る。

「経営資源の最適化」への取り組み内容と現状

「責任ある事業推進体制」については、20のビジネスユニットへの再編や収益責任の明確化、知財・物流など機能部門の子会社化をはじめとする分社化経営を進め、集中購買の推進などサプライチェーンの改革も進めてきた。さらにさまざまな構造改革を確実に進めるため、取締役定数削減や決裁権限の厳格化など統制強化にも取り組んでいる。

「責任ある事業推進体制」への取り組み内容と現状

「成果に報いる人事制度」については、年功序列の廃止やメリハリのある報酬制度など信賞必罰のための具体的な制度作りを進めるとともに、各ビジネスユニットの専門化を追求。事業の競争力強化を図るために一律的な人事ローテーション制度の廃止や、事業部門が求める専門性を重視した採用など、採用方針の見直しといった取り組みも進めているという。

「成果に報いる人事制度」への取り組み内容と現状

鴻海グループから出資が完了したこともあり、自己資本比率が-6%(2016年度第1四半期末)から15.3%になり、債務超過を解消。純有利子負債も大幅に改善した。

16年度下期は先に述べた経営改革の進展に加えて鴻海グループの戦略的提携にともなうシナジー(相乗効果)が具体化することもあり、親会社株主に帰属する四半期純利益が黒字化する見通しとしている。

鴻海とのシナジーは「物流」と「購買」で発揮

2016年度下期の営業利益増減分析の資料で、上期に比べて385億円もの大幅なコストダウン・モデルミックス改善の効果が挙げられていた。そのなかでも注目したいのが鴻海との協業効果による99億円という数字だ。その内容は「物流」と「購買」の協業効果だと戴社長は語った。

2016年度下期の鴻海協業効果は99億円と見積もっている

「物流を分社化し、鴻海の物流会社と協業する形にしました。今までのシャープの物流は専業ではなくいろいろな代理店を経由していたため、すごくコストが高かった。鴻海は全世界で最も大きいEMS(電子機器受託生産メーカー)ですから、部材などの調達のボリュームがすごく大きく、物流コストも低いです。白物と一部のテレビだけ協業しましたが、半年間ですでに20億円の削減ができました。これからディスプレイやソーラーなど、他の事業も含めて進めていきます」(戴社長)

「もう1つが『購買』です。今までのシャープは資金力が弱いため、おそらく(部材などの)ベンダーから有利な条件がいただけていませんでした。もし鴻海の購買と協業したら、そういう高負担を減らすことができます」(戴社長)

社内の不透明さを払拭し、有言実行の企業へ

戴社長が就任して初の決算発表会だったが、今回は中期経営計画の発表が見送られた。その理由について戴社長は「(就任してから)2か月半だけなので、ちょっと無理です。できればIoTなどいろいろな技術をしっかり統合して、来年4月頃に発表したい」と話していた。

その上で強く宣言したのが「有言実行」だった。戴社長は「今までのシャープはあくまでも『有言実行』ではありませんでした」と語る。

2015年7月には2015年度の通期予想を営業利益800億円と発表したが、10月には100億円へと修正。最終的には2559億円もの莫大な赤字を計上したことを指している。社長に就任して2か月半が経過した戴氏だが、そこにはシャープへの不信感が大きく表れていた。

「実際に(シャープの経営の内情が)分からない限り答えられませんから、できれば(中期経営計画の発表を)来年4月にやりたい」とのことだった。

4月に出資契約を結んでから最終的に出資が行われるまで約4カ月がかかったが、その間にシャープの調査を進めた戴社長は「1週間くらいで経営基本方針を作り、1日かけて説明しました」と語る。

「これから何か経営上の問題があればすべて私の責任だから、全部ブレークスルー(打破)したいと思っています。私が一番心配したのは、今までいろいろな責任者が結んだ契約の多くが不平等であることです。これから私が必ず責任を持って交渉に行きますが、私1人(鴻海の副総裁を辞任して)シャープの組織に入ります。シャープ(単体)の力はちょっと弱いので、世界最大のEMS(である鴻海)の力を得て解決したいと思っています」(戴社長)

「不平等契約」というのは、2016年3月期第3四半期連結会計期間(平成27年12月31日)の有価証券報告書「偶発債務」の項にも掲載された内容のことを指す。

1つはソーラーパネルの原材料であるポリシリコンの購入について以前に結んだ契約の中に転売が禁止されているものがあるため、将来使用する見込みがなくなった場合に回収が困難になるというもの。当時の契約残高は約283億円だ。もう1つは堺工場で太陽電池を生産するために必要な電気などの供給についての複数サプライヤーとの長期契約でも、当時の未経過残高が合計で約396億円(残年数は1.75年~13.25年で、いずれも中途解約は不可能)となっていた。

戴社長は「今までの契約を尊重しますが、見直しの余地を見つけて交渉して改善していきたい。購買契約や、ポリシリコン、事業所の建築物の契約などもそうです」と語った。

「ワンシャープ」と「Be Original.」で信頼回復を目指す

決算発表会の中では、すべての事業部や社員が一致団結して成長軌道への転換を目指す「ワンシャープ」と、創業精神である「誠意と創意」を追求する「Be Original.」が掲げられた。

今後再建するために「今の事業を全部しっかりやっていきたい」と語りつつも、カギとなるのは「IoT(もののインターネット)」だと戴社長は強調した。

「IoTは、今シャープが持っている白物テレビやソーラーパネル、ディスプレイ、センサーなどのデバイスやソフトウエアなど全部をつなげることができます。だからIoTがワンシャープを一番達成できる技術だと思います」

IoTでさまざまな機器やサービスがつながれば、スマートハウスやスマートオフィス、スマートファクトリー、さらにはスマートコミュニティー、スマートシティーへと広がっていく。

「ここも鴻海と協業できるところですので、シャープにとって一番強いところかもしれません。日本のP社(パナソニック)もスマートコミュニティーを手がけていますが、なぜかシャープはできません。まずは近いところの(足下の)商品、事業をがんばってほしいと思っています」(戴社長)

経営破たんによって生じたシャープのイメージや信頼の低下は計り知れない。粉飾決算によって白物家電事業を中国のマイディアグループ(美的集団)売却した東芝の白物家電なども同様だ。ある家電量販店の副店長は「シャープや東芝が外資傘下に入ったことで、お客様にも敬遠される動きがあります」と語る。筆者としては実態とはかけ離れたイメージだと考えるが、一般消費者が持つ印象としては理解できる部分もある。

かつて、1990年代から「目の付けどころが、シャープでしょ。」というキーワードを掲げていたシャープ。プラズマクラスターブランドのほか、いち早く「健康調理」をうたったヘルシオブランドなど、家電製品の分野では着実にプレゼンスを上げてブランド力を向上してきた。コミュニケーションロボットの「RoBoHoN」や、東南アジアで開発を進めた「蚊取空清」など、シャープならではの“とがった”製品作りは最近でも進められている。

戴社長は出身である鴻海の役員を辞任する考えを示しており、不退転の決意でシャープの再生に臨む。「創業者の誠意と創意。真似される商品を作りましょう。そして昔の栄光を回復するような、シャープにしていきたいと思っています」という戴社長の言葉に期待したい。

感動に流されがちなスポーツと「プリンセス駅伝、四つん這い走行」

カレー沢薫の時流漂流 第15回

感動に流されがちなスポーツと「プリンセス駅伝、四つん這い走行」

2018.11.12

漫画家・コラムニスト カレー沢薫さんの社会派連載!

第15回は、「プリンセス駅伝の四つん這い走行」問題について

今年は「パワハラ」「黒い交際」「殺人タックル」など、スポーツ界が荒れに荒れた。

スポーツにつきまとう「感動」という尺度

というよりは、今までずっと「わかり哲也」の背景ぐらい荒れ続けていたが、関係者専用のプライベートビーチだったため、一般人の目につかなかっただけのような気もする。

その一方、ワールドカップでは予選を批判した奴は全員死んだのかというぐらい本戦の健闘が称えられたり、夏の甲子園では金足農が秋田県勢として103年ぶりに決勝に進出し大きな注目を集めたりと、感動的なこともあった。

しかし、結果だけを言えば、ワールドカップは1回戦敗退だ。金足農も決勝で敗れ準優勝。逆に優勝したのに金足農の陰に隠れた大阪桐蔭が可哀想なぐらいだ。

つまり、見る側はスポーツに対し、時に結果よりも「感動」を求めがちということだ。金足農が仮に優勝していたとしても、その勝利が「地獄甲子園」式で得た物なら讃えられなかっただろう。

スポーツに感動を求めるのは悪いことではない。私のような、床を這っているコードでこけるような先のない中年は、もはや他人の活躍に乗っかって泣いたり笑ったりするしかないのだ。

だが、「感動した! 痛みに耐えてよく頑張った! 」という言葉があるように、スポーツの感動には「選手が無理をする姿」も含まれていることは否定できない。その無理が「43度の風呂」レベルならまだ良いが、選手生命、さらには最悪命を脅かしかねない時もある。

インターネット大相撲では済まない「プリンセス駅伝」問題

そんな、文字通り「選手が痛みに耐えて頑張った」事件が、先日行われた「プリンセス駅伝」で起こった。女子駅伝だからプリンセス駅伝なのだろうが、私が走者だったら相当居心地の悪いネーミングだ。

その駅伝の中で、10代の走者が中継所の直前で走行不能となったが、何と四つん這いの状態で流血しながらタスキをつないだという。四つん這いで移動した距離は約200メートル。私だったら小一時間かかる、結構な距離だ。その選手がリードの外れた柴犬ぐらいのスピードで四つん這い走行した、というなら制止する間もなくタスキは渡されていたかもしれないが、満身創痍の状態なら相当時間がかかっただろう。

当然、その姿には「誰か止めろよ」と批判が噴出した。しかし、批判がある一方で「感動した!」と、流血四つん這いで走る女子の姿にバッチリ感動した勢がいるのも事実だ。それに対し「怪我しながら走る選手を美談にする勢を許さない勢」が現れ、いつものインターネット大相撲に発展しているのはよくあることなのだが、これはかなり複雑な問題なのである。

監督が倒れた選手に「お前棄権したらわかっとるやろな? 」とアイコンタクトをしたり、観客が「俺たちを感動させるために走れや」と選手を後ろからジープで追い立てたりしたと言うなら論外だが、監督はテレビモニターで「二足歩行が厳しい」という致命的な状態の選手を見て、ちゃんと棄権を申し入れている。

だが、その棄権が現場の審判に伝わった時には、すでにタスキ受け渡し地点の20メートル手前に来ていたそうだ。つまり、満身創痍の選手が四つん這いで180メートル移動してしまうまで棄権の申し入れが審判に伝わらなかった、ということだ。ここでまず連絡体制の不備が指摘されている。

そして、審判は棄権の申し入れを知った後も、「あとちょっとだし」と最後まで走らせてしまったと言う。痛みに耐えて頑張る選手、という「感動」に流され、無理をさせてしまった感は否めない。

そもそも棄権の申し入れがあるなしに拘わらず、現場判断で中止させるべきはなかったのか、という声もある。今、試しに家の中を四つん這いで走ってみたが、これで200メートルはなかなかキツイ。何より見た目が痛々しい。

私の場合、無職の中年が昼間に家の中を四つん這いで走っているというただの「イタい」状態だが、走れなくなった若い選手が流血しながら四つん這いで走る姿は、十分制止すべき痛々しさだろう。実際、棄権申し入れがなくても、現場判断で走れなくなった選手を止める権限が審判にはある。

それでも懸命に走る意志を見せる選手に心打たれて止められなかったのかというと、必ずしも感動だけが理由ではないようだ。企業にとって駅伝というのは非常に重要なものであり、それをチームではなく審判の判断で止めるというのは、審判員側と企業側に大きな禍根を残すことになりかねないのだという。よって審判側は「よほど勇気がないと止められない」そうだ。

また、選手にとっても企業の名前を背負っている上、「自分がコケたら皆コケる」という駅伝のルール上、選手には大きなプレッシャーがかかっている。つまり選手も現場も「止まるに止まれないし、止めるに止められない」状況になっていたのかもしれない。

そして結果から言うと、この選手は「全治3~4か月の骨折」となった。あの四つん這いでの200メートルがなかったら、もう少し怪我が軽くなった可能性は大いにある。

このように、無理は早めに止めないと、逆に有望な選手を潰すことになりかねない。

「無茶しやがって…」という展開は漫画などに任せ、ダメな時は「俺たちの戦いはまだ始まったばかりだ」と早々に打ち切り、次のチャンスに賭けるべきだろう。

タイヤ技術でオリパラを支えよ! ブリヂストン、義足の改良に挑む

タイヤ技術でオリパラを支えよ! ブリヂストン、義足の改良に挑む

2018.11.12

オリパラの裏側には、さまざまな最新技術が隠れている

パラアスリートを支える、ブリヂストンの「タイヤ技術」って?

義足用ソールの開発に挑む研究者らに話を聞いた

東京2020年オリンピック・パラリンピック競技大会の開催まで2年を切った。自国開催ということもあり、現地で観戦しようと考えている人も多いだろう。そこで1つ提案したいのが、オリンピック・パラリンピックを「技術」の視点で見ることだ。

2018年の平昌オリンピック・パラリンピックでは世界初の5Gの実証実験サービスが行われ、開会式ではインテルがドローンによる光のパフォーマンスが行われた。このような派手なものに限らず、大会の裏にはいくつもの技術が隠れている。パラアスリートが用いる器具などがその典型的な例と言える。

そこで本稿では、「ワールドワイドパラリンピックパートナー」であるブリヂストンによる、自社技術の活用によってパラアスリートを支援する取り組み「パラアスリート技術支援プロジェクト」に注目。東京2020を支える技術の裏側に迫る。

タイヤ技術でパラアスリートを支えよ! 

パラアスリート技術支援プロジェクトは、同社のオリンピック・パラリンピックのパートナー契約締結を機に『タイヤやゴムの技術をアスリートのために活かせないか』という想いから発足したという。ではその技術で何を作っているのかというと、1つの例が義足用の「ソール」(地面に接する部分、靴底)だ。

今回話を聞いた、ブリヂストン 先端企画本部 先端技術推進部 先端技術企画推進第1ユニット 主任部員の小平美帆さん(左)とオリンピック・パラリンピックマーケティング推進部 アクティベーション推進ユニット 課長 鳥山聡子さん(右)

「当社では、パラトライアスロン選手の秦由加子さんの義足用ソールを開発しました。現在も定期的に本人と話し合いの場を設けながら、当社の技術でサポートできる部分はないか、ということを模索しています」(鳥山さん※以下、鳥山)

秦由加子 選手。1981年生まれ。千葉県出身。3歳から10歳まで水泳を習う。13歳で骨肉腫を発症し、右足の大腿部切断を余儀なくされたが、2007年に障がい者水泳チームで水泳を再開。2013年にパラトライアスロンに転向した。大腿部切断でパラトライアスロンを行っている唯一の日本人選手だ

なぜ同社がソール部分に注目するようになったかというと、「タイヤ技術との親和性の高さ」が理由だと小平さんは語る。

「もともと当社では、タイヤはもちろん、ゴルフシューズや農業機械用のゴムクローラなど、『地面と接する部分』の製品開発に強みを持っております。ソールも同じく、地面と接するモノ。そこで当社の持つ技術との親和性が高いと感じ、注目するようになりました」(小平さん※以下、小平)

さらに、ソールの素材はゴムと高分子の複合体であり、これは同社の製品でもよく使われる素材であった。タイヤ製品で培った技術を活用することで、選手をサポートできるのではないか? と考え、新ソールの開発を始めたというわけだ。

義足イメージ。ランニングシューズの底のように、特有なパターン(模様)の入っている部分が、ブリヂストンの開発したソール

「ランニングシューズを切って、義足に貼る」が当たり前?

そもそも、義足用のソール開発に力を入れている企業というのはグローバルで見ても少ない。義足を必要とする人は多くいる一方で、切断箇所や筋肉量の違いなど、個人個人によってのニーズが異なるために、高ロットでの生産ができず、なかなかビジネスとして成り立たないことが原因だという。では、秦選手の使用していたソールには具体的にどのような課題があったのか。

「これは秦さんに限らず、ほとんどのパラアスリートに当てはまることなのですが、それぞれが個人に最適化されたツールを使えていないという課題がありました。もともと、多くの種類が市場に出回っているわけではないので、パラアスリート向けの『高品質な製品』自体が少なく、モノによっては、開発されて数十年経っている”最新モデル”もあります」(鳥山)

驚くべきことに、世界大会で活躍する秦選手のような人であっても、ランニングシューズを買って、ソール部分を切り取り、義足に貼り付けて使っていたのだとか。そのように「売られているものを転用して使う」というパラアスリートは少なくないそうだ。

「当たり前ですが、ランニングシューズのソールは、義足を必要とする人向けに開発されたものではありません。地面と接触した際にかかる力は違うし、耐摩耗性が求められる箇所も異なります。秦さんは以前、雨の中でのレースで、『滑るのが怖くて、思い切って走ることができなかった』という経験をしたそうです。そうした意見を聞き、どんな状況であっても安心して走れるようなソールを開発したい、と考えるようになりました」(小平)

タイヤ開発のノウハウを詰め込んだソール開発

しかし、いくら「地面と接するモノ」だからといって、タイヤとソールで求められる技術が一緒だとは思えない。どのようにブリヂストンの持つノウハウをソール開発に適応させたのか。

「はじめはゼロからの挑戦でした。そもそも、『義足のソールに求められることって何? 』という疑問からのスタートなんです。勉強の日々でしたね。どうにか当社の技術を活用できないか、と考え、まずは走る際にかかる力を測るために、タイヤ開発に使用する測定器を使って圧力測定を行いました」(小平)

圧力測定時の様子。ランニング時、ソールへの力のかかり方がどう変化するかを調査した

ほかにも、使用した後の摩耗部分の分析などを行い、グリップ力を上げつつ摩耗を抑えられるソールはどのようなゴム材料・溝形状にすればよいかをひたすら考えたそう。

さまざまなデータから見えた課題に対して「どうブリヂストンの技術を適応させれば良いか」と考え、試行錯誤を重ねた後に、ようやくソールを開発。2017年4月、初めて秦選手に新ソールをつけた義足で走ってもらうことになった。

「私たちのソールで走ってみた秦さんには『全然違う! 』と、すぐに気に入っていただきました。その1カ月後には早速、新ソールで大会にも出場していただきました。その大会もあいにくの雨だったのですが、確実に滑りにくくなっているとのフィードバックをいただき、手応えを感じました」(小平)

小平さんや鳥山さんは、秦選手と密にコミュニケーションを取りながら、フィードバックを元にソールの改良を続けた

さまざまな領域での技術活用も視野

そのレース以来、秦選手は変わらずブリヂストンが開発したソールを使い続けている。現在のソールは2代目で、2017年に開発したモデルから、パターンと材質を変更しているそう。

しかし、いくら製品の改良を実現したと言っても、事業化につなげられなければ、同社の「パラアスリート支援」は一過性のものになってしまう。同社は今後、この取り組みをどのように続けていく予定なのか。

「秦さんとの協力によって生まれた技術が将来、当社製品のブレイクスルーにつながる可能性はあると考えています。将来的には、さまざまな領域での技術の活用も視野に入れております。ですが、何よりこの取り組みは、当社がグローバルメッセージとして掲げる『CHASE YOUR DREAM』を体現するもの。

CHASE YOUR DREAMとは、ブリヂストンが、さまざまな困難を乗り越えながら「夢に向かって挑戦し続けるすべての人を支えていく」という想いを表現したメッセージ

そのため、必ずしも『将来的なリターン』を求めてこの活動をやっている訳ではありません。私たちの取り組みが社内外に広がり、当社の『夢に向かって挑戦し続けるすべての人を支えたい』という想いに触れていただき、一緒にオリンピック・パラリンピックを応援してくれる仲間を広げていくことを目指しています」(鳥山)

「2020東京」まで1歩ずつ、2人3脚で

現在、すでに秦選手用の最新ソールは完成しているそうだが、まだまだブリヂストンの挑戦は続く。

「最新モデルは、秦さんの要望を満たし、かつさまざまなデータから考えられる問題点を解決した自信作。しかし、パラリンピックまではまだ時間があります。今後も本人のフィードバックをもとに、より改良を続けていきたいです」(小平)

パラアスリートと一緒に夢を追い続けるブリヂストン。今回紹介したのは、同社の秦選手との取り組みだけだが、それに限らず、ほかにも多くのアスリートを支援しているそうだ。

オリンピック・パラリンピックでもっとも日の目を浴びるのは選手。しかし、その周りには、選手たちを支えている多くの人たちがいる。来る2020年、パラリンピックでは、選手の義足や車椅子などにも注目し、そこに隠れた技術の背景を想像してみるのも楽しみ方の1つだ。

ブリヂストンと秦選手の挑戦をこれからも応援したい