東武鉄道が日光を攻略してコンプリートしたいもの

東武鉄道が日光を攻略してコンプリートしたいもの

2016.11.25

東武鉄道が日光で傘下のホテルを増やしている。8月には地元の老舗ホテルを買収。そしてこのほど外資系高級ホテルを誕生させると発表した。日光地区の観光業を強化した先にどんな構想を描いているのだろうか。

ザ・リッツ・カールトンが2020年夏、日光に

東武鉄道は、ホテル世界大手の米マリオット・インターナショナルと正式契約し、2020年夏に、栃木県日光市にマリオット・インターナショナルの最高級ブランド「ザ・リッツ・カールトン」を開業させる。「ザ・リッツ・カールトン日光」は日本国内では、大阪、東京、沖縄、京都、ニセコ(予定)に次ぐ出店となる。

中禅寺湖や男体山の美しい風景を堪能できるように設計。「建物外観イメージパース」提供:東武鉄道

客室総数は94室(予定)、全客室50平方メートル以上。露天風呂を併設した温泉大浴場やスパなど設備もつくられる。宿泊料は国内のほかのザ・リッツ・カールトンと同水準となる予定。

今回新しく建設されるのは、1894年に開業した「レーキサイドホテル(後にレークサイドホテル)」があった場所。2016年1月まで営業されていたこのホテルは、日光をおとずれる外国人のためのリゾートホテルとして約120年の歴史があった。

観光名所の近くにある。提供:東武鉄道

この場所は、日光国立公園、中禅寺湖の湖畔に位置する。中禅寺湖のほかに、男体山も拝むことができ、春は桜、秋は紅葉など日本の四季を感じることができるロケーションとなっている。近くには、世界文化遺産の日光東照宮、徒歩圏内には華厳の滝、少し足を伸ばせば鬼怒川温泉もある。

ロケーションの良さを生かし、建物内側と外側が連続するようなイメージの空間デザインにし、四季折々の自然の変化を享受できるようにするという。その1つとしては、すべての客室から中禅寺湖か男体山のどちらかの眺望が眺められるように設計するという。

東武が日光地域で新しい施策

実は、東武鉄道は、ここのところ相次いで日光地域への施策を講じている。

8月には、日光市で1873年に外国人向けの宿泊施設として開業、日本最古のリゾートホテルである金谷ホテルを買収。「日光金谷ホテル」と「中禅寺金谷ホテル」2館が傘下に入った。金谷ホテルは、建物自体が文化財指定を受けているものもあり、宿泊施設としての価値だけでなく、そのものが観光資源になっている。買収と今回の新設ホテルによって日光地区で東武鉄道は4つの傘下ホテルを持つことになる。

また、2017年夏をめどに、東武鬼怒川線下今市-鬼怒川温泉間において、蒸気機関車(SL)を復活させる。JR北海道からSL車両「C11形207号機」を借り受けるほか、全国のJRから車両などが譲渡される。復活したら、土日を中心に年間最大140日程度(1日3往復程度)運行される予定だという。それにあわせて、SLの発着拠点となる下今市駅は昭和レトロのある駅舎に改修。SLの見学エリアを設けるなど駅自体も観光スポットにしていく。さらには、子会社が営業している中禅寺湖の遊覧船に新型を導入。地域観光の目玉を増強している。

新型船のイメージパース。東武興業HPより

こういった施策は東武鉄道の「東武グループ中期経営計画2014~2016」で 観光戦略の1つとして掲げている「日光・鬼怒川地区等沿線観光地の活力創出」の一環だ。

東武鉄道が日光地区を沿線に収めているからと言えばそれまでかもしれないが、今改めて集中的に日光地区への施策を強化するには理由がある。

外国人から見た日光

日光市の調査によると、日光を訪れる観光客は最近増加している。訪問者数全体だと2015年で前年比11.3%増の1195万人。宿泊者数だと前年比8.6%増の352万人となっている。

増加傾向は喜ばしいが、その一方で訪問する人のうち宿泊する客は約30%。日帰りと宿泊では、その地域に落とす消費額に大きな差が出てくるため、宿泊者数をどれだけ伸ばせるか。ここに観光業の伸びしろがある。

そして注目すべきは宿泊者の中でも、外国人観光客の増加が、近年著しいこと。2015年では、前年比16.9%増の7万人となっている。マリオット・インターナショナルの担当者によると「外国人が求めるものを日光は持っている」のだという。

日光といえば、江戸幕府を開いた徳川家康をまつる日光東照宮がある。世界文化遺産に登録され、世界的な知名度がある。近くの鬼怒川は有名な温泉郷。自然が豊かで、春は桜、夏は涼しく避暑地としての利用もでき、秋は紅葉、冬はスキーも楽しめる。大都市東京からも近く、JRや東武鉄道を利用すれば、日帰りでの利用もできる関東の身近なレジャースポットといえよう。

マリオット・インターナショナルのポール・フォスキー氏(左)と写真撮影に応じる東武鉄道の根津嘉澄社長(右)

外国人から見ても同様で、日本の四季それぞれのイベントや温泉、歴史的建造物の鑑賞などが、一度に楽しむことができる点が日光の魅力のようだ。

爆買いの失速が言われるようになった今年だが、外国人観光客の増加傾向は変わらない。いわゆる東京、大阪、京都といったゴールデンルートに訪問先が集中していたが、そこを起点として、地方を訪れるという分散化が進んでいる。日光は、東京から東武鉄道やJRで2~3時間で行けるから、まさに消費を呼びこむ絶好のタイミングといえる。

東武鉄道の根津嘉澄社長も会見で「より長く滞在してほしい」と新設されるホテルへの思いを語った。より魅力ある宿泊施設をつくること、観光資源を増やし、その価値を高めることは、宿泊者数を増やし、さらにその滞在日数を増やすために、今まさにやるべきことなのだ。

日光の観光業を強化した先には……

そしてその先に考えていること。同社の鉄道沿線には、東京の新しい観光名所、東京スカイツリーと古くからの東京観光の名所である浅草がある。浅草から日光へは、1本で行くことができるため、東京で下町観光をした後に、東武鉄道に乗って日光へ、という流れをつくる狙いもあるそうだ。

実際、浅草・上野と日光の社寺を巡る御朱印ラリーを開催し、日光への誘客を図るといった取組みはすでに始まっている。日本有数の観光名所を複数抱えている東武の強みを最大限に生かす構想だといえよう。

果たして日光は外国人観光客の宿泊を、さらに増やすことができるだろうか。そして浅草から日光へというのが定番化するだろうか。今後の展開が注目される。

メルカリ出し抜くラクマ、売上金の「楽天キャッシュ」チャージ額が5億円を突破

メルカリ出し抜くラクマ、売上金の「楽天キャッシュ」チャージ額が5億円を突破

2019.01.22

ラクマ売上金の「楽天キャッシュ」チャージ額が累計5億円に

同様のサービスを構想しているメルカリを先行する形に

楽天は1月21日、フリマアプリ「ラクマ」において、取引で発生した売上金のうちオンライン電子マネー「楽天キャッシュ」へチャージした累計額が2018年12月末に5億円を突破したと発表した。

ラクマでの売上金を楽天キャッシュへチャージする機能は、2018年7月より提供開始されている。チャージした電子マネーは、楽天会員向けのグループ各種サービスで利用できるほか、ローソンやファミリーマートなど「楽天ペイ」対応店舗での決済でも利用可能だ。

2017年8月1日から開始されたローソンでの支払いに続いて、2018年12月4日からはファミリーマートでも楽天ペイが使用できるようになった

同じくフリマアプリを展開するメルカリは、100%子会社「メルペイ」で同様のサービスを構想している段階であり、この分野においてはラクマが1歩先行する形になった。

現状、メルカリで得た売上金をメルカリ以外で使う場合は、一度口座に振り込む必要がある。また、売上金には180日という「振込申請期間」が設定されており、その期間中に「口座に振り込む」か、メルカリ内で使える「ポイントを購入」するか、選ばなければならない。ただし振込の場合、1万円未満だと210円の手数料が発生する(2018年1月21日時点)。ラクマの売上金チャージ機能と比較すると、どうしても見劣りしてしまうだろう。

ちなみに筆者もメルカリユーザー。現状、売上金が合計1万円に満たないため、振込手数料を発生させずに現金に換えるためには、あと1540円分の売り上げが必要になる (画像はメルカリアプリより)

しかし、少し古いデータではあるが、2018年5月31日のニールセン デジタルの発表によると、スマートフォンからの利用率の高いオークション/フリマサービスは、1位がYahoo! オークションで25%、2位がメルカリで23%、3位がラクマで11%であることがわかっており、同じフリマサービスであっても、ラクマの利用率はメルカリの半分であるのが現状だ。

メルカリのダウンロード数は2018年11月14日時点で7500万、ラクマが同年10月時点で1500万と、両サービスの普及率にも差があることからも、日本におけるフリマ市場のバランスがすぐにひっくり返ることはないだろう。

だが、ラクマが売上金をさまざまなサービスに使えるという実用性で、メルカリとの新たな差別化ポイントを生み出したことは、新規ユーザーの獲得に少なからず貢献しそうだ。

ラクマ売上金のチャージ額が5億円突破したことは、ユーザーの「アプリ内の売上金を別の場所で使いたい」というニーズの強さの証明ともいえよう。こうしたユーザー視点に立った機能の追加による消費体験の向上が、フリマ市場にどのような影響をもたらすのか、キャッシュレス決済市場への参入が期待される、メルカリの動向と合わせて注目したい。

1000字の描き直しを越えて ―ナール制作の舞台裏

最初の書体感覚をもち続けることのむずかしさ

写研で書体デザインの責任者を務めていた橋本和夫さんに衝撃を与えた書体、ナール。作者の中村征宏氏が第1回石井賞創作タイプフェイスコンテスト応募時に書いた設計意図は、次の通りだ。

〈縦組みの場合にも、横組みにも字間のバランスがムリなく一つの流れを持つことを念頭におき、ボディータイプとして、従来使用されなかった丸ゴシック系のタイプフェイスを試みた。字面をいっぱいに使い、文字のエレメントを強調し、細い線で構成することによりシンプルさを求めた。字面を大きく使うことが字間の問題に関連し、字間のバランス調整のための切り貼り、字詰めの工程を少しでも短縮することができるのではないかと思う。その結果、組み上がりにおいて、集合の調和が生まれるのではないかと思う。広告制作物などにおいて、コピーやサブ・タイトルなどに適するのではないかと考える。〉(*1)

中村征宏氏の著書『文字をつくる』(美術出版社、1977年)

1970年(昭和45)5月18日にコンテスト授賞式が開催されたのち、写研からの文字盤発売に向けて、同年8月ごろから本格的な書体制作が始まった。必要な文字数は漢字が約5400字、ひらがなとカタカナで約150字、アルファベット約100字、その他(約物、記号など)約200字で、合計約5800字だ。写研の監修を受けながら、原字はすべて中村氏が描いた。監修を担当したのは橋本さんである。

約5800字の原字を描くのは、想像以上に大変な作業だ。橋本さんは語る。

「コンテストに応募するときに描いていただくのは、漢字50字とひらがなカタカナ、そして記号の一部だけです。それを1枚のパネルに構成するので、文字構成としては、まとめやすい。ところが、文字盤化する際には約5800字を1文字1文字描くことになり、完成するまでの年月は2年はかかります。外部デザイナーの方と書体をつくるようになって、われわれが一番苦労したのは、“今月と来月では、仕上がってくる書体の雰囲気が変わってしまうことがある”ということでした」

「文字を増やす際に字種リストを渡すのですが、『何の文字をつくるか』を見るためのリストのはずが、長い間ながめているうちに、つくっている文字がリストの文字に似てきて、当初のデザインと雰囲気が異なってきてしまった。ナールは既成概念をくつがえす、突き抜けたデザインの丸ゴシック体だったはずなのに、描き進むうちに最初のデザイン思想から離れ、持ち味が失われるということが起きたのです」

原字を描き進めるうち、コンテストのオリジナルデザインから、いつのまにか特徴が変わってしまっていたのだ。そのままでは、まるで違う書体になってしまう。結局、途中で1000字分を描き直すことになった。

中村氏もこのことを振り返り、著書に〈人の感覚は徐々に変化するものには気づきにくいものですから、いつも最初の見本と照らし合わせながら書き進めることが大切です。このようなことは、太さだけのことではなく字形とか感覚面でも同じようなことがいえます。感覚もときがたつことによってどんどん変化するものですが、とくに最初の感覚は大切にしていきたいものです〉と書いている。(*2)

悩ましい文字

「もうひとつ、ナールを監修したなかで、ひどく悩んだことがありました。ナールは、字面いっぱいに真四角に描かれた書体です。たとえばひらがなの『り』は通常は縦長、『へ』は横長の形をしていますが、これらの文字すら、できる限り正方形に近づけて描かれている。ぼくが悩んだのは、『々』という漢字でした」

ナールでは、縦長の「り」、横長の「へ」も正方形にかなり近い

「時々」「常々」「佐々木」など、同じ漢字を繰り返すことを表すときに用いられる「々」の字だ。

「常識的にいえば、この字は他の漢字よりも小さく描きます。では、通常は縦長、横長など固有の形をもつひらがなですら正方形に近づけているナールでは、どういう大きさにすればよいのか? 最初は『々』も他の漢字と同じ大きさで、真四角にするのがよいと思ったのですが、いざつくってみると、やはり少しは他の漢字より小さくしなければ『々』に見えないとわかりました」

「他の書体をつくるときにも『々』をどういう大きさにするか、いつも考えるのですが、ナールのときにはとりわけ悩んだものでした」

また、こうした試行錯誤を経て、「文字を図形化する際も、かなと漢字の使い方に意味のあることをあらためて認識しました」という。

新聞雑誌、広告から、道路標識まで

途中で1000字の描き直しなどがあったものの、コンテストから2年後の1972年(昭和47)、ナールは写研写植機用の文字盤として発売された。書体名は、「中村」の “ナ” と、丸みを表す言葉である「ラウンド」の頭文字 “R” をとって「ナール」とつけられた。(*3)さらに、ナールと組み合わせて使うことを想定した中太の「ナールD」の文字盤も1973年(昭和48)に発売された。

ナールD(上)とナール(下)

中村氏はコンテスト応募当時、ナールを本文書体と考えていたが、いざ発売されてみると、広告や雑誌、新聞などの見出しなどに使うディスプレイ書体として大人気となった。ポスターや広告のキャッチフレーズ、テレビの字幕、道路標識などに幅広く使われ、一世を風靡した。

「タイポスによってデザイナーのつくる書体が注目され、少女たちが丸文字を書くようになっていく流れのなかで登場したナールは、『時代に乗った』ともいえますが、むしろ『時代をつくった』書体といえるでしょう。写植の文字はナールの登場によって、それまで職人が手描きしていたレタリング文字の分野に浸透していった。“新書体ブーム”の幕開けでした。そうして写植の機械は、単に文字を印字するだけでなく、多彩なディスプレイ書体によって雑誌や広告にファッション性を生み出す手段のひとつとして、とらえられるようになっていったのです」

(つづく)

(注)
*1:中村征宏『文字をつくる』(美術出版社、1977年)P.80
*2:同書 P.21
*3:『文字に生きる〈写研五〇年の歩み〉』(写研、1975年)P.127

話し手 プロフィール

橋本和夫(はしもと・かずお)
書体設計士。イワタ顧問。1935年2月、大阪生まれ。1954年6月、活字製造販売会社・モトヤに入社。太佐源三氏のもと、ベントン彫刻機用の原字制作にたずさわる。1959年5月、写真植字機の大手メーカー・写研に入社。創業者・石井茂吉氏監修のもと、石井宋朝体の原字を制作。1963年に石井氏が亡くなった後は同社文字部のチーフとして、1990年代まで写研で制作発売されたほとんどすべての書体の監修にあたる。1995年8月、写研を退職。フリーランス期間を経て、1998年頃よりフォントメーカー・イワタにおいてデジタルフォントの書体監修・デザインにたずさわるようになり、同社顧問に。現在に至る。

著者 プロフィール

雪 朱里(ゆき・あかり)
ライター、編集者。1971年生まれ。写植からDTPへの移行期に印刷会社に在籍後、ビジネス系専門誌の編集長を経て、2000年よりフリーランス。文字、デザイン、印刷、手仕事などの分野で取材執筆活動をおこなう。著書に『描き文字のデザイン』『もじ部 書体デザイナーに聞くデザインの背景・フォント選びと使い方のコツ』(グラフィック社)、『文字をつくる 9人の書体デザイナー』(誠文堂新光社)、『活字地金彫刻師 清水金之助』(清水金之助の本をつくる会)、編集担当書籍に『ぼくのつくった書体の話 活字と写植、そして小塚書体のデザイン』(小塚昌彦著、グラフィック社)ほか多数。『デザインのひきだし』誌(グラフィック社)レギュラー編集者もつとめる。

■本連載は隔週掲載です。

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