先の先まで読んだ富士通、IT使ったスポーツ支援が一挙両得なワケ

先の先まで読んだ富士通、IT使ったスポーツ支援が一挙両得なワケ

2016.10.12

スポーツの世界でIT利用によるデータ分析が盛んに取り入れられるようになってきている。東京五輪に向け企業はどのように自社ビジネスを関連させていけるだろうか、五輪の先を見据えたチャンスを探している中、富士通は自社の強みを生かした支援をスタート。その先にはなにを見据えているのか。

富士通がバスケットをICTで支援

富士通は、日本バスケットボール協会(JBA)、プロリーグを開幕したばかりのジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ(B.LEAGUE)とパートナー契約を締結し、バスケットをICTでサポートする。最近ではICTによってスポーツを支援することは決して珍しいことではない。だが、同社の狙いそれだけにとどまらない。

9月、富士通と日本バスケットボール協会、ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグとのパートナー契約締結式

9月に行われた会見の席上、富士通の山本正已会長は、「安倍首相が掲げるGDP600兆円の実現に向け、スポーツ産業の市場規模を現在の5.5兆円から15兆円に増やすという目標が掲げられている。富士通もそれを実現するお手伝いをすることを想定したパートナー契約」と宣言。実は2020年の東京五輪のゴールドパートナーである富士通は、以前からスポーツ担当の役員を置いて、スポーツ支援に取り組んでいるのだ。

今回、JBA、B.LEAGUEと結ばれたパートナー契約で、富士通は次の3つを提供する。

1.デジタルマーケティングプラットフォームの提供

2.スポーツIoTの実現

3.スマートアリーナの実現

1のデジタルマーケティングプラットフォームとは、これまでチームごとに個別管理されていたプレイヤーの戦歴、キャリアなどの情報を一元管理し、強化選手や日本代表選手の選出のために活用することを目的として掲げている。

2のスポーツIoTは、選手の動き計測することで、選手の動きを可視化し、計測したデータを選手育成などに活用していくものだ。海外でも同様の育成方法が取り入れられているが、「リアルタイムの3Dセンシング技術は世界でも例をみない技術。バスケットボール以外の競技にも有効で、体操競技では採点でも活用できる世界でも注目されている技術」だと同社の山本会長は会見でアピールした。

3のスマートアリーナは、バスケットの試合を行う会場にWi-Fiを導入、多言語対応などの強化をはかり、会場でストリーミングなどのサービスを楽しむことができる環境作りを支援していく。

1、2はデータ収集・分析を目指したものであり、3はマーケティング活用を狙ったものだ。まさにスポーツとICTとの関わりによって生まれる王道といえる効果を目指した施策だといえる。同社にとってはこれまで培ってきたICTのノウハウをスポーツ分野に活かす機会となる。

ただ、同社の狙いはこの王道の効果の先にある。どんな効果を生み出すのか。

ICTのスポーツ利用は世界的トレンド

スポーツのICT活用は、世界的なトレンドとなっている。主な活用方法としてあがるのが、データを活用することによる「選手育成」と、顧客を呼び込むための「マーケティング」での利用である。

「選手育成」のためのデータの収集・分析は、成果も上がっている。例えば、日本の女子バレーボールチームの躍進はデジタルデータとそれを分析するアナリストの存在によってもたらされたことは、広く知られている。ドイツではナショナルチームが選手の身体にセンサーを取り付けて計測しており、ワールドカップでのドイツの強さの要因の一つとなったと言われている。

ビジネスの世界では、ビッグデータ、ディープラーニング、AIによるデータの収集・分析がトレンドとなっているがスポーツの世界でも同様のトレンドが起こっているといえよう。

また、Twitter、Facebookなどソーシャルメディアを活用したファンへのアピールは野球、米国のプロバスケットリーグなどですでに行なわれているが、新たな顧客を呼び込むための「マーケティング」にICTを活用することもスポーツ界のトレンドである。

ICTの活用によって競技場を訪れるファンの満足度をあげるとともに、会場に足を運んでいない見込み顧客の獲得、それまでそのスポーツに触れた経験がない新規顧客を獲得するような施策にICTを活用できないのかという期待の声がスポーツ界からあがっている。

会見に臨む富士通の山本会長

富士通の視線の先にあるものは五輪

ただし、同社の狙いはこういった王道の施策にとどまらない。同社が狙うのが2020年に開催される東京五輪に向けてのスポーツ分野での実績である。先に述べたように会見の際、同社の山本会長は「地域創生とからめながら、スポーツ市場を現在の5.5兆円から15兆円へと拡大する安倍総理の戦略に協力したい」と政府が進めている施策と連携する意向を強くアピールした。

同社がゴールドパートナーとして行うこととして掲げているのが、大会運営のサポートと選手の育成である。今回のJBA、B.LEAGUEとの提携によって目指す方向と重なる部分も多く、同社が今回の提携を東京五輪とからめた戦略的なものと捉えていることがよくわかる。

通常、ITベンダーがスポーツ支援を行う場合、実際のビジネスとして見込めるというよりも宣伝などを目的とした場合が多い。しかし、2020年の東京五輪というゴールがはっきりしており、政府も力を入れている。スポーツがひとつのビジネスになる可能性が高いのだ。

自治体へのビジネスチャンスが広がる

先に述べたスマートアリーナの実現では、B.LEAGUEに参加するチームの拠点となる体育館の整備を行うことになる。体育館はチーム所有、チームの所在地の自治体所有など状況は異なるものの、日本全国に立地する。同社は日本の全都道府県に拠点を持ち、各自治体向けのビジネスを行っている。現地での対応が必要な体育館の整備を行う企業として、適したパートナーなのである。

しかも、体育館は地震、台風などの災害が起こった際には住民が避難する拠点ともなる場所で、「Wi-Fi導入といった整備を行うことは災害の際も有効」と会見の際、富士通側はアピールした。

体育館はバスケットボールチームの所有、自治体の所有など形態はそれぞれだというものの、災害時の避難拠点としての活用を想定するとなれば、所在地である自治体との協議が不可欠となる。

つまり、スマートアリーナの実現は、所在地である自治体との接点を増やすことにつながるのである。これはまさに「地域創生と共にスポーツ振興の実現」にかなったものであり、自治体向けビジネスの強化につながることとなるのではないか。元々、自治体向けITでは強い同社だが、その強い分野でビジネスを伸ばしていくきっかけにすることも可能なのだ。

工場作業における事故防止への糸口にも

技術面では3Dレーザーポインターを活用し、プレイ中の選手の動きを数値化する3Dセンシング技術は、「世界的に見てもトップクラス」と同社はアピールしている。

3Dセンシング技術は、先に述べたように人間の動きを数値が出来るため、より効率的な動きとはどんなものか、見直しを行う際や、事故防止などを考える際にも有効活用できるとしてすでに活用が進められている。そのため、これまでIT化されてこなかった工場での作業の動きなどを見直すことにも活用できると言われている。スポーツの世界での実績は、こうした工場など現場作業の改善を行う際の糸口として活用することも可能なのだ。

日本のバスケットボールで、女子はリオ五輪に出場し、好成績を残した。ところが男子チームは40年間五輪への出場機会がないという状況にある。今回、B.LEAGUE誕生、同社が提供した支援策によってチームが強化され、3Dセンシングによる選手の状況把握によって選手の強化、日本チームの強化が実現すれば、同社にとっては大きな成果となるだろう。

日本だけでなく、世界にアピールできる実績となる可能性もある。日本のバスケットボールが強化され、世界でもアピールできるような強豪チームへと成長していけば、富士通にとっても世界でのビジネスにつなげる大きな武器となるのではないだろうか。

その面倒な組織カルチャー、印鑑が原因ですよ

藤田朋宏の必殺仕分け人 第4回

その面倒な組織カルチャー、印鑑が原因ですよ

2019.03.18

印鑑業界による印鑑文化の優位性アピールが話題

会社経営者として感じる、捺印作業の面倒さ

「サイン文化」と「印鑑文化」で変わる組織カルチャー

行政手続きのオンライン化を目指す「デジタル手続き法案」をめぐり、全日本印章業協会がアピールした「印鑑のメリット」が話題になっている

「代理決済できるという印章の特長が、迅速な意思決定や決済に繋がり、戦後の日本経済の急速な発展にも寄与してきた」(原文ママ)というものだ。

「ハンコならこっそり代理決済ができる」などと、身も蓋もなく自ら印鑑廃止を後押ししてしまいかねない意見が出てしまったことは興味深い。
でも僕は、ただのバイオテクノロジー屋なので、ITを活用した効率化しますよ業界の回し者でもなければ、印鑑業界の人を敵に回すメリットだってないので、特にこの点について深く言及しないし、「日本における今後のハンコをどうするべきか」なんてことを掘り下げて云々するつもりもない。

ただ、日本を含む4カ国でスタートアップを立ち上げた経験から、企業の組織カルチャー形成に、承認方法としての「印鑑」と「サイン」の違いが、とても大きな影響を与えているのではと実感した話を書いておきたい。

日々、何かと多すぎるハンコ作業

まず共有しておきたい事実は、日本で会社を経営すると、毎日ものすごい数の代表印や銀行印や社印を押さなければいけないということだ。(会社の印鑑って3種類あるの知ってました?)

お客さんと契約してお金をいただくときに契約書に捺印するのはイメージできると思うが、その後もお金が銀行口座に無事入るまで、受領やらなにやら契約書だけでなく、さまざまな書類にとにかく捺印をしまくる必要がある。

また、家賃を払う、プリンターのトナーが切れる、実験試薬を買うなどなど、とにかく会社を運営する活動の一つ一つに対して、それぞれ細かくおびただしい数の印鑑を押す。法人が国や地方自治体に税金を払う時はもちろん、社員のあれこれも、例えば社員の誰かが結婚したり引っ越したりするだけでも印鑑を押しまくる。自分で会社をやってみてつくづくわかったが、とにかく捺印の数が膨大だ。

しかも、びっくりすることに、民間企業も市町村も、同じことをするために、それぞれがまったく違うフォーマットの書類に捺印を求めてくる。

こうして、大量な上にフォーマットがまったく違う書類を毎日渡されて、決められた位置に決められた種類の捺印をすることは、仮に契約書や書類の中身をまったくチェックしないで無責任に捺印したとしても、結構な時間を必要とする作業だ。

捺印にかける時間が惜しい

しかもうわの空で押していると、銀行印を押すべきところに代表印を押し間違えてしまったり、インクが簡単にかすれてしまったりするのが印鑑だ。人生において、こんな捺印ミスなどという程度のことで書類を作り直してもらう羽目になった回数を考えただけで、こんな単純な作業に失敗する情けなさとと、書類を作ってくれる従業員への申し訳なさで、どこかに隠れてしまいたい気持ちになる。

そう、僕は毎日、隠れてしまいたい気持ちになっているのだ。

なぜ、日本から印鑑はなくならないのか

我々の会社のように、たとえ社長だろうがあっちこっちに、営業に謝罪にと、せわしなく飛び回わることで、なんとか会社の体を保っているような規模の企業の方が世の中には多いと思う。そんな"貧乏暇なし社長”がこの捺印という物理的作業に忙殺される時間というのは、正直いって無駄以外の何物でもない。

にもかかわらず印鑑を押すという文化が日本に残っているのは「捺印するという作業」は、誰かに頼めてしまうからなのだと思う。多くの会社において「捺印をし続けるという作業」を自分でやっている社長はあまり居ないのかもしれず、ここが、すべて自ら書かなければいけないサインとの最大の違いなのだろう。

ちなみに、僕の場合は「捺印をし続けるという作業」だけを人に頼むような仕事の依頼の仕方は好みではないので、あちこちに会社を立ち上げては、担当者に「代表取締役」の役職ごと譲るようにしている。

海外の「サイン文化」は印鑑以上に面倒?

冒頭にも書いたが、僕は日本以外の3カ国でも会社を経営している。言うまでもなく日本以外の国は、承認の証としては「サイン」が一般的だ。

日本の会社同士の契約書の場合は、代表者の名前の脇に代表印と社印を、契約書を閉じた裏面に割印を一カ所押す形式であることが多い。つまり、二者間の契約であれば、先方用の契約書と当方用の契約書をあわせて、計4カ所の代表印と計2カ所の社印を押せばよい。

ところが、海外の契約書は、すべてのページにサインをしなければならない。海外の契約書は「実際にそんなことは起きないって」ってくらい、ありとあらゆる場面を想定した契約書になっていることが多く、とにかく契約書が長い。

感覚として、同じような内容の契約をするのに、日本の会社同士の契約の5倍~10倍のページ数になっても驚かない。

つまり、ちょっとした契約書でも軽く100ページを超えてくるわけだが、このすべてのページに手書きでサインをすることを想像して欲しい。契約書の中身を読んでただただサインを書き続けていると、「こんな作業に時間を使い続けてていいのだろうか」という自問の気持ちが芽生えてくる。

その組織カルチャーの差、ハンコとサインの差が原因ですよ

言うまでもなく、サインは誰かに代わりに書いてもらうことはできない。では、サインを書く物理的な時間を減らすために、何が起こるのかというと、「権限委譲」が進むのである。

日本の会社だと当たり前のように社長の名前で締結する規模の契約でも、海外の会社だと担当部長あたりの名前で契約を締結してくる。

もしかしたら、日本の会社のカルチャーだとそれは失礼なことに当たるのかもしれないが、サインを前提とした会社において、会社のすべての契約を社長名義で契約していたら、社長の一日は「サインを書く」という作業だけで終わってしまう。だから、どんどん権限委譲をしていくしかない。

日本の大企業の合意形成や意思決定のあり方を分析する文脈において、「日本の会社は権限委譲が進んでいない」とか、「プロジェクトごとの意思決定者の所在がよくわからないから、スピード感が遅くなってグローバル競争に負けてしまう」などという指摘を頻繁に見る。

特に近年流行りの「日本企業のホワイトカラーの生産性を高めましょう」という議論の多くでは、日本企業のこういった特殊性の原因を、日本人の歴史的・文化的背景や、国民性が理由であると結論づけている。

だからもっぱら、風通しがよく責任範囲が明確で、意思決定の早い会社にするために、せっせと組織構造をいじったり、管理職に研修をしたりと、コンサル屋さんが儲かるだけの努力に大きなお金を払うことになっているのだが、大きな効果が得られているようにみえない。

僕の考えは、特殊性の理由がちょっと違っていて、「その組織カルチャーの差って、捺印とサインの差が本質的な原因ですよ」と、わりと確信に近い自信を持っている。

捺印の作業だけを誰かに頼むのではなく、捺印をする権限ごとどんどん頼んでしまえばいい。ハンコにウンザリしている世の中の社長さん、そう思いません?

(藤田朋宏:ちとせグループ 創業者 兼 最高経営責任者)

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2019.03.18

漫画家・コラムニスト カレー沢薫さんの社会派連載!

第32回は、実家暮らしの男性に降りかかる「子供部屋おじさん」論議について

「子供部屋おじさん」という言葉が注目されている。言葉自体は2014年あたりからあったそうだが、今また脚光を浴びているそうだ。

「○○おじさん」「○○おばさん」という呼称には、「アイカツおじさん」のように秀逸かつもはや「Sir」級の「称号」と言って良いものもあるが、大体が蔑称である。

その中でもこの「子供部屋おじさん」の蔑視ぶりたるや、である。意味はわからなくても本能で「馬鹿にされている」と察することができる。

「子供部屋おじさん」とはどんなおじさんを指すかというと、成人しても親元を離れず実家の「子供部屋」で暮らし続けるおじさんのことである。「パラサイトシングル」を、言われた相手の血管が切れるように魔改造した言葉だ。言葉としては「上手いこと言うな」と感嘆するしかない。

単に「実家住みのおじさん」という意味ではなく、「いい年をして親から自立せず、自分では何も出来ない、中身は子どものままのおじさん」という痛烈な批判が込められている。

この「子供部屋おじさん」は、ひきこもりやニートとは違い、仕事はちゃんとしている場合が多い。だが逆に「実家を出ようと思えば出られるのに出ない」という点が余計「甘え」と見なされ、ここまでの鬼煽りを食らう羽目になったとも言える。

このように世間からみっともないと思われがちな「実家住みの成人」だが、本当に彼らは社会の病巣であり、親から見れば寄生虫なのだろうか。

一人暮らしは今や「修行」かもしれない

子供部屋おじさん含むパラサイトシングルにも言い分はある。まず「実家から出るメリットが見いだせない」という理由だ。

実家が持ち家の場合、一人暮らしをするよりも実家住みの方が経済的には圧倒的有利だ。親側からしても、純粋に寄生されるのは厳しいが、生活費などを入れてもらえるなら、逆に助かるという場合もある。

また職場からの距離も実家から通った方が近いと言うなら、わざわざ経済的負担を負いながら、場合によっては遠距離通勤をする「一人暮らし」というのは「修行」という意味しかなく、昨今盛んに言われる「コスパ」「合理化」という観点から見ると「正気か」というような無駄でしかない。そのため、インフルエンサー的な人が一発「まだ一人暮らしで消耗してんの?」と言えば、容易に世論が傾いてしまいそうな気がする。

しかし「修行という意味しかない」と言っても、その「修行」に意味がないわけではない。一人暮らしが人間に自立と成長を促すのは確かである、自分のことは全て自分でやらなければいけないのだから当然だ。

逆に、衣食住が保証された実家で、お母さんにご飯と身の周りの世話を全部やってもらっていたら確かに子供となんら変わりないし、もし仮に結婚して家を出たとしても、今度は嫁に母親と同じことを求めるだろう。

結果として、「見た目は中年、中身は子供、価値観は団塊」というバランス感覚皆無の生物が爆誕することになりかねない。そういった意味では、いかに合理的でなかろうが、一人暮らしをする意味はあると言える。

だが、親の方が子どもに「実家にいてほしい」と望むケースもある。

前に「増加する共倒れ家庭」という、タイトルからして明るい要素皆無のテレビ番組を見たことがある。老齢一人暮らしの父親の元に、非正規雇用で自活できない息子が帰ってきて、そのせいで生活保護が打ち切られ、ますます困窮するというマジで暗い所しかない話だった。

しかし、父親の方が息子に対し「迷惑だから出て行ってほしい」と思っていたかというと、そうではなく「自分が老齢で何があるかわからないので居てほしい」と言っていたのだ。

このように、高齢の親からすれば、子供がいてくれるのは「安心」という面もある。ほかにも、介護のために実家に戻って来た者もいるのだから、一概に「子供部屋おじさん」とバカにすることはできない。

「子供部屋おじさん」がここまで燃える理由

そして、この「子供部屋おじさん」に今更激烈な反応が起こっているのは、「おじさん」と性別が限定されているからだろう。

当然「子供部屋おばさん」だって存在する。私も結婚して家を出るまで実家にいたし、成人すぎても小学校入学の時買ってもらった学習机を使っており、もちろん身の周りのことは母親を越えてババア殿にやってもらっていたという、どこに出しても恥ずかしくない「子供部屋おばさん」だった。親は私を家から出すのに相当勇気がいったと思う。

しかし、バカにされているのは専ら「子供部屋おじさん」の方で、言葉自体も「ブサイク」には「ブス」ほどの破壊力がないように、「おばさん」より「おじさん」の方がどう考えても「強く」感じる。

「子供部屋おばさん」にパンチが足りないのは言外に「女はまあ実家住みでもいいんじゃね?」という見逃しがあり、逆に男には「男のくせにいつまでも親の世話になってみっともない」という、男女差別があるせいではないだろうか。

ネットを開けば、ジェンダー問題で毎日ひとつは村が燃えている昨今である。「子供部屋おじさん」が、そっちの観点でアンコール炎上しても不思議ではない。

当然だが、一家の家計を支え、親の介護をしながら家事までやっている「子供部屋おじさん」もいれば、ろくに家に金もいれず、親に三食用意してもらっている「子供部屋おばさん」もいる。もちろんこれはおじさん・おばさんを入れ替えたって言えることだ。

男だから、女だから、で言い切りが出来ないように「実家暮らし」という属性一つでは何も断言することは出来ないのである。

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