"格安スマホ新時代"はまだ先か? 注目機能を巡るMVNOの温度差

2016.02.05

「格安SIM」「格安スマホ」で注目される仮想移動体通信事業者(MVNO)だが、音声通話が従量制で料金がほぼ同じであるなど、サービスの横並び傾向が強いのも事実。それを解消する鍵として、最近、「HLR」「HSS」と呼ばれる加入者管理データベースが注目されている。MVNOがそれを導入すれば、音声通話定額などの新サービスを生み出すことが可能となるが、ハードルの高さから各社の姿勢も異なる。実際、加入者管理データベース導入がMVNOにどのような影響を及ぼすのだろうか。

実は横並び傾向が強いMVNOのサービス

大手携帯電話キャリアのネットワークを借りて通信サービスを提供しているMVNOが、ここ数年で急速に存在感を高めている。その理由は、大手キャリアと比べ通信費が圧倒的に安いことにある。

実際多くのMVNOのサービスを見ると、データ通信専用のサービスであれば、高速データ通信容量が3GBのプランで月額980円程度が一般的。音声通話が可能なプランであっても、同じ容量で1,600円程度であることから、基本料だけを見れば月額7,000円前後の料金が一般的な大手キャリアのサービスと比べると、いかに安いかがわかる。

もちろん、大手キャリアと比べるとサービスに制約も少なくない。MVNOは店舗が少なくインターネット販売が主体であるなど、特にスマートフォンに詳しくない人に向けたサービスやサポートの充実度が弱いというのはよく言われることだが、もう1つよく指摘されるのは、音声通話サービスが非常に弱いことだ。

実際、MVNOの音声通話サービスを見ると、通話料が30秒20円に設定されていることがほとんど。大手キャリアで一般的な通話定額サービスも提供されていないなど、データ通信と比べかなり割高に設定されていることが分かるだろう。IP電話やプレフィックス番号を使った発信を用いることで、通話を安価にできる独自サービスを提供するMVNOもあるが、携帯電話番号とは異なる番号からの発信になる、110番などの緊急通報などがかけられないなどの弱点があるため、キャリアのサービスと比べると弱さを感じてしまうのは事実だ。

楽天モバイルは5分以下の通話がかけ放題になるオプションサービスの提供を開始したが、これもプレフィックス番号を用いたものであり、緊急通報などは利用できない

ではなぜ、音声通話サービスが割高で、しかも各社ともに同じ料金となっているのだろうか。その理由は、簡単に言ってしまえば大手キャリアがMVNOに対し、音声通話サービスに関しては30秒20円で通話できるプランしか提供していないため。MVNOはあくまで大手キャリアから回線を借りてサービスを提供する立場であるため、通話定額サービスのように大手キャリアが提供していないサービスを自身で実現することは難しいのだ。

実はデータ通信サービスに関しても、多くのMVNOの料金を見比べると、多少の違いはあれどほぼ横並びとなっている。これもMVNOがキャリアからネットワークを借りる際に支払う接続料が、どのMVNOに対しても共通となっていることが大きく影響しているのだ。

横並び解消の鍵となる「HLR」「HSS」とは

そうしたMVNO間の横並び問題を解決する鍵として注目されているのが、「HLR」(Home Location Register)と「HSS」(Home Subscriber Server)と呼ばれるものだ。

HLRやHSSは、いずれも「加入者管理データベース」などと呼ばれているが、要するにスマートフォンに挿入して利用する、モバイル通信を利用する際に必要なICカード「SIM」を管理するための仕組みである。

SIMには電話番号をはじめとして、通話や通信をするのに必要なさまざまな情報が記録されているが、それを管理しているのがHLRやHSSなのである。そしてHLRやHSSは、SIMを挿入した端末がネットワークに接続する際、そのSIMが正しい契約がなされているものかどうか、どのネットワークが利用できるかなどの認証をしたり、どの基地局に接続しているのかなどを登録したりするのに使われており、携帯電話のネットワークを円滑に利用する上で非常に重要な役割を果たしているのだ。

HLRやHSSは、SIMに記録されたさまざまな情報を管理し、通信時にSIMの認証をしたり、どの基地局に接続しているかを登録したりするのに用いられる重要な設備だ

現在のところ、このHLRやHSSは、MVNOが回線を借りている大手キャリアが保有しており、MVNOは大手キャリアが管理しているSIM、例えばNTTドコモのMVNOであれば、NTTドコモからSIMを借りてサービスを提供している。つまりHLRやHSSの部分をキャリアに依存しているため、キャリア側が提供するSIM、ひいてはそれに紐付くネットワークやサービスしか利用できないのである。MVNO側がサービスを独自に設計し、提供することが難しいのには、そうした理由があったわけだ。

タスクフォースを受けて自由なサービス設計へ

そこで現在進められているのが、キャリアが持つHLRやHSSを開放し、MVNO側がHLRやHSSを独自に持てるようにしようという動きである。

2015年に実施され、大きな話題となった総務省の「携帯電話の料金その他の提供条件に関するタスクフォース」においてもこの点について議論がなされており、このタスクフォースの結果から提示された「スマートフォンの料金負担の軽減及び端末販売の適正化に関する取組方針」においても、HLRやHSSなどの加入者管理機能を「開放を促進すべき機能」として位置づけられ、総務省が事業者間協議の促進を図るとしてされている。

では、HLRやHSSがMVNOに解放されると何ができるのかというと、MVNOが独自にSIMを発行できるようになり、特定キャリアのネットワークに縛られることなく、より自由なサービス設計ができるようになる。例えばNTTドコモだけでなく、auやソフトバンクのネットワークを組み合わせたサービスを1枚のSIMで提供できるようになったり、海外にSIMを持ち出した際、より割安なキャリアの料金プランで利用できるサービスを提供できたりするようになる。

日本通信が法人向けに提供している「2SIMルーター」。2枚のSIMを用いて複数のネットワークに接続する仕組みだが、HLRやHSSが開放されればSIM1枚で同様の機能を実現できる

HLRやHSSの開放がMVNO再編の契機に?

だが、自由には責任が伴うのも常である。HLRやHSSをMVNO側が持ち、独自のサービスを提供できるということは、すなわち自らHLRやHSSの設備を持って安定的に運用するためのコストが必要であることも意味している。

現在は、そうした設備を大手キャリア側に任せている分、MVNOも設備投資にかかるコストが抑えられている。だが、MVNO側がそれらの設備を持つとなると、それなりのコストと手間が発生する上に、障害が起きた時の影響も自社だけに限らなくなるため、大きな責任も発生してしまうのだ。

一部では、HLRやHSSなどの導入には30~40億円くらいかかると言われており、小規模な事業者が多いMVNOにとってかなりの投資額だ。一方で、HLRやHSSの導入によってサービスの自由度は高まるものの、投資コストの回収なども必要となるため、現在よりも安価でサービスを提供できるかというとそうとは限らず、むしろ高くついてしまう可能性のほうが高くなる。

そうしたことから、MVNOのHLRやHSS開放に関する関心は高いものの、その導入に関しては温度差がある。開放後の設備導入に最も前向きな日本通信の代表取締役社長である福田尚久氏は、1月22日の事業戦略説明会において、先のガイドラインによって打ち出されたHLRやHSSの開放に関する動きを「第2の規制緩和」であるとし、それを受ける形で通話定額サービスなどのさまざまなサービスを実現する方針を打ち出している。さらに同社は既に10億円規模の投資を実施していることから、HLRやHSSの導入に必要とされる投資額も「現実的なものだ」としている。

日本通信はHLRやHSSの開放を受け、通話定額や、1枚のSIMで国内外のネットワークが利用できるサービスなどが実現できるとしている

だがそれ以外のMVNOは、HLRやHSSの導入に慎重な姿勢を崩していない。1月19日に実施されたインターネットイニシアティブ(IIJ)の記者説明会で、ネットワーク本部技術企画室の佐々木太志氏は、投資コストがかかることから、格安SIMとして知名度を高めている現在のMVNOと、HLRやHSSの開放は「必ずしも親和性が高いものではない。投資に見合う新たな事業の立ち上げが求められる」と話している。同様の発言はケイ・オプティコムや楽天など、いくつかのMVNOの記者説明会で見られ、多くのMVNOが導入に慎重な様子であることをうかがわせている。

IIJはHLRやHSSの導入に対する投資コストが大きいため、格安を志向するMVNOとの相性は必ずしもよいわけではなく、新たなビジネスモデルの創出が必要だとしている

こうしたMVNOの反応を見るに、実際にコストをかけてHLRやHSSを導入し、独自のサービスを提供できるMVNOの数は相当限定されるものと考えられる。それ以外のMVNOは、差別化が難しく価格競争が激しい中で現在のサービスを続けるか、HLRやHSSを導入したMVNOから回線を借りて差別化を図るか、あるいは撤退するかの3択を迫られることとなり、将来的にはMVNOが、水面下でいくつかの陣営に統合されていく可能性が高い。HLRやHSSの開放は、急速に増え200社を超えたとも言われるMVNOの、再編の口火を切る大きな契機となるかもしれない。

その面倒な組織カルチャー、印鑑が原因ですよ

藤田朋宏の必殺仕分け人 第4回

その面倒な組織カルチャー、印鑑が原因ですよ

2019.03.18

印鑑業界による印鑑文化の優位性アピールが話題

会社経営者として感じる、捺印作業の面倒さ

「サイン文化」と「印鑑文化」で変わる組織カルチャー

行政手続きのオンライン化を目指す「デジタル手続き法案」をめぐり、全日本印章業協会がアピールした「印鑑のメリット」が話題になっている

「代理決済できるという印章の特長が、迅速な意思決定や決済に繋がり、戦後の日本経済の急速な発展にも寄与してきた」(原文ママ)というものだ。

「ハンコならこっそり代理決済ができる」などと、身も蓋もなく自ら印鑑廃止を後押ししてしまいかねない意見が出てしまったことは興味深い。
でも僕は、ただのバイオテクノロジー屋なので、ITを活用した効率化しますよ業界の回し者でもなければ、印鑑業界の人を敵に回すメリットだってないので、特にこの点について深く言及しないし、「日本における今後のハンコをどうするべきか」なんてことを掘り下げて云々するつもりもない。

ただ、日本を含む4カ国でスタートアップを立ち上げた経験から、企業の組織カルチャー形成に、承認方法としての「印鑑」と「サイン」の違いが、とても大きな影響を与えているのではと実感した話を書いておきたい。

日々、何かと多すぎるハンコ作業

まず共有しておきたい事実は、日本で会社を経営すると、毎日ものすごい数の代表印や銀行印や社印を押さなければいけないということだ。(会社の印鑑って3種類あるの知ってました?)

お客さんと契約してお金をいただくときに契約書に捺印するのはイメージできると思うが、その後もお金が銀行口座に無事入るまで、受領やらなにやら契約書だけでなく、さまざまな書類にとにかく捺印をしまくる必要がある。

また、家賃を払う、プリンターのトナーが切れる、実験試薬を買うなどなど、とにかく会社を運営する活動の一つ一つに対して、それぞれ細かくおびただしい数の印鑑を押す。法人が国や地方自治体に税金を払う時はもちろん、社員のあれこれも、例えば社員の誰かが結婚したり引っ越したりするだけでも印鑑を押しまくる。自分で会社をやってみてつくづくわかったが、とにかく捺印の数が膨大だ。

しかも、びっくりすることに、民間企業も市町村も、同じことをするために、それぞれがまったく違うフォーマットの書類に捺印を求めてくる。

こうして、大量な上にフォーマットがまったく違う書類を毎日渡されて、決められた位置に決められた種類の捺印をすることは、仮に契約書や書類の中身をまったくチェックしないで無責任に捺印したとしても、結構な時間を必要とする作業だ。

捺印にかける時間が惜しい

しかもうわの空で押していると、銀行印を押すべきところに代表印を押し間違えてしまったり、インクが簡単にかすれてしまったりするのが印鑑だ。人生において、こんな捺印ミスなどという程度のことで書類を作り直してもらう羽目になった回数を考えただけで、こんな単純な作業に失敗する情けなさとと、書類を作ってくれる従業員への申し訳なさで、どこかに隠れてしまいたい気持ちになる。

そう、僕は毎日、隠れてしまいたい気持ちになっているのだ。

なぜ、日本から印鑑はなくならないのか

我々の会社のように、たとえ社長だろうがあっちこっちに、営業に謝罪にと、せわしなく飛び回わることで、なんとか会社の体を保っているような規模の企業の方が世の中には多いと思う。そんな"貧乏暇なし社長”がこの捺印という物理的作業に忙殺される時間というのは、正直いって無駄以外の何物でもない。

にもかかわらず印鑑を押すという文化が日本に残っているのは「捺印するという作業」は、誰かに頼めてしまうからなのだと思う。多くの会社において「捺印をし続けるという作業」を自分でやっている社長はあまり居ないのかもしれず、ここが、すべて自ら書かなければいけないサインとの最大の違いなのだろう。

ちなみに、僕の場合は「捺印をし続けるという作業」だけを人に頼むような仕事の依頼の仕方は好みではないので、あちこちに会社を立ち上げては、担当者に「代表取締役」の役職ごと譲るようにしている。

海外の「サイン文化」は印鑑以上に面倒?

冒頭にも書いたが、僕は日本以外の3カ国でも会社を経営している。言うまでもなく日本以外の国は、承認の証としては「サイン」が一般的だ。

日本の会社同士の契約書の場合は、代表者の名前の脇に代表印と社印を、契約書を閉じた裏面に割印を一カ所押す形式であることが多い。つまり、二者間の契約であれば、先方用の契約書と当方用の契約書をあわせて、計4カ所の代表印と計2カ所の社印を押せばよい。

ところが、海外の契約書は、すべてのページにサインをしなければならない。海外の契約書は「実際にそんなことは起きないって」ってくらい、ありとあらゆる場面を想定した契約書になっていることが多く、とにかく契約書が長い。

感覚として、同じような内容の契約をするのに、日本の会社同士の契約の5倍~10倍のページ数になっても驚かない。

つまり、ちょっとした契約書でも軽く100ページを超えてくるわけだが、このすべてのページに手書きでサインをすることを想像して欲しい。契約書の中身を読んでただただサインを書き続けていると、「こんな作業に時間を使い続けてていいのだろうか」という自問の気持ちが芽生えてくる。

その組織カルチャーの差、ハンコとサインの差が原因ですよ

言うまでもなく、サインは誰かに代わりに書いてもらうことはできない。では、サインを書く物理的な時間を減らすために、何が起こるのかというと、「権限委譲」が進むのである。

日本の会社だと当たり前のように社長の名前で締結する規模の契約でも、海外の会社だと担当部長あたりの名前で契約を締結してくる。

もしかしたら、日本の会社のカルチャーだとそれは失礼なことに当たるのかもしれないが、サインを前提とした会社において、会社のすべての契約を社長名義で契約していたら、社長の一日は「サインを書く」という作業だけで終わってしまう。だから、どんどん権限委譲をしていくしかない。

日本の大企業の合意形成や意思決定のあり方を分析する文脈において、「日本の会社は権限委譲が進んでいない」とか、「プロジェクトごとの意思決定者の所在がよくわからないから、スピード感が遅くなってグローバル競争に負けてしまう」などという指摘を頻繁に見る。

特に近年流行りの「日本企業のホワイトカラーの生産性を高めましょう」という議論の多くでは、日本企業のこういった特殊性の原因を、日本人の歴史的・文化的背景や、国民性が理由であると結論づけている。

だからもっぱら、風通しがよく責任範囲が明確で、意思決定の早い会社にするために、せっせと組織構造をいじったり、管理職に研修をしたりと、コンサル屋さんが儲かるだけの努力に大きなお金を払うことになっているのだが、大きな効果が得られているようにみえない。

僕の考えは、特殊性の理由がちょっと違っていて、「その組織カルチャーの差って、捺印とサインの差が本質的な原因ですよ」と、わりと確信に近い自信を持っている。

捺印の作業だけを誰かに頼むのではなく、捺印をする権限ごとどんどん頼んでしまえばいい。ハンコにウンザリしている世の中の社長さん、そう思いません?

(藤田朋宏:ちとせグループ 創業者 兼 最高経営責任者)

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2019.03.18

漫画家・コラムニスト カレー沢薫さんの社会派連載!

第32回は、実家暮らしの男性に降りかかる「子供部屋おじさん」論議について

「子供部屋おじさん」という言葉が注目されている。言葉自体は2014年あたりからあったそうだが、今また脚光を浴びているそうだ。

「○○おじさん」「○○おばさん」という呼称には、「アイカツおじさん」のように秀逸かつもはや「Sir」級の「称号」と言って良いものもあるが、大体が蔑称である。

その中でもこの「子供部屋おじさん」の蔑視ぶりたるや、である。意味はわからなくても本能で「馬鹿にされている」と察することができる。

「子供部屋おじさん」とはどんなおじさんを指すかというと、成人しても親元を離れず実家の「子供部屋」で暮らし続けるおじさんのことである。「パラサイトシングル」を、言われた相手の血管が切れるように魔改造した言葉だ。言葉としては「上手いこと言うな」と感嘆するしかない。

単に「実家住みのおじさん」という意味ではなく、「いい年をして親から自立せず、自分では何も出来ない、中身は子どものままのおじさん」という痛烈な批判が込められている。

この「子供部屋おじさん」は、ひきこもりやニートとは違い、仕事はちゃんとしている場合が多い。だが逆に「実家を出ようと思えば出られるのに出ない」という点が余計「甘え」と見なされ、ここまでの鬼煽りを食らう羽目になったとも言える。

このように世間からみっともないと思われがちな「実家住みの成人」だが、本当に彼らは社会の病巣であり、親から見れば寄生虫なのだろうか。

一人暮らしは今や「修行」かもしれない

子供部屋おじさん含むパラサイトシングルにも言い分はある。まず「実家から出るメリットが見いだせない」という理由だ。

実家が持ち家の場合、一人暮らしをするよりも実家住みの方が経済的には圧倒的有利だ。親側からしても、純粋に寄生されるのは厳しいが、生活費などを入れてもらえるなら、逆に助かるという場合もある。

また職場からの距離も実家から通った方が近いと言うなら、わざわざ経済的負担を負いながら、場合によっては遠距離通勤をする「一人暮らし」というのは「修行」という意味しかなく、昨今盛んに言われる「コスパ」「合理化」という観点から見ると「正気か」というような無駄でしかない。そのため、インフルエンサー的な人が一発「まだ一人暮らしで消耗してんの?」と言えば、容易に世論が傾いてしまいそうな気がする。

しかし「修行という意味しかない」と言っても、その「修行」に意味がないわけではない。一人暮らしが人間に自立と成長を促すのは確かである、自分のことは全て自分でやらなければいけないのだから当然だ。

逆に、衣食住が保証された実家で、お母さんにご飯と身の周りの世話を全部やってもらっていたら確かに子供となんら変わりないし、もし仮に結婚して家を出たとしても、今度は嫁に母親と同じことを求めるだろう。

結果として、「見た目は中年、中身は子供、価値観は団塊」というバランス感覚皆無の生物が爆誕することになりかねない。そういった意味では、いかに合理的でなかろうが、一人暮らしをする意味はあると言える。

だが、親の方が子どもに「実家にいてほしい」と望むケースもある。

前に「増加する共倒れ家庭」という、タイトルからして明るい要素皆無のテレビ番組を見たことがある。老齢一人暮らしの父親の元に、非正規雇用で自活できない息子が帰ってきて、そのせいで生活保護が打ち切られ、ますます困窮するというマジで暗い所しかない話だった。

しかし、父親の方が息子に対し「迷惑だから出て行ってほしい」と思っていたかというと、そうではなく「自分が老齢で何があるかわからないので居てほしい」と言っていたのだ。

このように、高齢の親からすれば、子供がいてくれるのは「安心」という面もある。ほかにも、介護のために実家に戻って来た者もいるのだから、一概に「子供部屋おじさん」とバカにすることはできない。

「子供部屋おじさん」がここまで燃える理由

そして、この「子供部屋おじさん」に今更激烈な反応が起こっているのは、「おじさん」と性別が限定されているからだろう。

当然「子供部屋おばさん」だって存在する。私も結婚して家を出るまで実家にいたし、成人すぎても小学校入学の時買ってもらった学習机を使っており、もちろん身の周りのことは母親を越えてババア殿にやってもらっていたという、どこに出しても恥ずかしくない「子供部屋おばさん」だった。親は私を家から出すのに相当勇気がいったと思う。

しかし、バカにされているのは専ら「子供部屋おじさん」の方で、言葉自体も「ブサイク」には「ブス」ほどの破壊力がないように、「おばさん」より「おじさん」の方がどう考えても「強く」感じる。

「子供部屋おばさん」にパンチが足りないのは言外に「女はまあ実家住みでもいいんじゃね?」という見逃しがあり、逆に男には「男のくせにいつまでも親の世話になってみっともない」という、男女差別があるせいではないだろうか。

ネットを開けば、ジェンダー問題で毎日ひとつは村が燃えている昨今である。「子供部屋おじさん」が、そっちの観点でアンコール炎上しても不思議ではない。

当然だが、一家の家計を支え、親の介護をしながら家事までやっている「子供部屋おじさん」もいれば、ろくに家に金もいれず、親に三食用意してもらっている「子供部屋おばさん」もいる。もちろんこれはおじさん・おばさんを入れ替えたって言えることだ。

男だから、女だから、で言い切りが出来ないように「実家暮らし」という属性一つでは何も断言することは出来ないのである。

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