2020年東京観光の顔になるか? 実はこんなところも……着々と進む東京の水の都計画

2020年東京観光の顔になるか? 実はこんなところも……着々と進む東京の水の都計画

2016.10.31

9月23日から10月2日まで、隅田川沿いで夕涼みイベント「RIVERSIDE&TOKYO」が行われた。約500個の風鈴が揺れる幻想的な風鈴ゲートには、デート中のカップルやSNSに写真をアップする若者たちの姿も。こうした水辺のにぎわいは、東京都が政策として進めている。川辺は今どのように変化していっているのか都の施策を追った。

隅田川沿いで夕涼みイベント「RIVERSIDE&TOKYO」。家族連れ、カップル、外国人観光客などが足をとめて川辺の風情を楽しんでいた

東京版“川床”「かわてらす」について、今まで、「東京が再び“水の都”に!? カギを握る“かわてらす”とは」と、「川を臨むテラス席!東京版“川床”成功のカギは」の 2回で伝えてきた。しかし、東京の水辺はそれだけではないのだ。川辺を活用して賑わいを作ろうという試みはほかにも現在進行形で、私たちが知らぬ間に、川辺の風景がじわじわと変わってきているのだ。

東京都の川のまわりは、可能性を秘めている

水辺のにぎわい創出のための仕組みづくりについて話を聞いたのは、東京都建設局河川部の冨澤房雄課長。

「基本的なコンセプトは、人々が集まる水辺空間の創出。そのため、水辺の利活用を促すために、様々な施策をおこなっています」。

その一例が、先にも述べた京都の夏の風物詩、川床をモデルにした社会実験“かわてらす”。「平成23年4月に河川敷地占用許可準則が改正され、民間の事業者も地元の協議が整えば河川敷地にテラスをせり出すことができるようになりました」(冨澤さん)。

「ボン花火」から見える隅田川とスカイツリー

現在、日本橋川沿いに、日本の食をテーマにした文化情報発信型飲食店「豊年萬幅(ほうねんまんぷく)」、そして隅田川沿いには、バルニバービによる食堂&呑み「ボン花火」、シスコが経営するフレンチレストラン「Nabeno-ism」、計3店舗がかわてらすをスタートさせている。

公園、緑の堤防…人が集まる“場所”に変化

このほか、水辺の環境整備の施策のひとつとして「隅田川テラス」がある。綺麗に舗装された遊歩道が広域にわたって続き、テラス沿いは公園が点在。地域住民や観光客の憩いの場となっている。

「隅田川テラス」。水辺を歩きながら風景を眺めたり、ランニングしたりと、川が日常的に利用する場になりそうだ

また、テラスと同様に整備が進められているのが「スーパー堤防」。緑化された幅の広い堤防は、地震や高潮に対しての安全性に加え、人が水辺に近づける親水性を高めるとして、隅田川沿いすべてを整備するよう計画されているという。

スーパー堤防が緑化されて、憩いの場に! (出展: 「隅田川等における新たな水辺整備のあり方」」東京都建設局河川部)

さらにこれまで無機質だった堤防の壁も有効活用。「壁は“隅田川テラスギャラリー”と名付けました。近隣学校の生徒さんの絵画や江戸名所の浮世絵などを展示し、川沿いを散策する方や水上バスの乗船客を和ませています」と冨澤さん。

暗くて寂しい印象があった壁は、下町らしく浮世絵で!地域と世界をつなげる“隅田川テラスギャラリー”。「両国 隅田川テラスギャラリー(東京都建設局河川部提供)」

そして隅田川沿いにあるタリーズコーヒー隅田公園店も、前述の河川敷地占用許可準則の改正により実現した東京都初の河川敷オープン店。公園の景観を損なわないよう外観は木の温もりを感じさせるものになっており、地元への配慮も見える。

タリーズコーヒー隅田公園店(出展: 「隅田川等における新たな水辺整備のあり方」」東京都建設局河川部)

「これらの水辺整備を通して、人々が集まる場所としての機能や魅力だけでなく、移動性や回遊性を高め、人の流れを生むような環境づくりに取り組んでいきたい」(冨澤さん)

江戸の情緒に触れる川巡りで東京の魅力を再発見

東京の東側には川が多い! (出展: 「隅田川等における新たな水辺整備のあり方」」東京都建設局河川部)

東京都の地図を俯瞰して見てみると、とりわけ東側は川に囲まれていることがよく分かる。これら川から東京を眺める乗船ツアーがあるのをご存知だろうか。

日本橋付近には乗船場が!

“かわてらす”一号店の「豊年萬福」取材時に、ふと川向こうを見ると、日本橋クルーズの乗船場が。ちょうど、日本橋川-神田川-隅田川を通る「90分 日本橋・神田川ぐるり1周コース」が出発間近ということで、思わず乗船。

ガイドさんの話を聞いていると、首都東京の新たな側面が見えてくる!

名橋の日本橋、常盤橋、聖橋、万世橋、柳橋など数々の橋をくぐりながら、水辺にまつわるストーリーを地元のボランティアさんがガイドしていく。橋に刻まれた戦争の傷痕に心を痛め、江戸城の石垣積みの工夫に先人たちの知恵を学ぶ。

水道橋付近を流れる神田川

真上を首都高が走る日本橋川、オフィス街を通る神田川、川幅が広く、開放感たっぷりの隅田川。隅田川では清洲橋越しのスカイツリーが観光客にとっては絶好の撮影ポイントだ。また、ベンチで談笑するサラリーマンや、夜の営業に備え船主が就寝中の屋形船など、東京の水辺は“働く人たちの休息の場”としても様々な表情を見せていた。

屋形船がズラリ!

まさに江戸の「歴史」と、東京の「今」が堪能できる川巡り。日本橋クルーズの他にも、CMでもおなじみの黄色の水上タクシー「TOKYOWATERTAXI」、水上バスでの隅田川や東京湾クルーズを行なう東京都観光汽船「TOKYO CRUISE」など川や運河を巡る運航ツアーはたくさん運航されている。

清洲橋越しのスカイツリーは、写真撮影のポイント

これまでの“防災”という観点から河川を管理してきた東京都。規制緩和により“観光”にも力を入れたことで、国内外の観光客の訪問地としてはもちろん、近隣住民たちの新たなコミュニティスペースにもなっている。店舗運営やイベント、そして交通手段として使われるなどますます盛り上がりを見せる東京の水辺。東京五輪に向けて、ビジネスチャンスは広がる一方だ。

メルカリ出し抜くラクマ、売上金の「楽天キャッシュ」チャージ額が5億円を突破

メルカリ出し抜くラクマ、売上金の「楽天キャッシュ」チャージ額が5億円を突破

2019.01.22

ラクマ売上金の「楽天キャッシュ」チャージ額が累計5億円に

同様のサービスを構想しているメルカリを先行する形に

楽天は1月21日、フリマアプリ「ラクマ」において、取引で発生した売上金のうちオンライン電子マネー「楽天キャッシュ」へチャージした累計額が2018年12月末に5億円を突破したと発表した。

ラクマでの売上金を楽天キャッシュへチャージする機能は、2018年7月より提供開始されている。チャージした電子マネーは、楽天会員向けのグループ各種サービスで利用できるほか、ローソンやファミリーマートなど「楽天ペイ」対応店舗での決済でも利用可能だ。

2017年8月1日から開始されたローソンでの支払いに続いて、2018年12月4日からはファミリーマートでも楽天ペイが使用できるようになった

同じくフリマアプリを展開するメルカリは、100%子会社「メルペイ」で同様のサービスを構想している段階であり、この分野においてはラクマが1歩先行する形になった。

現状、メルカリで得た売上金をメルカリ以外で使う場合は、一度口座に振り込む必要がある。また、売上金には180日という「振込申請期間」が設定されており、その期間中に「口座に振り込む」か、メルカリ内で使える「ポイントを購入」するか、選ばなければならない。ただし振込の場合、1万円未満だと210円の手数料が発生する(2018年1月21日時点)。ラクマの売上金チャージ機能と比較すると、どうしても見劣りしてしまうだろう。

ちなみに筆者もメルカリユーザー。現状、売上金が合計1万円に満たないため、振込手数料を発生させずに現金に換えるためには、あと1540円分の売り上げが必要になる (画像はメルカリアプリより)

しかし、少し古いデータではあるが、2018年5月31日のニールセン デジタルの発表によると、スマートフォンからの利用率の高いオークション/フリマサービスは、1位がYahoo! オークションで25%、2位がメルカリで23%、3位がラクマで11%であることがわかっており、同じフリマサービスであっても、ラクマの利用率はメルカリの半分であるのが現状だ。

メルカリのダウンロード数は2018年11月14日時点で7500万、ラクマが同年10月時点で1500万と、両サービスの普及率にも差があることからも、日本におけるフリマ市場のバランスがすぐにひっくり返ることはないだろう。

だが、ラクマが売上金をさまざまなサービスに使えるという実用性で、メルカリとの新たな差別化ポイントを生み出したことは、新規ユーザーの獲得に少なからず貢献しそうだ。

ラクマ売上金のチャージ額が5億円突破したことは、ユーザーの「アプリ内の売上金を別の場所で使いたい」というニーズの強さの証明ともいえよう。こうしたユーザー視点に立った機能の追加による消費体験の向上が、フリマ市場にどのような影響をもたらすのか、キャッシュレス決済市場への参入が期待される、メルカリの動向と合わせて注目したい。

1000字の描き直しを越えて ―ナール制作の舞台裏

最初の書体感覚をもち続けることのむずかしさ

写研で書体デザインの責任者を務めていた橋本和夫さんに衝撃を与えた書体、ナール。作者の中村征宏氏が第1回石井賞創作タイプフェイスコンテスト応募時に書いた設計意図は、次の通りだ。

〈縦組みの場合にも、横組みにも字間のバランスがムリなく一つの流れを持つことを念頭におき、ボディータイプとして、従来使用されなかった丸ゴシック系のタイプフェイスを試みた。字面をいっぱいに使い、文字のエレメントを強調し、細い線で構成することによりシンプルさを求めた。字面を大きく使うことが字間の問題に関連し、字間のバランス調整のための切り貼り、字詰めの工程を少しでも短縮することができるのではないかと思う。その結果、組み上がりにおいて、集合の調和が生まれるのではないかと思う。広告制作物などにおいて、コピーやサブ・タイトルなどに適するのではないかと考える。〉(*1)

中村征宏氏の著書『文字をつくる』(美術出版社、1977年)

1970年(昭和45)5月18日にコンテスト授賞式が開催されたのち、写研からの文字盤発売に向けて、同年8月ごろから本格的な書体制作が始まった。必要な文字数は漢字が約5400字、ひらがなとカタカナで約150字、アルファベット約100字、その他(約物、記号など)約200字で、合計約5800字だ。写研の監修を受けながら、原字はすべて中村氏が描いた。監修を担当したのは橋本さんである。

約5800字の原字を描くのは、想像以上に大変な作業だ。橋本さんは語る。

「コンテストに応募するときに描いていただくのは、漢字50字とひらがなカタカナ、そして記号の一部だけです。それを1枚のパネルに構成するので、文字構成としては、まとめやすい。ところが、文字盤化する際には約5800字を1文字1文字描くことになり、完成するまでの年月は2年はかかります。外部デザイナーの方と書体をつくるようになって、われわれが一番苦労したのは、“今月と来月では、仕上がってくる書体の雰囲気が変わってしまうことがある”ということでした」

「文字を増やす際に字種リストを渡すのですが、『何の文字をつくるか』を見るためのリストのはずが、長い間ながめているうちに、つくっている文字がリストの文字に似てきて、当初のデザインと雰囲気が異なってきてしまった。ナールは既成概念をくつがえす、突き抜けたデザインの丸ゴシック体だったはずなのに、描き進むうちに最初のデザイン思想から離れ、持ち味が失われるということが起きたのです」

原字を描き進めるうち、コンテストのオリジナルデザインから、いつのまにか特徴が変わってしまっていたのだ。そのままでは、まるで違う書体になってしまう。結局、途中で1000字分を描き直すことになった。

中村氏もこのことを振り返り、著書に〈人の感覚は徐々に変化するものには気づきにくいものですから、いつも最初の見本と照らし合わせながら書き進めることが大切です。このようなことは、太さだけのことではなく字形とか感覚面でも同じようなことがいえます。感覚もときがたつことによってどんどん変化するものですが、とくに最初の感覚は大切にしていきたいものです〉と書いている。(*2)

悩ましい文字

「もうひとつ、ナールを監修したなかで、ひどく悩んだことがありました。ナールは、字面いっぱいに真四角に描かれた書体です。たとえばひらがなの『り』は通常は縦長、『へ』は横長の形をしていますが、これらの文字すら、できる限り正方形に近づけて描かれている。ぼくが悩んだのは、『々』という漢字でした」

ナールでは、縦長の「り」、横長の「へ」も正方形にかなり近い

「時々」「常々」「佐々木」など、同じ漢字を繰り返すことを表すときに用いられる「々」の字だ。

「常識的にいえば、この字は他の漢字よりも小さく描きます。では、通常は縦長、横長など固有の形をもつひらがなですら正方形に近づけているナールでは、どういう大きさにすればよいのか? 最初は『々』も他の漢字と同じ大きさで、真四角にするのがよいと思ったのですが、いざつくってみると、やはり少しは他の漢字より小さくしなければ『々』に見えないとわかりました」

「他の書体をつくるときにも『々』をどういう大きさにするか、いつも考えるのですが、ナールのときにはとりわけ悩んだものでした」

また、こうした試行錯誤を経て、「文字を図形化する際も、かなと漢字の使い方に意味のあることをあらためて認識しました」という。

新聞雑誌、広告から、道路標識まで

途中で1000字の描き直しなどがあったものの、コンテストから2年後の1972年(昭和47)、ナールは写研写植機用の文字盤として発売された。書体名は、「中村」の “ナ” と、丸みを表す言葉である「ラウンド」の頭文字 “R” をとって「ナール」とつけられた。(*3)さらに、ナールと組み合わせて使うことを想定した中太の「ナールD」の文字盤も1973年(昭和48)に発売された。

ナールD(上)とナール(下)

中村氏はコンテスト応募当時、ナールを本文書体と考えていたが、いざ発売されてみると、広告や雑誌、新聞などの見出しなどに使うディスプレイ書体として大人気となった。ポスターや広告のキャッチフレーズ、テレビの字幕、道路標識などに幅広く使われ、一世を風靡した。

「タイポスによってデザイナーのつくる書体が注目され、少女たちが丸文字を書くようになっていく流れのなかで登場したナールは、『時代に乗った』ともいえますが、むしろ『時代をつくった』書体といえるでしょう。写植の文字はナールの登場によって、それまで職人が手描きしていたレタリング文字の分野に浸透していった。“新書体ブーム”の幕開けでした。そうして写植の機械は、単に文字を印字するだけでなく、多彩なディスプレイ書体によって雑誌や広告にファッション性を生み出す手段のひとつとして、とらえられるようになっていったのです」

(つづく)

(注)
*1:中村征宏『文字をつくる』(美術出版社、1977年)P.80
*2:同書 P.21
*3:『文字に生きる〈写研五〇年の歩み〉』(写研、1975年)P.127

話し手 プロフィール

橋本和夫(はしもと・かずお)
書体設計士。イワタ顧問。1935年2月、大阪生まれ。1954年6月、活字製造販売会社・モトヤに入社。太佐源三氏のもと、ベントン彫刻機用の原字制作にたずさわる。1959年5月、写真植字機の大手メーカー・写研に入社。創業者・石井茂吉氏監修のもと、石井宋朝体の原字を制作。1963年に石井氏が亡くなった後は同社文字部のチーフとして、1990年代まで写研で制作発売されたほとんどすべての書体の監修にあたる。1995年8月、写研を退職。フリーランス期間を経て、1998年頃よりフォントメーカー・イワタにおいてデジタルフォントの書体監修・デザインにたずさわるようになり、同社顧問に。現在に至る。

著者 プロフィール

雪 朱里(ゆき・あかり)
ライター、編集者。1971年生まれ。写植からDTPへの移行期に印刷会社に在籍後、ビジネス系専門誌の編集長を経て、2000年よりフリーランス。文字、デザイン、印刷、手仕事などの分野で取材執筆活動をおこなう。著書に『描き文字のデザイン』『もじ部 書体デザイナーに聞くデザインの背景・フォント選びと使い方のコツ』(グラフィック社)、『文字をつくる 9人の書体デザイナー』(誠文堂新光社)、『活字地金彫刻師 清水金之助』(清水金之助の本をつくる会)、編集担当書籍に『ぼくのつくった書体の話 活字と写植、そして小塚書体のデザイン』(小塚昌彦著、グラフィック社)ほか多数。『デザインのひきだし』誌(グラフィック社)レギュラー編集者もつとめる。

■本連載は隔週掲載です。

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