狙いはiPhone? 有機ELでシャープは再び輝けるか

狙いはiPhone? 有機ELでシャープは再び輝けるか

2016.10.31

シャープは、総額約574億円を投資して、有機ELディスプレイのパイロットラインの設備投資を行うと発表した。液晶ディスプレイでの生産拠点でもある三重県多気町の三重事業所、大阪府堺市の堺事業所において、新たな設備投資を行うもので、有機ELディスプレイの生産工程のうち、基板にTFT回路等を薄膜形成するバックプレーン工程や、バックプレーンに有機EL材料を蒸着する有機EL工程、駆動用ICなど周辺部品を搭載する実装工程の設備を導入。2018年4~6月の稼働を予定している。

シャープといえば液晶ディスプレイ、中でもテレビの印象が強いが……。シャープHPより

これにより、本格的な量産に向けた生産ノウハウの蓄積や、歩留り向上といった生産技術の開発を行うほか、小規模な生産も行い、顧客に対し製品を出荷していくことになるという。

また、一部報道によると、シャープは、これらの成果をもとに、2019年にも、スマートフォン向け有機ELディスプレイを、中国で生産を開始することを検討しているという。

シャープの親会社、鴻海精密工業グループの既存施設などを利用するのではなく、沿岸部を中心に新工場を建設、有機ELディスプレイ専門工場とすることも視野に入れている模様だ。

同社では、有機ELディスプレイ関連で2000億円の投資を計画しており、総額約574億円の有機ELディスプレイのパイロットラインの設備投資は、その一環。今後のディスプレイ事業の柱のひとつに成長させる考えだ。

有機ELディスプレイは薄く、高輝度、市場開拓の可能性も

液晶ディスプレイは、バックライトとカラーフィルターを必要とするのに対して、有機ELディスプレイは、これらが不要であるため、原理的に、薄く、高輝度で、色鮮やかなディスプレイを実現できる特徴を持つ。そのため、スマートフォンや車載向け、薄型テレビ向けなどのディスプレイ製品でのシェア拡大が見込まれている。

またその特性を活用して、紙のように丸めたり、折り曲げたりすることのできるフレキシブル有機ELディスプレイの開発も可能、ディスプレイ製品のデザインや用途に変革を促し、これまで液晶ディスプレイでは実現しなかった新たな市場を開拓できるとの期待が集まる。

シャープは、液晶ディスプレイ一本足のイメージが強いが、液晶ディスプレイの技術や生産工程には親和性が高い部分があり、同社でも、「長年培ってきた液晶ディスプレイ技術を活用して、有機ELディスプレイの研究および開発を行ってきた経緯がある」とする。

だが業績悪化の影響もあり、有機ELへの投資を積極化できない状況だったのも事実。

シャープの前社長である高橋興三氏は、「鴻海精密工業グループからの出資完了後は、シャープの事業拡大に寄与するとともに、財務体質の改善にも貢献することになる。近年、抑制せざるを得なかった新たな成長に向けた投資を行っていくことができる」と成長分野への投資が加速することをメリットのひとつに掲げていたが、今回の有機ELディスプレイのパイロットラインの設備投資は、まさにそれを具現化したものだといえるだろう。

鴻海精密工業の郭台銘会長は、「私がエンジニアだったら、有機ELよりも、IGZOへの投資を優先する」と語っていたが、まずは有機ELディスプレイへの投資を優先させる考えだ。このあたりの変わり身の早さも鴻海精密工業流といえるもの。

さらに、シャープの戴正呉社長は、シャープ買収後に有機ELディスプレイの開発に関して、ライバルであるジャパンディスプレイ(JDI)と共同開発したいとの意思を明らかにしてみせたこともあった。

JDIにとっては、事前になんの根回しもない突然の発言に同社関係者は驚きを隠さなかった。

こんなところにも、鴻海精密工業流の一手が見え隠れするといえる。

次期iPhoneから有機ELディスプレイが採用されると

シャープが、有機ELディスプレイに対する動きを一気に加速させている背景には、アップルの存在がある。

アップルは、2017年に発売予定の次期iPhoneにおいて、有機ELディスプレイを採用する方針を示しており、これを巡る争いがここにきて熾烈化してきたからだ。

有機ELディスプレイが採用されているApple Watch。AppleHPより

アップルでは、現在、Apple Watchに有機ELディスプレイを採用するに留まっているが、iPhoneへの有機ELディスプレイの搭載が決まれば、液晶ディスプレイからの転換が一気に進み、有機ELディスプレイに対する需要が拡大。同時に熾烈なシェア争いが勃発することになるのは明らかだ。

一部調査では2018年には、スマホ向けディスプレイは、液晶を有機ELが逆転すると予測されている。

有機ELディスプレイは、すでに韓国サムスンがGalaxyシリーズに採用。現時点では、有機ELディスプレイ搭載スマホといえば、これしかないといった状況だ。現在でもスマホ換算で年間2億枚以上の生産が可能で、さらに生産規模を5割引き上げる計画もあるようだ。LG電子も、大型テレビやスマホにも有機ELディスプレイを採用するなど、サムスンを追随する姿勢をみせる。2018年の新工場稼働に向けて約10兆ウォンを投資するといった動きもあり、韓国2社の先行ぶりが際立つ。

また、中国勢も大手4社が今後3年間で4兆円にのぼる投資を有機ELディスプレイにつぎ込むとの見方も出ている。

先行している韓国勢に対して、シャープは、アップルと強いパイプを持つ鴻海精密工業グループの力を活用して、ここに入り込もうとしているというわけだ。

また、売上高の半分以上をアップルに依存するJDIも、次期iPhoneで商談を失えば、業績への痛手は図りしれない。すでに、アップル依存の影響もあり、2期連続赤字という状況に陥っているだけに、アップルの有機ELディスプレイへのシフトは、同社の今後の行方を左右することになるのは間違いない。だが、有機ELディスプレイに対するJDIの出遅れ感は否めず、今後、政府がどんな形でJDIを支援するのかも気になるところだ。

今回のシャープの一連の動きで、いくつか注目しておくべきポイントがある。

どれだけ早く量産体制が確立できるか

アップルがiPhoneに有機ELディスプレイを搭載すると見られているのは、2017年のモデル。これに対して、シャープがパイロットラインを稼働させ、小ロットの生産を開始するのが2018年4~6月。初期モデルの競争には参入できないというわけだ。

今年発売されたiPhone。これには搭載されていないが、2017年のモデルには搭載されると見られている

だが、競合他社もそれと状況は大きくは変わらない。現時点では、アップルの需要に対応できるような量産体制を敷いているのはサムスンだけであり、それ以外の企業はこれからの投資を加速する段階にある。いかに早く量産を確立するのかが鍵であり、各社が投資を急いでいる理由もそこにある。

しかし、これは大幅な出遅れを意味するものではない。アップルは当然のことながら、リスクヘッジのために、複数のベンダーと契約する。シャープが入り込む余地は残されているといえるわけだ。

どこに工場を計画するか

もうひとつは、2019年に稼働する工場を中国に設置することにこだわった点だ。当初は国内での生産ラインの設置を視野に入れていた模様だが、鴻海精密工業グループによるiPhoneの生産拠点が、中国にあり、供給面でメリットが生まれると考えれば当然だ。さらに新工場建設には、政府の支援なども得られるとの目論見もある。また、場合によっては、iPhone 4のときのように、アップルが工場稼働に向けた資金を提供するといった動きも考えられる。果たして、どの程度の生産規模の工場を計画しているのか。それによって、アップルとの交渉内容も大きく変化するだろう。

失敗から学び、需要を的確に把握することがカギ

いずれにしろ、シャープは、有機ELディスプレイを今後の事業成長領域のひとつに位置づけて、積極的な投資を行っていくことになるのは間違いないだろう。そして、そこには、アップルとの交渉内容が大きく影響することになる。

SMBC日興証券によると、現在の各社の設備投資計画をもとに試算した結果、2018年には、需要に対して供給過剰な状況が生まれ、液晶ディスプレイでみられたような過当競争が発生。価格下落によるパネルメーカーの収益悪化、投資抑制という負のサイクルに陥ることを懸念するが、その一方で、Curved、Rollable、Bendableといった有機ELディスプレイ特有の機能を活用すれば、スマホ一台あたりに利用されているパネル面積は、現在のガラスタイプのサイズに留まらず、2~3倍に拡大。それによって、むしろ需要に追いつかない状況が生まれると予測する。

液晶ディスプレイでは、供給過多の状況のなかで、負のサイクルに陥り、業績を悪化させたシャープが、有機ELディスプレイという新たな市場において、需要をどう読み、そこにどう投資をするのか。そして、百戦錬磨の鴻海精密グループの傘下という、これまでとは違う体制で挑む成果がどの形で表れるのか。当然、これまでとは手の打ち方が違ってくるだろう。シャープが果たして、どんな一手を打ってくるのかが注目される。

78万人のIT人材不足に一石、新たな人材育成に挑む「メイカーズチャレンジ」とは?

78万人のIT人材不足に一石、新たな人材育成に挑む「メイカーズチャレンジ」とは?

2019.03.19

2030年までに日本国内でIT人材が78万人も不足する危機的状況

学生や若手のIT育成に挑む新機軸の試み、その中身をレポート

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世界で500億台ものIoT機器が普及することが見込まれている2020年台がいよいよ目前に迫っている。

少し古い調査結果だが、2016年6月の経済産業省の「IT人材の最新動向と将来推計に関する調査結果」によると、IT人材は2019年をピークに減少傾向へ転じ、2030年には(高位想定で)約78万人不足すると予測する。IT人材に限らず、日本では少子高齢化が進み、多くの業種で人手不足が発生するといわれている。

その対策の柱となるのが、人材育成だ。これまでの20世紀型のビジネスでの価値創造の要素が「ヒト・モノ・カネ」だったのに対し、今後は「データ・ソフト・サービス」に要素が大きくシフトするといわれている。すなわち、必要となる人材も大きく変わっていくことになる。それは、従来のICT企業に限ったことではなく、ユーザ企業においても然りだ。

そこで今回紹介したいのは、総務省が学生や若手エンジニアを対象にIoT人材育成を目的として実施している「Web×IoT メイカーズチャレンジ」である。2018年度は国内9か所でイベントが開催され、2019年2月から3月にかけては、東京でも開催された。この取り組みが何を変えようとして、どのような一石を投じているのか、イベントで実際に実施された内容を下敷きに紐解いてみたい。

Web×IoT メイカーズチャレンジ 2018-19

Web×IoT メイカーズチャレンジ開催の経緯

総務省の情報通信審議会の技術戦略委員会では、かねてよりIoT・ビッグデータ・AI時代の人材育成方策についての議論が続けられており、去る2016年には、中間答申というかたちで以下のような旨の提言も出されている。

「IoTを総合的に理解し、使いこなせる人材・アイデアを発想できる人材が求められており、若者やスタートアップを対象とした開発キットやオープンソースなどを使ったモノづくりを通じた体験型教育やアイデア・ソリューションを競うハッカソンの取り組みを推進することが重要である」

こうしたことを受け、日本最大規模の産官学のIoT推進組織「IoT推進コンソーシアム」の技術開発ワーキンググループ「スマートIoT推進フォーラム」に、「IoT人材育成分科会」が設置されることとなり、そこでの議論を踏まえてこの人材育成事業、Web×IoT メイカーズチャレンジがスタートすることになった。

IoT推進コンソーシアムとスマートIoT推進フォーラムの体制

では、具体的にはどのような人材が今後必要とされるのか? また、未来に向けて、どういった手法でそのような人材を育成していくのだろうか?

Web×IoT メイカーズチャレンジの基本方針などを策定する実行委員会の主査で、上述のIoT人材育成分科会の構成員でもある株式会社KDDIの高木悟氏と、同実行委員会で副査を務める一般社団法人WebDINO Japanの瀧田佐登子氏の両氏に、その点についての話を伺った。

高木氏は、IoTを活用し社会を変革する創造性豊かなエンジニアリング・イノベータ力を備えた若手人材の育成には、

(1)無線装置やセンサ・アクチュエータなどのハードウェアとコンピューティングロジックを中心としたソフトウェア双方を扱えるスキル
(2)情報システムの共通基盤技術となっているWeb技術に基づくIoTシステム構築スキル
(3)企業の製品開発やサービス企画の現場でも、新技術の迅速な導入にもスピード感を持って対応できるアジャイル開発に対応できるエンジニア力
(4)実際にアイデアを試作し、改良を繰り返して実現するプロトタイプ創出力といったスキル

が求められており、Web×IoT メイカーズチャレンジでは、特にそのあたりを意識したイベント設計を行っていると話す。

KDDI株式会社技術開発戦略部マネージャー:高木悟氏

ポイントになるのは、このイベントに参加する学生や若手エンジニアが、座学の講習だけでなく、ハンズオン形式の講習会で実際にボードコンピュータやセンサーやアクチュエータの扱いを体験し、一定の準備期間を設けたうえで、ハッカソンで実際にプロトタイピングを行うという一連のものづくりプロセスを実体験することにある。

Web×IoT メイカーズチャレンジでは、UIやクラウドを含む情報システム全体をひとつの標準化された中立的な技術体系のもとで「ハードウェアを制御できるスキル」を獲得する機会を提供しているが、Webを介することによって、OS、デバイスといったレイヤーごとの違いを吸収し、普遍性の高い共通な技術を学ぶことができる。さまざまなデータをやりとりするには、「Webがもっともやりやすい」と副査の瀧田氏も指摘する。そういった観点からイベント名にもWeb×IoTの文字が冠された。

WebDINO Japan代表理事:瀧田佐登子氏

東京大会の概要をレポート

では、東京大会の様子を交えつつ、本取り組みの具体的な流れを少しレポートしたい。2月9、10日の2日間にわたりハンズオンを含む講習会が開催された。IoTの基礎知識やWiFiやLTEなど、IoT開発には欠かせない通信技術やその根源となる電波の特性について講義を受けたうえで、実際に「Raspberry Pi 3」と各種センサーやデバイスなどの接続・動作を行うハンズオンを約1日半じっくりと行う。受講者は個人単位で参加申し込みを行うが、講習会の2日目にはチーム単位に分けられ、準備期間を置いた後日に開催するハッカソンに向けた準備をスタートする。

東京会場にて。チームでのアイデアソンの風景

チーム分け後は、まずはアイデアソンを実施し、「身近な人をハッピーにするIoTデバイスを作ろう」などといったテーマをもとに議論を進める。初めて会ったメンバー同士で、いかに議論を深めていくか、これが最初の試練といえるだろう。また、各チームには上限額25,000円の予算が与えられ、その中でハッカソンに提出する作品で使うセンサーなどの部品を用意する。ここでは準備期間中の材料調達を含むマネージメント力が求められる。

そして、ハッカソンに向けて作成する作品では、以下の要件が求められる。

・ネットワークサービスの連携、もしくはネットワークからのコントロールが可能なこと
・Raspberry Pi 3を使って、Web GPIO APIあるいはWebI2C APIのいずれかを利用すること

ちなみにハッカソンの審査基準は、以下の通り。

・ソフトウェア・ハードウェアの実装力
・アイデアの独創性・ユースケースの有用性
・無線の活用度

そして、今回の東京大会のハッカソンには、計35名8チームが参加した。

ハッカソンの各チームの様子。今回は計35名8チームが参加した

ハッカソンというと、賞金目当てのツワモノが集まるというイメージがある。しかし、メイカーズチャレンジは、そもそもが「学びの場」として開催しているため、ハッカソン初心者やスキルレベルが不安な学生であっても参加しやすい枠組みを用意している。とにかく、わからないことがあれば積極的にチューターやメンターに聞き、解決していく。終始なごやかな雰囲気で進んでいくことも印象的だ。

こちらはハッカソン2日目の様子。初日のなごやかさからは打って変わり、開発完了に向け緊張感も漂う

それでもハッカソンが2日目にもなると緊張感が漂う。決められた開発締め切りに向かって、時間との戦いである。その日のうちに審査が始まり、今回は、最優秀賞が1チーム、優秀賞が3チーム選出された。

最優秀賞受賞チームの皆さん。後ろに立つ3人は審査員

順序が逆になってしまったが、審査員は以下の通りである。

・村井純氏(慶應義塾大学 環境情報学部教授 大学院政策・メディア研究科委員長)
・小林茂氏(情報科学芸術大院(IAMAS) 産業文化研究センター教授)
・瀧田佐登子氏(一般社団法人WebDINO Japan代表理事、実行委員会副査)

各チームの作品やその他の情報については、Web×IoT メイカーズチャレンジの公式サイトで情報が提供されるので、参照してほしい。

Web×IoT メイカーズチャレンジの成果と今後

今回、2年目を迎えたメイカーズチャレンジの取り組みであるが、その成果はどうだろうか。高木氏は、ほぼ目的は達成されていると判断しているという。実践的な講習会とハッカソンの組み合わせに参加者の多くが満足しており、チューターのサポートやチームでの開発体験を貴重な機会だと感じてもらえたと、手ごたえを語る。

人材育成というと、とかく受講者が受け身の講習が行われがちだが、この施策は講習会からハッカソンまで、参加者が自ら試行錯誤しながら様々なスキルを身につけるアクティブ・ラーニングの機会となっている。瀧田氏は、プログラミングやハードウェアのスキルに限らず、少ないとはいえ制作予算の配分管理や、材料の調達、さらに時間配分やチーム内のコミュニケーションなど、プロジェクトのマネジメントを体験する貴重な機会にもなっていると説明する。

学生から社会人まで、参加者は様々

企業が社員に向けて行う人材育成は、成果の前に、そのコスト・手間暇が大きなハードルとなる。Web×IoT メイカーズチャレンジは、その課題を補完する答えの1つともいえるだろう。今回の東京開催の会場を見ると、30才未満の若手社会人も多く参加しており、大学生や高専生、高校生と混じってチームを組み、真剣にものづくりに向き合う姿が見られた。

Web×IoT メイカーズチャレンジは2019年度も各地で開催される予定だ。立場を問わず関心を持った読者の方がおられれば、将来に立ち向かう可能性のひとつとして、参加や見学を検討してみていただきたい。

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印鑑業界による印鑑文化の優位性アピールが話題

会社経営者として感じる、捺印作業の面倒さ

「サイン文化」と「印鑑文化」で変わる組織カルチャー

行政手続きのオンライン化を目指す「デジタル手続き法案」をめぐり、全日本印章業協会がアピールした「印鑑のメリット」が話題になっている

「代理決済できるという印章の特長が、迅速な意思決定や決済に繋がり、戦後の日本経済の急速な発展にも寄与してきた」(原文ママ)というものだ。

「ハンコならこっそり代理決済ができる」などと、身も蓋もなく自ら印鑑廃止を後押ししてしまいかねない意見が出てしまったことは興味深い。
でも僕は、ただのバイオテクノロジー屋なので、ITを活用した効率化しますよ業界の回し者でもなければ、印鑑業界の人を敵に回すメリットだってないので、特にこの点について深く言及しないし、「日本における今後のハンコをどうするべきか」なんてことを掘り下げて云々するつもりもない。

ただ、日本を含む4カ国でスタートアップを立ち上げた経験から、企業の組織カルチャー形成に、承認方法としての「印鑑」と「サイン」の違いが、とても大きな影響を与えているのではと実感した話を書いておきたい。

日々、何かと多すぎるハンコ作業

まず共有しておきたい事実は、日本で会社を経営すると、毎日ものすごい数の代表印や銀行印や社印を押さなければいけないということだ。(会社の印鑑って3種類あるの知ってました?)

お客さんと契約してお金をいただくときに契約書に捺印するのはイメージできると思うが、その後もお金が銀行口座に無事入るまで、受領やらなにやら契約書だけでなく、さまざまな書類にとにかく捺印をしまくる必要がある。

また、家賃を払う、プリンターのトナーが切れる、実験試薬を買うなどなど、とにかく会社を運営する活動の一つ一つに対して、それぞれ細かくおびただしい数の印鑑を押す。法人が国や地方自治体に税金を払う時はもちろん、社員のあれこれも、例えば社員の誰かが結婚したり引っ越したりするだけでも印鑑を押しまくる。自分で会社をやってみてつくづくわかったが、とにかく捺印の数が膨大だ。

しかも、びっくりすることに、民間企業も市町村も、同じことをするために、それぞれがまったく違うフォーマットの書類に捺印を求めてくる。

こうして、大量な上にフォーマットがまったく違う書類を毎日渡されて、決められた位置に決められた種類の捺印をすることは、仮に契約書や書類の中身をまったくチェックしないで無責任に捺印したとしても、結構な時間を必要とする作業だ。

捺印にかける時間が惜しい

しかもうわの空で押していると、銀行印を押すべきところに代表印を押し間違えてしまったり、インクが簡単にかすれてしまったりするのが印鑑だ。人生において、こんな捺印ミスなどという程度のことで書類を作り直してもらう羽目になった回数を考えただけで、こんな単純な作業に失敗する情けなさとと、書類を作ってくれる従業員への申し訳なさで、どこかに隠れてしまいたい気持ちになる。

そう、僕は毎日、隠れてしまいたい気持ちになっているのだ。

なぜ、日本から印鑑はなくならないのか

我々の会社のように、たとえ社長だろうがあっちこっちに、営業に謝罪にと、せわしなく飛び回わることで、なんとか会社の体を保っているような規模の企業の方が世の中には多いと思う。そんな"貧乏暇なし社長”がこの捺印という物理的作業に忙殺される時間というのは、正直いって無駄以外の何物でもない。

にもかかわらず印鑑を押すという文化が日本に残っているのは「捺印するという作業」は、誰かに頼めてしまうからなのだと思う。多くの会社において「捺印をし続けるという作業」を自分でやっている社長はあまり居ないのかもしれず、ここが、すべて自ら書かなければいけないサインとの最大の違いなのだろう。

ちなみに、僕の場合は「捺印をし続けるという作業」だけを人に頼むような仕事の依頼の仕方は好みではないので、あちこちに会社を立ち上げては、担当者に「代表取締役」の役職ごと譲るようにしている。

海外の「サイン文化」は印鑑以上に面倒?

冒頭にも書いたが、僕は日本以外の3カ国でも会社を経営している。言うまでもなく日本以外の国は、承認の証としては「サイン」が一般的だ。

日本の会社同士の契約書の場合は、代表者の名前の脇に代表印と社印を、契約書を閉じた裏面に割印を一カ所押す形式であることが多い。つまり、二者間の契約であれば、先方用の契約書と当方用の契約書をあわせて、計4カ所の代表印と計2カ所の社印を押せばよい。

ところが、海外の契約書は、すべてのページにサインをしなければならない。海外の契約書は「実際にそんなことは起きないって」ってくらい、ありとあらゆる場面を想定した契約書になっていることが多く、とにかく契約書が長い。

感覚として、同じような内容の契約をするのに、日本の会社同士の契約の5倍~10倍のページ数になっても驚かない。

つまり、ちょっとした契約書でも軽く100ページを超えてくるわけだが、このすべてのページに手書きでサインをすることを想像して欲しい。契約書の中身を読んでただただサインを書き続けていると、「こんな作業に時間を使い続けてていいのだろうか」という自問の気持ちが芽生えてくる。

その組織カルチャーの差、ハンコとサインの差が原因ですよ

言うまでもなく、サインは誰かに代わりに書いてもらうことはできない。では、サインを書く物理的な時間を減らすために、何が起こるのかというと、「権限委譲」が進むのである。

日本の会社だと当たり前のように社長の名前で締結する規模の契約でも、海外の会社だと担当部長あたりの名前で契約を締結してくる。

もしかしたら、日本の会社のカルチャーだとそれは失礼なことに当たるのかもしれないが、サインを前提とした会社において、会社のすべての契約を社長名義で契約していたら、社長の一日は「サインを書く」という作業だけで終わってしまう。だから、どんどん権限委譲をしていくしかない。

日本の大企業の合意形成や意思決定のあり方を分析する文脈において、「日本の会社は権限委譲が進んでいない」とか、「プロジェクトごとの意思決定者の所在がよくわからないから、スピード感が遅くなってグローバル競争に負けてしまう」などという指摘を頻繁に見る。

特に近年流行りの「日本企業のホワイトカラーの生産性を高めましょう」という議論の多くでは、日本企業のこういった特殊性の原因を、日本人の歴史的・文化的背景や、国民性が理由であると結論づけている。

だからもっぱら、風通しがよく責任範囲が明確で、意思決定の早い会社にするために、せっせと組織構造をいじったり、管理職に研修をしたりと、コンサル屋さんが儲かるだけの努力に大きなお金を払うことになっているのだが、大きな効果が得られているようにみえない。

僕の考えは、特殊性の理由がちょっと違っていて、「その組織カルチャーの差って、捺印とサインの差が本質的な原因ですよ」と、わりと確信に近い自信を持っている。

捺印の作業だけを誰かに頼むのではなく、捺印をする権限ごとどんどん頼んでしまえばいい。ハンコにウンザリしている世の中の社長さん、そう思いません?

(藤田朋宏:ちとせグループ 創業者 兼 最高経営責任者)

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