M&A用語の歴史 その3

M&A用語の歴史 その3

2016.09.15

M&A用語の歴史 その3
■ライブドア/ニッポン放送の買収合戦(2005年)

 グッドイヤー・タイヤの事例(1986年)を前回ご紹介したが、こうしてみると当時話題となったライブドア/ニッポン放送(2005年)の騒動と似ていることがよくお分かりいただけると思う。

 ライブドアの背後には投資銀行のリーマン・ブラザーズ(Lehman Brothers 2008年倒産)がおり、これがMSCB(Moving Strike Convertible Bond;転換価格修正条項付転換社債)という聞きなれない方法で買収資金を貸し出したことにより、積極果敢な株式の買い付けができたこと、ニッポン放送が株式市場において本来の価値よりも低い株価しかついていなかったこと、結果的にニッポン放送が上場廃止になったこと、ニッポン放送経営陣の対応が後手に回ったことなど、本当に似ている。

 ライブドア/ニッポン放送の騒動の過程では、フジテレビの株式やポニーキャニオンの株式など優良資産を第三者に売却してしまうことも検討された。その他の買収防衛策として、ゴールデン・パラシュートなどの方法もあるが、いずれにしても買収防衛策は”諸刃の剣”である。

 つまり、ポイズン・ピルにせよ、クラウン・ジュエルにせよ、企業価値を意図的に毀損させることによって相手の買収意欲を削ぐことが戦略の基本にあるからだ。

 過度な買収防衛策は、経済社会にとってよくない面もある。買収防衛策の王道とは、自社の株価を適正な価値に保っておくようIR活動に力を注いだり、いたずらに内部留保を溜め込まず利益が出たときには適切な配当をしたりする、あるいは自社株式の買入消却をすることだろう。

 意外に思われるかもしれないが、「増配」は敵対的買収に対する対抗策としてかなりの効果がある。増配とは文字通り配当を増やすことだが、内部留保が厚く、借入金が少ない会社は、カネを溜め込んでおくことについて合理的な説明ができない場合が多く、得てして株式市場では低評価となっている。

 ここに敵対的買収者がつけ入る隙がある。

 かつてスティール・パートナーズ(Steel Partners)というアメリカの投資会社(現在は日本から撤退)が、内部留保が厚いうえに借入金が少なく、カネを溜め込んでいながら株式市場では低評価となっている日本企業に対し、敵対的買収を仕掛けてきた。

 これに対して経営陣がとった防衛策が「増配」だった。効果はてきめんで、経営陣が内部留保を吐き出すぐらいの配当を発表すると、株価が急上昇し、スティール・パートナーズにとって魅力的とはいえない水準まで株価が上昇する。

 敵対的買収者は極めてビジネスライクであり、買収企業を保有したいという欲求は低い。自分たちが買収してもうからないとするならば、今度は持ち株を売却し、敵対的買収から撤退するのである。

 こうしてスティール・パートナーズは株価上昇によって十分な利益を得たので、敵対的買収を諦めはしたが、投資としては大成功であったといえる。

【M&A用語解説】
MSCB(Moving Strike Convertible Bond;転換価格修正条項付転換社債)

通常の転換社債と異なり、株価下落時には転換価格も引き下げられるため、MSCBに投資した投資家はまず損をしない。しかもMSCBは大株主からの大量の貸株契約とセットになっていることが多く、MSCBを引き受けると同時に、借りた株を市場で大量売却して株価を大幅に引き下げた後にMSCBを株式に転換して返却すれば、損をすることがない。MSCBはこのような性質を持つため、信用力の乏しい企業でも多額の資金調達が可能だが、発行したあとは株価の下落と、発行済株式数の大幅増加による1株あたりの価値の低下を招くなど、”副作用”が大きい。まさに魔の資金調達方法といえる。

ゴールデン・パラシュート(Golden Parachute)

買収対象企業がその経営者に対し、買収が成立した場合に多額の退職金を支払うことにより、財務内容が将来的に悪化することを利用して、買収阻止を狙うこと。退職金自体も高額だが、高額であることから退職金の一定額以上分の損金算入が否認されるため、買収後に被買収企業のキャッシュフローに大きな悪影響が出てくる場合があり、アメリカではかなり有効な防衛手段とされていた。

クラウン・ジュエル(Crown Jewel)

王冠にちりばめられた高価な宝石になぞらえられる優良な関連会社などの資産を王冠である買収対象企業から外してしまい、買収後の企業価値を著しく低下させることで、買収対象企業としての自社の魅力を削いでしまうこと。日本では焦土作戦などと訳されている。ニッポン放送のケースでは、ポニーキャニオンの増資をフジテレビが引き受ける形で、ニッポン放送という王冠から宝石(ポニーキャニオン)外しをするという案があった。

パックマン・ディフェンス(Pac-man Defense)

敵対的買収を仕掛けてきた相手に対して、こちらからも逆買収をかけ、真っ向から勝敗を決めにかかるという買収対応策。茶の間を賑わせることにはなるが、ワイドショー以上の価値はない。
株の買占め合戦のほか、資金調達合戦を繰り広げたり、まさに消耗戦と泥仕合になりかねない。当時アメリカで流行ったパックマン(日本初のテレビゲーム)になぞらえた。

■おわりに

 こうした用語の中には、時代の役割を終えて死語となったものも多いが、M&Aの歴史の所産としてあえて紹介した次第である。

文:株式会社ストライク 鈴木伸雄
編:M&A Online編集部

M&A用語の歴史 その1【LOB・TOB】を読む
M&A用語の歴史 その2【グリーンメール、スリーピング・ビューティーほか】を読む

執筆者紹介

鈴木 伸雄(すずき・のぶお)

株式会社ストライク 取締役副社長
1948年新潟県生まれ。
協和銀行(現りそな銀行)入行。シカゴ支店勤務時代にボルグワーナー、オーエンズイリノイ等、数多くの買収案件に携わる。
その後、協和フィナンシャルフューチャズ(シンガポール)社長、あさひ銀行シカゴ支店長、あさひ銀事業投資(現りそなキャピタル)取締役等を経て、2003年より現職。

メルカリ出し抜くラクマ、売上金の「楽天キャッシュ」チャージ額が5億円を突破

メルカリ出し抜くラクマ、売上金の「楽天キャッシュ」チャージ額が5億円を突破

2019.01.22

ラクマ売上金の「楽天キャッシュ」チャージ額が累計5億円に

同様のサービスを構想しているメルカリを先行する形に

楽天は1月21日、フリマアプリ「ラクマ」において、取引で発生した売上金のうちオンライン電子マネー「楽天キャッシュ」へチャージした累計額が2018年12月末に5億円を突破したと発表した。

ラクマでの売上金を楽天キャッシュへチャージする機能は、2018年7月より提供開始されている。チャージした電子マネーは、楽天会員向けのグループ各種サービスで利用できるほか、ローソンやファミリーマートなど「楽天ペイ」対応店舗での決済でも利用可能だ。

2017年8月1日から開始されたローソンでの支払いに続いて、2018年12月4日からはファミリーマートでも楽天ペイが使用できるようになった

同じくフリマアプリを展開するメルカリは、100%子会社「メルペイ」で同様のサービスを構想している段階であり、この分野においてはラクマが1歩先行する形になった。

現状、メルカリで得た売上金をメルカリ以外で使う場合は、一度口座に振り込む必要がある。また、売上金には180日という「振込申請期間」が設定されており、その期間中に「口座に振り込む」か、メルカリ内で使える「ポイントを購入」するか、選ばなければならない。ただし振込の場合、1万円未満だと210円の手数料が発生する(2018年1月21日時点)。ラクマの売上金チャージ機能と比較すると、どうしても見劣りしてしまうだろう。

ちなみに筆者もメルカリユーザー。現状、売上金が合計1万円に満たないため、振込手数料を発生させずに現金に換えるためには、あと1540円分の売り上げが必要になる (画像はメルカリアプリより)

しかし、少し古いデータではあるが、2018年5月31日のニールセン デジタルの発表によると、スマートフォンからの利用率の高いオークション/フリマサービスは、1位がYahoo! オークションで25%、2位がメルカリで23%、3位がラクマで11%であることがわかっており、同じフリマサービスであっても、ラクマの利用率はメルカリの半分であるのが現状だ。

メルカリのダウンロード数は2018年11月14日時点で7500万、ラクマが同年10月時点で1500万と、両サービスの普及率にも差があることからも、日本におけるフリマ市場のバランスがすぐにひっくり返ることはないだろう。

だが、ラクマが売上金をさまざまなサービスに使えるという実用性で、メルカリとの新たな差別化ポイントを生み出したことは、新規ユーザーの獲得に少なからず貢献しそうだ。

ラクマ売上金のチャージ額が5億円突破したことは、ユーザーの「アプリ内の売上金を別の場所で使いたい」というニーズの強さの証明ともいえよう。こうしたユーザー視点に立った機能の追加による消費体験の向上が、フリマ市場にどのような影響をもたらすのか、キャッシュレス決済市場への参入が期待される、メルカリの動向と合わせて注目したい。

1000字の描き直しを越えて ―ナール制作の舞台裏

最初の書体感覚をもち続けることのむずかしさ

写研で書体デザインの責任者を務めていた橋本和夫さんに衝撃を与えた書体、ナール。作者の中村征宏氏が第1回石井賞創作タイプフェイスコンテスト応募時に書いた設計意図は、次の通りだ。

〈縦組みの場合にも、横組みにも字間のバランスがムリなく一つの流れを持つことを念頭におき、ボディータイプとして、従来使用されなかった丸ゴシック系のタイプフェイスを試みた。字面をいっぱいに使い、文字のエレメントを強調し、細い線で構成することによりシンプルさを求めた。字面を大きく使うことが字間の問題に関連し、字間のバランス調整のための切り貼り、字詰めの工程を少しでも短縮することができるのではないかと思う。その結果、組み上がりにおいて、集合の調和が生まれるのではないかと思う。広告制作物などにおいて、コピーやサブ・タイトルなどに適するのではないかと考える。〉(*1)

中村征宏氏の著書『文字をつくる』(美術出版社、1977年)

1970年(昭和45)5月18日にコンテスト授賞式が開催されたのち、写研からの文字盤発売に向けて、同年8月ごろから本格的な書体制作が始まった。必要な文字数は漢字が約5400字、ひらがなとカタカナで約150字、アルファベット約100字、その他(約物、記号など)約200字で、合計約5800字だ。写研の監修を受けながら、原字はすべて中村氏が描いた。監修を担当したのは橋本さんである。

約5800字の原字を描くのは、想像以上に大変な作業だ。橋本さんは語る。

「コンテストに応募するときに描いていただくのは、漢字50字とひらがなカタカナ、そして記号の一部だけです。それを1枚のパネルに構成するので、文字構成としては、まとめやすい。ところが、文字盤化する際には約5800字を1文字1文字描くことになり、完成するまでの年月は2年はかかります。外部デザイナーの方と書体をつくるようになって、われわれが一番苦労したのは、“今月と来月では、仕上がってくる書体の雰囲気が変わってしまうことがある”ということでした」

「文字を増やす際に字種リストを渡すのですが、『何の文字をつくるか』を見るためのリストのはずが、長い間ながめているうちに、つくっている文字がリストの文字に似てきて、当初のデザインと雰囲気が異なってきてしまった。ナールは既成概念をくつがえす、突き抜けたデザインの丸ゴシック体だったはずなのに、描き進むうちに最初のデザイン思想から離れ、持ち味が失われるということが起きたのです」

原字を描き進めるうち、コンテストのオリジナルデザインから、いつのまにか特徴が変わってしまっていたのだ。そのままでは、まるで違う書体になってしまう。結局、途中で1000字分を描き直すことになった。

中村氏もこのことを振り返り、著書に〈人の感覚は徐々に変化するものには気づきにくいものですから、いつも最初の見本と照らし合わせながら書き進めることが大切です。このようなことは、太さだけのことではなく字形とか感覚面でも同じようなことがいえます。感覚もときがたつことによってどんどん変化するものですが、とくに最初の感覚は大切にしていきたいものです〉と書いている。(*2)

悩ましい文字

「もうひとつ、ナールを監修したなかで、ひどく悩んだことがありました。ナールは、字面いっぱいに真四角に描かれた書体です。たとえばひらがなの『り』は通常は縦長、『へ』は横長の形をしていますが、これらの文字すら、できる限り正方形に近づけて描かれている。ぼくが悩んだのは、『々』という漢字でした」

ナールでは、縦長の「り」、横長の「へ」も正方形にかなり近い

「時々」「常々」「佐々木」など、同じ漢字を繰り返すことを表すときに用いられる「々」の字だ。

「常識的にいえば、この字は他の漢字よりも小さく描きます。では、通常は縦長、横長など固有の形をもつひらがなですら正方形に近づけているナールでは、どういう大きさにすればよいのか? 最初は『々』も他の漢字と同じ大きさで、真四角にするのがよいと思ったのですが、いざつくってみると、やはり少しは他の漢字より小さくしなければ『々』に見えないとわかりました」

「他の書体をつくるときにも『々』をどういう大きさにするか、いつも考えるのですが、ナールのときにはとりわけ悩んだものでした」

また、こうした試行錯誤を経て、「文字を図形化する際も、かなと漢字の使い方に意味のあることをあらためて認識しました」という。

新聞雑誌、広告から、道路標識まで

途中で1000字の描き直しなどがあったものの、コンテストから2年後の1972年(昭和47)、ナールは写研写植機用の文字盤として発売された。書体名は、「中村」の “ナ” と、丸みを表す言葉である「ラウンド」の頭文字 “R” をとって「ナール」とつけられた。(*3)さらに、ナールと組み合わせて使うことを想定した中太の「ナールD」の文字盤も1973年(昭和48)に発売された。

ナールD(上)とナール(下)

中村氏はコンテスト応募当時、ナールを本文書体と考えていたが、いざ発売されてみると、広告や雑誌、新聞などの見出しなどに使うディスプレイ書体として大人気となった。ポスターや広告のキャッチフレーズ、テレビの字幕、道路標識などに幅広く使われ、一世を風靡した。

「タイポスによってデザイナーのつくる書体が注目され、少女たちが丸文字を書くようになっていく流れのなかで登場したナールは、『時代に乗った』ともいえますが、むしろ『時代をつくった』書体といえるでしょう。写植の文字はナールの登場によって、それまで職人が手描きしていたレタリング文字の分野に浸透していった。“新書体ブーム”の幕開けでした。そうして写植の機械は、単に文字を印字するだけでなく、多彩なディスプレイ書体によって雑誌や広告にファッション性を生み出す手段のひとつとして、とらえられるようになっていったのです」

(つづく)

(注)
*1:中村征宏『文字をつくる』(美術出版社、1977年)P.80
*2:同書 P.21
*3:『文字に生きる〈写研五〇年の歩み〉』(写研、1975年)P.127

話し手 プロフィール

橋本和夫(はしもと・かずお)
書体設計士。イワタ顧問。1935年2月、大阪生まれ。1954年6月、活字製造販売会社・モトヤに入社。太佐源三氏のもと、ベントン彫刻機用の原字制作にたずさわる。1959年5月、写真植字機の大手メーカー・写研に入社。創業者・石井茂吉氏監修のもと、石井宋朝体の原字を制作。1963年に石井氏が亡くなった後は同社文字部のチーフとして、1990年代まで写研で制作発売されたほとんどすべての書体の監修にあたる。1995年8月、写研を退職。フリーランス期間を経て、1998年頃よりフォントメーカー・イワタにおいてデジタルフォントの書体監修・デザインにたずさわるようになり、同社顧問に。現在に至る。

著者 プロフィール

雪 朱里(ゆき・あかり)
ライター、編集者。1971年生まれ。写植からDTPへの移行期に印刷会社に在籍後、ビジネス系専門誌の編集長を経て、2000年よりフリーランス。文字、デザイン、印刷、手仕事などの分野で取材執筆活動をおこなう。著書に『描き文字のデザイン』『もじ部 書体デザイナーに聞くデザインの背景・フォント選びと使い方のコツ』(グラフィック社)、『文字をつくる 9人の書体デザイナー』(誠文堂新光社)、『活字地金彫刻師 清水金之助』(清水金之助の本をつくる会)、編集担当書籍に『ぼくのつくった書体の話 活字と写植、そして小塚書体のデザイン』(小塚昌彦著、グラフィック社)ほか多数。『デザインのひきだし』誌(グラフィック社)レギュラー編集者もつとめる。

■本連載は隔週掲載です。

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