池袋プリウス事故はガス抜きの「上級国民叩き」で終わってはならない

カレー沢薫の時流漂流 第41回

池袋プリウス事故はガス抜きの「上級国民叩き」で終わってはならない

2019.05.06

漫画家・コラムニスト カレー沢薫さんの社会派連載!

第41回は、池袋プリウス事故で考えさせられた高齢者の運転問題について

平成の終わりに、何とも痛ましい事件があった。池袋の交差点で、80代男性の運転するプリウスが突如暴走し、通行人を次々とはね、2名の死亡者と多くの負傷者を出す、という交通事故があったのだ。

連日続いた報道でおそらく知らない人はいないだろう。これだけ大きく取り上げられているのは、この事故には「様々な条件」が揃っており、さらに多くの問題を提起しているから、と言われている。

まず、亡くなった被害者が若い母親と幼い娘であり、父親は一瞬で妻子を失ってしまったことになる。

キレイごとを言えば命に優劣はないのだが、やはり被害者が子どもだと、我々はより「痛ましい」と感じてしまうものなのだ。逆に「被害者は自称漫画家カレー沢薫36歳(無職)」と報道されたら「うん、まあ」となってしまうのが残念ながら「人情」なのである。

さらに加害者は高齢者の男性である。

高齢者が運転する車による事故は今までも起こっており、そのたびに高齢者の運転について問題提起がされてきた。そんな中で死亡者を出す大きな事故が起ってしまったため「防げた事故だったのではないか」と思わずにはいられないし、「高齢者に車を与えるな!」と海原雄山状態になってしまった人も多いだろう。

また、加害者はただのジジイではない。旧通商産業省工業技術院院長をはじめ、各種団体、企業の重役を歴任した所謂「偉いジジイ」だったのである。

事態は五輪エンブレム以来の「上級国民」批判に

この加害者は現時点で、逮捕をされていない。

このことから加害者は「上級国民」だから忖度され、逮捕されないのだ、という憶測がネットで流れ大きく騒がれることとなった。

状況から見てそう思われても仕方がない所があるが、逮捕されない理屈は一応ある。

加害者も無傷というわけではなく、骨折し入院をした。よって、逃亡、証拠隠滅の恐れがないため、逮捕の必要がないから逮捕されないのだという。

また、逮捕してしまうと、48時間以内に送検する必要があり、拘留も原則10日以内延長されても20以内に、起訴、不起訴をきめなければいけないため、今の取調も満足に出来ない状態の加害者を逮捕したところで、日数を無駄に使うだけなので、むしろちゃんと捜査するために逮捕をしていないという見方もある。

またメディアが加害者を「さん」づけ、または肩書で報道し「容疑者」と呼ばないことに関しても「さんをつけんなよデコ助野郎!」という批判が相次いでいる。

これに関しても「容疑者」という言葉は逮捕された者に用いられる呼称なため、逮捕前である加害者を「容疑者」と報道することをメディアが躊躇しているのではないかと言われている。

だが理屈はどうあれ「さん」はおかしくないか、せめて「メンバー」とか他に言い方はあるだろうというのが「国民感情」であり、ここでもやはり「上級国民だから」という憶測が飛んでいる。

捜査の結果、高齢や心神喪失を理由に罪に問われない、ということになる可能性はあるが、間違ってもこのまま「無罪放免」ということはないと信じたい。今の段階で「上級国民だから人を死なせても無罪なのだ」と言うのは早計だという。

しかし、今の処遇やこれからの捜査に全く「忖度」がされないかというと、それは我々の知る由もないことなので、世間が「納得」できることがないのも確かである。

私刑が当たり前になってしまった「ご時世」とのズレ

現在、インターネットでは、何かやらかした人間は、警察がやらなくても有志により秒で個人を特定され「処される」ことに見慣れてしまっている。

そのため、この事故も法律的なことや、これからのことはどうでも良いから「一秒でも早く加害者が処されるところを見ないと気が済まない」という感情から、「加害者がすぐ逮捕されてない」という事実、また被害者が弱者で加害者が権力者という役満な構図に、世間は爆発的反応を示したのではないかと思う。

感情的には「やりきれない」のは言うまでもないが、法律的には現状ですぐ、どうこう出来る問題ではない、というのも確かなようである。

そして今回の事故で、また大きく注目されたのは「高齢者の運転問題」である。

確かにやりきれぬ事故であり、加害者は適切に裁かれるべきであり、高齢者の免許返納問題も、今の実質「本人の判断に任せる」形では、また同じような事件が起こるだろう。

だからと言って、「老は社会の害悪なので、ある年齢になったら即刻免許を奪って人様に迷惑をかけないように表に出るな」となるのも危険である。別に老をかばいたいわけではなく、自分も老にならないわけがないので危機感を感じるのだ。

この加害者が大きく批判された理由の一つに「東京なら無理して車運転しなくても生活できるだろう」というものがある。

逆に言えば車がないと、まるで生活できない土地に住んでいる老もいるのだ。そんな土地に限って、今後も公共交通がどんどん減ってしまいそうという悪循環だって課題だ。つまり老から免許を奪うことで、老に轢かれる人間は減るかもしれないが、今度は老の生活がままならなくなる恐れがある。送り迎えをしてくれる親族や、タクシーを使う余裕があれば良いが、全ての老がそうではないだろう。

ここで、若い命のために、老は餓死しろ、というようなら、時代は姥捨て山に逆戻りだし、老にならない人間はいないのだから、ある意味自殺行為と言える。

高齢者に車を運転をさせたくなかったら、免許を奪うだけでは解決しない。老をまとめて病院やマックスバリュに連れて行くバスツアーや、「むしろ病院が来い」という訪問型サービスの充実など、老が運転する必要がない「社会」を、老ではない世代も知恵を出して作っていく必要があるだろう。

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なぜ国内版「Xpeira 1」のストレージは半分になってしまったのか

知って納得、ケータイ業界の"なぜ" 第39回

なぜ国内版「Xpeira 1」のストレージは半分になってしまったのか

2019.05.27

待望のXperia 1国内投入に、なぜか落胆の声?

原因はストレージのスペックダウン、その背景

価格とスペックの狭間でゆれる国内市場の現状

携帯電話大手3社から夏のスマートフォン新モデルが次々と発表されたが、ソニーモバイルコミュニケーションズの「Xperia 1」に、ファンから落胆の声が上がっているようだ。それはストレージ容量が海外版の最大128GBではなく、64GBに抑えられてしまったため。そこには販売価格を巡る、メーカーや携帯電話会社の苦悩があるといえそうだ。

値引きが難しい状況下で価格を下げる苦肉の策

大型連休が終わると、携帯電話業界は夏商戦に向けたスマートフォン新製品が次々と発表されるシーズンに入る。今年もその例にもれず、大手メーカーを中心として各社からスマートフォン新製品が次々と発表されている。

だが各社の新製品発表直後、ちょっとした話題となったのが、ソニーモバイルコミュニケーションズの「Xperia 1」に関してである。Xperia 1は映画が見やすい21:9比率の4K有機ELディスプレイを搭載した同社のフラッグシップモデルで、携帯キャリア大手3社から発売される予定だが、話題となった理由はストレージ容量にある。

Xperia 1のストレージ容量は、グローバルで見ると最上位モデルで128GBだ。だが国内に投入されたXperia 1は、ストレージ容量がその半分となる64GBのモデルのみであった。それゆえ最上位モデルの登場を期待していたファンから、落胆の声が多く上がったのである。

大幅なリニューアルをはかったことで注目されていた「Xperia 1」だが、海外版と比べストレージ容量が減らされていたことに落胆の声を上げるファンが多かったようだ

ではなぜ、Xperia 1のストレージ容量は減ってしまったのだろうか。その理由は国内市場向けの販売価格にあると考えられる。例としてNTTドコモ版のXperia 1の価格を見ると、ドコモオンラインショップで10万3,032円となっている。かなりの高額であるというだけでなく、それより高い機種は、東京五輪限定機種モデルの「Galaxy S10+ Olympic Games Edition SC-05L」(11万4,696円)しかない状況のようだ。もしXpeira 1をグローバル版そのままのスペックで投入した場合、もっと高額な販売価格になってしまったはずだ。

しかもこの夏は、NTTドコモが通信料金と端末代を分離した新料金プラン「ギガホ」「ギガライト」の投入を発表するなど、携帯電話会社が従来のように、通信料金を原資としてスマートフォンの価格を大幅に値引くことが困難になっている。そうした状況下で端末価格が高騰し過ぎると、販売が大きく落ち込んでしまうことから、スペックを下げたモデルを投入して価格を下げるという判断に至ったのだろう。

なぜストレージ容量の少ないモデルを選んだのかというと、ユーザーに与える影響が最も少ないためと考えられる。チップセットやRAMのスペックを下げるとパフォーマンスに大きな影響が出てしまうが、Xperia 1はmicroSDスロットを備えており、最大で512GBのストレージを追加できることから、そちらでカバーできると判断したのだろう。

海外より安い「P30 Pro」の狙い

もっとも、市場動向や企業戦略などによって端末価格を下げたり、スペックを落とした割安なモデルを投入したりするケースはこれまでにもよく見られたものだ。今回の夏モデルでいうと、ある意味NTTドコモが販売予定のファーウェイ製フラッグシップモデル「P30 Pro」も、そうした戦略を感じさせる内容となっている。

NTTドコモから販売予定の「P30 Pro」。海外版にはないFeliCaにも対応させながら、9万円以下というコストパフォーマンスの高さで話題となった

P30 ProはRAMとストレージの容量によって価格が異なり、最上位モデルはRAMが8GB、ストレージが512GBで、海外での価格は1249ユーロ(約15.3万円)とかなりの高額だ。だが日本に投入されたのは、RAMが6GB、ストレージが128GBの最も安価なモデルであり、価格もドコモオンラインショップで8万9,424円。SIMフリー版として発表された下位モデルの「P30」が7万7,880円であることを考えると、日本でのP30 Proがいかにお得な価格設定となっているかが分かる。

2019年3月にパリで実施されたP30シリーズの発表会より。P30 Proは国内向けよりスペックが高いRAMが8GBのモデルを中心にアピールしており、その価格も999ユーロ(約12.2万円)からと高額だ

ファーウェイがP30 Proをスペック重視ではなく、安価重視で投入してきたのには、やはりP30 Proの販売数を拡大したい狙いが強いといえる。ファーウェイはSIMフリー市場ではトップシェアを誇るが、それより規模が大きいキャリア大手3社向けの市場に関しては、2018年に再進出を果たしたばかりのため、認知度が低く存在感がまだ薄い。そこで新機種を割安に設定することで、携帯大手からの販売を一気に拡大し、市場での存在感を高めたかったのだろう。

もっともファーウェイは今、日本でのP30 Proの発表直後に米国からの制裁を受けたことで、P30 Proの予約が中止されるなど今後の販売が不透明になるという、別の問題を抱えてしまっている。だがそうした制裁の影響がなければ、コストパフォーマンスの高さによって、NTTドコモでの販売を大きく伸ばしていた可能性も十分考えられただろう。

国内では、スペックよりも価格を重視する消費者が多いという現状があるだけに、今後も各社の戦略によって、スペック重視のユーザーが不満を抱くケースが出てくる可能性は高い。だがあまりにも価格重視でスペックを下げ過ぎてしまうと、今度はスペック重視の消費者から多くの批判を集めて、製品そのものの評判が落ち、それが売り上げに響いてしまう可能性も出てきてしまう。メーカーやキャリア会社にとって今は、そのさじ加減が非常に悩ましい所なのかもしれない。

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給食「完食指導」は適者生存の虐待か? 子どもへの悪影響に賛否

カレー沢薫の時流漂流 第44回

給食「完食指導」は適者生存の虐待か? 子どもへの悪影響に賛否

2019.05.27

漫画家・コラムニスト カレー沢薫さんの社会派連載!

第44回は、子供のトラウマ「完食指導」問題について

給食の完食指導が問題になっている。

「お残しは許しまへんで!」

アニメ『忍たま乱太郎』に出てくる食堂のおばちゃんの有名な決めセリフである。

彼女はそのセリフの通り、それを破る者には烈火の如く怒り、時には一週間食事抜き、掃除をさせる等の罰も辞さないという、「食事を残す者を地獄の業火で焼く人物」として描かれている。

あくまでフィクションであるし、何せ彼女が飯を与えているのは忍者の卵である、今後おそらく山田風太郎の世界で活躍しなければいけない面々だ。適切に調理された食堂の飯が食えないようではやっていけるはずがない。

しかし、忍たま乱太郎の世界ではあれが適切としても、将来、忍にならない子ども相手にそれをやるのは問題なのではという声が挙がっている。

令和になっても残ってしまったトラウマ給食

石でも甘辛くしてもらえれば食える、という偏食のない人間には無縁な話だろうが、そうでない者には「給食のトラウマ」の一つや二つあるのではないだろうか。

一番多いのは「完食するまで帰れま10」だ。これが表題にもなっている「完食指導」である。食べきるまで昼休みに入らせなかったり、居残りをさせたりというものだが、中には「食べ物を無理やり口に詰め込まれて嘔吐」というストロングスタイルの指導を受けた者もいる。

ここまでなら、まだ個の問題だが「みんなが食べきるまで全員昼休みに入らせない」という、齢10にもいかない内から連座制の厳しさを叩きこむ学校もあるようだ。

これらは全て、トラウマとして残る。私でさえ、保育園の時、とりあえず口には入れたが長考したのち「やはり無理」と吐いたほうれん草の白和えのポップなビジュアルを未だ覚えているぐらいなので、無理やり口に入れられた人が忘れるわけがない。

漫画家の清野とおる先生も保育園の時、カワイイ女の子が無理やり嫌いなものを食べさせられ嘔吐したのがトラウマになっていると書いていたので、当事者でなくても同胞が目の前で嘔吐するというのは恐怖なのである。

その結果、傷を負い、登校拒否になったり体調不良を起こしたりする児童がおり、またこの経験から大人になっても「人と食事をするのが怖い」と感じる人もいるという。

そういった強制的完食指導に意味があるかというと、私はないと思う。なぜなら、未だにほうれん草の白和えが嫌いだし、義実家での食卓で姑が「今日の推し」と言わない限りは食わない気がするからだ。無理やり食わされても、大人なのでさすがに嘔吐はしないと思うが、代わりに耳あたりから出てくると思う。

このようにアレルギーでなくても「生理的に無理」な食べ物は存在する。生理的に無理な人の指が口の中に入ってくるところを想像して欲しい。「無理」としか言いようがないだろう。そのレベルでダメなものを飲みこませることが、人間にとってプラスになるとは思えない。

しかし、そこを慮りすぎて「好きな物しか食べない人間」になるのも問題である。「大して好きじゃない物」や「苦手な物」程度なら「感情を無にして食える」練習をしておいた方が、社会に出た時や義実家などでトラブルが起こりづらいのも確かである。

食育に力を入れている小学校では、生徒個人に合わせて最初から食べる量を増減させたり、または無理やり食べさせるのではなく、生徒自身が「今日俺ニンジン食っちゃうよ?」という気になるような給食環境づくりに取り組んだりしているという。

食事は「楽しい」ことが一番

昭和のトラウマランチタイムをサバイヴしてきた人間からすると、これらのやり方は「スイート」に感じられるかもしれない。

しかし、上記の食育に力を入れている学校の校長曰く「食事が楽しくなくなるのが一番ダメ」だそうだ。確かに、食事以外に楽しいことが一つもない、という人間は私含め大勢いるし、今の子どもの65%ぐらいはそういう大人になるはずである。(当社調べ)

そんな65%の唯一の楽しみを子どものころから奪うというのは、虐待と言っても過言ではないし、何のために生まれて来たのかさえわからなくなってしまう。

ちなみに私には90歳になる祖母がいるのだが、そのババア殿は一時期、シュークリームのクリームとジュースしか飲まないという、妖精みたいな生活を送っていたが、普通に生きている。何故なら、そのジュースが妖精になった老人用に作られたメチャクチャ栄養があるジュースだからである。このように、昔だと食事=適切な栄養を取る行為であったが、最近では食事からじゃなくても栄養はとれるようになってしまった。

ならば、食事をただの生命維持活動ではなく、「楽しみ」として重視していくのも自然の流れなのかもしれない。

もちろん、作ってくれた人への感謝など、倫理的なことを言えばやはり、偏食なく、出された物は何でも食えた方が良い。

よって、偏食が多い人も「これだけ嫌いなものがあるから出すな」「嫌いなものを食べさせようとするのはハラスメント」と己の権利を主張するだけでは、協調性がないと取られてしまう。

自分で作る、1人で食う、食事会でも自分が幹事をやって店を選ぶ、など嫌いな物を食べず、なおかつ周りにも不快感を与えない方法を考えていくべきだろう。この方法で、私は1年中300日ペペロソチーノだけを食い続けたが、特にトラブルはなかった。

と言いたいが夫に「くさい」と言われたので、自分の食を楽しみつつ、周りに迷惑をかけないのは、なかなか大変ことなのである。

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