2018年に転換点を迎えたeスポーツ、2019年はどうなる?

2018年に転換点を迎えたeスポーツ、2019年はどうなる?

2019.01.11

2018年は多くのeスポーツプロリーグが開幕した

JeSUの発足やアジア大会での金メダル獲得など歴史的な出来事も

2019年、eスポーツ発展のカギを握るのは非ゲーム産業や地方自治体か

2018年ユーキャン新語・流行語大賞のトップテン入りを果たした「eスポーツ」。メディアで目にする機会が増えたという人も多いのではないだろうか。

それもそのはず。2018年はeスポーツ界隈にとって、大きなターニングポイントになったと言っても過言ではないほど、激動の1年間だったのだ。では、実際にどのような出来事があったのか。ざっくりと2018年を振り返りつつ、2019年の展望を考えてみたい。

歴史的な出来事が相次いだ2018年のeスポーツ

アメリカのメジャーeスポーツイベント「EVO」の日本版である「EVO Japan」開催から始まった2018年のeスポーツ。最初のビッグニュースと言えば、日本eスポーツ連合(JeSU)の発足ではないだろうか。日本eスポーツ協会(JeSPA)、e-sports促進機構、日本eスポーツ連盟(JeSF)という3団体が統合して生まれたJeSUは、プロライセンスの発行や関係各所との連携など、日本eスポーツの土台部分を固めていくのに欠かせない存在だ。

そして、第18回アジア競技大会(ジャカルタ・パレンバン)では、デモンストレーション競技ながらeスポーツが競技に採用されたうえに、『ウイニングイレブン』の日本代表が金メダルを獲得『リーグ・オブ・レジェンド』の世界大会である「Worlds」では、日本チーム(DetonatioN FocusMe)が悲願の初勝利を収めた。

また、『クラッシュ・ロワイヤル』の世界大会「クラロワリーグ 世界一決定戦 2018」と、優勝賞金1億円の『シャドウバース』世界大会「Shadowverse World Grand Prix 2018」という2つの世界大会が日本で開催されたことも、日本eスポーツ史に残るような出来事だった。

池袋と秋葉原で開催されたEVO Japan
闘会議2018のステージでJeSUについてのトークセッションが行われた
アジア競技大会では、デモンストレーション競技に6タイトルが選出された。そのうち5タイトルで日本代表の選考会を行った
Worldsでは日本チームが初勝利を収め、歴史的快挙を成し遂げた
アジア、ヨーロッパ、北米、ラテンアメリカ、中国、それぞれのリーグの優勝チームが集まった「クラロワリーグ 世界一決定戦」。記念すべき第1回大会の開催地に日本が選ばれた
世界に比べ賞金額が少ないと言われた日本のeスポーツにおいて、初めて1億円を突破した「Shadowverse World Grand Prix 2018」

クラッシュ・ロワイヤル』『モンスターストライク(スタジアム)』『実況パワフルプロ野球(パワプロ)』『ぷよぷよ』など、2018年になってeスポーツリーグ、eスポーツトーナメントを開始したタイトルが多く登場したことも印象的だ。

特に『パワプロ』のリーグで行われた「eドラフト会議」には、プロ野球OBや球団関係者が訪れただけでなく、試合の解説をプロ野球解説者が務めるなど、これまでにはない試みも見られた。リアルスポーツの積極的な参入は、まだeスポーツを見たことないという人に対して、見始めるきっかけを提供してくれるのではないだろうか。

『モンスト』のプロチームによるトーナメントツアー「モンスターストライク プロフェッショナルズ 2018」が初開催
6月より始まった『ぷよぷよ』eスポーツ大会。1年かけてチャンピオンを決定する
日本プロ野球機構(NPB)とコナミデジタルエンタテインメントによる「eBASEBALL パワプロ・プロリーグ2018」

これだけ見ても、世界規模の大会が日本で開催されたり、新たなリーグがいくつもスタートしたりと、激動の1年だったeスポーツ業界。話題性もあり、さまざまなメディアに取りあげられるようになったが、正直なところ、「一般化された」と言うには、まだまだという印象である。ただし、ひとまずキックオフとしては、十分な成果が出せたのではないだろうか。

官民の後押しでeスポーツはさらなる成長を遂げる

2019年も2018年と同様に、eスポーツには新たな動きがあると見られている。大きなところだと、3月には「全国高校eスポーツ選手権」が行われ、10月には「いきいき茨城ゆめ国体」の文化プログラムにて『ウイニングイレブン 2019』『グランツーリスモ SPORTS』『ぷよぷよeスポーツ』という3タイトルの大会が実施される。また、JeSU(eスポーツ連合)とAESF(アジアeスポーツ連盟)による「eSPORTS国際チャレンジカップ~日本代表vsアジア選抜」の開催も注目すべき動きだ。

毎日新聞とサードウェーブが共催する「全国高校生eスポーツ選手権」。全国80校以上が参加している
国体の文化プログラムにて開催される「全国都道府県対抗eスポーツ選手権」
「eスポーツ国際チャレンジカップ~日本代表vsアジア選抜」の開催を発表するJeSU副会長浜村弘一氏

さらに東京都は「東京都知事杯 eスポーツ競技大会(仮称)」の開催を年明け早々に発表し、すでに19年度予算案に盛り込んでいる。成長著しいeスポーツ業界は、多くの産業振興に結びつく可能性があるという、ポテンシャルが認められつつあるのではないだろうか。都知事杯の詳細は未定だが、地方自治体によるeスポーツイベントの恒常化に繋がりそうな気配だ。

民間の動きとして気になるのは、よしもとクリエイティブ・エージェンシーの存在。2018年3月にeスポーツプロチーム「よしもとゲーミング」を始動させ、11月には渋谷の「よしもと∞ホール」があるビルの最上階に、eスポーツ施設「よしもと∞ドーム」をオープンした。12月には『リーグ・オブ・レジェンド』の国内プロリーグ「League of Legends Japan League 2019(LJL)」に、運営として参加することも発表している。こういった非ゲーム産業からのeスポーツ参入は、eスポーツの興行的な発展やエンターテインメント化に、大きく力添えしてくれるはずだ。

昨年11月にオープンした「よしもと∞ドーム」。地下にある「よしもと∞ホール」もeスポーツイベントで使用する予定で、LJLの大会はよしもと∞ホールで行われる

おそらく今後は、都や県など地方自治体によるeスポーツイベントの展開、中学校、高校、大学、専門学校など教育機関の参加、イベント会社や芸能事務所によるイベント運営などがますます増えていくことだろう。そうなると、これまでのIPホルダーやファンコミュニティ中心のイベントとは違った側面で、より大きな市場での展開になっていくと考えられる。その結果、2019年は2018年以上にeスポーツが急発展する可能性があるのだ。

ただし、急速な発展にインフラや法の整備が間に合っていないという課題も残されている。風営法や上映権問題など、そのあたりの整備が発展速度に追いついていかないと、すべてが泡と消えかねないだろう。

2019年、eスポーツがさらなる飛躍を遂げることは間違いない。しかし、何かしらの結果を出さないことには、ここ数年耳にする“○○元年”と言われたものと同様に、元年のまま埋もれてしまう可能性もある。今後数年の活動によって、eスポーツの行く末が決まるのだ。

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その面倒な組織カルチャー、印鑑が原因ですよ

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その面倒な組織カルチャー、印鑑が原因ですよ

2019.03.18

印鑑業界による印鑑文化の優位性アピールが話題

会社経営者として感じる、捺印作業の面倒さ

「サイン文化」と「印鑑文化」で変わる組織カルチャー

行政手続きのオンライン化を目指す「デジタル手続き法案」をめぐり、全日本印章業協会がアピールした「印鑑のメリット」が話題になっている

「代理決済できるという印章の特長が、迅速な意思決定や決済に繋がり、戦後の日本経済の急速な発展にも寄与してきた」(原文ママ)というものだ。

「ハンコならこっそり代理決済ができる」などと、身も蓋もなく自ら印鑑廃止を後押ししてしまいかねない意見が出てしまったことは興味深い。
でも僕は、ただのバイオテクノロジー屋なので、ITを活用した効率化しますよ業界の回し者でもなければ、印鑑業界の人を敵に回すメリットだってないので、特にこの点について深く言及しないし、「日本における今後のハンコをどうするべきか」なんてことを掘り下げて云々するつもりもない。

ただ、日本を含む4カ国でスタートアップを立ち上げた経験から、企業の組織カルチャー形成に、承認方法としての「印鑑」と「サイン」の違いが、とても大きな影響を与えているのではと実感した話を書いておきたい。

日々、何かと多すぎるハンコ作業

まず共有しておきたい事実は、日本で会社を経営すると、毎日ものすごい数の代表印や銀行印や社印を押さなければいけないということだ。(会社の印鑑って3種類あるの知ってました?)

お客さんと契約してお金をいただくときに契約書に捺印するのはイメージできると思うが、その後もお金が銀行口座に無事入るまで、受領やらなにやら契約書だけでなく、さまざまな書類にとにかく捺印をしまくる必要がある。

また、家賃を払う、プリンターのトナーが切れる、実験試薬を買うなどなど、とにかく会社を運営する活動の一つ一つに対して、それぞれ細かくおびただしい数の印鑑を押す。法人が国や地方自治体に税金を払う時はもちろん、社員のあれこれも、例えば社員の誰かが結婚したり引っ越したりするだけでも印鑑を押しまくる。自分で会社をやってみてつくづくわかったが、とにかく捺印の数が膨大だ。

しかも、びっくりすることに、民間企業も市町村も、同じことをするために、それぞれがまったく違うフォーマットの書類に捺印を求めてくる。

こうして、大量な上にフォーマットがまったく違う書類を毎日渡されて、決められた位置に決められた種類の捺印をすることは、仮に契約書や書類の中身をまったくチェックしないで無責任に捺印したとしても、結構な時間を必要とする作業だ。

捺印にかける時間が惜しい

しかもうわの空で押していると、銀行印を押すべきところに代表印を押し間違えてしまったり、インクが簡単にかすれてしまったりするのが印鑑だ。人生において、こんな捺印ミスなどという程度のことで書類を作り直してもらう羽目になった回数を考えただけで、こんな単純な作業に失敗する情けなさとと、書類を作ってくれる従業員への申し訳なさで、どこかに隠れてしまいたい気持ちになる。

そう、僕は毎日、隠れてしまいたい気持ちになっているのだ。

なぜ、日本から印鑑はなくならないのか

我々の会社のように、たとえ社長だろうがあっちこっちに、営業に謝罪にと、せわしなく飛び回わることで、なんとか会社の体を保っているような規模の企業の方が世の中には多いと思う。そんな"貧乏暇なし社長”がこの捺印という物理的作業に忙殺される時間というのは、正直いって無駄以外の何物でもない。

にもかかわらず印鑑を押すという文化が日本に残っているのは「捺印するという作業」は、誰かに頼めてしまうからなのだと思う。多くの会社において「捺印をし続けるという作業」を自分でやっている社長はあまり居ないのかもしれず、ここが、すべて自ら書かなければいけないサインとの最大の違いなのだろう。

ちなみに、僕の場合は「捺印をし続けるという作業」だけを人に頼むような仕事の依頼の仕方は好みではないので、あちこちに会社を立ち上げては、担当者に「代表取締役」の役職ごと譲るようにしている。

海外の「サイン文化」は印鑑以上に面倒?

冒頭にも書いたが、僕は日本以外の3カ国でも会社を経営している。言うまでもなく日本以外の国は、承認の証としては「サイン」が一般的だ。

日本の会社同士の契約書の場合は、代表者の名前の脇に代表印と社印を、契約書を閉じた裏面に割印を一カ所押す形式であることが多い。つまり、二者間の契約であれば、先方用の契約書と当方用の契約書をあわせて、計4カ所の代表印と計2カ所の社印を押せばよい。

ところが、海外の契約書は、すべてのページにサインをしなければならない。海外の契約書は「実際にそんなことは起きないって」ってくらい、ありとあらゆる場面を想定した契約書になっていることが多く、とにかく契約書が長い。

感覚として、同じような内容の契約をするのに、日本の会社同士の契約の5倍~10倍のページ数になっても驚かない。

つまり、ちょっとした契約書でも軽く100ページを超えてくるわけだが、このすべてのページに手書きでサインをすることを想像して欲しい。契約書の中身を読んでただただサインを書き続けていると、「こんな作業に時間を使い続けてていいのだろうか」という自問の気持ちが芽生えてくる。

その組織カルチャーの差、ハンコとサインの差が原因ですよ

言うまでもなく、サインは誰かに代わりに書いてもらうことはできない。では、サインを書く物理的な時間を減らすために、何が起こるのかというと、「権限委譲」が進むのである。

日本の会社だと当たり前のように社長の名前で締結する規模の契約でも、海外の会社だと担当部長あたりの名前で契約を締結してくる。

もしかしたら、日本の会社のカルチャーだとそれは失礼なことに当たるのかもしれないが、サインを前提とした会社において、会社のすべての契約を社長名義で契約していたら、社長の一日は「サインを書く」という作業だけで終わってしまう。だから、どんどん権限委譲をしていくしかない。

日本の大企業の合意形成や意思決定のあり方を分析する文脈において、「日本の会社は権限委譲が進んでいない」とか、「プロジェクトごとの意思決定者の所在がよくわからないから、スピード感が遅くなってグローバル競争に負けてしまう」などという指摘を頻繁に見る。

特に近年流行りの「日本企業のホワイトカラーの生産性を高めましょう」という議論の多くでは、日本企業のこういった特殊性の原因を、日本人の歴史的・文化的背景や、国民性が理由であると結論づけている。

だからもっぱら、風通しがよく責任範囲が明確で、意思決定の早い会社にするために、せっせと組織構造をいじったり、管理職に研修をしたりと、コンサル屋さんが儲かるだけの努力に大きなお金を払うことになっているのだが、大きな効果が得られているようにみえない。

僕の考えは、特殊性の理由がちょっと違っていて、「その組織カルチャーの差って、捺印とサインの差が本質的な原因ですよ」と、わりと確信に近い自信を持っている。

捺印の作業だけを誰かに頼むのではなく、捺印をする権限ごとどんどん頼んでしまえばいい。ハンコにウンザリしている世の中の社長さん、そう思いません?

(藤田朋宏:ちとせグループ 創業者 兼 最高経営責任者)

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鋭すぎる言葉で物議を醸す「子供部屋おじさん」論議

カレー沢薫の時流漂流 第32回

鋭すぎる言葉で物議を醸す「子供部屋おじさん」論議

2019.03.18

漫画家・コラムニスト カレー沢薫さんの社会派連載!

第32回は、実家暮らしの男性に降りかかる「子供部屋おじさん」論議について

「子供部屋おじさん」という言葉が注目されている。言葉自体は2014年あたりからあったそうだが、今また脚光を浴びているそうだ。

「○○おじさん」「○○おばさん」という呼称には、「アイカツおじさん」のように秀逸かつもはや「Sir」級の「称号」と言って良いものもあるが、大体が蔑称である。

その中でもこの「子供部屋おじさん」の蔑視ぶりたるや、である。意味はわからなくても本能で「馬鹿にされている」と察することができる。

「子供部屋おじさん」とはどんなおじさんを指すかというと、成人しても親元を離れず実家の「子供部屋」で暮らし続けるおじさんのことである。「パラサイトシングル」を、言われた相手の血管が切れるように魔改造した言葉だ。言葉としては「上手いこと言うな」と感嘆するしかない。

単に「実家住みのおじさん」という意味ではなく、「いい年をして親から自立せず、自分では何も出来ない、中身は子どものままのおじさん」という痛烈な批判が込められている。

この「子供部屋おじさん」は、ひきこもりやニートとは違い、仕事はちゃんとしている場合が多い。だが逆に「実家を出ようと思えば出られるのに出ない」という点が余計「甘え」と見なされ、ここまでの鬼煽りを食らう羽目になったとも言える。

このように世間からみっともないと思われがちな「実家住みの成人」だが、本当に彼らは社会の病巣であり、親から見れば寄生虫なのだろうか。

一人暮らしは今や「修行」かもしれない

子供部屋おじさん含むパラサイトシングルにも言い分はある。まず「実家から出るメリットが見いだせない」という理由だ。

実家が持ち家の場合、一人暮らしをするよりも実家住みの方が経済的には圧倒的有利だ。親側からしても、純粋に寄生されるのは厳しいが、生活費などを入れてもらえるなら、逆に助かるという場合もある。

また職場からの距離も実家から通った方が近いと言うなら、わざわざ経済的負担を負いながら、場合によっては遠距離通勤をする「一人暮らし」というのは「修行」という意味しかなく、昨今盛んに言われる「コスパ」「合理化」という観点から見ると「正気か」というような無駄でしかない。そのため、インフルエンサー的な人が一発「まだ一人暮らしで消耗してんの?」と言えば、容易に世論が傾いてしまいそうな気がする。

しかし「修行という意味しかない」と言っても、その「修行」に意味がないわけではない。一人暮らしが人間に自立と成長を促すのは確かである、自分のことは全て自分でやらなければいけないのだから当然だ。

逆に、衣食住が保証された実家で、お母さんにご飯と身の周りの世話を全部やってもらっていたら確かに子供となんら変わりないし、もし仮に結婚して家を出たとしても、今度は嫁に母親と同じことを求めるだろう。

結果として、「見た目は中年、中身は子供、価値観は団塊」というバランス感覚皆無の生物が爆誕することになりかねない。そういった意味では、いかに合理的でなかろうが、一人暮らしをする意味はあると言える。

だが、親の方が子どもに「実家にいてほしい」と望むケースもある。

前に「増加する共倒れ家庭」という、タイトルからして明るい要素皆無のテレビ番組を見たことがある。老齢一人暮らしの父親の元に、非正規雇用で自活できない息子が帰ってきて、そのせいで生活保護が打ち切られ、ますます困窮するというマジで暗い所しかない話だった。

しかし、父親の方が息子に対し「迷惑だから出て行ってほしい」と思っていたかというと、そうではなく「自分が老齢で何があるかわからないので居てほしい」と言っていたのだ。

このように、高齢の親からすれば、子供がいてくれるのは「安心」という面もある。ほかにも、介護のために実家に戻って来た者もいるのだから、一概に「子供部屋おじさん」とバカにすることはできない。

「子供部屋おじさん」がここまで燃える理由

そして、この「子供部屋おじさん」に今更激烈な反応が起こっているのは、「おじさん」と性別が限定されているからだろう。

当然「子供部屋おばさん」だって存在する。私も結婚して家を出るまで実家にいたし、成人すぎても小学校入学の時買ってもらった学習机を使っており、もちろん身の周りのことは母親を越えてババア殿にやってもらっていたという、どこに出しても恥ずかしくない「子供部屋おばさん」だった。親は私を家から出すのに相当勇気がいったと思う。

しかし、バカにされているのは専ら「子供部屋おじさん」の方で、言葉自体も「ブサイク」には「ブス」ほどの破壊力がないように、「おばさん」より「おじさん」の方がどう考えても「強く」感じる。

「子供部屋おばさん」にパンチが足りないのは言外に「女はまあ実家住みでもいいんじゃね?」という見逃しがあり、逆に男には「男のくせにいつまでも親の世話になってみっともない」という、男女差別があるせいではないだろうか。

ネットを開けば、ジェンダー問題で毎日ひとつは村が燃えている昨今である。「子供部屋おじさん」が、そっちの観点でアンコール炎上しても不思議ではない。

当然だが、一家の家計を支え、親の介護をしながら家事までやっている「子供部屋おじさん」もいれば、ろくに家に金もいれず、親に三食用意してもらっている「子供部屋おばさん」もいる。もちろんこれはおじさん・おばさんを入れ替えたって言えることだ。

男だから、女だから、で言い切りが出来ないように「実家暮らし」という属性一つでは何も断言することは出来ないのである。

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