2019年に国内パソコン市場を揺るがす、3つのプラスと1つのマイナス

2019年に国内パソコン市場を揺るがす、3つのプラスと1つのマイナス

2019.01.07

2019年のパソコン市場が活況になり得る3つの理由

中国を締め出した米調達基準が国内PC業界にも影響

懸念は2018年から続くインテルのCPU供給能力か

2019年のパソコン市場は、好調な1年になりそうだ。

というのも、パソコンを取り巻く環境には、3つの大きな出来事が追い風となって吹くからだ。

Windows 7終了ではXP終了問題の教訓が活きる

1つは、2020年1月14日にWindows 7の延長サポートが終了し、新たなOS環境に移行するための特需が顕在化する点だ。特に今年の後半以降は、この需要がより一層、伸びてくると見られている。

Windows 7のサポート終了が迫る。XPでは混乱もあったが今回はスムーズ?

日本マイクロソフトは国内で、Windows 7の延長サポートが終了する2年前の2017年1月から新たな環境への移行に向けたプロモーション活動を積極化していた。過去、Windows XPのサポート終了時に発生した「不要な特需」(日本マイクロソフト・平野拓也社長)の轍を踏まないため、前倒しで移行を行ってもらうための仕掛けをしてきたわけだ。その取り組みの成果が順当に表れ、大手企業では既に95%がWindows 10に向けた移行を開始しており、また自治体の97%がWindows 7のサポート終了時期を認知しているというデータも出ている。

Windows XPでは、延長サポート終了直前に需要が集中しまったことが不味かった。期間内に新たな環境へ移行することが優先されたため、予算の関係上、普及価格帯の性能が充分ではないパソコンを導入したり、そもそも品不足の影響で、新たなパソコンが導入できなかったりした。市場全体でも、サポート終了後になっても2カ月間にわたって、前年実績を上回る台数のパソコンが出荷されるといった「問題」が起きていた。

本来ならば、生産性やビジネスモデルなどを考慮し、時間をかけて導入機種を検討するべきだったところが、単なる準備不足というつまらない理由で後回しになってしまったという反省がある。

極端に需要が集中して、業界全体がその対応に追われるという状況に陥らないためにも、ここまで認知度をあげてきた日本マイクロソフトの取り組んできた現状は、評価される結果だといえるだろう。

だが、その一方で、中小企業のサポート終了に対する認知度が57%と、まだ低いままに留まっているというデータもある。

日本マイクロソフトでは、2020年1月の延長サポート終了時には、Windows 10の利用率を90%にまで高める方針を打ち出しているが、2019年前半までに中小企業および地方都市における認知度をどこまで高めることができるか、そして、2019年10月の消費増税前の時点で、Windows 10の利用率をどこまで高めることができるかが、この目標を達成するための道標になっている。

同社では、中小企業向けのキャラバンを日本各地で開催している最中であるほか、早期導入企業向けのキャッシュバックキャンペーン(すでに終了)や、新たなIT環境の整備に向けた公的支援制度に関する情報提供および申請支援なども積極化させることで、新たな環境への移行を促進していく考えだ。

2つめは、2019年10月に予定されている消費増税の影響だ。

2014年4月に消費税率が8%に引き上げられたとき、パソコンには空前ともいえる駆け込み需要が発生した。Windows XPの延長サポート終了と時期が重なり、2013年度は、国内パソコン市場としては、過去最高の出荷台数を記録した。

今回の消費増税のタイミングも、Windows 7のサポート終了時期と近いため、この2つの需要が重なりあうことが想定される。

2019年10月の消費税率10%への引き上げは、前回同様に、パソコンの駆け込み需要に拍車をかけることになるだろう。

中国を締め出した米国基準の採用も追い風?

そして3つめは、2019年4月からスタートする防衛省および防衛装備庁における新防衛調達基準の試行導入の影響だ。

対象となるのは、防衛省と取引がある約9,000社の企業。あまり話題にはなってはいないが、大事なのはここからで、この試行導入をきっかけに、将来的には政府調達の新たなルールが生まれる可能性がある。

実は、ここで採用される新防衛調達基準は、米国政府が採用している「NIST SP800-171」に準拠したものである。

米国の中国締め出しの影響は日本にも

このNIST SP800-171は、米国政府機関が調達するIT関連製品や技術を、開発および製造、販売する企業に対して、一定のセキュリティ基準に準拠するように求めるガイドラインであり、14分野109項目にわたる具体的なセキュリティ要件を示し、米国政府機関が使用する機器などをハッキングされにくいよう環境整備し、取引先からの情報漏えいを阻止することを目指している。米国政府による中国ファーウェイ製品の締め出しが世界中に激震を与えているが、この基本的な考え方もNIST SP800-171がベースになっている。

米国では、政府調達に関わるあらゆる企業がこのルールに準拠することになっており、開発や生産に関わるパートナー会社はもちろん、それらの企業の孫請け、孫孫請けといった企業、さらには政府に納める製品の物流会社や管理会社なども同様に、このガイドライン準拠の対象になっている。

日本ではここまでの徹底はしていないが、防衛装備庁では、「調達に関しては、一般企業を含むサプライチェーン全体において、機微な情報を守る必要がある。そのためには、防衛調達における契約企業に適用されるセキュリティ基準を、同盟国である米国の新たな基準と同程度まで強化する必要がある」と説明。サプライチェーンに関わる多くの企業が対象になることを示唆している。

2019年4月からの防衛省での試行導入を経て、その後の本格導入、そして政府全体の調達基準にもこの仕組みが採用されるようになると、NIST SP800-171に準拠した仕様のパソコンなどを利用する必要があり、日本国内のあらゆる企業で使用されているITシステムが見直される可能性も出てくる。それによって、パソコンの買い替え需要なども発生することになるだろう。

専門家は、「将来的には、NIST SP800-171のガイドラインを満たしていなければ、政府入札だけに留まらず、企業間の様々な取引からも除外される可能性がある。どんなITシステムを使っているかが、取引を左右することになり、それは多くの企業経営にも影響するだろう」と警笛を鳴らす。

そのほかにも、パソコン市場では、2020年の小学校でのプログラミング教育の必修化に向けた子供向けパソコン需要の喚起、5月1日からの新元号施行に伴う、ITシステムの改修による新たな需要の創出のほか、2020年の東京オリンピック/パラリンピックに向けた景気上昇も追い風になりそうだ。

不安はインテルの生産能力、ほぼ通年続くCPU不足

一方で、パソコン市場を取り巻く環境のなかで、懸念すべき出来事が1つある。

それは、米インテルのCPU(中央演算処理装置)の供給不足の問題だ。

米インテルのCPU供給が旺盛な需要に追い付いていない

2018年夏頃から、インテル製CPUの供給が需要に追いつかず、それに伴い、業界全体でパソコンの生産にも遅れが出るようになった。

同社ではその理由について、パソコンやデータセンター向けサーバー製品の需要が予想を上回り、生産が追いついていないことをあげている。

実際、米インテルの最新四半期(2018年7~9月)の業績を見ても、ノートPC向けCPUの売上高は前年同期比13%増、デスクトップPC向けも前年同期比9%増と高い伸びを示している。明確に需要が拡大しており、そこに供給が追いつかないという現状が裏付けられる。

米インテルは生産能力の増強に向け、当初計画の設備投資に加えて、新たに10億ドルの追加投資を行う方針だ。米国とアイルランド、イスラエルの工場おいて、特に供給不足となっている14nmの生産プロセスによるCPUの生産能力を増強する。

だが同社によると、その効果が出るのは2019年のクリスマス商戦を待たなくてはならない。つまり、2019年のほぼ通年を通じて、CPUの供給問題は発生するという見方もできる。

日本は他国に比べ、Windows 7から新たなOS環境へと移行するパソコンの台数が多い。その上、固有の事情として2019年10月の消費増税前の駆け込み需要が見込まれる。CPUの潤沢な供給を2019年のクリスマス商戦まで待たなくてはならないということになれば、駆け込み需要や、新OS移行にも支障が出ることになる。CPU不足の問題は、日本の特需に水を差す可能性があるのだ。

日本は単価が高いパソコンの販売比率が高いため、外資系パソコンメーカーの場合、部品が品不足になったときには、収益性の高い日本市場向けパソコンに優先的に回すとことが一般的ともいわれる。それでも世界的に旺盛な需要によって調達量に限りがあれば、日本での需要に対応しきれないという事態に陥りかねない。

インテルに対抗する立場にある米AMD(Advanced Micro Devices)は、新型CPUの「Ryzen」が注目を集めており、絶好のビジネスチャンスが巡ってきたともいえるが、インテルとAMDではそもそもの企業規模が大きく違い、供給をカバーするにも限界がある。

インテルに対抗する立場で、新型CPU「Ryzen」が好評のAMD社はチャンスだが…

2019年に見込まれる旺盛なパソコン需要に対応しきれるだけのCPUが、国内パソコン市場に供給できるかどうかは、業界全体にとって悩ましい問題となる。

その面倒な組織カルチャー、印鑑が原因ですよ

藤田朋宏の必殺仕分け人 第4回

その面倒な組織カルチャー、印鑑が原因ですよ

2019.03.18

印鑑業界による印鑑文化の優位性アピールが話題

会社経営者として感じる、捺印作業の面倒さ

「サイン文化」と「印鑑文化」で変わる組織カルチャー

行政手続きのオンライン化を目指す「デジタル手続き法案」をめぐり、全日本印章業協会がアピールした「印鑑のメリット」が話題になっている

「代理決済できるという印章の特長が、迅速な意思決定や決済に繋がり、戦後の日本経済の急速な発展にも寄与してきた」(原文ママ)というものだ。

「ハンコならこっそり代理決済ができる」などと、身も蓋もなく自ら印鑑廃止を後押ししてしまいかねない意見が出てしまったことは興味深い。
でも僕は、ただのバイオテクノロジー屋なので、ITを活用した効率化しますよ業界の回し者でもなければ、印鑑業界の人を敵に回すメリットだってないので、特にこの点について深く言及しないし、「日本における今後のハンコをどうするべきか」なんてことを掘り下げて云々するつもりもない。

ただ、日本を含む4カ国でスタートアップを立ち上げた経験から、企業の組織カルチャー形成に、承認方法としての「印鑑」と「サイン」の違いが、とても大きな影響を与えているのではと実感した話を書いておきたい。

日々、何かと多すぎるハンコ作業

まず共有しておきたい事実は、日本で会社を経営すると、毎日ものすごい数の代表印や銀行印や社印を押さなければいけないということだ。(会社の印鑑って3種類あるの知ってました?)

お客さんと契約してお金をいただくときに契約書に捺印するのはイメージできると思うが、その後もお金が銀行口座に無事入るまで、受領やらなにやら契約書だけでなく、さまざまな書類にとにかく捺印をしまくる必要がある。

また、家賃を払う、プリンターのトナーが切れる、実験試薬を買うなどなど、とにかく会社を運営する活動の一つ一つに対して、それぞれ細かくおびただしい数の印鑑を押す。法人が国や地方自治体に税金を払う時はもちろん、社員のあれこれも、例えば社員の誰かが結婚したり引っ越したりするだけでも印鑑を押しまくる。自分で会社をやってみてつくづくわかったが、とにかく捺印の数が膨大だ。

しかも、びっくりすることに、民間企業も市町村も、同じことをするために、それぞれがまったく違うフォーマットの書類に捺印を求めてくる。

こうして、大量な上にフォーマットがまったく違う書類を毎日渡されて、決められた位置に決められた種類の捺印をすることは、仮に契約書や書類の中身をまったくチェックしないで無責任に捺印したとしても、結構な時間を必要とする作業だ。

捺印にかける時間が惜しい

しかもうわの空で押していると、銀行印を押すべきところに代表印を押し間違えてしまったり、インクが簡単にかすれてしまったりするのが印鑑だ。人生において、こんな捺印ミスなどという程度のことで書類を作り直してもらう羽目になった回数を考えただけで、こんな単純な作業に失敗する情けなさとと、書類を作ってくれる従業員への申し訳なさで、どこかに隠れてしまいたい気持ちになる。

そう、僕は毎日、隠れてしまいたい気持ちになっているのだ。

なぜ、日本から印鑑はなくならないのか

我々の会社のように、たとえ社長だろうがあっちこっちに、営業に謝罪にと、せわしなく飛び回わることで、なんとか会社の体を保っているような規模の企業の方が世の中には多いと思う。そんな"貧乏暇なし社長”がこの捺印という物理的作業に忙殺される時間というのは、正直いって無駄以外の何物でもない。

にもかかわらず印鑑を押すという文化が日本に残っているのは「捺印するという作業」は、誰かに頼めてしまうからなのだと思う。多くの会社において「捺印をし続けるという作業」を自分でやっている社長はあまり居ないのかもしれず、ここが、すべて自ら書かなければいけないサインとの最大の違いなのだろう。

ちなみに、僕の場合は「捺印をし続けるという作業」だけを人に頼むような仕事の依頼の仕方は好みではないので、あちこちに会社を立ち上げては、担当者に「代表取締役」の役職ごと譲るようにしている。

海外の「サイン文化」は印鑑以上に面倒?

冒頭にも書いたが、僕は日本以外の3カ国でも会社を経営している。言うまでもなく日本以外の国は、承認の証としては「サイン」が一般的だ。

日本の会社同士の契約書の場合は、代表者の名前の脇に代表印と社印を、契約書を閉じた裏面に割印を一カ所押す形式であることが多い。つまり、二者間の契約であれば、先方用の契約書と当方用の契約書をあわせて、計4カ所の代表印と計2カ所の社印を押せばよい。

ところが、海外の契約書は、すべてのページにサインをしなければならない。海外の契約書は「実際にそんなことは起きないって」ってくらい、ありとあらゆる場面を想定した契約書になっていることが多く、とにかく契約書が長い。

感覚として、同じような内容の契約をするのに、日本の会社同士の契約の5倍~10倍のページ数になっても驚かない。

つまり、ちょっとした契約書でも軽く100ページを超えてくるわけだが、このすべてのページに手書きでサインをすることを想像して欲しい。契約書の中身を読んでただただサインを書き続けていると、「こんな作業に時間を使い続けてていいのだろうか」という自問の気持ちが芽生えてくる。

その組織カルチャーの差、ハンコとサインの差が原因ですよ

言うまでもなく、サインは誰かに代わりに書いてもらうことはできない。では、サインを書く物理的な時間を減らすために、何が起こるのかというと、「権限委譲」が進むのである。

日本の会社だと当たり前のように社長の名前で締結する規模の契約でも、海外の会社だと担当部長あたりの名前で契約を締結してくる。

もしかしたら、日本の会社のカルチャーだとそれは失礼なことに当たるのかもしれないが、サインを前提とした会社において、会社のすべての契約を社長名義で契約していたら、社長の一日は「サインを書く」という作業だけで終わってしまう。だから、どんどん権限委譲をしていくしかない。

日本の大企業の合意形成や意思決定のあり方を分析する文脈において、「日本の会社は権限委譲が進んでいない」とか、「プロジェクトごとの意思決定者の所在がよくわからないから、スピード感が遅くなってグローバル競争に負けてしまう」などという指摘を頻繁に見る。

特に近年流行りの「日本企業のホワイトカラーの生産性を高めましょう」という議論の多くでは、日本企業のこういった特殊性の原因を、日本人の歴史的・文化的背景や、国民性が理由であると結論づけている。

だからもっぱら、風通しがよく責任範囲が明確で、意思決定の早い会社にするために、せっせと組織構造をいじったり、管理職に研修をしたりと、コンサル屋さんが儲かるだけの努力に大きなお金を払うことになっているのだが、大きな効果が得られているようにみえない。

僕の考えは、特殊性の理由がちょっと違っていて、「その組織カルチャーの差って、捺印とサインの差が本質的な原因ですよ」と、わりと確信に近い自信を持っている。

捺印の作業だけを誰かに頼むのではなく、捺印をする権限ごとどんどん頼んでしまえばいい。ハンコにウンザリしている世の中の社長さん、そう思いません?

(藤田朋宏:ちとせグループ 創業者 兼 最高経営責任者)

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2019.03.18

漫画家・コラムニスト カレー沢薫さんの社会派連載!

第32回は、実家暮らしの男性に降りかかる「子供部屋おじさん」論議について

「子供部屋おじさん」という言葉が注目されている。言葉自体は2014年あたりからあったそうだが、今また脚光を浴びているそうだ。

「○○おじさん」「○○おばさん」という呼称には、「アイカツおじさん」のように秀逸かつもはや「Sir」級の「称号」と言って良いものもあるが、大体が蔑称である。

その中でもこの「子供部屋おじさん」の蔑視ぶりたるや、である。意味はわからなくても本能で「馬鹿にされている」と察することができる。

「子供部屋おじさん」とはどんなおじさんを指すかというと、成人しても親元を離れず実家の「子供部屋」で暮らし続けるおじさんのことである。「パラサイトシングル」を、言われた相手の血管が切れるように魔改造した言葉だ。言葉としては「上手いこと言うな」と感嘆するしかない。

単に「実家住みのおじさん」という意味ではなく、「いい年をして親から自立せず、自分では何も出来ない、中身は子どものままのおじさん」という痛烈な批判が込められている。

この「子供部屋おじさん」は、ひきこもりやニートとは違い、仕事はちゃんとしている場合が多い。だが逆に「実家を出ようと思えば出られるのに出ない」という点が余計「甘え」と見なされ、ここまでの鬼煽りを食らう羽目になったとも言える。

このように世間からみっともないと思われがちな「実家住みの成人」だが、本当に彼らは社会の病巣であり、親から見れば寄生虫なのだろうか。

一人暮らしは今や「修行」かもしれない

子供部屋おじさん含むパラサイトシングルにも言い分はある。まず「実家から出るメリットが見いだせない」という理由だ。

実家が持ち家の場合、一人暮らしをするよりも実家住みの方が経済的には圧倒的有利だ。親側からしても、純粋に寄生されるのは厳しいが、生活費などを入れてもらえるなら、逆に助かるという場合もある。

また職場からの距離も実家から通った方が近いと言うなら、わざわざ経済的負担を負いながら、場合によっては遠距離通勤をする「一人暮らし」というのは「修行」という意味しかなく、昨今盛んに言われる「コスパ」「合理化」という観点から見ると「正気か」というような無駄でしかない。そのため、インフルエンサー的な人が一発「まだ一人暮らしで消耗してんの?」と言えば、容易に世論が傾いてしまいそうな気がする。

しかし「修行という意味しかない」と言っても、その「修行」に意味がないわけではない。一人暮らしが人間に自立と成長を促すのは確かである、自分のことは全て自分でやらなければいけないのだから当然だ。

逆に、衣食住が保証された実家で、お母さんにご飯と身の周りの世話を全部やってもらっていたら確かに子供となんら変わりないし、もし仮に結婚して家を出たとしても、今度は嫁に母親と同じことを求めるだろう。

結果として、「見た目は中年、中身は子供、価値観は団塊」というバランス感覚皆無の生物が爆誕することになりかねない。そういった意味では、いかに合理的でなかろうが、一人暮らしをする意味はあると言える。

だが、親の方が子どもに「実家にいてほしい」と望むケースもある。

前に「増加する共倒れ家庭」という、タイトルからして明るい要素皆無のテレビ番組を見たことがある。老齢一人暮らしの父親の元に、非正規雇用で自活できない息子が帰ってきて、そのせいで生活保護が打ち切られ、ますます困窮するというマジで暗い所しかない話だった。

しかし、父親の方が息子に対し「迷惑だから出て行ってほしい」と思っていたかというと、そうではなく「自分が老齢で何があるかわからないので居てほしい」と言っていたのだ。

このように、高齢の親からすれば、子供がいてくれるのは「安心」という面もある。ほかにも、介護のために実家に戻って来た者もいるのだから、一概に「子供部屋おじさん」とバカにすることはできない。

「子供部屋おじさん」がここまで燃える理由

そして、この「子供部屋おじさん」に今更激烈な反応が起こっているのは、「おじさん」と性別が限定されているからだろう。

当然「子供部屋おばさん」だって存在する。私も結婚して家を出るまで実家にいたし、成人すぎても小学校入学の時買ってもらった学習机を使っており、もちろん身の周りのことは母親を越えてババア殿にやってもらっていたという、どこに出しても恥ずかしくない「子供部屋おばさん」だった。親は私を家から出すのに相当勇気がいったと思う。

しかし、バカにされているのは専ら「子供部屋おじさん」の方で、言葉自体も「ブサイク」には「ブス」ほどの破壊力がないように、「おばさん」より「おじさん」の方がどう考えても「強く」感じる。

「子供部屋おばさん」にパンチが足りないのは言外に「女はまあ実家住みでもいいんじゃね?」という見逃しがあり、逆に男には「男のくせにいつまでも親の世話になってみっともない」という、男女差別があるせいではないだろうか。

ネットを開けば、ジェンダー問題で毎日ひとつは村が燃えている昨今である。「子供部屋おじさん」が、そっちの観点でアンコール炎上しても不思議ではない。

当然だが、一家の家計を支え、親の介護をしながら家事までやっている「子供部屋おじさん」もいれば、ろくに家に金もいれず、親に三食用意してもらっている「子供部屋おばさん」もいる。もちろんこれはおじさん・おばさんを入れ替えたって言えることだ。

男だから、女だから、で言い切りが出来ないように「実家暮らし」という属性一つでは何も断言することは出来ないのである。

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