『シャドバ』世界一が決定! 1億円の賞金に元サッカー選手の前園さんも驚愕

『シャドバ』世界一が決定! 1億円の賞金に元サッカー選手の前園さんも驚愕

2018.12.21

カードゲームアプリ『シャドウバース』の世界大会が日本で開催された

賞金1億円を手にした世界王者ふぇぐ選手にインタビュー

特別ゲストの元サッカー日本代表・前園さんにも感想を伺った

Cygamesは12月15~16日の2日間、カードゲームアプリ『シャドウバース(シャドバ)』の世界大会「Shadowverse World Grand Prix 2018」を幕張メッセで開催した。この大会は、優勝賞金100万ドル(約1億1000万円)、賞金総額131万ドル(約1億4400万円)という国内屈指の高額賞金を出す点でも注目を集めた。

優勝したのは、よしもとLibalentに所属するふぇぐ選手。並み居る強豪を抑え、世界王者に輝いた。

見事優勝を果たし、賞金100万ドルを手にしたふぇぐ選手

世界の強豪24人が幕張メッセに集結し、トップの座を争う

幕張メッセには、オンライン予選などを突破した24名の強豪が世界中から集まった。まず初日は、その24名でスイスドロー方式の対戦を8試合ずつ実施。グランドファイナルに進む8名のプレイヤーを決める。そして、翌日のグランドファイナルでは、「世界で最もシャドバの強い1人」を決定するトーナメント戦がローテーションBO5(5戦3先勝 勝ち抜け)方式で行われた。

グランドファイナルには、日本人4名、海外勢4名と国際色豊かな顔ぶれが進出した

グランドファイナル初戦を突破し、ベスト4に進んだのは、ふぇぐ選手、ソルト選手、Riowh選手、Potwasher選手の4人だ。

セミファイナル1戦目は、「ふぇぐ選手 対 Riowh選手」というカード。Riowh選手は、前日の予選を1位の成績で勝ち上がった優勝候補の大本命だったが、最終戦までもつれ込む熱戦の末、ふぇぐ選手が勝利を手にした。

続く、セミファイナル2戦目は「ソルト選手 対 Potwasher選手」という組み合わせ。唯一残っている海外勢のPotwasher選手が僅差で勝ち抜き、決勝戦へと駒を進めた。

決勝戦の前には、セミファイナルで敗退したプレイヤー同士による3位決定戦が行われ、Riowh選手がソルト選手を打ち破り、世界3位を獲得した。

大会1日目で圧倒的な強さを見せたRiowh選手
Riowh選手を打ち破り、決勝に進んだふぇぐ選手
世界4位となったソルト選手

そして、迎えた決勝戦。ふぇぐ選手とPotwasher選手は互いに譲らず、決着は最終戦までもつれ込んだ。しかし、最後の最後にふぇぐ選手が、最も引きたかったカードの「ポセイドン」を引き当てるという“神がかり的なヒキ”を見せ、見事勝利を収める。このヒキは「100万ドルのポセイドン、1億円のポセイドン」と称えられた。

ベスト4唯一の海外勢であるPotwasher選手。惜しくも決勝で敗退し、世界2位となった。最後のコメントで「今80万ドルを失った」とユーモアのあるコメントを残し、会場の笑いを誘った(2位の賞金は20万ドル)
『シャドウバース』の木村プロデューサー。大会総括で「Shadowverse World Grand Prix」の来年の開催も言及。賞金も今年と変わらず1億円と発表した

世界一に輝いたふぇぐ選手の優勝後インタビュー

大会終了後、優勝したふぇぐ選手にインタビューを行い、「Shadowverse World Grand Prix 2018」を振り替えってもらった。

優勝したふぇぐ選手

――優勝を決めたお気持ちはいかがでしょうか。

ふぇぐ選手(以下ふぇぐ):100万ドルのポセイドンが輝きました! うれしいです!

――優勝した要因はなんだったと思いますか?

ふぇぐ:決勝はミスもありましたが、準決勝まではこれまでやってきたことが実践できたので、それがよかったと思います。

――賞金の1億円の使い道は決めていますでしょうか。

ふぇぐ:金額が大きすぎてまだピンときていません。とりあえず、マンションを買いたいです。

――最近ではeスポーツが注目されていますが、どんなところに広めていきたいですか。

ふぇぐ:観ている全員で声を出して共感できることが、ゲームの良いところだと思います。なので、そういう面をもっと知ってもらいたいです。

――1日の練習時間はどれくらいなのでしょうか。

ふぇぐ:10時間から14時間くらいはやっていると思います。昨日もずっとやっていて、実は2時間くらいしか寝てないんです。

――最後にひと言お願いします。

ふぇぐ:『シャドウバース』は良いゲームなので、皆さんもっと遊んでください!

元サッカー日本代表・前園さんがeスポーツを実際に観て感じたこと

また、会場には特別ゲストとして、元サッカー日本代表の前園真聖さんも訪れており、すべての試合を観戦していた。もともとeスポーツの存在は知っていたが、実際に大会を目にするのは初めてということだったので、今大会について感想を聞いてみた。

大会の司会を務めた平岩康佑アナウンサー(写真右)。特別ゲストとして参加した前園真聖氏(写真中央)。平岩氏とともに司会を担当した枡田絵理奈さん(写真左)

――eスポーツの大会を実際に観て、感想はいかがでしょうか。

前園さん(以下、前園):テレビや映像で何度か観たことはありましたが、現場に来たのは初めてです。大会規模や会場の熱気に圧倒されました。

――サッカーと比較してみて、違いなどは感じましたか?

前園:eスポーツは、サッカーゲームや今回のカードゲームなどいろいろな種類がありますが、対戦することについては、まさにサッカーと同じですね。相手を分析し、作戦を練って、その上で、現場で対応していくのはサッカーと一緒だと感じました。

――オリンピック競技になるのでは? という意見もありますが、その点についてはいかがお考えでしょうか。

前園:今回の大会は優勝賞金が1億円で、びっくりしています。賞金以上に大会の規模などを考えるとオリンピック競技になる可能性はあるでしょう。個人的な意見としては、種目になってほしいですね。

――子供の頃にハマったゲームはありますか?

前園:『ドンキーコング』や『アイスクライマー』などをやっていたのを覚えています。ゲームばかりやっていて親に怒られていました。今は、子どもたちが「eスポーツ選手になる」という夢を持てる状況になりつつあるので、私たちの時代とは違いますね。

――前園さんがプロ選手になったころ、「Jリーグ」は設立したばかりだったと思います。現在のeスポーツと、黎明期として共通する点があると思いますが、その経験からeスポーツ選手へのアドバイスなどはありますでしょうか?

前園:現在はプロスポーツチームもeスポーツに参入しており、ゲームをプレイする選手が夢見る職業になりつつあります。なので、次世代の選手となる子どもたちが憧れる選手になってほしいですし、そういった選手がもっと出てきてほしいですね。

その面倒な組織カルチャー、印鑑が原因ですよ

藤田朋宏の必殺仕分け人 第4回

その面倒な組織カルチャー、印鑑が原因ですよ

2019.03.18

印鑑業界による印鑑文化の優位性アピールが話題

会社経営者として感じる、捺印作業の面倒さ

「サイン文化」と「印鑑文化」で変わる組織カルチャー

行政手続きのオンライン化を目指す「デジタル手続き法案」をめぐり、全日本印章業協会がアピールした「印鑑のメリット」が話題になっている

「代理決済できるという印章の特長が、迅速な意思決定や決済に繋がり、戦後の日本経済の急速な発展にも寄与してきた」(原文ママ)というものだ。

「ハンコならこっそり代理決済ができる」などと、身も蓋もなく自ら印鑑廃止を後押ししてしまいかねない意見が出てしまったことは興味深い。
でも僕は、ただのバイオテクノロジー屋なので、ITを活用した効率化しますよ業界の回し者でもなければ、印鑑業界の人を敵に回すメリットだってないので、特にこの点について深く言及しないし、「日本における今後のハンコをどうするべきか」なんてことを掘り下げて云々するつもりもない。

ただ、日本を含む4カ国でスタートアップを立ち上げた経験から、企業の組織カルチャー形成に、承認方法としての「印鑑」と「サイン」の違いが、とても大きな影響を与えているのではと実感した話を書いておきたい。

日々、何かと多すぎるハンコ作業

まず共有しておきたい事実は、日本で会社を経営すると、毎日ものすごい数の代表印や銀行印や社印を押さなければいけないということだ。(会社の印鑑って3種類あるの知ってました?)

お客さんと契約してお金をいただくときに契約書に捺印するのはイメージできると思うが、その後もお金が銀行口座に無事入るまで、受領やらなにやら契約書だけでなく、さまざまな書類にとにかく捺印をしまくる必要がある。

また、家賃を払う、プリンターのトナーが切れる、実験試薬を買うなどなど、とにかく会社を運営する活動の一つ一つに対して、それぞれ細かくおびただしい数の印鑑を押す。法人が国や地方自治体に税金を払う時はもちろん、社員のあれこれも、例えば社員の誰かが結婚したり引っ越したりするだけでも印鑑を押しまくる。自分で会社をやってみてつくづくわかったが、とにかく捺印の数が膨大だ。

しかも、びっくりすることに、民間企業も市町村も、同じことをするために、それぞれがまったく違うフォーマットの書類に捺印を求めてくる。

こうして、大量な上にフォーマットがまったく違う書類を毎日渡されて、決められた位置に決められた種類の捺印をすることは、仮に契約書や書類の中身をまったくチェックしないで無責任に捺印したとしても、結構な時間を必要とする作業だ。

捺印にかける時間が惜しい

しかもうわの空で押していると、銀行印を押すべきところに代表印を押し間違えてしまったり、インクが簡単にかすれてしまったりするのが印鑑だ。人生において、こんな捺印ミスなどという程度のことで書類を作り直してもらう羽目になった回数を考えただけで、こんな単純な作業に失敗する情けなさとと、書類を作ってくれる従業員への申し訳なさで、どこかに隠れてしまいたい気持ちになる。

そう、僕は毎日、隠れてしまいたい気持ちになっているのだ。

なぜ、日本から印鑑はなくならないのか

我々の会社のように、たとえ社長だろうがあっちこっちに、営業に謝罪にと、せわしなく飛び回わることで、なんとか会社の体を保っているような規模の企業の方が世の中には多いと思う。そんな"貧乏暇なし社長”がこの捺印という物理的作業に忙殺される時間というのは、正直いって無駄以外の何物でもない。

にもかかわらず印鑑を押すという文化が日本に残っているのは「捺印するという作業」は、誰かに頼めてしまうからなのだと思う。多くの会社において「捺印をし続けるという作業」を自分でやっている社長はあまり居ないのかもしれず、ここが、すべて自ら書かなければいけないサインとの最大の違いなのだろう。

ちなみに、僕の場合は「捺印をし続けるという作業」だけを人に頼むような仕事の依頼の仕方は好みではないので、あちこちに会社を立ち上げては、担当者に「代表取締役」の役職ごと譲るようにしている。

海外の「サイン文化」は印鑑以上に面倒?

冒頭にも書いたが、僕は日本以外の3カ国でも会社を経営している。言うまでもなく日本以外の国は、承認の証としては「サイン」が一般的だ。

日本の会社同士の契約書の場合は、代表者の名前の脇に代表印と社印を、契約書を閉じた裏面に割印を一カ所押す形式であることが多い。つまり、二者間の契約であれば、先方用の契約書と当方用の契約書をあわせて、計4カ所の代表印と計2カ所の社印を押せばよい。

ところが、海外の契約書は、すべてのページにサインをしなければならない。海外の契約書は「実際にそんなことは起きないって」ってくらい、ありとあらゆる場面を想定した契約書になっていることが多く、とにかく契約書が長い。

感覚として、同じような内容の契約をするのに、日本の会社同士の契約の5倍~10倍のページ数になっても驚かない。

つまり、ちょっとした契約書でも軽く100ページを超えてくるわけだが、このすべてのページに手書きでサインをすることを想像して欲しい。契約書の中身を読んでただただサインを書き続けていると、「こんな作業に時間を使い続けてていいのだろうか」という自問の気持ちが芽生えてくる。

その組織カルチャーの差、ハンコとサインの差が原因ですよ

言うまでもなく、サインは誰かに代わりに書いてもらうことはできない。では、サインを書く物理的な時間を減らすために、何が起こるのかというと、「権限委譲」が進むのである。

日本の会社だと当たり前のように社長の名前で締結する規模の契約でも、海外の会社だと担当部長あたりの名前で契約を締結してくる。

もしかしたら、日本の会社のカルチャーだとそれは失礼なことに当たるのかもしれないが、サインを前提とした会社において、会社のすべての契約を社長名義で契約していたら、社長の一日は「サインを書く」という作業だけで終わってしまう。だから、どんどん権限委譲をしていくしかない。

日本の大企業の合意形成や意思決定のあり方を分析する文脈において、「日本の会社は権限委譲が進んでいない」とか、「プロジェクトごとの意思決定者の所在がよくわからないから、スピード感が遅くなってグローバル競争に負けてしまう」などという指摘を頻繁に見る。

特に近年流行りの「日本企業のホワイトカラーの生産性を高めましょう」という議論の多くでは、日本企業のこういった特殊性の原因を、日本人の歴史的・文化的背景や、国民性が理由であると結論づけている。

だからもっぱら、風通しがよく責任範囲が明確で、意思決定の早い会社にするために、せっせと組織構造をいじったり、管理職に研修をしたりと、コンサル屋さんが儲かるだけの努力に大きなお金を払うことになっているのだが、大きな効果が得られているようにみえない。

僕の考えは、特殊性の理由がちょっと違っていて、「その組織カルチャーの差って、捺印とサインの差が本質的な原因ですよ」と、わりと確信に近い自信を持っている。

捺印の作業だけを誰かに頼むのではなく、捺印をする権限ごとどんどん頼んでしまえばいい。ハンコにウンザリしている世の中の社長さん、そう思いません?

(藤田朋宏:ちとせグループ 創業者 兼 最高経営責任者)

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カレー沢薫の時流漂流 第32回

鋭すぎる言葉で物議を醸す「子供部屋おじさん」論議

2019.03.18

漫画家・コラムニスト カレー沢薫さんの社会派連載!

第32回は、実家暮らしの男性に降りかかる「子供部屋おじさん」論議について

「子供部屋おじさん」という言葉が注目されている。言葉自体は2014年あたりからあったそうだが、今また脚光を浴びているそうだ。

「○○おじさん」「○○おばさん」という呼称には、「アイカツおじさん」のように秀逸かつもはや「Sir」級の「称号」と言って良いものもあるが、大体が蔑称である。

その中でもこの「子供部屋おじさん」の蔑視ぶりたるや、である。意味はわからなくても本能で「馬鹿にされている」と察することができる。

「子供部屋おじさん」とはどんなおじさんを指すかというと、成人しても親元を離れず実家の「子供部屋」で暮らし続けるおじさんのことである。「パラサイトシングル」を、言われた相手の血管が切れるように魔改造した言葉だ。言葉としては「上手いこと言うな」と感嘆するしかない。

単に「実家住みのおじさん」という意味ではなく、「いい年をして親から自立せず、自分では何も出来ない、中身は子どものままのおじさん」という痛烈な批判が込められている。

この「子供部屋おじさん」は、ひきこもりやニートとは違い、仕事はちゃんとしている場合が多い。だが逆に「実家を出ようと思えば出られるのに出ない」という点が余計「甘え」と見なされ、ここまでの鬼煽りを食らう羽目になったとも言える。

このように世間からみっともないと思われがちな「実家住みの成人」だが、本当に彼らは社会の病巣であり、親から見れば寄生虫なのだろうか。

一人暮らしは今や「修行」かもしれない

子供部屋おじさん含むパラサイトシングルにも言い分はある。まず「実家から出るメリットが見いだせない」という理由だ。

実家が持ち家の場合、一人暮らしをするよりも実家住みの方が経済的には圧倒的有利だ。親側からしても、純粋に寄生されるのは厳しいが、生活費などを入れてもらえるなら、逆に助かるという場合もある。

また職場からの距離も実家から通った方が近いと言うなら、わざわざ経済的負担を負いながら、場合によっては遠距離通勤をする「一人暮らし」というのは「修行」という意味しかなく、昨今盛んに言われる「コスパ」「合理化」という観点から見ると「正気か」というような無駄でしかない。そのため、インフルエンサー的な人が一発「まだ一人暮らしで消耗してんの?」と言えば、容易に世論が傾いてしまいそうな気がする。

しかし「修行という意味しかない」と言っても、その「修行」に意味がないわけではない。一人暮らしが人間に自立と成長を促すのは確かである、自分のことは全て自分でやらなければいけないのだから当然だ。

逆に、衣食住が保証された実家で、お母さんにご飯と身の周りの世話を全部やってもらっていたら確かに子供となんら変わりないし、もし仮に結婚して家を出たとしても、今度は嫁に母親と同じことを求めるだろう。

結果として、「見た目は中年、中身は子供、価値観は団塊」というバランス感覚皆無の生物が爆誕することになりかねない。そういった意味では、いかに合理的でなかろうが、一人暮らしをする意味はあると言える。

だが、親の方が子どもに「実家にいてほしい」と望むケースもある。

前に「増加する共倒れ家庭」という、タイトルからして明るい要素皆無のテレビ番組を見たことがある。老齢一人暮らしの父親の元に、非正規雇用で自活できない息子が帰ってきて、そのせいで生活保護が打ち切られ、ますます困窮するというマジで暗い所しかない話だった。

しかし、父親の方が息子に対し「迷惑だから出て行ってほしい」と思っていたかというと、そうではなく「自分が老齢で何があるかわからないので居てほしい」と言っていたのだ。

このように、高齢の親からすれば、子供がいてくれるのは「安心」という面もある。ほかにも、介護のために実家に戻って来た者もいるのだから、一概に「子供部屋おじさん」とバカにすることはできない。

「子供部屋おじさん」がここまで燃える理由

そして、この「子供部屋おじさん」に今更激烈な反応が起こっているのは、「おじさん」と性別が限定されているからだろう。

当然「子供部屋おばさん」だって存在する。私も結婚して家を出るまで実家にいたし、成人すぎても小学校入学の時買ってもらった学習机を使っており、もちろん身の周りのことは母親を越えてババア殿にやってもらっていたという、どこに出しても恥ずかしくない「子供部屋おばさん」だった。親は私を家から出すのに相当勇気がいったと思う。

しかし、バカにされているのは専ら「子供部屋おじさん」の方で、言葉自体も「ブサイク」には「ブス」ほどの破壊力がないように、「おばさん」より「おじさん」の方がどう考えても「強く」感じる。

「子供部屋おばさん」にパンチが足りないのは言外に「女はまあ実家住みでもいいんじゃね?」という見逃しがあり、逆に男には「男のくせにいつまでも親の世話になってみっともない」という、男女差別があるせいではないだろうか。

ネットを開けば、ジェンダー問題で毎日ひとつは村が燃えている昨今である。「子供部屋おじさん」が、そっちの観点でアンコール炎上しても不思議ではない。

当然だが、一家の家計を支え、親の介護をしながら家事までやっている「子供部屋おじさん」もいれば、ろくに家に金もいれず、親に三食用意してもらっている「子供部屋おばさん」もいる。もちろんこれはおじさん・おばさんを入れ替えたって言えることだ。

男だから、女だから、で言い切りが出来ないように「実家暮らし」という属性一つでは何も断言することは出来ないのである。

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