バイク市場は退潮していなかった? 日本で存在感を高めるトライアンフに聞く

バイク市場は退潮していなかった? 日本で存在感を高めるトライアンフに聞く

2018.12.19

スタンダードモデルとして登場した2台の2019年モデル

トライアンフを躍進に導く3つの成長戦略

野田社長を直撃! 日本でシェアを拡大できる理由とは

国内4大メーカーが圧倒的なシェアを握る日本の二輪車市場。海外メーカーはいわば“オマケ”的な存在で、一部の根強い愛好家の乗り物とか、ファッションでいうところのハイブランドといったようなイメージが一般的なのではないだろうか。そんな中、日本で勢力を伸ばしているのがトライアンフだ。

トライアンフは1902年にイギリスで誕生したブランドで、現存する世界最古の二輪メーカーに数えられる。同社が日本で成長を続けられる理由について、新製品発表会に登場したトライアンフモーターサイクルズジャパンの野田一夫代表取締役社長に聞いてきた。

トライアンフの「ボンネビル」シリーズで最もモダンな「Street Twin」の新型モデルが登場

エンジン性能が大型アップデートされた2019年の新モデル

トライアンフモーターサイクルズジャパンは、12月15日に2台の2019年モデルを発売した。同社で最も成功を収めたモダンクラシックバイクであり、販売戦略上も重要なモデルという位置付けの「New Street Twin」と、先代モデルに比べオフロード性能が向上した「New Street Scrambler」だ。

右側高めを取り回す2本のエキゾーストパイプが印象的な「New Street Scrambler」

大幅な改良を経て登場した新型モデルだが、中でも両車に共通するエンジンの進化には目を見張るものがある。搭載するのは900ccの高トルク「Bonnevileエンジン」で、最高出力は先代モデルの55PSから65PSへと大幅に向上。特に3,500~5,500回転での出力が高まっているため、その違いは乗った瞬間に感じられるという。さらに、回転数は従来型に比べプラス500回転の7,500rpmに増加している。

先代モデルと比べて18%の出力アップを実現した水冷SOHC並列2気筒8バルブ270°クランクエンジン

同様のアップデートが施された両車だが、吸排気システムの違いからそれぞれ異なる特徴が表れているのも面白い。「New Street Twin」はトライアンフ伝統のブリティッシュパラレルツインのフィーリングが向上。回せば回すほどに、フレキシブルで伸びのある爽快な走りが楽しめる。一方の「New Street Scrambler」は、大音量のスクランブラーサウンドが体に響きわたるような迫力ある走りが特徴だそうだ。

エンジンの出力強化に伴い各パーツも見直した。フロントブレーキには新たにブレンボ製の4ポットキャリパーを採用。フロントフォークはカートリッジ式フロントフォークに変更するなど足回りを強化してある

価格は「NEW Street Twin」が105万600円(税込)からで、「New Street Scrambler」が128万100円(税込)からとなっている。価格の上昇が最低限に抑えられているのは、同社がこの2モデルをエントリーモデルと位置付けているため。トライアンフ入門車として幅広いユーザーに訴求し、いずれは1,200ccなどの他モデルに移行する足がかりとしてもらう戦略だ。

トライアンフの躍進を支える3本の柱

グローバルで見たトライアンフの販売台数は、2007年から2017年までの10年間で160%も伸びている。日本での登録実績は2017年に初めて1,800台を超え、最終的には1,876台を達成した。近年最も成長したブランドの1つといえる。

リーマンショックなどの世界的な大不況の中でもトライアンフの販売台数は堅調に推移してきた

新製品発表会に登壇したトライアンフモーターサイクルズジャパンの野田社長は、同社が日本で成功している秘訣について「ブランドの浸透」「販売店舗の改変」「新商品攻勢」という3つのポイントをあげた。

まず、ブランドの浸透に大きく関係したのがハリウッド映画への登場だ。トライアンフのバイクといえば、古くはスティーブ・マックイーンの代表作の1つ『大脱走』のイメージが強いが、近年も『アントマン』『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』『オーシャンズ8』といった作品で活躍している。いずれも話題作であったため、知らないうちにその姿を目にしていた人も多いはずだ。

販売店舗の改変については、「せっかく良いものを買っても、店舗が汚ければ満足度は決して高くはならない」との信念に基づき、かなり力を入れて推し進めているという。2017年に東京都・吉祥寺にオープンした「トライアンフ東京」を例に取れば、1階は黒と白を基調にしたお洒落なデザインで、240㎡を超えるゆったりとした店内にバイクが展示してある。2階は木のぬくもりを感じながらリラックスできるスペースとなっている。

最後に、野田社長が最も強調していたのが新商品攻勢だ。トライアンフは2016年にスタートした「第1弾商品大攻勢」で27モデルを市場に投入。大幅に商品を増やした背景としては、競合ブランドに比べ同社のモデル数が少なかったという事実も指摘できるが、闇雲にリリースしたわけでもないことは、その商品構成を見れば分かる。

以前は長距離走行に適したツアラーなども展開していたトライアンフだが、自社のキャラクターには合わないと判断し、第1弾新商品攻勢では強みとするクラシックモデル路線へと大きく舵を切った。当初は900ccだけだったラインアップも、現在は1,200ccを生産するなど選択肢の幅を広げている。

また、野田氏は今回の2モデルを皮切りに、2019年にかけて「第2弾商品大攻勢」をかけることを発表した。月間1台以上という他メーカーには真似できないペースで新モデルを投入し、さらなる躍進を期する考えだ。

2019年6月頃には“一目見てすごい”と思わせる隠し玉を用意しているとのこと。今後の動向から目が離せない

支払われた対価に対して最大限のリターンを提供

現在、日本の二輪業界では、若者のバイク離れによりユーザーが減少していて、バイク乗りの高齢化も進んでいる。それに伴い、国内販売数も全体的に右肩下がりという厳しい状況だ。こうした現状をどう捉えているか野田社長に聞いてみると、その認識は「ある意味で正しく、ある意味では間違っている」との答えが返ってきた。

「全体でいえば確かに減少傾向にありますが、そのメインはスクーターなどの実用の部分なんです。趣味性の高い大型バイク自体はそんなに販売台数が減っていなくて、年によっては増加しています。トライアンフは『移動体』という部分よりも、趣味性に特化しているというところが、まず1つの大きな成功要因ですね」

発表会場には同社がインスピレーションパッケージと呼ぶカスタム心をくすぐるイメージを展示。こちらはトライアンフのデザイナーによるセレクトだ

確かに、ほぼ日本専用のガラパゴスアイテムといえる50ccバイク(原付一種)は、風前の灯とも思えるほど厳しい状況にある。2020年から始まる次期排ガス規制に対応するためのコスト増や、世界基準の最低排気量125cc以下(原付二種)への移行、軽四輪や電動アシスト自転車へのシフトなどが背景だ。

それに対し、250ccを超える趣味性の高いバイクの需要については、ある程度維持できているというのが野田社長の考えだ。とはいえ、こうした傾向はすべての二輪メーカーに対していえること。その中で、特にトライアンフが成長を続けている理由はどのあたりにあるのだろうか。

「トライアンフが販売台数を伸ばしている理由は、一貫性があって良いものを作り続けているからだと思います。これはオーナー企業だからできることですが、“バカ真面目”というか、ちゃんと良いものをしっかりと作ろうという思いが大きい。時には、ちょっとやりすぎなんじゃないかと思うこともあるほどです」

“For the RIDE”をブランドテーマに掲げるトライアンフのバイク開発は、細かな部分に至るまで一切の妥協がない。そんな同社が月1台以上のペースで新モデルを投入することについて、野田社長は「他メーカーにはできない」と胸を張った

ホンダ、カサワキ、ヤマハ、スズキという世界の4大バイクメーカーを有する日本には、カタログスペックで優れた多くのバイクが乗り継がれてきた歴史があり、日本人のバイクに対する目も肥えている。そんな日本で、厚めに設計したハンドル径や手塗りしたピンストライプの塗装など、細部にまで凝ったトライアンフのバイクづくりが“本物を求める欲求”にマッチした。これが、同社が日本で成功している要因なのではないだろうか。

趣味性の高い大型バイクであるがゆえに、ユーザーは出した対価に対して相応の意味や価値を見出したいと考える。それらを最大化していくことこそ、トライアンフの差別化戦略なのだろう。

その面倒な組織カルチャー、印鑑が原因ですよ

藤田朋宏の必殺仕分け人 第4回

その面倒な組織カルチャー、印鑑が原因ですよ

2019.03.18

印鑑業界による印鑑文化の優位性アピールが話題

会社経営者として感じる、捺印作業の面倒さ

「サイン文化」と「印鑑文化」で変わる組織カルチャー

行政手続きのオンライン化を目指す「デジタル手続き法案」をめぐり、全日本印章業協会がアピールした「印鑑のメリット」が話題になっている

「代理決済できるという印章の特長が、迅速な意思決定や決済に繋がり、戦後の日本経済の急速な発展にも寄与してきた」(原文ママ)というものだ。

「ハンコならこっそり代理決済ができる」などと、身も蓋もなく自ら印鑑廃止を後押ししてしまいかねない意見が出てしまったことは興味深い。
でも僕は、ただのバイオテクノロジー屋なので、ITを活用した効率化しますよ業界の回し者でもなければ、印鑑業界の人を敵に回すメリットだってないので、特にこの点について深く言及しないし、「日本における今後のハンコをどうするべきか」なんてことを掘り下げて云々するつもりもない。

ただ、日本を含む4カ国でスタートアップを立ち上げた経験から、企業の組織カルチャー形成に、承認方法としての「印鑑」と「サイン」の違いが、とても大きな影響を与えているのではと実感した話を書いておきたい。

日々、何かと多すぎるハンコ作業

まず共有しておきたい事実は、日本で会社を経営すると、毎日ものすごい数の代表印や銀行印や社印を押さなければいけないということだ。(会社の印鑑って3種類あるの知ってました?)

お客さんと契約してお金をいただくときに契約書に捺印するのはイメージできると思うが、その後もお金が銀行口座に無事入るまで、受領やらなにやら契約書だけでなく、さまざまな書類にとにかく捺印をしまくる必要がある。

また、家賃を払う、プリンターのトナーが切れる、実験試薬を買うなどなど、とにかく会社を運営する活動の一つ一つに対して、それぞれ細かくおびただしい数の印鑑を押す。法人が国や地方自治体に税金を払う時はもちろん、社員のあれこれも、例えば社員の誰かが結婚したり引っ越したりするだけでも印鑑を押しまくる。自分で会社をやってみてつくづくわかったが、とにかく捺印の数が膨大だ。

しかも、びっくりすることに、民間企業も市町村も、同じことをするために、それぞれがまったく違うフォーマットの書類に捺印を求めてくる。

こうして、大量な上にフォーマットがまったく違う書類を毎日渡されて、決められた位置に決められた種類の捺印をすることは、仮に契約書や書類の中身をまったくチェックしないで無責任に捺印したとしても、結構な時間を必要とする作業だ。

捺印にかける時間が惜しい

しかもうわの空で押していると、銀行印を押すべきところに代表印を押し間違えてしまったり、インクが簡単にかすれてしまったりするのが印鑑だ。人生において、こんな捺印ミスなどという程度のことで書類を作り直してもらう羽目になった回数を考えただけで、こんな単純な作業に失敗する情けなさとと、書類を作ってくれる従業員への申し訳なさで、どこかに隠れてしまいたい気持ちになる。

そう、僕は毎日、隠れてしまいたい気持ちになっているのだ。

なぜ、日本から印鑑はなくならないのか

我々の会社のように、たとえ社長だろうがあっちこっちに、営業に謝罪にと、せわしなく飛び回わることで、なんとか会社の体を保っているような規模の企業の方が世の中には多いと思う。そんな"貧乏暇なし社長”がこの捺印という物理的作業に忙殺される時間というのは、正直いって無駄以外の何物でもない。

にもかかわらず印鑑を押すという文化が日本に残っているのは「捺印するという作業」は、誰かに頼めてしまうからなのだと思う。多くの会社において「捺印をし続けるという作業」を自分でやっている社長はあまり居ないのかもしれず、ここが、すべて自ら書かなければいけないサインとの最大の違いなのだろう。

ちなみに、僕の場合は「捺印をし続けるという作業」だけを人に頼むような仕事の依頼の仕方は好みではないので、あちこちに会社を立ち上げては、担当者に「代表取締役」の役職ごと譲るようにしている。

海外の「サイン文化」は印鑑以上に面倒?

冒頭にも書いたが、僕は日本以外の3カ国でも会社を経営している。言うまでもなく日本以外の国は、承認の証としては「サイン」が一般的だ。

日本の会社同士の契約書の場合は、代表者の名前の脇に代表印と社印を、契約書を閉じた裏面に割印を一カ所押す形式であることが多い。つまり、二者間の契約であれば、先方用の契約書と当方用の契約書をあわせて、計4カ所の代表印と計2カ所の社印を押せばよい。

ところが、海外の契約書は、すべてのページにサインをしなければならない。海外の契約書は「実際にそんなことは起きないって」ってくらい、ありとあらゆる場面を想定した契約書になっていることが多く、とにかく契約書が長い。

感覚として、同じような内容の契約をするのに、日本の会社同士の契約の5倍~10倍のページ数になっても驚かない。

つまり、ちょっとした契約書でも軽く100ページを超えてくるわけだが、このすべてのページに手書きでサインをすることを想像して欲しい。契約書の中身を読んでただただサインを書き続けていると、「こんな作業に時間を使い続けてていいのだろうか」という自問の気持ちが芽生えてくる。

その組織カルチャーの差、ハンコとサインの差が原因ですよ

言うまでもなく、サインは誰かに代わりに書いてもらうことはできない。では、サインを書く物理的な時間を減らすために、何が起こるのかというと、「権限委譲」が進むのである。

日本の会社だと当たり前のように社長の名前で締結する規模の契約でも、海外の会社だと担当部長あたりの名前で契約を締結してくる。

もしかしたら、日本の会社のカルチャーだとそれは失礼なことに当たるのかもしれないが、サインを前提とした会社において、会社のすべての契約を社長名義で契約していたら、社長の一日は「サインを書く」という作業だけで終わってしまう。だから、どんどん権限委譲をしていくしかない。

日本の大企業の合意形成や意思決定のあり方を分析する文脈において、「日本の会社は権限委譲が進んでいない」とか、「プロジェクトごとの意思決定者の所在がよくわからないから、スピード感が遅くなってグローバル競争に負けてしまう」などという指摘を頻繁に見る。

特に近年流行りの「日本企業のホワイトカラーの生産性を高めましょう」という議論の多くでは、日本企業のこういった特殊性の原因を、日本人の歴史的・文化的背景や、国民性が理由であると結論づけている。

だからもっぱら、風通しがよく責任範囲が明確で、意思決定の早い会社にするために、せっせと組織構造をいじったり、管理職に研修をしたりと、コンサル屋さんが儲かるだけの努力に大きなお金を払うことになっているのだが、大きな効果が得られているようにみえない。

僕の考えは、特殊性の理由がちょっと違っていて、「その組織カルチャーの差って、捺印とサインの差が本質的な原因ですよ」と、わりと確信に近い自信を持っている。

捺印の作業だけを誰かに頼むのではなく、捺印をする権限ごとどんどん頼んでしまえばいい。ハンコにウンザリしている世の中の社長さん、そう思いません?

(藤田朋宏:ちとせグループ 創業者 兼 最高経営責任者)

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2019.03.18

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第32回は、実家暮らしの男性に降りかかる「子供部屋おじさん」論議について

「子供部屋おじさん」という言葉が注目されている。言葉自体は2014年あたりからあったそうだが、今また脚光を浴びているそうだ。

「○○おじさん」「○○おばさん」という呼称には、「アイカツおじさん」のように秀逸かつもはや「Sir」級の「称号」と言って良いものもあるが、大体が蔑称である。

その中でもこの「子供部屋おじさん」の蔑視ぶりたるや、である。意味はわからなくても本能で「馬鹿にされている」と察することができる。

「子供部屋おじさん」とはどんなおじさんを指すかというと、成人しても親元を離れず実家の「子供部屋」で暮らし続けるおじさんのことである。「パラサイトシングル」を、言われた相手の血管が切れるように魔改造した言葉だ。言葉としては「上手いこと言うな」と感嘆するしかない。

単に「実家住みのおじさん」という意味ではなく、「いい年をして親から自立せず、自分では何も出来ない、中身は子どものままのおじさん」という痛烈な批判が込められている。

この「子供部屋おじさん」は、ひきこもりやニートとは違い、仕事はちゃんとしている場合が多い。だが逆に「実家を出ようと思えば出られるのに出ない」という点が余計「甘え」と見なされ、ここまでの鬼煽りを食らう羽目になったとも言える。

このように世間からみっともないと思われがちな「実家住みの成人」だが、本当に彼らは社会の病巣であり、親から見れば寄生虫なのだろうか。

一人暮らしは今や「修行」かもしれない

子供部屋おじさん含むパラサイトシングルにも言い分はある。まず「実家から出るメリットが見いだせない」という理由だ。

実家が持ち家の場合、一人暮らしをするよりも実家住みの方が経済的には圧倒的有利だ。親側からしても、純粋に寄生されるのは厳しいが、生活費などを入れてもらえるなら、逆に助かるという場合もある。

また職場からの距離も実家から通った方が近いと言うなら、わざわざ経済的負担を負いながら、場合によっては遠距離通勤をする「一人暮らし」というのは「修行」という意味しかなく、昨今盛んに言われる「コスパ」「合理化」という観点から見ると「正気か」というような無駄でしかない。そのため、インフルエンサー的な人が一発「まだ一人暮らしで消耗してんの?」と言えば、容易に世論が傾いてしまいそうな気がする。

しかし「修行という意味しかない」と言っても、その「修行」に意味がないわけではない。一人暮らしが人間に自立と成長を促すのは確かである、自分のことは全て自分でやらなければいけないのだから当然だ。

逆に、衣食住が保証された実家で、お母さんにご飯と身の周りの世話を全部やってもらっていたら確かに子供となんら変わりないし、もし仮に結婚して家を出たとしても、今度は嫁に母親と同じことを求めるだろう。

結果として、「見た目は中年、中身は子供、価値観は団塊」というバランス感覚皆無の生物が爆誕することになりかねない。そういった意味では、いかに合理的でなかろうが、一人暮らしをする意味はあると言える。

だが、親の方が子どもに「実家にいてほしい」と望むケースもある。

前に「増加する共倒れ家庭」という、タイトルからして明るい要素皆無のテレビ番組を見たことがある。老齢一人暮らしの父親の元に、非正規雇用で自活できない息子が帰ってきて、そのせいで生活保護が打ち切られ、ますます困窮するというマジで暗い所しかない話だった。

しかし、父親の方が息子に対し「迷惑だから出て行ってほしい」と思っていたかというと、そうではなく「自分が老齢で何があるかわからないので居てほしい」と言っていたのだ。

このように、高齢の親からすれば、子供がいてくれるのは「安心」という面もある。ほかにも、介護のために実家に戻って来た者もいるのだから、一概に「子供部屋おじさん」とバカにすることはできない。

「子供部屋おじさん」がここまで燃える理由

そして、この「子供部屋おじさん」に今更激烈な反応が起こっているのは、「おじさん」と性別が限定されているからだろう。

当然「子供部屋おばさん」だって存在する。私も結婚して家を出るまで実家にいたし、成人すぎても小学校入学の時買ってもらった学習机を使っており、もちろん身の周りのことは母親を越えてババア殿にやってもらっていたという、どこに出しても恥ずかしくない「子供部屋おばさん」だった。親は私を家から出すのに相当勇気がいったと思う。

しかし、バカにされているのは専ら「子供部屋おじさん」の方で、言葉自体も「ブサイク」には「ブス」ほどの破壊力がないように、「おばさん」より「おじさん」の方がどう考えても「強く」感じる。

「子供部屋おばさん」にパンチが足りないのは言外に「女はまあ実家住みでもいいんじゃね?」という見逃しがあり、逆に男には「男のくせにいつまでも親の世話になってみっともない」という、男女差別があるせいではないだろうか。

ネットを開けば、ジェンダー問題で毎日ひとつは村が燃えている昨今である。「子供部屋おじさん」が、そっちの観点でアンコール炎上しても不思議ではない。

当然だが、一家の家計を支え、親の介護をしながら家事までやっている「子供部屋おじさん」もいれば、ろくに家に金もいれず、親に三食用意してもらっている「子供部屋おばさん」もいる。もちろんこれはおじさん・おばさんを入れ替えたって言えることだ。

男だから、女だから、で言い切りが出来ないように「実家暮らし」という属性一つでは何も断言することは出来ないのである。

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