伸び悩むアルコール飲料市場で、クラフトビールが注目されている理由

伸び悩むアルコール飲料市場で、クラフトビールが注目されている理由

2018.11.08

近年、「クラフトビール」が市場で存在感を増している

大手・キリンも自社レストランなどでクラフトビールを提供

人気の高まりの背景について、SVB社長に聞いた

日本の酒文化でもっともポピュラーな飲料といえばビールだろう。一般的にビールというと、淡い麦色で強い炭酸が入っており、キレがあるものが多い。商品によって細かい違いはあるが、コンビニやスーパーで販売されていたり居酒屋で飲めたりするビールはほとんどがこのタイプだ。

一方で、そうした従来のものとは異なるイメージのビール――クラフトビール――がここ数年、存在感を増している。クラフト(手工芸品)という名前の通り、小規模なブルワリー(ビール醸造所)で職人が工夫をこらし丁寧につくりあげたビールのことである。現在では大手ビール会社も参入し、クラフトビールを提供するレストランも次々にオープンするなど、クラフトビール市場は順調な伸びを見せている。

なぜ今、クラフトビール人気が高まっているのか。市場の成長と共に今後、どんな展開を見せるのか。キリンビールが運営するブルワリー併設レストランSVB TOKYO(スプリングバレーブルワリー)の代表取締役社長を務める島村宏子氏を取材した。

SVB TOKYO 代表取締役社長 島村宏子氏。キリンビール運営のブルワリー併設レストランSVB TOKYO(代官山)で取材を行った。

地ビールブームを越えたクラフトビールの今

――クラフトビールという言葉はかなり定着してきていますが、曖昧なイメージで捉えている方も多いと思います。あらためて定義について教えていただけますか。

島村:酒税法による定義もありますが、そうするとかなり狭い部分しかクラフトビールと呼べなくなってしまいます。ですので今回は、私たちが思うクラフトビールについてご説明します。クラフトビールとは、ブルワリー(ビール醸造所)やつくり手の個性、思いが詰まった、独創的で奥深いビールのことをいいます。

副原料にいろいろな素材を使うなど、チャレンジできるのもクラフトビールの特徴といえます。たとえばSVBでは塩を使ったゴーゼというビールや、マスカットを使ったフルーツタイプのビール、バラを漬け込んだビールなど、今まであまりなかった副原料を使ったスタイルにチャレンジしています。

――以前、地ビールがブームになったこともありました。地ビールもクラフトビールといえるのでしょうか。

島村:地ビールは94年に解禁され、町おこしの一環として盛り上がりました。地ビールもクラフトビールと呼んでいいとおもいますが、以前の地ビールと今のクラフトビールは少し違います。クラフトビールをフックに町おこししようとしていた頃とは違って、さらに社会貢献的な意義も付加したブルワリーや若い生産者が増えています。こうした流れは海外とも似ています。

――具体的にはどんなブルワリーがありますか? 

島村:たとえば(岩手県の)遠野です。私たちもお世話になっているホップの産地ですが、こちらの遠野醸造さんなどは国産ホップのブランド化を進めており、自分たちでもブルワリーを立ち上げています。また、大阪のうめきたプロジェクトでは、梅田のど真ん中でホップ作りにチャレンジされています。

クラフトビールの広がり

――キリンビールでもクラフトビールをつくるブルワリー併設のレストラン・SVBを運営されています。どんな思いでオープンされたのでしょうか。

島村:キリンビールの社員は当然、ビールが大好きです。ただ、一般的なビールは、ワインやウイスキー、日本酒や焼酎などブランドとして立ったものに比べると、どうしてもスタイリッシュさに欠けるところもありました。実はビールも奥深い飲み物なんだということを知ってもらい、新しいビールの未来を作っていきたいという思いでオープンしたのがSVBです。

SVB TOKYOの店内には醸造用のタンクがある

――代官山以外にも横浜、京都、銀座と4店舗展開されています。それぞれのコンセプトなどを教えてください。

島村:代官山店は革新性がテーマです。新しいスタイルを創造するべく、素材や作り方などの情報を海外から入手して取り組んでいます。たとえば出汁を使ってみたり、ワインのように樽で熟成してみたり、いろいろなことに挑戦しています。キリンビールにも味の知見があるので、それらを融合することで新しいクラフトビールの楽しみを広めていきたいと考えています。

SVB YOKOHAMA(左)、SVB KYOTO(右)

横浜店はビール発祥の地ということもあり、歴史や伝統をテーマに。京都店は日本の伝統の美意識を革新的に伝えること。そして銀座はふらりと立ち寄れる場所をコンセプトにしています。

――客層はいかがですか。

島村:本当に様々な方に楽しんでいただけています。特に最近は若い女性がクラフトビールを楽しむ姿を見ることが増えました。SVBもそうですが、先日銀座で開催したフレッシュホップフェストでも思った以上に若い女性が多かった印象です。ワインや焼酎ブームも女性が牽引しましたが、そういった流れがクラフトビールにも起こりつつあるのかもしれません。

意外な料理とのペアリング

――SVBでは様々な種類のクラフトビールを丁寧な解説つきで楽しめるだけでなく、ワインのように料理とのペアリングで楽しむこともできますよね。

島村:色、味、香り、それらを料理と共に楽しんでいただくのがSVBでのスタイルです。注ぎ方にもこだわっていますし、ものによってはワイングラスでお出しするなど、従来のビールのイメージと違う驚きも楽しんでいただければと思っています。

――ビールとおつまみの組み合わせを6種類一気に楽しめるペアリングセットはユニークな試みだと思いました。

6種類のビールにあうおつまみを楽しむ「ペアリングセット」

島村:ビールといえば枝豆や揚げ物のイメージですよね。その組み合わせもおいしいのですが、それだけではなく魚料理や肉料理に合うビールもあるのです。たとえば濃厚なソースを用いた肉料理の場合、通常のビールは負けてしまうのですが、クラフトビールなら受け止めることができます。

また、ジャズベリーというフルーティーなクラフトビールがありますが、最初はスタッフもそれが肉料理と合うとは思っていませんでした。ところが試してみたところ、まるでロゼワインのように肉料理に合わせることができたのです。

――ビールでそういったペアリングを楽しめるのは面白いですね。驚きと発見があります。

島村:まさに私たちがご提供したいのは驚き――ビアサプライズなんです。飲み比べやペアリングもそのための一つの表現です。SVBのスタッフはビールファンを一人でも増やしたいという使命感で仕事をしています。ブルワリー同士も交流が多く、よく他のブルワリーさんからの相談に乗ったりもしているんですよ。そうやって切磋琢磨しているところも、従来のビール会社の競争とは違う部分かもしれません。

――今後のビジョンやクラフトビールの展望についても教えてください。

島村:たくさんのブルワリーさんと連携しながらビールの未来を作っていきたいですね。現在、キリンビールではクラフトビールを提供するためのタップマルシェという小型の機械を飲食店向けに提案しています。それが広がっていくことで、クラフトビールを楽しむ場作り、機会作りにつながるのではと思っています。

調査をすると、首都圏の88%の方が「クラフトビールを知っている」と答えてくださるのですが、そのうち一度でも飲んだことがある人はまだ20〜25%程度しかいません。逆にいうと、クラフトビールを知っているけれどまだ飲んだことがない人がたくさんいるわけです。そうした方に今後、どう提案していけるかがポイントだと思います。

***

ブルワリーの個性や副原料による味の違い、さらに料理とのペアリングといった楽しみ方は、これまでの一般的なビールにはあまり見られなかったクラフトビールならではのものである。同じビールと名のつく飲料ではあるものの、クラフトビールは従来のビールの延長線上ではなく、まったく別の飲み物として支持されているのだろう。一方で、手軽さや価格面、知名度では居酒屋での「とりあえず生」にはまだまだ及ばない。クラフトビール市場の成長を今後も見守りたい。

その面倒な組織カルチャー、印鑑が原因ですよ

藤田朋宏の必殺仕分け人 第4回

その面倒な組織カルチャー、印鑑が原因ですよ

2019.03.18

印鑑業界による印鑑文化の優位性アピールが話題

会社経営者として感じる、捺印作業の面倒さ

「サイン文化」と「印鑑文化」で変わる組織カルチャー

行政手続きのオンライン化を目指す「デジタル手続き法案」をめぐり、全日本印章業協会がアピールした「印鑑のメリット」が話題になっている

「代理決済できるという印章の特長が、迅速な意思決定や決済に繋がり、戦後の日本経済の急速な発展にも寄与してきた」(原文ママ)というものだ。

「ハンコならこっそり代理決済ができる」などと、身も蓋もなく自ら印鑑廃止を後押ししてしまいかねない意見が出てしまったことは興味深い。
でも僕は、ただのバイオテクノロジー屋なので、ITを活用した効率化しますよ業界の回し者でもなければ、印鑑業界の人を敵に回すメリットだってないので、特にこの点について深く言及しないし、「日本における今後のハンコをどうするべきか」なんてことを掘り下げて云々するつもりもない。

ただ、日本を含む4カ国でスタートアップを立ち上げた経験から、企業の組織カルチャー形成に、承認方法としての「印鑑」と「サイン」の違いが、とても大きな影響を与えているのではと実感した話を書いておきたい。

日々、何かと多すぎるハンコ作業

まず共有しておきたい事実は、日本で会社を経営すると、毎日ものすごい数の代表印や銀行印や社印を押さなければいけないということだ。(会社の印鑑って3種類あるの知ってました?)

お客さんと契約してお金をいただくときに契約書に捺印するのはイメージできると思うが、その後もお金が銀行口座に無事入るまで、受領やらなにやら契約書だけでなく、さまざまな書類にとにかく捺印をしまくる必要がある。

また、家賃を払う、プリンターのトナーが切れる、実験試薬を買うなどなど、とにかく会社を運営する活動の一つ一つに対して、それぞれ細かくおびただしい数の印鑑を押す。法人が国や地方自治体に税金を払う時はもちろん、社員のあれこれも、例えば社員の誰かが結婚したり引っ越したりするだけでも印鑑を押しまくる。自分で会社をやってみてつくづくわかったが、とにかく捺印の数が膨大だ。

しかも、びっくりすることに、民間企業も市町村も、同じことをするために、それぞれがまったく違うフォーマットの書類に捺印を求めてくる。

こうして、大量な上にフォーマットがまったく違う書類を毎日渡されて、決められた位置に決められた種類の捺印をすることは、仮に契約書や書類の中身をまったくチェックしないで無責任に捺印したとしても、結構な時間を必要とする作業だ。

捺印にかける時間が惜しい

しかもうわの空で押していると、銀行印を押すべきところに代表印を押し間違えてしまったり、インクが簡単にかすれてしまったりするのが印鑑だ。人生において、こんな捺印ミスなどという程度のことで書類を作り直してもらう羽目になった回数を考えただけで、こんな単純な作業に失敗する情けなさとと、書類を作ってくれる従業員への申し訳なさで、どこかに隠れてしまいたい気持ちになる。

そう、僕は毎日、隠れてしまいたい気持ちになっているのだ。

なぜ、日本から印鑑はなくならないのか

我々の会社のように、たとえ社長だろうがあっちこっちに、営業に謝罪にと、せわしなく飛び回わることで、なんとか会社の体を保っているような規模の企業の方が世の中には多いと思う。そんな"貧乏暇なし社長”がこの捺印という物理的作業に忙殺される時間というのは、正直いって無駄以外の何物でもない。

にもかかわらず印鑑を押すという文化が日本に残っているのは「捺印するという作業」は、誰かに頼めてしまうからなのだと思う。多くの会社において「捺印をし続けるという作業」を自分でやっている社長はあまり居ないのかもしれず、ここが、すべて自ら書かなければいけないサインとの最大の違いなのだろう。

ちなみに、僕の場合は「捺印をし続けるという作業」だけを人に頼むような仕事の依頼の仕方は好みではないので、あちこちに会社を立ち上げては、担当者に「代表取締役」の役職ごと譲るようにしている。

海外の「サイン文化」は印鑑以上に面倒?

冒頭にも書いたが、僕は日本以外の3カ国でも会社を経営している。言うまでもなく日本以外の国は、承認の証としては「サイン」が一般的だ。

日本の会社同士の契約書の場合は、代表者の名前の脇に代表印と社印を、契約書を閉じた裏面に割印を一カ所押す形式であることが多い。つまり、二者間の契約であれば、先方用の契約書と当方用の契約書をあわせて、計4カ所の代表印と計2カ所の社印を押せばよい。

ところが、海外の契約書は、すべてのページにサインをしなければならない。海外の契約書は「実際にそんなことは起きないって」ってくらい、ありとあらゆる場面を想定した契約書になっていることが多く、とにかく契約書が長い。

感覚として、同じような内容の契約をするのに、日本の会社同士の契約の5倍~10倍のページ数になっても驚かない。

つまり、ちょっとした契約書でも軽く100ページを超えてくるわけだが、このすべてのページに手書きでサインをすることを想像して欲しい。契約書の中身を読んでただただサインを書き続けていると、「こんな作業に時間を使い続けてていいのだろうか」という自問の気持ちが芽生えてくる。

その組織カルチャーの差、ハンコとサインの差が原因ですよ

言うまでもなく、サインは誰かに代わりに書いてもらうことはできない。では、サインを書く物理的な時間を減らすために、何が起こるのかというと、「権限委譲」が進むのである。

日本の会社だと当たり前のように社長の名前で締結する規模の契約でも、海外の会社だと担当部長あたりの名前で契約を締結してくる。

もしかしたら、日本の会社のカルチャーだとそれは失礼なことに当たるのかもしれないが、サインを前提とした会社において、会社のすべての契約を社長名義で契約していたら、社長の一日は「サインを書く」という作業だけで終わってしまう。だから、どんどん権限委譲をしていくしかない。

日本の大企業の合意形成や意思決定のあり方を分析する文脈において、「日本の会社は権限委譲が進んでいない」とか、「プロジェクトごとの意思決定者の所在がよくわからないから、スピード感が遅くなってグローバル競争に負けてしまう」などという指摘を頻繁に見る。

特に近年流行りの「日本企業のホワイトカラーの生産性を高めましょう」という議論の多くでは、日本企業のこういった特殊性の原因を、日本人の歴史的・文化的背景や、国民性が理由であると結論づけている。

だからもっぱら、風通しがよく責任範囲が明確で、意思決定の早い会社にするために、せっせと組織構造をいじったり、管理職に研修をしたりと、コンサル屋さんが儲かるだけの努力に大きなお金を払うことになっているのだが、大きな効果が得られているようにみえない。

僕の考えは、特殊性の理由がちょっと違っていて、「その組織カルチャーの差って、捺印とサインの差が本質的な原因ですよ」と、わりと確信に近い自信を持っている。

捺印の作業だけを誰かに頼むのではなく、捺印をする権限ごとどんどん頼んでしまえばいい。ハンコにウンザリしている世の中の社長さん、そう思いません?

(藤田朋宏:ちとせグループ 創業者 兼 最高経営責任者)

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2019.03.18

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第32回は、実家暮らしの男性に降りかかる「子供部屋おじさん」論議について

「子供部屋おじさん」という言葉が注目されている。言葉自体は2014年あたりからあったそうだが、今また脚光を浴びているそうだ。

「○○おじさん」「○○おばさん」という呼称には、「アイカツおじさん」のように秀逸かつもはや「Sir」級の「称号」と言って良いものもあるが、大体が蔑称である。

その中でもこの「子供部屋おじさん」の蔑視ぶりたるや、である。意味はわからなくても本能で「馬鹿にされている」と察することができる。

「子供部屋おじさん」とはどんなおじさんを指すかというと、成人しても親元を離れず実家の「子供部屋」で暮らし続けるおじさんのことである。「パラサイトシングル」を、言われた相手の血管が切れるように魔改造した言葉だ。言葉としては「上手いこと言うな」と感嘆するしかない。

単に「実家住みのおじさん」という意味ではなく、「いい年をして親から自立せず、自分では何も出来ない、中身は子どものままのおじさん」という痛烈な批判が込められている。

この「子供部屋おじさん」は、ひきこもりやニートとは違い、仕事はちゃんとしている場合が多い。だが逆に「実家を出ようと思えば出られるのに出ない」という点が余計「甘え」と見なされ、ここまでの鬼煽りを食らう羽目になったとも言える。

このように世間からみっともないと思われがちな「実家住みの成人」だが、本当に彼らは社会の病巣であり、親から見れば寄生虫なのだろうか。

一人暮らしは今や「修行」かもしれない

子供部屋おじさん含むパラサイトシングルにも言い分はある。まず「実家から出るメリットが見いだせない」という理由だ。

実家が持ち家の場合、一人暮らしをするよりも実家住みの方が経済的には圧倒的有利だ。親側からしても、純粋に寄生されるのは厳しいが、生活費などを入れてもらえるなら、逆に助かるという場合もある。

また職場からの距離も実家から通った方が近いと言うなら、わざわざ経済的負担を負いながら、場合によっては遠距離通勤をする「一人暮らし」というのは「修行」という意味しかなく、昨今盛んに言われる「コスパ」「合理化」という観点から見ると「正気か」というような無駄でしかない。そのため、インフルエンサー的な人が一発「まだ一人暮らしで消耗してんの?」と言えば、容易に世論が傾いてしまいそうな気がする。

しかし「修行という意味しかない」と言っても、その「修行」に意味がないわけではない。一人暮らしが人間に自立と成長を促すのは確かである、自分のことは全て自分でやらなければいけないのだから当然だ。

逆に、衣食住が保証された実家で、お母さんにご飯と身の周りの世話を全部やってもらっていたら確かに子供となんら変わりないし、もし仮に結婚して家を出たとしても、今度は嫁に母親と同じことを求めるだろう。

結果として、「見た目は中年、中身は子供、価値観は団塊」というバランス感覚皆無の生物が爆誕することになりかねない。そういった意味では、いかに合理的でなかろうが、一人暮らしをする意味はあると言える。

だが、親の方が子どもに「実家にいてほしい」と望むケースもある。

前に「増加する共倒れ家庭」という、タイトルからして明るい要素皆無のテレビ番組を見たことがある。老齢一人暮らしの父親の元に、非正規雇用で自活できない息子が帰ってきて、そのせいで生活保護が打ち切られ、ますます困窮するというマジで暗い所しかない話だった。

しかし、父親の方が息子に対し「迷惑だから出て行ってほしい」と思っていたかというと、そうではなく「自分が老齢で何があるかわからないので居てほしい」と言っていたのだ。

このように、高齢の親からすれば、子供がいてくれるのは「安心」という面もある。ほかにも、介護のために実家に戻って来た者もいるのだから、一概に「子供部屋おじさん」とバカにすることはできない。

「子供部屋おじさん」がここまで燃える理由

そして、この「子供部屋おじさん」に今更激烈な反応が起こっているのは、「おじさん」と性別が限定されているからだろう。

当然「子供部屋おばさん」だって存在する。私も結婚して家を出るまで実家にいたし、成人すぎても小学校入学の時買ってもらった学習机を使っており、もちろん身の周りのことは母親を越えてババア殿にやってもらっていたという、どこに出しても恥ずかしくない「子供部屋おばさん」だった。親は私を家から出すのに相当勇気がいったと思う。

しかし、バカにされているのは専ら「子供部屋おじさん」の方で、言葉自体も「ブサイク」には「ブス」ほどの破壊力がないように、「おばさん」より「おじさん」の方がどう考えても「強く」感じる。

「子供部屋おばさん」にパンチが足りないのは言外に「女はまあ実家住みでもいいんじゃね?」という見逃しがあり、逆に男には「男のくせにいつまでも親の世話になってみっともない」という、男女差別があるせいではないだろうか。

ネットを開けば、ジェンダー問題で毎日ひとつは村が燃えている昨今である。「子供部屋おじさん」が、そっちの観点でアンコール炎上しても不思議ではない。

当然だが、一家の家計を支え、親の介護をしながら家事までやっている「子供部屋おじさん」もいれば、ろくに家に金もいれず、親に三食用意してもらっている「子供部屋おばさん」もいる。もちろんこれはおじさん・おばさんを入れ替えたって言えることだ。

男だから、女だから、で言い切りが出来ないように「実家暮らし」という属性一つでは何も断言することは出来ないのである。

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