どんな現場にも乗って行ける! 安東弘樹、「MINI」の独特な立ち位置を語る

安東弘樹のクルマ向上委員会! 第10回

どんな現場にも乗って行ける! 安東弘樹、「MINI」の独特な立ち位置を語る

2018.12.18

「どちらかといえば、ミニはブランドを売るメーカー」

課題は自動化と電動化? いかに“らしさ”を残すか

京都・太秦にも乗って行ける「すご過ぎない」ミニ

「MINI」(ミニ)についてビー・エム・ダブリュー株式会社で取材中の安東弘樹さん。クルマに詳しくない人にも「かわいい!」といわせてしまうミニは、稀有な存在だと感じているそうだ。

ブランドの統一感を大事にするミニ

安東弘樹さん(以下、安):自動車メーカーのブランドショールームが好きで、ミニにもよく行ってるんですけど。

ビー・エム・ダブリューの丹羽智彦さん(以下、丹):何か違います? 他のブランドと。

:統一感ではミニが一番ですね。行くだけでワクワクします。やっぱり、妻とか息子を連れて行くと、反応が全然ちがうので。うちの妻は普段、ディーラーに行っても全く反応しないんですけど、先日、お台場のショールーム(江東区青海にある「MINI TOKYO BAY」のこと)に行ったとき、第一声で「うわ、かわいい!」っていって、すごく喜んでたんですよ。

ミニを見に行ったときは、家族の反応が違ったと安東さん(取材風景の撮影:安藤康之)

:いるだけで楽しいというのは、やっぱりミニが一番じゃないですかね。しかも、威圧感がなくて、入りやすいし。輸入車ってやっぱり、人によっては敷居が高いという部分があるじゃないですか。有明はオシャレなんで、入る瞬間はちょっと緊張するんですけど、入って、ミニの方に曲がった瞬間(有明の施設はMINIとBMWが隣接している)、一気に「かわいい」というか、そこがすごい。高級感がありながら、親しみやすいというのは、たぶんミニくらいしかないんじゃないですかね。

有明にある「MINI TOKYO BAY」

:ミニって、商品以外の部分でブランドを確立しているところがあって。単にクルマを売っているだけではなくて、どちらかといえば、ブランドを売るというメーカーになっているんで。

:あと、地方にいっても、ミニはCI(コーポレート・アイデンティティ)が完璧じゃないですか。徹底してるのってミニくらいで、うちの近くの「千葉北」(「MINI 千葉北」のこと)も、規模は小さいですけど、お台場をそのまま小さくしただけというか。そこは感心しますね。

自宅近くの販売店も当然ながらチェックしている安東さん

ミニが大事にするブランド、プロダクト、ヒト

ビー・エム・ダブリューの前田雅彦さん(以下、前):ミニのビジネスをやっていく上で、大切にしているものが3つあって、1つはブランド、1つはプロダクト、もう1つはヒトなんですよ。ブランドに関しては、ミニの世界観を感じてもらいたいので、店舗も統一させてもらっているし、ブランド観というものもどんどん訴求していこうといってます。

ミニのブランドに関しては、今までは真っ黒で統一して、ライトはピンクだったり黄色だったり、緑だったりと派手めなものをつかってたんですけど、2~3年前からは方向性を少し変えて、お台場なんかは特にそうなんですけど、プレミアム感を高めているというか。ブランドイメージ自体をお客様に飽きられないように、変えたりもしているんです。

:そのあたりって、どのくらいディーラーさんに任せてるんですか? ある程度は徹底してやっている?

:うち(ビー・エム・ダブリュー)はドイツ本社から徹底されますし、弊社もディーラーさんに徹底していただいてます。店舗って、家具を変えたりするとお金が掛かるじゃないですか。内装もそうだし。店側としては、あまりやりたくないことでもあると思うんですけど、それよりもやっぱり、ブランドをお客様にキチンと感じて、見ていただくことが重要なので、変えてもらえるようにしていってます。

:うちの近くって、ありとあらゆる輸入車販売店が並んでて、千葉県なので、都心ほどは(店舗のイメージ統一などが)行き渡るのが早くないんですけど、ミニだけは最初から徹底されてて。変な話、BMWにもできないレベルでできているのがびっくりなんですけど、何か差はあるんですか?

:それは、同じ温度感でやってるんですけどね。ただ、ミニでは、お客様の目に付くところだけではなくって、サービス工場でも指定のタイルを敷いたりとか、細かくやってますね。

ビー・エム・ダブリュー広報部製品広報マネージャーの前田雅彦さん

:それって、ある程度は経済力がないとできないことですよね。そういうのはどっちが払うんですか?

:基本はディーラーさんですけど、うちももちろん。

:多少はサポートしてます。やっぱり、投資は高いんですけど、それによって印象が変わってくるので、そこはディーラーさんにもお願いして。

:そこまでして守るのが、ブランドなんですね。

:そういうブランドだからこそ、これだけの価格でも、お客様にワクワク感を訴求できるので、そこは負けられないポイントです。

BMWブランド・マネジメント・ディビジョン プロダクト・マーケティングでプロダクト・マネージャーを務める丹羽智彦さん

ミニの課題は電動化? 個性を守りつつ次世代へ

:それでは、今後の課題とか目標は?

:えーっと、いろいろあります。例えば、電動化の時代にどうするかとか。あと、日本固有の問題としては、本当に、安全性って、自動運転なんかも、日本固有ですごい次元に向かっていて、そこには対応しなければいけませんよね。

ただ、それを一方的にやってしまうと、どうしても運転する楽しさはなくなってきてしまうので、ブランドのバリューとして大切にする部分と、どう折り合いを付けるか。そのあたりが懸念でもあり、やるべきことでもありますね。

:ミニには今、レベル2のACC(※)は普通に付いてましたっけ?

※編集部注:自動運転レベル2のアダプティブ・クルーズ・コントロール(ACC)のこと。高速道路で前のクルマとの車間距離を保ちつつ、一定の速度で走ってくれる機能

:普通にではなく、オプションですね。大きいクルマだと、「クーパー」(というグレード)から標準装備にしてますけど。

:そこのところの要望とかってどうです?

:はっきり分かれていて、好きな人は好きですし、嫌いな人の中には「外してくれ」とおっしゃる方もいらっしゃいます。まだ、移行期間なのかなという感じですかね。

:でも、ミニってどちらかというと……

:そうなんです、どちらかというと「運転したい」とおっしゃる方に選んでいただいているので、そこまで他社に合わせる必要があるかどうか。当然、開発コストもかかるんで、それを価格に転嫁できるかというと、そこまでビジネスとして判断できていないので、検討要素ですね。

クルマの個性によって、自動化や電動化との相性は違ってくるようだ(画像は左がハッチバック・モデルの「コンバーチブル」、右が同「3ドア」、提供:BMW Group)

:ミニを買う人の割合って、国産車から来るケースと輸入車から来るケースでいえば、どうなんしょう?

:国産車からの割合は、少し上がってきてます。まだ輸入車からの方が高いですけど。

:電気自動車(EV)はまだ、カタログ的には入れてない?

:まだないですね。将来的には入れていかなければなりませんが、まだ少し先です。

:本国では、結構前から……

:コミュニケーションしてますよね。欧州では、来年の後半にも市場投入すると聞いてます。

ミニ「クロスオーバー」のプラグインハイブリッド車(PHV)「MINI Cooper S E Crossover ALL4」は日本でも購入できる

:私自身、EVのミニにはあまり興味ないんですけど、税制も含め、いいタイミングで入れていかなければならないんでしょうね。フォルクスワーゲンは「e-Golf」(「ゴルフ」のEV)を入れてますけど、まだミニでは、早急にという感じではない?

:それが主流になるほど、まだお客様のパーセプションというか、ご興味がそこまで来ていないかなと思います。いつかは来るだろうけど、という感じですね。ただ、最近のいろんなリサーチを見ていると、「次にクルマを買うならEVも候補に入れる」というお客様も増えているようなので、検討の必要はあります。

:EVにする時に、“ミニはミニ”というか、ライド感は残るんですかね?

:それは残すと思います。それをなくしてしまうと、1つの価値をなくしてしまうことになるので。ちなみに、なぜEVのミニには興味がないんですか?

:航続距離が短いからです。私はひとっ走り1,000キロなんで。だから、私はガソリンもハイブリッドも選択肢に入らないくらいなんですよ。私みたいに、松江(島根県)までひとっ走りという人には、ディーゼル以外の選択肢はないですね。財布だけの話ではなくて、CO2の排出という意味でも、燃費がいいということは、すなわち、ハイブリッドよりもディーゼルの方がいいんです。

日本には少ないタイプだと思いますけど、毎日、最低でも100キロは走るんで。私の「F-PACE」(ジャガーのSUV)は、うまくいけば無給油で900キロ走るんですよ。タンクが60Lと少なめなので、1,000キロは無理だとしても。だから、全部がディーゼルになって欲しいくらい。低速のトルクがあるし、ドライバビリティもいいし、圧倒的に疲れないので。

:なるほど。

これがジャガー「F-PACE」(画像提供:ジャガー・ランドローバー・ジャパン)

:で、安東さんのショッピングカートに今回、「クラブマン」を入れてくれたのは、どういう理由で? 「遊びぐるま」ですか?

:それは完全に、下手したら、ポルシェの代わりくらいです。ただ、カレラ4S(ポルシェの「911 カレラ 4S」)に乗ってるんで、MTと四駆が必須なんですね。四駆で速いクルマで、MTでサイズ感も丁度いいとなると……。クラブマンに四駆のMTがあれば買ったのになー、とは思ってます。3ドアにはMTの設定があるし、本国にもあるんですけど。

:もう、本国のサイトを見るのはおよしになっては(笑)

:でも、私が少数派というのは、よく認識してますんで。私が欲しくなるような仕様が出て、ミニがガレージに入るのを楽しみにしてます。

安東さんのガレージにミニが入るかどうかは今後の仕様次第といったところか

ミニは現場に気兼ねなく乗っていける稀有なクルマ

:ミニって、どこに行っても、どんな現場に乗って行っても恥ずかしくなくて、でも威圧感を与えない、稀有なブランドだと思いますね。やっぱり、京都の太秦にポルシェで行く自信はなかった(※)ですもん。

※編集部注:テレビドラマの撮影で、京都の太秦までクルマで出掛けた安東さんだったが、出演者本人がクルマを運転して太秦入りするのは珍しいことらしく、警備の方に「安東です」と名乗ると、「ご本人は乗ってます?」と聞き返されたとのこと。ご本人によれば「オーラないんで(笑)」だそう

:なんかこう、イメージなのか、局アナ時代の名残なのか、法律があるわけではないんですけど、どういう風に見られるか分からないので。でも、ミニだったら、「おしゃれ」「分かってる!」みたいな感じになるし。

:不思議なブランドなんですよね。例えば、メカだったらフェラーリとか、電気だったらテスラとか、そういうブランドみたいに、すごい立ち位置にはいないというか。ミニって、特別なポジションに置いていただいてるんで、そこはありがたいですし、大切にしたいです。

ほかのクルマと見間違うことのないデザインも含め、ミニは独特な存在だ(画像は「クラブマン」、提供:BMW Group)

ミニは「どんな現場にでも乗って行けるクルマ」だと安東さんは話す。それはなぜかといえば、やはりミニのブランドイメージによるのだろう。この流れで、安東さんとビー・エム・ダブリューのお二方に、編集部からも質問をぶつけてみた。その模様は、また次回お伝えしたい。

その面倒な組織カルチャー、印鑑が原因ですよ

藤田朋宏の必殺仕分け人 第4回

その面倒な組織カルチャー、印鑑が原因ですよ

2019.03.18

印鑑業界による印鑑文化の優位性アピールが話題

会社経営者として感じる、捺印作業の面倒さ

「サイン文化」と「印鑑文化」で変わる組織カルチャー

行政手続きのオンライン化を目指す「デジタル手続き法案」をめぐり、全日本印章業協会がアピールした「印鑑のメリット」が話題になっている

「代理決済できるという印章の特長が、迅速な意思決定や決済に繋がり、戦後の日本経済の急速な発展にも寄与してきた」(原文ママ)というものだ。

「ハンコならこっそり代理決済ができる」などと、身も蓋もなく自ら印鑑廃止を後押ししてしまいかねない意見が出てしまったことは興味深い。
でも僕は、ただのバイオテクノロジー屋なので、ITを活用した効率化しますよ業界の回し者でもなければ、印鑑業界の人を敵に回すメリットだってないので、特にこの点について深く言及しないし、「日本における今後のハンコをどうするべきか」なんてことを掘り下げて云々するつもりもない。

ただ、日本を含む4カ国でスタートアップを立ち上げた経験から、企業の組織カルチャー形成に、承認方法としての「印鑑」と「サイン」の違いが、とても大きな影響を与えているのではと実感した話を書いておきたい。

日々、何かと多すぎるハンコ作業

まず共有しておきたい事実は、日本で会社を経営すると、毎日ものすごい数の代表印や銀行印や社印を押さなければいけないということだ。(会社の印鑑って3種類あるの知ってました?)

お客さんと契約してお金をいただくときに契約書に捺印するのはイメージできると思うが、その後もお金が銀行口座に無事入るまで、受領やらなにやら契約書だけでなく、さまざまな書類にとにかく捺印をしまくる必要がある。

また、家賃を払う、プリンターのトナーが切れる、実験試薬を買うなどなど、とにかく会社を運営する活動の一つ一つに対して、それぞれ細かくおびただしい数の印鑑を押す。法人が国や地方自治体に税金を払う時はもちろん、社員のあれこれも、例えば社員の誰かが結婚したり引っ越したりするだけでも印鑑を押しまくる。自分で会社をやってみてつくづくわかったが、とにかく捺印の数が膨大だ。

しかも、びっくりすることに、民間企業も市町村も、同じことをするために、それぞれがまったく違うフォーマットの書類に捺印を求めてくる。

こうして、大量な上にフォーマットがまったく違う書類を毎日渡されて、決められた位置に決められた種類の捺印をすることは、仮に契約書や書類の中身をまったくチェックしないで無責任に捺印したとしても、結構な時間を必要とする作業だ。

捺印にかける時間が惜しい

しかもうわの空で押していると、銀行印を押すべきところに代表印を押し間違えてしまったり、インクが簡単にかすれてしまったりするのが印鑑だ。人生において、こんな捺印ミスなどという程度のことで書類を作り直してもらう羽目になった回数を考えただけで、こんな単純な作業に失敗する情けなさとと、書類を作ってくれる従業員への申し訳なさで、どこかに隠れてしまいたい気持ちになる。

そう、僕は毎日、隠れてしまいたい気持ちになっているのだ。

なぜ、日本から印鑑はなくならないのか

我々の会社のように、たとえ社長だろうがあっちこっちに、営業に謝罪にと、せわしなく飛び回わることで、なんとか会社の体を保っているような規模の企業の方が世の中には多いと思う。そんな"貧乏暇なし社長”がこの捺印という物理的作業に忙殺される時間というのは、正直いって無駄以外の何物でもない。

にもかかわらず印鑑を押すという文化が日本に残っているのは「捺印するという作業」は、誰かに頼めてしまうからなのだと思う。多くの会社において「捺印をし続けるという作業」を自分でやっている社長はあまり居ないのかもしれず、ここが、すべて自ら書かなければいけないサインとの最大の違いなのだろう。

ちなみに、僕の場合は「捺印をし続けるという作業」だけを人に頼むような仕事の依頼の仕方は好みではないので、あちこちに会社を立ち上げては、担当者に「代表取締役」の役職ごと譲るようにしている。

海外の「サイン文化」は印鑑以上に面倒?

冒頭にも書いたが、僕は日本以外の3カ国でも会社を経営している。言うまでもなく日本以外の国は、承認の証としては「サイン」が一般的だ。

日本の会社同士の契約書の場合は、代表者の名前の脇に代表印と社印を、契約書を閉じた裏面に割印を一カ所押す形式であることが多い。つまり、二者間の契約であれば、先方用の契約書と当方用の契約書をあわせて、計4カ所の代表印と計2カ所の社印を押せばよい。

ところが、海外の契約書は、すべてのページにサインをしなければならない。海外の契約書は「実際にそんなことは起きないって」ってくらい、ありとあらゆる場面を想定した契約書になっていることが多く、とにかく契約書が長い。

感覚として、同じような内容の契約をするのに、日本の会社同士の契約の5倍~10倍のページ数になっても驚かない。

つまり、ちょっとした契約書でも軽く100ページを超えてくるわけだが、このすべてのページに手書きでサインをすることを想像して欲しい。契約書の中身を読んでただただサインを書き続けていると、「こんな作業に時間を使い続けてていいのだろうか」という自問の気持ちが芽生えてくる。

その組織カルチャーの差、ハンコとサインの差が原因ですよ

言うまでもなく、サインは誰かに代わりに書いてもらうことはできない。では、サインを書く物理的な時間を減らすために、何が起こるのかというと、「権限委譲」が進むのである。

日本の会社だと当たり前のように社長の名前で締結する規模の契約でも、海外の会社だと担当部長あたりの名前で契約を締結してくる。

もしかしたら、日本の会社のカルチャーだとそれは失礼なことに当たるのかもしれないが、サインを前提とした会社において、会社のすべての契約を社長名義で契約していたら、社長の一日は「サインを書く」という作業だけで終わってしまう。だから、どんどん権限委譲をしていくしかない。

日本の大企業の合意形成や意思決定のあり方を分析する文脈において、「日本の会社は権限委譲が進んでいない」とか、「プロジェクトごとの意思決定者の所在がよくわからないから、スピード感が遅くなってグローバル競争に負けてしまう」などという指摘を頻繁に見る。

特に近年流行りの「日本企業のホワイトカラーの生産性を高めましょう」という議論の多くでは、日本企業のこういった特殊性の原因を、日本人の歴史的・文化的背景や、国民性が理由であると結論づけている。

だからもっぱら、風通しがよく責任範囲が明確で、意思決定の早い会社にするために、せっせと組織構造をいじったり、管理職に研修をしたりと、コンサル屋さんが儲かるだけの努力に大きなお金を払うことになっているのだが、大きな効果が得られているようにみえない。

僕の考えは、特殊性の理由がちょっと違っていて、「その組織カルチャーの差って、捺印とサインの差が本質的な原因ですよ」と、わりと確信に近い自信を持っている。

捺印の作業だけを誰かに頼むのではなく、捺印をする権限ごとどんどん頼んでしまえばいい。ハンコにウンザリしている世の中の社長さん、そう思いません?

(藤田朋宏:ちとせグループ 創業者 兼 最高経営責任者)

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鋭すぎる言葉で物議を醸す「子供部屋おじさん」論議

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鋭すぎる言葉で物議を醸す「子供部屋おじさん」論議

2019.03.18

漫画家・コラムニスト カレー沢薫さんの社会派連載!

第32回は、実家暮らしの男性に降りかかる「子供部屋おじさん」論議について

「子供部屋おじさん」という言葉が注目されている。言葉自体は2014年あたりからあったそうだが、今また脚光を浴びているそうだ。

「○○おじさん」「○○おばさん」という呼称には、「アイカツおじさん」のように秀逸かつもはや「Sir」級の「称号」と言って良いものもあるが、大体が蔑称である。

その中でもこの「子供部屋おじさん」の蔑視ぶりたるや、である。意味はわからなくても本能で「馬鹿にされている」と察することができる。

「子供部屋おじさん」とはどんなおじさんを指すかというと、成人しても親元を離れず実家の「子供部屋」で暮らし続けるおじさんのことである。「パラサイトシングル」を、言われた相手の血管が切れるように魔改造した言葉だ。言葉としては「上手いこと言うな」と感嘆するしかない。

単に「実家住みのおじさん」という意味ではなく、「いい年をして親から自立せず、自分では何も出来ない、中身は子どものままのおじさん」という痛烈な批判が込められている。

この「子供部屋おじさん」は、ひきこもりやニートとは違い、仕事はちゃんとしている場合が多い。だが逆に「実家を出ようと思えば出られるのに出ない」という点が余計「甘え」と見なされ、ここまでの鬼煽りを食らう羽目になったとも言える。

このように世間からみっともないと思われがちな「実家住みの成人」だが、本当に彼らは社会の病巣であり、親から見れば寄生虫なのだろうか。

一人暮らしは今や「修行」かもしれない

子供部屋おじさん含むパラサイトシングルにも言い分はある。まず「実家から出るメリットが見いだせない」という理由だ。

実家が持ち家の場合、一人暮らしをするよりも実家住みの方が経済的には圧倒的有利だ。親側からしても、純粋に寄生されるのは厳しいが、生活費などを入れてもらえるなら、逆に助かるという場合もある。

また職場からの距離も実家から通った方が近いと言うなら、わざわざ経済的負担を負いながら、場合によっては遠距離通勤をする「一人暮らし」というのは「修行」という意味しかなく、昨今盛んに言われる「コスパ」「合理化」という観点から見ると「正気か」というような無駄でしかない。そのため、インフルエンサー的な人が一発「まだ一人暮らしで消耗してんの?」と言えば、容易に世論が傾いてしまいそうな気がする。

しかし「修行という意味しかない」と言っても、その「修行」に意味がないわけではない。一人暮らしが人間に自立と成長を促すのは確かである、自分のことは全て自分でやらなければいけないのだから当然だ。

逆に、衣食住が保証された実家で、お母さんにご飯と身の周りの世話を全部やってもらっていたら確かに子供となんら変わりないし、もし仮に結婚して家を出たとしても、今度は嫁に母親と同じことを求めるだろう。

結果として、「見た目は中年、中身は子供、価値観は団塊」というバランス感覚皆無の生物が爆誕することになりかねない。そういった意味では、いかに合理的でなかろうが、一人暮らしをする意味はあると言える。

だが、親の方が子どもに「実家にいてほしい」と望むケースもある。

前に「増加する共倒れ家庭」という、タイトルからして明るい要素皆無のテレビ番組を見たことがある。老齢一人暮らしの父親の元に、非正規雇用で自活できない息子が帰ってきて、そのせいで生活保護が打ち切られ、ますます困窮するというマジで暗い所しかない話だった。

しかし、父親の方が息子に対し「迷惑だから出て行ってほしい」と思っていたかというと、そうではなく「自分が老齢で何があるかわからないので居てほしい」と言っていたのだ。

このように、高齢の親からすれば、子供がいてくれるのは「安心」という面もある。ほかにも、介護のために実家に戻って来た者もいるのだから、一概に「子供部屋おじさん」とバカにすることはできない。

「子供部屋おじさん」がここまで燃える理由

そして、この「子供部屋おじさん」に今更激烈な反応が起こっているのは、「おじさん」と性別が限定されているからだろう。

当然「子供部屋おばさん」だって存在する。私も結婚して家を出るまで実家にいたし、成人すぎても小学校入学の時買ってもらった学習机を使っており、もちろん身の周りのことは母親を越えてババア殿にやってもらっていたという、どこに出しても恥ずかしくない「子供部屋おばさん」だった。親は私を家から出すのに相当勇気がいったと思う。

しかし、バカにされているのは専ら「子供部屋おじさん」の方で、言葉自体も「ブサイク」には「ブス」ほどの破壊力がないように、「おばさん」より「おじさん」の方がどう考えても「強く」感じる。

「子供部屋おばさん」にパンチが足りないのは言外に「女はまあ実家住みでもいいんじゃね?」という見逃しがあり、逆に男には「男のくせにいつまでも親の世話になってみっともない」という、男女差別があるせいではないだろうか。

ネットを開けば、ジェンダー問題で毎日ひとつは村が燃えている昨今である。「子供部屋おじさん」が、そっちの観点でアンコール炎上しても不思議ではない。

当然だが、一家の家計を支え、親の介護をしながら家事までやっている「子供部屋おじさん」もいれば、ろくに家に金もいれず、親に三食用意してもらっている「子供部屋おばさん」もいる。もちろんこれはおじさん・おばさんを入れ替えたって言えることだ。

男だから、女だから、で言い切りが出来ないように「実家暮らし」という属性一つでは何も断言することは出来ないのである。

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