中国スマホメーカー・OPPOのハイエンド機「Find X」に見る

中国スマホメーカー・OPPOのハイエンド機「Find X」に見る"変化"と"野心"

2018.10.22

日本では新顔だが、30カ国以上に進出しているスマホメーカー・OPPO

OPPOの日本戦略は「ローカライズ最優先」

既存戦略と異なるアグレッシブな最新機種「Find X」を日本にも投入

“世界一”の全画面スマートフォン、「Find X」の日本発売が決まった。

画面占有率93.8%、正面部のほぼすべてがディスプレイというインパクトあるデザインが印象的だ。処理能力を決めるSoC(システムオンチップ)はクアルコムの最上位モデルであるスナップドラゴン845。8GBのメモリと256GBのストレージを積んだハイエンド機種となる。

Find Xの日本投入、その背後に世界スマートフォン市場の変化と中国大手スマホメーカーOPPOの野心が透けて見える。

世界4位のスマホメーカー・OPPO

OPPOの日本市場参入は今春から。まだ、ニューフェイスだけにご存知の方は少ないかもしれない。だが、中国や東南アジアに旅行経験がある人ならば、一度はOPPOの広告を目にしたことがあるのではないか。空港や繁華街など目立つ場所に大々的な広告を展開している。実はOPPO、アジアのシェアはナンバーワンという大企業だ(2017年出荷台数ベース、Counterpoint調べ)。

OPPOは中国情報家電メーカー大手のBBK(歩歩高電子)のAV部門がスピンアウトし、2004年に誕生した。iPhoneと張り合うようなハイエンドでも、価格勝負のローエンドでもなく、コストパフォーマンスのバランスで勝負のミドルレンジを開拓したこと。「カメラフォン」を名乗りカメラ、特にセルフィー(自撮り)の強化と高速充電という機能面。大物芸能人を大量起用した宣伝戦略。中国の地方、農村部まで抑えた路面店展開などの戦略で着実に成長を続けた。2016年にはOPPO R9、OPPO R9sが大ヒット。中国では「国民携帯」と呼ばれるほどの人気機種となり、一気にトップメーカーの仲間入りを果たした。

鄧宇辰・OPPO Japan株式会社代表取締役

さらに海外展開も強化。アジアや欧州など世界30カ国以上で事業を展開するグローバル企業へと成長している。2017年には世界スマートフォン市場で4位の座を保持している(出荷台数ベース、IDC調べ)。

世界のスマートフォン企業といえば、米国のアップル、韓国のサムスンが知られているが、他の上位メーカーはほぼすべて中国勢だ。ファーウェイ、OPPO、シャオミ、VIVO、ZTEなどの企業がひしめきあう。ただし、通信機器メーカーとして1990年代からグローバル企業として活躍してきたファーウェイをのぞいて、先進国での展開には消極的な企業が多い。市場が成熟した先進国ではなく、大きな伸びが見込める東南アジアや南アジアなどの途上国市場を中心に進出してきた。

この状況に異変が生じている。背景にあるのが世界スマートフォン市場の構造転換だ。

スマートフォンというジャンルを切り開いたiPhoneが登場したのが2007年。それから約10年間の時代は世界にスマートフォンが普及し、また年々革新的な機種が登場しては買い換えが促されるという、勃興期ならではの急成長の時代だった。ところが2017年の世界スマートフォン出荷台数は前年比0.1ポイントの減少となった(IDC調べ)。誕生以来10年間、一貫して成長を続けてきたスマートフォン市場が、ついに天井を打つ頃合いにさしかかったことを意味している。

成熟市場でも成長を続けるためには、今まで手を付けていなかったマーケットに進出し、ライバル企業からシェアを奪うしかない。かくして中国勢も先進国市場でシェアを“奪う”必要性に迫られた。

「あなた色に染まります」 OPPOの日本戦略

こうしてOPPOは2018年、日本市場に乗り込んできた。2月に「OPPO R11s」を発売。8月に「P15 Neo」、9月に「R15 Pro」。そしてこの11月下旬にFind Xと、日本進出から10カ月間で4機種を矢継ぎ早に投入するという積極的な動きを見せている。

筆者はそのすべての発表会に出席しているが、印象的なのは「徹底的にローカリゼーションを進める」(鄧宇辰・OPPO Japan株式会社代表取締役)との姿勢が貫かれている点だ。

最初に投入されたR11sは国民携帯R9の後継機としてヒットした人気機種だが、発表会で鄧氏は「2018年、2019年の2年間をかけて日本市場のニーズを理解していく」と控えめな発言に終始した。

次回発表会ではおサイフケータイと防水機能という日本向け機能を搭載したR15 Pro、2万円代という低価格が目玉のR15 Neoが紹介された。日本市場を研究した結果、「おサイフケータイと防水機能がある携帯」と「3万円以下で購入できる携帯」に訴求力があると分かったため、この2機種を投入したという。それでも「まだ日本のユーザーニーズを集め切れていない。今後も研究して日本の顧客の要望に応えていく」と低姿勢を貫いた。

また現時点ではすべてSIMフリー機としての提供だが、NTTドコモ、au、ソフトバンクの三大携帯キャリアに採用されるよう交渉を続けると明言。そのために「キャリアの要望があれば、それに応えていく」と強調した。消費者ニーズにもキャリアの要望にも全力で答えていくと再三にわたり表明し、「あなた色に染まります」と猛烈にアピールしている。

売れるかは関係ない?技術力誇示のフラッグシップ機投入

そうした中、ついにフラッグシップ機であるFind Xの日本発売が決まったが、「日本市場のニーズをくみとります」とひたすら低姿勢だったOPPOとは姿勢が違うのが面白い。

画面占有比の説明(OPPO Japan プロダクトマネージャー 中川裕也氏)

Find Xは今年6月、フランス・ルーブル美術館で発表会が行われ、その後中国と欧州で同時展開している。ミドルレンジで戦ってきたOPPOがハイエンドに食い込む戦略機だ。画面占有率93.8%の全画面ディスプレイが印象的だが、中国テックメディア・雷科技によると世界一を誇るという。最近ありがちなノッチ(切り欠き)もない。カメラは本体内部に収納されており、カメラ機能が必要な場面になると、本体上部がスライドしてカメラが露出する仕組みだ。

スライド機構の説明 (OPPO Japan プロダクトマネージャー 中川裕也氏)

全画面ディスプレイとスライド機構が印象的だが、冒頭で紹介したとおり基本スペックも充実、アンドロイド携帯ではトップクラスの性能を誇る。カメラと並んでOPPOの売りとなる高速充電システムは新システムの「Super VOOC」が採用され、35分で充電が完了するという。

このスペックだけに値段も相当なものだ。市場想定価格は11万1880円(税別)。消費税込みで12万円を超える。日本ではハイエンド機のほとんどは割引き、分割払いのあるキャリア契約で販売されている。OPPOによると、SIMフリー市場の端末はほとんどが低価格機で、5万円を超える機種は3%程度しかないという。ましてや10万円を超える機種ではユーザーは皆無に近い。

それでも投入した理由は、鄧氏の以下の言葉に集約される。

「OPPOは安いだけのブランドではありません。日本市場でブランドを確立するには、ハイエンドモデルも投入していかなければなりません。日本のお客様にどのくらい手に取っていただけるかはわかりませんが、それでもOPPOが目指す「アートとテクノロジーの融合」をお伝えしたいと考えています」

今までひたすら日本のニーズをくみ上げようとしてきたOPPOだが、Find Xでは「私たちの実力を理解して欲しい」と訴えてきているわけだ。実際、Find XはOPPOの技術水準を示す存在であり、同時に今後のスマートフォン・トレンドをいち早く捉えた先駆的機体でもある。気軽に購入できる価格帯ではないが、興味のある方はぜひ一度店頭で触ってみて欲しい。11月上旬以降、ビッグカメラ、ヨドバシカメラ、ヤマダ電機、ノジマの家電量販店で販売される。
 

その面倒な組織カルチャー、印鑑が原因ですよ

藤田朋宏の必殺仕分け人 第4回

その面倒な組織カルチャー、印鑑が原因ですよ

2019.03.18

印鑑業界による印鑑文化の優位性アピールが話題

会社経営者として感じる、捺印作業の面倒さ

「サイン文化」と「印鑑文化」で変わる組織カルチャー

行政手続きのオンライン化を目指す「デジタル手続き法案」をめぐり、全日本印章業協会がアピールした「印鑑のメリット」が話題になっている

「代理決済できるという印章の特長が、迅速な意思決定や決済に繋がり、戦後の日本経済の急速な発展にも寄与してきた」(原文ママ)というものだ。

「ハンコならこっそり代理決済ができる」などと、身も蓋もなく自ら印鑑廃止を後押ししてしまいかねない意見が出てしまったことは興味深い。
でも僕は、ただのバイオテクノロジー屋なので、ITを活用した効率化しますよ業界の回し者でもなければ、印鑑業界の人を敵に回すメリットだってないので、特にこの点について深く言及しないし、「日本における今後のハンコをどうするべきか」なんてことを掘り下げて云々するつもりもない。

ただ、日本を含む4カ国でスタートアップを立ち上げた経験から、企業の組織カルチャー形成に、承認方法としての「印鑑」と「サイン」の違いが、とても大きな影響を与えているのではと実感した話を書いておきたい。

日々、何かと多すぎるハンコ作業

まず共有しておきたい事実は、日本で会社を経営すると、毎日ものすごい数の代表印や銀行印や社印を押さなければいけないということだ。(会社の印鑑って3種類あるの知ってました?)

お客さんと契約してお金をいただくときに契約書に捺印するのはイメージできると思うが、その後もお金が銀行口座に無事入るまで、受領やらなにやら契約書だけでなく、さまざまな書類にとにかく捺印をしまくる必要がある。

また、家賃を払う、プリンターのトナーが切れる、実験試薬を買うなどなど、とにかく会社を運営する活動の一つ一つに対して、それぞれ細かくおびただしい数の印鑑を押す。法人が国や地方自治体に税金を払う時はもちろん、社員のあれこれも、例えば社員の誰かが結婚したり引っ越したりするだけでも印鑑を押しまくる。自分で会社をやってみてつくづくわかったが、とにかく捺印の数が膨大だ。

しかも、びっくりすることに、民間企業も市町村も、同じことをするために、それぞれがまったく違うフォーマットの書類に捺印を求めてくる。

こうして、大量な上にフォーマットがまったく違う書類を毎日渡されて、決められた位置に決められた種類の捺印をすることは、仮に契約書や書類の中身をまったくチェックしないで無責任に捺印したとしても、結構な時間を必要とする作業だ。

捺印にかける時間が惜しい

しかもうわの空で押していると、銀行印を押すべきところに代表印を押し間違えてしまったり、インクが簡単にかすれてしまったりするのが印鑑だ。人生において、こんな捺印ミスなどという程度のことで書類を作り直してもらう羽目になった回数を考えただけで、こんな単純な作業に失敗する情けなさとと、書類を作ってくれる従業員への申し訳なさで、どこかに隠れてしまいたい気持ちになる。

そう、僕は毎日、隠れてしまいたい気持ちになっているのだ。

なぜ、日本から印鑑はなくならないのか

我々の会社のように、たとえ社長だろうがあっちこっちに、営業に謝罪にと、せわしなく飛び回わることで、なんとか会社の体を保っているような規模の企業の方が世の中には多いと思う。そんな"貧乏暇なし社長”がこの捺印という物理的作業に忙殺される時間というのは、正直いって無駄以外の何物でもない。

にもかかわらず印鑑を押すという文化が日本に残っているのは「捺印するという作業」は、誰かに頼めてしまうからなのだと思う。多くの会社において「捺印をし続けるという作業」を自分でやっている社長はあまり居ないのかもしれず、ここが、すべて自ら書かなければいけないサインとの最大の違いなのだろう。

ちなみに、僕の場合は「捺印をし続けるという作業」だけを人に頼むような仕事の依頼の仕方は好みではないので、あちこちに会社を立ち上げては、担当者に「代表取締役」の役職ごと譲るようにしている。

海外の「サイン文化」は印鑑以上に面倒?

冒頭にも書いたが、僕は日本以外の3カ国でも会社を経営している。言うまでもなく日本以外の国は、承認の証としては「サイン」が一般的だ。

日本の会社同士の契約書の場合は、代表者の名前の脇に代表印と社印を、契約書を閉じた裏面に割印を一カ所押す形式であることが多い。つまり、二者間の契約であれば、先方用の契約書と当方用の契約書をあわせて、計4カ所の代表印と計2カ所の社印を押せばよい。

ところが、海外の契約書は、すべてのページにサインをしなければならない。海外の契約書は「実際にそんなことは起きないって」ってくらい、ありとあらゆる場面を想定した契約書になっていることが多く、とにかく契約書が長い。

感覚として、同じような内容の契約をするのに、日本の会社同士の契約の5倍~10倍のページ数になっても驚かない。

つまり、ちょっとした契約書でも軽く100ページを超えてくるわけだが、このすべてのページに手書きでサインをすることを想像して欲しい。契約書の中身を読んでただただサインを書き続けていると、「こんな作業に時間を使い続けてていいのだろうか」という自問の気持ちが芽生えてくる。

その組織カルチャーの差、ハンコとサインの差が原因ですよ

言うまでもなく、サインは誰かに代わりに書いてもらうことはできない。では、サインを書く物理的な時間を減らすために、何が起こるのかというと、「権限委譲」が進むのである。

日本の会社だと当たり前のように社長の名前で締結する規模の契約でも、海外の会社だと担当部長あたりの名前で契約を締結してくる。

もしかしたら、日本の会社のカルチャーだとそれは失礼なことに当たるのかもしれないが、サインを前提とした会社において、会社のすべての契約を社長名義で契約していたら、社長の一日は「サインを書く」という作業だけで終わってしまう。だから、どんどん権限委譲をしていくしかない。

日本の大企業の合意形成や意思決定のあり方を分析する文脈において、「日本の会社は権限委譲が進んでいない」とか、「プロジェクトごとの意思決定者の所在がよくわからないから、スピード感が遅くなってグローバル競争に負けてしまう」などという指摘を頻繁に見る。

特に近年流行りの「日本企業のホワイトカラーの生産性を高めましょう」という議論の多くでは、日本企業のこういった特殊性の原因を、日本人の歴史的・文化的背景や、国民性が理由であると結論づけている。

だからもっぱら、風通しがよく責任範囲が明確で、意思決定の早い会社にするために、せっせと組織構造をいじったり、管理職に研修をしたりと、コンサル屋さんが儲かるだけの努力に大きなお金を払うことになっているのだが、大きな効果が得られているようにみえない。

僕の考えは、特殊性の理由がちょっと違っていて、「その組織カルチャーの差って、捺印とサインの差が本質的な原因ですよ」と、わりと確信に近い自信を持っている。

捺印の作業だけを誰かに頼むのではなく、捺印をする権限ごとどんどん頼んでしまえばいい。ハンコにウンザリしている世の中の社長さん、そう思いません?

(藤田朋宏:ちとせグループ 創業者 兼 最高経営責任者)

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2019.03.18

漫画家・コラムニスト カレー沢薫さんの社会派連載!

第32回は、実家暮らしの男性に降りかかる「子供部屋おじさん」論議について

「子供部屋おじさん」という言葉が注目されている。言葉自体は2014年あたりからあったそうだが、今また脚光を浴びているそうだ。

「○○おじさん」「○○おばさん」という呼称には、「アイカツおじさん」のように秀逸かつもはや「Sir」級の「称号」と言って良いものもあるが、大体が蔑称である。

その中でもこの「子供部屋おじさん」の蔑視ぶりたるや、である。意味はわからなくても本能で「馬鹿にされている」と察することができる。

「子供部屋おじさん」とはどんなおじさんを指すかというと、成人しても親元を離れず実家の「子供部屋」で暮らし続けるおじさんのことである。「パラサイトシングル」を、言われた相手の血管が切れるように魔改造した言葉だ。言葉としては「上手いこと言うな」と感嘆するしかない。

単に「実家住みのおじさん」という意味ではなく、「いい年をして親から自立せず、自分では何も出来ない、中身は子どものままのおじさん」という痛烈な批判が込められている。

この「子供部屋おじさん」は、ひきこもりやニートとは違い、仕事はちゃんとしている場合が多い。だが逆に「実家を出ようと思えば出られるのに出ない」という点が余計「甘え」と見なされ、ここまでの鬼煽りを食らう羽目になったとも言える。

このように世間からみっともないと思われがちな「実家住みの成人」だが、本当に彼らは社会の病巣であり、親から見れば寄生虫なのだろうか。

一人暮らしは今や「修行」かもしれない

子供部屋おじさん含むパラサイトシングルにも言い分はある。まず「実家から出るメリットが見いだせない」という理由だ。

実家が持ち家の場合、一人暮らしをするよりも実家住みの方が経済的には圧倒的有利だ。親側からしても、純粋に寄生されるのは厳しいが、生活費などを入れてもらえるなら、逆に助かるという場合もある。

また職場からの距離も実家から通った方が近いと言うなら、わざわざ経済的負担を負いながら、場合によっては遠距離通勤をする「一人暮らし」というのは「修行」という意味しかなく、昨今盛んに言われる「コスパ」「合理化」という観点から見ると「正気か」というような無駄でしかない。そのため、インフルエンサー的な人が一発「まだ一人暮らしで消耗してんの?」と言えば、容易に世論が傾いてしまいそうな気がする。

しかし「修行という意味しかない」と言っても、その「修行」に意味がないわけではない。一人暮らしが人間に自立と成長を促すのは確かである、自分のことは全て自分でやらなければいけないのだから当然だ。

逆に、衣食住が保証された実家で、お母さんにご飯と身の周りの世話を全部やってもらっていたら確かに子供となんら変わりないし、もし仮に結婚して家を出たとしても、今度は嫁に母親と同じことを求めるだろう。

結果として、「見た目は中年、中身は子供、価値観は団塊」というバランス感覚皆無の生物が爆誕することになりかねない。そういった意味では、いかに合理的でなかろうが、一人暮らしをする意味はあると言える。

だが、親の方が子どもに「実家にいてほしい」と望むケースもある。

前に「増加する共倒れ家庭」という、タイトルからして明るい要素皆無のテレビ番組を見たことがある。老齢一人暮らしの父親の元に、非正規雇用で自活できない息子が帰ってきて、そのせいで生活保護が打ち切られ、ますます困窮するというマジで暗い所しかない話だった。

しかし、父親の方が息子に対し「迷惑だから出て行ってほしい」と思っていたかというと、そうではなく「自分が老齢で何があるかわからないので居てほしい」と言っていたのだ。

このように、高齢の親からすれば、子供がいてくれるのは「安心」という面もある。ほかにも、介護のために実家に戻って来た者もいるのだから、一概に「子供部屋おじさん」とバカにすることはできない。

「子供部屋おじさん」がここまで燃える理由

そして、この「子供部屋おじさん」に今更激烈な反応が起こっているのは、「おじさん」と性別が限定されているからだろう。

当然「子供部屋おばさん」だって存在する。私も結婚して家を出るまで実家にいたし、成人すぎても小学校入学の時買ってもらった学習机を使っており、もちろん身の周りのことは母親を越えてババア殿にやってもらっていたという、どこに出しても恥ずかしくない「子供部屋おばさん」だった。親は私を家から出すのに相当勇気がいったと思う。

しかし、バカにされているのは専ら「子供部屋おじさん」の方で、言葉自体も「ブサイク」には「ブス」ほどの破壊力がないように、「おばさん」より「おじさん」の方がどう考えても「強く」感じる。

「子供部屋おばさん」にパンチが足りないのは言外に「女はまあ実家住みでもいいんじゃね?」という見逃しがあり、逆に男には「男のくせにいつまでも親の世話になってみっともない」という、男女差別があるせいではないだろうか。

ネットを開けば、ジェンダー問題で毎日ひとつは村が燃えている昨今である。「子供部屋おじさん」が、そっちの観点でアンコール炎上しても不思議ではない。

当然だが、一家の家計を支え、親の介護をしながら家事までやっている「子供部屋おじさん」もいれば、ろくに家に金もいれず、親に三食用意してもらっている「子供部屋おばさん」もいる。もちろんこれはおじさん・おばさんを入れ替えたって言えることだ。

男だから、女だから、で言い切りが出来ないように「実家暮らし」という属性一つでは何も断言することは出来ないのである。

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