なぜ自動車メーカーは旧車の取り扱いに力を入れるのか

森口将之のカーデザイン解体新書 第4回

なぜ自動車メーカーは旧車の取り扱いに力を入れるのか

2018.10.01

「日産ヘリテージコレクション」を取材

名車に歴史あり、日産のクルマに多種多様なルーツ

自動車メーカーのブランド発信には欠かせない過去の遺産

近年、自動車メーカーがヒストリックカーの取り扱いに積極的になりつつある。新車の開発、生産、販売を本業とするメーカーがなぜ、旧いクルマに力を入れ始めているのか。日産自動車が神奈川県座間市で公開している「日産ヘリテージコレクション」を取材したのを機に考えてみた。

神奈川県座間市にある「日産ヘリテージコレクション」では、常時約300台の車両を展示している(※編集部より:本稿では同施設で撮影したクルマの画像も合わせて紹介していきます)

ひっそりと引退していくクルマ達

この原稿を書いているのは、安室奈美恵さんが引退前の最後のステージを、生まれ故郷の沖縄県で終えた直後。全国各地から多くのファンが沖縄に向かい、別れを惜しむ様子がニュースで報じられていた。

モビリティの分野でも別れを惜しむシーンは見られる。代表的なのは鉄道で、長年走り続けてきた車両の引退や路線の廃止ともなれば、駅のホームは多くの人であふれ、沿線にはカメラを構えたファンが並ぶ。こうした状況を理解して、鉄道会社も「さよなら運転」などのセレモニーを催すのが一般的になった。

でも、自動車業界ではほとんど、このような催しを見ることがない。「ファイナルエディション」など、生産終了を記念(?)した限定車を出すぐらいで、ほとんどのクルマはひっそりと生涯を終えていく。

クルマの引退セレモニーというのはあまり聞かない(画像は1991年発売の「フィガロ」)

過去に目を向けることに意味はあるのか

自動車の中でもとりわけ乗用車は、移動のための道具というだけでなく、デザインや走りを楽しむ商品という側面も持つ。この点では、ファッションに近い部分があると思っている。

そのためメーカーは、ユーザーに買ってもらうために、デザインやテクノロジーで新しさをアピールする。そのためにモデルチェンジを行う。当然ながらメーカーは、最新が最良という考えで開発しているから、旧型にスポットを当ててこなかったのも無理はない。

しかし、モデルチェンジごとの進化ではなく、ひとつのブランドというスケールで見ると、過去に目を向けることにも重要な意味があると思えてくる。

最先端のクルマにも注目すべきだが、そのルーツに目を向けてみる必要もあるだろう(画像は1966年発売の「サニー 1000 4ドアデラックス」)

レースでの勝利がスカイラインを育てた

例えば日産自動車には、50年以上にわたり作り続けている「スカイライン」という車種があるが、ロングセラーの理由として、1960年代終わりから70年代はじめにかけての3代目「C10型 2000GT-R」、1990年代前半の8代目「R32型 GT-R」などがレースで発揮した圧倒的な強さがあったのは間違いない。

これは1970年発売の「スカイライン ハードトップ 2000GT-R」(KPGC10型)

自分たちの愛車と基本的には同じクルマがレースで連戦連勝する。その戦績は、オーナーにとって誇りになるはずだ。GT-Rはその後、独立した車種になったけれど、ルーツがスカイラインにあることは疑いのない事実。スカイラインというブランドの根強い人気は、過去の名車たちによって支えられている部分もある。

ちなみに、これが現在の「GT-R」だ(横浜の日産グローバル本社で編集部撮影)

これはスカイラインに限ったエピソードではなく、フェラーリやポルシェにも通じる話である。レースやラリーに出ていない実用車でも、多くのユーザーが日常的な使用によって導き出した高い評価が積み重なり、同様の伝説になっていった。確かに新型モデルは、旧型より性能面で優れているが、長い目で見れば、1台1台の蓄積が今日のブランドを作る上で大きな役割を果たしているのだ。以前も書いたように、文化として認識すべき存在なのである。

ゆえに、欧米の自動車ブランドは昔から、過去の名車を展示するミュージアムを用意してきた。そして日本でも、1980年代後半あたりから「トヨタ博物館」や「ホンダコレクションホール」などの開館が続いた。こういった施設は館内を自由に見学できるだけでなく、以前の記事で紹介した「AUTOMOBILE COUNCIL」などのイベント時には、数台を出張展示し、走行を披露することもある。

「ダットサン」と「フェアレディ」に込められた意味

ただし日産は少し前まで、トヨタやホンダなどとは異なる姿勢を取っていた。

同社でも以前から、1933年の創業当初から現在に至る歴代の市販車やレーシングカー・ラリーカーなど約400台を「日産ヘリテージコレクション」として収蔵し、うち約300台を庫内に並べていたのだが、それをトヨタ自動車やホンダのように博物館として運営してはいなかった。収蔵車の一部をイベントなどで見られることはあったが、当初は一般公開していなかったのだ。

現在の日産ヘリテージコレクション

その場所は、1990年代まで座間工場として車両の生産を行い、現在は新型車の量産試作と生産技術の企画製作を担当するかたわら、電気自動車のモーターやインバータの開発、リチウムイオンバッテリーの開発・生産を行う座間事業所である。

その施設を日産は、2013年から一般公開している。事前の申し込みが必要になるが、入場無料というのはうれしい。

見学はインターネットで申し込むことができる

今回は、この日産ヘリテージコレクションを取材したのだが、改めて思ったのは、日産が多様なルーツを持ち、注目すべきポイントの多いメーカーであるということだ。ネーミングひとつを取っても、そう感じる。

日産は創業時から第2次世界大戦後の1950年代まで、「ダットサン」という乗用車を主力としていた。この名前、日産のルーツのひとつである快進社自働車工場が1914年に生み出した自動車に起源がある。そのクルマとは、3人の出資者の頭文字を取った「ダット」(DAT)だ。このダットには、「脱兎のごとく」速いという意味も含ませていた。

1935年発売の「ダットサン 14型ロードスター」

その後、快進社自働車工場が実用自動車製造や戸畑鋳物などと合併し、日産の母体を形成していく中で、ダットの息子ということで「ダットソン」(DATSON)というクルマを1931年に生み出す。しかし、「ソン」は「損」につながるということから、翌年には「ダットサン」とし、この名前を長きにわたり使っていくことになる。「ブルーバード」や「サニー」も、当初はダットサンブランドだった。

1956年発売の「ダットサン セダン」

ダットサンには1950年代からスポーツカーもあったのだが、時代を考えればかなり先進的で、台数は出なかった。そこで、イメージアップを図るべく日産は、当時の社長が観劇したミュージカル「マイ・フェア・レディ」にちなんで、「フェアレディ」という車名を与えたのだという。

1961年発売の「ダットサン フェアレディ」

これが「フェアレディZ」に発展することは説明するまでもないだろう。それまでオープンカーだったフェアレディがZでクーペになったのは、メインマーケットの北米で、安全かつ快適なスポーツカーが望まれていたからだった。デザインの変遷には当時の世相も反映されていることが分かる。

1969年発売の「フェアレディZ 432」(PS30型)

スカイラインを生んだもうひとつの会社

一方、さきほど例に出したスカイラインは、プリンス自動車工業という、もうひとつの自動車会社から生まれている。プリンスは第2次大戦中に軍用機を製作していた立川飛行機が母体で、戦後は自動車作りに転身。日産の電気自動車「リーフ」のルーツとも言える「たま電気自動車」を世の中に送り出したメーカーでもある。その後、やはり航空機会社がルーツでエンジン設計に長けた富士精密工業と合併し、1957年に作り出したのが初代「スカイライン」だった。

これは初代「スカイライン」の排気量を上げた「1900 デラックス」(BLSID-3型)というモデル

プリンス・スカイラインは2代目で高性能エンジンを積んだ「2000GT」を追加し、1963年のレースでポルシェと互角の戦いを演じるなど、日本を代表する高性能車として名を馳せた。これがGT-Rへとつながっていくのである。

プリンスは技術主導のブランドだったがゆえに経営面は厳しく、1966年に日産と合併した。しかし、旧プリンスの開発拠点はその後しばらく存続し、日産初の前輪駆動車「チェリー」やその流れを汲む「マーチ」、国産ミニバンのパイオニアといえる「プレーリー」などを生んだ。これらのデザインがブルーバードやサニーとはひと味違うことも、日産ヘリテージコレクションに行けば理解できる。

1984年発売の「プレーリー」

海外から技術やデザインを積極的に取り入れたのも日産の特徴だ。第2次大戦直後、敗戦によって欧米と差が開いた技術水準を埋めるべく英国BMC社の「オースチンA40・A50」をノックダウン生産すると、1960年代はブルーバードや「セドリック」のデザインをイタリアの名門デザインスタジオ「ピニンファリーナ」に依頼した。しかし、1970年代になると一転して、スカイラインや「バイオレット」などに当時の米国車を思わせるフォルムを採用していった。

1973年発売の「バイオレット」

こうした経緯があり、現在はルノーや三菱自動車工業とアライアンスを組んでいる日産の歴史は、日本の自動車ブランドでは複雑な方かもしれない。しかし、日産ヘリテージコレクションに足を運べば、こうしたヒストリーを追いつつ、ブランドへの理解を深めることができるだろう。その意味でも、ヒストリックカーを見せることは、自動車メーカーにとって価値ある取り組みだと思っている。

関連記事
LINEと比較されがちな「+メッセージ」は独自の価値を打ち出せる?

LINEと比較されがちな「+メッセージ」は独自の価値を打ち出せる?

2019.04.25

携帯3社が「+メッセージ」の機能拡充を発表

LINEと比較した強みは「信頼性」

金融サービスと連携し、住所変更手続きが容易に

NTTドコモ・KDDI・ソフトバンクの携帯大手3キャリアが「+メッセージ」(プラスメッセージ)の機能拡充を発表した。

国内大手3キャリアが「+メッセージ」の機能拡充を発表

サービス開始から1年が経過した「+メッセージ」だが、広く普及した印象はない。「メッセージならLINEで十分」との声も多い中で、普及する可能性はあるのだろうか。

「LINE」とは異なる可能性を秘めた「+メッセージ」

2018年5月に大手3キャリアがサービスを開始した「+メッセージ」は、2019年4月までに利用者が800万人を突破したという。だが「使ったことがない」とか、そもそも「名前を知らなかった」という人もいるのではないだろうか。

+メッセージの利用者は800万人に

「+メッセージ」とは、国際規格のRCSに準拠したメッセージサービスだ。従来のSMSを置き換えるサービスとして、短いテキストだけでなく長文や画像、スタンプを送れるのが特徴だ。

「+メッセージ」はSMSを置き換える上位サービス

一方、日本国内ではLINEが普及しており、月間利用者数は7900万人、そのうち毎日使うユーザーは6600万人もいるという。日本のほとんどのスマホにLINEは入っており、日常的なメッセージ需要はLINEが十分に満たしている状態だ。

だが、どんなにLINEが普及してもSMSがなくなることはない。サービスのID登録やログイン時など、本人確認を必要とする多くの場面でSMSは使われている。SMSは契約時に身分証明書で本人確認を済ませており、信頼性が高いのが特徴だ。

一般に「+メッセージ」は大手キャリアのLINE対抗策と認識される傾向にあるものの、その性質はやや異なる。「+メッセージ」がSMSの延長にあるという特性を活かせば、SMS認証のような本人確認はもちろん、企業と個人の間でのさまざまな手続きに活用できるはずだ。

こうした背景を踏まえて3キャリアが発表したのが、新サービスの「公式アカウント」や、金融各社と連携する「共通手続きプラットフォーム」だ。

仕組みの共通化やMVNO対応など、課題は山積

2019年5月以降に始まる「+メッセージ」の公式アカウントは、企業向けのアカウント機能だ。利用例としては銀行やレストラン、携帯会社を挙げ、登録住所の変更やレストランの予約、問い合わせといったサービスを実現できることを示した。

「+メッセージ」の「公式アカウント」機能

こうした機能はアプリでも提供されているが、スマホにアプリを入れていないユーザーも多く、パスワードを入れてログインするのは煩雑だ。だが「+メッセージ」なら電話番号だけでユーザー本人とつながり、チャットで手続きができるので便利というわけだ。

銀行やレストラン、携帯会社による利用例

だが、サービス提供に向けた課題は多い。公式アカウントの開設は、大手3キャリアが個別に営業をかけ、各社の基準で審査する方式となっている。一見すると無駄な仕組みだが、独占禁止法への抵触を避けるため、3社が競争している建前になっているという。

3キャリア以外への対応として、ワイモバイルなどのサブブランドやMVNOでは利用できない状況が続いている。サービス開始時から指摘されていた問題だが、1年が経過して何の進展もないのは理解に苦しむところだ。

iPhone対応にも課題がある。アプリを入れることで「+メッセージ」は使えるものの、SMSを送受信する標準のメッセージアプリを置き換えるものではない。ここに手を加えるのはiPhoneの基本的なユーザー体験に影響するため、アップルの判断次第になりそうだ。

また、今後の構想として、金融5社を横断した「共通手続きプラットフォーム」も打ち出された。住所変更手続きなど、各社の競争に直接関係しない事務手続きを共通化し、顧客の利便性向上を図るのが狙いだ。

金融5社と「共通手続きプラットフォーム」に向けた検討を開始

最近、フィンテックやキャッシュレスの新サービスが増え、新たに住所や電話番号を登録して口座を作る機会は多くなった。しかし、それに伴い変更の手間も増している。そこで+メッセージを利用したオープンな事務手続きプラットフォームが実現すれば、1回の手続きで全社に情報が伝播するというわけだ。

「+メッセージ」は、携帯市場で競合する大手3キャリアが共通サービスの整備を進めなければならない。その中で「電話番号でつながる」強みを活かした独自の活用法が、ようやく見えてきたといえそうだ。

関連記事
日本の掃除機市場を変革した元外交官、日本市場への本格参入を語る

モノのデザイン 第53回

日本の掃除機市場を変革した元外交官、日本市場への本格参入を語る

2019.04.25

シャークニンジャ日本法人の社長 ゴードン・トム氏に直撃

「コードレススティッククリーナー」人気の立役者が語る参入秘話

日本向けの製品カスタム、消費者ニーズの取り入れ図る

全米ナンバーワンの掃除機ブランド「シャーク」。日本では、長年スチームクリーナーのメーカーとして知られていたが、2017年6月に日本法人が設立され、翌2018年夏に日本市場に本格参入した。

第1弾として、同年8月にコードレススティッククリーナーの「EVOFLEX」を発売。翌9月にはハンディクリーナー「EVOPOWER」、10月にはスチームモップ3製品、ロボット掃除機「EVOROBOT」と精力的に新製品を日本市場に投入している。

そこで今回は、シャークニンジャ日本法人の社長を務めるゴードン・トム氏を直撃。同社の日本市場への本格参入の意図と、今後の戦略や日本の掃除機市場や消費者について伺った。

シャークニンジャ日本法人の社長のゴードン・トム氏。英国の元外交官で、20年前にダイソンの掃除機を日本に広め、現在の業界の発展につながる市場の開拓の礎を築いた人物だ

「コードレススティッククリーナー」人気の立役者

ゴードン・トム氏と言えば、日本の掃除機市場の変革者と呼んでも過言ではない人物。もとはイギリスの外交官として来日。赴任中の1990年代にダイソンの日本法人の初代社長に抜擢された(編集注:イギリスの外交官には副業を認める制度がある)。

当時国内メーカーの寡占状態であった日本の掃除機市場に“吸引力が落ちない”の謳い文句で同社のサイクロン掃除機を展開し、「ダイソン」ブランドの地位確立の礎を築いた。

ダイソンを退いた後は、エレクトロラックス日本法人の社長に就任し、キャニスター型に代わり、現在日本の掃除機市場において主流となった“コードレススティッククリーナー”の人気を定着させた。

外国人でありながら、日本の掃除機市場を知り尽くした“業界のマシュー・ペリー”的存在のトム氏だが、今度は全米ナンバーワンの掃除機メーカーの日本法人の社長として日本に再上陸したのは、どういった経緯なのだろうか。

「2014年にエレクトロラックス社を退職して、以降はマーケティングのコンサルタントの仕事をしていましたが、2016年の9月ごろにシャークから連絡がありました。当時のシャークの売上は北米が95%、イギリスが5%ほど。中国法人を立ち上げ、代理店経由でメキシコにも進出するなど本格的な国際化戦略を進めており、日本も大事な市場の1つと考えていました。そんな中、私のところに相談があり、翌2017年の1月くらいにボストンの本社へ出向き、エンジニアやデザイナーに会って話をし、3~4月ぐらいに日本に展開する商材や現地法人の設立、取引・流通事情、マーケティング戦略の提案をしました」

日本法人の設立にあたっては、最終的にはトム氏自らが初代社長に就任することになり、これまでの経験をもとに、オフィスの設置場所や人材集めなども自ら担ったとのことだ。

参入にあたり日本向けにカスタム

次に着手したのは、日本市場に投入する商材の選定。氏曰く「これまでで最高の掃除機に出会えた」と評する同社の製品で、日本市場参入第1弾に選ばれたのは、「EVOFLEX」。本国では2017年秋に発売され、ボタン1つでパイプを90°曲げて掃除ができるという独特のギミックで注目を集めた製品だが、日本で発売するにあたっては多くが日本向けにカスタマイズされたという。

日本市場への本格参入の第1弾として2018年8月に発売されたコードレススティッククリーナー「EVOFLEX」。本国でおよそ1年前に発売された製品(左)を、サイズからモーター、操作性に至るまで、日本向けに大幅にカスタマイズした上で登場し

「本国で開発された最初の試作機は、私の目から見たら全然ダメでした。まず、大きすぎて日本人の身体にも家にもマッチしていませんでした」

パイプ部分が90°曲がって家具の下にも潜り込みやすいという、製品のアイデンティティーとも言える独自性はそのまま継承しつつも、パーツの着脱をしやすくするためにボタンの改良が施されるなど、日本のユーザーに受け容れられるよう細かい部分にまで配慮がなされた

そこで実際に、試作機を用いて日本の家庭50世帯で6週間のテストを3回行い、その結果、日本向けの「EVOFLEX」は、原型は同じでありながらも本国の製品とは見た目も中身もかなり異なる製品に仕上がった。「例えば、ヘッドブラシは、畳や木材などが多い日本家屋の床に合わせて柔らかいローラーにしました。ダストカップも中身が見える透明な素材で、中のメンテナンスがしやすいように角を丸くしています」とトム氏。

それ以外にも、高音域のモーター音を好まない日本のユーザーのために音を低減したり、高性能なHEPAフィルターの採用や、取り外しやすいメッシュフィルターを採用してサイクロン部の手入れをしやするなど、掃除機の本質性能だけでなく、操作性やメンテナンス性にこだわった改良が多数施された。

こうした改良点について、トム氏は日本とアメリカの掃除機に対する消費者の根本的な考え方や流通ルートの違いを明かす。

「日本の場合には、掃除機や家電製品の購入は、家電量販店が主流ですが、米国の場合にはウォルマートなどの巨大スーパーで購入するケースが一般的です。そこでは日本のように実際に製品に手で触れて試してみるという機会がありません。そのため、製品への信頼度が重要で、ブランド力というのはとても大事なのです」

日本でも昨秋発売された同社のロボット掃除機。本国ではそのおよそ1年前に発売されているが、ほぼアイロボット社の独占市場であったアメリカのロボット掃除機市場において、初めてアイロボット以外で2桁のシェアに躍り出ている。

2018年10月発売のロボット掃除機「EVOROBOT」。掃除機メーカーとしてのブランドへの信頼性と、十分な機能・性能と消費者が受け入れやすい価格帯で、アイロボットの「ルンバ」以外で初めて10%を超えるシェアを獲得したという

さらに、米国の消費者は「掃除機が必要」という需要があった上で、その用途を満たすための機能と予算を照らし合わせて製品を選ぶというのが購入の意思決定。ゆえに、デザインやメンテナンスといった要素は日本人ほど重視されず、むしろ「さまざまなユーザー層の需要に応えるために、価格によって付属品を選べることが重要なのです」と話す。

20年前の日本市場は「つまらなかった」

一方、約20年前に日本の掃除機市場に乗り込み、「日本の掃除機は紙パックのキャニスター式ばかりで個性がなく、つまらなかった」と当時を振り返るトム氏。業界の“エバンジェリスト”として、日本市場においてシャークブランドのプレゼンスをどのように高めていくのかに注目される。

そこで目を向けたのが、昨年9月に発売された「EVOPOWER」だ。本国での発売後、日本向けにカスタマイズして上陸した「EVOFLEX」とは異なり、日本をメインマーケットとして、日本の消費者のニーズを多く取り入れて開発されたハンディクリーナーで、その後に英国でも発売されているとのこと。

さらに、今年1月には長崎県の無形文化財である「臥牛窯」とコラボレーションし、「EVOPOWER」に絵付けを施した限定商品を発売するなど、"日本発"の掃除機を送り出している。今後もこうした商品展開や戦略を積極的に進めていく方針なのだろか。最後に、シャークニンジャの展望について訊ねてみたところ、次のように語ってくれた。

2018年9月発売の「EVOPOWER」。コンパクトで部屋に設置しやすくサッと使える機動力のよさと、生活感を感じさせない外観でインテリアにもなじみ、部屋に常設しやすいと好評だ
「臥牛窯」とのコラボレーションで生まれた限定の「EVOPOWER」。プロモーションというよりも、どちらかと言うと日本の伝統工芸贔屓のゴードン社長の“趣味”で作られたようだが、今後も相性がよいものがあれば実現していきたいとのこと

「シャークの掃除機は、あくまでユーザーの使い勝手が最優先です。ゆえに、EVOPOWERも持ちやすく、どこにでも置いて使いやすいサイズ・形状を追求したハンディクリーナーですが、空間に置かれた時のこともイメージし、見た目のデザインにもこだわって開発された、これまでになかった商品だと思います。そういう意味ではEVOPOWERのデザインはまさに"機能美"と言えます。臥牛窯は、単に私が好きだと言う理由でやりました(笑)。積極的にとまでは言えませんが、伝統工芸が好きなので、実現できれば個人的には今後もコラボ商品を展開してみたいですね」

ダイソンで日本の掃除機市場に風穴を開け、エレクトロラックスで新たな掃除スタイルを日本に定着させたゴードン・トム氏。掃除機メーカーとして全米で絶対的なブランド力を誇るシャークニンジャを率い、今度はどのような手腕を奮うのか楽しみである。

長年の経験・知見を武器にした"掃除機"を通じた外交で、日本と諸外国をつないで、今後も世の中の掃除・家事スタイルやあり方を変えていってくれることへの期待が寄せられる、ゴードン・トム氏
関連記事