ボンクラに厳しい「新卒一括採用の廃止」

カレー沢薫の時流漂流 第8回

ボンクラに厳しい「新卒一括採用の廃止」

2018.09.24

漫画家・コラムニスト カレー沢薫さんの社会派連載!

第7回は、「新卒一括採用のルール廃止」について

今回のテーマは、新卒一括採用のルール廃止についてだ。

「経団連の中西宏明会長が、2021年春以降に入社する学生への会員企業の採用活動に関し、経団連が定めている面接解禁などの統一ルールを廃止する意向を表明した」(時事通信

だ、そうだ。しかし、田舎の専門学校卒としては、ルール廃止以前にルールがあったことすら知らぬのである、金的以外なんでもありかと思っていた。

よって、まずは現在の統一ルールとやらについて知る必要がある。ただし知ったところで、廃止される予定だが。

新卒一括採用の現状

まず日本には、新卒一括採用という独自の風習がある。企業が卒業予定の学生(新卒者)を毎年一括で求人し、在学中に採用試験を行い、内定を出し、卒業後すぐに働かせるというものだ。

この新卒一括採用の際、企業側の「選考活動」の解禁が6月1日、というのが、廃止しようと言われている統一ルールだ。企業はその日まで「面接」など、採用者の選考をしてはダメということである。

だが、6月1日までに選んじゃダメなはずなのに、今年6月1日までの大学生の就職内定率は68.1%になっているそうだ。

つまり、廃止する以前に、このルール、すでにシカトされまくっている。現に、先の記事によれば、2019年春の採用に関する事前調査で、今年5月までに面接を行うと答えた企業が8割超、内定を出すと答えた企業が7割近くに達しているそうだ。

こっそり6月以前に選考しているのかと思いきや、もはや堂々たる無視っぷりであり、選考どころか、もう6月には内定しちゃっているのである。このように、すでにあってないような物なので、このたび正式に廃止しようという声が出た次第である。

就活ルールの廃止で広がる「差」

それに対し、「だからと言って、金的含め『何でもあり』になるのは困る」という声も上がっている。

形骸化しているとはいえ、まったくルールがなくなると「どれだけ早く採用者を決めてもいい」ということになってしまい、人気企業が早くに選考を始めたとしたら、優秀な人材はその企業に取られて、遅い企業が選考を始めるころには「じゃない新卒」しか残ってない、ということにもなり得る。逆に、人気企業が遅くに選考を始めると、すでに内定を決めていた新卒が人気企業のほうに行くため、結局内定を蹴られる、ということにもなる。

また学生にとっても、一応の選考活動期間の定めがないと、どんどん早くから就職活動をはじめなければいけなくなり、就職活動は長期化していく恐れがある。最悪、「大学で勉強していた時間より、就活していた時間の方が長い」という、会社で例えるなら「営業で採用されたのに、社内でコピー機の修理をしていた時間の方が長い」という本末転倒が起こりかねない。

そもそも有能な人材というのは教育から生まれるのに、「就職活動が、優秀な人材になり得たかもしれない学生から学習の時間を奪う」のでは全く意味がない。このように、採用活動のルール廃止は、学生の大きな負担になるのではと懸念されている。

当の学生自身はといえば、「期間を決めてくれた方が準備しやすいので、きっちり決めて欲しい」という反対の意見もある一方、「就活期間が長いほど落ち着いて就活できるんじゃないっすか、知らんけど」という、賛成の意見もあると言った感じだ。

しかし、「時間さえあればやれる」と言っている奴は、与えられた時間の分だけうすらぼんやりするか、逆に「こんなに時間がある」と油断してさらにダメになるに決まっているので、このルールの廃止で、意識の高い学生と低い奴の差はさらに広がると予想される。

ルール廃止で困るのは誰?

また、この採用活動ルール廃止は「新卒一括採用」という風習自体をなくすためだ、という意見もある。

この「新卒一括採用」というのは日本にしか見られない採用形態であり、それも戦後に確立された、比較的新しいものだ。能力に拘わらず初任給からスタートし、勤続年数によって昇給していくというシステムだが、現代日本では、何年勤めていても給料が上がる保証がない。そのため、このままでは外国人材をはじめ、優秀な人材を集めるのは難しいと言われている。

だが、日本が今まで高い就職率を誇ってきたのは、他ならぬこの新卒一括採用があったからだという。何しろ、日本の新卒の就職率は90%を超えているのだ。ただしこれは「就職希望者の就職率」なので、「俺、大学卒業したら、新種の虫を探しに行くんだ」と言っているような奴は除外されている。

それでも高いし、就職氷河期と言われた時でも、これらのパーセンテージはそこまで激減したわけではない。新卒に限らず、国全体の失業率も、欧米諸国と比べて低い。

こうした数字は「ある時期が来たら周りが一斉に就職活動を始めるので、自分も何となくはじめ、何となく一斉に採用されている」という新卒一括採用制度があったからこそらしい。つまり、そんなに主体性のない学生でも、周りの流れに乗って就職していけたのである。

これが期間の定めなしになり、各々フリースタイルでやれ、と言うことになったら、流れに乗っていた勢が一斉に迷子になる恐れがある。

なんにせよ、「ますますボンクラに厳しい世の中になる」のは確かなようだ。

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2019.05.21

2018年度のM&A件数は830件、取引総額は12兆7,069億円

「武田薬品のシャイアー買収」は日本企業最高金額に

日本企業が積極的に海外での地盤固めに動いた様子が見られた

平成最後の年度となる2018年度(2018年4月-2019年3月)は、日本の上場企業によるM&A(企業の合併・買収)が活発だった。

国内の高齢化が進み、中小企業の後継者不在の問題はますます深刻になっている。大手企業でも国際競争が激しくなる中で、規模を拡大したり、「選択と集中」で経営を効率化したりする動きが活発だ。こうした経済環境の中で、多くの企業はM&Aに注目し、自社の成長の手段の1つとして積極的に活用し始めている。

M&A仲介サービス大手のストライクが東京証券取引所の適時開示情報を基に構築したデータベースによると、2018年度のM&A件数は830件、金額(株式取得費用と一部アドバイザリー費用を合わせた取引総額)は計12兆7,069億円となり、いずれも2009年度以降の10年間で最高に達した。

2009年度から2018年度にかけてのM&A件数の推移。ストライクが東京証券取引所の適時開示情報を基に構築したデータベースで集計したもの。※経営権が移動するものを対象とし、グループ内再編は対象に含まない。金額などの情報はいずれも発表時点の情報
2009年度から2018年度にかけてのM&A金額の推移。 ※同上

日本企業最高金額となった「武田薬品のシャイアー買収」

2018年度に注目されたのが取引金額の拡大だ。

武田薬品工業がアイルランドの製薬会社シャイアーの買収に投じた6兆7,900億円は、日本企業が実施したM&Aとしては過去最高額となった。さらに同年は、1,000億円を超える案件がこの10年で最高であった2017年度と並ぶ18件に達するなど、国際競争が激しくなる中で、日本企業がクロスボーダー(国際間案件)のM&Aを活発化させた様子が見てとれる。

武田薬品のシャイアー買収は2018年5月8日に発表され、2019年1月8日に成立した。巨額の買収金額が経営に与える影響を懸念して、創業家一族ら一部の株主が買収に反対したことも話題になったが、臨時株主総会での武田薬品株主の賛成率は9割近くに達した。

武田薬品に次ぐ大型の案件は、ルネサスエレクトロニクスによる米半導体メーカー・インテグレーテッド・デバイス・テクノロジー(IDT)の買収であった。買収金額は日本の半導体メーカーとして過去最高となる7,330億円に達した。自動運転やEV(電気自動車)などの進化に伴い、車載向け半導体の需要拡大が見込まれており、ルネサスエレクトロニクスはIDTの買収によってこの分野の開発力強化や製品の相互補完を目指す考えだ。

それに次ぐ大型の案件は、日立製作所によるスイスABBの送配電事業の買収であり、その金額は7,140億円に達する。日立製作所はABBから2020年前半をめどに分社される送配電事業会社の株式の約8割を取得して子会社化したあと、4年目以降に100%を取得し、完全子会社化する予定だ。再生可能エネルギー市場の拡大や新興国での電力網の整備に伴い、送配電設備に対する需要は一層高まると予想されており、日立製作所は買収により送配電事業で世界首位を目指す。

2018年度(2018年4月1日-2019年3月31日)の取引総額上位10ケース。※金額は株式取得費用と一部アドバイザリー費用を合わせた取引総額 (ストライク調べ)

2019年度も活況続くか

先述したように、金額が1,000億円を超える大型のM&Aは18件あり、武田薬品など金額上位3社のほかに、大陽日酸、三菱UFJ信託銀行、大正製薬ホールディングス、東京海上ホールディングス、JTといった大企業が名を連ねた。

これら18件中17件はクロスボーダーであり、かつ2018年度のM&A件数中、こうしたクロスボーダーは185件(構成比22.3%)に達しており、日本企業が積極的に海外での地盤固めに動いた様子が浮かび上がった。

かつて、日本で企業の投資といえば、研究開発や設備投資が大半を占めていた。しかし、最近の状況を受けて、ストライクの荒井邦彦社長は「全体の成長率が低迷する中で、こうした投資の効果は思うように高まらず、事業戦略としてのM&Aが日本企業でも定着してきている」と分析する。

なお同氏は、2019年度のM&A市場の動向についても「日銀による金融緩和が企業の資金調達環境を改善させており、活況が続きそうだ」と予測している。

出展:M&A online データベース

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大津の園児死亡事故で炎上した「マスコミ」批判

カレー沢薫の時流漂流 第43回

大津の園児死亡事故で炎上した「マスコミ」批判

2019.05.20

漫画家・コラムニスト カレー沢薫さんの社会派連載!

第43回は、大津の痛ましい事故で炎上した「マスコミ」問題について

滋賀県・大津市で散歩中の園児の列に軽乗用車が突っ込み、園児二名死亡、多くの負傷者を出す、という事故が起った。

池袋のプリウス事故の衝撃が冷めやらぬまま、また痛ましい事故が起ってしまった。池袋の事故では「高齢者の自動車運転問題」「上級国民疑惑」が大きく注目されたが、今回の事故では全く別のものが炎上した。

マスコミ問題である。

マスコミが保育園を追求したのは視聴者のため?

事件が起こった当日夕方、被害者の園児が通っていた「レイモンド淡海保育園」が記者会見を行ったのだが、そこで質問をした記者の血が青とか紫とかほとんど寒色系じゃないかと、大きく批判された。

記者会見が、どのような内容だったかというと「危険な場所という認識はあったのか?」「保育士が道路側にいたのか?」という、何としてでも保育園側に批があったようにしたくてたまらない質問、「園児たちの様子は普段と変わらなかったのか?」という意図のわからない質問、 「散歩したのは園に庭がないからか?」という「園に庭さえあればこんなことには…」という「ニ兆円さえあれば」に匹敵する、壮大なたられば論などが挙げられ、質問を受けた園長は号泣、それを記者がバッシャバッシャ撮影するという地獄絵図だったそうだ。

記者会見を見た多くの人が「何を食ったらそんな質問ができるんだ」と思っただろうが、この記者会見は、たまたまその場にプラスチックを食って育った選りすぐりのサイコパッシャーが大集結してしまったという、悪い意味でのアベンジャーズだったワケではないと思う。

記者が何故あのような質問をしたかというと、決して趣味ではなく、おそらく「視聴者の見たい画」「聞きたい言葉」を引き出そうとした結果なのではないか。もちろん「あんなもの見たくなかった」という人が大半だと思う。

しかし、池袋プリウス事故で加害者が即逮捕されないことが大きく批判されたことからも、現在の我々視聴者に「悪が一刻も早く、俺たちの目に見える形で処されるところが見たい」という「ニーズ」が少なからずあることが分かっているのだ。

つまり「お客様に一秒でも早く悪が吊るされる様をお届けします!」というニーズに応えようとする企業努力が、「悪くもない保育園をとりあえず悪にして即斬る」という、完全に間違った「悪・即・斬」になってしまったのではないだろうか。

「マスゴミ」問題は視聴者の問題?

しかし、「被害者側への無配慮な取材はいらん」というのも、今回の件だけではなく、視聴者側が何度も言い続けている「ニーズ」である。

何故それが無視されてこのような会見が行われるかというと、被害者の声まではいらなくても、やはり我々が平素「センセーショナル」な物を求めてしまっているからではないだろうか。よって記者たちは「とにかく刺激的なものを撮ってこい」と言われ続け、感覚がマヒし、本来配慮が必要なはずの取材にすら「センセーショナルさ第一」で臨んでしまい、まるで不倫記者会見のようなノリの質問が飛ぶことになってしまったのではないだろうか。

やはり報道というのは「視聴者が何を見たがっているか」が反映されるものだ、需要がなければ供給はなくなる。このような記者会見が行われなくするためには、何度でも我々が「こういうのはいらんのや、見んし、お前らの雑誌買わんわ」と言い続けるしかないだろう。

ところで、「質問をした記者を特定して処してやろう」という動きも当然のように起こったらしい。やはり我々の「悪を処したい」「処されるのを見たい」という気持ちは根深い物があるのだ。

ちなみに、今回の事故では当初、車を運転していた52歳と62歳の2人が逮捕された。「また高齢者か」という声も上がったが、この年齢で高齢者と呼べるかは微妙なところだ。結局「車を運転する以上誰でも事故を起こす可能性がある」ということである。

車を運転しない人は「歩道を歩いていて車が突っ込んでくるなんてどうしようもない」という被害者観点から絶望したと思うが、車を運転する人は加害者観点でも恐怖したと思う。

もちろん安全運転に越したことはないが、人間には「限界」と「不測の事態」があることでおなじみである。持病もないのに運転中に突然何らかの発作が起こる可能性だってあるのだ。「どうしようもないこと」で被害者になることもあるが、加害者になることもあるのである。

つまり、車がないと生活できない土地で、私が週一ぐらいしか外出せず、引きこもり続けているのは、近隣住民の命を守る草の根活動でもあるのだ。しかし、それは無職だからできる事業なので、多くの人が、少なからずリスクを負って車を運転しなければいけない。

そのリスクを減らすには、運転者が気をつけることはもちろんだが、何せ限界がある。つまり、人間がこれ以上、進化することなく、むしろ高齢化で退化する一方だとしたら、無機物の方を整備していくしかない。

事故が起りにくい道路作り、そして車だ。

現に、車の事故防止機能はどんどん進化しており、自動運転化の開発も進んでいるという。自動運転が本当に安全なのか不安もあるが、少なくとも老が運転するよりは確実に安全になるだろう。

しかし、今のところそういった事故防止機能がついた車を買うか否かは、任意である。そして、そのような機能がついた車は高くなる。よって私の車は金銭的問題で、タイヤとハンドルがついているぐらいであり、運転手がミスったら、そのミス通り事故を起こしてくれる、素直な仕様である。

現在でも事故防止機能のある車を購入した場合、補助がもらえることもあるようだが、導入が任意な以上、つけない人はつけないだろう。これからの車には、タイヤ、ハンドル、事故防止機能を、もう屋根ぐらい忘れても良いから義務付けるべきではないだろうか。

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