話題の”ティール組織”を体現 - サイハテ村「一万坪の社会実験」(後編)

話題の”ティール組織”を体現 - サイハテ村「一万坪の社会実験」(後編)

2018.09.04

熊本県「サイハテ村」が実践する新たなコミュニティについて取材

ルールがないことで、コミュニケーションが促進される

リーダーがいないことで、主体的に動く人材が生まれる

現代ならではのコミュニティをつくるためのオンラインサロンを開講

新たなコミュニティの形を目指す熊本県「サイハテ村」。約1万坪からなるこの地では、ルールもリーダーもない、お好きにどうぞ”な村づくりというコンセプトのもと、30人ほどの人々が暮らしている。ルールのないコミュニティで、村人はどのように生活をしているのか。彼らの暮らしから見えてくるものとは。

前編に引き続き、サイハテ村の「コミュニティマネージャー」坂井勇貴氏の話をお届けする。

坂井勇貴氏。1984年3月生まれ、長野県出身。CAMPFIRE・BASEなどの会社と提携し、三角エコビレッジ・サイハテのコミュニティマネージャーとして、運営およびプランニングの中枢を担う

”成功例”の轍を踏まないコミュニティ形成

筆者(以下、田中) : 社会とコミュニティの関係性が徐々に崩れている状況を打開するため、この村では新たなコミュニティの形を模索しているとのことですが、ルールがないということは、集団で生きていくうえで難しいように思います。これまで、学校・会社と、ルールのあるコミュニティでしか生きてこなかったので、想像がつきません。

坂井勇貴氏(以下、坂井) : 実際に、サイハテ村を始める際、長年エコビレッジに携わっていた人から「成功しているコミュニティには共通して、明確なルールがあり、カリスマ的リーダーがいるパターンが多い。その2つを手放してコミュニティを形成するなんて馬鹿げている」と批判されたこともありました。

しかし私たちは、そういった決まり事を無くしたコミュニティは、どう機能していくのか? ということを知りたいのです。決して、正解を見つけたいわけではありません。私たちがしているのは、数年、数十年先の未来を見据えた大規模な実験なんです。

ルールはコミュニケーションを殺しかねない

田中 : 実際に、サイハテでは30名ほどの村民が集まり、国内外から千人を超える人が村を訪れているそうです。坂井さん自身、全国各地でコミュニティ形成についての講演会を行っていらっしゃいますが、ルールがないコミュニティがなぜ存続し続けられるのでしょうか?

坂井 : 実はルールがないことにも、メリットがあるんです。例えば、ある出来事を考えてみましょう。この村に、「週に1度、村の美化作業を行う」というルールがあったとします。そうすると、もしそのルールを破ったときには、その人は罪悪感を感じ、周囲の人は、ルールを守らせるためにその人に罰を与えることになりますよね。

ここで問題となるのは、そこにコミュニケーションが生まれないことです。ルールを破った時点で、その人の言い分は受け入れられないんです。「寝坊してしまって……」と言ったところで、「じゃあ寝坊しないようにすればいいじゃん」という会話しか生まれない。

「ルールを破ったとき、そこにコミュニケーションは生まれない」というのはこれまでも何度か経験があります。こちらの言い分を言えない場合もしばしば

しかし、明確なルールが定められていない場合には「どうして美化作業をしないのか? 」「どうして寝坊をしてしまったのか? 」というコミュニケーションが生まれる。その結果「実は私はこの作業に意味がないと思っているから、起きてたけど来なかったんだ」といった、ルールを破った際には言えなかったその人の本音を聞き出せるようになるかもしれない。

田中 : 確かに。その関係性だと「私は朝が苦手だから、夜に1人で美化作業をさせて欲しい」といった意見も出るかもしれませんね。会社でも同じことが言えそうです。遅刻したら減給されたり、上司に怒られたりする。さらに、その罪の意識から上司とコミュニケーションを取りにくくなる。

坂井 : そうですね。つまり、ルールが人と人の上下関係を生み出し、フラットな関係性を築きにくくし、良いコミュニケーションが生まれにくくしているんです。今、『ティール組織』というビジネス書が人気なのをご存知でしょうか?

※『ティール組織 - マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現』著 : フレデリック・ラルー、英治出版より販売(amazonリンク)

この本は2018年1月に日本版が発売となり、非常に反響を集めました。ティール組織とは、従来の「達成型」と呼ばれる組織とは大きく異なる組織構造や文化を持つ新たな組織モデルです。

簡単に説明すると、組織内での上下関係、ルールなどといった文化を撤廃し、フラットな関係性をつくることによって組織・人材に変革を起こせるということが書かれている本なのですが、サイハテではこの考え方に似たコミュニティが形成されています。

2018年7月、「ティール組織」をテーマとしたイベントをサイハテにて開催した

田中 : フラットな関係性を築きやすくなれば、上司とのコミュニケーションがとりやすくなり、自分の意見が発言しやすくなる。その結果、組織の風通しが良くなることが想像できます。

リーダーがいないから、『主体的に動く人材』が生まれる

坂井 : また、リーダーがいないため、主体的に動く人材が生まれやすいこともサイハテの特徴です。もともとここは、現在もサイハテに住んでいる工藤シンクが発起人となって誕生した村なのですが、彼はリーダーではなく、ただの住人。

私自身もサイハテに必要な役割を模索する中、この村での生活を発信する「サイハテメディア」というHPをつくったり、全国で講演活動をしたり、サイハテ村に関連するコンテンツやコラボ企画をつくったりして、「コミュニティマネージャー 」としての仕事を自主的に行なっています。

このように、サイハテの住人が各自で行動し、協力し、村をより良くしていこうと尽力しています。リーダーがいないからこそ指示を待つのではなく、主体的に動く人物が生まれやすいのは、この村ならではの特徴だと思いますね。

リアルで実践し、オンラインで学びを共有する仕組み

田中 : 暮らしを軸としたコミュニティから学ぶことがたくさんありそうです。

坂井 : これまでも日本各地でさまざまなコミュニティが生まれ、多くのアイデアや学びがありました。シェアリングエコノミーやティール型組織も今では多くの人に注目されていますが、私たちはずっと前から実践してきたことです。

ただ、横のつながりがなく、その知見を共有できないことが問題でした。そこで、こうした多様なコミュニティで生まれた知恵を共有し、さらに深めることのできる『NCU 次世代型コミュニティ大学』というオンラインサロンをつくりました。

このサロンは、サイハテを始めとして、東京・渋谷の駅近ビルで「拡張家族」という新たなコミュニティの形を提案するCift(シフト)など、日本中で活躍する多様な15のコミュニティをキャンパスに見立て、世界に誇れる次世代型のコミュニティ像を追求するオンライン大学です。会員数はローンチから1ヶ月ほどで約100人集まっており、今後も徐々に人数を増やしていきたいと思っています。

NCUで積極的に情報を発信するのは、全国15のコミュニティで活躍する実践者たちだ

田中 : 自身の所属するコミュニティで得た知見を、オンライン上で共有、議論をすることによって、体系化していくことができる場所というわけですね。

坂井 : はい。サロンに入会すると、Facebookの非公開グループ上で入会者どうしでのやり取りができるようになっています。このサロンを活用することで、リアルのコミュニティで検証したことをオンライン上で深め、またリアルに落とし込むことができる。これによって現代に合った次世代型のコミュニティづくりを促進していければ、と考えています。

「和の精神」に基づく次世代のコミュニティ像をつくりたい

田中 : サイハテの今後の展望についてはどのようにお考えでしょうか。

坂井 : うーん、実はそのことについてはあえて考えないようにしています。村人の1人としては、もっと人が増えて欲しいとか思うところはあるのですが。コミュニティマネージャーとして、「こういう風になればいいな」と思うことはありますが、それを推し進めてしまうと、リーダーのような存在になってしまいます。そのバランスをとるのが難しいところです。

一方で、私が運営しているNCUの件についていうと、こちらは明確な今後の目標があります。それは、未来社会に対して提案できる次世代型コミュニティ像を作ることです。

世界が賞賛する日本の「和の精神」。これはこれからの未来を語る上で重要なファクターになると確信しています。しかし、今のままでは古い伝統《個性や自由の欠如》として未来社会の軸になり得るとは考えられません。

急速に変化していく現代社会の中にあっても通用する“次世代型”コミュニティ。個性や自由を保ったまま、調和や安定を作り出すコミュニティカルチャーはここ日本だからこそ取り組むべき事だと考えています。

田中 : 日本ならではの「和の精神」がもととなって生まれる新たなカルチャー……。考えるとワクワクしますね。

編集後記

以上、サイハテ村と坂井氏の話を紹介した。筆者がこの村に滞在したのは1泊2日という短い時間ではあったが、村づくりの作業や食事の時間に、サイハテの住人、および一時的に訪れている人たちと交流することができた。

坂井氏と話していると、「どうやら大変そうなことをしている」ようにも感じるが、いざ村で生活をしてみると、何のことはない、ただの共同生活のようにも感じる。しかし、どこかで居心地の良さを感じることができたのは、現代で失われた「人と人のつながり」を色濃く感じることができたためだろう。

一緒に料理をして、夕食を共にする。村をより良くするために、共有スペースを作ったり、不要な木を伐採したりする。さまざまな行動を共にしていく中で、徐々に関係性が築かれ信頼感が生まれていく感覚は、「当たり前」のようでどこか懐かしいものであった。これこそ「村」というコミュニティの良さの1つであろう。

しかし、百聞は一見に如かず。言葉にすると「当たり前」のことでも、いざ体験してみると「当たり前のことができていなかった」と気付かされることが多くあったため、一度訪れて欲しい。

熊本県の辺境の地にあるサイハテは、ルールのないコミュニティだからこそ、人と人とのつながりを感じることのできる温かな場所であった。

大津の園児死亡事故で炎上した「マスコミ」批判

カレー沢薫の時流漂流 第43回

大津の園児死亡事故で炎上した「マスコミ」批判

2019.05.20

漫画家・コラムニスト カレー沢薫さんの社会派連載!

第43回は、大津の痛ましい事故で炎上した「マスコミ」問題について

滋賀県・大津市で散歩中の園児の列に軽乗用車が突っ込み、園児二名死亡、多くの負傷者を出す、という事故が起った。

池袋のプリウス事故の衝撃が冷めやらぬまま、また痛ましい事故が起ってしまった。池袋の事故では「高齢者の自動車運転問題」「上級国民疑惑」が大きく注目されたが、今回の事故では全く別のものが炎上した。

マスコミ問題である。

マスコミが保育園を追求したのは視聴者のため?

事件が起こった当日夕方、被害者の園児が通っていた「レイモンド淡海保育園」が記者会見を行ったのだが、そこで質問をした記者の血が青とか紫とかほとんど寒色系じゃないかと、大きく批判された。

記者会見が、どのような内容だったかというと「危険な場所という認識はあったのか?」「保育士が道路側にいたのか?」という、何としてでも保育園側に批があったようにしたくてたまらない質問、「園児たちの様子は普段と変わらなかったのか?」という意図のわからない質問、 「散歩したのは園に庭がないからか?」という「園に庭さえあればこんなことには…」という「ニ兆円さえあれば」に匹敵する、壮大なたられば論などが挙げられ、質問を受けた園長は号泣、それを記者がバッシャバッシャ撮影するという地獄絵図だったそうだ。

記者会見を見た多くの人が「何を食ったらそんな質問ができるんだ」と思っただろうが、この記者会見は、たまたまその場にプラスチックを食って育った選りすぐりのサイコパッシャーが大集結してしまったという、悪い意味でのアベンジャーズだったワケではないと思う。

記者が何故あのような質問をしたかというと、決して趣味ではなく、おそらく「視聴者の見たい画」「聞きたい言葉」を引き出そうとした結果なのではないか。もちろん「あんなもの見たくなかった」という人が大半だと思う。

しかし、池袋プリウス事故で加害者が即逮捕されないことが大きく批判されたことからも、現在の我々視聴者に「悪が一刻も早く、俺たちの目に見える形で処されるところが見たい」という「ニーズ」が少なからずあることが分かっているのだ。

つまり「お客様に一秒でも早く悪が吊るされる様をお届けします!」というニーズに応えようとする企業努力が、「悪くもない保育園をとりあえず悪にして即斬る」という、完全に間違った「悪・即・斬」になってしまったのではないだろうか。

「マスゴミ」問題は視聴者の問題?

しかし、「被害者側への無配慮な取材はいらん」というのも、今回の件だけではなく、視聴者側が何度も言い続けている「ニーズ」である。

何故それが無視されてこのような会見が行われるかというと、被害者の声まではいらなくても、やはり我々が平素「センセーショナル」な物を求めてしまっているからではないだろうか。よって記者たちは「とにかく刺激的なものを撮ってこい」と言われ続け、感覚がマヒし、本来配慮が必要なはずの取材にすら「センセーショナルさ第一」で臨んでしまい、まるで不倫記者会見のようなノリの質問が飛ぶことになってしまったのではないだろうか。

やはり報道というのは「視聴者が何を見たがっているか」が反映されるものだ、需要がなければ供給はなくなる。このような記者会見が行われなくするためには、何度でも我々が「こういうのはいらんのや、見んし、お前らの雑誌買わんわ」と言い続けるしかないだろう。

ところで、「質問をした記者を特定して処してやろう」という動きも当然のように起こったらしい。やはり我々の「悪を処したい」「処されるのを見たい」という気持ちは根深い物があるのだ。

ちなみに、今回の事故では当初、車を運転していた52歳と62歳の2人が逮捕された。「また高齢者か」という声も上がったが、この年齢で高齢者と呼べるかは微妙なところだ。結局「車を運転する以上誰でも事故を起こす可能性がある」ということである。

車を運転しない人は「歩道を歩いていて車が突っ込んでくるなんてどうしようもない」という被害者観点から絶望したと思うが、車を運転する人は加害者観点でも恐怖したと思う。

もちろん安全運転に越したことはないが、人間には「限界」と「不測の事態」があることでおなじみである。持病もないのに運転中に突然何らかの発作が起こる可能性だってあるのだ。「どうしようもないこと」で被害者になることもあるが、加害者になることもあるのである。

つまり、車がないと生活できない土地で、私が週一ぐらいしか外出せず、引きこもり続けているのは、近隣住民の命を守る草の根活動でもあるのだ。しかし、それは無職だからできる事業なので、多くの人が、少なからずリスクを負って車を運転しなければいけない。

そのリスクを減らすには、運転者が気をつけることはもちろんだが、何せ限界がある。つまり、人間がこれ以上、進化することなく、むしろ高齢化で退化する一方だとしたら、無機物の方を整備していくしかない。

事故が起りにくい道路作り、そして車だ。

現に、車の事故防止機能はどんどん進化しており、自動運転化の開発も進んでいるという。自動運転が本当に安全なのか不安もあるが、少なくとも老が運転するよりは確実に安全になるだろう。

しかし、今のところそういった事故防止機能がついた車を買うか否かは、任意である。そして、そのような機能がついた車は高くなる。よって私の車は金銭的問題で、タイヤとハンドルがついているぐらいであり、運転手がミスったら、そのミス通り事故を起こしてくれる、素直な仕様である。

現在でも事故防止機能のある車を購入した場合、補助がもらえることもあるようだが、導入が任意な以上、つけない人はつけないだろう。これからの車には、タイヤ、ハンドル、事故防止機能を、もう屋根ぐらい忘れても良いから義務付けるべきではないだろうか。

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2019.05.20

トヨタが5世代目となる新型「スープラ」を発売

直列6気筒のFRで伝統を踏襲、最上級グレードに予約集中

BMWとの共同開発について気になる点を友山副社長に聞く

トヨタ自動車は新型「スープラ」(GR Supra)を発売した。先代スープラの生産終了から17年ぶりの復活だ。価格は3リッターの直列6気筒(直6)ターボエンジンを搭載する「RZ」が690万円、2リッターの直列4気筒ターボエンジンを積む「SZ-R」が590万円、同「SZ」が490万円。直6+FR(フロントエンジン・リアドライブ)という歴代モデルの伝統を踏襲した5世代目は、トヨタとBMWの共同開発で誕生した。

新型「スープラ」。ボディサイズは「RZ」で全長4,380mm、全幅1,865mm、全高1,290mm。こだわったのは「短いホイールベース(前輪と後輪の間の幅、2,470mm)」「幅広いトレッド(左右のタイヤの幅、RZでフロント1,595mm、リヤ1,590mm)」「低い重心高」の3つの基本要素だという

儲からなければ儲かるまで“カイゼン”

新型スープラはBMW「Z4」のプラットフォームとエンジンを使っている。企画とデザインはトヨタが、設計はBMWが担当した。

トヨタでは月間220台の販売台数を想定していたが、2019年3月に予約注文の受付を開始すると、新型スープラには予想を超える数のオーダーが殺到した。事前受注は約1,400台に達したという。予約注文のうち、約7割が最上級グレードのRZに集中したことも予想外だったようで、トヨタは一時的に、同グレードの予約受付をストップしていた。

増産やグレード変更などの生産調整により、現在、RZの受注は再開している。とはいえ、今からRZを注文しても、納車は2020年1月ごろになるそうだ。

「マットストームグレーメタリック」をまとった新型「スープラ」(画像)は限定車。2019年度分の24台については、6月14日までWeb限定で商談の申し込みを受け付ける。商談順は抽選となるそうだ

「モビリティカンパニー」になると宣言したトヨタが、スポーツカーのスープラを復活させる理由については、最近、テレビやラジオのコマーシャルでもしばしば耳にする「馬がクルマに置き換わっても、競走馬は残った」という言葉の通りだ。つまり、電動化や自動化でクルマの在り方が変わっていっても、単なる移動手段ではなく、所有したり乗ったりすることで、喜びを感じられる存在として残るクルマもあるので、そういった製品を作り続けたいというのがトヨタの思いである。

新型「スープラ」はトヨタとBMWが2013年に包括提携を結んでから初の商品となる。生産はマグナ・シュタイヤーに外部委託し、オーストリアのグラーツ工場で行う

とはいえ、スポーツカーは年間何万台も売れるクルマではないし、採算が取れないおそれもある。その点については、新型スープラ発表会に登壇したトヨタの友山茂樹副社長も「スポーツカーは儲からない、売れないという冷ややかな見方があることは事実」と認めるところだ。しかし同氏は、「儲からなければ儲かるようになるまで、売れなければ買ってもらえるようになるまで、歯を食いしばってでもカイゼンを続ける」ことがトヨタ本来の姿であるとし、「クルマは五感で感じるものだというDNAを次の世代に継承しなければならない」との考えを示した。

新型「スープラ」は歴代モデルと違って2シーターだ

「BMW製では?」の声に友山副社長の回答は

気になるのは、スープラがBMWとの共同開発であり、エンジンとプラットフォームというクルマの中心部分がBMW製であるという点だ。「トヨタの思いは分かるけど、結局、BMWのクルマなのでは……」という見方があるのは、おそらく間違いないだろう。

こちらがBMW「Z4」。大きな違いはスープラがクーペでZ4がオープンカーであるところだ。「Z4」の価格を見ると、3L直6エンジンを積む「M40i」が835万円、2L直4エンジンを積むエントリーモデル「sDrive20i」が566万円となっている

そのあたりについて、友山副社長が語ったところをまとめると、まず、「スポーツカーは数(販売台数)が限られる割に、開発には莫大なコストがかかるので、単独で作るのは難しい」とのこと。今回のスープラは企画とデザインがトヨタ、設計がBMWと説明しているが、クルマの開発は「そんなに簡単なものではないし、(明確に役割を)区切れるものでも」なく、企画の段階で、トヨタとしてどんなクルマを作りたいか、どんな味を出したいかといった点については徹底的に詰めたという。それに、これは多少、冗談めかした発言ではあったものの、「BMWが作ったクルマだから」という理由でスープラを購入する顧客もいるそうだ。

トヨタの友山副社長。自身は先代「スープラ」を改造して乗っていて、トヨタの役員駐車場で警備員に止められたこともあるという

スープラを「BMW製」だと見る人たちに対して友山副社長は、「どこ製ということではなく、これは『スープラ』なんです。両社のいいところを組み合わせた最高の合作、それがスープラです。乗ると分かりますが、Z4とは全然違います」とのメッセージを伝えたいそうだ。

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