”快適な風”を追求したマルチ空調 - デロンギ 空気清浄機能付きファン HFX85W14C

モノのデザイン 第41回

”快適な風”を追求したマルチ空調 - デロンギ 空気清浄機能付きファン HFX85W14C

2018.07.09

イタリアの家電メーカー「デロンギ」から今年6月に世界に先駆け日本先行で発売された空気清浄機能付きファン HFX85W14C。涼風・温風兼用のファンで、PM2.5を99%除去する性能を持つ空気清浄用のフィルターも備えた、同社としては初めてとなるマルチ空調製品だ。

6月に発売された「空気清浄機能付きファン HFX85W14C」。デロンギ初の空清一体型かつ温風・涼風ファン。1年通じて使える空調家電として、快適さを追求する同社ならではのこだわりが詰まった商品だ

海外の家電メーカーらしいスタイリッシュなデザインも目を引く新商品の発売の経緯からデザインへのこだわり、開発にあたっての裏話やエピソードなどを、デロンギ・ジャパンのプロダクトマネージャー・西岡祐子氏に伺った。

デロンギが追求した”快適な風”

デロンギの空調機器と言えば、マルチダイナミックヒーターやオイルヒーターが人気商品だが、複数の機能を搭載した製品は実は今回が初めてだという。

デロンギ・ジャパン プロダクトマネージャー・西岡祐子氏

「マルチダイナミックヒーターやオイルヒーターは冬の自宅環境を快適にする商品として好評を博してきました。そこで、デロンギが快適さを365日=1年を通じて提供できる商品を作りたいということで今回の製品につながりました。また、空調ということで言うと、大気汚染や花粉症など、空気への関心が世界的に高まっている上、グローバルでもオールインワンというトレンドがあるため、空気をキレイにした上で心地よさを届けられるようにと空気清浄機能も一体化させることにしました」と、新製品発売の経緯を語る西岡氏。

デロンギの従来の製品は、風が出ない輻射熱で心地よさを実現している。しかし、今回の新製品はそれらとは異なり、風を起こすことで快適さを届けるという、製品の開発思想そのものが正反対とも言える。その理由は、空気清浄機能を出発点にしていることにあるようだ。

空気清浄用のフィルターを本体上部に備えることで、交換の際の着脱もしやすいメリットにつながった。また、PM2.5などの微細な粒子は空気中に滞留しやすいため、足元にあるより効率よく吸引できるとのこと

「新製品は空気清浄機能を搭載するため、風を起こすということが必然的になります。ただ、従来の風ではなく、デロンギとして"快適さを追求した風"を試行錯誤した結果、形状はタワー型になりました」

同製品は、一般的なタワーファンのような直線的な風ではなく、"3Dコンフォート・エア テクノロジー"と呼ばれる独自技術により実現した、全身を包み込むような穏やかな風が特長。風を真正面から直接的に浴びるというよりも、回り込むように周りから感じられるという、これまでの扇風機にはなかった体感だ。

"3Dコンフォート・エア テクノロジー"による風のイメージ

その仕組みは"コアンダ効果"と呼ばれる、流体力学を応用したもので、水や空気などの"流体"は物の表面にくっつき、曲面に沿って流れる性質を利用している。吸い込んだ風を前方に直接放出するのではなく、一度背面に誘導した後、その背面パネルにぶつかる。その後、風が後方の左右に2カ所あるスリットから前方に送り出される。そして放出された風が再び前方中央部でぶつかり、広範囲に送風されるという仕組みだ。2度ぶつけることで、風が持つうねりやムラが極力軽減されるので、結果的に風あたりがなめらかになり、従来の体に直接当たる風よりも温度ムラが抑えられ、風によるストレスが大幅に緩和されるという理屈だ。

本体の内部構造
送風部の形状は上から見ると縦長の楕円状。コアンダ効果を高めるために、さまざまなプロトタイプを作成し、調整を続けながら快適な風を生み出すベストな形にたどり着いたとのこと

西岡氏によると、同製品の流線形の美しいデザインはまさに"機能美"と呼べる部分。原型は機能のために生み出されたものだが、設置した際に圧迫感を感じないよう、外観上のデザインでもよりブラッシュアップが図られている。

「本体正面に設けられたシルバーのラインは、鏡面加工にすることによって製品の縦のラインを強調し、より洗練されたイメージに仕上げています。ディスプレー部も兼ね備えているため、操作をした時だけ表示を浮かび上がらせて見た目をスッキリさせるというデザイン上の意味も兼ねています」

空気清浄用のフィルターが格納された本体上面にはパンチングの穴が施されている。もちろん、空気清浄機の吸引口でもあるが、「ベストな吸気量を確保しつつも、配置に関しては境目のところがランダムになっています。これはデザイン上のもので、本体の上と下をはっきりと分けたくないという意図があります」と説明する。

機構・設計上で最も試行錯誤をした部分はやはり形状だったとのこと。「製品で一番こだわらなければならないのは"風の質"です。ちょっとでも一部の傾斜だったりが変わったりすると、気流が変わって風の質が変わってしまうんです。デザインと機能の両方を収めるというのは本当に至難の業でした」と話す。

身体全体が包み込まれる穏やかな風が生み出されるメカニズムの解説図

本体は、一枚板のボディ一体成型で作られている。最大限に快適な風を作り出すためには、譲れない要素でもあった。「一枚板を使用した繋ぎ目のない大きな成型は通常の機械だと作れないため、この製品のためだけに新しい成型のマシンを導入したほどなんです」と振り返る。

同製品の操作は、本体では電源のオン・オフのみとシンプルに。風量や首振り設定などはすべてリモコンで行う。操作をリモコンに集約した理由も快適さにこだわったためだという。

「風量や温度を最も快適な状態で使って欲しいという思いから、実際に使う場所から調整してほしいという理由で操作はリモコンに限定しました。首振り機能の範囲が左右に25°までというのも、"包み込む風"の価値を最大限享受いただくため弊社が設定した最大解なのです」

従来のファンヒーターとデロンギの空気清浄機能付きファンの温風の分布状態のサーモカメラによる比較。より広い範囲に温度ムラが少なく拡散されていることがわかる

もちろんデザイン的な意味合いも兼ねており、「操作部ボタンを極力なくすことで、スッキリとしたデザインにすることで長く使っても飽きない商品にしたかったのです」と明かす。

本体の寸法は、直径270ミリ×高さ850ミリ。部屋に設置した際の印象は数字以上にスリムでコンパクトに感じる。「送風口が縦方向な上、ユーザーが立った状態でも座った状態でも包み込むような風を送るという目的があるため、座った時の頭からつま先までとなると、自ずとサイズはだいたい決まります。ただ、全体のバランス感はとても大切なので意識しています。数字以上にコンパクトに感じられるのは足元の設置面積が小さいためだと思います。発売前にモニター100人に調査したところ、置く場所が限られないサイズ感がとても好評でした」

本体の上側には無数のパンチングの穴が設けられている。内側に備える空気清浄用のフィルターの吸引口のためのものだが、デザイン上のアクセントにもなっており、下側はランダムに配置することで本体との調和が図られている

同製品のカラーバリエーションはグレーの1色のみ。西岡氏によると、まずは第一弾として1色にしぼりこんだ際に、あらゆる雰囲気の部屋に映える色であり、なじみやすいという色ということで選ばれた色だそう。「中間色であるグレーはどんなインテリアにも合わせやすい色です。北欧テイストのデザイントレンドもあるので、ナチュラルにもシックな雰囲気にも合わせやすい色を選びましたが、カラーバリエーションも検討中です」と西岡氏。

部屋を均一に暖めることで快適にするヒーターですでに世界的なシェアを誇る実績を持つデロンギが、"人とその周りを包み込むように快適にする"という新たなコンセプトで挑んだ今回の新商品。日本ではスタイリッシュなデザイン性が注目を集めることの多いブランドだが、高度なテクノロジーとデザイン性を見事に融合させた商品の市場投入で、同社の製品に対するイメージが新たになったという人も多いのではないだろうか。

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その面倒な組織カルチャー、印鑑が原因ですよ

2019.03.18

印鑑業界による印鑑文化の優位性アピールが話題

会社経営者として感じる、捺印作業の面倒さ

「サイン文化」と「印鑑文化」で変わる組織カルチャー

行政手続きのオンライン化を目指す「デジタル手続き法案」をめぐり、全日本印章業協会がアピールした「印鑑のメリット」が話題になっている

「代理決済できるという印章の特長が、迅速な意思決定や決済に繋がり、戦後の日本経済の急速な発展にも寄与してきた」(原文ママ)というものだ。

「ハンコならこっそり代理決済ができる」などと、身も蓋もなく自ら印鑑廃止を後押ししてしまいかねない意見が出てしまったことは興味深い。
でも僕は、ただのバイオテクノロジー屋なので、ITを活用した効率化しますよ業界の回し者でもなければ、印鑑業界の人を敵に回すメリットだってないので、特にこの点について深く言及しないし、「日本における今後のハンコをどうするべきか」なんてことを掘り下げて云々するつもりもない。

ただ、日本を含む4カ国でスタートアップを立ち上げた経験から、企業の組織カルチャー形成に、承認方法としての「印鑑」と「サイン」の違いが、とても大きな影響を与えているのではと実感した話を書いておきたい。

日々、何かと多すぎるハンコ作業

まず共有しておきたい事実は、日本で会社を経営すると、毎日ものすごい数の代表印や銀行印や社印を押さなければいけないということだ。(会社の印鑑って3種類あるの知ってました?)

お客さんと契約してお金をいただくときに契約書に捺印するのはイメージできると思うが、その後もお金が銀行口座に無事入るまで、受領やらなにやら契約書だけでなく、さまざまな書類にとにかく捺印をしまくる必要がある。

また、家賃を払う、プリンターのトナーが切れる、実験試薬を買うなどなど、とにかく会社を運営する活動の一つ一つに対して、それぞれ細かくおびただしい数の印鑑を押す。法人が国や地方自治体に税金を払う時はもちろん、社員のあれこれも、例えば社員の誰かが結婚したり引っ越したりするだけでも印鑑を押しまくる。自分で会社をやってみてつくづくわかったが、とにかく捺印の数が膨大だ。

しかも、びっくりすることに、民間企業も市町村も、同じことをするために、それぞれがまったく違うフォーマットの書類に捺印を求めてくる。

こうして、大量な上にフォーマットがまったく違う書類を毎日渡されて、決められた位置に決められた種類の捺印をすることは、仮に契約書や書類の中身をまったくチェックしないで無責任に捺印したとしても、結構な時間を必要とする作業だ。

捺印にかける時間が惜しい

しかもうわの空で押していると、銀行印を押すべきところに代表印を押し間違えてしまったり、インクが簡単にかすれてしまったりするのが印鑑だ。人生において、こんな捺印ミスなどという程度のことで書類を作り直してもらう羽目になった回数を考えただけで、こんな単純な作業に失敗する情けなさとと、書類を作ってくれる従業員への申し訳なさで、どこかに隠れてしまいたい気持ちになる。

そう、僕は毎日、隠れてしまいたい気持ちになっているのだ。

なぜ、日本から印鑑はなくならないのか

我々の会社のように、たとえ社長だろうがあっちこっちに、営業に謝罪にと、せわしなく飛び回わることで、なんとか会社の体を保っているような規模の企業の方が世の中には多いと思う。そんな"貧乏暇なし社長”がこの捺印という物理的作業に忙殺される時間というのは、正直いって無駄以外の何物でもない。

にもかかわらず印鑑を押すという文化が日本に残っているのは「捺印するという作業」は、誰かに頼めてしまうからなのだと思う。多くの会社において「捺印をし続けるという作業」を自分でやっている社長はあまり居ないのかもしれず、ここが、すべて自ら書かなければいけないサインとの最大の違いなのだろう。

ちなみに、僕の場合は「捺印をし続けるという作業」だけを人に頼むような仕事の依頼の仕方は好みではないので、あちこちに会社を立ち上げては、担当者に「代表取締役」の役職ごと譲るようにしている。

海外の「サイン文化」は印鑑以上に面倒?

冒頭にも書いたが、僕は日本以外の3カ国でも会社を経営している。言うまでもなく日本以外の国は、承認の証としては「サイン」が一般的だ。

日本の会社同士の契約書の場合は、代表者の名前の脇に代表印と社印を、契約書を閉じた裏面に割印を一カ所押す形式であることが多い。つまり、二者間の契約であれば、先方用の契約書と当方用の契約書をあわせて、計4カ所の代表印と計2カ所の社印を押せばよい。

ところが、海外の契約書は、すべてのページにサインをしなければならない。海外の契約書は「実際にそんなことは起きないって」ってくらい、ありとあらゆる場面を想定した契約書になっていることが多く、とにかく契約書が長い。

感覚として、同じような内容の契約をするのに、日本の会社同士の契約の5倍~10倍のページ数になっても驚かない。

つまり、ちょっとした契約書でも軽く100ページを超えてくるわけだが、このすべてのページに手書きでサインをすることを想像して欲しい。契約書の中身を読んでただただサインを書き続けていると、「こんな作業に時間を使い続けてていいのだろうか」という自問の気持ちが芽生えてくる。

その組織カルチャーの差、ハンコとサインの差が原因ですよ

言うまでもなく、サインは誰かに代わりに書いてもらうことはできない。では、サインを書く物理的な時間を減らすために、何が起こるのかというと、「権限委譲」が進むのである。

日本の会社だと当たり前のように社長の名前で締結する規模の契約でも、海外の会社だと担当部長あたりの名前で契約を締結してくる。

もしかしたら、日本の会社のカルチャーだとそれは失礼なことに当たるのかもしれないが、サインを前提とした会社において、会社のすべての契約を社長名義で契約していたら、社長の一日は「サインを書く」という作業だけで終わってしまう。だから、どんどん権限委譲をしていくしかない。

日本の大企業の合意形成や意思決定のあり方を分析する文脈において、「日本の会社は権限委譲が進んでいない」とか、「プロジェクトごとの意思決定者の所在がよくわからないから、スピード感が遅くなってグローバル競争に負けてしまう」などという指摘を頻繁に見る。

特に近年流行りの「日本企業のホワイトカラーの生産性を高めましょう」という議論の多くでは、日本企業のこういった特殊性の原因を、日本人の歴史的・文化的背景や、国民性が理由であると結論づけている。

だからもっぱら、風通しがよく責任範囲が明確で、意思決定の早い会社にするために、せっせと組織構造をいじったり、管理職に研修をしたりと、コンサル屋さんが儲かるだけの努力に大きなお金を払うことになっているのだが、大きな効果が得られているようにみえない。

僕の考えは、特殊性の理由がちょっと違っていて、「その組織カルチャーの差って、捺印とサインの差が本質的な原因ですよ」と、わりと確信に近い自信を持っている。

捺印の作業だけを誰かに頼むのではなく、捺印をする権限ごとどんどん頼んでしまえばいい。ハンコにウンザリしている世の中の社長さん、そう思いません?

(藤田朋宏:ちとせグループ 創業者 兼 最高経営責任者)

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鋭すぎる言葉で物議を醸す「子供部屋おじさん」論議

2019.03.18

漫画家・コラムニスト カレー沢薫さんの社会派連載!

第32回は、実家暮らしの男性に降りかかる「子供部屋おじさん」論議について

「子供部屋おじさん」という言葉が注目されている。言葉自体は2014年あたりからあったそうだが、今また脚光を浴びているそうだ。

「○○おじさん」「○○おばさん」という呼称には、「アイカツおじさん」のように秀逸かつもはや「Sir」級の「称号」と言って良いものもあるが、大体が蔑称である。

その中でもこの「子供部屋おじさん」の蔑視ぶりたるや、である。意味はわからなくても本能で「馬鹿にされている」と察することができる。

「子供部屋おじさん」とはどんなおじさんを指すかというと、成人しても親元を離れず実家の「子供部屋」で暮らし続けるおじさんのことである。「パラサイトシングル」を、言われた相手の血管が切れるように魔改造した言葉だ。言葉としては「上手いこと言うな」と感嘆するしかない。

単に「実家住みのおじさん」という意味ではなく、「いい年をして親から自立せず、自分では何も出来ない、中身は子どものままのおじさん」という痛烈な批判が込められている。

この「子供部屋おじさん」は、ひきこもりやニートとは違い、仕事はちゃんとしている場合が多い。だが逆に「実家を出ようと思えば出られるのに出ない」という点が余計「甘え」と見なされ、ここまでの鬼煽りを食らう羽目になったとも言える。

このように世間からみっともないと思われがちな「実家住みの成人」だが、本当に彼らは社会の病巣であり、親から見れば寄生虫なのだろうか。

一人暮らしは今や「修行」かもしれない

子供部屋おじさん含むパラサイトシングルにも言い分はある。まず「実家から出るメリットが見いだせない」という理由だ。

実家が持ち家の場合、一人暮らしをするよりも実家住みの方が経済的には圧倒的有利だ。親側からしても、純粋に寄生されるのは厳しいが、生活費などを入れてもらえるなら、逆に助かるという場合もある。

また職場からの距離も実家から通った方が近いと言うなら、わざわざ経済的負担を負いながら、場合によっては遠距離通勤をする「一人暮らし」というのは「修行」という意味しかなく、昨今盛んに言われる「コスパ」「合理化」という観点から見ると「正気か」というような無駄でしかない。そのため、インフルエンサー的な人が一発「まだ一人暮らしで消耗してんの?」と言えば、容易に世論が傾いてしまいそうな気がする。

しかし「修行という意味しかない」と言っても、その「修行」に意味がないわけではない。一人暮らしが人間に自立と成長を促すのは確かである、自分のことは全て自分でやらなければいけないのだから当然だ。

逆に、衣食住が保証された実家で、お母さんにご飯と身の周りの世話を全部やってもらっていたら確かに子供となんら変わりないし、もし仮に結婚して家を出たとしても、今度は嫁に母親と同じことを求めるだろう。

結果として、「見た目は中年、中身は子供、価値観は団塊」というバランス感覚皆無の生物が爆誕することになりかねない。そういった意味では、いかに合理的でなかろうが、一人暮らしをする意味はあると言える。

だが、親の方が子どもに「実家にいてほしい」と望むケースもある。

前に「増加する共倒れ家庭」という、タイトルからして明るい要素皆無のテレビ番組を見たことがある。老齢一人暮らしの父親の元に、非正規雇用で自活できない息子が帰ってきて、そのせいで生活保護が打ち切られ、ますます困窮するというマジで暗い所しかない話だった。

しかし、父親の方が息子に対し「迷惑だから出て行ってほしい」と思っていたかというと、そうではなく「自分が老齢で何があるかわからないので居てほしい」と言っていたのだ。

このように、高齢の親からすれば、子供がいてくれるのは「安心」という面もある。ほかにも、介護のために実家に戻って来た者もいるのだから、一概に「子供部屋おじさん」とバカにすることはできない。

「子供部屋おじさん」がここまで燃える理由

そして、この「子供部屋おじさん」に今更激烈な反応が起こっているのは、「おじさん」と性別が限定されているからだろう。

当然「子供部屋おばさん」だって存在する。私も結婚して家を出るまで実家にいたし、成人すぎても小学校入学の時買ってもらった学習机を使っており、もちろん身の周りのことは母親を越えてババア殿にやってもらっていたという、どこに出しても恥ずかしくない「子供部屋おばさん」だった。親は私を家から出すのに相当勇気がいったと思う。

しかし、バカにされているのは専ら「子供部屋おじさん」の方で、言葉自体も「ブサイク」には「ブス」ほどの破壊力がないように、「おばさん」より「おじさん」の方がどう考えても「強く」感じる。

「子供部屋おばさん」にパンチが足りないのは言外に「女はまあ実家住みでもいいんじゃね?」という見逃しがあり、逆に男には「男のくせにいつまでも親の世話になってみっともない」という、男女差別があるせいではないだろうか。

ネットを開けば、ジェンダー問題で毎日ひとつは村が燃えている昨今である。「子供部屋おじさん」が、そっちの観点でアンコール炎上しても不思議ではない。

当然だが、一家の家計を支え、親の介護をしながら家事までやっている「子供部屋おじさん」もいれば、ろくに家に金もいれず、親に三食用意してもらっている「子供部屋おばさん」もいる。もちろんこれはおじさん・おばさんを入れ替えたって言えることだ。

男だから、女だから、で言い切りが出来ないように「実家暮らし」という属性一つでは何も断言することは出来ないのである。

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