カメラの沼へ

モトヤ入社後4年目ごろから、橋本さんは写真製版も兼任するようになった。写真製版といっても、扱うのは風景や人物の写真などではなく、あくまでも文字だ。

紙に描いた原字は、ベントン彫刻機での彫刻用の型にするため、亜鉛板に焼きつけ腐食して、パターンと呼ばれる凹型にする。モトヤでは、最初はパターン製作を外注していたが、これを社内でおこなうようになった。橋本さんは写真製版技師の助手として、午前中は原字、午後は写真製版で仕事をすることになった。1957年(昭和32)ごろのことだ。

「写真技師の方はひとりいらしたんですが、製版の仕事はただ写真をパチッと撮って終わりではなく、ガラス板を洗ったりなんだと、やることはいろいろあるから、ひとりではできない。そこで、まだ22歳ぐらいの若手だったぼくが兼任することになりました」

ところが、これが運命の出会いとなった。 「写真に興味をもってしまったんです」

橋本さんの興味は、カメラへと向かった。当時カメラはまだ高級品で、なかなか手が届かなかったが、自分のためにはじめて買ったカメラは「リコーフレックス」という二眼レフだった。上と下にレンズがあり、下を合わせると上のピントも合うという連動式のカメラで、一生懸命お金をためて買った。

「やり始めると、写真も奥が深い。当時通っていた大阪の書道教室は、漢字と仮名の基本を習得したので、3年ぐらいで辞めてしまった。それで今度は、写真がぼくの趣味になりました」

自身が撮った写真をまとめたフォトブックを見せてくれる橋本さん

「興味をもつと、とことん」なのが橋本さんだ。カメラや道具を一式そろえ、撮影会にも足を運ぶようになった。自宅に暗室までつくってしまう凝りようだった。カメラのこと、写真製版のことをもっと知りたくなり、本で勉強しているうちに、その言葉と出会った。

「写真植字(しゃしんしょくじ)」 ――写植である。

「当時は印刷年鑑みたいなものを読んで、最新の技術を覚えました。写真製版のことを勉強しようと思って読んでいたら『写真植字』という言葉を見つけて、『へえ、写真か』と思った。写真の技術を応用して組版する、写真植字というシステムがある、という記事でした。写真植字機は日本の石井茂吉さんが森澤信夫さんと共同で発明したものと知り、興味がわきました」

ベントン彫刻機を介して紙に描いた原字を金属活字にする方法では、その工程ごとにすこしずつ誤差が生じ、文字が太っていってしまう。しかし写真植字は、原字を撮影したネガを印画紙に焼きつけて印字するという。それは要するに、原字そのままの文字を再現できるということだと思った。

そのころ、あたらしい「パンチ母型」という打込み式の母型が日本語でも製作可能になり、ベントン彫刻機による彫刻母型の製作は頭打ちになってきていた。やがて、新人や女性が原字課に増員されたこともあり、橋本さんは写真製版部門に完全に異動した。

「そのうち、二番目の兄の友達が写植機メーカーの写研に勤めていることがわかったんです。そのひとはもともと凸版印刷に勤めていたのが、これからは写植だといって写研に移籍していた。兄貴がそのひとに『うちの弟、モトヤで活字のデザインや写真製版をやってるんだよ』と話し、それをそのひとが写研東京本社で話したらしいんです」

これが、橋本さんと写植機メーカー・写研とをつなぐ出会いとなった。

写真コンテストで獲得した盾やトロフィーの数々

(つづく)

話し手 プロフィール

 

橋本和夫(はしもと・かずお)
書体設計士。イワタ顧問。1935年2月、大阪生まれ。1954年6月、活字製造販売会社・モトヤに入社。太佐源三氏のもと、ベントン彫刻機用の原字制作にたずさわる。1959年5月、写真植字機の大手メーカー・写研に入社。創業者・石井茂吉氏監修のもと、石井宋朝体の原字を制作。1963年に石井氏が亡くなった後は同社文字部のチーフとして、1990年代まで写研で制作発売されたほとんどすべての書体の監修にあたる。1995年8月、写研を退職。フリーランス期間を経て、1998年頃よりフォントメーカー・イワタにおいてデジタルフォントの書体監修・デザインにたずさわるようになり、同社顧問に。現在に至る。

著者 プロフィール

 

雪 朱里(ゆき・あかり)
ライター、編集者。1971年生まれ。写植からDTPへの移行期に印刷会社に在籍後、ビジネス系専門誌の編集長を経て、2000年よりフリーランス。文字、デザイン、印刷、手仕事などの分野で取材執筆活動をおこなう。著書に『描き文字のデザイン』『もじ部 書体デザイナーに聞くデザインの背景・フォント選びと使い方のコツ』(グラフィック社)、『文字をつくる 9人の書体デザイナー』(誠文堂新光社)、『活字地金彫刻師 清水金之助』(清水金之助の本をつくる会)、編集担当書籍に『ぼくのつくった書体の話 活字と写植、そして小塚書体のデザイン』(小塚昌彦著、グラフィック社)ほか多数。『デザインのひきだし』誌(グラフィック社)レギュラー編集者もつとめる。

■本連載は隔週掲載です。

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第8回 写植へのいざない

NewsInsight 更新終了のお知らせ

NewsInsight 更新終了のお知らせ

2019.06.17

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○森口将之のカーデザイン解体新書
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○ゲームとともに振り返る“平成”という時代
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○岡安学の「eスポーツ観戦記」
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○企業戦士に贈る「こむぎのことば」
https://news.mynavi.jp/series/komuginokotoba

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○「食べる」をつくる科学と心理
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○阿久津良和のITビジネス超前線
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○モノのデザイン
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○知って納得、ケータイ業界の"なぜ"
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○文具ソムリエール・菅未里の「新しいコンパス」
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○活字・写植・フォントのデザインの歴史 - 書体設計士・橋本和夫に聞く
https://news.mynavi.jp/series/font-history

○カレー沢薫の時流漂流
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最後になりますが、改めて皆様に感謝いたしますとともに、引き続き、マイナビニュースにてご愛顧いただけましたら幸いです。

放置されていた不寛容? 国会まで届いた「パンプス強要」騒動

カレー沢薫の時流漂流 第47回

放置されていた不寛容? 国会まで届いた「パンプス強要」騒動

2019.06.17

最近女性の間で「#MeToo」ならぬ「#KuToo」運動がにわかに盛り上がっている。

「#KuToo」とは「靴」と「苦痛」をかけており、職場や就職活動で、足を痛めるパンプスやヒール靴の強要をやめようという運動である。

そもそもそんなの誰も強要してねえよ、と思われるかもしれない。確かに規定として靴の形状やかかとの高さまで定めている会社はレアだろう。しかし、私の元いた会社でも、規則があるわけでも、誰に言われたでもなく、みな一様に黒のパンプスを履いていた。それが「暗黙のルール」であり、それ以外は「非常識」と見られる風潮は確かにあるのである。

これが就職活動になると、パンプスを履いていないだけで「こいつは常識がない」と見なされ不採用になってしまうかもしれない、ということだ。そうなると女子学生は足を負傷してでもパンプスを履かざるを得なくなってしまう。

正直、パンプスは苦痛

パンプスがそんなに苦痛か、というと、靴の中では殺傷能力が高い方である。これは他人への、という意味ではなく自分へのだ。他人を殺傷したいならカウボーイが履いている、かかとにピザカッターがついている奴を履いた方が良い。

狭いつま先に足の指が密集されるため、私もよく爪で隣の指を切って足を血だらけにしていたし、伸縮性にかける素材のため、あわないパンプスだと試着の時点で靴擦れが出来るレベルなのだ。

世の中には素肌に荒縄で亀甲縛りを施し、その上に上等なスーツを羽織って出社している人も多いと思う。とても痛いだろうが、それは強制されたわけではなく、その人が好きで楽しいからやっているのだ。

つまり、好きでもない上にとても痛いパンプスを強制で履かなければいけないというのは、上等なスーツの下が亀甲縛りなことよりも「異常」なことというわけだ。

この運動はすぐに広まり、いきなり国会でも議論されたという。これにより「厚労相がハイヒール強要を容認」という見出しのニュースまで踊り出ることになった。

完全に自由と言われても困るのでは?

「厚生省に、女がハイヒールを履かないと死ぬ病の人が!?」と驚いたが、記事をよく見ると見出しほどのことはなく、厚労相の発言は「これは社会通念に照らして業務上、必要かつ相等な範囲かと、この辺なんだろうと思います」というかなりボンヤリしたものであり、どっちでも良い事を聞かれた私のリアクションに似ている。

しかし「ハイヒールが履けない女は何やってもダメ」などと強い事を言っているわけではないが、「業務上必要ならパンプス履くべきだろ」という「容認」に聞こえなくもない。すぐさま「業務上ハイヒールが必要な仕事って何だよ」という疑問が挙がり、「SMの女王様」「(ハイヒールでキレッキレに踊る)perfume以外ありえない」などの声が相次いだ。

この社会問題がすぐ大喜利になってしまうのは良くも悪くも「ザ・ツイッター」という感じだ。

確かに「業務上必要」となると、まだかかとにピザカッターがついている靴の方が「ピザを食う時」必要な気がする。

ただ、靴や服装を完全に自由化し、何でもOKにすれば良いかというと、それはそれで問題が起きると思う。ファッションに疎くコーディネートが苦手な人間からすれば、職場に何を着ていいのか全く「指針」がないというのは迷子になるし、接する側としても、車を買いにいってディーラーが、イモ―タンジョ―の完コスで出てきたら「キャデラックしか買うことを許されないのか」と委縮してしまう。就活マナー本に「俺の考えた最強の就活ファッションで挑みましょう」とだけ書かれていても逆に困るだろう

着る側としても、それに接する側としても、社会において服装にある程度規定や模範があるというのはメリットでもあるのだ。

そもそも規定や常識というのは、秩序を作ることにより問題を減らすためにあるものなのだ。しかしそれが元で「足を負傷する」という「問題」が起こっているなら本末転倒なので、やはり解消はすべきなのだろう。

極論に流れない寛容さが足りない

おそらく「#KuToo」を提唱している人も「ドラゴン柄のコンバースで就活したい」と言っているわけではないのだ。最近は「パンプスに見えるスニーカー」なども存在するし、パンプスでなくても地味な靴はいくらでもある。そのような靴を履いていても「パンプスじゃないから非常識」と見るのをやめてほしいという話だろう。

ちなみに私が会社員時代履いていたパンプスだが、黒の革靴ではあったが、つま先は限りなく丸く、ヒールはなきに等しい、今思えばあれはパンプスだったのか、70過ぎのババアが旅行に行くときに履くヤツなんじゃないか、という代物であったが、特に何も言われなかった。

「#KuToo」が求めるのも、そのぐらいの「寛容さ」なのではないだろうか。

【お知らせ】
連載「カレー沢薫の時流漂流」の掲載場所を変更します。
→ 新しい掲載場所はこちら https://news.mynavi.jp/series/jiryu_hyoryu