“つながるクルマ”で何が変わる? モビリティ×コミュニティの未来

清水和夫の自動運転ソシオロジー 第13回

“つながるクルマ”で何が変わる? モビリティ×コミュニティの未来

2018.05.21

自動車業界を激変させるトレンドとして、Connected(つながるクルマ)、Autonomous(自動運転)、Shared & Service(カーシェアリングなど)、Electric Drive(クルマの電動化)の頭文字をとった「CASE」というキーワードが世界中を席巻している。これは2016年のパリモーターショーでダイムラーのディーター・ツェッチェ社長が発言した言葉だが、実は「C」のコネクティビティについては、日本が先進国といえる。

5Gで一変するクルマのコネクティビティ

私が『ITSの思想』を出版したのは2005年だが、その頃の日本ではすでにETCが導入されていて、2012年にはETCの普及状況が4,000万台を超えていた。クルマとインフラがつながった電子料金収受システム、いわゆる路車間通信(VtoI:Vehicle to Infrastructure)はこれだけ発達していたが、当時はそれをコネクティビティと呼ばなかっただけだ。カーナビ、VICS(Vehicle Information and Communication System)情報、光ビーコンの交通道路情報などにも同じことがいえる。

このコネクティビティの意味を、これからの時代を踏まえてもう少し考えてみたい。まず、2020年頃に次世代移動通信の5Gが実用化されると、約2時間の映画が数十秒程度でダウンロードできる高速大容量時代となる。

クルマには数多くのセンサーがあり、ミリ波・カメラ・超音波などをセンシングすることで自動運転も可能となるが、そのデータは膨大だ。1秒間走っただけで、何ギガバイトというデータを取ってしまう。それを自身の自動運転だけに使うのではなく、クラウドを介して5Gでサーバーにアップロードする。

たくさんのクルマがセンサーで得た情報をビッグデータとして活用すれば、カーナビの渋滞情報などは精度が向上するはずだ(画像はトヨタ「プリウスPHV」の縦型センターディスプレイ)

これまで、ビッグデータの処理は困難を極めていたが、AIと機械学習により有効なデータのみを抜き出して、再びクラウド経由でクルマに返すことができるようになる。クルマ同士がつながるだけでなく、クルマの外側にいるAIともつながりながら、自動運転の技術がますますソフィスティケイトされていくわけだ。コネクティビティは、よりインテリジェントでスマートな社会を実現する鍵といえる。

モビリティの進化が生む古くて新しいコミュニティ

AIの進化によって、私たちの移動やライフスタイルのパターンが、ある程度は予測できるようになる。人々は何月何日にどういう移動をしているか。目的地に何があるのか。反対に、どういうイベントがあれば、人々はどう移動するのか。そういったことが見通せる時代になるのだ。

移動手段としてのテクノロジーはあくまでツールであり、その先にあるものこそが本当のゴールだといえる。春になれば桜の名所に大勢が集まるが、あえて散り際の桜吹雪を見に行く人もいるかもしれない。経験値として知っていた移動の楽しみ方をきっかけに、人々同士がつながっていく。そのモビリティ社会の先に生まれるものを、私はコミュニティだと考える。

今の若い世代にとって、コミュニティという単位は非常に重要で、彼らは個々をつなぐハブとしてスマートフォンやSNSを駆使している。モビリティも同様で、クルマを移動手段としては捉えない。テクノロジーに対する価値観が、世代ごとに変容してきている。

人と人とのふれあいの間にモビリティが介在すると、それをきっかけにコミュニティが多様化し、新しいムーブメントが次々に巻き起こる時代がやってくる。新しいといっても、日本には古来から長屋や祭りなど、人々のつながりを大切にする文化が強く根づいていた。コミュニティが受容される風土や素地を持つ日本では、これからの時代に即した豊かさの価値が生まれてくるはずだ。

クルマを単なる移動手段とは捉えない世代に何で訴求するかは、自動車メーカー各社が取り組むべき課題かもしれない(画像は2017年の東京モーターショーで撮影した「smart vision EQ fortwo」)

自動運転のダイバーシティを考える

時代のニーズに応えるには、単一のプラットフォームを深掘りするモノカルチャーでは力不足だろう。欧州では人種から業種まで、ダイバーシティ(多様性)の考え方を取り入れている国が多い。日本が見習わなくてはならない点だ。人々がモビリティに求めるものは多様化し、地域社会にいくほどハードルも高くなるわけだが、それは裏を返せば、モビリティには社会全体を変える力がある、ということだとも思える。

自動運転など、さまざまな分野で取り組みが進む内閣府の戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)は、2018年で5年目となる。この間、スタート時は夢物語だった構想が続々と実現可能性を帯び始めており、次にはエネルギーがつながる時代が到来しそうだ。スマートモビリティ社会やバーチャルプラントと呼ばれる構想では、情報、エネルギー、モビリティがグリッドでつながり、社会全体がよりスマートに、より低炭素化して、事故のないゼロクラッシュ・ゼロエミッションの方向にシフトしていく。

テクノロジーの進化だけでなく、軸にはコミュニティをきちんと据えなければいけない。人々の実感として生活が豊かに楽になった、移動が快適になったと思える社会を作るには、社会インフラや都市のデザインそのものを変える必要があるだろう。

エンジニアの力がモビリティの新時代を拓く

個人と社会との関係は、時代とともに変容している。個人が集まって社会をつくっているという考えから、社会があるからこそ個人がいきいきと生活できるという考え方に変えてみると、「社会が個人に何をしてくれるのか」ではなく、「個人が社会に対してできることは何か」という視点が、コネクティビティやイノベーションにとって重要になる。政府や企業がどこまでやるのかではなく、市民が「こうしたい」という自分の意志を持って実現する社会。それは企業も同様で、一人一人の若い力をどう経営にいかせるかが問われる。

自動車業界においては、根源的で普遍的な安全性へのニーズに向けて、ハードウェアはハードウェアとして、進化の高みを目指さなければいけない。そこに知能が搭載されたとき、ソフトウェアのエンジニアはハードウェアのポテンシャルを無限に拡張させる力を持つことになる。これからのクルマでは、ハードかソフトかという議論はもう終わりにして、さらに大きな価値を生み出すために融合する、つまりはハードとソフトがシェアリングする時代になるということだ。

クルマづくりにおいて、ハードかソフトかの議論は終わりを迎えるかもしれない(画像はトヨタの「e-Palette Concept」、提供:トヨタ自動車)

テクノロジーの進化により、クラウドを介して人々の思考がビックデータとして積まれていき、社会がコミュニティ化されていく。それを仲介するクルマは単なる乗り物から、社会を変える力へと姿を変える。老若男女のニーズを汲み上げた先にコミュニティが生まれ、クルマはそれらをつなぐインターフェースのような存在になっていくだろう。自動車業界のソフトウェア開発が未来へ加速していく今、自動運転のメインストリームの先頭に立ち、未来を切り拓いているエンジニアの方々の活躍に大いに期待したい。

著者プロフィール


清水和夫(しみず・かずお)
1954年、東京都生まれ。武蔵工業大学電子通信工学科卒業。1972年のラリーデビュー以来、国内外の耐久レースで活躍する一方、モータージャーナリストとして活動を始める。自動車の運動理論や安全性能を専門とするが、環境問題、都市交通問題についても精通。著書は日本放送出版協会『クルマ安全学のすすめ』『ITSの思想』『燃料電池とは何か』、ダイヤモンド社『ディーゼルこそが地球を救う』など多数。
内閣府SIP自動走行推進委員の構成員でもある

NewsInsight 更新終了のお知らせ

NewsInsight 更新終了のお知らせ

2019.06.17

NewsInsightは、諸般の事情により記事更新を終了いたします。

ご愛顧いただいた読者の皆様、また関係者の皆様に、編集部一同、誠に感謝いたします。

なお、NewsInsightに掲載中の記事につきましては、引き続きマイナビニュース(https://news.mynavi.jp)へと掲載場所を移管いたします。

掲載中の連載記事につきましても同様に、マイナビニュースへ移管いたします。各連載記事の新しい掲載URLにつきましては、以下となります。

○安東弘樹のクルマ向上委員会!
https://news.mynavi.jp/series/andy

○森口将之のカーデザイン解体新書
https://news.mynavi.jp/series/cardesign

○清水和夫の自動運転ソシオロジー
https://news.mynavi.jp/series/autonomous_car

○ゲームとともに振り返る“平成”という時代
https://news.mynavi.jp/series/game_heisei

○岡安学の「eスポーツ観戦記」
https://news.mynavi.jp/series/e-Sports_review

○企業戦士に贈る「こむぎのことば」
https://news.mynavi.jp/series/komuginokotoba

○藤田朋宏の必殺仕分け人
https://news.mynavi.jp/series/shiwakenin

○「食べる」をつくる科学と心理
https://news.mynavi.jp/series/food_science

○阿久津良和のITビジネス超前線
https://news.mynavi.jp/series/itbiz

○山下洋一のfilm@11
https://news.mynavi.jp/series/filmat11

○モノのデザイン
https://news.mynavi.jp/series/designofthings

○知って納得、ケータイ業界の"なぜ"
https://news.mynavi.jp/series/mobile_business

○文具ソムリエール・菅未里の「新しいコンパス」
https://news.mynavi.jp/series/bungu

○活字・写植・フォントのデザインの歴史 - 書体設計士・橋本和夫に聞く
https://news.mynavi.jp/series/font-history

○カレー沢薫の時流漂流
https://news.mynavi.jp/series/jiryu_hyoryu

最後になりますが、改めて皆様に感謝いたしますとともに、引き続き、マイナビニュースにてご愛顧いただけましたら幸いです。

放置されていた不寛容? 国会まで届いた「パンプス強要」騒動

カレー沢薫の時流漂流 第47回

放置されていた不寛容? 国会まで届いた「パンプス強要」騒動

2019.06.17

最近女性の間で「#MeToo」ならぬ「#KuToo」運動がにわかに盛り上がっている。

「#KuToo」とは「靴」と「苦痛」をかけており、職場や就職活動で、足を痛めるパンプスやヒール靴の強要をやめようという運動である。

そもそもそんなの誰も強要してねえよ、と思われるかもしれない。確かに規定として靴の形状やかかとの高さまで定めている会社はレアだろう。しかし、私の元いた会社でも、規則があるわけでも、誰に言われたでもなく、みな一様に黒のパンプスを履いていた。それが「暗黙のルール」であり、それ以外は「非常識」と見られる風潮は確かにあるのである。

これが就職活動になると、パンプスを履いていないだけで「こいつは常識がない」と見なされ不採用になってしまうかもしれない、ということだ。そうなると女子学生は足を負傷してでもパンプスを履かざるを得なくなってしまう。

正直、パンプスは苦痛

パンプスがそんなに苦痛か、というと、靴の中では殺傷能力が高い方である。これは他人への、という意味ではなく自分へのだ。他人を殺傷したいならカウボーイが履いている、かかとにピザカッターがついている奴を履いた方が良い。

狭いつま先に足の指が密集されるため、私もよく爪で隣の指を切って足を血だらけにしていたし、伸縮性にかける素材のため、あわないパンプスだと試着の時点で靴擦れが出来るレベルなのだ。

世の中には素肌に荒縄で亀甲縛りを施し、その上に上等なスーツを羽織って出社している人も多いと思う。とても痛いだろうが、それは強制されたわけではなく、その人が好きで楽しいからやっているのだ。

つまり、好きでもない上にとても痛いパンプスを強制で履かなければいけないというのは、上等なスーツの下が亀甲縛りなことよりも「異常」なことというわけだ。

この運動はすぐに広まり、いきなり国会でも議論されたという。これにより「厚労相がハイヒール強要を容認」という見出しのニュースまで踊り出ることになった。

完全に自由と言われても困るのでは?

「厚生省に、女がハイヒールを履かないと死ぬ病の人が!?」と驚いたが、記事をよく見ると見出しほどのことはなく、厚労相の発言は「これは社会通念に照らして業務上、必要かつ相等な範囲かと、この辺なんだろうと思います」というかなりボンヤリしたものであり、どっちでも良い事を聞かれた私のリアクションに似ている。

しかし「ハイヒールが履けない女は何やってもダメ」などと強い事を言っているわけではないが、「業務上必要ならパンプス履くべきだろ」という「容認」に聞こえなくもない。すぐさま「業務上ハイヒールが必要な仕事って何だよ」という疑問が挙がり、「SMの女王様」「(ハイヒールでキレッキレに踊る)perfume以外ありえない」などの声が相次いだ。

この社会問題がすぐ大喜利になってしまうのは良くも悪くも「ザ・ツイッター」という感じだ。

確かに「業務上必要」となると、まだかかとにピザカッターがついている靴の方が「ピザを食う時」必要な気がする。

ただ、靴や服装を完全に自由化し、何でもOKにすれば良いかというと、それはそれで問題が起きると思う。ファッションに疎くコーディネートが苦手な人間からすれば、職場に何を着ていいのか全く「指針」がないというのは迷子になるし、接する側としても、車を買いにいってディーラーが、イモ―タンジョ―の完コスで出てきたら「キャデラックしか買うことを許されないのか」と委縮してしまう。就活マナー本に「俺の考えた最強の就活ファッションで挑みましょう」とだけ書かれていても逆に困るだろう

着る側としても、それに接する側としても、社会において服装にある程度規定や模範があるというのはメリットでもあるのだ。

そもそも規定や常識というのは、秩序を作ることにより問題を減らすためにあるものなのだ。しかしそれが元で「足を負傷する」という「問題」が起こっているなら本末転倒なので、やはり解消はすべきなのだろう。

極論に流れない寛容さが足りない

おそらく「#KuToo」を提唱している人も「ドラゴン柄のコンバースで就活したい」と言っているわけではないのだ。最近は「パンプスに見えるスニーカー」なども存在するし、パンプスでなくても地味な靴はいくらでもある。そのような靴を履いていても「パンプスじゃないから非常識」と見るのをやめてほしいという話だろう。

ちなみに私が会社員時代履いていたパンプスだが、黒の革靴ではあったが、つま先は限りなく丸く、ヒールはなきに等しい、今思えばあれはパンプスだったのか、70過ぎのババアが旅行に行くときに履くヤツなんじゃないか、という代物であったが、特に何も言われなかった。

「#KuToo」が求めるのも、そのぐらいの「寛容さ」なのではないだろうか。

【お知らせ】
連載「カレー沢薫の時流漂流」の掲載場所を変更します。
→ 新しい掲載場所はこちら https://news.mynavi.jp/series/jiryu_hyoryu