けん玉がITと出会って、想像以上にスゴかった話

先鋭ベンチャー LOCK ON! 第5回

けん玉がITと出会って、想像以上にスゴかった話

対戦やシューティングゲームまでできる「けん玉」

モノとインターネットをつなぐ“IoT“が、いよいよ本気を出してきた。「スマートスピーカーに語りかければ、好みの動画や音楽が再生できる」「外にいながらスマホで、エアコンなどの家電がカンタンに操作できる」といったIot製品やサービスが数多く登場。人々の利便性と期待感を、ぐぐっと押し上げはじめているからだ。

もっとも「電玉」が、今春発売したIoT機器には、そうした“利便性”はあまりない。ただ、その分、ワクワクするような“期待感“は、ほかのIot製品よりずっとありそうだ。

株式会社電玉の大谷宣央代表。1983年生まれ。某大手メーカーを経て独立。けん玉をIoT化した「電玉」で、世界に挑む。「僕自身もけん玉は昔からやっていましたが、最近、デモをやる機会が増えて、ずっとうまくなりましたね(笑)」

何せ、同社がIoT化したのは、日本の伝統おもちゃ「けん玉」。そう。電子×けん玉で「電玉」というわけだ。

「見た目はよくあるけん玉ですが、3つの受け皿と尖った剣先の内側には、それぞれコイル状のセンサーがついているんですよ」と、開発者で同社代表の大谷宣央さんは言う。

仕組みはこうだ。「電玉」のボディに、金属のメッキが施された玉が近づくと、周波数が変化する。それによってボディから玉の距離を即座に認識。さらにボディの内部にはジャイロセンサーや加速度センサーも内蔵されているため、「大皿にどんなタイミングでのったか」「大皿にのせたあと、剣先にうまく刺さったか」といった玉の動きはもちろん、けん玉の細かな角度まで、データとしてリアルタイムで分かるわけだ。

ようするに、「とめけん」や「日本一周」などのけん玉でどんなワザを繰り出して成功したか否かまでを、センシング技術で正確に瞬時に判別してくれるのである。

「この電玉の動きが通信モジュールでタブレットやスマホのアプリと連動させられる。だから、ネットを介して世界中のプレイヤーとワザを競い合う“対戦プレイ”ができたり、電玉をコントローラー代わりにした“けん玉のワザでマトを倒していくシューティングゲーム”などもできる。またAPIを公開して、いろんな個人や企業が電玉を使ったアプリを開発してもらうことを考えています」(大谷さん・以下同)。

そもそも、派手なトリックがいろいろできるけん玉が「KENDAMA」として、海外でも「クールな遊び」として今や世界大会が開かれるほどポピュラーになっているのは周知のとおりだ。けん玉の遊び方を拡張する「電玉」の登場が、この流れがさらに加速していくに違いない。

「もっとも……最初は、けん玉をIoT化しよう、なんていう発想はまったくなかった。『老人用の杖をIoTで作れないか』と考えていたんですよ(笑)」

公園のおじいちゃんへのヒアリングから生まれた。

1983年生まれの大谷さんは、小学生の頃からプログラミングで遊ぶようなエンジニア体質。複雑系ネットワークを学んだ後は、開発や企画などの仕事をしていた。

「ユニークな開発や企画などをさせてもらっていました。ただ一方で、会社の判断は常に慎重。なかなか手がけたプロジェクトがカタチにならないフラストレーションは、いつもありましたね」。

薄い紙も積み重ねれば、うず高くなるものだ。大谷さんは2015年、31歳で会社を退職。「自ら手がけたものを製品化して世に問いたい」というモチベーションを胸にあるハッカソンに参加した。時代は「IoT」という言葉がポピュラーになり始めた頃。そこに「高齢化」というマーケットのニーズを練り込もうとした。

「そこでハッカソンでは高齢者向けのITデバイスを考えた。『勝手に外に連れ出してくれる杖』のようなものを提案したんです」

最初のプレゼン、評判は想像以上に良くなかった。「危ないでしょ?」「実現性がないのでは?」「そもそもおもしろくないよね」。しかし、ITで高齢者の課題を何か解決したい…というコンセプトは間違ってないという声もあった。「それなら、実際のニーズを聞いてみよう!」。そう考えた大谷さんは、公園へ向かった。え、公園?

「上野にあるシニアがよく集まっている公園があって、でそこへ。『すいません…こんなものがあったらいいな、みたいなものあります?』と直球でヒアリングというか、世間話ですね(笑)」。

ここで聞こえてきた声がヒントになる。「孫たちともっと遊びたいけれど、今のゲームは難しい」「昔のおもちゃみたいなものだったら遊べるんだけれど…」。IT×伝統的なおもちゃの着想が、生まれた瞬間だった。

「シニア層も自然に楽しめて、子供たちもゲーム感覚で嬉々と遊べる。世代を超えて皆が楽しめるものがIT×伝統おもちゃでできそうだなと思いついた。コマや竹馬なんかもあるけれど、サイズ的にも気軽さからも『けん玉』がいいだろうなとそこまでは早かったですね。ただ…」

日本人ならほぼ誰しも一度は触ったことがあるようなおもちゃ。「すでにIoT化したけん玉を誰かが手がけているに違いない…」という危惧をいだいた。

これが「電玉」。一見、普通のけん玉に見えるが、中には加速度、ジャイロなどのセンサーとLEDや振動モーターなどがはいったIoT機器だ

「結論からいうと、ラッキーなことに誰も手がけていなかったんですけどね。そこで一気に企画を作り上げた。それを2回めのハッカソンで発表すると前回とは全く違う手応えを得ましたしね。これはイケる、とさらに確信しました」

しかし、走り始めると、“誰も手がけてなかった”理由が見えてきた。

ヒントになったのは空港にもあるアレだった。

ハッカソンでの提案に前後して、実はKDDIが支援するスタートアップ支援を受けられることになった。またハッカソンではプログラマーやデザイナーなどのスタッフとも出会うことにもなった。さらにクラウドファンディングで130万円ほどの資金を集められた。

順風満帆なまま、大谷さんは、2016年に株式会社電玉を創設。しかし、いよいよ「もの」をつくる段になり、悪戦苦闘がはじまった。

「考えてみたら当たり前なんですけどね。まず小さなボディにセンサーとバッテリーや回路をのせるのは極めて困難だった。そのうえガンガンと球をあてる遊びなので、衝撃に強い必要もある。そのうえで複雑なけん玉のワザを、しっかりと精緻にセンシングできるようにしなければならない……。とまあ、ようは『ああ、面倒だから誰も手がけられなかったんだな』と(笑)」。

例えば最初の頃は、フォトリフレクターという光を検知するしくみでセンシングする方法を社内メンバーで考えた。皿や剣先に球がのったり、刺さったりすれば、暗くなるので、その明暗の差で「のった」「刺さった」と検知できるからだ。

「ところが、当たり前ですがそれだと明るい場所じゃないと検知できない。しかもけん玉って、いろんな持ち方をして、皿の部分を思いっきりもって繰り出すワザもある。そもそも皿に乗せずに皿と皿の間の部分でとめるワザなどもある。光によるセンシングそのものが、もう使えないと考えた」。

電玉」と連動して遊べるアプリ画面。対戦やシューティングなどのゲーム要素はもちろん、着実に技を習得できる練習ツールによってアナログではできなかった「ワザの習得の見える化」を実現。けん玉プレイヤーの裾野のレベルアップにも貢献しそうだ

ただ、こうした技術的なハードルに即座に早めに気づき、次の一手を受けたことは電玉がうまくローンチできた大きな要因だった。後押ししたのは、得意の“ヒアリング”だった。試作段階で、「グローバルけん玉ネットワーク」というけん玉団体と知り合い、彼らからけん玉の様々なワザを教えてもらった。その結果、「皿をもってもワザが検知できる仕組みが不可欠」「けん玉の角度が測れないと意味がない」など、よりリアルな競技者の声を製品に落とし込めたからだ。

「彼らの声を聞くまでは、もっとメカ的なギミック。たとえば、対戦システムで相手がけん玉のワザに成功したら、相手のけん玉の大皿に磁石がついていて、皿にのらなくなる…とか。逆に何かアクションをしたら、ビタッ! と磁石で皿に球がすいつくような普通のけん玉ではありえないようなワザができたらおもしろい、という発想でいた。けれど、けん玉のプレイヤーにきくと『いや。そうではなく、今のけん玉のワザをまずしっかりとセンシングしてくれるほうが市場がひろがる』『すでにいる世界中のけん玉プレイヤーに響く』と。それはそうですよね」。

もっとも、当初の「磁石」の発想も、今に活きている。けん玉の皿に磁石のようなギミックをいれるため、皿の部分に電磁コイルを備え付ける発想は早くからあった。これそのものをセンサーとして利用できるのではないか、と繋がったからだ。

「空港にある『金属探知機』と同じです。金属が近づくと、電磁コイルが周波数が変化して分かる。『そうか、玉に金属をメッキすれば、できるな』って」

しっかりセンシングするほど玉の金属メッキができず時間がかかったり、センシングが温度に左右されて回路的な調整が必要であったり。あるいは大量生産のための工場を中国で見つけるも、最終的に品質面で折り合えず、急遽、国内生産に切り替えたり――と右往左往しながらも、2017年3月には正式リリースにこぎつけた。

クラウドファンディングに参加した方に配布は約束より数カ月遅れたが、けん玉は難度の高い技をクリアしたときこそ盛り上がるものだ。現在はアマゾンや家電量販店などを販路に、人気を博している。

「来年は世界大会を開催する予定。海外のプレイヤーからの注目は高いので、ここでブレイクしたらいいなと考えています」。

それだけじゃない。アプリのプログラム、電子部品の組み立て、3Dプリンタによる筐体づくり、さらには体を動かすゲームからの学び…など、電玉にはIoTや、これからのものづくりを学ぶための要素が凝縮されている。格好の教材だ。

「小中学校などの教育用途での展開も考えています。ついでに体も動かしますからね。フィットネスの分野でも楽しみながら体を鍛えるプログラムとして活用できるはず。シニアと子供たちのコミュニケーションがひろがれば…というアイデアからたどり着いた電玉。想像以上に可能性をひろげそうです」。

高齢者を外に連れ出すための杖――。そこから始めった発想が、“魔法の杖“のように世界を広げていく。電玉がワクワクさせるのは、きっともっとこれからだ。

「クラロワリーグ」プレイオフの波乱、大会システムもeスポーツ発展の課題か

「クラロワリーグ」プレイオフの波乱、大会システムもeスポーツ発展の課題か

2018.11.20

「クラロワリーグ アジア」のプレイオフが開催

世界一決定戦への出場権を手にしたのはどのチームか?

盛り上がりを見せる一方で、大会システムには疑問も

11月11日にお台場フジテレビの湾岸スタジオにて、「クラロワリーグ世界一決定戦」への出場権をかけた「クラロワリーグ アジア」のプレイオフが開催された。

波乱の展開を見せたプレイオフ

プレイオフには、「クラロワリーグ アジア」の地域で分けた3グループ(日本、韓国、東南アジア)のなかで、もっとも成績が優秀だった各1チームと、それぞれの地域で2番目に成績の良かった3チームがワイルドカードを争い、そこで勝ち抜けた1チームの合計4チームが出場する。

今回、日本からはPONOS Sports、韓国からはKING-ZONE DragonX、東南アジアからはBren Esports Sが1位通過し、ワイルドカード争いによって韓国のSANDBOXが出場した。

プレイオフ初戦の組み合わせは、抽選によって決められた。その結果、KING-ZONE DragonXとSANDBOXによる韓国勢が対戦し、PONOS SportsとBren Esportsが対戦。韓国対決を制したKING-ZONE DragonXと、日本のPONOS Sportsを破ったBren Esportsが決勝へコマを進めた。

日本代表のPONOS Sportsは、初戦2試合目の3ゲーム目に痛恨の反則負け。まさかのストレート負けを喫してしまう。クラロワリーグ世界一決定戦2018は、日本の幕張メッセで行われるので、開催国枠として、PONOS Sportsの出場は確定していたが、「プレイオフ初戦敗退」という結果で出場することは予想していなかった。

決勝では、KING-ZONE DragonXがBren Esportsを下し、見事、世界一決定戦への切符を獲得した。

プレイオフを制したKING-ZONE DragonX
開催国枠で世界一決定戦へ出場するPONOS Sports

疑問が残ったプレイオフのシステム

下馬評では圧倒的にPONOS Sports有利であったにも関わらず、こういった結果になるのはワンデイトーナメントならでは。ただ、そもそもプレイオフの出場に関するシステムには、疑問が残る結果だったと言えるのではないだろうか。

なぜなら、クラロワリーグ アジアのリーグ戦で、PONOS Sportsは11勝3敗という文句なしの成績で1位を獲得しており、東南アジアのBren Esportsも10勝4敗という好成績を残している。韓国1位のKING-ZONE DragonXは7勝7敗と5割の勝率だった。

東南アジア1位通過のBren Esports

日本、韓国、東南アジアで順位を分けているが、クラロワリーグ アジアでは、すべてのチームと総当たりで対戦し、同じ国や地域のチームのみ2回対戦する仕組みになっている。したがって、別の国や地域との対戦により、勝ち越すことなく1位になってしまうこともあり得るわけだ。

今回のクラロワリーグ アジアにおいて、韓国チームはいずれも振るわず、2位以下はすべて負け越している。ワイルドカード枠を獲得したSANDBOXは5勝9敗。この成績は日本で最下位だったDetonatioN Gamingや、東南アジアで最下位だったKIXと同じだ。クラロワリーグ アジア全体の順位で見てみるとPONOS Sportsが1位、Bren Esports 2位、KING-ZONE DragonXが6位タイ、SANDBOXが8位タイである。

東南アジア3位のAHQ ESPORTS CLUBは8勝6敗と、KING-ZONE DragonXよりも好成績を残している

やはり勝率5割で、リーグ戦順位が6位のチームがクラロワリーグ アジア代表として、世界一決定戦へ出場することに対して、違和感を覚えてしまうのは仕方ないだろう。

プロ野球のクライマックスシリーズでも、3位のチームが日本シリーズに出場することについては賛否両論があり、長年話し合われてきた事案だ。その結果、上位チームにアドバンテージをつけることで、とりあえずの折り合いが付けられている。

今回のプレイオフでは、上位チームにアドバンテージがなく、一発勝負だったのも、それまで戦ってきた3カ月間が水泡に帰するような印象を受ける。場合によってはSANDBOXが優勝することもあり、その場合は大幅に負け越したチームがアジア代表チームとなってしまうわけだ。

また、トーナメントの組み合わせは抽選により決定したのだが、こういったトーナメントの場合、初戦は1位通過のPONOS SportsとワイルドカードのSANDBOX、2位通過のBren Esportsと6位タイ通過のKING-ZONE DragonXの組み合わせになるのが一般的ではないだろうか。今回の組み合わせだと、初戦に事実上の決勝戦と言えるカードが発生してしまい、強豪がつぶし合うという結果にもなっている。4チームのトーナメントなので、今回はシードという概念はないのだが、強豪が初戦に当たらないように、シードによるブロック分けをするのは多くのスポーツや競技で使われている常套手段だ。

クラロワリーグは、アジア以外に、北米、欧州、ラテンアメリカ、中国の4つの地域でリーグが開催されている。すでに地域分けされているなか、クラロワリーグ アジア内で、さらに3つの地域に分ける必要はあったのだろうか。今回の結果はそこにも疑問が大きく残った。

リーグ戦での結果のみで出場権を与えるだけでも十分だという考えもある。ただ、プロ野球のクライマックスシリーズがそうであるように、プレイオフを実施することは、リーグ終盤の試合が消化試合にならなくなる施策でもあり、最後に盛り上がる山場を作れるという利点もあるのだ。したがって、プレイオフ自体を廃止する必要はないのだろうが、その出場資格においては、一考の余地があると思われる。

順当に考えれば、国や地域は関係なく、クラロワリーグ アジアのトータル順位1~3位がプレイオフ出場確定で、ワイルドカードをプレイオフ出場権のあるチームを除いた国や地域の最上位3チームによる争奪戦にすれば納得いくのではないだろうか。今回に限ってはPONOS Sportsが開催国枠で出場できることが確定していたので騒動にはならなかったが、他の国で開催され、アジアリーグで1位を取った日本のチームが出場権を獲得できなかったとなれば、騒ぎになってしまう可能性もあるだろう。

クラロワリーグは今年から始まったばかりで、まだいろいろな点で整っていないというのは十分わかる。ただ、今回のプレイオフの件は、システムを見直す良い機会となったのではないだろうか。次への糧とし、ファンにも選手にも納得のいくシステムの改善を期待したい。

明朝体でもゴシック体でもない書体

1969年(昭和44)、写研から「タイポス」という書体の文字盤が発売された。ひらがな、カタカナ、記号で構成された「かな書体」。桑山弥三郎氏、伊藤勝一氏、長田克巳氏、林隆男氏の4人による「グループ・タイポ」(*1)がデザインした書体である。

グループタイポ編『typo1〈普及版〉』表紙(グループタイポ/初版は1968年7月、普及版は1970年2月)

橋本さんは振り返る。

「写植が普及し、広告やポスターなどさまざまな媒体に使われるようになった昭和30~40年代、本文用の明朝体やゴシック体とは違う、新しい書体が求められるようになりました。そんななか、初めて登場した『新書体』がタイポスでした。発売されるや、爆発的に売れました」

タイポスは、時代にいくつもの新しい風を吹きこんだ書体だった。

まず1つ目に、そのデザインの新しさだ。タイポスは、明朝体とゴシック体のどちらでもない、その中間を目指してつくられた「ニュースタイル」の書体だった。(*2)

誕生のきっかけは1959年(昭和34)、武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)の3年生だった桑山弥三郎氏と伊藤勝一氏が、卒業制作でタイプフェイスデザインをやりたいと考えたことだった。

「美しい書体は読みやすさを生み出すと考え、かな特有の毛筆の流れをできるかぎり排除して、幾何学化、モダン化を図ろうとした」と、かつて桑山氏は語っている(*3)。

文字の骨格そのものを改革し、ふところを大きくして、明るい字面をつくった。かな特有の文字の曲線はできる限り水平垂直に近づけ、視線がスムーズに移動できるようにデザインされている。卒業制作としての発表はかなわなかったものの、桑山・伊藤両氏は卒業後さらに研究を続け、長田氏、林氏を加えてグループ・タイポを結成。1962年(昭和37)、第12回日宣美展に「日本字デザインの提案」として入選を果たしたのが、「タイポス」の誕生へとつながった。

「いままでの活字にはなかった書体をつくるということが、『タイポス』のデザインの前提にあったのだと思います。当初からファミリー展開することを考えて設計されたアドリアン・フルティガー氏による欧文書体Universのように、しっかりとした設計思想のもとでつくられていました」

数字で表す書体

1969年(昭和44)に写研から発売された「タイポス」は35、37、45、411の4種類だ。

「それまでウエイトを表していたL(細)やM(中)、B(太)のような概念的な言い方ではなく、タイポスは数字で表す書体でした。感覚的に書かれた文字ではなく、もっとデジタルっぽくつくられた書体なんです」

上から、タイポス35、タイポス37、タイポス45、タイポス411

タイポスの書体名についている数字は、横線と縦線の太さを表している。文字を入れる枠を100目のマスと考えたときに、「35」であれば横線3の縦線5、「37」なら横線3で縦線7、「45」は横線4で縦線5、そして「411」は横線4で縦線11というように、線の太さを表しているのだ。

アドリアン・フルティガー氏が欧文書体Universで「ファミリー」という考え方を書体デザインに打ち出したことに影響を受けながら、タイポスはそのさらに先を行くファミリー展開を考えた。

「ゴシックのように線幅が均一ではなく、明朝体のように横線が細くて縦線が太い。けれども、明朝体のようなウロコや打ち込みはない。むしろグループ・タイポは、明朝体やゴシック体のような既存の書体の枠を打ち破り、『タイポス』という提案そのものを認識させるための書体をつくったといえるのではないでしょうか。ニュースタイルのデザインで、既存の石井明朝体の漢字などと組み合わせると、おおきく印象が変わり、モダンな表情の組版になった。『タイポス』の登場以降、ニュースタイルの書体が次々と登場していきました。時代が変わるきっかけをつくった書体といっていいと思います」

写研の発行した書籍『文字に生きる』では「タイポス」の特徴を次のようにまとめている。

〈一、    従来の漢字とかなの大きさと比較して、かなが大きく、このため字間が均等となり、上下、左右のラインがそろって、きれいに見える。
〈二、    曲線をできるだけ垂直、水平な線に近づけた。このため、視線の移動がスムーズになる。
〈三、    毛筆のなごりである不必要なハネを取り除いた。このため、すなおな書体となった
〈四、    濁点の位置を一定にし、垂直にした。このため縦、横のラインを強めるのに役立っている。〉

文字を12のエレメント(=要素/てん、よこせん、たてせん、むすび、さげ、わ、まわり、あげ、はね、かえり、かぎ、まる)に分け、そのエレメントによる文字構成を示したのも新しい手法だった。

デザイナーが書体をデザインする時代へ

タイポスが吹きこんだ新しい風の2つ目は、「デザイナーがデザインした書体」であるということだ。タイポスの登場前、日本では、書体といえば活字書体で、「職人がつくるもの」だった。それが、デザイナーが設計したタイポスが登場し、注目を集めたことで、「日本語でも、新しい書体をデザインできるのだ」という意識を、デザイナーに芽生えさせることになった。

そして3つ目に、かな書体だったということ。(*4) 日本語で新しい書体をつくる場合、漢字まで含めると、少なくとも約3000字は必要とされた。金属活字でこれをつくる場合は、使用サイズすべての母型が必要だったため、つくらなくてはならない文字数はその数倍にふくれあがった。

写植機のレンズを通して文字を拡大縮小できる写植では、金属活字に比べれば新書体がつくりやすい状況ではあったが、それでも数千字である。けれども、両がなと記号だけであれば約150字程度で済む。しかも日本語では、文章の6割前後をかなが占めるため、ひらがなとカタカナのデザインが変わるだけで、紙面の印象を大きく変えることができた。

1972年(昭和47)には、石井ゴシックと組み合わせて使うことを想定した「タイポス」44、66、88、1212が発売された。社外のデザイナーがデザインした書体を写研が文字盤化し、写植書体として販売するという流れを最初に実現したのが「タイポス」だった。(つづく)

(注)
*1:グループ・タイポ:1959年(昭和34)、武蔵野美術学校の同級生だった桑山弥三郎氏(1938-2017)、伊藤勝一氏(1937-)、林隆男氏(1937-1994)、長田克巳氏(1937-)で結成。学生時代から開発していた「タイポス」が1969年(昭和44)写植文字盤として発売され、一世を風靡。1974年(昭和49)、有限会社に改組。2007年、桑山氏・伊藤氏のディレクションによって、タイポス漢字書体の原字をタイプバンクがデジタルデータ化。2008年、タイプバンクより「漢字タイポス」OpenTypeフォントが発売された。

*2:タイポスは、明朝体でもゴシック体でもないあるカテゴリーをつくった。カテゴリー名について、小塚昌彦氏はかつてこんなエピソードを書いている。
〈「タイポス」はタテとヨコの線幅(太さ)比を変えることによって、明朝風にもゴシック風にも展開できるが、もっぱらヨコが細くタテが太いものが多く使われていた。他にも同様なコンセプトの書体もかなり発表されたこともあり、在来のタイプフェイスのどこにも属さない、あるカテゴリーを作ったといえるのである。タイポグラフィ研究科、故佐藤敬之輔氏から「コントラスト体」ではどうかと提案があったこともあるが、未だ名案がないままになっている〉
(小塚昌彦「東西活字講座4 新しい時代へ」『たて組ヨコ組』No.23(モリサワ、1989) P.20

*3:筆者による桑山氏への聞き取りから(2008年9月5日)

*4: 2008年、タイプバンクより漢字も含む「漢字タイポス」OpenTypeフォントが発売された。

話し手 プロフィール

橋本和夫(はしもと・かずお)
書体設計士。イワタ顧問。1935年2月、大阪生まれ。1954年6月、活字製造販売会社・モトヤに入社。太佐源三氏のもと、ベントン彫刻機用の原字制作にたずさわる。1959年5月、写真植字機の大手メーカー・写研に入社。創業者・石井茂吉氏監修のもと、石井宋朝体の原字を制作。1963年に石井氏が亡くなった後は同社文字部のチーフとして、1990年代まで写研で制作発売されたほとんどすべての書体の監修にあたる。1995年8月、写研を退職。フリーランス期間を経て、1998年頃よりフォントメーカー・イワタにおいてデジタルフォントの書体監修・デザインにたずさわるようになり、同社顧問に。現在に至る。

著者 プロフィール

雪 朱里(ゆき・あかり)
ライター、編集者。1971年生まれ。写植からDTPへの移行期に印刷会社に在籍後、ビジネス系専門誌の編集長を経て、2000年よりフリーランス。文字、デザイン、印刷、手仕事などの分野で取材執筆活動をおこなう。著書に『描き文字のデザイン』『もじ部 書体デザイナーに聞くデザインの背景・フォント選びと使い方のコツ』(グラフィック社)、『文字をつくる 9人の書体デザイナー』(誠文堂新光社)、『活字地金彫刻師 清水金之助』(清水金之助の本をつくる会)、編集担当書籍に『ぼくのつくった書体の話 活字と写植、そして小塚書体のデザイン』(小塚昌彦著、グラフィック社)ほか多数。『デザインのひきだし』誌(グラフィック社)レギュラー編集者もつとめる。

■本連載は隔週掲載です。