“クルマ離れ”より厳しい状況は本当か、バイクの今と未来を考える

“クルマ離れ”より厳しい状況は本当か、バイクの今と未来を考える

2018.04.05

毎年3月、大阪と東京でモーターサイクルショーが開催される。クルマ以上にユーザー離れが激しいといわれる二輪業界だが、来場者数は少しずつではあるが増えている。海外事情やクルマ業界との違いを考えながら、「バイクの魅力とは何か?」をもう一度見つめ直してみた。

クルマ以上にユーザー離れが進んでいるといわれるバイク業界だが、その実態は(画像はカワサキモータースジャパンの「Z900RS CAFE」)

来場者と車両の距離が近いショーの姿

筆者はジャーナリストとしてはクルマがメインとなっているが、運転免許は四輪車より先に二輪車を取得しており、この仕事に関わる契機になった学生時代のアルバイトも、バイクの書籍の編集手伝いだった。

その後ももっぱら趣味として二輪車に接し続けているので、業界の動向も気になっている。クルマ以上にユーザー離れが厳しいといわれるバイクだが、人気は底を打って上昇に転じているように感じる。

それを実感する場の1つが、毎年3月に大阪と東京で開催される「モーターサイクルショー」だ。筆者は東京在住なので、東京ビッグサイトで開催される後者にここ数年通っているが、年々盛り上がりが高まり、しかも子供や女性など、来場者の層も幅広くなっていることを実感している。

東京モーターサイクルショーで盛り上がった東京ビックサイト。来場者の特徴の1つは“熱心”なことだろう

統計を見ると、予想は当たっていた。過去4年間の東京モーターサイクルショーの来場者は少しずつ増えており、今年は14万6,823人を記録していたのだ。開催が3日間であることを考えれば相応の集客力ではないだろうか。

モーターサイクルショーで毎回感じるのは、来場者と実車の距離の近さだ。多くの市販車に実際にまたがることができることが効いている。

会場では、実際にまたがってみる来場者の姿を多く見かけた。「ハンドルが拳1個分、奥だったら…」など、バイクの購入に向けて品定めをしているようなせりふも耳にした(画像は本田技研工業の「スーパーカブ C125」)

クルマが展示されるモーターショーも、市販車であればドアを開けて運転席に座ったりする機会はあるけれど、「またがる」という行為は密着度がはるかに上だし、エンジンやサスペンションといったメカニズムを間近に観察できるのもモーターサイクルショーならではだろう。

バイク乗りに厳しい日本の現状

バイクのユーザー離れはクルマ以上に厳しいと前に書いた。それは、クルマ以上に理由がたくさんあるからだ。筆者が考えるだけでも「3ない運動」「原付1種(50cc以下の第1種原動機付自転車)の道路交通法厳格化」「電動アシスト自転車の登場」「駐車取り締まりの激化」と4つが思い浮かぶ。

3ない運動は1970年代以降、事故減少や暴走族撲滅を狙って多くの高校で実施していた校則で、「免許を取らない」「買わない」「乗らない」という内容だった。二輪免許の取得可能年齢は16歳以上だが、これにより、事実上は四輪車と同じ18歳以上になり、バイクを体験しない人が多くなった。

若いうちにバイクを体験しづらい状況が日本にはある

原付1種は1986年、ヘルメットの着用と多くの交差点での2段階右折、つまり自転車と同じような右折方法が義務付けられた。ヘルメット着用は安全性を考えれば理解できるが、2段階右折は交差点通過に時間を要することになり、不便に感じた。

そして1993年になると、ヤマハ発動機が世界で初めて電動アシスト自転車を発売。時速24キロまでモーターがアシストすることにより得られる性能は、制限速度が時速30キロに据え置かれた原付1種と大差なく、しかもヘルメットなしで気軽に乗れることから、かなりのユーザーが移行した。

電動アシスト自転車の登場は原付1種にとって脅威だった(画像は本田技研工業「モンキー125」)

さらに21世紀になると、それまで路肩や歩道に気軽に停めていた車両を、警察庁が駐車違反として厳格に取り締まることになった。しかし当時、二輪車用の公共駐車場は皆無に近い状況。目的地でバイクを停められないとあっては乗ろうという気持ちにならず、バイクを手放す人が増えた。

世界で二輪車の売上高がもっとも大きいのは本田技研工業(ホンダ)であり、2位はヤマハだ。つまり、日本は産業面では二輪王国なのに、利用面ではむしろ冷遇に近い状況なのである。

機動性の高さから実用目的でバイクに乗る人々

筆者が訪れた海外の都市でここまでバイクに厳しいのは、エンジンで走る二輪車の走行が禁止されている中国の上海ぐらい。逆に、タイのバンコクやフランスのパリでは、驚くほど多くのバイクを見かける。

海外では多くのバイクを見かける(画像はドゥカティの「Panigale V4」)

道端で観察していると、メインは趣味ではなく、実用としてバイクに乗る人々であることに気付く。機動性を評価して選んでいるのだ。ゆえに、バイクタクシーなる交通手段もある。1~2人で移動するなら、道路占有面積がクルマより小さいので渋滞解消に寄与するし、地球温暖化防止にもなろう。

大都市で生活する人にとっては参考にしていいと思うこの考え方が、少しずつ日本にも浸透してきているような感じがする。ここ数年、日本で売り上げを伸ばしてきたのが51~125ccの原付2種であり、主力がスクーターだからだ。

50ccという排気量を現在も主力としているのは日本ぐらいで、グローバルでは125ccが主流だ。大量生産によるコスト低下も期待できることから、国内向け車種も充実しつつある。警察も原付2種の免許取得を容易にするなどしており、主力が50ccからこちらに移行しつつあるという流れだ。

グローバルでは125ccが主流だ(画像はプジョーの125ccモデル「DJANGO」)

その上の126~250cc、軽二輪(二輪の軽自動車)も底を打って伸びはじめた。四輪の軽自動車と違って車検がないことに加え、アジアでは上級車種になる本格的スポーツモデルが充実していることが魅力だ。

こちらには若いユーザーも注目しているようで、ホンダやヤマハのスポーツモデルのユーザーの中心は10~20歳代と、高齢化が懸念される近年のバイク市場では異例と呼べる結果を出している。

操る喜びを前面に、クルマに比べ割安なところも魅力

クルマのニューモデルの多くが電動化や自動化、情報機器化を前面に押し出し、走る楽しみが重視されなくなりつつある中で、バイクは今も、操る喜びを前面に押し出した車種が多い。これが新鮮に映っているのではないかという気もする。

しかも、高性能スポーツカーともなれば1,000万円以上が当然という四輪車に対し、二輪車で同等の加速性能を持つ車種ならば、10分の1くらいの価格で手に入るという割安感も魅力に数えられるだろう。

操る喜びを前面に押し出す車種の多さがバイクの特徴(画像はスズキ「SV650X ABS」)

スポーツカーとは違う日本VS欧州の図式

前述したように、産業としての二輪車では日本車が主役である。これが四輪車との状況の違いに結び付いていると思っている。

欧州のものづくりは付加価値を与えて高価格で販売するのが得意で、それがスポーツカーの世界にも反映している。一方の日本は、安くて壊れず高性能が持ち味。同じ価格で脅威的なパフォーマンスを実現し、世界を驚かせてきた。

世界で最初に時速200キロ、300キロを実現した二輪の市販車は、いずれも日本から出ている。300キロのときは欧州勢が脅威に感じ、危険という理由でこれ以上の高性能車の販売を認めないという姿勢に出てきた。

ちなみに四輪車では欧州が先に300キロを実現したが、彼らが危険性に言及したことはないし、日本が文句をつけたこともない。

欧州勢にとってみれば、これが結果的に自分たちのものづくりを制限することにつながった。日本車を超える高性能車を高価で販売するという、四輪車と同じ図式が描きにくくなったのだ。よって現在、多くの欧米ブランドは昔から使っているエンジン型式を核とした、味で勝負する車種が中心になっている。

バイクにおける日本メーカーと欧米勢の戦いも面白い(画像はトライアンフ・モーターサイクルの「ボンネビル ボバー ブラック」)

日本車と外国車が優劣を競わず良いすみ分けができているし、外国車であっても飛び抜けて高価な車種は少ないから、同列比較もできる。機動性にも長けているけれど、趣味的にも好ましい。それがバイクの世界なのではないかとモーターサイクルショーを見ながら感じた。

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2019.06.17

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放置されていた不寛容? 国会まで届いた「パンプス強要」騒動

カレー沢薫の時流漂流 第47回

放置されていた不寛容? 国会まで届いた「パンプス強要」騒動

2019.06.17

最近女性の間で「#MeToo」ならぬ「#KuToo」運動がにわかに盛り上がっている。

「#KuToo」とは「靴」と「苦痛」をかけており、職場や就職活動で、足を痛めるパンプスやヒール靴の強要をやめようという運動である。

そもそもそんなの誰も強要してねえよ、と思われるかもしれない。確かに規定として靴の形状やかかとの高さまで定めている会社はレアだろう。しかし、私の元いた会社でも、規則があるわけでも、誰に言われたでもなく、みな一様に黒のパンプスを履いていた。それが「暗黙のルール」であり、それ以外は「非常識」と見られる風潮は確かにあるのである。

これが就職活動になると、パンプスを履いていないだけで「こいつは常識がない」と見なされ不採用になってしまうかもしれない、ということだ。そうなると女子学生は足を負傷してでもパンプスを履かざるを得なくなってしまう。

正直、パンプスは苦痛

パンプスがそんなに苦痛か、というと、靴の中では殺傷能力が高い方である。これは他人への、という意味ではなく自分へのだ。他人を殺傷したいならカウボーイが履いている、かかとにピザカッターがついている奴を履いた方が良い。

狭いつま先に足の指が密集されるため、私もよく爪で隣の指を切って足を血だらけにしていたし、伸縮性にかける素材のため、あわないパンプスだと試着の時点で靴擦れが出来るレベルなのだ。

世の中には素肌に荒縄で亀甲縛りを施し、その上に上等なスーツを羽織って出社している人も多いと思う。とても痛いだろうが、それは強制されたわけではなく、その人が好きで楽しいからやっているのだ。

つまり、好きでもない上にとても痛いパンプスを強制で履かなければいけないというのは、上等なスーツの下が亀甲縛りなことよりも「異常」なことというわけだ。

この運動はすぐに広まり、いきなり国会でも議論されたという。これにより「厚労相がハイヒール強要を容認」という見出しのニュースまで踊り出ることになった。

完全に自由と言われても困るのでは?

「厚生省に、女がハイヒールを履かないと死ぬ病の人が!?」と驚いたが、記事をよく見ると見出しほどのことはなく、厚労相の発言は「これは社会通念に照らして業務上、必要かつ相等な範囲かと、この辺なんだろうと思います」というかなりボンヤリしたものであり、どっちでも良い事を聞かれた私のリアクションに似ている。

しかし「ハイヒールが履けない女は何やってもダメ」などと強い事を言っているわけではないが、「業務上必要ならパンプス履くべきだろ」という「容認」に聞こえなくもない。すぐさま「業務上ハイヒールが必要な仕事って何だよ」という疑問が挙がり、「SMの女王様」「(ハイヒールでキレッキレに踊る)perfume以外ありえない」などの声が相次いだ。

この社会問題がすぐ大喜利になってしまうのは良くも悪くも「ザ・ツイッター」という感じだ。

確かに「業務上必要」となると、まだかかとにピザカッターがついている靴の方が「ピザを食う時」必要な気がする。

ただ、靴や服装を完全に自由化し、何でもOKにすれば良いかというと、それはそれで問題が起きると思う。ファッションに疎くコーディネートが苦手な人間からすれば、職場に何を着ていいのか全く「指針」がないというのは迷子になるし、接する側としても、車を買いにいってディーラーが、イモ―タンジョ―の完コスで出てきたら「キャデラックしか買うことを許されないのか」と委縮してしまう。就活マナー本に「俺の考えた最強の就活ファッションで挑みましょう」とだけ書かれていても逆に困るだろう

着る側としても、それに接する側としても、社会において服装にある程度規定や模範があるというのはメリットでもあるのだ。

そもそも規定や常識というのは、秩序を作ることにより問題を減らすためにあるものなのだ。しかしそれが元で「足を負傷する」という「問題」が起こっているなら本末転倒なので、やはり解消はすべきなのだろう。

極論に流れない寛容さが足りない

おそらく「#KuToo」を提唱している人も「ドラゴン柄のコンバースで就活したい」と言っているわけではないのだ。最近は「パンプスに見えるスニーカー」なども存在するし、パンプスでなくても地味な靴はいくらでもある。そのような靴を履いていても「パンプスじゃないから非常識」と見るのをやめてほしいという話だろう。

ちなみに私が会社員時代履いていたパンプスだが、黒の革靴ではあったが、つま先は限りなく丸く、ヒールはなきに等しい、今思えばあれはパンプスだったのか、70過ぎのババアが旅行に行くときに履くヤツなんじゃないか、という代物であったが、特に何も言われなかった。

「#KuToo」が求めるのも、そのぐらいの「寛容さ」なのではないだろうか。

【お知らせ】
連載「カレー沢薫の時流漂流」の掲載場所を変更します。
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