なぜグーグルは人工知能に力を入れるか

なぜグーグルは人工知能に力を入れるか

2016.06.21

Google I/Oで、新たな音声アシスタント「Google Assistant」を発表するなど、人工知能(AI)を活用したサービスに力を入れる姿勢を明確にしたグーグル。世界トップクラスの棋士を破った囲碁プログラム「AlphaGo」を開発するなど、以前よりグーグルはAIに力を入れているが、それが同社のビジネスにどのようにつながっていくと考えられるだろうか。

AIを活用した「Google Assistant」が注目

今年も「Google I/O」で、さまざまな新技術を公開したグーグル。中でもその目玉として大きくアピールされていたのは「Google Assistant」である。

Google Assistantは、利用者が話しかけた内容に応じて適切な対応をしてくれる、音声認識機能を備えたアシスタントシステムである。グーグルはこれまで、「Google Now」で音声を認識して適切な内容をWebサイト検索する仕組みを提供してきたが、Google Assistantはさらに一歩踏み込んで、AIを活用して話しかけた内容を解釈し、相手が求める情報を、前後の文脈を考慮しながら適切な形で提供できるようになっている。

Google Assistantは前後の文脈を考慮できる対話型の音声アシスタント。映画監督を調べた後、その監督の賞や代表作などを、文脈から名前を理解して判断し、探してくれる

デモで紹介された事例を振り返ると、お勧め映画作品を教えてもらった後、その映画の評価をチェックしたり、上映時間を確認してチケットを取ってもらったりすることが、Google Assistantに話しかけるだけでできるようになる。単にキーワードに沿った情報を提示するだけでなく、グーグルのAIが会話の中から利用者が求めている要素を解釈し、文脈を理解した上で、それに沿った行動をとってくれるわけだ。

もっとも、音声アシスタント自体はグーグル以外も提供しており、代表的な事例としてはアップルがiPhoneなど、iOSデバイス向けに提供している「Siri」が挙げられる。Google Assistantはそのグーグル版といえるものだが、後発だけあって文脈を理解し、場面を選ばずさまざまな質問に対しより適切な答えを提示するなど、Siriより強化されている部分も多い。

さらに、Google I/Oでグーグルが打ち出したのが、「Google Home」と「Allo」という、Google Assistantを活用した2つのプロダクトである。Google Homeは、Google Assistantに話しかけて質問したり、声で家電を制御したりできる、スマートホームのハブとなるスピーカー型のデバイス。アマゾンが米国で提供している同種のプロダクト「Amazon Echo」に対抗する狙いが強いと見られている。

そしてAlloは、友達や家族などとの会話中にGoogle Assistantを呼び出し、Webやアプリに切り替えることなく情報を検索したり、飛行機や店の予約などができたりするメッセンジャーアプリ。Facebook MessengerやWhatsApp Messenger、日本で言えばLINEの対抗馬となるサービスだが、Google Assistantの利用に加え、投稿された写真に対する回答の候補を自動的に作成してくれる機能も用意されるなど、AIをフル活用しているのが大きなポイントだ。

メッセンジャーアプリの「Allo」は、会話中にGoogle Assistantを呼び出せるだけでなく、送った写真の内容から、返信の候補を自動的に作成してくれる機能などを備える

「AlphaGo」などAI開発を積極化するグーグル

今回のGoogle I/Oでは、AIを前面に押し出したプロダクトが満載であったが、グーグルは以前よりAIの開発に積極的に取り組んでおり、既にいくつかのAIを公開している。中でも最近注目された事例として挙げられるのは「AlphaGo」であろう。

これは、グーグルが買収して子会社にしたGoogle DeepMindが開発した囲碁プログラム。囲碁はチェスなどと比べ、長い間プログラムが人間に勝つのが困難とされてきた。だがAlphaGoは1202のCPUと176のGPUを備え、AI技術を活用して学習を進めることにより、非常に強力な囲碁プログラムへと成長。今年3月に世界トップクラスの実力を持つイ・セドル九段と対戦し、3勝して破ったことから大きな話題となった。

またグーグルは、開発したAIをオープンソースとして公開する取り組みも進めている。実際、同社が開発したAIライブラリ「TensorFlow」はオープンソースとして公開されており、誰でも利活用できるようになっている。

AIをオープンソースで公開することが、グーグルのメリットがあるのか? と思われるかもしれない。だがディープラーニング(深層学習)を主体とした現在のAIにおいては、学習する仕組みの構築よりも、学習のさせ方や学習したデータの方が重要となってくる。それだけに、AIの仕組み自体を公開することはグーグルのデメリットにはならないだろうし、Androidのようにオープンソースで利用が広まることで、多くの人が自社のAIを利用し、事実上標準の座を獲得することが、将来的なメリットにもつながってくる可能性は高いだろう。

AIの利用拡大を進めるための基礎を固めることも、グーグルは怠っていない。実際グーグルは、AI専用のチップセット「Tensor Processing Unit」(TPU)を開発していることを、今回のGoogle I/Oで発表している。これはディープラーニングをより高速に処理するために作られた専用のアクセラレーターで、AlphaGoにもこのTPUが用いられているとのこと。ハードを開発するメーカーではないグーグルが、専用のチップセットを開発するという点からもAIに対する力の入り具合を見て取ることができる。

グーグルはAI専用のチップセット「Tensor Processing Unit」を開発していることを公表。AlphaGoにもこのチップセットが取り入れられているという

AIが欠かせない時代の競争力強化を目指す

ではなぜ、グーグルはそこまでAIの開発に力を入れているのだろうか。その理由は、やはり今後、AIがあらゆるITサービスを支える基盤となる可能性が出てきているからではないだろうか。

まだ特定分野での利用にとどまっているAIだが、ディープラーニングを主体としたAI技術の進化が急速に進んでいることから、将来的にはさまざまな分野のサービスにおいて、AIが活用されることが考えられる。Google Assistantなどの音声アシスタントや、Google Homeなどのスマートホーム分野はその代表例といえるが、他にもビジネスや健康・医療、娯楽に至るまで、さまざまな分野でAIの活用が進む可能性が、高まっているのだ。

特に今後、AIの活躍が期待されているものの1つが「チャットボット」である。チャットボットはメッセンジャーアプリ上で動作するプログラムのことで、チャットボットと会話するだけで、天気や交通情報などの必要な情報を得ることができたり、買い物やレストランの予約などができたりするようになる。メッセンジャーアプリ上で、会話するだけであらゆるサービスを利用できることから、チャットボットがWebやアプリを置き換える新たなプラットフォームになるとして注目が高まっており、最近ではマイクロソフトやLINE、フェイスブックなどが、チャットボットを開発しやすくするための仕組みを相次いで発表するなどして、この分野に力を入れている。

フェイスブックは開発者カンファレンス「F8」で、企業などがチャットボットを提供できる「Facebook Messenger Platform」のベータ版の提供を発表した

そして、このチャットボットの利用を拡大する上で、求められているのがAIだ。チャットボットを快適に利用するためには人間の話したことを理解し、膨大なデータの中から必要な情報を提示し、それを自然な会話で返すことで、会話を進める必要がある。そのためにはより優れたAI技術が求められることから、最近ではチャットボットに向けたAIの技術開発も加速しているようだ。

チャットボットをはじめとして、AIが多くのサービスに、日常的に取り入れられるようになった時、IT企業が競争力を高める上でもAIの技術は欠かすことができないものとなるだろう。それだけにグーグルは、Google I/Oで多くのAIに関連するプロジェクトを提示したことで、AIに注力する姿勢を明確に示したといえるのではないだろうか。

だがAIやそれに類する技術は、グーグルだけでなく多くのIT企業が注力している分野でもあり、今後競争が加速すると考えられる。実際、IBMのコグニティブ・コンピューティングシステム「Watson」は、既に企業などで導入が進められているし、アップルやアマゾン、マイクロソフト、そしてフェイスブックなど、多くの企業がAIの技術開発を進めている。IT企業が今後生き残るためには、AIが大きな鍵を握ることになる可能性は、極めて高いといえそうだ。

その面倒な組織カルチャー、印鑑が原因ですよ

藤田朋宏の必殺仕分け人 第4回

その面倒な組織カルチャー、印鑑が原因ですよ

2019.03.18

印鑑業界による印鑑文化の優位性アピールが話題

会社経営者として感じる、捺印作業の面倒さ

「サイン文化」と「印鑑文化」で変わる組織カルチャー

行政手続きのオンライン化を目指す「デジタル手続き法案」をめぐり、全日本印章業協会がアピールした「印鑑のメリット」が話題になっている

「代理決済できるという印章の特長が、迅速な意思決定や決済に繋がり、戦後の日本経済の急速な発展にも寄与してきた」(原文ママ)というものだ。

「ハンコならこっそり代理決済ができる」などと、身も蓋もなく自ら印鑑廃止を後押ししてしまいかねない意見が出てしまったことは興味深い。
でも僕は、ただのバイオテクノロジー屋なので、ITを活用した効率化しますよ業界の回し者でもなければ、印鑑業界の人を敵に回すメリットだってないので、特にこの点について深く言及しないし、「日本における今後のハンコをどうするべきか」なんてことを掘り下げて云々するつもりもない。

ただ、日本を含む4カ国でスタートアップを立ち上げた経験から、企業の組織カルチャー形成に、承認方法としての「印鑑」と「サイン」の違いが、とても大きな影響を与えているのではと実感した話を書いておきたい。

日々、何かと多すぎるハンコ作業

まず共有しておきたい事実は、日本で会社を経営すると、毎日ものすごい数の代表印や銀行印や社印を押さなければいけないということだ。(会社の印鑑って3種類あるの知ってました?)

お客さんと契約してお金をいただくときに契約書に捺印するのはイメージできると思うが、その後もお金が銀行口座に無事入るまで、受領やらなにやら契約書だけでなく、さまざまな書類にとにかく捺印をしまくる必要がある。

また、家賃を払う、プリンターのトナーが切れる、実験試薬を買うなどなど、とにかく会社を運営する活動の一つ一つに対して、それぞれ細かくおびただしい数の印鑑を押す。法人が国や地方自治体に税金を払う時はもちろん、社員のあれこれも、例えば社員の誰かが結婚したり引っ越したりするだけでも印鑑を押しまくる。自分で会社をやってみてつくづくわかったが、とにかく捺印の数が膨大だ。

しかも、びっくりすることに、民間企業も市町村も、同じことをするために、それぞれがまったく違うフォーマットの書類に捺印を求めてくる。

こうして、大量な上にフォーマットがまったく違う書類を毎日渡されて、決められた位置に決められた種類の捺印をすることは、仮に契約書や書類の中身をまったくチェックしないで無責任に捺印したとしても、結構な時間を必要とする作業だ。

捺印にかける時間が惜しい

しかもうわの空で押していると、銀行印を押すべきところに代表印を押し間違えてしまったり、インクが簡単にかすれてしまったりするのが印鑑だ。人生において、こんな捺印ミスなどという程度のことで書類を作り直してもらう羽目になった回数を考えただけで、こんな単純な作業に失敗する情けなさとと、書類を作ってくれる従業員への申し訳なさで、どこかに隠れてしまいたい気持ちになる。

そう、僕は毎日、隠れてしまいたい気持ちになっているのだ。

なぜ、日本から印鑑はなくならないのか

我々の会社のように、たとえ社長だろうがあっちこっちに、営業に謝罪にと、せわしなく飛び回わることで、なんとか会社の体を保っているような規模の企業の方が世の中には多いと思う。そんな"貧乏暇なし社長”がこの捺印という物理的作業に忙殺される時間というのは、正直いって無駄以外の何物でもない。

にもかかわらず印鑑を押すという文化が日本に残っているのは「捺印するという作業」は、誰かに頼めてしまうからなのだと思う。多くの会社において「捺印をし続けるという作業」を自分でやっている社長はあまり居ないのかもしれず、ここが、すべて自ら書かなければいけないサインとの最大の違いなのだろう。

ちなみに、僕の場合は「捺印をし続けるという作業」だけを人に頼むような仕事の依頼の仕方は好みではないので、あちこちに会社を立ち上げては、担当者に「代表取締役」の役職ごと譲るようにしている。

海外の「サイン文化」は印鑑以上に面倒?

冒頭にも書いたが、僕は日本以外の3カ国でも会社を経営している。言うまでもなく日本以外の国は、承認の証としては「サイン」が一般的だ。

日本の会社同士の契約書の場合は、代表者の名前の脇に代表印と社印を、契約書を閉じた裏面に割印を一カ所押す形式であることが多い。つまり、二者間の契約であれば、先方用の契約書と当方用の契約書をあわせて、計4カ所の代表印と計2カ所の社印を押せばよい。

ところが、海外の契約書は、すべてのページにサインをしなければならない。海外の契約書は「実際にそんなことは起きないって」ってくらい、ありとあらゆる場面を想定した契約書になっていることが多く、とにかく契約書が長い。

感覚として、同じような内容の契約をするのに、日本の会社同士の契約の5倍~10倍のページ数になっても驚かない。

つまり、ちょっとした契約書でも軽く100ページを超えてくるわけだが、このすべてのページに手書きでサインをすることを想像して欲しい。契約書の中身を読んでただただサインを書き続けていると、「こんな作業に時間を使い続けてていいのだろうか」という自問の気持ちが芽生えてくる。

その組織カルチャーの差、ハンコとサインの差が原因ですよ

言うまでもなく、サインは誰かに代わりに書いてもらうことはできない。では、サインを書く物理的な時間を減らすために、何が起こるのかというと、「権限委譲」が進むのである。

日本の会社だと当たり前のように社長の名前で締結する規模の契約でも、海外の会社だと担当部長あたりの名前で契約を締結してくる。

もしかしたら、日本の会社のカルチャーだとそれは失礼なことに当たるのかもしれないが、サインを前提とした会社において、会社のすべての契約を社長名義で契約していたら、社長の一日は「サインを書く」という作業だけで終わってしまう。だから、どんどん権限委譲をしていくしかない。

日本の大企業の合意形成や意思決定のあり方を分析する文脈において、「日本の会社は権限委譲が進んでいない」とか、「プロジェクトごとの意思決定者の所在がよくわからないから、スピード感が遅くなってグローバル競争に負けてしまう」などという指摘を頻繁に見る。

特に近年流行りの「日本企業のホワイトカラーの生産性を高めましょう」という議論の多くでは、日本企業のこういった特殊性の原因を、日本人の歴史的・文化的背景や、国民性が理由であると結論づけている。

だからもっぱら、風通しがよく責任範囲が明確で、意思決定の早い会社にするために、せっせと組織構造をいじったり、管理職に研修をしたりと、コンサル屋さんが儲かるだけの努力に大きなお金を払うことになっているのだが、大きな効果が得られているようにみえない。

僕の考えは、特殊性の理由がちょっと違っていて、「その組織カルチャーの差って、捺印とサインの差が本質的な原因ですよ」と、わりと確信に近い自信を持っている。

捺印の作業だけを誰かに頼むのではなく、捺印をする権限ごとどんどん頼んでしまえばいい。ハンコにウンザリしている世の中の社長さん、そう思いません?

(藤田朋宏:ちとせグループ 創業者 兼 最高経営責任者)

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2019.03.18

漫画家・コラムニスト カレー沢薫さんの社会派連載!

第32回は、実家暮らしの男性に降りかかる「子供部屋おじさん」論議について

「子供部屋おじさん」という言葉が注目されている。言葉自体は2014年あたりからあったそうだが、今また脚光を浴びているそうだ。

「○○おじさん」「○○おばさん」という呼称には、「アイカツおじさん」のように秀逸かつもはや「Sir」級の「称号」と言って良いものもあるが、大体が蔑称である。

その中でもこの「子供部屋おじさん」の蔑視ぶりたるや、である。意味はわからなくても本能で「馬鹿にされている」と察することができる。

「子供部屋おじさん」とはどんなおじさんを指すかというと、成人しても親元を離れず実家の「子供部屋」で暮らし続けるおじさんのことである。「パラサイトシングル」を、言われた相手の血管が切れるように魔改造した言葉だ。言葉としては「上手いこと言うな」と感嘆するしかない。

単に「実家住みのおじさん」という意味ではなく、「いい年をして親から自立せず、自分では何も出来ない、中身は子どものままのおじさん」という痛烈な批判が込められている。

この「子供部屋おじさん」は、ひきこもりやニートとは違い、仕事はちゃんとしている場合が多い。だが逆に「実家を出ようと思えば出られるのに出ない」という点が余計「甘え」と見なされ、ここまでの鬼煽りを食らう羽目になったとも言える。

このように世間からみっともないと思われがちな「実家住みの成人」だが、本当に彼らは社会の病巣であり、親から見れば寄生虫なのだろうか。

一人暮らしは今や「修行」かもしれない

子供部屋おじさん含むパラサイトシングルにも言い分はある。まず「実家から出るメリットが見いだせない」という理由だ。

実家が持ち家の場合、一人暮らしをするよりも実家住みの方が経済的には圧倒的有利だ。親側からしても、純粋に寄生されるのは厳しいが、生活費などを入れてもらえるなら、逆に助かるという場合もある。

また職場からの距離も実家から通った方が近いと言うなら、わざわざ経済的負担を負いながら、場合によっては遠距離通勤をする「一人暮らし」というのは「修行」という意味しかなく、昨今盛んに言われる「コスパ」「合理化」という観点から見ると「正気か」というような無駄でしかない。そのため、インフルエンサー的な人が一発「まだ一人暮らしで消耗してんの?」と言えば、容易に世論が傾いてしまいそうな気がする。

しかし「修行という意味しかない」と言っても、その「修行」に意味がないわけではない。一人暮らしが人間に自立と成長を促すのは確かである、自分のことは全て自分でやらなければいけないのだから当然だ。

逆に、衣食住が保証された実家で、お母さんにご飯と身の周りの世話を全部やってもらっていたら確かに子供となんら変わりないし、もし仮に結婚して家を出たとしても、今度は嫁に母親と同じことを求めるだろう。

結果として、「見た目は中年、中身は子供、価値観は団塊」というバランス感覚皆無の生物が爆誕することになりかねない。そういった意味では、いかに合理的でなかろうが、一人暮らしをする意味はあると言える。

だが、親の方が子どもに「実家にいてほしい」と望むケースもある。

前に「増加する共倒れ家庭」という、タイトルからして明るい要素皆無のテレビ番組を見たことがある。老齢一人暮らしの父親の元に、非正規雇用で自活できない息子が帰ってきて、そのせいで生活保護が打ち切られ、ますます困窮するというマジで暗い所しかない話だった。

しかし、父親の方が息子に対し「迷惑だから出て行ってほしい」と思っていたかというと、そうではなく「自分が老齢で何があるかわからないので居てほしい」と言っていたのだ。

このように、高齢の親からすれば、子供がいてくれるのは「安心」という面もある。ほかにも、介護のために実家に戻って来た者もいるのだから、一概に「子供部屋おじさん」とバカにすることはできない。

「子供部屋おじさん」がここまで燃える理由

そして、この「子供部屋おじさん」に今更激烈な反応が起こっているのは、「おじさん」と性別が限定されているからだろう。

当然「子供部屋おばさん」だって存在する。私も結婚して家を出るまで実家にいたし、成人すぎても小学校入学の時買ってもらった学習机を使っており、もちろん身の周りのことは母親を越えてババア殿にやってもらっていたという、どこに出しても恥ずかしくない「子供部屋おばさん」だった。親は私を家から出すのに相当勇気がいったと思う。

しかし、バカにされているのは専ら「子供部屋おじさん」の方で、言葉自体も「ブサイク」には「ブス」ほどの破壊力がないように、「おばさん」より「おじさん」の方がどう考えても「強く」感じる。

「子供部屋おばさん」にパンチが足りないのは言外に「女はまあ実家住みでもいいんじゃね?」という見逃しがあり、逆に男には「男のくせにいつまでも親の世話になってみっともない」という、男女差別があるせいではないだろうか。

ネットを開けば、ジェンダー問題で毎日ひとつは村が燃えている昨今である。「子供部屋おじさん」が、そっちの観点でアンコール炎上しても不思議ではない。

当然だが、一家の家計を支え、親の介護をしながら家事までやっている「子供部屋おじさん」もいれば、ろくに家に金もいれず、親に三食用意してもらっている「子供部屋おばさん」もいる。もちろんこれはおじさん・おばさんを入れ替えたって言えることだ。

男だから、女だから、で言い切りが出来ないように「実家暮らし」という属性一つでは何も断言することは出来ないのである。

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